天使の聖母トラピスチヌ修道院は、明治31年に創立されたトラピスト会系の女子修道院だ。
通称天使園とも呼ばれ、霊視ニキも言ったとおり日本初の観想修道会として著名であり、院で作られたマドレーヌやクッキーは函館土産としても人気を博している。かっこWikipedia調べかっことじ。
函館を代表する観光地の一つとしてもそれなりに有名で、前世では観光客や修学旅行生の見学なども受け入れていた……んだけど。
「こっちの世界だと露骨に怪しいっつーか、如何にもって感じはすんね」
「当然俺達もマークはしていた。……が、少なくとも表向きはメシアの看板は掲げてねぇ。公的にも問題は無い
「どうせお上や根願寺の大本営発表っしょ? まぁ真に受ける馬鹿はいねぇじゃんね」
この世界の日本は戦後のメシア教の蚕食によってとかくキリスト教系組織に対し腰が重い。
伝来の霊的国防組織は政治的暗闘の末に解体され、国内の有力な霊能者は根切りの憂き目に遭い、霊的国防の多くを仇敵であるメシア教に握られたその煽りを受けたのは言うまでもなく
そんなあたしらが言わばメシア教の紐付きともいえる政府と、その狗である根願寺の見解を鵜呑みにするかと言えばそんなはずもなく。
おそらく今回の汚職の件が明るみになる以前からも、潜在的脅威として認識はしていたんだろうね。
「問題はこれまでは露骨に怪しいと踏んでいても、
「だな。特にお前は骨身に染みてるだろうが、旧来の霊能組織は外部どころか領内の対処で精一杯だった。……いや、それすらまだマシだな。実際は為す術も無く壊滅し、
へいへいよーく思い知ってますとも。なんせ地元で水際防衛を担ってたのが他ならぬこの命子さんやからね。
幸い天使との交戦は、長老曰くメシア教日本支部とやらが上手く過激派を外地に差し向けたことで回避できていたけども、連中の爪痕はよくよく目にしていたじゃんね。
……達磨にされた姉様方の世話も、年少組の役目だったしね。まぁ今は手足取り戻してめっちゃ現代エンジョイしとるけど。揺り戻しのはっちゃけぶりがすごいぜ。
「青森全域に渡る汚職も、そうした弱みにつけこんだ連中の懐柔政策に違いねぇ。腐っても最大宗教、鼻薬を嗅がせて丸め込むなんざお手の物だろうしな」
「神の愛が聞いて呆れますねぇ」
「はっ、
努めて冷静でいようとしても、口を開くごとに青筋が濃くなっていく霊視ニキ。
元より対メシア教タカ派だったのが、
まぁウチは悪しきメシア教の物証の見本市みたいなとこあるしね、さもありなん。
とはいえあんまヒートアップされても困るので、グラスが握り潰される前におかわりを注ぐ。
「おう、悪ィな――ってこれ酒じゃねーか!!」
「あいたー!? いいじゃんこれくらいさー!」
「オメェ酒癖悪ィくせに隠し持ってんじゃねーよ。おら、全部出せ!」
「ダメよ命子、未成年なのにお酒飲んじゃあ」
「ぎえええええええええ!!!!」
ふえええ……拳骨くらった上に没収されたぁ……!
さよならあたしの大吟醸ちゃん……
「ったく、真面目な話だっつーのに……で、どこまで話したっけか」
「トラピスチヌ修道院とやらにメシア教の息がかかっている可能性がある、と」
「おう、そうだったそうだった。悪ィな、いつも
「いえいえ、助けられているのはこちらですから」
そうだぞー、あたしがシオリっちの面倒見てるんだぞー!!
うわっ、鼻で笑われた。はーキレそう(
「しかしそこまで状況証拠を掴んでいるのなら、強引にでも攻め込んでしまえばいいのでは?」
「ところがそうもいかねぇんだ。公的には問題ないって言っただろ? そこへ俺達がぞろぞろ戦力引き連れて踏み込んじまうと
「根願寺を通して要請……はキリスト教系相手だと無理筋かぁ」
「いずれかの支部のシマならいくらでも揉み消せるがな、生憎今の北海道にガイ連の支部は無ェ。近く立ち上げる動きがある*1のは聞いちゃいるが、それを待ってる余裕も無いだろう」
「霊視ニキが出張ったのも最寄りだから?」
「それもある……が、こうしてお前らに話を持ってきたのは、ショタおじの卦が出たからだ」
ショタオジの卦かぁ……世界屈指の占術士でもあるショタオジの卦が出たなら、それを意識しないわけにはいかない。
当たるも当たらぬも五分五分との謳い文句だけど、こと高位の占術士が占った卦について無視するというのは、古今東西碌なことにならないってのがお決まりやからね。
とはいえ今言った通りショタオジの占術は五分五分だから、必ずしも従うべきものでもないっちゃそうなんだけどね。
しかし視線の先にいるのがシオリっちってことは、彼女に関係があるってこと? まぁあたしを見られても修道院なんぞに因縁なんてありゃしないから困るだけだけどさ。
「前置きが長くなったが、要はお前らにここの調査を頼みたい。そしてショタオジ曰く、これはシオリにとって重大な分岐点となり得る……らしい」
「私の……?」
「詳細はわからん。ショタオジもそれ以上語るつもりはなかったしな」
ふーむ、つまり指名依頼ってことか。
でもシオリっち単独は流石にまだ荷が重いっしょ。なんせ推定メシア教でしょ? SANチェックギミックは御家芸じゃんね。
「ねー霊視ニキ、それってあたしはどうなん?」
「お前にも話を持ってきた時点で同時指名だ。とはいえショタオジの卦には引っ掛かってないみてぇだが」
「となるとあたしが補佐役って感じかな」
「主体はシオリだ。だがシオリが断ったなら、お前を軸に適当な黒札をつけて向かってもらうことになる」
ふーん……嫌らしい言い方じゃんね。
こんなんどっちでもいいっていうけど、普通の感性してたら
あたしはどっちでもいいって言われたら、めんどいなって思ったらふつーにNOって言うけど。
「……わかりました。その話、お受けします」
「いいのか? 正直選択肢なんざあってないような言い回しをした自覚はあるし、実際に現場がメシア教関連だった場合……十中八九
「覚悟は……できたつもりかもしれません。けど、選択を突きつけられたとき、
「直感……勘か。なるほど、そりゃ十分な理由だな」
霊能者の直感ってやつは馬鹿にできないからね。
無能力者の当てずっぽうとは違って、霊感が察知した有形無形の警告だし。
まぁだからといって依存すると手痛いしっぺ返しが来るんで、程々に信じるのが大事なんだけど。
「……ショタオジの意図がどうあれお前の力量が足りなきゃ俺の方で揉み消すつもりだったが……レベル30に43か、どうやら怠けず腕を磨いてたらしいな?」
「はい。先輩方のご指導のおかげです」
「霊力操作も一通りは修めてるか。セツニキと探求ネキに随分揉まれたようだな」
「〝建体飽食技典〟*2バンザーイ! アイドルはウンコしない*3伝説がマジになったぜ!!」
「飯の場でウンコとか言うんじゃねぇ」
「ぎゃひん!」
デコが、デコが~~~~~!!!
「まったく命子ったら……。ともあれ、最低限のお眼鏡には適ったでしょうか?」
「ああ、この短期間で30の壁に到達してるなら十分だ。これなら派遣しても問題は無いだろう。……命子もいるしな」
「普段からもうちょっと真面目なら、もっと素直に尊敬できるのですけどね……」
「まったくだ。とはいえこれがこいつのやり方なんだろう。……改めて言うが、今回は少人数での調査になる。それだけのレベルがあれば大抵のことはなんとかなるだろうが、推定メシア教組織ともなれば何があるかはわからねぇ。十分に気をつけていけ」
「はい、重々承知しています」
「あとはヤバいと思ったら無理せず撤退しろ。上の都合もあるだろうが、黒札の命には代えられん。……選民思想みたいで据わりは悪ィと思うが、
「……なるべくそうならないよう注意はしますが、万が一のときはよろしくお願いしますね」
ひい、ひい……やっと痛みが収まってきた……うえぇタンコブできてる……。拳骨とデコピンでWに痛ぁい!
おのれ霊視ニキ、暴力の化身め……! 覚悟しろ、子供ができた暁には両親よりも早くあたしに懐かせてやるからな!!
「そういうわけだ、お前も十分気をつけな。まぁお前に関しちゃ大して心配はしてねぇが……」
「へいへい、信頼の証と思っておきますよー。……ところでさ霊視ニキ」
「うん?」
「霊視ニキなら別に単独でもいけたんじゃないん? まぁショタオジの占いならしゃーないけどさ」
「あー、それはな……」
喋り通しで乾いた喉を潤しながら……ってそれあたしのお酒!
没収しといて自分だけ飲むのずーるーいー!! 霊視ニキにとっては大抵のお酒は水みたいなもんだろうけどさぁ!!
「お、美味ぇなこりゃ。――いやな、あそこ……男子禁制なんだよ」
……はぁん?
◇
というわけでやってきました函館~! ご存知100万ドルの夜景の街!!
本社から青森支部までトラポートで送ってもらって、そこから青函トンネルを通って遥々来たぜ!
地図で見ると目と鼻の先なのに、実際に移動するとなると結構めんどかった!
「へいへいシオリっち! せっかくだから北海道グルメとかいっとく!?」
「…………」
「うわーテンションひくーい」
「……へっ? あ、あぁ、ごめんなさい」
どうやらシオリっちは考え事をしていたようで、列車に乗ってたときからずーっと難しい顔しとる。
おかげで道中碌にお喋りもできなくて、あたしゃ駅弁を貪るしかできなくて寂しかったもんよ!
……まぁ考え事の内容は察しが付くけどさ。
「まーだショタオジの占術のこと気にしてんの?」
「えぇ……やっぱりわかっちゃう?」
「わからいでか。話聞いてからずーっと眉間にシワが寄ってるじゃんね」
まー気持ちはわかるよ、あたしだってショタオジから「キミ用のイベントが待ってるよ」とか言われたら身構えるもん。
とはいえ未来視があるわけでもないあたしらが気にしたところでなるようにしかならないんだから、だったら脇に置いとけばいいんじゃん?
あたしが図太いだけって言われりゃそこまでだけど。それはそれとしてシオリっちは気にしすぎじゃんね。
「ま、ここは命子さんに任せな……言っておくがおれは異界攻略のプロだぜ?」
「今から向かうのは異界じゃないけど……」
「ならメシアン拠点潰しのプロだ。ご存知でしょう奥さん?」
「奥さんって……ぷっ、そうね。貴方がいるものね」
そうそう、シオリっちを助けたときと同じようにサクッとスレイしてやんよ!
いやままだ完全にクロって決まったわけじゃないけどね? でもほぼほぼクロみたいなもんだしいいっしょ。
「それよかシオリっちさぁ、他に言うことあるんじゃなぁい?」
「え? ……一緒に来てくれてありがとう?」
「そーゆー水臭いことじゃなくてさぁ! ほれほれもっと命子さんを見てみ?」
「……あっ、いつもよりオシャレしてる!」
「いえーす!」
クルッとターンしてチョキ!
今日の命子さんはなんともだーんなガーリースタイルでお送りしております!
どーよこのオシャレなフリルヘムワンピにフレアジャンスカ! あちこちにリボンも飾って可愛かろー!
「おさげも下ろしちゃって……列車乗ってたときはいつもの格好だったわよね?」
「んふふ……実はこないだ高ランクの【変化】スキカ手に入ってね、あたしの式神に組み込んでもらったのだー。これでいつでもどこでもオシャレできるぜ!」
まぁいつもの一張羅には違いないし、見た目変えるだけで別に特別な効果も無いんだけど、いつでも気分転換できるという点で神スキルよ。
「いいじゃない、すごく可愛いわ。おめかししたら全然印象が違うわね」
「だろー? やっぱあたし可愛いよなー?」
ほんとにカス共はよー、意気揚々とお披露目したら「誰おまえ」だの「もどして」だの言いやがってからによー!
おまえらが「いつも同じ格好だけどオシャレ知らんの?」だの「臭そう」だの言うからイメチェンしてやったのによー!
そんなだから式神以外に女おらんのじゃ! ぜってー許さねぇからなぁ?
「ふぅ……ありがとうね、命子。少しだけ気が紛れたわ」
「そりゃよござんした。んじゃそろそろいきますかー」
「ええ。確か修道院までは函館駅からシャトルバスが出てるのよね……うん、時間もちょうどいいわ。行きましょう」
◆◆◆
――虚無的なまでの白亜に讃美が溢れる。
人間には決して成し得ない音域を以て紡がれる聖歌は、
信仰の最も純粋なる形と称して切り離された脳髄は、
奉仕者は神の愛知らぬ者達を慈愛を以て教化し、それら聖なる供物を日夜加工し続ける。
いつか来たる
その先触れたる
「
そして今宵も。
各地から集められた
彼らは原罪を知らぬまま神の供物となり、永遠の安息の中で微睡み続けるのだ。――本当に?
――――馬鹿な真似を
聖務と称して悪行に耽り続ける奉仕者達を。
御子と称して
それらの贄となる故も知らぬ者達を。
それらの母となる故も知らぬ女達を。
ずっと。ずっと。ずっと――この数年間、見続けていた。
数多の善と数多の悪と、それらに翻弄される母と仔を、ずっと――。
「お召し替えを致します」
かつて同じ釜の飯を食べた同門が、かつてと変わらぬ声色で恭しく世話をする。
神のみことばに黙想し続けていた目で醜悪を眺め、祈りに組んだ手で悪魔の仔を取り上げる。
天使の声ひとつでこうも変わるのなら、果たして人に人足る理由などあるものか。
「――、…………」
「ご安心ください、
名すら呼ばなくなったかつての友へかける言葉は最早無く。
明瞭な思考とは裏腹に、衰弱しきった身体は枯れた吐息だけを漏らす。
ただの生理反応にすら大仰に応え賛美を唱える彼らは、今やただの傀儡であった。
――神は見守るだけ、か……
彼女は敬虔な信徒だった。心の底から神の実在を確信していた。
が、それはそれとして神は、ただ見守るだけだった。
――神、そらに知ろしめす。すべて世はこともなし。
善も悪も全てを認める神の御心を諳んじて、彼女は