キサキとかいう生徒について   作:羊の脚

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キサキはちょっとえっちすぎる

目が覚めたとき、体がしびれて思うように動かないのは明らかな寝不足のせいだった。

 

しかし今回は、いつにも増して記憶の混濁がひどい。こんなときは、たいてい数日間まともに眠らず、限界まで追い込まれて気絶するように眠りに落ちたあとだ。

 

先生は顔を枕に突っ伏し、背広を着たままだった。体の下に布団が敷かれているのを見ると、仕事の合間に仮眠を取ろうとベッドに倒れ込んだのだろう。メガネだけが辛うじてベッドの縁に置かれていた。

 

ゆっくりと体を起こし、重い腕を伸ばしてメガネを掴むと、それを鼻にかける。腰を下ろすように枕の上に座り込み、ぼんやりと頭を抱えながら、少しずつ状況を整理しようと試みた。

 

だが頭はうまく働かない。

 

ふと息をつきながら、先生は違和感に気づいた。いつもの、あの頭痛がないのだ。寝不足明けには決まって頭の中で鳴り響いているはずの、まるで解除できない目覚ましアラームのようなあの不快な響きが、今は不思議と消えている。

 

「…」

 

頬をつまんで引っ張ってみた。 痛みは、ない。 古典的な確認方法だが、これで確信した——ここは夢の中だ。

嗅ぎなれない香の匂いが鼻をついた。甘くやさしい木の香りで、まるで森の中にいるかのように、静かに心を落ち着かせてくれる。

シャーレの休憩室にこんなものを設えていただろうか。

 

「目を覚ましたかの?」

 

甘い声が耳元に届き、先生は顔を上げた。振り向いた先に現れた人物を見て、思わず息を呑んだ。

 

「妾がシャワーを浴びている間に眠ってしまうとはのう。そのまま目覚めぬのかと心配したぞ」

 

「…?」

 

先生は戸惑いながらも辺りを見回した。ここはシャーレの休憩室だ。少なくとも、山海経の厳重に警備されているキサキの寝室ではない。

 

ここが夢の中だということを思い出すが、それならば、この状況は一体何を意味しているのだろう。

 

「先生?」

 

不思議そうにキサキが覗き込んでくる。その姿に、ますます混乱が深まっていく。

 

「…ふむ」

 

キサキは軽く微笑むと、制服のスカートを指でつまんでみせた。それは、先生自身が以前贈ったものだ。

 

意味ありげな視線を送りながら、キサキはゆっくりと先生に近づいた。

 

「やはり、この格好が一番反応が良いのう」

 

「え?」

 

「色々と着せ替えられているうちに、先生の趣味がわかってきた」

 

「色々と着せ替えられて???」

 

「妾をすっかり自分好みに染め上げておいて、今更何を驚いておる」

 

キサキはわざとらしくため息をつくと、軽やかに踵を返し、部屋に備えられたコーヒードリッパーを手慣れた仕草で甲斐甲斐しく操作し始めた。

 

「山海経の皆には、その、くれぐれも漏らさぬようにな。それを条件に先生のどんな頼みでもきいておるのじゃから…」

 

先生はもう一度頬を強くつまんでみたが、やはり痛みはない。夢であることに心から安堵の息を漏らした。その音にキサキが一瞬振り返ったが、コーヒードリッパーが唸り声を上げて黒い液体を注ぎ始めたため、再び操作に集中する。

 

「コーヒーの香りにも、すっかり馴染んでしまったの。先生が心配になるほど、いつもこれを飲んでいるからな」

 

その言葉の真意を掴みかねているうちに、キサキは湯気の立つマグカップを手に戻ってきて、ベッドに座る先生へ差し出した。先生が礼を言ってカップを受け取ろうと手を伸ばすと、キサキは悪戯っぽく微笑んで、ひょいと自分の口元へ運んだ。

 

「…先生の味じゃな」

 

楽しそうに微笑みながら、今度こそ本当に先生に向けてマグカップを差し出した。

 

「それを飲んで、どうか目を覚ましてくりゃれ。火傷せぬよう気をつけてな」

 

キサキはそう言うと、片手で首元のネクタイを緩めて無造作に引き抜いた。辺りを見回し、先生の眼鏡が置かれていたベッドの縁にネクタイをそっと置く。そして真っ白なシャツのボタンに手をかけ、上から順に外し始めた。

 

「ちょっ…!」

 

思わず先生が声を上げると、キサキは不思議そうに振り向いた。その拍子に、露わになった彼女の鎖骨が目に入り、先生は慌てて視線を逸らした。その様子をじっと見つめてから、キサキは何かに気づいたように手を止める。

 

「ああ…先生の趣向をないがしろにするつもりはなかったのじゃ。すまぬ」

 

「しゅ、趣向?」

 

「先生はほんに好き者じゃのう…スカートも脱がないままの方が好みなのじゃな?」

 

「ん?…ん?」

 

「まあ…先生が喜んでくれるなら、妾も嬉しい」

 

キサキは立ったままゆっくりとかがみ込み、ソックスのつま先をつまんで丁寧に脱ぎ落としていく。ベッドの脇にそれを落として、もう片方も同じように脱ぎ捨てた。

 

「……………」

 

一体これは何なのだろう?

 

裸足になったキサキは、そのままベッドに乗り込んでくる。ギシギシと小さく軋む音を立てながら、ゆっくりと膝をついて先生に近づいた。先生は無意識に後ずさるが、キサキは触れられるほどの距離で止まり、首をかしげる。

 

まっすぐに先生の目を覗き込み、その瞳には期待が浮かんでいた。はだけた胸元から覗く白い肌が、無防備に先生の視界にさらされている。

 

「いやいやいやいや…!」

 

「…む?」

 

先生が焦りを露わにすると、キサキは不思議そうに小さく首を傾げた。

 

「ふむ…なるほど、少しばかり性急すぎたかのう」

 

キサキはひとり納得した様子でクスリと微笑みを浮かべる。

 

「せっかくコーヒーを淹れたのじゃ。ゆっくり飲んでくれ。妾は大人しく待っておるぞ?」

 

キサキはわざとらしく伸びをしてからベッドに転がり込み、うつ伏せになった。子どものように足をパタパタと動かし、そのたびにベッドが小刻みに揺れる。

 

「まだかのう?」

 

まるで退屈した猫が尻尾を振るように、頬杖をついてじっと先生を見つめている。その視線は、何かを待ち望むように熱を帯びていた。

 

先生が動けないままでいると、徐々にキサキの脚の動きがゆっくりと止まり、頬杖も解かれていった。やがてベッドに完全に寝そべると、キサキは呆れたように、あるいはすねたように、目を細めてため息を漏らした。

 

「…はぁ。なんじゃ…そういう趣向ではないのか?前回はこうしていたら、有無を言わさず覆いかぶさってきたというに」

 

「……………」

 

「今日はちゃんと妾から懇願しないと相手してくれないのじゃろうか…それならいつも必死にしているのを、見ているじゃろ?」

 

夢なら早く覚めてくれと、先生は必死に心の中で念じていた。

 

そんな先生の様子をキサキは不思議そうに見つめている。

 

「ふむ…」

 

静かな声が漏れる。

 

「…」

 

「そうさな…」

 

キサキはそっと自分の小さな手を先生の手に重ねた。指を絡ませ、優しく、しかし力強くベッドの上に押し付ける。

 

「どうしたらよいのじゃろうなあ…」

 

甘えるような声音でささやかれ、先生は耐え切れずにその手を振り払った。

 

「キサキ!…よくないよ、こういうのは…」

 

絞り出すようにそう言った後、ちらりとキサキを見ると、彼女は驚きと戸惑いが入り混じった表情で目を見開いている。

 

「…え」

 

「いやっ!そうじゃなくて、その…」

 

言葉がうまく出てこない。

 

「…先生の気に障ることを、してしまったのかの?」

 

「だから…ここは夢の中で…!」

 

「何を言っておるのじゃ?」

 

「夢の中でも、していいことじゃなくて…」

 

「寝ぼけておるのか…?」

 

先生が頭を抱えて混乱する中、キサキはそっと起き上がり、優しい仕草で先生の頭を撫で始めた。

 

「許してくりゃれ…」

 

か細い声が胸に落ちる。

 

「いや…」

 

「先生に嫌われてしまったら、おかしくなってしまう」

 

「そうじゃなくて」

 

「求められるたびに嬉しくなって…もうすっかり、其方なしに生きられそうもない…」

 

キサキは先生の額に長い口づけを落とし、そのまま頭を抱きかかえて撫で続けた。

 

「先生」

 

「…」

 

「たくさん撫でてあげるからの、どうか機嫌をなおしてくりゃれ?」

 

「…ゆ、夢の中だからって…何をしてもいいわけじゃ…」

 

「…たとえ、ここが夢の中だとしても、責任は取ってほしい」

 

「なんの責任…?」

 

「妾にあんなことやこんなことまでしたこと」

 

「覚えがないんだけど!?」

 

「ふふ…ちゃんと優しくしてくれたから、そう不安がらずともよい…ときにはおねだりをしないと、いけなかったがの…ん」

 

キサキは額に、乞うようなキスを何度も重ねた。

 

「ああああ!!!頭がおかしくなる!!」

 

「…はぁ…もうよい。要するに、そういう気分ではないのじゃろ?考えてみれば気絶したように眠っておったからのう…少しばかり様子が変でもおかしくない」

 

「…………痛覚と記憶がおかしくなってるだけでこれが現実の可能性もある…?」

 

「なんのことだかわからぬが寝たらわかる。妾が寝かしつけてやるから、大人しく横になってくれ」

 

「…」

 

 

 

「髪をほどいてくれぬか?」

 

「私が?」

 

「いつもしてくれていたじゃろう…今日はしてくれぬのか?」

 

寂しげなキサキの声に抗いきれず、先生はため息をついて櫛を手に取った。ベッドの縁に腰かけたキサキは満面の笑みを浮かべ、先生に背を向ける。

 

「ふふ…そうじゃ。ほどいたら丁寧に髪を梳いてくれ」

 

「門主様の仰せのままに」

 

「そんな風に命じた覚えはないぞ。誰にでも任せることでもない」

 

「キサキはしっかり者だからね」

 

「妾はな、先生にこうして髪を梳いてもらうのが好きなのじゃ」

 

「そうなの?」

 

「いつもは事が済んだ後にお願いしておるが…」

 

「ぶほっ、げほっ!」

 

先生が思わず咳き込むと、キサキは楽しげに小さく笑った。

 

「ふふ…乱れた髪を丁寧に梳いてもらうと、大事にされているようで心地が良いのじゃ」

 

「…」

 

「まあ、その乱れの原因は先生なのじゃがな…整えてもらうのもまた一興じゃ」

 

「はい、綺麗になった。じゃあ、私はソファで寝るから。おやすみ!」

 

「先生」

 

呼び止められて立ち止まる。

 

「…」

 

「今日の先生はよく分からぬが、もしここが夢の中ならば、先生が目覚めたら妾は消えてしまうのかの?」

 

「…」

 

「そう思うと、一人で最後を過ごすのは寂しいのう」

 

「一緒に寝ると思ってる?」

 

「先生は生徒に甘いからの…ふふ。だが無理強いはせぬ。其方を困らせたくはない」

 

「…」

 

「添い寝するだけじゃ」

 

先生は複雑な感情が絡み合った末にため息を漏らし、諦めたようにベッドへ戻って布団をめくった。

 

「こんなことにならないように普段は気を付けているんだけどね」

 

「いつも苦労をかけるのう」

 

キサキは悪戯っ子のように笑った。嬉しそうに手を伸ばして、そこには確かに先生がいた。

 

「ふふ」

 

 

 

「…ずいぶん楽しそうだね」

 

「ん?」

 

枕を並べて横たわるキサキが、優しい手つきで先生の頭を撫でている。

 

「どうせなら膝枕でもしてやりたかったのじゃがのう」

 

「それはさすがに申し訳ないから」

 

「今日の先生はずいぶんつれないの」

 

「…普段の私はどうしているのか、あえて聞かないでおくよ」

 

「夢の中というのなら、いつもみたいにもっと好きに振る舞えばよいのに」

 

「冗談だよね?」

 

「ふふ…さて、どうじゃろうな?」

 

キサキは悪戯っぽく微笑んでから身をよじり、先生の首筋に顔を寄せた。軽く音を立てて、跡を残すように唇を押し当てる。

 

「…夢だったかはこれで判断するがよい」

 

「…」

 

唇を離した後も、キサキは甘えるように先生の肩に寄り添った。顎を上げ、生白い首筋を惜しげもなくさらしてみせる。

 

「妾にも頼む」

 

「それはできないよね…」

 

「では、妾は起きてからどうやって判断すればよいのじゃ?」

 

「夢じゃなかったらまずいことになるよね…」

 

「先生はやはり意地悪じゃの」

 

「夢でありますように…夢でありますように…」

 

「…」

 

キサキは耳元に顔を寄せ、ささやくように息を吹きかけた。

 

「意地悪」

 

「…大人として当然のことを言ってるだけで」

 

「煩い」

 

熱を帯びた吐息が耳をくすぐり、肩にかけられた手に力がこもる。くらくらするような甘い香りが漂ってくる。

 

「…先生」

 

ささやき声でキサキはせがむが、先生の反応は素っ気なかった。

 

「…もう寝ていい?」

 

沈黙が部屋を支配する。しばらくしてから、キサキが小さく笑った。

 

「…困らせてしまったのう。そんなつもりは、なかったのじゃが。妾は、いつもみたいに」

 

「…」

 

「…なに、こういう日もある。それでも側にいてくれるのじゃから、嬉しいぞ」

 

「…」

 

「…おやすみ、先生。また明日」

 

キサキは優しく先生の頬に口づけをすると、そっと身体を離し背中を向けた。再び静けさが訪れる。

 

「…」

 

先生は手元のリモコンで灯りを落とすと、キサキの肩にかかる布団を掛け直した。そのまま、ぼんやりと彼女の後ろ姿を見つめる。

 

もし、これが夢であれば。

 

現実に影響がないならば、その背中に手を伸ばすことも許されるのかもしれない。

 

これが現実だとしたら?

 

すでに引き返せない状況であるなら、今あるものを手放さないよう努めるべきだろう。

 

どちらでもするべきことは変わらない。

 

それならば、先ほどの態度は間違っていたのか?

 

逆に何かを取りこぼしてはいないだろうか。

 

今更都合のいいことを言っても、キサキはそっけないだろうか。つれなくても、きっと許してくれる。最後にはこちらを抱きしめながら甘いささやき声を耳元で、幸せだと言ってくれるのだろう。

 

キサキはまだ起きているのだろうか。

もしかしたらまだ期待して待っているのかもしれない。

 

空調の音だけが静かに響く。

 

キサキが小さく身じろぎした。その背中に、先生はためらいながらもゆっくりと手を伸ばし、彼女の髪をそっと撫でる。

 

「おやすみ、キサキ」

 

…どちらにしても、前後不覚の状態で判断することではないだろう。

先生が生徒に手を出すべきではない。

先生は静かに枕に頭を乗せ、背を向けて目を閉じた。

そのまま眠りに落ちようとしたとき、背中を掴む感触があった。

 

「…」

 

寝入ったふりを決め込もうとしたが、背中を掴む手は力強い。反応しないでいれば、なおさら執拗に引き寄せようとする。

 

「意地悪」

 

小さな声とともに、何度もぐいぐいと背中を引っ張られる。

 

「先生」

 

無視を貫き通した先生が動かないのを確かめると、キサキはふっとため息をついて、手を離した。ベッドが軋む音がして、次の瞬間、背中に温もりが押し寄せる。柔らかな抱擁——決して離したくないと、そう伝わってくるようだった。

 

「おやすみ」

 

「…」

 

その腕の力を感じながら、先生はようやく静かに眠りへと沈んでいった。

 

 

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