たづな理論、あるいはタキオンに至るまで   作:灯眼

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5.所有せざるウマ娘

 タキオンは三女神AIを改良するプログラムの生成に取り掛かった。しかしコンピュータは専門ではない。図書室やネットでプログラミングについてある程度は調べてみたが、結論としては既存のAIにあてがうパッチを制作できるまでの練度を得るには、時間がかかりすぎるというものだった。タキオンは迷わずにエアシャカールの元を尋ねた。

「やあ、シャカール君。唐突だがひとつ依頼したい仕事があってね、君も知っているだろうがメガドリームサポーターに搭載された三女神AI、それを用いた実験でね、要はAIによるデータ照合と電算能力を駆使した予測、すなわち未来予知のようなものができないかと、我々の思考を現実は容易く凌駕するが、その未知の領域にAIを踏み込ませてみたいんだ。現状でも予測はできるがそれはアドバイスという形だし、どうせなら映像として出力ができたら面白いんじゃないかな。具体的な部分だと私は門外漢だが、予測とはすなわち統計学だからAIであればより高度な計算が行えるのではないかと睨んでいるんだがどうだろう」

 そこまでを一口でしゃべり切ると、机に向かって自作のPC画面を見ていたシャカールはようやく振り向いた。

「忙しい、ほかを当たってくれ」

「えー!?」

 タキオンの提案は駆け引きや誠実さの一切を欠いており、そもそもタキオンは交渉やおべっかの類を不合理だと切り捨てるきらいはあるが、その点を加味してもシャカールは乗ってくると踏んでいた。なぜならシャカールこそが合理主義の極地にいると思っていたからだ。断られるという展開を予想だにしていなかったタキオンは単純に驚いてしまった。

「なぜだいシャカール君、君のプログラミング能力がトレセン学園において最も優れていることは知っている。君がうってつけだ。しかもAIによる予測技術が確立すれば君のレースにも確実に益をもたらすだろう。損はないはずだよ」

「パスだ」

 シャカールは鼻を鳴らしてPCに向き合った。提案そのものは興味深いと思っていた。それどころか、シャカール自身が空想したことさえあった内容であり、暇ができれば三女神AIに手を付けてみようとは思っていたのだ。今まで触れなかったのは、単純に忙しいというのもあるが、なんとなく三女神に手を加えるということが冒涜的であるように感じていたからである。

「そうだ、報酬の話をしていなかったね。完成の有無にかかわらず、私の持つデータを提供しよう」

「……」

 シャカールは見向きもしない。その難攻不落さはタキオンを必要以上に焦らせた。

「じゃあこんなのはどうだい。ついこの間治験を終えたばかりのドリンクがある。今度購買に並べてもらうつもりなのだが、それをあげよう。いつだったかウマ娘をパッケージングしたエナジードリンクが出たことがあっただろう。それから着想を得た私特製のドリンクだ。頭脳労働にはもってこいの代物だよ。ノルアドレナリンの分泌にも似た極限の集中を得ることができる。レース中の、あの空をも飛べるような高揚をもたらすことからレッドゾーンと名付けたのだが」

「いらねえ」

「そ、そうかい」

 タキオンはしばらく考え込んだ。機嫌が悪いのか、はたまた費用対効果が見合っていないと判断しているのか、見当もつかない。だが取引を成立させるカードを現状では持っていないことに気づくと、今日のところは出直すことにした。

 それからタキオンは毎日シャカールの部屋に訪れては、様々な報酬を提案した。しかし当のシャカールは岩のごとく沈黙を保っていた。きっかけを待っていたのだ。シャカールは断った瞬間から、タキオンの提案に魅力を感じ、頭の中でプログラミングをはじめていた。それどころかタキオンが帰った途端、わずか一日で簡易的なパッチの試作品を完成させていた。首を縦に振らなかったのは、取引や嘆願をするでもなく、さながら上司が部下に指示を出すかのような拒否を想定していない物言いが気に入らなかっただけである。そこからは意固地になっていたが、一方で冷静でもあり、どこかで提案を飲むつもりだった。ようは一度拒否したものを受け取るタイミングを見計らっていたのだ。

 どこで頷くか、シャカールの思考など露知らず、タキオンは毎日部屋を訪ねた。一週間ほど過ぎたところで、タキオンは渡せるものなど何もないことに気づいた。様々な功績による特権や、収集データを管理していたタキオンだったが、実のところ何も所有してはいなかったのだ。彼女の目的はあくまで研究と発展である。実験結果は結論が出しだいすべて共有するべきだと考えていたし、利権や功績のためにデータを独占するなどもってのほかである。有用なものができればすべてトレセン学園に明け渡し、その見返りとしてさらなる研究ができる。その循環に所有欲は含まれていなかった。ゆえにタキオンがシャカールに示せるカードはすでに共有されたものでしかない。

 タキオンは八方塞がりになったと思い込み、とうとう癇癪を起した。

「なんだい、なんだい、いいじゃないか少しくらい協力してくれたって! 工学も少しはかじっているが、私の専門は薬学なんだ、君は情報学、でも科学は根底でつながっている! たどり着くべきところはひとつだ。だったら協力し合う方がよほど効率いいじゃないか!」

 積極的に他者に協力したことなどないにも関わらず、つらつらと己を鑑みることのない言葉が出てきた。タキオンがまくし立てると、シャカールはげらげらと笑い出した。

「あははははっ! まったくロジカルじゃねえ。最高の演説だ。これでやっと渡せる」

 シャカールはUSB端子を取り出すと、それを投げて渡した。頬のほてりがまだ残っているタキオンは突然の転身に戸惑っていた。そもそもシャカールは合理うんぬんの前に非常に面倒見がよかった。取引など鑑みず、かの王室のお嬢様のようにただただ嘆願のみをしていたなら、おそらく、面倒くさそうに声を荒げながら、すぐにも請け負っただろう。そういう性質である。タキオンの叫びにも似たわがままな癇癪は、殿下のそれとは形は違えど、どうしようもない嘆願であった。

「き、君もなかなかに底意地が悪い性格だねぇ。まあ感謝はするよ。ありがとう、これでやっと実験が進められる」

「まあそいつは試作品だ。玩具みたいな真似しかできねえよ。もう少し改良してみる。そうだな、一か月はかかるだろうな」

「助かるよ」

「で、だ。報酬の話だが」

 声色が変わった。それは尋問のような凄みがあった。

「なんだい」

「たいしたことじゃねえ。アンタの論文、一応全部目を通してんだが、あれ、続きがあるだろう。教えろよ」

 にやりと含みを持たせた笑みを浮かべる。尖った歯がちらりと見えた。タキオンはしばらく唸ったうえでこう答えた。

「あれはまだ完成していない。不確かな情報は目を曇らせる。形が見えたら真っ先に報告することにしよう。それでどうだい」

「……わあったよ、乗った」

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