たづな理論、あるいはタキオンに至るまで   作:灯眼

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18.サラウンド

 目が覚めるとタキオンは同期たちやトレーナーに囲まれていた。時刻は夜の8時、卒業式を終えて約半日ほどしか経っていない。カフェが、ポケットが、ダンツが、トレーナーが、デジタルが、スカーレットが、フラワーが、皆が一様にほっとしたようだった。口には出さないがタキオンを心配していたのだ。トレーナーが実験を見守っていると、伝えてもいないのに彼女たちがやってきてタキオンが眠りから覚めるのを待ち始めたのだ。メガドリームサポーター内での映像は最初だけスクリーンに共有されていたが、途中からバグが起きたように画面が歪み、ついには0と1だけになってしまったので、集まった面々は不安になった。だが何もせず待ち続けたのは、トレーナーが頑なに必ず戻ると約束したタキオンを信じていたからだった。

 タキオンの意識が覚醒したと分かるや否や、皆が一斉に「どうだった?」と聞いた。

 その抽象的な質問はタキオンを現実に帰らせるには十分すぎた。言葉に詰まる。皆に会えた安堵と、夢で真理に近づけた興奮と、それをいずれ忘却してしまう悔しさと、その割り切れない思いが一緒くたになって頭の中で渦を巻いている。絞り出すようにタキオンは答えた。

「だめ、だった。実験失敗だ……」

 失敗、言葉にしてしまうとなんと残酷な響きだろう。本来であれば失敗という二文字は彼女にはありえないものだ。なぜならすべての実験は記録として残す限り、どんなに小さな事であっても発展への礎になるからだ。科学者たちはこぞって失敗など存在しないという。だが、今回の実験ばかりはタキオンにとって明確な敗北であった。この夢は強烈な残像を脳裏に焼き付けたが、いずれは啓示のようにあいまいで盲目的な信仰に変わってしまう。それを予測できてしまうタキオンの理性が屈辱を感じていた。そしてそれらの悪感情以上に安堵、誰かがそこにいるという安堵が勝っていた。気づかないうちにぽろぽろと涙を零していた。涙が流れることさえうれしかった。

「もう少し、もう少しだったんだ、あと一歩で捉えられなかったんだ……」

 悲しむタキオンに駆け寄り、皆が慰めの言葉を浴びせた。それは同時に彼女の無事を祝っていた。

「「「「「タキオン……

     タキオンさん……

     タキオンちゃん……」」」」」

 その呼びかけがあまりにあたたかいものだから、タキオンは涙を止める理由を失った。この瞬間、確かにたづなを知った。もう見えなくなってしまったけれども、そこに在る。ぐちゃぐちゃの感情の渦に確かな高揚が湧いてくるのを感じていた。

 

 

 

 

 それからというもの、タキオンが幻覚を見ることはなくなった。寂しさは募るが、その空虚はしっかり抱えていくことにした。また会う日まで席は空けておくのである。

研究室の窓から外を見やる。風光る青の空だった。

「もっと光を! なんてね」

 タキオンは冗談交じりにつぶやいて、窓を開け放った。差し込む陽光を浴びて、ひとつ深呼吸。春めいた空気を存分に取り入れたところで机に向き直る。すると扉ががらりと開き、カフェがやって来た。

「やあ」

「お構いなく、コーヒーを淹れに来ただけですから」

 そう言ってカフェはソファーに腰を下ろした。しばらくすると今度はトレーナーがやって来て進捗を聞いた。

「まあぼちぼちだよ」とそっけなく答える。それでもトレーナーは満足そうに「そうか」と言った。

 ちなみに昨日はシャカールが来ていた。このところ毎日入れ替わりで誰かが研究室の扉を叩いている。来たところで、彼女らはなにをするわけでもなく、ただ談笑したりのんびりしたりして、そのうち帰ってしまう。ある種の憩いの場のようになっていた。普通のサロンと違うのは薬品のにおいがすることだろうか。いつもにぎやかだった。この空間の主であるタキオンはというと、まったく気にしていない。それどころか少し話声がある方が心地よく、かえって集中できた。

 タキオンの元にはたくさんの人々が集う。少し狂気的でどこまでも懸命なウマ娘、彼女が未来を切り開くことを誰もが夢想する、そんな強い光を放つから。その光に魅せられた者たちは大勢いて、だからこそ孤独には成り得ない。誰かが支えたいと願うから。今日も彼女は研究に没頭する。ノートを走るペンの先には不確かで、けれども明るい未来が見えていた。




最終回です。ここまで読んでいただきありがとうございました。
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