転生したら魔導王の子だった 作:又三郎
10歳の誕生日を終え、アルスも入学してはや数ヶ月。
長く厳しい冬のさなか、俺はママからおつかいを任されていた。
保存食の買い足しである。
アルスもいっしょだ。ぶすくれている。
発端は昨夜の事件である。
平和なグレイラット家に、男の子の悲鳴が響き渡った。
「ペトラ姉が俺のちんこ踏んだ!」
「ごめんて! わざとじゃなかったの!」
怒り狂った弟が姉を襲う。
下克上の危機である。このような悲劇が勃発したのには、訳があった。
寝転んで教科書を読み込んでいる弟の上を、俺はちょいと失礼とまたいで渡ろうとしていた。
乗り越えるその瞬間、「ペトラねえね、見てー」とお気に入りのパニエを履いてクルクル回るクリスに気をとられた。
不意の妹の愛らしさによって歩幅は狂う。
狂った照準の先、踏み抜いたのは、ピンポイントでアルスの股間だったのだ。
赤ママ仕込みの鋭い拳と足。
謝りながら躱す俺。
涙目のアルスがギッと睨む。
「よけるな!」
わかる。その苦しみはよくわかるぞ、弟よ。
しかし、受けた痛みを痛みで返すのはよろしくない。ここは流星街ではないし、俺とお前は両親に愛されぬくぬく育てられている子供だ。
意義のない復讐は憎しみと虚しさしか生まないんだ。
半泣きのアルスから飛んでくるパンチやキックをかわしていると、騒ぎを聞きつけたアイシャが仲裁しにきた。
「大変! 見せてアルス君!」
「……」
「恥ずかしがらなくていいんだよ、大事なところなんだから」
「い、いいよ! もう痛くねえから!」
アイシャ姉のおかげでその時はうやむやになったが、アルスはまだ俺を恨んでいるようだ。
二人で行ってきなさいとおつかいを命じられたのも、いいかげん仲直りしなさいというシルフィママからのお達しだろう。
ここは俺のお姉ちゃん力を見せる時だ。
道中にたくさん話しかけ、おだて、姉権限で買い食いをして寄り道もすると、アルスの機嫌も徐々に上向きになってきた。
普通に口をきいてくれる程度には仲も修復された。
「ペトラ姉、あれなに?」
そうして買い出しを済ませた帰路で、アルスが声を上げた。
さした指の先には人だかりがある。
「あー……あれは」
「俺、見てくる!」
俺の返事を待たず、荷物を抱えたままアルスは人混みに突進した。
小さな体躯を活かしてスイスイと人の腋の下だの足の間だのを潜り、あっというまに中心に消えてしまいそうになるのを、俺は追った。
俺たちは多少なりとも鍛えられている。周りを見て動けるのだ。
大人だろうと素人の集団の中で、骨が折れるほど踏み潰されるようなへまはしない。
待っていればいずれアルスも無事に戻ってくるだろう。
「待て! アルス!」
しかし俺は全貌を見る前に、人集りの正体に確信を持っていた。
この世界、この時代では当たり前であろう光景。
しかしパパなら、アルス――我が子達――の目を塞ぎたくなるような光景がこの先にあるはずなのだ。
「ぷはっ」
野次馬の最前列に出た俺は、アルスを探した。
中心の絞首台を囲んで、人は蝟集していた。
緊張感はなく、ガヤガヤと騒がしい。
絞首台は無人である。これから囚人が移送されてくるところなのだ。
異世界から転生してきたルーデウスが中心となっているおかげか、グレイラット家の倫理観は妙に現代的だ。
同じ転生者である俺が、気楽にのほほんと過ごせるくらいには現代ナイズされている。
パパの影響力は家庭に留まらず、シャリーアの治安はきわめて良い。
よそから悪いやつが入ってきても、ルード傭兵団にとっちめられる仕組みだ。
しかしパパが尽力してもどうにもならない事もある。
例えば奴隷売買は世界中に蔓延る一大ビジネスだし、彼ひとりで撲滅できるものではない。
そもそも奴隷制度は、消極的ではあるがルーデウスは賛成派である。
奴隷が人道的な扱いを受けている場合に限るが。
公衆の面前で行われる処刑も、この世界、この時代ではごく当たり前である。
囚人、そして囚人遺族への配慮はない。
刑場での絞首刑見物は、シャリーア市民にとって代闘士による決闘や熊いじめに並ぶ娯楽だ。
巡らせた視線の先にアルスはいた。
よりにもよって絞首台を挟んだ向かい側。
何が起こるのか、何が行われるのか、知らないながらに周囲の熱狂を伝染されて期待する顔だ。
行こうとする俺に、荷馬車の軋む音がざわめきを伴って耳に届く。
「ちっ」
遅かったか!
罪人を乗せた荷馬車の通り道を開けて、その両側に野次馬の群れは向かい合う。
俺はアルスを見失わないように最前列をキープする。
大人気なく俺を奥に引っ張りこもうとする腕を肩を揺らして振りはらい、時にはちょこまかと移動しながら弟に近づいていった。
「ペトラ姉?」
「アルス! もう行こう!」
「なんで? 嫌だよ!」
やっと合流できたアルスを連れて離れようとしたが、アルスは踏ん張って拒む。
死刑囚を運ぶ、幌のない馬車が現れた。
酔っ払った野次馬たちが騒ぎながら馬車と共に行進してくる。
野次馬は処刑台の周りに集っていた見物と合流し、人は増え、俺とアルスは外側へ外側へと流されていった。
物売りが見物に飲み物や食べ物を売ってまわる。持参したものさえいるようだ。
「俺もなにか買って」
「ダメでーす」
荷物はとっくに潰され、手を離れてどこかに押し流されてしまった。
もがくアルスを胸の下に抱き込む。これから収集のつかない喧騒がおこるのだ。
ツリーの下に荷車が入る。
刑吏が一人一人立たせ、輪に首を入れさせる。
俺の背丈で見えたのはそこまでだった。
足場が取り払われたのだろう。次の瞬間、死刑囚めがけて、人が殺到した。
子供だろうと容赦はなしだ。というか、相手が誰であるかも正しく認識はしていないだろう。
殺到するやつらは、とにかく障害物を殴り蹴り、死刑囚の体を掴もうとしているのだ。
エリスママたちから訓練を受けている俺たちも、こうもギチギチでは器用に立ち回ることなどできない。
「おらぁっ!!」
俺はアルスを庇いつつ、死人が出ない程度の風魔術で人を吹き飛ばす。
大玉転がしの玉のように死刑囚の遺体が人の手から手に渡り、勃発する争奪戦を視界の端にとらえながら、なんとか刑場をあとにした。
「はぁ……はぁ……ゲホッゴホッ……」
「ペトラ姉、荷物は?」
「全部どっか行っちゃったよ!」
路上できょとんとしているアルスに、腕を振り回して答える。
ちくしょう、俺の気も知らずに「ママに怒られる!」みたいな顔しやがって。
あー、ったくもう。
酷い目に遭わされた。
手加減なしの殴り合い、奪い合い。
目当ては囚人の遺体だ。
野次馬の中には、魔法大学の制服を着た者も、ルード傭兵団で見た顔も、町で見知った顔もちらほら見た。
良き隣人たちが、人の死を娯楽として消費しようとしている。
ルーデウスも、物語として知られていない所で、こういうギャップに顔を顰めたこともあったのだろうか。
親しい人たちを、あの中に見つけなかったのが救いだ。
パパが刑場には近づくなと言っていた理由がいやでもわかった。
現代とは仕組みも感覚もまるで異なるのだ。
ルーデウスは前世の記憶によって、人命は平等であると啓蒙された時代を知っているだけで、革命家ではない。
ゆえにある程度の治安の整備はできても、人の思想を変えることはできない。
自分や家族に下す最適解は「近寄るな、見るな」なのである。家族の誰も、ピンときていない顔をしていたけど。
「あのさ、あれって皆、何してたんだ?」
処刑に決まってるだろ。
と、いう言葉をオブラートに包み、子供にもわかるように説明する。
あそこにいる人たちは悪い人だからね、死刑にされてしまうんだよ。
アルスは「ちがくて」と拙く訴えた。
「なんでみんなで囲んで、あんなふうになるの? 悪いやつの死体なんか、なんで欲しがるの?」
「死刑囚の家族と、外科医組合が死体を取りあってるんだよ。囚人の足元にしがみついていた人を見た? あの人たちは囚人の家族で、絞首の苦しみを長引かせずに天国に送ってやろうとしてる。遺体を確保して埋葬してやるためでもあるよ」
死刑囚は凶悪狡知な犯罪者ばかりではない。
そう伝えるのはアルスにはまだ早いだろうか。
身分差が存在するこの世界では、やむにやまれぬ事情で盗みを働き、盗みに入った家がたまたま貴族の家だった、そんな経緯でも人は死刑になりえるのだ。
「足元の家族を引き剥がして、遺体を奪おうとしているのは、外科医
「医者が? なんで?」
知りたがりの弟に、俺は自分の中にある知識を惜しげもなく与える。
「外科医は解剖のための屍体を手に入れる権利を持っているけど、法律で認められているのは一年に六人まで。だから、足りない分は、ああやって遺族から奪って手に入れようとするの。
他の人たちは、まあ、ただの野次馬かな。処刑の見物と、死体を奪い合う乱闘騒ぎ、これが今の時代に娯楽になるのは仕方のないことだけど……」
「……」
アルスの野郎。途中から聞いてないな。
弟に講釈を垂れていた俺は、アルスの気持ちが宇宙に行っているとみて話を切り上げた。
「なに、アルス。なんか言いたいことでもあんの?」
「ペトラ姉はさ、どうしてそんなこと知ってんの?」
防寒具で着膨れたアルスは、冷気で赤くなった頬を首元のファーに埋めた。
変なものを見る目だ。
「どのママもそんなこと教えてくれなかった」
「私だって、ママから聞いたわけじゃないよ」
「じゃあ、誰から? もしかして……パパ?」
アルスの顔がむっつりと不機嫌になっていく。
泣きそうでもあった。
ふむ。
アルスの内心はこんな所だろう。
ルーデウスパパはペトラ姉にばかり知識を授けている。対して俺は何もされず放置だ。
それもこれも、パパが俺に期待していないから、関心を持っていないから。
パパはペトラ姉だけが大事なんだ!
いや、冷静に考察してる場合じゃなかった。
あかん。まずい。
妬かれている。
物語として知っていた父と子のすれ違いが、俺によって加速していく!
俺は慌てて否定した。
「パパじゃないよ! 誰かから聞いたのでもないって!」
「じゃ、なんでそんなこと知ってるの」
「なんで……? 見たらわかる、から?」
頬をポリポリ掻きながら答える。
じーっと見つめられるので、俺の目も金魚のように泳いでしまう。
そういえば、何でこんな事を俺は知っているんだろう。
前世だって、中世の処刑について詳しいわけじゃなかった。
みんなギロチンにかけられると思っていた程だ。
実際は、中世やそれに近い文明ではまだギロチンは生まれていないし、長く苦しまずに済む斬首刑は貴族階層のみに許された特権だ。
民衆に下されるのは絞首刑である。
こういう知識を、俺は何から得たのか。
遺族と外科医組合の屍体の取り合いが行われることを、なぜ知った。
そんなの、見たらわかる。
群がる人々の、その中心にいる者たちの身なりや表情から、前知識がなくてもなんとなく察せるだろう。
ていうか、アルスはこんな事もわかんないの?
心に生まれかけた疑問と呆れを、俺は否定する。
アルスが普通だ。
で、俺がちょっと変なのだ。少なくとも今だけは。
さしあたって、俺はアルスにとって明快な答えを用意しなければならない。
「じ、実はアレクさんに教えてもらったんだよ。前に処刑を一緒に見物したことがあってだね」
どういうシチュエーションだよ。
現実にやったら教育の方向性を巡ってルーデウスとアレクが揉めちゃうよ。
まあ、嘘なんだけどさ。
プルセナとリニアに教えられたことにしてもよかったが、彼女らはルーデウスの手下だ。万が一嘘が伝わった時、問答無用でボコされてしまう。
「そうなの?」
「うんうん、ペトラ姉ちゃん嘘つかない」
きゅぴっとぶりっ子ポーズ。
美少女の渾身の一撃はアルスには効かず、何コイツという顔をされた。
アルスは何でもできて可愛くておっぱいの大きいアイシャに溺愛されている。つまり目が肥えていやがるのだ。
かくして俺はアレクに濡れ衣をきせた。
すまん。家庭平和には代えられなかったよ……。