男子寮の玄関近くにある寮母の部屋のドアを叩く。
「はい」
中から声が聞こえ、猫を抱えた美佐枝がドアを開けて姿を現した。
休憩していたのか、何時もしているエプロンを取り、ボタンを外してはだけたシャツの胸元から白い素肌がよく見える。
「あら、あんた達。何か用?」
「実は——」
「一緒に温泉入ろうぜ」
朋也が言うより早く、美佐枝の胸元を見て発奮した春原は、鼻の下を伸ばして爽やかに言う。
その途端、美佐枝はジト目になった。
「入らない」
すげなく言い捨て、ドアを閉める。
「馬鹿、おまえ欲望丸出しにしてんじゃねぇよ」
春原を睨み付け、苦々しく朋也は吐き捨てた。
「欲望?」
「ああ、こいつ温泉で——」
「うわっ、岡崎っ!」
春原は慌てふためき、きょとんとする渚と
「何言う気だよ。僕を殺す気かっ!?」
智代にアレが知られたら、絶対温泉に入る前に昇天させられてしまう。
「だったら、あんな事言うんじゃねぇよ」
いくら爽やかに言っても、あれだけあからさまなスケベ顔では、下心バレバレである。
「美佐枝さんの濡れ肌想像したら、つい口が滑ったんだよ」
「おまえ……よっぽど溜まってんだな」
「岡崎、おまえはいいよ」
朋也に哀れむような目で見られ、春原は不貞腐れた。
「毎晩渚ちゃんがお風呂入ってるトコ、覗き見できるんだから」
「ばっ、んなコトしてねぇよっ」
とんでもない事を言われた朋也は思わず声を荒げる。
それにぐっと眉根を寄せ、春原は明也を疑わしげに見やった。
「はぁ? あれだけ一緒に暮らしておいて一度も?」
入っているのに気付かないフリして風呂場でバッタリ鉢合わせとか、見ようと思えば幾らでもチャンスがあるというのに。
「岡崎、おまえ男としてどっかおかしいんじゃないの?」
「オッサン居るのに、できる訳ねぇだろ」
春原なんかに男としてダメ出しされ、朋也はムッとなって言い返す。
やったら即あそこの家を叩き出され、帰りたくもない親父の住むあの家に逆戻りだ。それにたとえオッサンの目を盗んでできたとしても、早苗さんや渚の信頼を裏切るような真似は絶対したくなかった。
「岡崎、さっきから何をごちゃごちゃ話してるんだ?」
自分達に背を向け、春原と何やら小声で言い争っている朋也に、智代が不審な目を向けて声を掛ける。
「あぁいや、何でもねぇよ」
慌ててそう返した朋也は、春原の腕から自分の首を引っこ抜いて指を突きつけた。
「とにかく、おまえは黙ってろ」
「なんでだよ」
「おまえが喋ると話が進まないんだよ」
さっきみたいに、美佐枝さんに話すら聞いてもらえない。
ジロリと睨んで念を押し、不満顔の春原を置いて朋也は二人の許に戻った。
「渚、今度はお前が美佐枝さんに話してみてくれ」
「あ、はい」
朋也に言われ、渚は美佐枝の部屋のドアをもう一度ノックする。
「何?」という声と共に、ドアが開く。
「一緒におんせ——」
ドゴッ、ズガッ。
美佐枝が部屋から顔を出すと同時に、性懲りも無くにこやかに言い掛けた春原を、朋也と智代が情け容赦もなく叩き伏せて黙らせる。
それを何時ものことと気にもとめず、美佐枝は床で白目を
「どうしたの? 古河さん」
「あ、あの、今度の休みなんですけど、一緒にブドウ狩りに行けたらと思いまして」
「ブドウ狩り?」
「はい、野球の試合に頑張ってくださった皆さんへのお礼に、商店街の方達が計画してくださったんです。少し遠いですけど、温泉なんかもあって、とてもよい所なんです」
と、渚は説明して美佐枝に伺いを立てる。
「あの、どうでしょうか?」
「そうねぇ……」
困ったような顔をし、美佐枝は溜息をついた。
「行ってみたい気はするけど、遠出となるとちょっと無理ね」
そう言いながら、床に転がる春原を見て言葉を継ぐ。
「何しろこの寮は、こういう手の掛かる
出掛けもせずに、寮内で
「そうですか……」
「ごめんなさいね、古河さん」
「いえ、忙しいなら仕方ないです」
すまなそうに謝る美佐枝に、慌てて渚は言葉を返す。
「野球の時も、無理言って来ていただいたんですから」
「あれはあれで結構楽しかったから、別に古河さんが気にすることはないわよ」
美佐枝はパタパタと軽く片手を振る。
「じゃあ、私は行けないけど、古河さん達は楽しんで来てね」
「はい」
美佐枝の気遣いに、申し訳なさそうにしていた渚は微笑んで返事した。
その後、美佐枝と話のある智代と、自室に放り込んで来た春原と別れ、渚と二人で家路についた朋也はポツリと呟いた。
「結局行くのは、俺達と芽衣ちゃんだけになっちまったな」
まぁ、大体予想はしていたが。
「はい、芳野さんと美佐枝さんが行けないのは残念ですけど、他の人達は皆行けるので良かったです」
「まぁな」
前向きに考える渚に相槌を打ちながら、朋也は空を見上げた。
「にしても、つくづく俺達ってヒマだよな……」
誘っておいて言うのもなんだが、芽衣ちゃんや二年の智代、それに最初から進学する気のない春原や自分はともかく、他は一応受験生でもう遊んでいるヒマなんてない筈なのに、度胸があると言うか、付き合いが良過ぎるというか。
呆れた口調で言いながら、自然と顔が綻ぶ朋也だった。