「遅刻の理由が自転車が壊れたから……なぁ? 篠崎、小学生でもしっかり考えて話すぞ?」
放課後、授業の準備や書類作成等で忙しそうにする教師達を他所に、一人の女教師による尋問が行われていた。
彼女こそ、俺が所属するクラスである1─4の担任、二宮 摩耶──通称、鬼のマーヤである。
尤も、普段はどんな生徒相手にもフランクに接するらしく、現に彼女はこの学校の生徒会顧問も兼任している。
所謂、ベテラン教師を体現しているが彼女だが……ただ一つ、絶対に犯してはならない、全生徒共通の禁則事項が存在する。
それは、如何なることであっても、
俺がそれを知ったのは、他生徒の会話を盗み聞いたのもあって、詳細は分からないのだが、何でもこの世の何よりも怖いとのことらしい。
そして、今──俺の前にいる彼女はまさにご立腹といった様子である。
正直、今すぐにでも逃げ出したい、怖い──おうち帰りたい。
天を仰ぎたくなるというのはまさにこのことなのだろう……
その気分はさながら、有罪判決が確定した被告人といったところか。
何しろ今回の過失は全て自分にあり、弁明しようにも納得を得られない──どう考えても詰んでます、本当にありがとうございました。
「いや、あの……本当なんですけど」
自らの足で愛車を破壊した後、
しかも、この件は一年の教師間でそれなりの騒ぎになったらしく──『放課後、職員室に来るように』と言った二限目の寺下先生の目は笑っていなかった。
少しの沈黙の筈が永遠の責め苦にも思える──ふと、深い溜め息と共に彼女は沈黙を破った。
「なあ篠崎、お前が遠い所に住んでいる中、毎日此方に通っているのは勿論、知っている。だからこそ、連絡なしに欠席すれば
「はい……」
「しかも、親御さんに連絡したら、もう登校してるって言うんだから、尚更だぞ?」
彼女の言っている事は何も間違ってはいない。
来る筈の生徒が学校に来ないともなれば、何か事情があると考えるのは道理だ。
況してや、親が既に学校に行ったと言うのなら、何かあった、あるいは何かに巻き込まれたのではないかと考えるのは無理もない。
「まあでも、お前が大遅刻をかましてもちゃんと来たって聞いたときは安心したよ。今後は気を付けろよ?」
「はい、肝に銘じときます」
ああ、赦された──いや、呆れられたといった方が正しいか。
とにもかくにもだ……首の皮は繋がっているのだ、それだけでも良かったとするべきだろう。
「ところで篠崎、お前はどうやって学校まで来たんだよ?」
「えっ? いや、普通にバスですけど……」
「にしては随分と遅くなったな。
……これ、言わなきゃいかんのか? 正直、これ以上は心が折れそうなんだが。
このタイミングでまさかの
「いや、その……バスはあったんですけど……最初のに乗れなくて」
「は? どうして?」
訝しげに俺を見る彼女から、目を逸らす。
ああ……もうダメか──仕方がない、覚悟を決めろ。
「その、人がいっぱいで……そもそもバスに入れませんでした」
「……」
再びの溜め息と沈黙──彼女は最早、呆れを通り越して憐れみの眼差しでこちらを見ていた。
おかしい、誓って嘘は言っていない筈なのに何故だろう……ひたすらに虚しい。
いやだって仕方がないじゃないか、入り口手前まで満員になったバスに俺が入るスペースなんて無かったんだぞ。
それに、あの時のバスの運転手さんの凄い申し訳無さそうな眼差しを見たら、諦めざるを得ないじゃないか。
「その、なんだ……次は寝坊するなよな。後、ちょっと手伝え」
「えっ? いや、かえ──すいません、やらさせていだきます」
「うん、素直でよろしい」
ごめん皆、マーヤの眼光には勝てなかったよ……
どうやら今の俺に拒否権なんてものはないようだ──もうやだ帰りたい。
そして、付いて来いと言わんばかりに職員室の奥に鎮座する大きな箱の前に立った。
ええ……普通に重そうなんですけど──これ運ばなきゃいけないんですか?
「よし、篠崎はこれを生徒会室に運んでもらおうかな」
「……はい」
ドンッと、お出しされたのは、如何にも重そうな書類の束
今度ばかりは思わず遠い目で虚空を見上げてしまう──ああ……知らない天井だ。
そういえば、バスの入り口を塞いでいた、あの太やかな彼は無事にバスを降りられたのだろうか?
俺に知る由もないが、もし、降りれてないのなら、周りの方々が潰されないことを願うばかりである。
両手一杯の愛もとい紙束を抱えながら、一段、また一段と階段をゆっくりと上っていく。
噎せる紙の匂い──いや、インクの匂いが鼻腔に染み込んでくる。
鼻がむず痒いの何とか堪え、崩さぬよう慎重に歩みを進める。
仮に何かの拍子で、この束をばら蒔くような事があろうものなら、何もかものやる気を失くすだろう。
というか、こんな紙の束を何に使うんだよ……
我らが鬼のマーヤ曰く、生徒会の活動で使う資料とのことだが、正直なところこんな大量に使うのかという疑問がある。
とはいえ、俺の尊厳と引き換えに逆鱗に触れることは回避できたんだ。
これで済んでいるだけ、まだ幸運と思うべきだろうか。
目的地の生徒会室は三階の廊下を右に曲がり、その突き当たりに存在する。
この学校は生徒会の活動をかなり重視する校風であり、修学旅行の行き先を募ったり、ボランティア等の実施は勿論。
新しい学校行事の設定や著名人による特別授業の奨励など活動は多岐に渡る──と、入試前に読んだ資料に書いていた。
実際にこの学校を卒業したある有名人は、在学時は生徒会役員とのことだ。
とはいっても、俺にとっては夢のまた夢、縁のない話である。
きっと、生徒会役員に選ばれる人は自分から目標を掲げて、実現へと歩みを進められる人なんだろう。
けれど、大半の人は結局は妥協と惰性に甘んじていく。
よくある物語で
「ここだよな……生徒会室」
横開きのドアにはデカデカと
しかし、部屋の証明は消えており、部屋の中に誰かがいる様子もない。
「えっと、そのまま入っていいのかな?」
念のため、紙束が落ちないよう、ゆっくりとノックし、ドアをそっと引くと、鍵は開いていた。
薄暗い部屋の中央には長机が向かいかあって並んでおり、ホワイトボードには判別は出来ずとも、色々なことが書かれていることは分かる。
無用心……いや、単純に鍵を閉めるのを忘れていたのかは定かではないが、こちらとしては寧ろ好都合だ。
「机の上に置いておけば良いよな。はぁ……普通に重いし、疲れた」
何はともあれ、俺の仕事は完了したんだ。さっさと家に帰──
その時、俺が通ってきた廊下からドタドタと慌ただしい足音が響いてくる。
えっ……なに? 生徒会の人? というか、真っ直ぐ此方に向かってきてんじゃん。
そして、慌ただしい足音は俺とドアを一つ挟んだ向こうで止まった。
少しの静寂──然れどドアの向こうにいる誰かは、ドアを開け放つ様子はない。
……入ってこないのか? まあ、いいや。俺は早く帰って昨日の続きを──
「悪い、美妃。話ってなんだ?」
別の足音と男性の声──どうやらドアの向こうの方はこの男性と待ち合わせをしていたらしい。
美紀……名前からして女の子だよな。
というか、人気が無いこんな場所で男女待ち合わせ……いやいや、そんなまさかね? そんなベタな──
「うん……部活の練習中に呼んでごめんね? でも、どうしても伝えたくて」
まさかのベッタベッタである──しかも、よりによってこのタイミングでだ。
「ここなら誰もいないから……私もちゃんと言えるから」
すみません、このドアの向こうに一人います──などと言えるわけもなく、ドアの前で待機してることしか出来ない。
というか、本当にどうしよう……完全に出るタイミング無くしたんだけど。
「ああ、聞くよ」
あら、やだイケメン──顔知らないけど。
いや……確かにね、俺自身も、ラノベとかギャルゲーとかの影響でちょっとそういったことに理想を抱いたりしていましたよ?
でも、今に関しては、そもそもの相手が俺じゃないんだよ。互いに見ず知らずの誰かなんだよ。
所謂、BSSとかNTR とかじゃないんだよ──最早、
そうして、俺がドアの向こうで勝手にどぎまぎしているのを他所に、二人は二人だけの世界へと入っていく。
「ありがと……私、浅井美妃は貴方のことがずっと好きでした。私と付き合ってください」
「ありがとう、美妃。……俺も美妃のことが好きだ、だからどうか俺と付き合って欲しい」
「──ッ! うん!!」
ドア一つ挟んだ向こう側で、誰かさん達の恋が成就している。
とりあえず、おめでとう──同時にイチャイチャ延長コース確定だよ、畜生め。
ドアの向こうから聞こえてくる惚気話に、得体の知れぬ何かに脳が侵されていくのを感じる。
ああ……口から砂糖を吐くっていうのは、こんな感じのことを言うんだろうか。
甘いのか、苦しいのか、苦しいから甘いのか、甘いから苦しいのか──思考回路すら、まともに機能しない。
そもそも、生まれて15年、恋愛の
恋が成就し、幸せ全開な二人と巻き込まれて惚気を延々と聞かされる俺。
もしかしたら、逆だったかも──そんなことありません、本当にありがとうございました。
「はぁ……早く終わってくれないかな」
「ホントだよねぇ……」
「へあっ──!?」
誰もいる筈の無い背後から囁かれた声に思わず悲鳴をあげそうになるが、すんでの所で手で止められた。
「静かに。向こうに聞こえてしまうだろう?」
「す、すみません。っていや、そうじゃなくて……何時からいました?」
「そうだねぇ……君がそのプリントの束を持ってきた頃に目が覚めたかな?」
つまり、最初から居たと……というか、何処で寝てたんだよ。
「いや、別に驚かせるつもりはなかったんだよ? 君がでていった後に続こうとしたら、向こうが青春劇をおっ始めてしまったものでね……私は先日、フラれたばかりだというのに」
「へ、へぇ……」
いや、知らんがな──と、言いそうになるのを堪え、適当に言葉を濁しておく。
見ず知らずの人にツッコミをいれるほど、俺のコミュ力り高くない。
それに──
薄暗い部屋でも分かる程の艶がある黒い長髪、極めて整った顔立ちと知的さを感じる赤い眼鏡。
──所謂、清楚系美少女と言える容姿にドギマギしない筈がない。
「失礼、私は生徒会庶務の
「あっはい……一年の篠崎です。二宮先生にこれ持っていけって頼まれて」
「つまり、パシられて此処に来たと。君もツイてないね」
畜生、何も言い返せねえ……というか、この人、生徒会に入ってるのか。
まあ、この言動はともかく、確かに人受けは良さそうな美人だしな──所謂、残念な美人という奴か。
「さて、互いに偶然とはいえ、私達は同じく此処に閉じ込められた同志だ。此処から出るためにも共同戦線を張ろうじゃないか」
「いや、とりあえずあっちが終わるのを待てば──」
「無理だ」
俺が終わるまで待てば良いと、言い終わるよりも早く、逢隈先輩は否定してきた。
「君は少し恋というものを甘く見すぎているな。結ばれたばかりの連中というのは、周りの視線なんてどうでも良くなるんだ。君も彼らの惚気話を聞いていただろう? 彼ら、同じような内容を既に三回以上は繰り返しているぞ」
流石、フラれたばかりの人は言うことが違うな。
というか、先輩はよくあんな甘々な惚気話を聞けるもんだ。
俺? 恥ずかしすぎて途中から聞くの放棄してました。
「ああ、そうさ……私だって、想いを寄せていた人がいた。別の高校だが、小中一緒の幼馴染でね」
いかん、全然ダメージを受けてた。なんなら俺以上にボロボロだった。
惚気話を想起してく内に、先輩の話が向こうのカップルのことから、自分の失恋へと脱線したきた。
先輩をフったであろう、幼馴染の話をする度に先輩の目から光が失われていく。
「そういえば……彼が告白されていた時もこんなシチュエーションだったか。駅の隅にある自販機の近くで──」
「告白されてたって……先輩が告白したんじゃないんですか?」
「いつかは、そうするつもりだったんだがね……彼が承諾したのを聞いてしまってね……」
そう言って虚空を見上げる先輩の瞳には光なんてものは既に無かった。
マズイ……どうやら、俺は先輩に振るべき話を完全に間違えたらしい。
先輩の場合は告白も何も、もはやステージにすら立てない状態だった。
「彼らはその点、幸せさ……互いに想い合い、結果としては結ばれたのだからね」
「先輩、目が死んだまま言わないでください。怖いです」
世の中には選ばれるものと、選ばれなかったものという二種が存在する。
それは、ある商品で、ある作品で、ある恋愛で。
今日も何処かで何かが選ばれて、何かは撰ばれないでいる。
それは勝ち負けともいい、二者択一ともいう。
一方で、世の中は選ばれなかったものに差程、厳しくもない。
さらには、選ぶことを放棄することだって出来るのだ。
選ばれなかったものと、選ぶことを放棄したもの。
負け組の二人はどん底の出逢いをした。