夏が来たのでトレーナーがリハビリのためのプールトレーニングを提案した。AI研究が行き詰っていたタキオンはしばし迷ったが、こういう時は息抜きが必要だろうと判断し、水着に着替えた。水中では関節や靭帯への負担が軽減され、さらには心肺機能促進、筋力への負荷が効率的とリハビリにはうってつけである。実際にリハビリ室にて何度かウォーキングなどを実施していた。
プールサイドに来てみると大勢の先客たちが水しぶきをあげてトレーニングに勤しんでいた。トレセン学園のプールはそこらの大型レジャープールよりも広いが、この時期は涼を求めた生徒でごった返しになる。
「あちゃー、結構混んでいるな。どうするタキオン」
「そうだねぇ、おや」
空いたところがないかとあたりを見回していると、友人を見かけた。ダンツフレームである。どうやらルームメイトのヒシミラクルの泳ぎを手伝っているようだ。
「お、おぼれちゃうー」
「大丈夫ですって、ゆっくりバタ足してください」
手を引いてもらいながらヒシミラクルは足をぎこちなくバタバタさせる。それは泳ぎというよりも、だだをこねた子供の腕、あるいは罠から逃れようとしている鳥の羽のようだった。
「やあダンツ君。奇遇だねぇ」
ダンツフレームはタキオンに気づいて手を振った。
「あ、タキオンちゃん。こっち空いてるよ」
「わぁ、手、手、離さないでー」
「あ、ごめんなさい!」
ばしゃばしゃと情けなく水しぶきをあげるヒシミラクルを尻目に、タキオンは準備体操をした。
「じゃあ五分のウォーキングから」とトレーナーはストップウォッチを構える。アスリートにしてはずいぶんと短時間の運動ではあるが、どうやら無理をさせまいと神経質になっているらしかった。表情はあくまで平静を取り繕ってはいるものの、普段の様子を知っている担当からしてみればどこかぎこちなく、なにかに怯えているような雰囲気さえ感じ取れた。
(もしかすると私のけがの悪化を恐れているのかもしれない。必要以上の配慮はむしろ心身共に悪影響だが、まあ今日のところは良しとしようか)そのように推測し、メニューに対しては口を挟まないことにした。
そろりと水に浸かる。塩素のにおいが充満するプールはひんやりとして心地よかったが、大勢のウマ娘でごった返しているせいか、リハビリ室の水よりもぬるかった。水位は浅く、底に足をつくと胸から上は水から出てしまうほどである。ゆっくりとダンツフレームたちの元へ向かった。
(ふむ、歩くだけならそれほどの負荷も感じなくなってきた。だいぶ回復してきたようだ)
足の調子を分析しながら歩く。視線の先ではまたもやヒシミラクルがおぼれかけていた。
「じゃ手離しますよ」
「無理、無理、あっ、わぷ、助けてー、ひーん」
「ミラ子先輩、大丈夫です……足つきますから」
そんなやり取りにタキオンが口をはさんだ。
「いや、そうとも限らないさ。浅瀬だろうとおぼれた事例は数多く存在するからねぇ。少したとえの前提が違うが泳ぎの得意なダイバーでさえクラゲに刺されてパニックになりおぼれることもある。ようは精神状態によっては肉体的、環境的要因に関わらず危険な状況に陥ることがあるということだよ」
「ひいぃもうあがる! 泳げなくてもいいもん」
「あ、だめです、トレーナーさんと約束したんでしょう。今日は頑張るって。代わりに口出ししないって」確かにヒシミラクルのトレーナーはプールサイドで腕組みをして愛バを見守っていた。どうやら今日の指導はダンツフレームに一任しているらしい。
「タキオンちゃんも! そんな怖がらせるようなこと言って!」ダンツフレームが頬を膨らませて怒るとタキオンは「やあごめんごめん、私はパニックになるのは危険だという忠告のつもりだったんだ。そう怒らないでくれよ」そう言いながら笑っていた。
それからしばらく泳いで、とりあえずプールからいったん出ることにした三人は、プールサイドに腰かけて休憩した。タキオンとヒシミラクルのトレーナーは、その間ドリンクを買いに行った。
「ところでだ、ミラクル君。君がプール嫌いなのは有名な話だが、どうしてそんなにも苦手なんだい。いや当然ウマ娘には得手不得手があるから泳ぎが上手くなれないというのは仕方がないとしてだ、君のそれはもはやそう言う領域から逸脱しているように思えるんだよ。」
「えーそんなに有名なんですかー、なんかいやだな」
「うん、代名詞ですよねー。失礼かもだけど、カナヅチと言ったらミラ子先輩って」
「ひどいなぁ」
「なぜだい。一般的に水嫌いとされるネコ科の動物だってもう少し泳げるものだよ。君は水にトラウマがあるというわけでもなさそうだし」
「うーん」
水を足先でぱしゃぱしゃしながらヒシミラクルは考えた。
「なんというか、こう、いやって感じなんですよねぇ。海とかは好きなんですけど。プールで練習ってなると頭ではやらないとなぁって思うんですけど、いざ来てみるとすごくいや、みたいな」
「あーわかりますそれ。あれかな、肝試しみたいな。頭では幽霊なんていないって思っていても暗いとこは怖いみたいな」
「そう、かな? うん、なんかわかんないけど。なんでだろ」
「ふむ、なるほど。過去に起因するでもなく、無意識レベルの恐怖だと。いやぁ今度実験をしてみたいものだ。レーダーをつけてプールや海での脳波を比較してみたら面白そうだ」
「だめだよタキオンちゃん。流石に可哀そうだよ」
「私もやだなー」
「おーいドリンク買ってきたぞー」
話もそこそこに、両名のトレーナーが戻って来たのでトレーニングを再開した。