彼女と僕(WEB版)   作:あべ模型製作所

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OVER THE RAINBOW

 

二〇二五年九月某日

東京都西部地域

 

〝どうしてこんな事になってしまったんだ〟

 

 もう3年くらい同棲している彼女が出勤した後、独りになったベッドで、僕は膝を抱えてつぶやいていた。

 

・・・

 

 思えば兆候は何カ月も前からあったのかもしれない。

 会社の同僚が退職して仕事量が激増したこと。

 同じく仕事量が激増でてんてこ舞いになった上司の態度が一変し、妙な圧力をかけてくるようになったこと。

 

 最初の内は「ハハ、こやつめ」とぼやく余裕があったけど、気づけば趣味の小説が書けなくなっていた。

 風呂の回数も激減していた。毎日入っていたのが二日に一遍となり、三日に一遍となり、一週間に一遍となっていた。彼女からは「不潔だよ」と言われていたものの、「疲れてるんだ」の一言で終わらせてしまっていた。

 

 なにより、彼女との営みも激減していた。

 

 そう、僕は肉体的にも精神的にも徐々に蝕まれていた。

 

 その年の夏コミは、既刊だけでサークル参加したものの、冬コミの参加は見送ることにした。

 

 破綻はあるとき突然やってきた。いつものように仕事着に着替えて出社しようとしたけれど、体が動かない。なにより恐怖心で全身に震えが出ていた。

 彼女も異変に気づき、「今日は休んだら?」と言ってくれたので、僕はやむなく会社に電話して有休をとった。

 

 次の日も同じだった。僕は心療内科を受診することにした。この段階で知ったのだが、どこの病院も予約が一杯で、近隣は全滅だった。

 

 ネットを駆使して、ようやく新橋で予約の取れる病院を見つけた。

 

 予約の日、数日振りに外に出たのだけど、気のせいか周囲の目が怖かった。〝誰かに監視されているのかもしれない。誰かに嘲笑されているかもしれない〟そんな妄想が脳裏をグルグルして、電車に乗っている間ずっと気持ちが悪かった。

 

 医師の診察結果は「適応障害」だった。

 

 具合が悪くなるたびに電車を降りて、落ち着いたらまた電車に乗ってを繰り返して、何とかアパートまで帰り着いたのだけど、会社に診断書を郵送してからは引き籠る生活が始まった。

 

 希望に満ち溢れた日常が絶望に変わった。

 

・・・

 

「じゃぁ、行ってくるね。ちゃんとごはん食べるのよ」

 それだけを言い残して彼女は出社した。僕はベッドで膝を抱えたままだった。

 

 数時間後、のそのそとベッドをでて居間のテレビを付けた。世間は僕を置いてきぼりにしたまま、どうでもよいことを垂れ流していた。

 

 何かしなくてはいけないと思うものの、何もする気もおきず、ぼんやりとテレビを観て過ごす日が続いた。なんとか生活が成り立っていたのも、ひとえに彼女のおかげだとしか言えない。

 

 そんな彼女に感謝しつつも、僕は全てを彼女に頼らなくてはいけない自分自身に絶望していた。

 

 そんな日が一ヶ月も続いただろうか、劣等感と絶望感に苛まれた僕は、そんな感情を彼女にぶつけた。

 

「僕なんかいない方がいいだろ。こんな役立たず、いない方がマシだって君も思ってんだろ」

「そんなこと、そんなことないよ。あなたが完治できるの、わたし信じてるから」

「フン、どうだか」

「どうしてそんなこと言うの?」

「じゃぁ、僕を慰めてくれよ」

「えっ?」

 僕は彼女の返事を待たず彼女に迫った。無言で彼女の服に手をかける。

「やめて、やめてよ」

 そのか細い声にかえって嗜虐心が沸きたった。乱暴に部屋着シャツのボタンを外し、ブラをひん剥いた。

 彼女の雄大な部分がまろびでた。僕は夢中で貪った。多分、その時の僕の表情は、今までで一番醜悪だったと思う。

 既に彼女は観念したのか無言だった。ときたますすり泣く声が聞こえた。

 堪らなくなった僕は、彼女のスカートに手をかけた。彼女は「あなた、やめて」とわずかに抵抗するのみだった。

 彼女の下着を強引に下ろした僕は、自分のズボンとパンツを下ろして事に至ろうとした。しかし、肝心の僕自身はうなだれたままだった。

 働くこともできず、事に及ぶこともできず、後悔と情けなさで、今度は僕の方が泣き始めてしまった。

 彼女を押し倒したまま泣いていたので、涙が彼女の顔にこぼれた。

「あなた……」

 その声に軽蔑の色はなかった。なかったことがかえって後悔と罪悪感を喚起し、ますます涙があふれた。

 そんな僕の頭を彼女はそっとだきしめ、彼女の雄大な部分に埋めてくれた。僕はその胸で声をあげて泣いた。

 

・・・

 

 僕はなんとか平常心を取り戻した。お互い服を整えてテーブルに着いた。彼女がお茶を淹れてくれた。カップを受け取ると、素直に謝った。

「ゴメン」

「ううん、気にしないで、とは言わないけれど、強引にしなくても、いつでもあなたを受け入れるわよ」

「……」

「だって、わたしはあなたの彼女だもの」

「……ホントにゴメン」

 彼女はクスリと笑った。

「ねぇ」

「うん」

「あなた、気分転換が必要ね。しばらく小説も書いていないでしょ」

「……そういえばそうだね」

「どうしたって時間が余るのだし、何か書いたらどうかしら?」

「……うん、そうなんだけど。今はなにも考えられないなぁ」

「焦ることないよ。気持ちが『書きたい』ってなってからでいいからさ」

「うん」

「あなた」

「うん」

「今は永遠に冬が続くと感じるかもしれない。だけど大丈夫。必ず暖かい春がやってくるよ」

「……うん」

 

・・・

 

 そんなアドバイスを貰ってからも、僕はなにもできずにいた。ただ、全部彼女におんぶに抱っこだったのが、家のことは少しずつ挑戦することにした。ゴミ出しのために外に出るのには勇気がいたけれど、彼女がいると思えばなんてことなかった。

 

 一月に一度の受診はちょっと大変だった。僕は気持ちがざわつくたびに電車を降りて深呼吸をした。

 

 小説には手をつけられなかったものの、家庭内の役割分担が明確になってから、少し気分が落ち着くようになっていた。

 

 ただ、社会に復帰するのはまだすごく恐怖心があったので、年末をもって退職することにした。

 

・・・

 

 年末、僕と彼女はアパートで過ごした。コミケには参加しなかった。せめて君だけでも参加したら? と尋ねたけれど、彼女は「ううん、あなたと過ごすのがわたしの幸せなの」と言ってくれた。

 

 ゆっくりとふたりの時間をすごし、夜更けには年越し蕎麦を僕がこしらえた。ちょうど北海道の弟からおくられてきたニシンの甘露煮があったので、天ぷら蕎麦の代わりにニシンそばを振舞った。

「あなたの故郷の味?」

「うん、元祖は江差って街らしいのだけど、道内だったらだいたい食べられるかな」

「ふーん、そうなんだ」

 ハフハフ、ツルツル……。

「美味しいね」

「そういってもらえて良かった」

 紅白を眺めたりしながら、穏やかな年越しを過ごすことができた。

 

・・・

 

 年が明けた。彼女は一日だけ実家の横須賀に帰った。

 

 彼女の仕事が始まってからいつもの日常が再開した。そんな日が何日か続いた。

 

・・・

 

 ある日、テレビを付けながら家事をしていると、速報が流れた。都内の工事現場で事故が起きたそうだ。

 ヘリが上空から生中継していた。

「? ……!」

 そこはちょうど、建設会社に勤めている彼女が入っている現場だった。

〝まさか……〟

 僕は慌てて彼女の携帯に電話を入れた。着信音はなるものの、中々繋がらなかった。

 最悪の可能性に僕は蒼ざめた。何度かけても繋がらない……。

 

 時間だけが過ぎてゆく。定時を過ぎても連絡がこない。19時、20時……。

 

 ……僕は彼女の会社に駆けつけることを決意した。

 

 都内の彼女の会社までは一時間近くかかる。当然電車に乗らなくてはいけなかった。

 以前ならば恐怖心で乗ることも叶わなかったが、今はそんなことは関係なかった。

 

 ようやく会社に着く。受付で彼女の名前を出した。受付の人から関係をきかれたので、「彼女、──の彼氏の──です」とだけ答えた。それで納得したのか、照会をしてくれた。

「今降りてきます」

 無事だった。ひとまず安堵した。数分後、1階ロビーに彼女が降りてきた。

「ここまで来てくれたの。ゴメンね、事故処理で電話に出られなかったの」

「ううん」

「北崎の作業服は頑丈ね。事故は派手だったけれど、装甲に守られて怪我した人はだれもいなかったの」

 僕はかぶりを振った。

「君が無事で……エゴかもしれないけど君が無事で本当によかった……」

 僕の顔は涙でグチャグチャだった。

 

・・・

 

 彼女が会社その他から解放されたのは23時をとっぷり超えた頃だった。

 

「終電、なくなっちゃったね」

「今夜はどこかで泊まるしかないな」

「ふふ、そうしましょうか」

 近場のビジホを確保し、僕らは一泊することにした。

 

「あぁ、疲れちゃった」

 大分遅い夕食を終え、彼女は足を投げ出すようにベッドに腰かけていた。

「あ、シャワー浴びようかしら」

「そうしなよ」

「ふん、……あなたも入らないと……汗臭いわよ」

 久しぶりに見た彼女の小悪魔的表情だった。

 

 体を洗い、ふたりで湯舟に浸かった。彼女はどこかうれしそうにつぶやいた。

「お尻になんか当たってる」

「う、うん」

 しばらく大人しかった僕自身が怒張していた。

「……ベッドに行こうか」

「……うん」

 

 いつもなら彼女と僕を隔てる0・02ミリの被膜があるのだが、初めてそんな邪魔者なしで事に及んだ。

 いつも以上に彼女を感じることができた。彼女もどこか、いつも以上の反応だった。

 

 全てが終わって、僕らは仲良くベッドで横たわっていた。

「なぁ」

「なに?」

「うん」

「もう、なぁに?」

「……君が前言っていたように、また小説を書こうと思うんだ」

 彼女を見ると花が咲いたような笑顔を浮かべていた。

「それがいいよ、うん、絶対いいよ。わたし応援してるから!」

「ありがとう」

 僕はふと聞いてみた。

「そんなに僕に小説を書いて欲しいものかな?」

「あなた、わたしと初めて会った時のこと覚えている?」

 忘れもしない。ある年の夏コミの打ち上げだ。そこで僕は彼女と話をしたんだった。

「その時にさ、あなた言ってたじゃない。『いつか小説で身を立てたい』って。きっと、どこかの誰かが、あなたをそうするように仕向けたのよ」

「そうか、そんなこと言ってたか」

 そんなことを言っていたのは脳裏から消えていた。

「忘れてたのね。あなた、こんなことも言ってたわよ『読んだ人が明日も頑張ろうって思える作品を書くんだ』って。あなたならできるわ」

「今の僕にそんなの書けるかな?」

「一番苦労したあなただから、同じく苦労している人の心に届くんだと思う。わたしはそう信じているよ」

「そっか……そっか」

 彼女の表情はどこまでも美しかった。元々美人の範疇だとはおもっていたけど、そんなんじゃない、仏菩薩を思わせる美しさがそこにはあった。

「わたしはね、そんなあなたが大好きよ」

 

「……わかった。どうせならなにか新人賞を目指してみるよ」

「そうこなくっちゃ」

 なんか、これまでの憑りついていたものが取れたような気がした。そう思えると、なんか僕と僕の息子が元気になってきた。

 

「なぁ」

「なぁに?」

「もう一回、いいかな」

「言ったじゃない、いつでもあなたを受け入れるよ、って」

()い奴め」

 

 その夜、僕は何度も彼女に注いだ。まるで彼女に僕の証を残すように。

 

・・・

 

 それからは、家事の合間に小説にかかることにした。ずっと二次創作ばかり書いていたので、完全オリジナルとなると勝手が違った。最初は手間取ったけれど、資料を集めたり何度も習作を重ねることで経験を積んでいった。

 

 幾度も小説賞に応募しては()ねられた。それでもへこたれなかったのは彼女が信じてくれるからだ。落選するたびに僕は勇気を奮い起こして執筆を進めていった。

 

・・・

 

 小さな出版社の小さな小説賞を受賞したのは、あの夜に決意してから、ちょうど一年を過ぎた頃だった。

 彼女は泣いて喜んでくれた。

 

 受賞作は「虹の彼方へ」というタイトルだ。

 

 まだまだ小説で身を立てていけるところまでには至っていない。全てはこれからだ。だけど、彼女と一緒ならそんな日も必ず訪れると思えた。思えることが幸せだった。

 

・・・

 

 受賞した日の帰り道。僕は彼女と街路を歩いていた。一月の木枯らしが身に染みる。僕らは寄り添っていた。

 

「なぁ」

「なぁに」

「一度、僕の実家に行ってみないか?」

「うん、いいよ」

「でね」

「うん」

「いや」

「もう、なに?」

 僕は足を止め、彼女に正対した。そして、努めて何気なく言った

 

「結婚しよう」

 

 彼女は満面の笑みを浮かべた。

「その言葉、待ってたよ」

 

 

 

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