000
それでは、良い逆夢を。
001
臨時休校、五日目。
砂嵐の目、もとい鏡面の牢獄から脱出したセリカとの情報共有を終えた
「……深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ、かあ。まあユメ先輩はお人好しだったし、すぐに騙されちゃうような人だったけど、うーん……有名な言葉だし、先輩でも知ってるかな……?」
つい先ほどまでのホシノは、セリカから共有された情報──ユメが小難しい言葉を用いたという情報に懐疑的だった。何なら
ユメがそんな小難しい言葉を
しかし仮にユメではなかったとすると、いよいよ後輩たちを窮地から救ってくれた事に理由がつけられなくなる。というかまったくの意味不明と言ってもいいだろう。
だって現に、四度も後輩たちを助けてくれているのだ。シロコを蜃気楼から救い、ノノミを無限階段から脱出させ、アヤネを空中の水底から引き上げ、セリカを停滞した鏡面から引きずり出している。
ホシノの記憶の限りでは、ユメは人助けなんかにも積極的な人だったし、実際ホシノも彼女から人には優しくするように教えを受けている。だから、助けてくれたという事実それ自体に
だから正直なところ、本当に意味が分からない。
分からないから、嫌でも考えるしかない。
「うへ……いや〜参っちゃうね、ほんとにさ。せっかく色々と過去に折り合いを付けてきたって言うのに、まさかこんなに早く振り返らなきゃいけなくなるとはね〜」
誰が聞いているというわけでもないが、ホシノは改めて自分を冷静に保つためにも、あえて大きな独り言を口にした。
ホシノ一人の対策委員会室に声が響き渡り、そして反響をほとんど残さず音は掻き消えた。ホシノは自分が現在一人で行動していることを強く意識した。
件の怪奇現象について分かっていることの一つとして、
アヤネが閉じ込められた空に満ちた水が最も分かりやすいだろう──と、そこまで考えた所で、ホシノは一つ大きなあくびをした。
「っふあぁ……眠──?」
いや、待てよ。
確かに寝るのは好きだし、ここ最近は睡眠の質自体も上がっているのでお昼寝自体は望む所ではある。
あるのだが、しかし、
「……シロコちゃんやノノミちゃん、アヤネちゃんにセリカちゃんと来れば、当然、次は私か。それにしても、随分と律儀に狙ってくるね〜。最初っからおじさんを狙ってきてくれれば──」
消し飛ばしてやったんだけどな。
「臆病者」
誘われているのなら、行かない理由もないだろう。ホシノは椅子から立ち上がって、息を吐きながら一度大きく背伸びをする。背骨がぱきぱきと、小気味よく音を立てるのが気持ちいい。
そうして簡単に体をほぐし終わったホシノは、対策委員会室の扉に手をかけ、そのまま部屋を後にした。どうやらどこかへと向かうことにしたらしい。
窓の外に広がる透き通った空の色を見ながら、砂に塗れた廊下を歩く。一歩踏み出すごとに、ホシノの足元からはしゃりしゃりと砂が音を立てていた。
そうして学校内を歩くこと数分。ホシノはとある部屋の前で足を止め、その部屋の扉に体を向けた。
「……どうせ決着を付けるのなら、やっぱりここがいいかな」
アビドス生徒会室。
ホシノはその扉に手をかけ、少しだけ──ほんの一瞬だけ迷った後、生徒会室へと入室し、そこに置いてあるソファへ腰掛けた。
「うへ……少し埃っぽくなってきちゃったなあ。この臨時休校の期間中はずっとどたばたしてたし、これが終わったらお掃除でもしようかな」
過去と決別したとはいえ、切り離して忘却の彼方へと追いやったわけではない。輝かしい思い出を、心に焼き付いた青い春を色褪せさせないためにも、この部屋が埃を被ったままにしておいてはいけないだろう。
一年にも満たない期間ではあったが、一時期は辛く苦しい記憶に覆い隠されていたが、それでもユメと過ごしたあの時間は、ホシノにとって何にも変え難いものなのだ。
だから、忘れるなんてことは出来ない。
だから、忘れてなんかやらない。
「……前を向いて生きていくって誓ったんだ。後輩たちを守るって言ったんだ。どれだけ不器用でも必死に生きるって約束したんだ」
そう言ったホシノの目は、特別責任感に燃えているだとか、怒りに染め上げられているだとか、そのようなことはなかった。
むしろこの場合は真逆もいいところで、その様子を見る限りでは、普段通りのホシノと同じような目つきをしている。
一度ぐるりと部屋の中を見まわしたホシノは、そのままソファにもたれかかりながら、
「と言っても、現状考えられるパターンは
そう語ったホシノの表情は、しかし懐疑的なものを携えていた。どうにも納得がいかない様子である。正直なところ、ホシノとしてもこの可能性に賭けてみたいとは思っている。
が、しかし残念ながら。どうしてもそう楽観的に事態を捉えられない理由が、ホシノにはあった。つまるところが、
「だけどやっぱり、ユメ先輩が
どのように楽観的に物事を捉えても、やはりそこが突っかかる。毎度のように脱出法を教えてくれるのは、まあ分かる。納得できる。何故か毎回怪奇現象の空間内にいることも、同様に納得できる。
が、しかし。やはり
「……そうなると、
思い返すは、目の前で崩れ去ったアヤネの砂人形。最も分かりやすく、それでいて最も気付かなかった怪奇現象。
シロコとノノミのおかげで気づけたものの、あの人形の立ち居振る舞いはあまりにも自然すぎたため、アドバイスが無ければ気づけなかった、と思う。
「ま、ここでこうして考察する分には、どんな可能性だって考えられるけどね〜。想像力が豊かなおじさんとしては、そうやって色々な可能性に思いを馳せるっていうのもやぶさかじゃないけど──」
一つ目のパターンだろうが二つ目のパターンだろうが、確認してみないことには真実ではない。ホシノが現在行なっているのはあくまで推測でしかなく、事実であるとは限らない。
だから極論を言ってしまえば、仮に真実を解き明かしたいのであれば、ホシノは
都合のいいことに、
「──はあ。やっぱり流石に、行くしかないかな」
ホシノはそう呟くと、スマートフォンを取り出し、アビドスの面々に一言連絡をよこして、それからソファの上に横たわり、眠りにつくような姿勢を取った。
あいも変わらずホシノの表情に緊張やその類のものは見受けられないし、なんなら普段通りリラックスしているように見える。
「ふあぁ……うん、そっちがその気なら──ユメ先輩の影をちらつかせて、私を誘い込もうとしているのなら、それに乗ってあげるよ」
ホシノは手を合わせて顔の横に持っていき、枕のようにしてそこに頭を乗せ、それから目を閉じて眠る準備を整えた。
「その企みに乗った上で、お前のフィールドに乗り込んだ上で、私のかわいい後輩たちを巻き込んだことに落とし前を付けさせてやる」
何でもないみたいな口調で、いつも通りみたいな声色で、そんな物騒なことを口にしてから。
「──
心のどこかで、ユメ本人であることを願いながら。
そんな言葉を吐き捨てて、ホシノは眠りについた。
000
それでは、良い逆夢を。
−001
何か、酷い夢を見ていた気がする。
酷く恐ろしくて、寂しくて、悲しい夢を。
今となっては
カーテンの向こう側から差し込む朝日が、痛いほど目に沁みる。柄にもなく夜更かしなんかしてしまったせいで、どうやら目が疲労しているらしかった。
と、そんなことを考えていたら、ちょうど目の辺りから水滴が溢れてゆくのを感じた。朝日が眩しいからだろうか。それとも、ただ単にあくびをしたからなのだろうか。
これもまた、今となっては分からない。意識していなかった過去を思い返すのは、未だ見ぬ未来を想像するよりも遥かに難しいものだ。
「──ふわあぁ……うーん、もう朝……?」
カーテンの向こうには、痛いほどの青が広がっている。空色よりもよっぽど空色な水色が、ホシノの眼前には広がっていた。
どうやら今日は砂嵐とか暴風とか、その類のものは来ていないらしい。学校から帰ってきたら布団を干してもいいかもしれない。
砂がついてしまう可能性を考慮すると、最も確実なのはコインランドリーに持っていくことなのだが、たまにはお日様の匂いに包まれながら昼寝と洒落込みたかったのだ。
「──ふうっ、よし。砂嵐は来てないし、今日こそ外に出られそう。それじゃ、さっさと支度しよう」
桃色の髪の少女──
と言っても、そこまで本格的に何かをする訳ではなく、精々がちょっとしたスキンケアとか、さっと髪型のセットをするとか、そういった軽めの支度を片手間でぱぱっと済ませた程度だった。
「どうせ砂まみれになるだろうし、これくらいにしとこうかな」
準備を終えたら、その次は朝食の時間だ。どうやら今日の朝ごはんはシリアルにしたらしい。牛乳を注いでからしばらく放置した後、少しかき混ぜてから、スプーンでふやかしたそれを口に運ぶ。
程よい甘味がちょうどよく染み込んだ牛乳にベストマッチだ。安上がりな朝食ではあるものの、ホシノはおおよそ満足したと言っても過言ではないだろう。
シリアルを食べ終わったところで、そろそろ登校する時間だろうと考えたホシノが壁にかけた時計の方を見ると、
「……ん?」
あれ、いやいや、今ホシノが気にするべきは、時計が動いているかどうかとかそんなことじゃなくて、たった今時計が何時何分を指しているのかだろう。
ホシノが時計を確認した理由は、あと何分で登校を開始する時間になるのかを確認するためであって、決して時計の動作そのもの自体を気にしていたわけではないのだが。
──それから。たった今思い出したことなのだが。
つい先ほどホシノは「
存在しない記憶が、存在することになっている。
あるいは誰かの記憶が、自分のものになっている。
「──……
ホシノは神妙な表情を浮かべながら、洗面台の方へと歩いて行く。何故なのかは分からない。が、しかし、どうしても確認しておきたくなったのだ。
分からない。何もかもが分からない。分からないからこそ、未知だからこそ、知らなければならないような気がして止まれない。
右目が橙で左目が水色。
たったそれだけで、ホシノは現状を理解できる……気がする。もっとも、現在のホシノは現状を
「きっと、それで、全部が──」
「ホシノちゃーん、起きてるー!?」
あと数歩で、玄関前の廊下から洗面台の前へと辿り着く。そんな絶好のタイミングで──いつかのように、インターホンのチャイムと、それから誰かの声が響き渡った。
ホシノが足を止めて玄関の方を向くと、玄関窓の外には
まあ、おそらくユメ先輩だろう。
ホシノはそんな風に考え、適当に返事を返した。
「はい起きてますよ! 今は身支度の途中なのでもう少し待ってください!」
「そっか! 分かった! それじゃあセリカちゃんと二人でこのまま待ってるね!」
「はいっ──……?」
ちょっと待てよ。たった今、ユメは何と言った? ホシノの聞き間違いでなければ、
いや、いやいやいや……それはおかしいだろう。だって、ユメとセリカが知り合いであるはずがないのに──あるはずがないというのに、ホシノはそれを、特段大きな疑問としては捉えなかった。
「セリカちゃんの家、ここからは結構遠いと思うんだけどな……まあいいか」
ここでホシノが疑問に感じたのは、もっと単純に、
そんなことより、今は鏡を見なければ。ユメ先輩とセリカちゃんのことを待たせても悪いし、さっさと確認だけしてしまおう。ホシノはそう考え、勢い勇んで鏡の前へと立った。
右目は橙で、左目は水色。髪はいつも通りに桃色で、そこにいたのははっきり言えば、左右の反転なんかもしていない、普段と何も変わらない小鳥遊ホシノその人であった。
「…………なーんだ、いつも通りじゃん」
自分が感じた謎の違和感は、どうやら取り越し苦労というか、まるっきり的外れで無用な心配──つまるところが杞憂だったらしい。
だがしかし、ホシノは目の色だとか髪の色だとか、そういった所に気を取られすぎて、自らに大きな変化が生じているということに気が付かなかった。
「それじゃあ、さっさと外に出ようかな。ユメ先輩とセリカちゃんにも悪いし」
ホシノはカバンと愛銃である
ここでもやはり、ホシノは自らに生じている違和感に気がつくことができなかったのだが、しかしそれも仕方のないことではあった。
だってそれは、ホシノにとっては
「あっ、出てきた! おはようホシノちゃん!」
「おはようございます、ユメ先輩。それから、セリカちゃんもおはよ〜今日もかわいいねえ」
「なんでそんなに態度が違うわけ!?」
「あははは! ほらほら、セリカちゃん? ホシノちゃんが挨拶してくれたんだから『おはよう』って挨拶し返さないと!」
そんなこと、気付けるはずもないのだ。
「うぐっ……ユメ先輩、今のを聞かされた上で挨拶し返すの、結構恥ずかしいんだけど……?」
「でもでも、挨拶を返さなかったら、セリカちゃんに無視されたかと思ってホシノちゃんが泣いちゃうかもよ?」
「うへ〜おじさん大好きなセリカちゃんに思いっきり無視されて悲しいよ〜涙がちょちょぎれちゃうよぉ〜」
「ああもう分かったわよ言えばいいんでしょ言えば!?」
「だってさ! ホシノちゃん、いぇーい!」
「上手くいきましたね、ユメ先輩。いぇーい」
「……本当に、何で二人とも私にだけはそんな感じなわけ……? はあ、まあいいわ、別に挨拶くらいなんてことないし──」
だって、そうだろう。ここで言う
今のホシノにとっては、替え難い
「……う、うへ〜、何だか照れちゃうなあ……」
「な、なんでそっちが恥ずかしがってんの……余計に恥ずかしいんだけど……!?」
「二人とも照れちゃっててかわい〜! ふふっ、朝からいいもの見れちゃって幸せな気分だな!」
「……セリカちゃん。今度ユメ先輩が柴関ラーメンに来た時はさ、トッピング全抜きにしてあげて」
「なんで???」
「ホシノちゃん……それ名案! それじゃあさ、先輩のラーメンから抜いた分は、ホシノちゃんのラーメンに上乗せしとくから!」
「なんで!?!?」
セリカが笑っていて、ユメも笑っていて、そしてホシノも笑っている。極めて平和な──平和すぎる朝の風景が、そこには広がっていた。
普通の会話が、こんなにも楽しい。みんながみんな、軽口を叩けるほどに仲が良くて、一言でまとめるのならばそれは、気の置けない関係性が築けているということでもあった。
だけどこれは、
つまりは
「──二人とも。そろそろラーメンの話はおしまいにして学校に行きましょうよ。ユメ先輩は今度ラーメンを奢ってくださいね」
「ひぃん……セ、セリカちゃん、ホシノちゃんがいじめてくるよぉ……」
「……その、結構自業自得だと思うんだけど……?」
「なんでぇ!!」
──ずっと続けばよかったのに。
そう願ってしまったが故に、小鳥遊ホシノは。
あるはずのない、
第三学年 一名
・
第二学年 二名
・
第一学年 三名
・
・
脳裏に、
−002
「おいで。」
−003
とある日の昼下がり。
ホシノはセリカと二人で話す機会があったので、折角の機会だし、同級生同士で色々と話して親交を深めることにしたらしかった。
話題は例えばどういうアルバイトをしたいだとか、近くのショッピングモールで食べたパフェが美味しかっただとか、ユメ先輩がドジ過ぎて不安だとか、そういう取り止めもないものだった。
そうして二人で様々な話題に花を咲かせていたところで、今度はセリカが口を開いた。
「そういえばホシノちゃんさ、最近色々と変わったよね?」
「ん? そうかな……おじさん自身では変わったって認識じゃないんだけどな〜」
「そう、
「あー……何でだろう? 正直なところおじ……じゃなくて、私にも分かってないんだよね」
思い返してみれば確かにそうだ。四日前のあの日──
それは別に、一人称だけに限った話ではなくて。
「ここ最近さ、本当ヤバいかもしれないんだよね〜……
「ああ、そういえばそうだったよね……シロコ先輩が凄い顔してたなあ。ノノミ先輩も『ホシノちゃん、反抗期なんですか……!?』とか言っちゃってたし」
「謝ったら許してくれたからいいけどさ、ちょっとこりゃ気を付けないといけないかもね〜……」
そう。ホシノはなんと、二年生の先輩方──砂狼シロコと十六夜ノノミに対して、こともあろうに
当然二人がそれで怒るようなことはなかったのだが、しかし先輩後輩の仲なのだから、いくら仲が良かったとしても、ある程度のそういった分かりやすい敬意は必要だろう。
「うーん……ユメ先輩のことだけは絶対に呼び間違えないんだけどなあ。シロコちゃんとノノミちゃんのことは──」
「ホシノちゃん、また呼び間違えてる」
「──はあ〰〰……シロコ先輩とノノミ先輩のことは、どうして呼び間違えちゃうんだろうね? というかそもそも、一人称が『おじさん』になった理由も分かんないし……」
なんというか、どうにも調子が狂う。まるで自分が自分でなくなってしまったみたいで──
夜の寝付きも悪いから寝不足だし、食欲もあまりないというのが正直な所だ。見かねたユメ先輩とノノミ先輩が小ラーメンを奢ってくれたり、膝枕をしてくれたりはしているものの、しかし申し訳ないことに、明確な効果があるとは思えなかった。
「まあでもさ、先輩たちは許してくれてるんでしょ? それなら別に、ホシノちゃんにも悪気はないわけだし、そんなに気にしなくてもいいんじゃない?」
「とはいえさ、やっぱりその優しさに甘えて胡座をかくのも、不誠実というか……それじゃあ私、多分ダメダメになっちゃうよ」
「そういうもの? まあ、そういうものかも……だけどさ、それじゃあどうするの? 現に言い間違いは増えもしないけど減りもしてないわけだし」
「うーん……そうだよねえ、そこがネックなんだよぉ。ものすっごく気を付けてるんだけど、やっぱりふとした時に出てきちゃって……本当、私の頭はどうしちゃったんだろうねえ」
そんな風に、二人して教室でうんうん唸りながら、そこそこ長時間考え込んだ上で、ああだのこうだの様々な案を出してみたものの、しかしいまいち効果的とは言い難い案ばかりだったものだから、二人の議論はすっかり停滞してしまって、会話に花が咲いているとは到底言えたものではなかった。
まずい。気まずい。ついさっきまで、具体的には「ユメ先輩がドジすぎて不安」という話題までは、普通に楽しくセリカとお話しできていたのに。頼む、お願いだ。誰でも、本当に誰でもいいから、この場の空気を一掃して一新してくれ──
「……えっと、ホシノちゃんにセリカちゃん? どうしてこんな所で、二人して苦虫を噛み潰したみたいな表情を浮かべながら黙り込んでるの……?」
願い事というのは、願ってみると案外安易に叶ったりするもので。この場合二人の願いは、中空に消え去るよりも先に、二人の同級生──奥空アヤネに届いたらしかった。
教室の扉をがらりと開けて、その場で困惑しながら立ち尽くしているアヤネを目にした二人は、一度目を見合わせたあと、アヤネの方を再び向き直ってから、二人揃って親指を立て、そしてこれ以上ないような笑顔を浮かべながら、アヤネに感謝の意を告げた。
「「アヤネちゃんナイスタイミング!!」」
「いや、えっと……まあ、よく分からないけど、役に立てたなら、よかった……?」
「いや〜助かったよぉアヤネちゃん! おじさん……あーもう、まただよ……私たちじゃあさ、この
「ま、そういうこと。それじゃあアヤネちゃん、三人寄れば文殊の知恵って言葉もあるし、ここは同級生三人で知恵を絞り合ってさ。ホシノちゃんの
「あー……なるほど、そういうことだったんだ」
アヤネの手をセリカが引っ張り、背中をホシノが押して強制的に教室へと入室させる。困惑はしているようだったが、しかし大した抵抗があったわけでもなかった。
表情を見ると、アヤネは「しょうがないなあ」といった感じの優しげな笑みを浮かべていたので、どうやら二人の提案にはそこそこ乗り気らしい。それを見たホシノとセリカも笑みを浮かべた。
先ほどまでは二人だったから、特に机を動かしたりはしなくてもよかったものの、しかしこれが三人となってくると、少しばかり話は変わってくる。落ち着いて話し合いをするためにも、ある程度環境を整える必要があった。
当然そのことは三人とも承知しているので、三つの机を合わせる形を作り、いわゆる三人組
「よいしょっ……それで、ホシノちゃんの言い間違いっていうと、アレだよね? 先輩たちを『ちゃん』付けで呼んじゃうとか、タメ口になっちゃうとか、あとは『おじさん』って自分のことを呼んだりとか」
「うん。私としても正直困っててさ〜……だってこれ、
「というわけでアヤネちゃん、何かいい案ないかな……? 私たち二人で結構考えたんだけど、あんまりいい案出なくてさ」
アヤネはそこまで聞くと、顎に手を当てて考え込み始めた。友人のお願いとあってかなり考え込んでいるようで、その表情には真剣さを窺うことができた。
そうしてたっぷり一分程考えた所で、アヤネは顎から手を離し、ホシノの方を向いてから問いかけた。
「ホシノちゃん、言い間違い以外で、
「変わったこと……と、いうとあれかな。しっかり寝ているはずなのに寝不足気味とか」
「うーん……そういうのとはちょっと違くて、もっとこう、
怪しくて、奇しい。
アヤネが放ったその言葉は、何故だかホシノの脳を強く揺らした。
あれ、なんだったっけ。つい最近、というか今朝も、いわゆる怪奇現象のような、そんな経験をしたような気がするんだけど──
「あっ」
そういえば。そういえば。そういえば。
ここ数日、よく
呼ばれるんだった? 見た。
あれは確か──……確かか? 確かだったのか?
確定は不確かか、定まった確たる確信か確証か。
確認は確かにしたか、未確な最中や其は定かか。
あれは確か夢の中でユメではなくて夢ではない。
あれ、確かに夢の中だっけユメだっけ夢だっけ。
あれは夢の中でユメで夢ではなくてないのでは。
あれ、確かに夢でユメが。ユメが、夢、ユメが。
確かめなければ、確かにせねば。
呼ばれた。
夢の中から、呼ばれた。
から。
空。から。
呼ばれた。
おいでって言われた。呼ばれた。確かに、誰かに、何かに、何処かに、何時かに、何れかに、その問いに、答えに。
6。
18。
26。
31。
50。
いかないと。
こたえに。いかないと。いかないと。いけない。
いけないよ。いかないと。いけない。
よ。ばれた。から。
から。いけよ。
ね? ホシノちゃん。
ホシノちゃん。
ホシノちゃん。
ホシノちゃん。
「──……? えっ、何、今の」
「ホシノちゃんどうしたの、いきなりビックリしたような表情浮かべて。やっぱり何か、怪奇現象的な奴に遭遇しちゃったりしてたわけ?」
「まあ確かに、アビドスの土地は昔からそういう怪談みたいなのに事欠かないけど……もしかして、本当だったのかな……!?」
「いや、えっと、そうじゃ、なくて──」
なんだ、今のは。
瞬時に消え去ったそれは、間違いなく私以外の何者かで、そして恐らくは、言い間違いの元凶なのだろう。何となくホシノは、そんな風に考えた。
しかしこれを、一体アヤネとセリカにどうやって説明しようか。馬鹿真面目に「頭の中で変な思考が渦巻いている!」と包み隠さず伝えた所で、多重人格的な精神疾患を疑われ、近場の大病院へと運ばれるのがオチだろう。
怖い。意味が分からない。
どういう目的で私を狙ったのかも、どうして私を呼んでいるのかも分からない。出来ればやめてほしいのだが、しかし逆に考えると、これはむしろ、あの言い間違いに決着を付ける、ちょうどいい機会なのではないだろうか。
要するに、事態はこれ以上なくシンプルで。
脳裏に巣食った怪奇現象を
人間不思議なもので、そう考えると、たちまち身体中に力がみなぎるような気分になった。一応のゴールが見えるのと見えないのとでは、使われる労力にも天と地ほどの差があるらしいということを、ホシノはここに来て初めて実感したらしい。
そんなことを考えて一人で勝手に納得していると、両脇からセリカとアヤネが怪訝な顔をして覗き込んで来ていた。怪訝とは形容したものの、しかしその表情にはわずかな心配の色が見て取れる。
とりあえずホシノは、このまま友人たちに無用な心配を抱かせたままにするわけにもいかないと思い、ひとまず軽めに説明しておくことにした。
「いや〜、一つ言い忘れてたことがあってさ? そういえば四日前、まあつまりは
「……変な、夢? それって例えば、何かお化けみたいなのに追いかけられるとか、そういう感じのやつ?」
「それとも、ずーっと高いところから落ち続けちゃう夢みたいな、そういう感じのやつだったり……?」
「ぶっぶー。セリカちゃんのもアヤネちゃんのも
一度おどけながら、緩めの口調で普段通りに話してみせた後に、一気に机の方へと体を寄せながら、ひそひそとした小さな、そして深刻そうな声で詳細を語る。それと同時にセリカとアヤネに目を合わせた。
その程度の小さく少ない動作で、セリカとアヤネはすっかりホシノの話術に呑まれてしまったらしい。二人ともホシノの顔に視線が釘付けになり、固唾を飲んでホシノの次の言葉を待っていた。
「毎晩眠ると、私は砂漠のど真ん中で立ち尽くしている夢を見るんだよ。周りに建物とかは一切なくて、何かに追いかけられるわけでも、突然落下したりするわけでもない」
セリカとアヤネは、何となく体感温度が低下したように錯覚した。今は夏真っ盛りなのだから、そんなことはそうそう起こらないのに。
しかし二人とも、ホシノの次の言葉から耳を離せない。その表情から目を離せない。怖いもの見たさというか、何というか。ともかく端的に言ってしまえば、二人は
「ただ、そこには
「……合わせ、ちゃうと……?」
「…………」
「えっと……ホシノ、ちゃん?」
突如言葉を区切って黙り込んだホシノに、たまらずといった風にセリカとアヤネが声をかける。太陽に雲がかかり、ホシノの顔に影が差し込んでいる。
ホシノは優しげな微笑みを携えている。ただそれだけだ。それだけなのに、何故だか、怖い。怖いはずがないのに。普段通りなのに。
四日間も続けて同じ夢を見たら怖いはずなのに、怖がる素振りなんて微塵も見せない、目の前の友人が──小鳥遊ホシノが、普段通りなのが、怖い。
今だって、ほら。ホシノは瞬きの一つもせずに、笑みを浮かべているだけで、ろくに反応なんて返さない。
一体どうしてしまったのか。ホシノが黙り込んでからかれこれ十五秒が経過する。もしかして、実は体調でも崩していて
「おいで。」
「ッ──!?」
突如として、ホシノがセリカに顔をずいと寄せ、そう口にする。その表情に変わりはない──
あまりも突然に静から動へと移り変わるものだから、セリカとアヤネの二人からすればたまったものではない。しかもそれをしてきた相手は、普段あまりこういうことをしないホシノだったから、ある種
加えてセリカは、完全に油断していたところにそれを喰らったものだから、正直なところ心臓が破裂しそうだった。
何というか、ホシノの視線というのは──眼光というのは、他の人のそれよりも数段
八つ裂きにできそうなくらいに。
「──なーんちゃって! どうどう? 二人ともびっくりしたんじゃない?」
「えっ?」
……そんな風に間の抜けた声を出したのは、果たしてセリカとアヤネ、どちらだったのだろうか。別にどちらだろうと、何かが変わるとかそういうわけではないのだが。
何にせよ、ホシノから簡易的なドッキリを喰らった二人としては、たまったものではないというのが正直なところだった。
もっと言うなら。よくもやってくれたな。
「「──っホシノちゃん!!」」
「おっ。おじさんの狙い通りに二人とも怖がってくれたりしてくれちゃった感じ〜? いやあ、慣れないこともたまにはしてみるもんだねえ」
「せっ、せっかく相談に乗ってあげてたのに……」
「それに関してはありがとうね、二人とも。まあ多分さ、おじさんは疲れが溜まっちゃってるんだと思うよ。それで寝付きが悪くて、変な夢も一緒に見ちゃう、みたいな?」
セリカとアヤネが頬を膨らませているのを見たホシノは、一度しっかりと頭を下げてお礼を口にしてから、変な夢を見る理由についての所感を述べた。
つまるところが、
「ほらさ、私って最近、全然みんなと遊んだりしてないでしょ? この辺り一帯は砂漠地帯だから、娯楽なんかも砂遊びくらいしかないし……」
「……まあ言われてみれば、確かにそうかも? ここ二週間くらいは柴関のアルバイトで忙しかったし、アヤネちゃんは……」
「学校の水道の整備とか雨雲号の修理とか、その他諸々のインフラ整備とかがあったから、一年生三人で遊びに行く機会って、確かにあんまりなかったかも……」
「でしょ〜? そういうわけでさ、おじさん的には余裕がある時にみんなで遊びに行ったりしたいんだと思うんだよね〜、多分だけど」
「そこは言い切ろうよホシノちゃん……」
どうにも呆れられているような気もするが、しかしこれくらいは、仲のいい友人間ではよくあることだ。
その辺りはセリカとアヤネも弁えているようで、一度長めにため息を吐いた後、座っていた席から立ち上がり、それからセリカは腰に手を当て、やや胸を張りながら勝ち気に言葉を放った。
「まあいいわよ! 最近全然遊びに行けてないなーって思ってたのは私も同じだし! というか私、今日の放課後暇だけどどうする?」
「おお〜! 流石セリカちゃん、話が早いねえ。私は当然一緒に遊びに行くつもりだけど、アヤネちゃんはどう? 放課後は予定空いてるかな?」
ホシノがそう問いかけると同時に、セリカもアヤネの方を向く。二人の視線の先には、自信ありげな表情を浮かべているアヤネの姿があった。というか、何故かセリカのポーズの物真似をしている有様である。
それを見たホシノとセリカは、しばらくの間アヤネを見つめてみることにした。するとどうだろう、みるみる内にアヤネの顔が赤くなっていくではないか。耳なんか、紅潮などという言葉では到底足りないほど染まってしまっている。
「その……わた、私が悪かったから……!」
「え〜、でも自信満々なアヤネちゃんは可愛らしいから、ずっとそのままでもいいよ〜? ねっ、セリカちゃん?」
「……まあ、うん。ぷふっ……確かにこの辺でキャラチェンってのも、い、いいんじゃない……?」
「絶対しないからね!?」
普段こういう役はセリカが担うパターンが多いので、こうしてアヤネが辱めを受けているというのは、中々に珍しい光景であった。そのもの珍しさ故かは分からないものの、なんだかその光景は普段よりも数倍増しで面白く見えてしまう。
ホシノはニヤニヤとした笑みを隠そうともしていないし、セリカは隠そうとしたものの、しかしアヤネがそんなことをするとは思っていなかったので、ついつい吹き出してしまっていた。
「……はあ、二度とこんなことしないからね……それで、遊びに行くとは言っても、どこに行くの? あんまり遠出をする時間もないし、遊ぶならどうしても近場でってことになっちゃいそうだけど」
「あー……確かに? 近場、近場で遊べるところといえば……商店街とか? いやでも、あそこでできるのは精々が買い食いくらいだし、
「うーん……ホシノちゃんはどこに行きたい? 折角だし、私たちが合わせるよ?」
放課後遊びに行くとは言ったものの、しかしその主目的は最近お疲れのご様子なホシノのストレス解消である。となれば、セリカとアヤネの二人がホシノに合わせようとするのは、至極当然のことであると言えた。
二人はそんな優しさを腹に抱えながら、しかしホシノに気を遣わせないためにも、そんな素振りは一切見せることなく、それとない形で行動に移した。
ホシノはそんな二人の気遣いを感じとってはいるものの、しかしここでそれを指摘するのは
「──……そうだな、それじゃあ、遠出もせずに新鮮なことって言ったら……
「学校のプールで……」
「泳ぐ……?」
「うん、結構楽しめそうじゃない? ちょうど今はプールに水張ったばっかりだしさ、それに今日は結構暑いでしょ? ひんやりした水に飛び込んだりしたら、きっと最高だと思うんだよね〜」
両目を閉じているホシノは、大仰な身振りなんかも交えながらそんなことを口にした。確かに今日はやけに暑い──水分補給をしなければ十分命に関わる暑さだ──し、提案としては悪くないだろう。
が、しかし。それをやるのは別に構わないのだが、実際にそれを実行に移すとなると、一つだけ大きな問題があった。
「えっと、私、水着持ってきてないよ……?」
「私も……てか、ホシノちゃんは持ってきてるの?」
「持ってきてるどころか
「それはなんで??」
「最初からプールに入るつもりじゃないとそうはならなくないかな……?」
「うへへ、最初っから入るつもりだったからね〜」
「じゃあ今までの会話全部必要なくない!?」
セリカがそう叫ぶと同時に、ホシノは思わずといった風に破顔した。見ると、アヤネも困ったような感じを出していながらも、しかししっかりと笑みをこぼしていた。
そうそうこれこれ。やはりアビドス高校の一年生はこうでないと。ホシノは何だか色々なことが腑に落ちたような、物事がしっかりとはまった感じを覚えた。
そうしてひとしきり笑ったあと、ホシノは学校に持ってきたカバンの中をがさごそと漁り始めた。突如としてそんな行動を取り始めたものだから、同級生二人はやはり困惑を隠せていない様子だった。
「えーっと、確かこの辺に……おっ、あったあった。じゃじゃ〜ん! はいこれ、二人にあげるよ」
そう言いながらホシノが取り出したのは、
いやまあ、その気遣いはありがたい。ホシノとしてはプール遊びを提案した(というか元からするつもりだった)手前、ここまで周到に準備をしてくれているのは非常に助かる。
わざわざ家まで水着を取りに行く必要も無くなったし、何より学校というフィールドに適した服装であることも素晴らしいと言えるだろう。気兼ねなく飛び込めるし、気兼ねなく泳げるというものだ。
が、しかし。
助かるには、助かるのだが。
「なんでサイズがちゃんと
「うわ、本当にぴったり私のサイズだ……ホシノちゃん、もしかしてこれ、ずっと前から準備してたんじゃ……」
「うん、三日くらい前から準備してたよ。いやまあ、今日のところは私たち一年生だけで泳ごうって話だから、残りの三着は──ユメ先輩たちの分はまた今度渡しとくけどね」
「いや、わざわざ渡さなくても、事前に連絡しておいて家から持ってきてもらえばよくないかな……?」
「ホシノちゃん、たまに変なことするよね」
何故かは分からないが、同級生二人の視線が段々と刺々しいものになってきている気がする。流石に変態の烙印を押されたりすると困るので、ホシノはしっかりと弁明をすることにしたらしい。
慌てながら放った言葉の数々は、しかし意外なことに説得力を持っていたらしく。セリカとアヤネは、割と早い段階で納得してくれたようだった。
「──つまり、前に海で遊んだ時のことが中々忘れられなかったから、今回プールに入ることを提案したと……そういうわけなんだね、ホシノちゃん?」
「そういうことならそうなんだって早く言ってくれればいいのに! てっきり私たちのスクール水着姿を見たいからこんな暴挙に出たのかと思ったじゃん!」
「うへ……流石におじさんもそこまでひねくれちゃあいないよ〜。後は……じゃなくて、同級生相手にそんな感じになったりしないって〜!」
結局ホシノの説得は成功したようで、セリカとアヤネはその手にスクール水着を持っていた。これでようやく長かった話し合いも終わり、やっとこさプールで遊べそうだ。
同級生の二人もなんだかんだで乗り気なようで、楽しみそうだということを全く隠せていなかった。いかに学校の運営をしているとはいえ、まだまだ花の女子高生だ。こういったイベントのようなものには滅法弱かった。
「それじゃあ私たちは着替えてくるから、ホシノちゃんは先にプール行っといて! というか何なら、私たちのことは気にしないで、先に入っちゃっててもいいから!」
「ごめんねホシノちゃん、プールの塩素濃度の確認、任せちゃっても大丈夫? 今日の朝に一応しておいたんだけど、念のためもう一回しておいた方がいいと思うし……」
「あー、うん。その辺はやっとくから任せといて〜。そんじゃ、いってらっしゃ〜い。おじさんは先にプールに向かうとするよ〜」
そんな風に言葉を交わして、セリカとアヤネの二人は女子更衣室の方向へと向かって行った。去って行く二人の足取りは軽やかなものだったので、楽しみそうだというのは、どうやらホシノの思い込みではなかったらしい。
「……ふう」
現在、教室にはスクール水着を三着手に持ったホシノが立ち尽くしているのみだ。その他に人はいない。
相変わらずホシノの顔には、影が差している。
「──そろそろ、いいかな?」
ホシノの顔には、
その目はどこか一点を見据えて動かない。見る人が見れば、その視線は獲物を捉えた猛禽類のものかのように写ったことだろう。
「……うん、
そんな言葉を口にして、ホシノは目を閉じた。
肩の力を抜いた。息を吐いた。息を吸った。
吐いて、吸った。
吸って、吐いた。
吐いて、吸って、
吸って、吐いて、
吐いて、
吐いて、
吐いて、
吐いて、
吐いて、
吐いて、
吐いて、
吐いて、
吐いて、
吐いた。
「──……?」
ホシノの手には、スクール水着が三着ほど握られていた。それぞれサイズ違いで、それらが自分の体躯にぴったりフィットするようには思えない。
「……誰の?」
ホシノはなんとも言えない気味の悪さを感じてしまって、そのスクール水着三着を、乱雑にその辺の机に放り投げた。
ホシノはそのスクール水着がユメを含めた三人の先輩の分だということを把握した上で、丁寧にカバンの中にしまった後、自分もスクール水着を着ていたこと、そしてセリカとアヤネの二人とプールで遊ぶ約束をしていたことを思い出し、制服を脱いでその下に着用されていたスクール水着をあらわにした。
「……
ホシノはそのまま教室を出て、プールへと向かっていく。当然体を拭く用のタオルも手に持って、ゴーグルなんかも水着の肩紐部分に挟んだりして──その途中で、
「──私って、セリカちゃんとアヤネちゃんのこと、
どうにもその辺り曖昧だったようだが、しかし先ほど本人たち相手にちゃん付けで呼んだ上で、二人とも何かを気にしたような素振りは特段見せていなかった。はずだ。
何となくもやもやとした感情が脳内で渦巻いたものの、しかし状況を考えるに、極めて自然な受け答えだったと思う。恐らくは、ここ最近増えてきた
そう考えたホシノはそれ以上考えるようなことはせず、足早にプールへと向かって行った。
「まあいっか。とりあえず今は、急いでプールに向かわないと。いやあ、プールなんて随分久しぶりだな〜、結構楽しみかも」
邪推を──推測を止めたことが、吉と出るか、凶と出るか。実はこの時点で、既に
「……何だっけなあ。プールがどうこうって、前に
そのことをホシノが知る術は、存在しない。
ホシノに限らず、そんなこと、誰も知らない。
知らない。というより。知れない。
得体が知れなくて、理由なんかも当然知れない。
そうだろう? なあ。
−004
「おいでー。」
−005
セリカとアヤネの二人と一緒にプールに入ってから数日後。ホシノはノノミと一緒に、教室の掃除に精を出していた。
のが、
お茶会とは言っても、そこにあったのはトリニティ総合学園の本格的なティーセットのようなものではなくて、むしろ真逆の、コンビニエンスストアなんかで買えたりする、ティーパックから抽出する安めの紅茶だったのだが。
まああまり本格的にこだわってしまうと、高校の方に回すお金が大幅に削られてしまうし、これくらいでちょうどいいのだ。
高校生の趣味は、あくまでも
ホシノはお茶を口に含み、そのまま大して味わいもせずに飲み込むと、ノノミに対して、先日プールで同級生二人と遊んだ時のことを思い出しながら語り、そしてたった今、ちょうど楽しい思い出の共有を終えたところだった。
「──とまあ、二人とプール遊んだ時の感想はこんな感じですね。あの日はやたら暑かったので、体調的にも精神的にも、ちょうどいいリフレッシュになりました」
「うんうん、それならよかったです☆ 最近のホシノちゃん、何だか
「……その、あれは本当にただの
「大丈夫です、私はちゃーんと分かってますからね、ホシノちゃん!」
「それなら、いいんですけど……」
ノノミはにこにこと笑いながら、ホシノに向かってそんな言葉を口にした。正直な話、本当に分かってくれているのかどうかは定かではなかったが、しかしノノミが嘘をつくとも思えなかった。
少なからず、ホシノがどういう状況なのかは把握してくれている──察してくれているのだろう。セリカとアヤネもそうだったので、ここ最近のホシノは感謝しっぱなしである。
「それで、ホシノちゃん。結局その
「えっ…………いいえ。普通にストレス──というか、シンプルに疲労が原因でしたよ。だから、もうすっかり」
「どうしましょう、ホシノちゃんが反抗期に……!」
「さっき『分かった』って言ってくれませんでしたっけ!?」
ホシノは思わず机に両の手をつき──
少なくとも先輩相手に取る態度ではないが、しかしまあホシノの心情を考えれば、そんな風に叫びたくなる気持ちも分かるというものだろう。
「それはそれで、これはこれです。何やらお悩みを抱えているように見えたので、念のため聞いてみたんですが……ほら、ホシノちゃんってば、目元の隈がすごいことになっちゃってますよ?」
「え……って、いやいやその手には引っかかりませんよ? ここ最近は結構しっかり眠れてるんですから」
「その反応が答えになっちゃってますよ♧」
「……まあ、それはそれとして」
「それはそれとしません☆ もう、いいからいいから! 一旦座って、お茶を一口飲んで、それから深呼吸をしてからでいいので、私にもホシノちゃんが何に悩んでいるのか教えてくれませんか?」
ノノミは両の手を合わせながら顔の横に持っていき、分かりやすくおねだりのポーズを取った。何というか、ノノミは、こういうところがある。
普段は頼り甲斐があるのだが、こういう時に限って、いわゆる
いやまあそもそも、ホシノにはこの提案を断る理由もなければ断るつもりもないのだが。
「どんな内容でも信じます。例えどんなに荒唐無稽でも、絶対に信じます。だから、怖がらないで私に教えてほしいです。ホシノちゃんが、何に悩んでるのか」
そんな風に言われてしまうと、尚更。
根こそぎ言いたくなってしまうじゃないか。
「……ついさっき、ここ最近はしっかり眠れてるって言いました。ごめんなさい、あれ嘘です」
「やっぱり。ホシノちゃん、隠し事は上手でも、嘘をつくのは下手っぴですから、すぐに分かっちゃいました」
「まあ、褒め言葉として受け取っておきます。言い換えれば裏表がないってことですし──?」
その言葉を──
あれ、表だとか裏だとかって、少し前にどこかで聞いた気がするんだけどな。そう、確か、ちょうどセリカやアヤネとプールで遊んだ日に──
「……ホシノちゃん、どうかしましたか? もしかして、今も調子が悪かったりするんですか……? もしそうだったら──」
「ああ、いや……別にそういうわけじゃないか、ですから、大丈夫ですよ。それで、そう……えっと、確か、私が今どういう状況に陥っているかって話でしたよね?」
「……
「うん、嘘じゃないですよ。というかノノミ先輩なら分かるんじゃないですか? ほら、私って裏表ないので」
「ふっ、うふふ……ホシノちゃん、
「はい、自分で言っちゃいます。ほら、私は裏表のない小鳥遊ホシノなので、思ったことは包み隠さず言っちゃうんです」
「それは裏表とはまた別の話な気が……ふふっ……」
ホシノとしてはあくまでも変な空気感を払拭するために放った、大して考え込んだわけでもないギャグ、というか冗談だったのだが、どうやら何かがノノミの琴線に触れたらしい。
しかし、そうだな。ノノミはホシノの目の前で声を抑えながら笑い続けているわけだが、果たして何がそんなに面白かったのだろうか。ホシノはその辺りが気になったので、とりあえず直接聞いてみることにしたらしい。
「あの、ノノミ先輩? えっと、おじじゃなくて私そこまで笑ってもらえるとは思っていなかったんですけど……?」
「ふふっ、いや、だって……ふふふ……ホっ、ホシノちゃんって、そのっ──すうぅ、はぁぁ──ふう。ホシノちゃんって、今まであんまり
「ああ……なるほど。まあ確かに私はあんまりふざけるタイプじゃないですけど──」
「え? あれ、結構ふざけるタイプだと思ってましたけど……」
「──……まあ、その辺りは置いておくとして」
ホシノが話を進めるためにそう口にすると、この言葉もやはり、ノノミの何かしらの琴線に触れてしまったらしく、折角深呼吸までして抑えた笑いが込み上げて来てしまったようだ。
どうしようか、ちょっとこのままだと話がまともに進みそうにない。しょうがないのでホシノは、ノノミの笑いが収まるまで話を中断することにした。
時間にして、およそ三分と少し。
ノノミの表情筋が正常なコントロールを取り戻すまでにかかった時間は、大体そのくらいだった。結構深めにツボに入っていたことを考えると、復帰までにかかった時間としてはかなり早い方ではないだろうか。
ホシノとしても話をまとめるのにちょうどいい時間となったので、望外のことだったとはいえ、改めてノノミに感謝の念を抱いたようだった。
「んっ、んんっ……はい、もう大丈夫です! ごめんなさい、せっかくのホシノちゃんのお話を遮ってしまって……」
「いえ、大丈夫ですよ、気にしてません。それで、えっと確か──そうそう、ここ最近全然眠れてないって話でしたっけ。まあこうは言ってますけど、どうして眠れないのかは、
「えっ? あっ、そうなんですね? それじゃあ、あれですか。お悩み相談というよりは……」
「はい。もっとシンプルに相談──というか、もっと単純に
「そんなことはないと思いますが……」
ノノミが放ったその否定の言葉は、しかしホシノに届くことはなく、口の中で反響して掻き消えた。あくまでもノノミ自身の疑問でしかないため、これ以上ホシノの話を遮るのも悪いかな、と思った末の決断である。
つい先ほどまで(大した問題ではないものの)話を遮ってしまっていた以上、ノノミはあまり自分から話の流れを止めるようなことはしたくなかったのだ。
「それで……あっ、そうだ。そもそも眠れない理由の方を話してなければ意見の出しようもありませんよね。セリカちゃんとアヤネちゃんには話してたので、完全に言ったつもりになってました、すいません」
「あ、いえいえお気になさらず! それで、ホシノちゃんはどうして寝不足になっちゃってるんですか?」
「はい──
「夢で寝不足、となると……やはり
ノノミの問いに、ホシノは首を縦に振ることで返す。その表情は、到底晴れやかなものとは言えない。
これはもしかすると、相当な悪夢を見ているのではないか。表情には明らかに疲労の色が出ているし、何よりホシノはすやすや眠ることが大好きだったはず。
そんなかわいい後輩が寝不足で苦しんでいるというのは、後輩思いのノノミからすれば、心を痛めるには十分すぎることだった。
ノノミがそう考えていることを、ホシノが理解しているのかいないのかは分からない。
結局ホシノは、やや視線を伏せたままにしながら悪夢の詳細を、いつか同級生の二人に語ったように──ではなく、沈痛な面持ちでゆっくりと語り始めた。
「毎晩眠ると、私は砂漠のど真ん中で立ち尽くしている夢を見るんです。周りに建物とかは一切なくて、何かに追いかけられるわけでも、突然落下したりするわけでもない」
そう語るホシノの声には、あからさまに疲労が滲み出ている。先輩であるノノミと相対して、話を聞いてもらっている以上、最低限失礼のないように取り繕ってはいるが、しかしそれでも隠し切れてはいなかった。
普段とはまったく違うホシノの様子を見たノノミは、内心でかわいい後輩を心配しているということも相まって、やはり真剣にその話に聞き入っていた。
「ただ、そこには
以前セリカとアヤネにやったようなことは、ここではしない。してもいいのだが、したところで
前回のあれは、あくまでも
怪談話をしに来ているのではなく、怪奇現象に悩まされているから助けてほしいという相談をしにきているだけに過ぎない。だから、ノノミを驚かす必要性は全くないのだ。
「しかも。しかもですよ、ノノミ先輩。その
「……それは、一日に何cmくらいですか?」
「目測だから詳しい所までは分かりませんが、恐らくは──50から80cm。まだお互いに触れる距離ってわけじゃありませんが……正直、
思い返すは、昨夜見た夢。「おいで」ではなく「おいでー」と間延びした声になっていたが、確かに
実際ホシノは、目視で
「……近付いているのが、
「えっ? 私が……ですか?」
「はい。ほら、一応意見交換の場ということですから、出来るだけ多角的な視点から物事を俯瞰できた方がいいかな、と思いまして。それで一応言ってみただけですが──」
しかしノノミは、ホシノの考えとはまったく真逆の説を唱えた。あまりに突然そんなことを言われたものだから、ホシノとしては困惑と、そして関心を抱かざるを得ない。
近付いているのは
考えもしなかったのではなく
「──……いえ、それはないと思います。私の周りの景色は動いていませんから、絶対に
「いえいえ、全然大丈夫ですから気にしないでください! でも……そうなると、それはそれで不思議ですね」
「不思議、ですか? まあ確かに不思議な体験はしていますけど……」
「ああいえ、そういうことではなく──どうしてその
「……
と、そこまで口に出したところで、ホシノはとあることに気が付いた。と言っても、そこまで大したこと──例えばこの怪奇現象の本質だとか──そういったものに気が付いたわけではなく、むしろそれは、
が、しかし。気付いているのと気付いていないのでは、つまり0と1では大きく変わってくる。世界で最も難しい事象の一つは、
誰かが作った道や轍があるのならばまだしも、現状ホシノと同等の状況に陥っている人間は存在しない。先の見えない、ともすれば一歩先が崖かもしれない道を、ホシノは自らの力で切り開いて歩いて行かねばならないのだ。
そこに他人の助けとか、そういったものが介在する余地というものはなくて、誰かに強制もされていない以上、ホシノはどこまでも
この場合のノノミはあくまでもアドバイザーでしかなくて、それはいわゆるファースト・ペンギンを崖下に突き落とす存在にはなり得ない。
だから、
自分で、決めるしか。
自分決めるしか。
自決しか。
自決しか。
自決しか。自決しか。
自決しか。自決しか。「うるさい。」自決しか。自決しか。自決しか。自決しか。自決しか。自決しか。「うるさい。」自決しか。自決しか。自決しか。自決しか。自決しか。自決しか。自決しか。自決しか。自決しか。「うるさい。」
「──えっ? ちょっと、ホシノちゃん、何を……ってホシノちゃんッ!?」
ホシノは自分の頭に愛銃を当てがい、一瞬の躊躇いすらなくそれを頭目掛けてぶっ放した。普通に考えれば、そんなことをしたら頭がとんでもない衝撃と激痛に見舞われ地面を転がり回ることになるだろうが、しかしホシノはことさら頑丈なので、ちょうどいい気付け程度にしかならなかったようだ。
「あぁ、うぅん──」
先ほどまで頭を占めていたろくでもない──いや、ここはあえて
「絶好調だ」
清々しげな笑みを浮かべながら、不遜な態度で両手を広げ、空を仰いだ。
正直なところというか、なんなら速攻で口に出してしまっていた。
「ホシノちゃんいきなり何てことをしてるんですか!?」
「えっ? ああ、大丈夫ですよノノミ先輩。ほら、私って他の人たちよりも数倍は頑丈なので──」
「そういう問題じゃありませんっ!! 怪我するとかしないとかじゃなくて、どうしていきなりそんなことをする必要があったんですか!?」
ホシノからすれば普通でも、他のみんなからすれば普通ではないこともある。それは別にホシノと他の生徒たちが隔絶しているだとか、価値観に乖離があるだとかそういうことを意味するわけではないが、しかしたった今ホシノが取った行動は、
ホシノは怪奇現象相手に一本取ってやったという優越感から、あまり深く考えずにそんな行動を取ってしまったわけだ。もちろん対処は早いに越したことはないので、この場合のホシノは本当によくやったと言えるだろう。
が、しかし。それはあくまでも
「……ごめんなさい、ノノミ先輩。実はさっきまで……何と言えばいいんでしょうか──そうだ、
「夢を見そうに、って……もしかして、毎晩見るっていう、例の夢ですか? なんで今……」
「ノノミ先輩。夢って、
「……頭、ですか? まあ確かに、夢は脳がしっかりと休息を取れていないから見る、なんて話もありますけど、どうして急にそんな話を──」
そんな話をしたんですか。そう口に出そうとして、すんでのところでノノミは口を閉じた。とあることに気が付き、そしてホシノが先ほど取った行動の真意を理解したからだ。
そういえば。そういえばホシノは、
「──まさか、
「そういうことで──そう
−006
「──本当かどうかは、分かりませんけどね? だけど、ここ数日……ええ、正直に言えば、眠ること自体が若干億劫になるくらいには、怪異を恐れていましたから」
「……それなら、つまり、怪奇現象──怪異は、
「まあ、そういうことです。というかノノミ先輩、よく今の曖昧な説明で分かりましたね……」
「……言われてみれば、何ででしょう?
ノノミは人好きのする笑みを顔に浮かばせながら、溌剌とした声でホシノにそう言った。と思えば、すぐさま何かに気付いたかのようにハッとした表情を浮かべた後、突然申し訳なさそうな雰囲気を纏い始めた。
ホシノからすれば、ノノミのころころと変わる表情はいつまででも見ていられるものではあるが、しかしこうも感情が急転直下している様を見せ付けられると、やはり興味というか、心配の方が勝るようで、ホシノはすぐさまノノミにそんな表情を浮かべた理由を聞いてみることにした。
「えっと、ノノミ先輩? どうしたんですかいきなり余所余所しい……というか、何だか気まずそうな感じになっちゃってますけど」
「いえ、その……ごめんなさい、ホシノちゃん。いきなり銃を撃ったのにはちゃんと事情があったのに、よく聞きもしないで怒ってしまって……」
「──ああ……えっと、まあ……」
どうしようか。いや、本当にどうしようか。ノノミは謝ってくれているものの、
純粋に心配してくれていた先輩に申し訳なさそうな顔をさせてしまっていること、それ自体が申し訳ない。親切にしてくれているノノミに対して、そんなことをさせてしまっているのが、ホシノにはなんだか不誠実なことに感じられてしまった。
ので。ホシノはすぐさまノノミの手を取り、そうして尊敬する先輩が自分と視線を合わせたところで、謝罪の言葉を口にすることにした。
「謝らないでください、ノノミ先輩! さっきの件は──ごめんなさい、私の説明不足でした。確かに私も、セリカちゃんやアヤネちゃんがいきなりあんなことし始めたら、話を聞く前に怒っちゃいそうですし……」
「……それでも、まずは話し合うべきでした。焦ったとはいえ、驚いたとはいえ、過程を飛ばして一方的に言葉を放つのは──」
「違います。全然違います、ノノミ先輩。さっきの言葉は、全然一方的なんかじゃありませんでした。私のこと、心配して怒ってくれたんですよね?」
ノノミの手を優しく握りながら、ホシノはそう言葉を紡ぐ。その声音にはありありと信頼の色が滲み出ていたので、どうやらノノミにもそれは伝わったらしい。
そうでなくとも、手を握っているのだから、互いの体温を感じることは容易だ。別にだから何というわけでもないが、しかしえも言われぬ安心感を与えることには一役買っているようだった。
「謝らなくていいんです、だって心配してくれたんですから。心配して、怒ってくれたんですから──ちゃんと理由があって怒ってくれたんですから、むしろ感謝したいくらいです」
「……もう、本当ですよ。ものすごく驚いて、ものすごく心配したんですから、もう絶対にしないで──とは、言えませんが、相談だけはしてくださいね?」
「……はい、分かってます。もう二度と相談しないでこんなことはしません。だから、安心してください。それと、ノノミ先輩がよければ、これからも頼りにしたいです」
「はいっ、当然です☆ なんてったって、ホシノちゃんは大切な可愛い後輩で、私はホシノちゃんの先輩なんですから!」
繋いだ手の先に見えるノノミの表情に、先ほどまでのような翳りは見受けられない。どうやら無事に立ち直ってくれたようで、ホシノは笑顔のノノミに同様の笑みを返した。
「それで、えぇっと、確か……ホシノちゃんの考えでは、
「え? ええ、まあはい。正直対処法とかは思い付いてないですし、やっぱりなんだかんだと言っても、怖いものは怖いので……もしよければ」
「私が毎日隣で一緒に眠ってあげましょうか?」
「これからも頼らせ──え今なんて言いました?」
「毎日一緒に眠ってあげましょうか?」
「いや、えっと……? 流石にそこまでしてもらうのは申し訳ないので、大丈夫です」
「毎日抱きしめながら一緒に眠ってあげましょうか?」
「いや、だから! 大丈夫ですってノノミ先輩! そこまでしてもらうのは申し訳ないので!!」
笑みを返した──のが、いけなかったのだろうか。いやまあ、善意からの申し立てなのだろうから、ノノミが悪いなんてことはないものの、しかしホシノにとって聞き捨てならない──できれば遠慮しておきたい提案を、ノノミは投げかけてきてしまった。
なぜかノノミが若干圧をかけながらそんなことを聞いてくるものだから、ホシノの語調もやや強めになってしまった。だが、これに関してホシノは悪くないと言えた。
「そんな……!? ここまでやっても許可が出ないなんて、ホシノちゃんは一体どこまですれば満足するんですか……!?」
「いや私別にサービスが気に食わないから却下しているわけではないんですけど」
「えっ? それじゃあ、どうしてなんですか?」
「普通に恥ずかしいからですけど!?」
ホシノが耳を真っ赤にしながらそう言うと、ノノミは面白そうにけらけらと笑った。相談を聞いてもらっていた手前、あまり強く出ることもできないという事実が、今のホシノにはひどくもどかしく感じられた。
「──はあ……まあ、ノノミ先輩のことですから、私をリラックスさせようとしてくれてるっていうのは何となく分かりましたけど……」
「うんうん、程よく気を抜いてリラックス出来たようで何よりです! ところで、ホシノちゃん。さっきの提案、あながち冗談ってわけでもないんですよ?」
「……えっ? あっ、そうなんですか? いやでも、字面だけ見たら……というか話だけ聞いたら、完全に冗談の類でしたけど」
ノノミが言うには、しっかりとした目的を持った上で先ほどの提案を行なっていたらしい。しかし果たして、毎晩ホシノを抱きしめながら眠ろうとしていた理由など、論理的に説明できるものなのだろうか。ホシノは訝しみながらも、一応聞いてみることにした。
「ほら、
論理的に説明されてしまった。
どうしようか。魅力的な提案では、あるのだが。
「ああ、あー……そういう手もあるのか……でもノノミ先輩。その、迷惑、じゃないですか? 言ってしまえばそれって、本来一人でゆっくり休めるはずの時間を私のために割くってことで」
「それじゃあ、ホシノちゃん。今度私の肩でも揉んでくれませんか? 最近肩こり気味なので、それでチャラにしましょう!」
「……それなら、まあ、いいんですけど……」
遠慮しておきたいというのは、あくまでも
ノノミ本人が気にしていない以上、ホシノがこの提案を断る理由もなくなってしまった。だからつまり、逃げ場もなくなってしまった。
「──……それじゃあ、今日の放課後は私の家に来てください。片付けておくので……」
「えっ? 私の家に来ていいですよ? ホシノちゃんのお家のベッドが、二人で寝られるサイズだったらお邪魔しますけど」
「……何から何まで、本当すみません……」
「いえいえ、お気になさらず! ホシノちゃんとのお泊まりだなんて、今から楽しみです☆」
「はい、まあ……私も、楽しみでは、ありますけど……」
結局言いくるめられてしまったホシノは、放課後に約束通りノノミの家へと向かい、一緒に寝ることになった。まさか高校に入学して初めてのお泊まり会の相手がノノミになるだなんて、一体誰が予想できるのだろうか。
何にせよ、ホシノにとって初めてのお泊まり会である。もうこの際、全力で楽しむほかないだろう。どうせノノミに世話を焼かれまくるのだから、抵抗などせず大人しく受け入れることにした。
「それじゃあ、また後で。 確かノノミ先輩の家って 個人情報保護 ら辺でしたよね?」
「はい、合ってますよ。近くに到着したら電話をかけてくれればお迎えに行きますから、お願いしますね!」
随分と楽しそうに手を振るノノミを尻目に、ホシノは教室を後にした。そしてその後しばらく廊下を歩いてから、誰もいない廊下に向かって振り返り、そして一言だけ言い放った。
「……盗み聞きしてたの、気付いてますからね」
「えっ!?」
曲がり角に隠れている人物は、ホシノのその言葉を聞いてあからさまに動揺していたが、しかしすぐさま平静を取り戻したのか、それ以降反応をよこすことはなかった。
そもそも最初からその
「はあ……絶対明日あたり『次は私のお家においでよ!』って言われるんだろうなあ……」
何となくそう言っている姿が想像できてしまって、ホシノはなんだかそれがおかしく感じて、ついつい笑みを浮かべていた。
「いい先輩を持ったよ、ほんとにさ」
それからホシノは、振り返ることなく下校した。
−007
「──ふぁ、んん……よく寝た……」
翌朝。ホシノはノノミの隣で目を覚ました。
横に目をやると、ちょうどノノミも今し方目を覚ましたらしく、目をこすりながら起き上がり、それからホシノに話しかけてきた。
「ふあぁ〜……ふうっ。おはようございます、ホシノちゃん。昨日は楽しかったですね?」
「まあノノミ先輩があれで楽しかったんだったなら、私は別になんでもいいんですけど……」
昨晩ノノミの家でやったことといえば、二人で夕飯を作って、それを食べながら映画を見て、二人でああだのこうだの感想を言い合って、それからお風呂に入って、互いにマッサージをしてから眠っただけで──
「……いや、意外と私も、色々できて楽しかったかもしれないです。こんな経験、今までなかったので」
「うんうん、これこそお泊まり会の醍醐味です☆ リラックスして楽しんでもらえたのならよかった──それで。ホシノちゃん、
「
ホシノはノノミの問いかけに対して、これといった明確な言葉を返すことはせずに、たった一つの動作と笑みだけで返答とした。
ホシノが取った動作は、
その意味が分からないノノミではなかった。
−008
後日談というか、今回のオチ。
ノノミの提案に乗ってからというもの、ホシノの睡眠環境はすこぶる良好になった。深夜に砂の中から何者かに話しかけられる悪夢を見ることはなくなったし、ここ最近はぐっすり九時間眠れているらしい。
あれ以降、ホシノはしょっちゅうお泊まりに誘われている。
どこから話が漏れたのかは分からないが、結局ユメの家にも泊まりに行ったし、セリカとアヤネの二人ともお泊まり会をした。
それに付随してかどうかは分からないものの、最近はみんなで遊びに行くことも増えた。この前なんかはみんなで水族館に行ったし、今度アビドス高校の全員で、お家パーティーなんかも開いたりする予定だ。
より一層絆が深まったので、ホシノは件の
何と言ったって、もう恐れていないのだから。
だから、もう大丈夫。
アビドス高校の面々は、今日も平和に、透き通った青い春に生きている。
−009
思い出せ。
思い出せ、小鳥遊ホシノ。
梔子ユメ。
黒見セリカ。
奥空アヤネ。
十六夜ノノミ。
探さなければ、きっとお前は後悔する。
−010
「……しつこいな、お前。折角ここ最近は、ぐっすり快眠できてたっていうのに。でも、まあいい。お前がそういうつもりなら──」
ホシノはカーテンを開け、そして空を睨みつけながら、覇気のこもった声で静かに宣言した。
次回。「第夢話 ほしのファントム(下)」。