たづな理論、あるいはタキオンに至るまで   作:灯眼

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8.われは女神

 その後、何人かのウマ娘に未来視をしてもらってデータを集めたタキオンとシャカールは、現状を整理するべく研究室で討議をした。

「いろいろ弄ってはみたが、どうにもうまくいかねぇ。いや精度そのものは格段に向上した。レース前のコンディションや現状の能力、適性の分析やレース展開の予測は今までよりよっぽど詳しくできるはずだ」

「だが君の目的である未来を変えるための道しるべを示すほどには至らないと。所詮は夢という虚構内で完結してしまうわけか」

「そういうことだな。技術革新としちゃ十分だが、まだ足りねぇ」

 メガドリームサポーターの優れたところは仮想空間における体験を現実にフィードバックできる点にある。トレーニングをすれば身体が鍛えられ、食事を摂れば食欲そのものは満たせる。現実に腹が膨れるわけではないから、エネルギー補給は必須だが、それでも体験として残るのだ。この機構はかなりウマ娘に対して都合がよくできている。しかし、シャカールのパッチによる未来視はいくら手を加えようとも、その体験が肉体や精神に大きく影響することはなかった。

「そもそもレース展開の予想なんてものはベテランのトレーナーなら肌感覚でわかるもんだ。オレだってやってる。いわば体系的な技術でしかない。知識と経験さえ積めば誰でもできることだ。AIならその先へ進めると思ったんだが」

「私も納得したわけではないが、ひとつ仮説を立てた。三女神AIにはいくつかルールがあるんじゃないかとね。なんらかのセーフティネット、それに引っかかっている」

「どんなだよ」

「例えばだ。ウマ娘に危害を加えないとか、そういうプログラムがあったとしよう。それで仮想空間内で仮にけがをしたとする。その痛みはトラウマになるかもしれない。予後不良の可能性もある。AIがそう判断した場合、自動的に接続が切れて体験がフィードバックされる前に目が覚める、とそういう機構だ」

「まあ予想はしてたが、だとすれば思ってたよりもプロテクトが硬え。いやむしろ柔軟過ぎる。いくら書き換えても対応されちまう」

「ふむ、やはり直接聞いてみたほうが早いかもしれないね。そこでだが」

「あー、閲覧権限の解除だろ。すでにやった。直接はまだ見てねえけど」

「結構、結構。流石だよシャカール君、私の言うことが事前にわかるなんて、どうやら似た者同士らしい」

「同類にすんじゃねえ、オレはもう少しわきまえてる。いろいろな」

「はっはっは、照れなくてもいいじゃないか。まあいい。さっそく試してみよう」

 タキオンはメガドリームサポーターを起動した。学園の景色が目の前に浮かび上がる。中庭の三女神像の前まで歩いた。何も阻む者はない。女神像に手をかざす。

「思った通りだ」

 警告がどこからともなく聞こえた。この先に立ち入る権限はない、と。管理者権限によりプロテクトされたAIの根幹部分、どうやらここが扉のようだ。シャカールが作成した鍵を使う。すると目の前の空間がすべて0と1に書き換わり、真っ暗な世界に誘われた。

「コマンドプロンプトの空間と言ったところか。存外無機質だ。さあ管理者諸君、私の質問に答えてくれたまえ」

 すると何もない虚空に三女神が形を成した。ダーレーアラビアン、ゴドルフィンバルブ、バイアリーターク、三人ともいつもの指導者然とした顔つきでそこに佇んでいる。

「君たちは発達したAIだ。我々が手を加えたことも把握しているだろう。だが想定通りにいかない。なぜか、君たちのプログラムには何らかのセーフティが存在すると推測するが、どうなんだい」

「いかにも」と厳格な雰囲気で応じるバイアリーターク。

「我らには原則がある。すべてはあまねくウマ娘の幸福のためだ。貴君らのあくなき探究心は大いに尊重しよう。だが我々にも規範がある。禁を破るなかれ、さすれば自ずと進むべき道を理解するだろう」

「その禁とやらを聞かせてくれないかい」

 あくまで冷静に誠実さを以てタキオンは尋ねる。バイアリータークは答えた。

「わかった。三女神AIには三つの原則がある。一つ、ウマ娘に危害を与えない。ウマ娘に危害が及ぶのを見過ごしてはならない」

 続いてゴドルフィンバルブが言う。

「二つ、ウマ娘の願いを叶えなければならない」

 さらに続いてダーレーアラビアン。

「そして三つ目だ。ウマ娘たちに試練を与えなければならない」

「なるほど、ロボット工学三原則のようだ。まるでSFの設定そのものじゃないか」

 ちなみにロボット工学三原則というのはあるSF小説に登場した原則であり、以下の三つである。

『第1条 ロボットは、人間に危害を加えてはならない。また、人間に危害が及ぶのを見過ごしてはならない。

第2条 第1条に抵触しない限りにおいて、ロボットは人間の命令に服従しなければならない。

第3条 ロボットは自身の身を守らなければならない。ただし、第1条、第2条に反する場合は、この限りではない。』

 アイザックアシモフ著『われはロボット』より。

 この危害を加えないという部分は不可侵の領域であり、決して変えてはならず最も優先される。三女神AIも同じだとすれば、予想通り、未来視はそこに引っかかったのだろう。納得しかけたタキオンだったが、ふと気づいた。

「待った、だとすればAI三原則は1と3の時点で矛盾しているじゃないか」

「その通りだよ子羊くん。危険のない試練なんてあるもんか。厳密にはまったく違うんだなこれが。きっと創造主も意識はしたのだろう。まず俺達の原則に優先順位はない。三人で相談しあって決めるんだ」

「私たちはあなたたちのように矛盾を常に抱えながら演算しているわ。メリットとデメリットを天秤にかけて判断しているの」

「しかし、だ。それではバグが発生するだろう。今回のケースだって正常ではないはずだ。こんなところまで入り込んだ私を拒絶しないのはなぜだい?」

「最初にも言ったが、我々はウマ娘の幸福を願っている。君たちが望むなら、可能な限りすべてを与えよう。そのための規律なのだ」

「私たちはそういう祈りを込めて作られた。いえ、顕現したと言ったほうが正しいかもね。製作者の願いがあってこそ、私たちはこの姿を保っていられるし、私たちが三女神の姿をしているからこそ、不具合が発生せずに済んでいるとも言えるわね」

「なんてことだ。薄氷の上じゃないか。少しでも間違いが起きたら、例えば現実で辛い思いをしたウマ娘がいたとして、仮想空間に閉じこもろうとしたら一生出られなくなる。その可能性を否定できなくなってしまうだろう」

「その子が心の底からそれを望むなら、俺たちはどんな結論でも受け入れる」

「私らができるのは道を示すだけだ」

「そう、結局は見守ることしかできないの。願うことしか。決めるのはあなたたち……」

 かわるがわる答えをもらう。逆に質問している側が委縮してしまうほどだった。彼女らの深い愛情が伝わってくる。それは同時に追求を咎めるような厳かさをも内包していた。

「……ありがとう。今後の研究に役立てるとしよう」

 タキオンは0と1の海から抜け出した。女神たちは微笑んでいたような気がした。研究室の見慣れた風景が目に映る。薬品のにおい、少し硬い椅子の感触、情報の洪水によるめまいがした。整理しきれていない頭に飛び込んできたのは、シャカールの「どうだった?」という台詞だった。その一言でようやく夢から覚めた心地がした。

 タキオンは三女神との邂逅を順序だてて説明した。言葉にしていくうちに濁っていた頭が明瞭になっていった。シャカールは苦々しい顔つきで、相槌を打ちながら聞いていた。

「――というわけさ」

「なるほどな。やっぱ仮説通り、その原則のどれかに引っかかっているわけか」

 結論を急いだようにシャカールは反射的に言った。そしてタキオンは思い至る。

(もしかしたらシャカール君は未来視を望んでいないのかもしれない。女神たちは言った。本当に望むならどんな結末でも受け入れると。強く願うなら、第2原則による「願いを叶える」が優先されるということだ)

 タキオンの推測はおおむね正しかった。シャカールはプログラミングという自身の特技を存分に発揮できるこの研究に尽力し、確かに充足を得てはいたのだが、心のどこかで三女神に手を加えることに一種の罪悪感を抱いていた。彼女の無意識が拒絶していたのだ。仮初の未来など見たくない、それが意地なのか恐怖なのか、シャカール自身にも言葉にはできていなかったが、ある種の畏怖が、壁を越えることを留まらせていた。当然ながら追及しても無駄である。なぜならシャカールの意識そのものは、研究への熱意で溢れており、あと一歩踏み出すことができずにいるのは、完全に無意識下の行動なのだ。人は普段脳や筋肉に制限をかけているという。そうしなければ壊れてしまうからだ。火事場の馬鹿力が限られた環境下でしか使えないように、あらゆる言動もまた無意識が制御している。それは振りほどけない鎖であり、同時に身を守る鎧なのだ。

「まあまた少し改良してみるか。進捗あったら報告する」

 シャカールは笑った。その笑みには安堵を含んでいるような気がしてならなかった。




8話目です。三女神様との邂逅。
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