真実の愛が、魔法を溶かす   作:ニンニク嫌い

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 前後編となります。後編も今日か明日中に投稿します。



アナ雪 承-従者と雪の女王 前編

 

 

 私があなたと出会ったのは寒い冬が明けて、春の木漏れ日がアレンデールを照らす日だった。

 

 

 

 

「あなたは誰?」

「えっと、初めまして。僕は……フローと、いいます」

 

 お城の庭で、こっそりと魔法を使って春の花の隣に雪の結晶を作っていた私に話しかけて来たのが、最初の出会い。

 その時は、お世辞にも良い出会いとは言えなかった。見知らぬ異性の男の子。それが、あの頃の私はまだ怖かったから。

 

「あっ……!」

 

 だから、走って逃げてしまった。アレンデール国王の娘としては、あるまじき行為。でも子供の私には、まだ王族の責任とか振る舞いを常に徹底できるような気構えはなかった。

 

 そして彼を置いて逃げて、それから彼は誰だったんだろうと思い、その答えはその日のうちにお父様から教えられた。

 

「これから、お二人の執事を務めさせていただく、フローと言います。まだ見習いですが、よろしくお願いします」

 

 私とアナに向かってお辞儀をする庭で会った男の子。黒い髪をした、純朴そうな顔立ちの異性。

 目を輝かせるアナと違って、私は最初に会った時に逃げてしまった気恥ずかしさもあって、お母様の足に隠れるように顔を押し付けていた。

 

「あ……先ほど、忘れ物をされていましたよ」

 

 そんな私に向かって、フローは優しい笑みを浮かべながら目前まで来て跪くと、そっとその胸元から綺麗な雪の結晶を取り出した。

 

 それは、私が魔法で作り出した物。庭から逃げた時に、魔法を解除し忘れて彼の前に置きっぱなしにしてしまったのだろう。

 

「綺麗な結晶ですね。春になっても溶けないなんて、とても珍しくて、魔法のようです。だから大切な物だと思いました」

 

 そんな事はないのに。私からすればなんて事ない、何度でもすぐに作れるようなそれを、フローは大切な宝石を扱うように両手で包み込むように差し出して来て。

 

「あ……ありがとう……」

 

 受け取った雪の結晶が、冷たいのに温かく感じた。彼の優しい心に暖められたように、私の魔法の力のせいで人より冷たい手のひらが仄かに熱を灯された気がして。

 

 その初めての経験が、あまりにも恥ずかしくて。顔が、なんだか熱くなって。彼の顔を見ていられなくなって、結局私は短い感謝の言葉だけを告げてお母様の後ろに隠れてしまった。

 

 この胸のドキドキを、隠そうと、した。

 

 

 

 

 

 

 それから私は、ずっと私とアナの新しい執事である彼を避けるように行動していた。

 それは別に、彼のことが嫌いだとか言うわけではなくて。そもそも、ほとんど話もしていない。

 

 だって、彼の顔を見るたびに無性に恥ずかしくなって、心が早鐘を打ってしまうから。感じたことのない胸の熱に、思考が上手くまとまらなくなってしまうから。

 

 そんな私の姿を、アナは私が彼を怖がっているのだと思っていた。男の子であるフローと遊ぶのが恥ずかしいのだと。

 

 それはある意味で当たっていた。

 私はフローと遊ぶのが恥ずかしかった。

 そして怖かった。

 

 だって一緒になって遊ぶと言うことは、私の魔法が彼に見られてしまうかもしれないと言うことで。

 魔法と言う普通の人にはできない力を持つ私を見て、彼が私を恐れてしまうのではないかと思うのが怖かった。

 

 今も大切に持っているあの時の雪の結晶に宿っていた温もりが、私の心に今も残り続けている熱が、消えてしまうのが嫌だった。

 

 だから私は、遠くからアナとフローの姿を見ていた。彼が困った顔をしながらも笑顔で微笑みかけるアナに私の姿を投影して、私がその笑みを向けられていると心を慰めていた。

 

 でもその日々は突然に終わりを迎えた。

 それは、今でも忘れることのない夏が終わりを迎え始めたあの日。

 アナが、私を騙してフローと三人で遊ぶ機会を作った日。

 

 そこで私はアナに促され、彼の前で魔法を使うように強制された。混乱して、彼に秘密を知られたくなくて、必死にそれだけはと拒む私に向けて、アナは何度もフローなら大丈夫だと力説してくれた。

 

 そして、彼も

 

「よくわかりませんが、僕がエルサを嫌うことは絶対にありません。ええ、アレンデールと陛下に誓います!」

 

 そう、強く宣言してくれて。

 その言葉に押されるように、私は恐る恐る、人生で一番の緊張を感じながら、指先から雪を降らせた。

 

 さらさらと、終わりが近いとは言え夏のアレンデールの部屋に、真っ白な雪の結晶たちが花開く。

 

 私は目を瞑っていた。なんなら、呼吸さえ止めていた。それぐらい、彼が今私をどんな目で見ているかが怖くて、恐ろしくて、最悪を想像して涙さえ溢れて来そうで。

 

「ーーーーすごい」

「えっ?」

 

 でも、私の耳に最初に届いた彼の声は心からの感嘆に溢れていて。目を開いた私の視界に、目をキラキラと輝かせる彼の姿が映った。私の手の平で舞う雪の結晶たちを、夢見る子供のように純粋な視線で見ていた。

 

「す、すごいですエルサ! こ、こんな素敵な才能をお持ちだったなんて!」

「ーーーーーーーー」

 

 彼が、私の両手を握って満面の笑みで自分のことのように喜んでいた。私の魔法を、心の底から素敵だと言ってくれた。

 

 その瞬間、私の心にかつてない感情の波が押し寄せた。それは、一瞬にして私の心を彼に釘付けにしてしまう。握られた両手から、これ以上とない幸せの温もりが全身に伝播して行く。

 

 初めて会った時からこの胸に宿っていた火が、燃え上がるようにこの身を熱くした。

 

「ぁ……」

 

 そして私は、その感情の名前を知った。

 

 あの雪の結晶と共に彼からもらった熱の答えを、私は見つけた。

 

 だから私は、この想いを形にするために言葉を口にする。

 私の魔法を褒めてくれた彼に、言葉を贈る。

 私と出会ってくれた彼に、感謝を告げる。

 

「ありがとう……フロー……」

 

 これが『恋』なのだと。

 私は、知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え?」

「だからね、エルサ。私、大きくなったらフローのお嫁さんになるの!」

 

 だから、あれからしばらくしたある日。私たちの寝室で、アナから告げられたその言葉に、私は固まってしまった。

 

「私、フローのこと大好き! 大きくなって、大人になったらパパとママみたいな関係にフローとなりたいの!!」

 

 無邪気に笑うアナの言葉が頭にうまく入ってこない。だって、それは、アナもまたフローに恋しているということで。

 アナが、恋のライバルになってしまうから。

 

「そ、そうなの」

 

 口から溢れた声は、震えてはいなかっただろうか。

 

「ふふ、フローと結婚したらどこに行こう? やっぱり海の向こうの別の国がいいかな!」

 

 溌剌と、フローと結婚した後のことを考えるアナと対照的に、私の喉はもうカラカラだった。

 

 アナが恋敵?

 

 

 そんなの、無理だ。

 

 

 だってアナは私の大切な妹で、私よりも何倍も素敵で、魅力的で、側にいるだけで周りを笑顔にしてくれる理想の女の子。

 アナがいなかったら、私は今もフローと話せていなかったかもしれない。

 

 私がアナに優っているところなんて、魔法が使えることだけ。勝ち目なんてないし、アナと争うのもイヤ。

 

「そう言えば、フローと結婚したらフローは何になるのかしら? 執事のまま、は変な感じじゃない、エルサ?」

「ーーーーあ」

 

 そして、アナが何気なくこぼした疑問がトドメだった。

 今まで気づかなかった……ううん、気づいていながら甘い夢に浸かりたくて無視していた事実。

 

 私は王女で、フローは使用人だと言う、覆せない生まれの違い。

 私の想いが、許されない恋だと突きつける現実。

 

 ああ、そうだ。私は何を勘違いしていたのだろう。

 将来、アレンデールの王位を受け継ぐ私が、使用人であるフローと結ばれるわけがない。そんなの、どうして今まで気づかなかったんだろう。

 

「エルサはどう思う? 私とフロー、パパとママみたいになれるかしら?」

 

 ああ

 

 だから、私は

 

 

 

「ーーーーええ、きっとなれるわ。………応援してる、アナ」

 

 

 

 私は、この熱に蓋をすることを決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なのに

 

 

 

 諦めたはずの想いに、手が届いてしまった。

 

 

 あなたを、私に縛りつけることが許されてしまった。

 

 

 

 だから私は決めたの

 

 

 

 ありのままに、あなたを愛していいんだって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつてルネサンス期に生まれたイタリアの詩人、ダンテは自身の代表作たる神曲で地獄の最下層の事をこう綴った。

 地獄の最下層『コキュートス』。そこは、この世で最も重い罪、裏切りを働いた者を永遠に氷漬けにする氷河の世界だと。

 

 

 その瞬間を、パーティ会場にいた者たちは知覚する事が出来なかった。戦闘経験豊富で、常に緊急時に備えて気を張り詰めさせているアレンデールの兵士たちや各国要人の護衛たちでさえも、反応する事が出来なかった。

 

 唯一、その瞬間に起こった事に反応できたのは、それが起こる可能性を知っていた執事の青年ただ一人。

 

「アナ!!」

「えっ?」

 

 咄嗟に、自身の腕を掴んでいたアナを抱きしめて横に飛ぶ。アナの言葉に蕩され、自身の今まで信じて来たものがとっくに壊れていた事を知り忘我の状態にあった彼の心が、大切な主人の命の危険に考えるよりも先に動いたのだ。

 

 そのコンマ数秒後、つい先ほどまでアナが立っていた空間だけを正確に、地面から飛び出した氷の針山が貫いた。

 

「ぐぅ……っ! 陛下!!」

 

 抱きしめたアナを庇い、地面に強く体を打ちつけた痛みに歯を食いしばりながらも、フローは危うくアナを殺しかけた氷の凶器を生み出したもう一人の大切な主人へと信じられない思いで目をやった。

 

「へい……か……?」

 

「なに、フロー?」

 

 なのに、そこに映るエルサはあまりにもいつも通りだった。艶やかに微笑む口も、愛しい物を見るようにフローを見る瞳も、誰もを虜にする美しい声も、あまりにもいつも通りのーーーーフローと自分しか世界として認識していない顔だった。

 

「ごめんなさい。ちょっと虫がね、フローに付いてたから。取ってあげようと思ったの」

 

 そう語る彼女の周囲からは、まるで荊棘のように全方位に氷の棘が突き出している。そしてそれは、今この瞬間もその量と鋭さを増している。

 キィィィと刃を研ぐような音を、誰もが聞いた。死を、連想させる美しき輝きを誰もが見た。

 

「あっ……まだ付いてるわ、フロー」

「…………!!」

 

 エルサの善意に溢れた言葉。その直後に自身の周囲の気温が急激に低下して、肌が凍てつくような感覚がフローと、そしてその彼に抱き止められたアナを襲った。

 

 全身を貫くような冷たさ、なのにその気温の急降下は止まる事なく続いている。次瞬、フローは城のパーティ会場にありえざる光と結晶の輝きを見た。

 

 氷点下マイナス10℃の世界でしか生まれないダイヤモンドダストが、自身を包んでいる。

 

「ぐっ、おおぉぉ……っ!!」

 

 このままではまずいと、即座に判断したフローがアナを抱えたまま床を転がった。エルサの視界から逃げなくてはいけないと。着ている燕尾服がパリパリと凍った音を掻き鳴らす。

 

 だがそれを逃さないと言うように、エルサの()()()付けたままの手が動く。あまりにも可愛らしい遊びをしてくる愛しい人に、しょうがないわねと、笑って付き合うように。

 

「ば、化け物!!」

「きゃあああっっ!!

 

 だがその動きが、横合いから飛んできた悲鳴に僅かに止まった。それは別に、その言葉に何かショックを受けたからと言うわけではない。ただ近くで響いた雑音に、ビクリと驚いて体が固まってしまっただけだ。

 

 エルサの視界の端で、有象無象が慄いて後退りしていた。ここに来てようやく事態を認識したアレンデールの旧臣や兵士たちが顔を蒼白に染める。事態を最も早く把握して、最悪の可能性を予期した騎士長が剣を抜いて来賓客たちを守るために前に出た。

 

「うるさいわ」

 

 それを、エルサは軽く横に手を振るだけで吹き飛ばした。

 

 パーティ会場に突如としてエルサを中心にして凍った暴風が吹き荒ぶる。風速15メートルはくだらない冷気を纏った突風に、騎士長が吹き飛んで壁に叩きつけられ、彼の近くにいた者たちも宙に舞い上げられて後方へと飛んで行く。

 アレンデールにとって幸運だったのは、飛ばされた者の中に他国からの来賓客はおらず、みなお城の召使いたちであった事か。

 

 最も、これから巻き起こる大災害を思えば誤差もいいところの幸運だが。

 

「逃げてください!! 兵士はお客様の退路確保! この部屋から離れて、第三大広間に退避させろ!!」

 

 そこに、フローの危機迫った声が部屋を突き抜ける。僅かに稼いだ時間でパーティ会場の長机の後ろの一つへと退避した彼が、そこから恐怖で固まる人々へと喝を入れたのだ。

 

「ヒ、ヒィィィィッッ!!」

 

 その言葉を受けて、我先にとパーティ会場にいた人々が部屋の出口へと殺到する。それを、フローの指令を受けた兵士たちがエルサから守るように剣を抜き、円陣を組んだ。

 この突然の異常事態に、それでも即座に対応できたのはさすがはアレンデールが誇る騎士団で、だがそんな彼らを持ってしてもエルサを押し留める事は不可能だと、フローは理解していた。

 

「どこに隠れたの、フロー? 安心して、私の邪魔をしなければ誰も傷つけたりしないから」

 

 暗に、私とフローの邪魔をしたアナは傷つけると口にしながら、エルサがその手を翻した。

 バキバキと音を立てて、エルサの体が宙に登って行く。いや違う、彼女の下に巨大な氷の柱が形成されている。それが彼女を押し上げ、パーティ会場を上から睥睨できる位置にまでエルサを導いた。

 

「見つけた」

 

 そして今まさに、大勢の来賓客たちが避難する扉とは真逆の扉を背を低くして潜って行こうとするフローを捕捉した。

 エルサの手から魔法が飛び出し、フローが出ようとした扉を、その周りの壁ごと凍結させる。

 

「……っ!?」

「どこ行くの、フロー? 私を置いてなんて行かないで」

 

 そして驚いてこちらへと振り向くフローを熱の籠った瞳で見下ろしながら、空中に彼の元へと向かうための氷の階段を生み出すエルサ。

 

 空気中の水分が急速に冷やされ、氷へと豹変するほどの超低音。会場に置かれた机や椅子がギチギチと悲鳴をあげる。逃げ惑う人々の漏らす息が真っ白い水蒸気となって上り、逆に吸い込んだ冷たい空気に口内が凍ってしまいそうになる。

 

 エルサが生み出した氷と雪は、今も止まることなくその凍らせる範囲を広げて部屋を覆い始めている。すでに、部屋の半分が彼女の魔法に白く染まってしまっていた。

 

 会場に設置されていた蝋燭の火が全て吹き消えて、部屋の照明が落ちて暗闇の帳が下りる。

 だがそんな中にあって、魔法の光を体から巻き起こすエルサだけが、美しく、幻想的に輝いていた。

 

「見て、フロー。私から目を離さないで。私だけを、見て」

 

 カツン、カツンとエルサが履いているハイヒールが氷の床を打ち鳴らす。アレンデール女王の装いに身を包み、サファイアを思わせる蒼穹の輝きを内包する氷の階段を一段、一段とゆっくり降りてくる彼女の姿は、まさしく雪の女王。

 

 だがフローには、それがまるで死を告げに来た死神のように見えた。ぎゅっと、腕の中で何が起こったのかをまだ理解できずに震えるアナを抱きしめる。

 

「ふ、フロー……な、なにが起こってるの……? エルサの、あれは何……!?」

「申し訳ありません、アナ。その説明を今している時間は、ありーーーーッ!?」

 

 至近距離で抱き合う形となってしまった二人の周囲を氷の荊棘が埋め尽くした。それはアナを覆い隠すようにしていたフローの体数センチ前で止まる。

 もし僅かでもアナの体がフローから飛び出ていたら、間違いなくそこは串刺しにされていただろうと思うほど全周囲を取り囲むように突き出された氷の棘に、執事たる少年は何度目ともなる寒気を感じた。

 

「駄目じゃない、そんな汚いモノに触っちゃ……フローの温かい手が汚れちゃってるわ。あとで私の体で念入りに洗い流さないといけないわね」

 

 彼女のアナを見る目に、一切の光が宿っていない。彼女の全身から漏れ出す殺意と狂気が、階段を一段下りる毎に増して行くのがわかる。

 このままでは、間違いなくエルサはアナを殺してしまうと、フローは認めたくない事実を確信してしまう。

 

「さあ、ソレを離して?」

「…………っ、断り、ます! エルサ、落ち着いてください! 全ての罪は、私にあります! だからーー」

「うん、そうね。フローも悪いことしちゃったから、あとでたっぷりお仕置きしてあげるわ」

 

 ーーでもその前に

 

「私のフローを惑わしたものは、全部消しておかないと」

「まっ……!」

 

 エルサの手が伸びる。針の筵にされて動けないフローの間を潜り抜け、その下にいるアナに直接触れようと指先が近づいて来る。

 

 その刹那が、フローにはまるでスローモーションのようにゆっくりに感じられた。彼女の手袋越しでもわかる冷気発する指先が、怯えるアナの頬へと触れんとする瞬間が、絶望的なほど長い。

 

(駄目だ。防げない。邪魔できない。このままじゃ、アナが死ぬ。このままじゃ、エルサを人殺しにしてしまう!!)

 

 アナが殺されるのは絶対に阻止しなくてはならない。それはアナのため、エルサのため。もし殺してしまえば、エルサはもう二度と戻って来れなくなるから。

 

 

 

「エルーーーーッ!!」

 

 

 

 心が張り裂けそうなほど強くエルサを呼び止めようと叫んだフローの声は…………ほとんど同時に響いた部屋を震わす破裂音にかき消された。

 

「ーーーー」

 

 エルサは、その響いた音に気づいていない。いや、気づいただろうが無視している。愚かにも自分からフローを寝取ろうとしたアナを殺すことに夢中だから。

 

 だからその音に気づいたのはフローだけだった。その兵士たちの訓練場で時たま聞く火薬が弾ける音の意味を知っているのはフローだけだった。

 

 ガキンッと次いで天井から響いた音に、フローは顔を上に向けた。今自分たちがいる空間、その丁度天頂でぶら下がっていたシャンデリア。その支えとなる天井の鎖が、破壊されていた。

 

「……! エルサ、避けてください!!」

「……え?」

 

 重力に引かれて落ちて来る、人間数人を丸ごと押し潰せてしまえそうな巨大な塊。

 それに慌てて警告の声をあげたフローの声に、釣られるようにエルサが上空を見上げた時には、すでにシャンデリアは頭上10メートルまで迫っていた。

 

「ーーーー!!!」

 

 エルサがほとんど反射的に魔法をシャンデリアに向けて放った。抑えも指向性もない、咄嗟の最大火力を込めた一撃。

 それはエルサたち三人の数メートル上で着弾、全員を衝撃で吹き飛ばす爆発を引き起こした。

 

「きゃああ……っ!!」

「ぐ、ぁぁああ!!」

「ああああッッ!!」

 

 フローとアナを縛り付けていた氷の荊棘が砕け散り、さらには後方の凍らされた扉が粉々になったシャンデリアの一際大きな破片とぶつかり壁ごと吹き飛ばす。

 そしてその空いた壁穴へと、フローとアナは吹き飛ばされた。

 

 そして吹き飛ぶ視界の中、フローは見た。

 

 逃げ惑う来賓客たちの最後尾。

 

 そこでただ一人背を向けずに、狩猟用の猟銃を構えた男の姿を。

 

 こちらを、あわよくば三人まとめてシャンデリアの下敷きにしようとしたハンス王子の憎々しげな顔を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くぅ……お怪我は……ありませんか、アナ……!」

「あうっ……だ、大丈夫よ……それより、フローの方が!」

 

 凡そ数メートルの距離を吹き飛ばされたフローが、全身を苛む鈍い痛みを堪えながらアナを抱き起こす。見るも無惨な状態と化した燕尾服を纏うフローとは対象的に、アナの見に纏っている緑のドレスは多少煤けたり破けてはいるがそれでもかなりマシな状態だ。

 

 それが自身を庇ってのものだと気づいたアナが、涙目で彼を気遣う。こんなになっても自分を優先してくれる彼に、アナの中で深い感謝と、そして同時に彼をこんなにした原因であるエルサへの恐怖を塗り潰すほどの憎悪が呼び起こされる。

 

「エルサ……!!」

「落ち着いてください、アナ! 私は大丈夫ですから。それより今はアナの方が危険なんです。エルサが正気を取り戻すまで、一旦身を隠して……!」

 

 ガタリとフローたちがいる廊下の通路から数メートル離れたところから音が鳴った。一瞬強張る二人の体。だがすぐに音がしたのが、エルサが吹き飛ばされた方向とは真逆である事に気づいたフローが逃げ遅れた人の可能性に声をあげた。

 

「大丈夫ですか! ここは危険です!」

「ひ、ひぃぃ……! こんな老人の命を取ったところでいい事など、ありませんぞ!?」

 

 廊下の角、置かれた騎士鎧の後ろから線の細い老人が飛び出して来る。格式ばった服を着て、コミカルなほど両手を左右に振って命乞いをする老人の名を、招待客リストの中でも上位の貿易相手国の大使として覚えていたフローは即座に気づいた。

 

「ウェーゼルトン公爵!? 落ち着いてください! 私たちは何もしません!」

「んんっ……! お、お前はあの魔女の執事だった男!? やい、これはどういうこ……っ!?」

 

 相手がフローである事に気づいた瞬間、先ほどまでの怯えていた声を一転、憤慨したように変えた老人だが、そんな彼らの近くを極寒の冷気が駆け抜けたのを感じて固まってしまう。

 同時に、煙に包まれた部屋の床が段々と凍りついて行くのを、見てしまう。

 

「まずい、エルサが……もう! ウェーゼルトン公爵、事情は後でご説明いたします。ですから今は、どうかアナを連れてこのまま庭へとお逃げください!」

「なっ……! 何を言ってるの、フロー! 私もフローと一緒に!」

「いいえ! エルサの狙いはアナです。ですが、私が囮になれば彼女は間違いなく私を追ってきます。そして、彼女に私を殺す気がない現状、それが一番被害が少なくて済むのです」

 

 有無を言わさぬと、縋るアナをフローは強く押し除ける。その瞳に宿る悲壮さと覚悟が混ざった決意の光を見て、アナは一瞬だけ見惚れてしまう。こんな時なのに、愛しい人の真剣な表情に魅入ってしまった。

 

「ウェーゼルトン公爵、そちらの暖炉の裏に隠し通路がございます。そこを通れば、城の庭にまで出る事が可能です。どうか、よろしくお願いします」

「う、うむむむ! ま、まあ君があの魔女を引きつけてくれると言うのなら……」

 

 魔女。先ほどから老人が言うエルサを刺しての言葉に、フローは胸が痛くなるのを感じる。しかし状況が状況故に否定する言葉を持たない彼を置いて、ウェーゼルトン公爵はアナの手を引くと言われた通り隠し通路へと走って行く。

 それに一瞬嫌そうな顔をしたアナだが、それでもフローの必死なお願いに、何より今の自分では彼の役に立てないという思いが、なすがまま連れて行かれるのを許してしまう。

 

「さよならです、アナ」

 

 そして、二人が一方通行で一度入れば内からは戻れない隠し通路へと消えて行くのを見届けて、フローは最後に告げる。おそらく、最後となるかもしれない、幼馴染の少女の背へと。

 

 その言葉を、()()が耳にしてしまっていると知らずに。

 

「すぅ…………エルサ! 私はこちらです!」

 

 そしてフローは未だ瓦礫の煙が充満するパーティ部屋へと叫んだ。すると、今まではゆっくりと地面を凍らせるだけだった冷気が、ぴたりと進行を止める。

 次瞬、突風がパーティ会場とフローがいる廊下を包んだ。

 

「くっ……! こちらです、エルサ!!」

 

 吹き飛ぶ煙の先に、自身の大切な主人の姿を見つけて、フローは声を張り上げながらも背を向けて走り出す。

 それはなるべくアナたちが逃げる時間を稼ぐため。大勢の来賓者が逃げるだろう大部屋や庭から、今のエルサを引き離すため。

 

 フローは階段を目指して走った。

 上へ、アレンデール城最上階に向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

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