たづな理論、あるいはタキオンに至るまで   作:灯眼

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1.ステレオ

 たづな理論について

 駿川たづな氏の帽子のなかは確定しておらず、観測者が帽子を外してみるまではウマ娘の耳の有無が重なり合っており、その確率は両者とも50%である。ゆえにたづなさんはウマ娘であると言えるしそうでないとも言える。これはアグネスタキオンが提唱した思考実験であり、トレセン学園では量子力学の不確定性に関する説明に用いる予定だったが、肖像権侵害、プライバシーの保護の観点から、お蔵入りとなった理論である。

 

~たづな理論、あるいはタキオンに至るまで~

 

 天井は白を基調としているが黒い斑点模様がまだらにあり、タキオンは自身が飛蚊症になったのではないかと錯覚した。クリーム色の空間、白いシーツに硬い枕、普段使いのせんべい布団よりは上等なはずだが妙な寝苦しさがあった。ついと外を見やると陽光が差し込み、白く薄いカーテンが風に遊ばれてきらきらと輝いていた。外では桜も散っていた。床頭台にはガーベラのフラワーアレンジメントが置いてある。

「暇だ」と一言。ベッドの上でぼんやりと時計の針の動きなぞを眺めたりして、ただ時間が過ぎていくのを待った。

 一週間前、タキオンは無理がたたりレース中に左足の骨折をしてしまった。元来の脚部不安の体質もあり、すぐさま入院し治療を受けることとなった。幸いなことに骨折は軽度であり、迅速な対応もあってか、すぐに日常生活には戻れるだろうとの見解だった。しかし、レース復帰に関しては何とも言えないというのが現状である。タキオンはそのことを冷静に受け止めていたし、そもそも自身の体質はよく理解していたので、けが人という立場に甘んじていた。それに感覚的にだが、いずれは復帰できるのではないかと楽観的に捉えてもいた。傲慢なようだが、タキオンは医師よりもよほどウマ娘の体に関しては詳しいという自負があった。

ゆえに今は身体を治すことに専念していた。しかしながら退屈さはつきまとう。せめて研究室の薬品とわずかな器具さえ与えてくれたのなら、充実した病院生活を送れるというのに。(こんな生活じゃ、頭まで鈍ってしまうね)

「まあいいじゃないか、たまにはのんびりするのも悪くないだろう」

 タキオンの目の前には、鏡から飛び出てきたと思うほど見た目、声や話し方、身振り手振りまでまったく同じウマ娘がいた。

(ああ、君か。話し相手くらいにはなってくれるんだろうね。幻覚君)

「さあてねえ。私を幻覚だと断じたうえで会話を試みるなんて馬鹿げていると思わないかい」

 タキオンはこれが幻覚、あるいは無意識が生み出した虚像であると解釈していた。自問自答が直接、声として出力される思考のステレオ、それが彼女である。

(イマジナリーフレンドやタルパは脳の作用で生み出されるものだ。君が本物のドッペルゲンガーでない限りはね。私が退屈したから君を生み出して退屈しのぎをしようとしている。これが最も合理的な君の存在理由なのだよ)

「そんなにべもない。私たちは物理の法則に従ってそこにあるだけさ。理由など求めても簡単には見つかりはしないものだよ。おっと誰か来てくれたみたいだ」

 すっと幻覚は姿を消した。病室のスライド式の扉が音もなく開く。やって来たのはタキオンのトレーナーとジャングルポケットだった。

「おう元気そうだな。すぐに復帰できるんだろ。な」

「やあポッケ君。そうだねぇ、私も寛解を願ってやまないよ。ここじゃ退屈で仕方がない。ところで珍しい組み合わせじゃないか」

 けらけらと笑っているポケットに対し、トレーナーは柔和な笑みを浮かべてはいるもののどこか不安気だった。

「さっきばったり会ったんだよ。待合室でちょうどな。そうだ俺お見舞い持ってきたんだよ。ほらこれ、フルーツ」

「ありがたいねぇ。ここはどうにも甘味が足りないよ」

 ポケットは快活に笑ってフルーツの詰め合わせをどんとオーバーテーブルの上に置いた。バスケットのなかにはリンゴ、バナナ、ブドウ、そしてにんじんがきれいに詰めてある。タキオンはすぐにリンゴを手に取ると、そのままかぶりついた。口元に汁が垂れる。それを袖でぬぐおうとしたので、トレーナーは慌ててハンカチを取り出した。

「ほら、汚れるぞ」

「ああ、ありがとう」

 そう言ってハンカチを受けとるでもなく、タキオンは顔を突きだした。べたべたになった口の周りを拭いてやる。その姿があまりにも介護者のそれであったため、ポケットはまたけらけらと笑い出した。そのまま油性ペンを取り出して足のギブスにらくがきをしながら言った。

「はっはっは、タキオンもここじゃまるで病人だ」

「その通りだよ」

「似合わないな。まあいいや。じゃ俺はこれで」

「おや、もう行くのかい。何もないがくつろいでいきたまえよ」

「いんや、帰るね。次会うのはターフの上だ。またな」

 そう言うが否や足早にポケットは去っていった。残されたトレーナーは所在なさげにしている。だが帰るつもりはなかった。ポケットは気をつかったのだろうと推測すると、トレーナーは覚悟を決めたように椅子に座って、一言「すまなかった」と告げた。

「何を謝るんだい」

「このけがは自分のせいだ。兆候はあったのに気づけなかった、いや気づいてないふりをしていたのかもしれない」

「ふうん、なるほど。ずいぶんとばつが悪そうだったのはそのためかい。モルモット君。言っておくが、けがは結果論に過ぎないし、レースに出ると決めたのは私だ。私が自分の体のことをわかっていないとでも? 判断ミスはあったが可能性を追いかけたゆえの事故だ。悲観することじゃない。それに謝罪なんて、なんの意味もないとは思わないかい。今やるべきことは復帰プランを練ることだろう」

 そこまで一息に言い切ると、タキオンは自分の足を見る。ギブスには先ほどポケットが殴り書きしていった「がんばれよ」という丸い文字が残っていた。

「ああ、そうだな。まずは今の足の状態を教えてくれ」

 トレーナーはメモとペンを取り出した。その眼にはいまだに悔恨が残れど、しっかりと先を見据えており、光を宿していた。それから二人は面会時間いっぱいに使って情報共有し、今後の計画を立てた。

 




映画のタキオンに胸を打たれ書き始めました。ほぼ完成してます。
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