来たるクリスマス。タキオンは悩んだ末、研究室にトレーナーを呼び、紅茶でもてなすことにした。そのために今日まで紅茶を吟味し続けていた。タキオンと言えば薬か紅茶だろう、とそこまで思い至ったのは良いのだが、薬学はともかく紅茶にそれほど強いこだわりがあるわけではなかった。とりあえず茶葉や器具を買いに行ったが、そのあまりの種類の多さに辟易した。それでも店員におすすめを聞いたりして試行錯誤を繰り返した。いろいろ試してわかったことはまず一つ、紅茶には失敗があるということだ。適切な淹れ方をしなければ渋みが残ったり香りが飛んでしまったりする。フレンチプレスをはじめて使ってみた時など、渋いのに味は薄くて、砂糖で誤魔化すと余計雑味が出るという飲めたものじゃない仕上がりになってしまった。タキオンは味に頓着しない方だが舌バカでもなかったので、普段何気なく淹れているティーバッグのありがたみがわかった。一定の温度で適当に入れてもおいしいし、どのみち砂糖をたくさん入れるので、まずい紅茶など経験したことがなかったのだ。そうして失敗をしながら様々な種類の紅茶を試した。知識としては知っていたが、実際に味わってみないことには何がなんだかわからない。この未知に触れる感覚は、普段行っている実験に通ずるものがあり、彼女の好奇心を存分に刺激してくれた。この一か月は紅茶の吟味に費やしていたため、のんびりと優雅な生活を送っていた。
そわそわしながら茶器やポットを温めて待つ。このもどかしさは生物観察のそれに似ていた。
がらがらと扉が開く。トレーナーがやってきたのがわかると、タキオンの表情も自然とほころんだ。
「おまたせタキオン」
「やあ来たかい。お疲れだろう、そこに掛けてくれ。今日はねぎらいのつもりで呼んだんだからね」
サプライズを準備した子供のような無邪気さで、器具をかちゃかちゃさせながら準備に取り掛かる。
最終的に選んだのは一番初めにおすすめされたダージリンとアッサムのブレンドである。くせがなくそのまま味わうのに向いている。温めてあったガラス製のポットに茶葉を入れお湯を注ぐ。茶葉が湯の中で踊っていた。ふたを閉めて三分半蒸らす。タイマーが鳴ったら少しだけかき混ぜて、最後の一滴までしっかりと注ぐ。紅葉のような綺麗な赤色だ。カップの傍に、近くの菓子屋で買ったフロランタンを添え、タキオン特製のティーセット完成である。
「できたよ。さあさ、ずずいと飲んでくれたまえ」
「ああ、ありがとう。じゃさっそく」
カップに口をつける。まだ熱いが香りが鼻の奥へと抜けていく。渋みやえぐみも少なく、うまかった。
「うん、おいしい」
「そうかいそうかい。お気に召してもらえたようで良かったよ」
そう言ってタキオンも一口。ほんのりとある甘みと酸味、それに隠れるような微細な渋みがまた絶妙で、うまいまずいよりも先に腕の上達を感じる味わいだった。半分ほどなくなったところでタキオンが切り出した。
「その、あれだよ。トレーナー君、すまなかったね。ちゃんと謝るべきだと思ったんだが、どうやら私も意地になっていたらしい、気恥ずかしかったというか。あの時は、まあ無茶なことをしたと思う。うん、心配かけてごめんよ」
言うべきことはいざ言葉にしてみるとまとまらない。けれども謝罪の言葉を口にした途端、泥濘の底にいたような心が軽くなったような気がした。トレーナーも察した。タキオンがまるで人間のようにうじうじと悩み、それを乗り越えたことを。狂気的ともいわれるタキオンの精神性は、ごく普通の少女のそれと変わらない。
「……きっとストレスが溜まっていたんだろう。悪かった。少し神経質になりすぎていたかもしれない。何もしない、させないじゃいやにもなるよね。練習メニューも考え直してみる」
「助かるよ。私も、私があんなに衝動的だとは思っていなかった。リスクは常に把握しているつもりだったんだ」
「ああ、わかってる」
それから沈黙。空気は重いが、決して肺を犯すようないやなものじゃない。トレーナーは意を決してこう言った。
「実はタキオンに謝らなければならないことがある」
「奇遇だね。あはは、人バ一体というわけだ」
「……その怪我のことだが、もしかしたら自分のせいかもしれない。ずっとそう考えていた。練習メニューが良くなかったとか、レース出走を止めなかったからとか、そういうことじゃない。信じてもらわなくてもいい、説明が難しくて今まで言えなかった」
「……どういうことだい」
「あのレースの時、夢を見たんだ。タキオンが負ける夢。なんども、なんども、悪夢だった。夢の中で、これが夢だったらと思ったんだ。でも覚めたと思ったらまだ夢の中で、タキオンは負けている。勝利を願った。それで、君は勝った。悪夢は終わったんだ。怪我と引き換えに……自分が敗北を受け入れられなかったから、君は怪我をしたのかもしれない。そう思ってしまうんだ」
普段の彼女であれば夢の話など脳が見せる虚像だと一笑に付すだろう。内向的な自嘲を孕んだ懺悔、だがタキオンは信じた。トレーナーが何の根拠もなくこんな話をするはずがない。つまらぬ悔恨ならば飲み込んで腹の奥にしまっておく胆力は持ち合わせている。ただ楽になるためだけにこんな荒唐無稽な理由を吐くはずがない。この一か月、トレーナーのことを考え続けたタキオンの結論である。
「どうしてそう思ったんだい」
「時計、そう時計だ。寮の部屋にある目覚まし時計。悪夢を見た日は必ず壊れている。そしていつの間にか支給されている。ほかのトレーナーにも聞いてみたが、大半が同じような体験をしたことがあるらしい。担当が負ける夢を見て、現実は勝っている。もしかしたらあれは予知夢や危険信号なのかもしれない。なのにそれを否定した。タキオンに無茶をするよう願ったから……」
話を聞いているうちにタキオンは自分の口角があがっていることに気づいた。興味深かった。願いがレース結果を変えてしまう。予知による未来改変はこの前まで取り組んでいたテーマだった。なんというクリスマスプレゼントだ。直感がもたらす突飛で自由な発想は、いかなる物質よりも尊いものである。
「まずは調べてみよう、その時計を」
カップの紅茶はすでに冷めていた。タキオンは一気にあおって立ち上がった。