今まで行われてきた期間限定海域を主なラインとして進めてます
1894年。日清戦争終結後、日本の軍備拡大は大きく進歩を遂げて行く。しかし、突如として出現した深海棲艦と名付けられた兵器により、太平洋方面の制海権を喪失
また、列強国の一つであるロシア帝国との緊張も高まる一方で、窮地に立たされていると言うことは明らかであった
そこで1902年、日英同盟を締結。その間、深海棲艦に対抗しうる艦娘の開発を共に始めたのである
1900年には英国産である艦娘初号艦、朝日を竣工したものの性能不足は否めなかったのだ
1904年、日露戦争が始まり日本は勝利することとなるも、賠償が少なく、以降深海棲艦に苦戦する事になった
そんな中1912年、日英同盟締結以来研究が行われていた艦娘ニ号艦が進水。金剛型巡洋戦艦一番艦、金剛である
洗練された新たな艦艇の充実が図られる中、これを管理・運営する艦これ運営鎮守府が1913年に設置され、以降国防の中核を担う事となる
1914年、第一次世界大戦が開始。日本は扶桑を進水させ、間近に迫っていた深海棲艦へ反抗。共に、ドイツへの侵攻も始める事となった
1923年のワシントン海軍軍縮条約、1930年のロンドン海軍軍縮条約等を通じ、世界各国が安価で強力かつ扱いやすい艦娘の開発を本格的に 開始する
しかし、以前とは全くベクトルの異なるその存在に、各国は苦戦する事になる
1931年に満州事変が起き、1937年には中国との全面戦争も始まった
軽空母龍驤の活躍や、伊勢型戦艦、青葉型重巡洋艦、球磨型型軽巡洋艦、吹雪型駆逐艦といった新型艦艇が配備された事で深海棲艦の活動が沈静化
そして1941年、真珠湾を攻撃。対米戦争開戦に踏み切った
艦隊帰投中、ロ級やイ級elite・flagshipといった深海棲艦の新型艦や大規模改装型を確認
以降、乙型駆逐艦開発計画や、改二改装案が提出されるも、それ以降深海棲艦は急速に勢力を拡大。開発スピードを大きく上回った
1943年1月、日本は敵の勢力拡大に追い付く事が出来ず、制海権が再び深海棲艦へと移った
3月、遂に反抗作戦を開始。日本近海から南西諸島方面へ進出を図った。
5月、南西諸島方面へ領海を広げる中、司令船らしき艦艇を確認。敵艦隊前線泊地殴り込み作戦
を実施する。
しかし、艦娘の解明が進んでおらず戦闘に苦戦。警戒線を突破し、湾内へ突入。新型艦、泊地棲鬼や泊地棲姫へ大打撃を与える事はできた
ものの、撃沈は出来ず撤退となった
対する深海棲艦は大きな損傷により南西諸島方面より撤退した
8月、日本軍は南方進出を行うべく、偵察を実施。これにより、敵の集結地を発見。これを強襲
作戦は成功し、南方海域への進出を可能とした
11月、南方海域へ進出。深海棲艦の厳重な基地群への対策として夜間の奇襲作戦を敢行
また、航空基地に対しても艦砲射撃を実施した
この作戦が成功した事で鉄底海峡の通過が可能に。作戦範囲を大きく拡大させる事ができた
12月、観音岬沖に深海棲艦と共同作戦を行う艦隊が目撃されるも、以降消息不明に
1944年4月、日本軍は南西の海域へ進撃。ピーコック島上陸作戦を展開、哨戒線の押し上げに成功した
8月、日本軍は東北方面への戦域拡大及びアメリカ領ハワイへの侵攻準備を目論みAL/MI作戦を発動した。初動作戦として、北方AL方面へ艦隊を進出、同制海権を確保
また、MI諸島攻略の支援として陽動作戦を展開。敵北方港湾基地を強襲した
しかし、ハワイへの攻撃を恐れた米艦隊はこれを阻止すべく派遣。日米深の三者間による激しい戦闘が繰り広げられることとなった
しかし、米艦隊は深海棲艦へのノウハウが少なく、深海棲艦も米艦隊による損害を受けた。その為、結果に日本艦隊が戦術的優勢を取る事になった
アメリカ軍はこの戦いにより多くの損耗を出した
結果的に深海棲艦の東方侵略へと繋がり北太平洋上の多数の離島、そして多くの艦隊が位置するハワイが深海棲艦により占領される事となった
後にMI作戦を発動。新しく進水した正規空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍を基幹とした空母機動部隊もとい連合艦隊を編成。全力を持って出撃を図った
MI作戦成功。以降、敵増援艦隊及び残党艦隊の掃討に当たるも、敵別動隊が日本本土にて確認、残置艦隊による迎撃を行うが、東京周辺地域に小さくも被害を被った
11月、東南方面の深海棲艦掃討を決定。渾作戦を実行する。第一次渾作戦では連合艦隊による友軍艦隊を支援。海域突入の準備を図る
続けて第二次渾作戦発令。精鋭水雷戦隊を投入し、敵前衛哨戒艦隊を撃滅を行う
これが成功を喫すと第三次渾作戦を発令。主力艦隊を突入させ、敵本陣を撃破。渾作戦完遂を目標とした
作戦は順調に進行させたものの敵機動部隊がこれに対応。切り込み作戦を実施された。日本艦隊はパラオ沖でこれを撃破。渾作戦を終了した
1945年2月、トラック島にて深海棲艦泊地を確認。また、それにより活動が活発化されていた
戦力増強を阻止する為トラック泊地強襲作戦を展開。まずは水雷戦隊による敵潜水艦隊の撃滅を図った
これに対し深海棲艦は付近の有力な機動艦隊を泊地へ集結。これを感じ取った日本は通常艦隊を編成し偵察作戦を実施した
偵察の結果多数の空母、戦艦等の大型艦を捕捉。日本艦隊は帰還を検討するも却下。その全力を持って反撃を行う事とした
先鋒隊に対しては大きな損害を与える事に成功。しかし後方に位置する本隊には一切の打撃を与える事は出来なかった
そこで日本は小規模な精鋭艦隊を編成、遊撃偵察を実施した。結果、未確認の新型戦艦を確認。依然トラック泊地へ接近中であった為先手を切って攻撃を開始した
新しく進水した新型戦艦、長門陸奥の活躍が決定的となり、トラック泊地強襲作戦は勝利となった
4月、日本はインド洋への戦力拡大を目標とし、第十一号作戦が発令された。まず、水雷戦隊による威力偵察。のちに連合艦隊による敵船の撃破
それが完了すると次は通商破壊作戦に移った。敵は通商破壊作戦により資材が枯渇。そこで日本は主目標であるリンカラ島へ上陸作戦を展開した。
リンカラ島攻略に成功すると敵秘匿泊地への侵攻を開始。精鋭から成る小艦隊をもって撃破
これにより主力艦隊はカレー洋よりステビア海へ進出するも、深海棲艦による被害が極僅かである英艦隊により阻止。第十一号作戦はリンカラ島攻略に留まった
8月、南方海域の戦域を拡大させるためSN作戦を発令。水雷戦隊による偵察ののち、連合艦隊による戦闘が行われた
この主力艦隊による戦いが激しさを増す中、深海棲艦は機動部隊を投入。これを阻止すべく日本も機動部隊を編成、南太平洋で迎撃作戦が行われた
この迎撃作戦に成功すると、ソロモン海域の要所である飛行場へ攻撃。撃破に成功した
途中、深海棲艦は西方艦隊による攻撃が開始され、同海域へ派遣されていた西部方面派遣艦隊が防衛
しかし、深海棲艦は数的優勢を取り包囲戦を開始。この深海棲艦による初の戦術敵な動きに対し、派遣艦隊は一手を出せず撤退を開始
大きな打撃を与えることには成功したものの、これにより作戦は傾く事になる
SN作戦成功に際し、拡張任務であるFS作戦を開始
アメリカ軍はこれに反応。防衛陣地を構築した。しかし、当時深海棲艦棲艦による強い攻撃を受けていたアメリカ軍は満足に戦力を出す事は出来ず、侵攻阻止を止められずにいた
しかし、敵西方艦隊の接近を入電。ソロモン海域の制海権死守するも、FS方面への進出は果たされなかった
1946年2月、日本軍は西方前線を徐々に戻しつつある中、防衛が弱体化した所へ東方より深海棲艦進撃。防衛ラインが後退し、フィリピンオートロ島へ上陸作戦を展開される
運営鎮守府はオートロ島侵攻に対し大きな衝撃と危機感を受け、捷号作戦が考案される
これを阻止すべくカンパン湾に艦隊を集結。礼号作戦が発令される
深海棲艦が飛行場を設営開始。設営の進行を止めるべく礼号艦隊により資源集積地を粉砕、礼号作戦は成功に終わった
しかし、深海棲艦艦隊が突如北海道及び幌筵泊地方面へ進行開始。それを迎撃するべく早くも捷四号作戦を発令され、迎撃を行った
迎撃は成功するも、礼号作戦及び南西海域奪還により多くの戦力を割いていため、小戦力による戦闘となり、一部は防衛戦を突破。市民に被害を被る事態となった
これに対し、日本は大きな一歩を踏み出す事となる
5月、MI作戦成功にで、深海棲艦及び対米戦争において大きな進展を見せたことで、作戦は次の段階に入った
北太平洋前線の環礁にて、未だアメリカ軍による攻略が出来ていない戦略的重要地点に飛行場設営適地が発見された
日本はここを攻略すべく艦隊を派遣。周辺の敵艦隊撃破の後上陸用舟艇を用いた上陸作戦により敵地上部隊を無力化
この機を逃す事無く設営隊の上陸及び資材の輸送を行い、遂に運営鎮守府より考案された新部隊、基地航空隊が開設された
この時既に、アメリカ軍に日本艦隊に対する反撃能力は残されておらず、その殆どが本土防衛へ回されているか、深海棲艦による包囲を受け救助待ちの状態だった
作戦は次の段階へ入る
この環礁に航空基地が設営された事で、遂に深海棲艦を越えた本格的なアメリカ攻略作戦に入る
先陣として、深海棲艦によって占領寸前となっているアメリカ最大の島へ空母機動部隊による攻略を行う
一方、アメリカ軍はハワイに多数の艦隊を残したまま深海棲艦の包囲に遭っている状態であった。補給路は遠くない日に断たれ、本土からの救援も期待出来ず、絶望の底にいた。しかし、そこへ一つ、救援艦隊急行中との入電が入る
日本艦隊はアメリカ領ハワイへ向けた友軍泊地奪還作戦を展開。米艦隊の救援、同泊地の奪還及び北太平洋深海中枢泊地の撃破を目標とする
第一次攻撃では泊地の奪還は出来なかったが敵艦隊に損害を与える事ができ、第二次攻撃では遂に友軍艦隊の救援を実施した
この戦いによりアメリカ海軍は戦力の回復及び向上を果たす事ができた。また、ここに日米共同対深海条約を締結
太平洋での戦争は深海棲艦と国家及び艦娘による戦いただ一つとなった
前半の年代が少しズレてたりするのは話合わせの意図的なものです