遊戯王VRAINS―GB   作:甘枝寒月

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1話 復讐鬼と繋ぎ手

 走れ。逃げろ。追いつかれるな。奪われるな。

 

 電脳世界に構築された仮想空間LINKVRAINS(リンクブレインズ)

 Dencity(まち)一帯に張り巡らされたネットワークによってどこからでもログインできる、もうひとつのDencity(デンシティ)

 仮想空間であるがゆえ、アバターという空想(ファンタジー)で身を包んだひとびとが娯楽に(きょう)じる歓楽街(かんらくがい)

 

 しかし。

 空想(ファンタジー)で彩られた世界に溢れる笑顔は、微笑ましいものだけではない。

 非現実を隠れ(みの)にして、アバターの下で真っ赤な舌をベロリとしながら笑っている悪意も、悲しいことに存在していた。

 

 ーーそして。その悪意がまたひとつ。

 

 リンクブレインズの郊外にある埠頭エリアを、少年は走る。乱立したコンテナが造ったスキマ迷路を、とにかく曲がって右左(みぎひだり)

 逃げろ。とにかく、逃げなきゃ。

 ここは仮想空間。肉体じゃなくアバター。疲れ知らず。気力が続く限り走り続けられるハズ。()()()が諦めるまで逃げ続けろ。

 

 またもや角。急ぐ心のまま曲がる。考えるよりも先に。

 

「うわっ!」

 

 角の向こうに人影。そう思ったときには遅かった。ぶつかる。倒れてしまう。盛大に尻餅(しりもち)をついて、デッキがあたりに散らばった。

 ヤバい。はやく拾って――。

 

「あ、あ、あ」

 

 その思考は、恐怖によって中断された。

 ぶつかった相手。ヒーロー番組で量産型雑魚としてイーイー鳴いてそうな、いや、実際行動を見ても量産型雑魚の白服白フードに仮面の男。こいつから、逃げていたのに。先回りされた。

 あわてて這いつくばったまま、散ったカードに手を伸ばす。

 しかし、釘を打つように。途中でそいつのブーツに踏みつけにされた。

 

「ぐあっ!」

 

 その量産型白服は嗜虐的にブーツの踵でぐりぐり手をすり潰してから、体重をかけつつ1枚のカードを拾う。見せつけるように。

 

 ――やめてくれ。大切なカードなんだ。

 

 恐怖が喉を潰し、懇願(こんがん)すらできずに足蹴(あしげ)にされるだけ。

 

「くくく。安心しろ。この《クラッキング・ドラゴン》は崇高なるハノイの騎士の力となるのだからな!」

 

 ハーハッハ! と高笑いしながら、ハノイの騎士は姿を消した。LINKVRAINS(リンクブレインズ)からログアウトしたんだ。

 

 白いシルエットが完全に姿を消して、ようやく。少年は、「ぐ」とよろめきながら四つん這いで動き出し、カードを拾う。1枚。また1枚。見渡して探して何度数えても39枚。《クラッキング・ドラゴン》はない。

 

 そうだ! LINKVRAINS(リンクブレインズ)には盗難防止機能がある。手元から離れたカードはメニューから取り出せるんだ。

 希望を見いだして少年がメニューを開くと、記録(ログ)に新しいメッセージがぴょこんと出てきた。

『カード譲渡が成立しました』

 ――改竄(ハッキング)だ。うば、われた。

 

「あああああ~~~~~~~~~!」

 

 LINKVRAINS(リンクブレインズ)の片隅で、奪われた者の慟哭(どうこく)が響いて。だれにも届かず、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 授業からのエスケープ。背徳的で、甘美な響き。

 なにも授業を抜け出してリンクブレインズにフルダイブ。そんな大仰なサボりだけじゃない。腕を枕にして机に()()し寝息を立てる。それもまた格別だ。

 

 その格別な昼寝を味わっていた藤木遊作(ふじきゆうさく)は、芳醇(ほうじゅん)な匂いに刺激されて目を覚ました。

 

 のっそりと顔をあげれば、寝起きでぼやけた視界に教室が映りこむ。LEDライトに照らされたすり鉢状の教室は、さえぎるもののない机とイスだけの殺風景。すでにハッカーとして実戦経験豊富な遊作には釈迦に説法(しゃかせつ)な情報教師の授業も、それをまわりと相談しながら受ける生徒たちのにぎやかさも、名残すら消え、ゴーストタウンの荒涼(こうりょう)さに満ち満ちている。放課後まで寝過ごしてしまったようだ。

 

 くぁ。あくびひとつ。

 

 閑散とした無機質な放課後教室で、ただ一つ気配を発する芳醇な匂い。その匂いを漂わせているのは()()だろう。遊作はそう想像しながら横を向いた。

 

 制服(ブレザー)を着崩し着飾って、長身を包む雪色のカーディガンから、ミルクチョコレート色の脚を伸ばして机にべったりと深く腰かけている。行儀がわるいと何度か言っているんだが、長い脚をもてあますのか(なお)ることはない。

 つややかなミルクチョコ色の身体。夜明け前の空を編む糸のような赤の混じった黒髪。いつも溌剌と愛嬌(あいきょう)を振りまいているあどけない顔。

《ネフティスの繋ぎ手》によく似た彼女が、不意に流している穏やかな時間。

 

 それをくじくことはできず、遊作は頬杖をついて声をかけずに見守った。

 彼女は視線に気づくことはなく、袖を鍋つかみにしながら、銀メッキのカップを真剣な顔でふーふー吹いているのだった。

 

 ふー、ふー、ふー、ふー。

 

 睫毛に縁取られた目を伏せて、くちびるを軽く尖らせて、何回も何回も息を吹きかけ吹きかけ。意を決した顔つきになり(おもむろ)にカップを口に。ひとくち。「あつい」素早くカップを離した。

 

「あ。遊作、起きた?」

 

 ひとしきりやってからようやく。遊作が起きたことに気がついて、彼女が声をかけてきた。

 

 凍星零涙(いてぼしあまな)

《ネフティスの繋ぎ手》そっくりの黒髪褐色エキゾチック美少女であるところの彼女は、ふっくらとゆたかにふくらんだムネのせいで窮屈そうにしながらも、おなかのあたりにカップを抱え、水色の瞳をやさしく細めてぼんやりと遊作にほほえむ。

 二の腕に挟まれたムネがなまなましく遊作の思春期を刺激する。無邪気(イノセント)なほほえみを見て、なんとか意識を逸らした。

 

「? どーしたの?」

 

 ドンカンな彼女は、遊作の努力に気づくことなく、のんびり声をかけてくる。おだやかな白波がたゆたうような、緑葉(りょくよう)が風で(こす)れ合うような声。

 ココロがそのまま顕れたやわらかい声をずっと聞いていたい、ところではあるが。

 遊作の視線の高さは、居眠りから起きたときのまま机の高さ。必然的に、短く折られたスカートと少し開いたふとももの隙間(すきま)が正面に来ていた。

 

「零涙。パンツ見えるぞ」

 

「ん。見たいの?」

 

「そんなわけないだろ」

 

 零涙がためらいなくスカートをつまむ。影が晴れて、つぶれたふとももやその奥の縞々(しましま)まで見えてしまう。あわてて、だが断固として切って捨てた。

 

「やめろ。……気軽に下着を見せてはいけない」

 

「そうなの? でも遊作はアイボーだし。見たいなら」

 

「やめろ」

 

 はぁ。まったく、こいつはいつまでも子供っぽい。危うい。それに食いしん坊だ。手垢の付いた警句(けいく)のようにお菓子で誘われたらついていってしまうんではないだろうか。

 

「っふふ」

 

 人が心配しているところなのに、当の本人はのんきにくすくす笑い声を漏らしている。

 

「なんだ」

 

「腕押し付けてたから、赤丸できてる」

 

「む……」

 

 無邪気に笑いながら、零涙がデコをつついてくる。じん、と痺れる。同じようにデコを触ると、一部だけ妙にあたたかい。

 零涙が差し出してきた手鏡で映して見れば、たしかに不格好な赤いアザがくっきり浮いていた。無駄だとわかっていながらもつい(こす)ってしまう。

 一瞬の恥ずかしさ。

 ……まあ、いいか。見たのは零涙だけだから。落ち着いた、ことにした。

 

「また徹夜? 寝なきゃ成長できないよ? あたしみたいに」

 

 零涙は机から立ってふんすふんすとドヤ顔を浮かべ、手刀で自分の頭をこすり身長をアピール。言葉のとおり、遊作の身長173cmに対して零涙は178cmとすこし(まさ)っている。だからこそにんまり得意顔。

 

「しかたないだろう。近頃(ちかごろ)『ハノイの騎士』の活動が活発になってきている。時間はいくらあっても足りない」

 

 つい言葉に力がこもる。

 追っている()()の手がかりが掴めた、今が重要な時期。寝ている時間がもったいない。無理をすべき。それは零涙もわかってることのはず。

 

「それは……そうかもだけど。でも身体も大切にしなきゃダメ」

 

 だが、零涙は食い下がってきた。真剣さのあまりふくらんだほっぺたが子供のよう。こうなった零涙は強情だ。納得してくれない。

 それに、まあ、なんだかんだいっても零涙には弱いんだ。

 

「……わかった。今日は早寝する」

 

「ん。約束!」

 

 折れて口約束。すると、零涙は心底うれしそうに笑った。

 なにがそんなにうれしいんだ。そう不思議に思う。思うだけで、口には出さない。拗ねるから。

 

 ぷしゅるるる。

 

 寝入りばなの息のような、圧縮空気の力で教室の自動ドアが開く音が不意に響いた。闖入者(ちんにゅうしゃ)の気配に2人のあいだには緊張が走り、入ってきたのがカバのようなドングリのような男子生徒だったことで緩む。

 

「島か」

 

「島か、じゃねーよ! せっかくお前ら待ってたのに来ねーんだもんよ!」

 

「待ってた?」

 

 遊作も零涙も、この男子生徒島直樹(しまなおき)と同じ『デュエルモンスターズ部』に籍を置いている。しかし、『デュエル部』といっても実態は1年生部長が同学年をかき集めて(つく)った、卒業後には消えてしまう木端(こっぱ)同好会。活動もまた、遅れても毎日来なくてもいいゆるいもののハズ。零涙も不思議がって小首をこてん。

 

 島はふん、と鼻を鳴らして腕を組んだ。

 

「俺が今日ブルーエンジェルのライブ見るから部活休むって言ったら、部長が『島直樹(シークワーサー)も休みか。(カンアオイ)も今日は休みだし、よし! 今日はデュエル部おやすみの日だぞ! 島直樹(シークワーサー)遊作(ハッサク)零涙(アマナツ)にも言っておいてくれよな!』って言われてよ」

 

「そうなのか」

 

 あまり似ていない裏声のモノマネはともかく、特徴的な口調、なにより人を柑橘類の名前で呼ぶクセ。デュエル部部長の言葉に間違いない。

 

「部長はカードショップ行くって言うから部室で待っててやったのに、来ねーんだもんよ」

 

「ん。ごめんね」

 

「いいぜ!」

 

 もともとそんなに怒ってなかったのだろう。零涙が軽く謝ってこの話題はあっさり終わり。義務の連絡よりも話したかったのであろう話題へと移っていく。

 

「そうだ凍星、今日ブルーエンジェルのライブ! お前も見るだろ?」

 

「ん。楽しみ。……あ、これ見て。どやあ」

 

 零涙はにへらと笑いながらサファイア色のリュックサックを引き寄せ、ボールチェーンで吊るされているラバーストラップを見せつけてきた。ラバーストラップに描かれているのはアイドル風の青髪の少女、ブルーエンジェル。

 

 しかし、いってはなんだが零涙のリュックはブルーエンジェルのラバーストラップ、アクリルストラップに缶バッチが重そうな装飾過多。そもそもリュック自体コラボの品らしい。それゆえに遊作には、見せびらかされても数あるうちのひとつ、としてしか見れなかった。

 

「またブルーエンジェルか。お前は本当に好きだな」

 

「……あ~、えへへ?」

 

 ? 零涙がアイマイに笑う。なにか変なことを言っただろうか?

 

「あー!」大きな声。島がストラップを見ながら騒ぎ出した。

 

「それこの前始まったばっかのキャンペーンのだろ? もう手に入れたのかよ? いいなー」

 

「そうなのか?」

 

「ん。いっぱい買った」

 

 零涙がリュックから食玩サイズの小箱を取り出す。

 小箱の前面には、6人ほどのアバターイラストがバストアップでぎゅうぎゅうみちみちに並べられ、後面には『応募券を集めて、カリスマデュエリストのストラップをゲットだ!』の煽り文句。

 

「何箱買った?」

 

「え」

 

(応募券はランダムに1種類封入)なんてずいぶんと商売上手なランダム性を小箱から読み取り、自然(しぜん)そうに聞いてみた。うっかりしゃべってくれたら楽だと思ってだったが、零涙は得意顔をこわばらせ目が泳ぎだしながら()らされる。「えへ」とごまかす。

 

 しかたないので、次の策。

 

「ひとつ。ラバーストラップをもらうには、応募券が5枚必要だ。

 ふたつ。対象は6人いるから、単純計算で30箱。

 みっつ。零涙はブルーエンジェル(ほしいもの)が出るまで買った、だろ」

 

「わ、理解(わか)られてる……」

 

「何年の付き合いだと思ってるんだ。で、何箱買った?」

 

 小箱に記載された応募概要をぶつけたら、零涙は観念した媚び笑顔で、

 

「よ、よんじゅう……」

 

「40!?」と横から驚きの大音声(だいおんじょう)

 

 耳がキーンと痛い。顔をしかめた。

 

「だまれ」

 

 口ではそう言ったものの、希望小売価格400円(税抜)を40箱の衝撃力には叫び驚く気持ちもよくわかる。

 ……16000円(いちまんろくせんえん)か。またずいぶんと散財したな。この前の()()に浮かれてしまったんだろうか? まったく。 

 

「だ、だいじょぶだよ遊作。遊作が持ってる通帳にもお金いれてるから」

 

 ちらちらとご機嫌伺(きげんうかが)いの顔をしていた零涙は、リアクションを見てあわてて言い添える。

 隠そうとしてることと隣り合わせのことを自慢して、隠しごとがバレたら傷が浅いことにしようとする。子供の隠しごとのようなゴマカシ。そして、あせりのあまり口を滑らせた。

 

「そうか。ならいい」

 

「ちょ、待てよ藤木!」

 

 ちっ。

 

「お前凍星の貯金管理してんの?」

 

「ああ」

 

 島はよく言えば自信家、悪く言えば尊大な空気の読めないヤツ。そのせいで短くした言葉に追及を拒む雰囲気をありったけ籠めるほかなかった。

 

「そんなんお前らもう……あ、いや」

 

 一拍遅れたとはいえ、拒絶の雰囲気からなにかを察したのだろう。島はうめきながら居心地の悪そうな態度になる。きょろきょろと遊作と零涙を交互に見る。

 

「あー……もしかして俺、お邪魔虫だったか?」

 

「? 別に邪魔じゃないよ?」

 

「……いや、俺GO鬼塚のデュエルも見たいし、帰るわ! じゃあな!」

 

「うん。じゃあね」「じゃあな」

 

 そそくさと去っていく島を見送り、急展開についていけない様子で零涙は、

 

「どうしたんだろう島くん」

 

 ひとつ。お邪魔”虫”という言い回し。

 ふたつ。島は俺と零涙の2人だけが残っている教室、を再確認した。

 みっつ。なら、口ごもった言葉の続きはおそらく。『お前らもう、家族じゃねーか』

 

 そこまで考えを巡らせて、

 

「さあな」

 

 はぐらかした。

 

(遊作はなにかわかってそうだけど……?)そうじとっとした目線で訴えかけてくる、男の(おおかみ)加減をわかっていない危なっかしい無垢っ子の頭をなでてごまかす。髪型が崩れるとぷりぷり怒るから、手櫛(てぐし)のように慎重に。

 流水でできているような(なめ)らかな濡羽色(ぬればいろ)の髪を()かれて、青い瞳が猫のように細められる。

 

 零涙。お前を守護(まも)るためなら、虫よけでもなんでもやってやるから。

 

 ――遊作。あたしが悲しむよ。それじゃダメ?

 ――生きてればいーこといっぱい見つかる。だから、生きてみよ? 遊作。

 

 それが、あの時救われた、アイボーである俺の役目だから。

 

 手の中で零涙の頭がもぞりと動く。机に置いていた銀カップを思い出したらしい。取り上げてひとくち。「あつい」

 

「ね。遊作。……熱くて飲めないから、かわりに飲んで?」

 

 零涙は何度か口をつけていたカップを差し出してくる。芳醇な匂いを立てる、永谷園の『松茸』がはいっていた。

 

 ……すこし、無垢に育ちすぎたかもしれない。

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