「ただいま帰りました~」
夕方になる一歩手前の時間帯、今日も一日の仕事を終えて私は家に帰ってきた。
私の家は県の政庁から比較的近いところにある。
両親がエン州に行っちゃったのですが、一人で住んでいるというわけでもありません。
「あ、お帰りなさいです。」
私の声に反応して二人の女の子がやってきました。
一人は藍色のショートヘアに紅玉色の瞳、もう一人は紅色のやはりショートヘアに藍色の瞳・・・二人とも140センチくらいの背丈でした。
所謂ロリな双子です。
この子の名は向寵と向朗。
あ、紅色の髪の娘が姉の向朗(春風)で、もう一人が妹の向寵(秋風)ですね。
ちょっと色々理由があってうちで預かっている子で、今は町の私塾に通っています。
本来そこは全寮制らしいのですが、近所と言うこともあって私の家に住んでいます。
「ただいま。」
私がそういうと、二人はニコッと微笑を返してくれる。
小さな女の子による天使のような笑顔・・・ああ、これは至福というものですね!
さて、癒された後は仕事です。
夕食は基本的に私が作っています。
この時代、当然と言うべきかガスや水道なんて便利なものはありません。
火は火打石や薪を使いますし、水は井戸を使います。
この時代に来た当初の私は現代の便利さを思い出して思わず泣いてしまったほどです。
後漢時代では現代の常識にとらわれてはならないのですね!
今日は何にしましょうか・・・食材を眺めながら私は考えます。
面倒ですね・・・折角ですし、麻婆豆腐でもしましょう。
後は・・・最近私がチャレンジして作ってみた豆腐を使います。
本来ならばにがりがないとできないのですが・・・今回私は石膏をほんのちょっぴり入れてみました!
石膏は本当なら入れたら腹痛を起こしたりするのですが極少量ならば問題はありません。
石膏入りの豆腐というのは現代でもある程度で回っていたと思いますし・・・たしか、聞いた話だったと思いますが。
しかし、食べられるようにするまで色々苦労しました。だって分量がよくわからないのですから。
あるときは快く(危ないものはいっているなんていえないじゃないですか)なってくれた実験台(李厳および両親)が腹痛を起こして数日間寝込んだりしたことがあります。え?私はどうしたって?食べてないからぴんぴんしていました。
そんな危ないものを私が食べるわけないじゃないですか~
おかげで3人は豆腐恐怖症になりかけたようです。おかげで、最初に私が食べて見せたもの以外で勧めた物はそう簡単に手は付けなくなりました。
・・・発明には、料理には、犠牲はつきものなのです。
というわけで麻婆豆腐を作るわけですが、実は以外かもしれませんが中華料理は皆さんが今画面の向こうで食べているようなレバニラ炒めや餃子なんていういわゆる油物はほとんどなかったりします。この時代ではむしろ、煮込み物などが多かったりします。まだ健康にはよさそうですね。
羊羹・・・と言うものがありますが、あれはその名のとおり羹・・・つまり羊肉のスープですね。羊の肉を煮た後、そのスープが凝固することによって固まりになったものが羊羹の起源だったりします。・・・まぁ、大体こんな感じのものが主体となっていますね!
また、辛い辛いと評判でかつ手抜き夕食のお供たるこの麻婆豆腐というものでありますが、実はあれができたのはかなり後。実は、麻婆豆腐で必要な辛味成分たる唐辛子は16世紀にヨーロッパ人がアメリカ大陸に進出するまで知られてはいませんでした。麻婆豆腐に代表される辛い辛い四川料理はその前の時代からあったらしいのですが、辛味成分として使われていたのは山椒などのような香辛料でした。
ですので、この時代の中華料理は現代で私たちが想像するものとは少し違っていた・・・筈なのですが・・・なんか変なのです。だって、この世界・・・妙なことなのですが、すでに唐辛子や芋があるのです。
・・・あれ?なんかおかしいですね?
私は確かに中国史はズブのド素人でしたがこれ位は知っていますよ?
・・・あれ?
・・・まぁ、深く考えないようにしましょう。そもそも私のような女が本来ならば男性優位社会のはずの中国で地方とは言え公務員をやっているのですからね。うん、何かの間違いでしょう。
というわけで、麻婆豆腐を作るといたしましょう。というわけで最初にやるのは挽肉を炒めることです・・・といいたいのですが、残念ながら私のお給料では十分な肉が準備できませんので大豆を使います。大豆は油で揚げたりすれば結構いけます。なので私はよくおやつに作っています。麻婆豆腐でも使います。確か中華一番で使っていたと思いますし。・・・おお、焦げ目がついてきましたね。ちょっと火が強すぎますがネバーマイン。
ここで取り出しますは豆板醤。言うなれば豆を使った調味料です。蒸した空豆を磨り潰して唐辛子、塩、麹を加えます。麹は実はこの時代にすでにありました。塩麹ですけれど十分に使えます。これをまぜこぜにしたらはいできあがりです。後は亀や壺などに放り込んで保存すればおkです。こいつと後、お肉がありませんので水につけてふやかした後潰した大豆に放り込みます。中華一番でもやって他ので多分大丈夫です。そしてよくかき混ぜたら今度は主役たる豆腐の出番です。・・・参りましたね、豆と豆が重なるどころか三重になってしまいました。これでは豆だらけじゃないですか。まぁ、いいでしょう。豆は畑のお肉です。ヘルシーなのです。健康にもいいのです。だからどんどん食べるべきなのです。別に私が貧乏だからというわけではありませんよ?(ブワッ)
後はネギを放り込めば完成です!これと蒸したご飯、そしてぬか漬けの白菜の漬け物で今日の夕ご飯は完成です!
「というわけで春風に秋風~、ごはんできましたよ~」
「は~い!」
名前を呼ぶと二人が賭けてきます。
トテトテやってくるのが愛らしいですね。
食卓・・・ちゃぶ台ですが・・・に食事を並べながら私は二人に今日はどんなことをしたのか聞いてみます。
「今日は、何を教えてもらったのかな?」
「はい、秋風は司馬法の厳法を教えてもらいました!」
「春風は?」
「春風はそれはもう暗記できるので大丈夫なのです!次からは春秋左氏伝の経術です!」
「そ、そうなんだ・・・」
・・・司馬法っていうのは兵法書の一つですね。ちなみに私はほとんど勉強していません。
せいぜい孫子と呉子位でしょうかね?まぁ、それもほとんど忘れちまいましたが。
春秋というものは孔子とかいうジジイが作ったと言われる歴史書ですね。あー、何て書いてあったのかさっぱり覚えてませんが。ちなみにこれらは本来、群国学・・・現在の高等学校~短大みたいな感じのところで勉強する内容だったりします。
ちょっと早すぎじゃね?と思うかもしれないですが・・にそれ以上の勉強をマスターした女の子は結構いるらしいです。実は何年か前に10そこそこの年齢で孝廉といういわゆる豪族の推薦に曹家のおぜう様が上げられたとも聞きます。いくら縁故でも勉強できなければ逆にその一族に泥塗っちゃいますし、割とそう言う教育とかはそういう上流階級の子達は厳しくしつけられているのだそうです。天才とか秀才とか言うのは、そういう教育を受けてこそと言うのかもしれませんね。でも、それを純真な眼差しと笑顔を浮かべながら言う・・・眩しい!
そして、そんな姿を見るたびに思う『もっとまじめに勉強してりゃよかった・・・』という気持ち!
ああ、どんどん惨めになってきましたね。
・・・うん、もう全てを忘れましょう。
全ては流れるままに・・・これぞ迷境死衰!
そんなわけで私は全てを押し流す大河の洪水のごとくご飯をかき込みます。
・・・慣れたとはいえ、やはりジャポニカ米には見劣りしますね。もっともっちりして欲しい物です。まだ麦飯の方がましかもしれません。白菜はコリコリしていますし、塩味も聞いています・・・よく漬かってますね。さて、メインディッシュたる麻婆豆腐は・・・うん、大豆が肉っぽいですね。うん、これはなかなかいけますね。一手間かけた甲斐があるという物です。ただ、豆腐がかなりぼそぼそしてますね。やっぱりにがりを使った方が良いですね・・・お金が貯まったら海の近くに引っ越しましょうかね?こっちじゃ前世で食べ慣れてた魚とかもあんまり食べられませんしね。
おお、そうこうしているうちにお皿も茶碗も空っぽです。
二人ともおなかいっぱいらしく、幸せそうな顔ですね-。
「二人とも、美味しかったですか?」
「はい、美味しかったのです」
「春風はもっと食べたいのです」
「今日はもうありませんからまた今度ですねー」
うーん、幸せです。自分の料理をおいしく食べてくれることと、おなかがいっぱいになると言うことこそ至福・・・圧倒的至福!
といった感じに、私の一日は流れていくのです。
どうも皆様こんにちは。
豆腐はこの時代には存在しませんでした。最も古い記録ですと紀元前2世紀ごろに豆腐っぽい者があったらしいですが、根拠には乏しいそうです。ただ確実にいえることは唐代の頃には作られていたと言うことです。
豆腐にはにがりを入れるほかに石膏を入れるという方法もあります。石膏は有毒なのですが、微量ならば大丈夫だったりします。というか、日本においてもつい最近まで石膏入り豆腐が中心としてありました。割とメジャーだったのです。ただし、大豆本来のうまみや栄養価を失う可能性がありますし、近年はにがり豆腐によって駆逐されてしまったみたいです。
水鏡女学園は南陽群から新野にかけてのあたりにあるという設定にしております。