「カルカさん……。」
「はい」
沈黙が十秒、二十秒と続き、三十秒が経過する。
カルカは辛抱強く待ち続け、ようやくモモンガが重い口を開いた。
「俺、冒険がしたい。冒険者になりたい」
「……冒険者?」
だが、モモンガの訴えはカルカの予想を大きく外れたものだった。
沈黙の間、カルカはあれこれと考えて、可能性として一番高い女性についてだと当たりを付けていた。
ローブル聖王国は一夫一妻制を採用しているが、それは庶民の間で諍いを少なくさせる為の方便。
大商人や大貴族など力を持つ者は男も、女も夫、妻の他に愛人を持っており、前聖王であるカルカの父もそうだった。
その為、カルカはどうしても持ってしまう独占欲の感情を抜きにしたら、モモンガが自分以外の女性を愛そうとするのは理性で理解が出来た。
なにせ、モモンガは神話を超える力を持っている。
毎晩の夜をとっかえひっかえどころか、同時に複数人を相手にしても許される力を持っている。
その点を踏まえ、カルカは自分がモモンガと最初に出会ったからこそ、今の仲が育まれた優位性を理解していた。
ケラルトがモモンガに懸想して、熱烈なアピールを自分の知らない陰で行っているのは知っていた。
ケラルトから嫌味を言われて、それに気づかないフリで惚気を意地悪に返していたが、幼い頃から互いを知りすぎている友情も有り、モモンガがケラルトを望むならそれを許そうと考えていた。
但し、自分が正妻なのは絶対に譲れない。
モモンガとの夜を共有するとしても、自分が三夜なら、ケラルトは一夜。その割合は妥協が出来ないとも具体案を考えていた。
ところがところがである。全く違った。
それも王宮の中で育ってきたカルカにはモモンガが求めているものが理解が出来ない訴えであり、首を傾げる。
勿論、カルカは冒険者とその者達を世界的に連携して管理運営する冒険者組合の存在は知り得ていたが、あまり良いイメージは持っていなかった。
何故ならば、冒険者とは言い換えるなら何でも屋。
薬草採取や街の清掃、土木作業、荷物運搬、倉庫番、隊商護衛などなど仕事内容は多岐に亘る。
では、何を以て『冒険者』と呼ばれているのか。
それは畑を荒らしたり、辺境の村を襲ったり、個体数が増えた為に間引くしかないモンスターを退治する冒険が、死の危険性が大きい冒険が仕事の主になっているからである。
その結果、巨万の富を手に入れる英雄も確かに居るが、多くの冒険者はその日暮らし。
昨夜一緒に酒を飲んでいた者が今夜は居ないなんて現実は有り触れており、大きな怪我を負ったら即引退。それを免れたとしても三十歳を超え、身体に衰えを感じ始めたら引退を考えなければならず、はっきり言ったら割の合わない職業でしかない。
それでも、冒険者という職業が無くならないのは庶民が子に財産を継がせられるのは一人が精一杯だからだ。
定職に就こうとしてもその席は既に誰かが座っており、家の外に職を求めても行く宛がない次男や三男、女性なら長女でも冒険者になるしかなかった。
世間的な評判も決してよろしくない。
色濃く力こそが正義の社会にいるせいか、明日をも知れぬ日々がそうさせているのか、素行が悪い者達が比較的に多い。
「だってさ。理由はどうあれ、せっかく知らない世界に来たんだよ?
森の奥には何があるのか? 山の向こうには何があるのか? 海の底には何が有るのか? その未知を冒険してみたいんだ!」
しかし、モモンガの続いた訴えはなるほどと理解が出来た。
カルカは王宮で生まれ、王宮で育ち、今も王宮で暮らしている為、王宮という限られた狭い空間に慣れたが、物語や吟遊詩人で知ったその遠方の地へ行ってみたい憧れは持っている。
実際、城下町へお忍びで出かけたら心は弾む。
仕事目的だろうと王都の外へ赴いたら心はもっと弾む。
十五歳の時、リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国を約半年間かけて巡った旅に至ってはカルカの中で宝物になっている。
王宮には庭園も有れば、小舟を浮かべられる池も有り、冬でも花が楽しめるこの温室も有るが、モモンガには狭すぎるのだろう。
その訴え通りにどんな森も、どんな山も、どんな海も強大な力を持つが故に突破が可能であり、天高く自由に飛びたいのだと理解した。
「それに……。それに……。それに今の俺! カルカさんのヒモじゃん!」
「へっ!?」
「駄目だよ! こんな生活! 自分が駄目になってゆくし、もし慣れちゃったら立ち直れないよ!」
だが、カルカは更に続いたモモンガの訴えに思わず間抜けな声を出した。
言われてみると確かに間違っていないが、聖王の王配を『ヒモ』と表現するなんて想像すらしていなかった。
モモンガの元中の人である鈴木悟が勤めていた会社は所謂『ブラック企業』だった。
体操と掃除、社訓社是を叫ばせる賃金が発生しない出勤時刻前の朝礼。サービス残業は当たり前、休日出勤も珍しくなかった。
有給休暇は存在していてもそれを使うなんて夢のまた夢。
夜の九時に帰宅が出来たら早い方、十一時、十二時に帰宅がざらにあり、そこからユグドラシルにイン。ギルド維持の為に必要な活動を行ってから寝る。
そんなモモンガにとって、自由な有り余る時間は毒となって心を蝕んだ。
将来の王配としての教育は有れども昼前に終わってしまい、カルカがモモンガの存在を内輪に留めている為、社交も無い。冒険者についてはその教育の中で知った。
三日目までは『三連休なんて何年ぶりだ? 凄え!』と喜んでいた。
四日目からは心が落ち着かなくなり、それが次第に『何か仕事を!』と考えるようになって、現状がカルカのヒモでしかない事実に気付いてからは部屋や廊下などの掃除を勝手に始めて、侍女達から仕事を奪うなと怒られていた。
「でも……。でも、俺! カルカさんと離れたくないんだ! 一緒に居たいんだ!」
「モモンガさん……。」
その一方、こうも悩んでいた。モモンガは張り裂けそうな胸の内を叫んだ。
この世界を冒険したいが、聖王であるカルカは連れていけない。カルカの傍に居たいなら、冒険を諦めるしかない。
どちらも正しいなら、どちらも間違っている袋小路の悩み。
これこそがモモンガの悩みの根源であり、その心に影を落としていたが、カルカは心を嬉しさに打ち震わせて、たまらずモモンガに抱きつく。その身は幻影であり、硬くて温もりは無くても十分だった。
「えっ!? ……ちょっ!?
だ、駄目だよ! こ、こんなところで! ま、まだ昼だし!」
ふと温室の出入口がある方角から音がガチャリと鳴った。
カルカが横目でチラリと窺うと、閉まったガラスドアの向こう側にモモンガ付きの年老いた侍女が背を向けて立っている。
職務放棄の上、音を敢えて鳴らせて閉めたのだから気を使ってくれたのだろう。
カルカがそれならと抱擁を少し解いて、モモンガの左手を自分の胸へと導き、間近のモモンガへ期待が籠もった潤む上目遣いを向けた次の瞬間。
「カルカ様! お休みになられたばかりのところを失礼します!
スレイン法国より使者が参りました! 至急、執務室へお戻り下さい!」
まるではめられているガラスを割るような勢いで出入口のドアが開いて、ケラルトが参上。
すぐさまモモンガはカルカの両肩を突き飛ばし、その勢いで後方へ尻餅をついたカルカは立ち上がる前にケラルトを強く睨み付けた。