たづな理論、あるいはタキオンに至るまで   作:灯眼

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12.悪女

 トレーナー寮にウマ娘を招くことはタブーであるが、明確に禁止されているわけではない。トレーナーのプライベートを守る権利などないに等しいが、彼らは受け入れていた。ちなみに当然と言えば当然の処置であるがウマ娘寮にトレーナーが踏み入ることは完全に禁止されている。

「あまり音を立てないでくれよ」

「わかっているとも」

 玄関の扉を開ける。案内されるままに部屋に入ると、ずいぶんと殺風景な景色が広がっていた。ワンルームの部屋にはベッドと机、本棚、衣装箪笥くらいしかなく、三着のぶら下がったスーツがミニマリストの生活様式を思わせた。机の上にはPCがあり、ゲームやテレビと言ったインドアな趣味はすべてその機械に一任されていた。唯一キッチンは使い込まれており、よくよく見てみるとレシピ本なども散見された。元来仕事や趣味も含めて外で過ごす時間が多い彼にしてみればこの寮は睡眠のための空間でしかなく、またほかのトレーナーも似たようなものだと聞いていたから、不便さは感じていなかった。

「ずいぶんと殺風景だねぇ」

「まあ入れ替わりが激しいらしいから、あんまり荷物を置くと引っ越しが面倒だし」

「どおりで片づけが上手いわけだ。それで、例の時計とやらは」

「ああ」

 枕元の目覚まし時計を持ってきて手渡した。かちかちと精密に時を刻む時計をタキオンは舐めるように観察したのち、ドライバーで分解してみた。文字盤、時針、分針、秒針、アラームの目安針、電池とボックス、そして機構部。

「ふむ、電波時計ではないようだが」さらに分解してみる。機構部は歯車とコイルと基盤のごく単純なもので、これと言って特殊なところは見当たらない。再度組み立てなおして電池を入れるとまたスムーズにかちかちと動きだした。分解から組み立てまでの一連の流れをじっと見ていたトレーナーは不安げに「何かわかったか」と聞いた。

「何も、しいて言えば普通ということだ。私でも簡単に直せるくらいさ。そう言えば壊れたと言ったね。どんな風だった? 自分で直してみようとはしなかったのかい」

「ああ、それが見た目は変わらないんだが動かなくなるんだ。詳しくはないが、ちょっとカバーをとったくらいじゃわからなかった」

「じゃあ単純にショートしたとかじゃないわけだ、なるほどねぇ」

 その時、電気が走ったかのようにタキオンの直感が働いた。この時計には間違いなく秘密がある。カモフラージュに最も適した手段は凡庸を装うことである。ではその隠されたものを暴くにはどうすればよいか、ルーツや原因を探るのだ。製造工程、流通経路、そのどこか。支給品とのことだから、まず間違いなくこの時計は学園の地下倉庫に在庫が保管されている。タキオンの実験機材もそこから支給されたものだ。倉庫はブラックボックスであり、常に支給される消耗品以外は、たづなさんあたりを通して申請し、理事長の承認を得てから受け取ることができる。ほかには理事長のコレクションやトレセン学園にまつわる高価な骨董品の類も保管されており、倉庫そのものはかなり広いはずだが、実態はよく知られていない。俄然興味がわいてきた。タキオンはそこに何かがあると確信していた。どうしても見てみたい。侵入するにはどうするか、素直に理事長に聞いてみるか、それとも……

 思考による沈黙をあきらめと受け取ったトレーナーは「やっぱり見当違いだったのか」と言った。その顔には小さな罪悪感が浮かんでいた。いたずらに好奇心を刺激してしまったことに対する後悔と怪我の理由を外部に求めてしまったことによる自責の念、口には出さなかったが、タキオンは彼の心の機微を理解した。そこからまたしても発想の連鎖、次々と計画が思い浮かぶ。直感的にすべてが上手くいく気がした。

「もしかしたら、全部がつながるかもしれない。時計の謎も、この足の痛みも。協力、してくれないかい」

 ことさら怪我を強調して言った。それは駆け引きだった。この協力の申し出が、トレーナーにとって救いになるだろうという打算。

 普段タキオンは頼みごとをする際、決して対価を差し出そうとはしない。ひとつとして後ろめたいことはなく、自身の行いが善いものであると信じているからだ。ゆえに何も所有せず、代わりに知識はすべて共有し、我儘な物言いでことを進めるのだ。

 トレーナーが彼女のガラスの足に向ける視線には憐みも含まれている。それはあまねくウマ娘に向けられた深すぎる愛情の裏返しである。彼の献身は特に有名で、リスクも厭わず薬を飲み、身を粉にして指導する。底抜けの善意にタキオンはつけこもうとしていた。まごうことなき悪女の振る舞い、弱さや脆さを武器に人を繰る。自身に向けられた憐憫を利用する、それを自覚するとぞくりとした。芽生えたのは悪意だった。タキオンは明確な意思で以て悪を成そうとしていた。

「何をすればいい」トレーナーは応じた。まるでそれが自身の使命であるかのように。

「なあに、簡単さ。まずは――」

 タキオンは計画を話した。その最中、ふと自分がトレーナーに殴られる様を思い浮かべた。それは天地がひっくり返ってもありえそうもない帰結。「それも悪くない」聞こえないほど小さな声で笑った。




12話です。タキオンは基本悪意なく行動しているイメージがあります。
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