秋の恵みの空の下~メモリーズ―秋―   作:飛鳥 螢

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秋生の思惑

「ほぉ、思っていた以上に集まったじゃねぇか」

 家に戻って今日の事を二人が報告すると、秋生は軽く片眉を吊り上げ、感心したように呟いた。

「ああ、意外と物好きが多いみたいでな」

「朋也くん」

 素直でない朋也を軽く(たしな)め、渚は嬉しそうに両親に告げる。

「皆さん、本当は忙しいのに、商店街の人達の感謝の気持ち汲んで、行くと言ってくれたんです。皆とても優しい人達ばかりですから」

「よかったですね、渚」

「はい、よかったです」

 早苗と渚がにっこりと微笑み合う。

「それじゃあ、来てくれる皆さんの為に一杯パンを焼かなくては」

「「「え?」」」

 ポンと両手を合わせ、ブドウ狩りに(ちな)んだ新作を作りましょう。と張り切る早苗の言葉に、そこにいた全員の顔からザっと血の気が引いた。

 早苗の作る手料理はどれも文句なしに美味しかったが、パンだけは別だった。それは彼女の独創性に富んだアイデアをふんだんに盛り込んで作られた所為だった。

 その味を知る者達は、店頭に並ぶ早苗印のパンを密かに地雷原と呼び、それから目を反らして決して誰もそれに手を伸ばす事はしなかった。

「ま、待て、早苗。早まるな。当日弁当も作らにゃならねぇのに、パンまで焼いてるヒマねぇだろう」

「そうです、お母さん。わたし一人で家族皆の弁当を作るのは難しいです」

「それに弁当は各自作ってくる事になってるんだ」

 詳しい内容は後で相談して決めるつもりだったが、たった今朋也はそう決めた。

「パンまで持って行ったら、食べきれなくて勿体ないですよ。早苗さん」

「そう……ですか?」

 必死に止める家族と朋也を見やり、早苗は頬に手を当て残念そうに表情を曇らせる。

「そうだぞ、早苗。おまえのパンは店に並べてこそ真価を発揮するんだ」

 そこに置いておけば、客が迷わず選ばないよう一目で判る。

「だから今回は諦めろ。な、早苗」

 (なだ)めるように必死に秋生は早苗に言い聞かせる。

「——秋生さんがそう言うのでしたら……」

 まだ諦めきれない感じだが、それでも早苗は頷いた。

 それを見て、ホッと秋生達が胸を撫で下ろす。

「それじゃあ、そろそろ夕食の支度をしましょうか」

「はい、お母さん。手伝います」

 早苗の後に付いて渚も立ち上がり、母娘(おやこ)は仲良く台所へ向かった。

 暖簾の向こうから、楽しそうに夕飯の献立を話し合う声が聞こえてくる。

 それを聞きながら、秋生は火の()いていない煙草を口に(くわ)え、ぼんやりと台所の戸口を眺め、朋也は食卓に置かれたままの湯飲みを手に取って、少し温くなったお茶を飲みながら今後の事を考えた。

「——おい、小僧。ちょっとツラ貸せ」

 不意に朋也に声を掛けると、秋生はやおら立ち上がり、明也の返事も待たずに廊下に出た。

 声を掛けて来た時の秋生の表情が気になった朋也は、湯飲みを置いてチラリと台所の方を見ると、そのまま無言で秋生の後を追う。

 玄関から外に出ると、更に秋生は家の前にある公園に向かい、その入り口に立つ外灯の下に立ち止まって朋也が来るのを待った。

 すぐに追いついた朋也は、夕闇の中明かりが(とも)る外灯下で、(くわ)えた煙草に火を()ける秋生に声を掛ける。

「なんだよ、オッサン。こんなトコまで来て」

「ああ、ちょっとな。おまえに話しておきたい事があってな」

 但しそれは、渚には聞かれたくないものだった。

 一息吸った煙草の煙を吐くと、秋生はゆっくりと口を開く。

「小僧、前に昔渚が命を落としかけた事があると話したよな」

「あ、ああ……」

 幼い頃の寒い冬の日、熱のあった渚は何時もしていたように外で両親の帰りを待ち、そのまま雪の中に倒れて何日も高熱を出して生死の境を彷徨(さまよ)った。

「あの時以来、渚はよく熱を出すようになった。原因も分からず突然にな」

「………」

「渚はその熱の所為で、これまでこの町から出たことがないんだ」

「……?」

 朋也は眉根を寄せて秋生を見た。どういう意味か問う様に。

 秋生は憂いを含んだ声で、淡々と言葉を継ぐ。

「遠足か何かで、渚がこの町を出ようとすると、必ず熱を出す。だから渚は一度も学校の友達と一緒に町の外に出掛けた事がないんだ」

 まるでこの町が、渚を捕えて離さないかのように。幼稚園も、小学校も、中学の時も、遠足は勿論の事、修学旅行にさえ行けなかった。

 楽しげな笑い声を上げて遠足や修学旅行に向かう友達の姿を、渚は何時も一人で家の自分の部屋の窓から見下ろしていたのだ。

「挙げ句に高校では、とうとう留年する羽目になっちまった」

「けど、それはもう治ったから、こうしてまた学校に通ってんだろ」

「ああ、確かに。おまえと出会ってから、渚は殆ど寝込むことがなくなった」

 渚は熱を出して一度寝込むと、それから度々寝込むようになる。そして、寝込む間隔も次第に長くなり、最後には起き上がれなくなるのだ。翌年の春、暖かくなるまでずっと。それが毎年繰り返される古川家の日常だった。

 それなのに今年はまだ一回だけだった。とはいえ、今は元気でも原因が不明では、本当に完治したのかさえ分からない。不安はまだ完全に拭えたとはいえないが、今のところ体調は安定しているように秋生には見えた。

 これは今までに無かった事だ。そして、その要因と思われるのはただ一つ、朋也との出会いである。

 もしそうなら、こいつが一緒ならば、渚はこの町から出られるかもしれない。

 そう考えて、秋生は賭けに出たのだ。

「今回のブドウ狩りは、渚に取って最後のチャンスなんだよ」

 学校の友達と一緒にこの町を出て遠出をする。

「………」

 ——それでオッサンは、このブドウ狩りを計画したのか……

 恐らく野球の事を口実に、商店街の人達一人一人に頭を下げて頼み込んだのだろう。一度でいいから、渚に学校の友達と遠出をする楽しさを味わってもらう為に。

「おまえが居りゃ、渚は多分大丈夫だと思うが。だが、熱が出ないという保証は何処にもないからな」

 当日になっていきなり熱が出るという事も十分考えられる。そのような事はこれまでにも散々あったのだ。

「そん時は悪いが、小僧、渚を頼む」

「ああ。分かった」

 この計画が渚の為だったとはいえ、渚が熱を出したからと、ブドウ狩りを中止にする事はできない。オッサンは運転手だから、熱を出した渚についていてやる事もできないのだ。

 ——けど、俺は渚と一緒に、必ず皆とブドウ狩りに行ってやる。

 その決意とともに、朋也は秋生に向かって大きく頷いた。

 

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