俺達が通っている高校の周りには何もない。
いや、それは少し言いすぎか……直下には味噌の工場とかがある。
今の時期、昼近くになると、臭いながらも味噌だと分かる独特な臭いが漂ってくるものだ。
特に4限の体育でグラウンドにいる時なんかは顕著である。
高校に入学当初の生徒らは臭い臭いと文句を言うものの、次第には慣れてこれっぽっちも気にならなくなる。
俺くらいになれば、臭いだけで腹が空腹を訴えるまでになる。
尤も、その訴えが役に立った試しは一度としてないのだが。
では、完全に何もないというとそういうわけでもなく……
直近であれば、最寄りの片倉町の駅まで行き、コンビニの方から先へと進めばラーメン屋だったり、中華料理屋だったり、なんだったらデニーズがあるのだから食うには困らない。
ちなみに、俺のオススメはその道中にある豚骨醤油ラーメンの店なのだが……まあ、これについては機会がある時にしようか。
そのため、何もない訳ではなく、探せばあるというのが実状である。
とはいっても、それらの店は高校から近いというわけでもなく、むしろ遠いまである。
更には聞きなれない名前かつ、値段的にも無垢な友人同士で行くには少し敷居が高い。
そのためか、大抵の生徒は地下鉄を使って、新横浜駅や横浜の方まで足を伸ばすことが殆どだ。
確かにそちらの方が飲食に限らず、ゲームセンターだったり、ショッピングと多数の選択肢があるのは間違いない。
有名なチェーン店も当然、出店している場合が殆どだ。
とはいえ、俺個人としては、勇気を持って、扉を開けてみて欲しいところなのだが……
というか、客には基本的に親切にしてくれるところが殆どだし。
勿論、無理強いはしないが、一度は先入観なしで入ってみるのもアリなものである。
……そう考えると、ラーメンが食べたくなってきたな。
次の土日のどちらかで行ってこようか……でも、先週も食べたし、バスで六角橋まで行けば──
次の休日のことを考えれば、自然と胸は踊るものだ。
そんな幸せな想像をしつつ、俺は──
「それでいて、彼は──」
──Mサイズのバニラシェイクをストローで吸い上げた。
やはり、シェイクは甘い……人生に必要なのは疲れた身に染みるの糖分の優しい甘さである。
決して、脳を侵すような、或いは失恋をフィードバック刺さるような危険な甘さではない。
ん、此処は何処かって……ファストフード店の店内だが?
では、何故ここにいるかだって?
やれやれ、愚問だな──
「……君、聞いているのかい?」
──目の前の
「すいません。途中からラーメンのことしか考えてなかったです」
「何故ラーメン?」
時刻は18時を過ぎ、数刻で19時へと差し掛かろうとしている。
ようやく、あの扉前のイチャイチャが終わったと思ったら、失恋を拗らせた新たな怪異が傍らで誕生していた。
結果、此処に連れて来られ──むしろ、拉致に近いんじゃないか、これ。
これを人によってはご褒美だとか役得だと言うかもしれない。
確かに端から見れば、スタイルも顔も良い清楚系美少女と一緒に遊んでいるように見える。
実際、先程から近くを通る男性方がチラ見しているのを確認しているし、チラ見と合わせて俺への嘲笑、若しくは侮蔑の眼差しもセットだ。
無論、俺も先輩の内情を知らなければ、緊張してシェイクはおろか、水すらも喉を通らなかっただろう。
だが、これが『未知を知る』ということなのだろうか、或いは『100年の恋も冷める』というヤツだろうか。
延々と話を聞かされたことで得たものは、眠気と空腹感だけだった──いやそもそも、俺は別に恋してないんだけど。
「えっと……とりあえずもう諦めるしかないんじゃないですか?」
「それができたら苦労なんてしないさ……」
しかも、フラれることが確定してる上で、未練タラタラときている。
恋も冷めるどころか、恋にすら発展しないのだから、もうどうしようもない。
「というか先輩、その……大丈夫なんですか?」
「ん? 大丈夫だよ。まだまだ入るからね」
いや、先輩の胃のキャパシティの心配をしたわけじゃないんだが……
先輩の手元のお盆に鎮座するLサイズのポテト、ハンバーガーの包装紙が4枚ほど──更には未開封のパンケーキまである。
そういえば、会計の時、俺の倍以上の金額を請求されてたか。
少なくとも、俺が一人で来てもあれほど請求された経験は無い。
その財力は、バイトの給料を何とかやり繰りしている俺からすれば、素直に羨ましいところがあるが、それと同時に不安になる。
……何時になったら帰れるのかな、俺。
正直、他人の失恋話を聞かされるだけで疲れるのに、これ以上疲れることをしたくないのだ。
そんな俺を他所に、当の本人はパンケーキを開けて、シロップを器用に回しかけている。
──ほんと、喋らずにいると凄い美人なんだけどな。
「ところでだ。篠崎君、君に恋愛経験もとい好きになった人はいるかい?」
シロップをふんだんにかけたパンケーキを口にしながら、悪戯を思い付いた子供のように笑みを浮かべる。
「唐突ですね……今はいないと思います」
無論、俺だって誰かを好きになったことくらいはある
誰しも小学、中学校と上がっていくなかで、それは誰もが経験する筈だ。
だが、上がっていくと同時に
好きになることは簡単だが、好きでい続けることは難しい──何処かの著名人の言葉だったか。
「おや、それは残念。もし、いたのならアドバイスくらいはしたのに」
フラれるアドバイスですか──なんて言ったら、それこそボコボコにされそうだし、辞めておこう。
君子危うきに近寄らず……とまではいかないが、見えてる地雷を踏む程、生き急いではいない。
そんな失礼なことを考えている俺を他所に、先輩が俺の方へ何かを弾いてくる。
「ちょっ、先輩。なんでゴミを……って携帯?」
「ゴミとは失礼だね。この際だ、LINEの交換しておこう。君には私の秘密を握られてしまったわけだしね」
「握られたって……まあ、別に良いですけど」
一方的に話されただけとツッコムのは野暮だろう……
QRコードを読み取り、映ったアカウントを登録する。
特に代わり映えもない、先輩の名前と猫の画像。
「ふむ、男子といえば、アイコンは友達との写真とかにしているイメージがあったが、君は違うんだな」
「生憎、約束して遊ぶほど仲が良い人がいないもので」
俺が知っている連絡先といえば、家族、バイト先の同僚──今加えた先輩くらいである。
一見、ぼっちの携帯みたいに見えてしまうが、あくまでも俺は学校やバイトでは無難な関係を持つようにしている。
当然、誰かに話しかけられたら話すし、その逆も然りである。
互いに離れれば、勝手に自然消滅するし、感情的な衝突も殆ど起こり得ない。
謂わば、代替可能な人間関係──互いに傷つくこともなく、敢えて踏み込むこともない。
これまでも、これからも、依然として変わることはない。
「なら、私は君にとっての第一号なわけだ」
「第一号って……というか、何か送っても返信とか要求しないでくださいよ? 未読スルーとか普通にするんで」
「おや、それは困る。乙女の秘密を握るというのは、君が思うよりも一大事なんだぞ?」
そんな乙女が後輩を引き連れてファストフード店でヤケ食いするのは如何なものかと……
まあ、何だかんだで、付き合っている俺にも非はあるのだろうけど。
「それに、生徒会だと、堅苦しい上に暑苦しい連中が多くてね。ある意味では君と話すのは新鮮で心地が良いのさ」
いや、それを喜んで良いのか、良くないのか分からないんだけど……というか先輩以外、生徒会役員の顔なんて知らないし。
まあ、名前も顔も知らない他の面々のことは置いておいても、先輩から今のところ悪い印象は持たれてないということは素直に喜ぶべきだろう。
「色々と大変なんですね。生徒会も」
「全くだ。こちらは失恋直後だというのに、面倒な仕事ばかり押し付けてくるからね。少しは自分で解決する努力くらいはするべきだろうに。だいたい──」
しまった、このままだと、また長くなりそうだ……どうにか話題を逸らさないと。
「ま、まあ、呼んでくれるなら愚痴くらいだったら聞きますよ」
「おや、それは私にとっては良い提案だね。なら──これからもよろしく頼むよ。篠崎君」
「あー……えっと、はい。お手柔らかにお願いします」
……流石に事あるごとに呼ばれたりしないよね? それくらいの良識はあるよね?
本にすれば僅か数ページ──いや、それすらにも満たない一幕。
主人公に青春があるのなら、物語に登場するモブにだって其は存在する。
色褪せて、モノクロな物語。何処まで普遍で、つまらなくて、本や歌劇でも取り扱ってもらえない──そんな一幕。
それでもページは捲られ、物語は次へと進んでいく。
ページを捲った読者がいるのだから。
「……篠崎君」
「なんですか?」
「調子乗って食べ過ぎて……帰りの電車賃も使い果たしてしまった……」
そう、これはどうしようもなく、普遍でつまらない物語──
「……いくら貸せばいいですか?」
──その1ページである。