俺はターミナル駅の改札前で、一色が現れるのを待っていた。すでに、約束の時間を10分ほど過ぎている。
一色もなかなか忙しい大学生活を送っているようで、先日の喫茶店での約束のために俺が呼び出されたのは、五月になってからのことだった。一色の呼び出しはシンプルで、『買い物したいので、付き合ってください』というものだった。
誕生日のお祝いに後輩女子と二人でお出かけと聞けば、なんだかドキドキするイベントのように感じるが、実態は大きく異なる。一色の誕生日は半月も前に過ぎているし、俺が呼び出された目的も荷物持ちに過ぎないだろう。誕生日を口実に一色の買い物に付き合わされるだけで、誕生日デートというような特別なものではないはずだ。
世界一利用者が多い駅の呼び名どおり、改札をひっきりなしに人が出入りしている。常にどこかのホームで電車が発着しているようで、頭上に設置されている列車案内の電光掲示板は次々と表示を変えていく。
絶え間なく人が行き交う改札をぼんやり眺めていると、亜麻色の髪の女の子が改札を抜けてくるのが目に止まった。改札を出たところで足を止め、きょろきょろとあたりを見回している。こちらから声を掛けてやるべきかと思ったが、すぐに俺を見つけたらしく、遠巻きに目が合った。一色は、にこっと笑みを浮かべると、胸元で小さくこちらに向かって手を振る。
こういう仕草があざといんだよな……。とりあえず、俺は軽く頷きを返しておく。
一色は、そのまま俺の方へてとてと歩いてくる。
今日の一色は、白の長袖ブラウスに薄手のニットベストを重ね着し、ブラウンのデニムを履いている。ボトムスの色に合わせたのだろう、革素材の小ぶりなダークブラウンのポーチを斜めがけしていた。
襟付きの服に加え、全体的に落ち着いた色味で統一されていることもあって、清楚な雰囲気だ。白地のニットに並ぶカラフルな菱形が、フレッシュとキュートな印象を与えているが、くすみがかった色合いのおかげで、清楚な印象は崩れていなかった。
「お待たせしましたー」
俺の目の前までやって来た一色は、ほわわんとした声で言う。
「おお、だいぶ待ったぞ」
「遅れるって連絡したじゃないですか」
たしかに、一色からのメッセージは届いていたが、俺は事実を述べたまでだ。待ち合わせ時間の10分前に改札前に着いていた俺は、ゆうに20分以上も待ち続けたのだ。何ら嘘はついていない。
しかし、一色は俺のぞんざいな態度もさして気にならないのか、あたりをぐるっと見回してから、俺に声を掛ける。
「とりあえず移動しましょうか」
言うと、一色は俺の前に立って歩きだした。
俺は呼び出されるままにここまでやって来たのだが、今日の目的地がどこなのかは知らなかった。一色の隣に並んで歩きながら、問いかける。
「買い物って言ってたけど、なに買うんだ?」
「服ですよ、服」
そんなの当たり前じゃないですか、と一色は言う。
「誕生日にパパにもらったお小遣いがあるので、新しい服をいくつか買おうと思うんです。そろそろ夏物も出てますしねー」
パパからのお小遣いね……。この子がパパって言うと、ちょっとドッキリするんだよな。なぜだろう。
それにしても、もう夏物か。今日みたいに曇りがちな日は昼間でも涼しいし、朝晩はまだ冷える日も多いので実感が少ないが、すぐに最高気温も上がり、半袖でなければ耐えられない季節がやってくるのだろう。
俗に、大学生活は人生の夏休みと言われているらしい。であれば、大学生の夏休みというのは、大学生活の中でもっとも輝かしい時期といえるだろう。そんな夏に向けていまから準備をするとは、陽キャの年間カレンダーもなにかと忙しないものだ。
どちらへ行けばいいのか分かっているのか、迷いなく歩く一色に付き従って進む。駅ビルに直結しているファッションビルの一つに入ると、エスカレーターでいくつか階をあがり、レディースファッションのフロアのうちのひとつに到着した。
「ここ、よく来るのか?」
「うーん、二、三回目ですかねー。高校の頃は千葉で買い物することが多かったですし」
千葉はだいたいなんでもあるからな。千葉駅の商業施設は充実しているし、駅前には百貨店もある。少し足を伸ばせばアウトレットやららぽーともあって、揃わないものはない。一色も、J大に入らなければ、わざわざ都心まで出てきて買い物をすることもなかったのだろう。
「入ってるブランドそのものは、千葉とあんまり変わりませんよ」
テナントのひとつに入って、服を物色しながら一色が言う。
俺はその姿を傍らで見ているだけだったが、一色から声を掛けられた。
「先輩も選んでくださいよー」
「そんなこと言われてもな……。女子の服の選び方なんて知らないから困るんだが」
一色のお眼鏡にかなう服を俺が選べるとは思えない。
大学生になってからの一色の私服姿は何度か見ているが、どれもよく似合っていたように思う。それと同じ水準で服を選ぶセンスが自分にあるとは思えなかった。
「お米ちゃんと一緒に買い物することないんですか?」
「ばっか、小町の買い物に俺なんかが付いてったら、店員さんの小町に対する心証が悪くなるに決まってるだろ。そんなことできるか。常識的に考えろ」
「なんか悲しい理由で怒られた気がします……。というか、それ、先輩がキョドってるから怪しまれてるだけですよね」
仕方ないだろ。女性向けのアパレルショップなんて空間に来て、落ち着いていろというのは無理がある。
服を選んでる間はまだいいんだよな。脇に立って「連れてこられました」って顔してればいいだけだから。でもなー、試着してるときはほんとに困る。何して待ってればいいかマジで分からない。
「じゃあ、結衣先輩や雪乃先輩とは?」
「……ない」
「なんか変な間がありましたけど」
こういうところは鋭いんだよな、この子。
「最近も三人で出かけたって聞きましたよ」
知ってるのかよ……。
情報源は由比ヶ浜だろうか。
高校時代から仲がよくて、今も同じ学部に通う先輩・後輩の関係なのだ。このあいだも、授業や時間割のことを由比ヶ浜に聞いたと言っていた。一応、俺は共通の知人という枠に当てはまるだろうから、由比ヶ浜から一色に情報が流れていても不思議ではない。
「あの二人がお互いの服を選んでるのを見てるだけだからな。俺は選ばないんだよ」
「でもふつう、『どう思う? 似合ってるかな?』くらいは聞かれませんか」
聞かれる。だが、俺は「ああ」とか「うん」とか「いいと思う」くらいしか答えない。
昔、小町の服選びに口を挟んでいたら、小町がめちゃくちゃ不機嫌になったことがある。あとで、「あのね、お兄ちゃん。女の子の『これどう思う?』には、『よく似合ってるよ。かわいいよ』って答えないといけないの。これ常識だから」と叱られたものだ。小町が言うには、自分がかわいいと思って選んだ服について、その選択への共感と賛辞を求めているのだから、ダメ出しはNGらしい。
「そんなの肯定する以外にないだろ」
すると、一色は意外そうな表情で俺の顔を見る。
「先輩、女子語の読解スキルあがりました?」
「小町に教えられたんだよ」
「あー、なるほど」
一色は納得したように相づちをうったが、小さく「あの二人はそうでもないと思いますけどねー」と呟いた。
……仮にそうだとしても、俺にセンスがないという事実が変わらない以上、他に答えようがないだろう。
「ということは、二人が選んでるのを、ずっと横で見てるだけってことですか?」
「まあ、そうだな」
「ふーん。でも、女子が服を選んでる横に、ずっと無言で立っている男ってなんかキモいですね」
えっ……、いまこの子、キモいって言ったよね……。まあ、自覚はあるんだけどさ。それにしても、ストレートすぎない? そういうチクチク言葉はよくないって、学校で習わなかった?
「だから、今日は、無言は禁止ですよ」
「そう言われてもな……」
「難しく考えすぎなんですよー。デートのときに、女の子がこういう服を着ててくれたらうれしいなってものを選んでくれたらいいんです」
なるほどね、一理ある。
俺なんかは、一色に似合う服というのは本人が一番よく理解しているだろうし、デートにも、自分が一番自信がある服を着ていけばよいと思ってしまう。男の脳みそなんて単純だから、自然体とか、ありのままみたいなのに、すこぶる弱い。
しかし、女子の立場からすると、デート相手の男子に気に入られたいと考えてしまうのだろう。そういう気持ちは理解できるし、相手のことを思って準備する姿は、健気で可愛らしいと思う。
だから、一色が俺に求めているのは、きっと男子目線の意見なのだ。そういうことであれば、俺にできることは、協力しよう。
一色のペースに合わせて、店舗をめぐる。
並んでいる店舗を順に見ているわけではないようで、一色の中でのなんらかの順序だか法則だかに従っている様子だった。とりあえず覗いてみるだけのお店もあれば、素通りするお店もあるし、じっくり時間を掛けて見て回っているお店もある。
レディースファッションに対する知識なんてほぼ皆無の俺だったが、いくつも店舗を見て回っていると、だんだんそれぞれのブランドごとの特徴が分かってくる。いま居る店は、落ち着いた清楚系の服が多く並ぶブランドだった。
「これはどうですか」
一色は、ラックにかかっている黒のワンピースを手に取って、自分の体にあてがいながら俺の意見を求めてくる。
全体にモノトーンの花柄があしらわれたグレーのワンピースだった。胸元の上部と袖にはシアー素材が使われており、実際に袖を通したときは、ほんのり肌が透けるのだろう。ワンピースとはいったがドレス風のデザインで、肩肘張らないパーティーであれば十分着ていけるようなエレガントな雰囲気がある。
このくらいだと、ちょっとおしゃれ目なデートにも着ていくことができるだろう。
「葉山はこういう系統が好みだろうな」
言うと、一色はきょとんとした表情で、俺を見返してきた。
「えっ……、なんで葉山先輩が基準なんですか」
「いや、だって、お前がデート服だと思って選べって言うから……」
一色は盛大にため息をつき、やれやれといわんばかりに肩を落とす。
「葉山先輩のことはもういいです」
そう言いながらワンピースをラックに戻すと、別の服を見始めた。先ほどまで手にしていたワンピースへの興味は、完全に失われたようだった。
そうなのか……。俺の記憶の中の一色いろはは、ずいぶんと葉山隼人に執心していたように思うが。
しかし、それは一年以上も昔のことだ。葉山も一色も高校を卒業し、いまはそれぞれ別の大学に通っている。環境面での大きな変化は、当然、一色の心情にも及んだのだろう。
それでも、一色の心変わりを意外に感じたのは、彼女が葉山を思う気持ちの深さに触れた記憶があるからだった。打算尽くめで男漁りをしているように見せかけて、実際は、一途な恋心を抱いている。そんな印象が、俺の中に強く焼き付いていた。
どこか冷めた表情で服を眺めていた一色が、しんみりとつぶやく。
「結局、二年かけて進展らしい進展もなかったですし。わたし結構攻めたつもりなんですけどね。ガード堅すぎるんですよ、あの人」
たしかに、葉山の女子との距離の取り方は、見事だった。
二年生の冬休み明けの時期こそ葉山の色恋が噂にのぼったものだが、それが終息して以降は、そういった噂が再燃することもなく卒業を迎えたのだ。一色や三浦にとっては不本意な終わり方だったのだろうが、葉山の目論み通りに事が運んだということでもあるだろう。
「あいつ、高校の間はそういうことに巻き込まれないようにしてたんだろ」
「それは分かりますけど……。大学も違いますから、いまさら難しいですよ」
普段の生活で接点がなければ、関係を進めるのが難しいというのは理解できる。それに、葉山が通うT大なら、他大女子歓迎のインカレサークルがたくさんあるだろうが、葉山がそういうサークルに入って出会いを求めているイメージは、まったくなかった。
「でも、大学に入ってからますます思いますよ、葉山先輩って、ほんとにSSRだったんだなーって」
「人をソシャゲのキャラみたいに言うなよ」
あんまりな言い草に、思わず突っ込んでしまう。
たしかに、葉山のようにイケメンで、現役でT大に合格するほどの秀才で、実家も太く、それでいて人当たりのよい性格の持ち主は、そうそう出会うものではない。その遭遇確率の低さは、ソシャゲキャラの最高レアリティの排出率なんかより、よほど低いだろう。だから一色には、葉山のことがキラキラ輝く特別な存在のように見えているのかもしれない。
でも、違うんだよなー。
葉山はああ見えて、心の内に屈託した感情を抱えている。俺は葉山の過去なんて知らないし、そんなものに興味もないが、その屈託の原因であろう存在のことはよく知っていた。正確には、同じように――あるいは葉山以上に――影響を受けた一人の少女のことをよく知っていた。
ともあれ、普段は決して周囲には見せないその心の闇こそが、葉山隼人の本質だ。俺にとっての葉山は、ゲームのキャラクターというには、あまりに人間臭い存在だった。
……いけないいけない、思わず葉山について語ってしまった。海老名さんに知られたら、大変なことになっちゃう。
「だいたい、そんな理想の男ってほどでもないぞ。あいつ、一枚剥くとわりと面倒な性格してるからな」
「その訳知り顔、ちょっとうざいんですけど」
一色がうげっという表情をする。またこの子は……、そういうちくちく言葉を使っちゃいけないって言ってるでしょ。
「というか、なんか葉山先輩のこと詳しくないですか。服の好みも知ってるみたいですし。そういう仲でしたっけ?」
あらぬ仲を疑われてしまった。
しかし、一色がどこまで知っているか分からない以上、雪ノ下陽乃の服装から連想したと言うわけにはいかないだろう。葉山はいけ好かないやつだと思うが、だからといって、あいつのプライバシーを言いふらす趣味は俺にはない。
「二年間も同じクラスだと、それなりに絡みもあるんだよ」
「絡み……」
一色が訝しげな視線で俺を見つめてくる。
他意はないと思っていいんだよね? 海老名さん的な「絡みなんて、そんなはしたないこと……」みたいな意味じゃなくて、「ぼっちの先輩がなんで葉山先輩と絡むんですか」っていう意味だよね? それはそれで結構傷つくんだよな……。
「あいつ、自然とクラスのまとめ役をやってたからな。俺みたいなあぶれ者のことも、やたらと気に掛けてくるんだよ」
それが葉山隼人の固有スキル、ザ・ゾーンだ。
こうやって言うと、たしかにゲームのキャラっぽいな。
「あー、葉山先輩、優しいですもんねー」
とりあえず、一色は納得してくれたらしい。あらぬ疑いが残らなくてよかった。
「とにかく、葉山先輩のことはもういいんです。先輩たちの卒業式のときに、『これでおしまい』って区切りを付けましたから」
そういうものか。
あれっ……? それなら、俺の「責任」とやらはどうなんだろう。生徒会長をやることが葉山への有効なアプローチになると説得したことから始まったのだとすれば、一色が葉山を諦めた時点で、俺の責任も区切りが付いたんじゃないの?
……どうせ、言っても無駄なのだろう。この手の理屈が通用する相手じゃないことは、よく分かっていた。このあざとくてかわいい後輩は、なかなかいい性格をしているのである。
俺の諦観を知ってか知らでか、一色はさっと振り向くと、上目遣いで俺の目を見ながら言った。
「だから、先輩が、こんな服を着た女の子とデートしたいって服を選んでくれたらいいんですよ」
ほんと、あざとくて、いい性格してるよな、こいつ。
さらに数軒まわり、二度ほどフロアも移動して、俺たちはまた別の店に来ていた。そろそろ購入する服を絞り込む段階に入ったのか、一色は、いくつかの服を持って試着室に入っている。
「どうですか」
試着室のカーテンがさっと開いて、一色が姿を見せた。
鮮やかな無地の赤色トップスと、薄いベージュベースの生地に花柄が散りばめられたロングスカートに身を包んでいる。スカートはハイウエストで、足もとに向かってきれいなAラインを作っていた。
「似合ってるな」
「なんか適当ですね」
いや、本心なんだけど……。似合っている以上に何を言えばいいというのだ。
「どう似合ってるか教えてくださいよー。先輩、文学部なんだからそういうの言語化するの得意でしょー」
一色が雑な振りをしてくる。文学部だから文章にするの得意だろというのは、経済学部なら株式投資で儲けられるだろというのと同じくらい乱暴な理屈だろう。
しかし、いろはすのご注文なんだよな……。まったく心ぴょんぴょんしないのだが、今日は一色の誕生日祝いという名目なのだ。その希望にはできる限り沿うのが礼儀だろう。
一色のコーデをつぶさに観察しながら、どうにか言葉を絞り出す。
「……スカートの花柄がいいよな。落ち着いたベージュの生地に散りばめられた赤色の花がアクセントになってる。花の大きさも含めたバランスが、なんというか……、計算された可愛さって感じで、一色の印象にも重なってる。いや、計算っていうのは悪い意味じゃなくてさ……、強い魅力があるってことな。……正直、トップスの赤色は派手目だから、うまく合わせるのが難しいだろうって思ってたんだけど……、スカートの花柄と色が共通してるからか、しっかり馴染んでる。こういう組み合わせは、オシャレ上手って感じがするよな。明るくて可愛いし……、でも、それだけが魅力じゃないっていうのが、その……、明るくて、穏やかで、可愛いっていうお前のイメージどおりっつーか……」
なんだろう、これ。めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。もう罰ゲームでしょ。
というか、大丈夫なの? けっこうキモいこと言ってない? 服の感想を言おうと思ってただけなのに、なぜか一色が可愛いみたいことを口走った気がする……。セクハラで訴えられたりしないよね?
不安と羞恥で胸がいっぱいになりながら、ゆっくりと一色の顔に視線を戻す。
見ると、一色は顔を俯けてぷるぷると震えていた。表情はうかがい知れないが、肩まで小刻みに震えているのは普通じゃない。やらかしたという思いが頭の中を駆けめぐる。
あー、やっぱりキモかったよね。ごめんね、いろはす。でも、君がやれって言ったからだよ。
心の中で言い繕っていると、一色がぽしょりと呟いた。
「……やっぱり、詳しい感想は、なしでお願いします」
「お、おう……」
だよな。やめた方がいいよな。
そして一色は、消え入るようなか細い声で、「着替えるので、もう少し待っててください」といって、カーテンを閉める。あまりにいたたまれなくて、俺は更衣室の前を離れた。
しばらくして、試着室から出てきた一色と店員さんの会話が耳に届く。
「いかがでしたか?」
「……両方ともください」
「はい。ほかのアイテムはよろしかったですか?」
買うことにしたのね。その、うん、似合ってたのは本当だから、いいと思うよ……。
くっそ、なんで服を選ぶだけで、こんな恥ずかしい思いをしないといけないんだよ。
その後も、何軒かショップをまわり、試着する一色に付き合ったが、俺は「似合ってる」「わるくない」「いいと思う」などと短く感想を述べることに徹した。
そうはいっても、一色が「この二つならどっちがいいですか?」とか、「これとさっきの比べたら、どっちですかねー?」と尋ねてくるので、一色の服選びに、俺の意見もいくらか反映されたようだったが。
* * *
買い物を終えた俺たちは、レストランフロアの一角にあるスペイン料理のお店にいた。
注文したチキンパエリアを食べながら、俺は、ここ最近の大学生活についての一色の話を聞かされていた。
なんでも一色は、J祭と呼ばれる大学祭の実行委員会に入ったらしい。俺からしたら、そんな面倒なサークルに入るなんて気が知れないが、一色なりに考えがあるのだろう。見た目の雰囲気に反して、この後輩は、場のノリとか空気に流されるようなヤツではないのだ。
セレクションがあったけど楽勝でしたよーとか、次の週末は新歓イベントでバーベキューに行くんですーとか、遊びに行くお金もいるのでバイト始めようと思うんですけど、なにがいいと思いますかーとかいう一色の話に、適当に相づちを打っていく。
俺が所属している歴史サークルには縁のない話だが、J祭実行委員会は入会希望者が多く、毎年、面接みたいなことをやって入会者を選別しているらしい。いわゆるセレクションというもので、この手のサークルでは顔セレ、つまり顔採用があるとかないとか噂されるが、いずれにせよ、一色の容姿とコミュ力、そして演技力なら、余裕で通過したことだろう。
聞けば聞くほど、俺と一色は、同じ大学に通っているのを疑ってしまうほど、違う世界で暮らしているようだった。
ふとした切れ目に、一色が話題を変えた。
「そういえば、先輩、教職課程とってるんですか?」
「取ってるけど、なんで知ってるの?」
「先輩の時間割に、教育論の授業があったので」
とくに種も仕掛けもなかった。そういえば、先日、一色は俺の時間割を写真に撮っていた。
「うちの大学って、教育学部ないのに教員免許とれるんですね。知りませんでした」
教師というと教育大や教育学部の出身者が多い印象はあるが、中学・高校の教員免許であれば、教育の専門課程がない大学でも取得できるようカリキュラムが用意されていることが多い。
「中高の免許だけな。新入生ガイダンスで説明なかったか?」
「あー、そうだったかも……?」
一色は記憶にないらしい。自分に関係がないと思っていることの記憶なんて、その程度のものだろう。
誤魔化すように、こほんと咳払いをした一色は、俺に尋ねる。
「じゃあ、先輩は先生になるんですか?」
「わからない」
「えっ? それなら何のために……」
「ちょっとした興味だよ」
俺の返事を聞いた一色は、じとっとした目をしていた。そして、テーブルの上に置かれている自分のスマホを手に取る。
「被害者が出る前に、通報しておきましょうか。おまわりさーん」
「おいっ、やめろって」
思わず周囲を見渡してしまう。店内は八割方のテーブルが客で埋まっている。……大丈夫、だれも俺たちの会話なんて気にしていない。
ひとまず安心したが、このまま一色を放っておけば、次は何を言い出すか分からない。
そう思った俺は、つい早口で話し始めてしまった。
「どんな学校にも、高二病をこじらせた捻くれ者がいるだろ。そういうマジョリティになれないヤツらには、その扱いが分かってる教師が必要なんじゃないかって思うんだよ。本当は現実を変えたくて、目の前の境遇から抜け出したくて、そのためには助けが必要なのに、そんなのなくても自分一人でどうにかできるって、たいした人生経験もないのに悟った気になってるヤツは、どこにでもいるからさ。そういうのは、放っておいてもいっぱしの大人にはなるんだろうけど、ちょっとしたきっかけを掴むだけで、結構変わるもんなんだよ」
一色の発言に慌ててしまったせいで長々と話してしまったが、なんだか自分語りをしているみたいで、無性に恥ずかしくなってきた。
尋ねてもいないのに、まとまりの悪い志望動機なんて聞かされたら困惑するだけだよな。そう思い、話を終わらせようとする。
「まあ、そんな思いだけで教師ができるわけじゃないだろうし、そもそも自分が教師に向いているかなんて分からないから、今はまだ、なんとなくそういう選択肢を残しておきたいっていう程度だけどな」
どんな反応をされるか気がかりだったが、一色は、ぽつりと「そうですか」と呟いただけだった。下手に感想を言われるより、ずっとありがたい。
しばらく沈黙に包まれる。
俺と一色は、もくもくとパエリアを口に運ぶ。
無言の時間を破ったのは、一色だった。いつものように、明るく穏やかな口調で言う。
「じゃあ、教員免許を取っても、教師にはならないかもしれないってことですか? それって、もったいなくないですか?」
「教員免許って卒業してから取るのは大変なんだよ。取っておけば、シンプルに就職先の選択肢が増えるからな」
一色はふむふむと頷いていた。
が、なにか思い当たることがあったようで、一瞬動きを止めたかと思うと、やにわに顔を上げた。
「はっ! なんですか君が好きなことやれるように安定した将来設計を考えてるって口説いてるんですか、魅力的でうれしい提案ですけど結婚を前提にというのは早すぎると思うのでもうちょっと手順を踏んでからにしてください、ごめんなさい」
いや、どう考えてもそんなこと言ってないだろ……。
突っ込みどころが多すぎて、言い返す気にもならない。
「どっちにしろ、来年は民間のインターンに行くつもりだから、どうするか決めるのはそれからだろうな」
「……わたしの話は無視ですか」
「お前こそ、俺の話ちゃんと聞いてたのかよ……」
しかし、気恥ずかしい思いは消え去っていた。心の中で一色に感謝する。
駅の構内は、昼間、一色と待ち合わせしていた時より、いっそう混雑していた。
食事をしている間に帰宅ラッシュの時間帯は過ぎていたが、そんなことは大して影響がないのだろう。普段なら人混みをぬってすたすたと歩くところだが、今日は、横にいる一色に合わせてゆっくりと歩く。
「先輩、今日はありがとうございました。ご飯もごちそうさまでした」
歩きながら、一色は礼を述べる。
「気にするな」
食事の礼は、店を出たときにも言われた。重ねて礼を言われるほど、大げさなことはしていない。
「先輩のお話も聞けて、楽しかったです」
俺の話ね……。
食事の間は、ほとんど一色の話を聞いていただけのように思う。俺が話したことといえば、教職課程を取っているということくらいだが、あんな話がおもしろかったのだろうか。
……まあ、一色が満足してくれたならよかった。誕生日祝いのやり直しなんてものを求められることは、回避できたのだから。
少し間をおいて、俺の様子をうかがうように一色が言う。
「先輩は、どうでしたか?」
「疲れた」
俺が即答すると、一色はしらっとした目つきになった。
「相変わらず正直すぎませんかね……」
ビルの中を行ったり来たりしていただけだが、歩数にすればそれなりの距離を歩いたように思う。荷物持ちをすることそのものは大して労力はかからなかったが、一色が試着したり、会計したりしているときの手持ち無沙汰な時間は、地味に疲労感へとつながっていた。
しかし、疲れはしたが、今日の目的を考えれば、それでよかったのだと思う。
「お前が楽しかったなら、それでいいだろう」
「よくないですよ。先輩の時間をもらったわけですから、わたしだけ楽しみましたってわけにはいかないです」
まったく、ワガママなのか、気遣い屋なのか分からない。
一色の問いに答えるため、俺は、あらためてこの半日を振り返る。
目をきらきらさせて服を選ぶ一色。
服を試着した姿を俺に見せて、感想を求める一色。
葉山のことはもういいと語った一色。
色とりどりの服に身を包み、そのどれもがよく似合っていた一色。
俺が教員に興味を持っている理由を静かに聞いていた一色。
ぐるぐると記憶をかき混ぜると、いろいろな一色の姿が思い浮かぶ。その姿を見て、俺はどんな感情を抱いたのだろう。
きっとその感情は、名前を付けられるほどはっきりした形を持っていない。はっきり言えることがあるとすれば、その感情が俺にとって好ましいものであるということだ。たしかに疲れはしたが、それは不快なものではなかったのだから。
どう言えば、一色にうまく伝わるだろう。しばし逡巡する。
取っかかりがほしくて、横目で一色の姿を見る。駅の構内は広いが、それでも、あと数十メートル歩けば、俺と一色は別れることになる。俺は20分もあれば家に着くが、一色が家に帰り着くまでは1時間半以上、おそらく2時間近くかかるだろう。大学から近いとはいえ、一色にとっては千葉駅周辺か、せめて東京駅近辺で買い物をした方が、よっぽど楽だったはずだ。
そこまで考えると、一色に言うべき言葉が決まった。
「次は、この駅じゃなくていいぞ。ここから帰るのは遠いだろ」
きっと、彼女が期待していたものとは、まったくちがう答えだ。
けれども、一色を見やると、軽く頷いたのがわかった。俺の答えに、一色は満足してくれたようだった。
ほっと胸をなで下ろす。
ちょうど、一色が使うホームへ通じるエスカレーターの前に来ていた。俺は足を止める。
その瞬間、俺は、片腕がぎゅっと掴まれるのを感じた。一色は、そのまま俺を引きよせるように互いの距離を詰めると、俺の耳元に唇を寄せ、秘密めかして囁いた。
「こんどは、今日、先輩が選んでくれた服でデートしましょうねっ」