たづな理論、あるいはタキオンに至るまで   作:灯眼

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3.仄暗い本能

 タキオンは普段、研究室に籠りきりであるから、学生寮に戻る機会は少ない。そのため同室であるアグネスデジタルはその広い部屋を持て余していると同時に、四六時中推しと隣り合わせという、彼女にとっては気絶に値するような状況を回避できていた。律儀な彼女は部屋の半分だけを使い、決してタキオンのテリトリーには踏み入らない。加えて、タキオンの私物はほとんど研究室にあるため、部屋の半分はミニマリストの如き小綺麗さを保っていた。

 このような具合に普段は寮になど戻らぬタキオンであったが、病み上がりであることも加味して、ベッドで休んだ方が良いと判断した。研究室にも毛布はあるが、ソファーの上よりは広々とした寮のベッドのほうが安眠できるだろう。そう思いながら、久方ぶりに部屋の扉を開けた。

「タタタタタキオンさん!? あの、すみませんすぐ片づけます! じゃなくて退院おめでとうございます!」

 同居人のデジタルは異様に狼狽しながら、がさがさと自らの机の上に広げられていたフィギュアやペンタブを隅へと押しやった。タキオンはいたって平静に「やあ。デジタル君久しぶりだね」とのんきに答えた。

「あ、あの、足、大丈夫ですか」

「ああ、まだ復帰はできないが時間の問題さ」

「あ、あ、その良かったでしゅ……じゃなくてその、た、たいへんでしたね」

 デジタルのどもり方は異常だった。普段からウマ娘と接する時の彼女はテンションが高く、早口かつ相当な熱量を感じさせつつも、その愛が暴走しがちな節はあったが、今日に限って言えば何かに怯えるような、下手な隠し事をする子供のような有様である。何かやましいことがあるのだろうかとタキオンですら疑ってしまった。

 思い当たるのは、先ほど隅に追いやったペンタブに映っていたイラストである。はっきりとは見えなかったが、自身の顔が描かれていたように見えた。

「ところで何を描いていたんだい。先ほどちらと見えてねぇ、どうやら私のことを描いてくれたみたいだが」

 今までもデジタルがタキオンをモデルに絵を描くことは幾度となくあった。そのたびにタキオンが見ようとして、デジタルが恥ずかしいから恐れ多いからと断って、それでも結局は見られて「よく描けているじゃないか。素晴らしい目だ」などと褒められては顔を真っ赤にするのが通例である。そもそもデジタルは同人誌を何冊も書いており、即売会の常連である。様々なウマ娘を描き、物語を紡いできた生粋のオタクであった。ゆえに羞恥こそあれ、自作を見られるのはうれしいことなのだ。

 しかし今日はどうやら事情が違うらしい。

「あ、あのその」

 デジタルは今にも泣き出しそうな面持ちである。観念したようにペンタブを渡した。そこに描かれていたのは、足を故障したタキオンが予後不良で引退し、苦悩の日々を送るというものだった。絵のタッチも普段と比べて暗い。しかも最後のページは夢オチである。興味深そうにペンタブを眺めているタキオンの前で、デジタルは震えながら読み終わるのを待っていた。

「ふうん、面白いじゃないか。なかなかユニークな発想だ」

「す、すみませんでしたああああああ!」

「何を謝っているんだい」

「あの、その違くて、あたし、描いてみたら止まらなくなって、でもこんなのダメだってわかってたんですけど、推しにこんな、こんなことをしてしまって、ああああああ」

それは全力の謝罪であった。デジタルは普段、朗らかで甘い物語しか書くことはなかった。それは彼女なりの推しへの誠意である。それどころは普段は安易な曇らせ展開に憤りを覚えるほどであった。だが今作ではそれを歪め、仄暗い感情に身を任せてしまった。きっかけはやはりタキオンのけがである。気まぐれで車いすに乗ったタキオンをスケッチしてしまうと、そこからは筆が乗りまくり、いつの間にかストーリーができていたという。デジタルはこんなものを描いてしまった己を許せなかった。最後の投げやりな夢オチも、描いている最中に何度も自らを襲った悔恨を誤魔化そうとした迷走の果てである。

 タキオンはなんとも思わなかったが、デジタルにとってこの作品は、己の中で越えてはいけないラインを踏み越えたものらしかった。デジタルはことの経緯や心情含めすべてを吐露し、謝り続けた。

「君の気持ちはよくわかったよ。だが、そのうえで言わせてもらうが、自身の情熱に従ったことならそれは決して悪じゃないさ。君を突き動かしたほとばしるような熱こそが、あらゆる可能性を切り開く鍵なのだから」

 タキオンの使う合理的、ロマン的な言葉たちは、懺悔をする者にとって慰めには成り得ない。むしろ強い怒りに裁かれたほうがよほど楽になれただろう。ドライな倫理観によって保留された悔恨の意識は、むしろデジタルの首を絞めるものだった。服の裾を握りしめ、ただ俯いている。

 そんなデジタルの心の在り様にはついぞ気づかず、タキオンはラストシーンをぼんやりと眺めていた。思うのは夢についてである。夢の世界の現実性というものをタキオンは信じていた。パラレルワールドとでも言うべきか、論理的にではなく、あくまで直感とわずかな経験、そして願望の入り混じった不確かな信仰である。しかしそこに可能性を見出していた。メガドリームサポーターの仮想現実も、そして夢の世界もある意味ではパラレルワールドと言える。仮想現実のさらなる拡張、発展は己の研究に一役買うだろうと踏んでいたのだ。

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