横須賀市 神奈川県
二〇二一年五月三日
出発直前、僕は自宅アパートの鏡の前で最終確認をしていた。
髪型、よし。髭、剃った。服装、乱れなし。お土産、持った。
腕時計を見ると、出発するには頃合いの時刻になっていた。僕は両頬に一発気合をいれてアパートを出た。
・・・
玄関を出ると、五月晴れの空が気持ちよかった。今日はいい日になりそうだな。……いや、いい日にするぞ。
西武新宿線、山手線、そして京浜急行線を乗り継いで目的地へ向かう。品川駅に着くまでは意識していなかったけど、路地を130キロ/時ですっ飛ばす京急の運転速度には、毎度のことながら驚かされる。
午前9時45分くらいに横須賀中央駅へと着いた。待ち合わせの10時までは、まだ若干ある。彼女はもう来たかな? なんて思いながら改札を通り抜けると……いた。
今日の彼女の服装は、淡いグレーのロングワンピで、スカート部には花をあしらったレースのフレアスカートを重ねていた。腹部は絞られており、そのことで彼女の豊かなバストが一層強調されている。フリルのついたノースリーブの袖から見える脇は妙に艶めかしく、上着を着崩した形で羽織っていた。胸元のリボンが全体の清楚さを強調して可愛らしい。
頭にはちょこんと、ワンピに合わせたベレー帽が乗っかっていた。
「おはよう。今日も待たせちゃったかな?」
「ううん、わたしもちょっと前に着いたところよ」
彼女は前日、実家に帰省して一泊していた。ちなみに、彼女はいまのところ、都内(二三区内)某所に住んでいる。
「よかった。……今日も綺麗だね」
「ふふ、ありがと」
彼女はうれしそうに、僕の前でくるりと回って見せた。
僕の格好はというと……。
「固いわねぇ」
仕事用、とまではいかないけれど、カジュアルになり過ぎない程度のスラックスを履いていた。上は申し訳程度に模様の入ったシャツに茶色いジャケット、そして紺色のネクタイといういで立ちだった。
「ふふ、ま、あなたらしいわね」
「そう言ってもらえると助かるよ」
「さて、今日はどこに行くのかしら?」
僕は彼女の足元を確認した。事前に「今日は歩くよ」と伝えてあったので、ヒールが低めのブーツを履いていた。
「うん、いつもの僕の趣味で悪いんだけど、まずは三笠公園でいいかな?」
「了解」
駅からふたりでトコトコと歩いた。日差しは柔らかく、お散歩デートにはちょうど良かった。僕は彼女に気を使ってゆっくり目に歩いたつもりだったのだけど、かえって彼女の方が早足だった。
「どうしたの? 早く早く」
「うん、ちょっと待って」
考えてみれば、田舎上がりで車社会にどっぷりだった僕の方が歩くのが遅いんだったなぁ。
15分くらいで目的地の三笠公園に着いた。すでに僕はヘロヘロだった。
公園のシンボル、記念艦〈三笠〉は塗装もしっかりと施されており、比較的整備が行き届いた状態であるようだ。
艦内を一回りして甲板のベンチに腰かけた。
「〈三笠〉ねぇ、お父さんと何回か来たことがあったかな」
「あぁ、そうか。君のお父さんは造船関係だもんね」
「そう、海上自衛隊の下請けでね。普段だったら、すぐ隣の第六ドックにいるんじゃないかなぁ」
「まぁ、今日は休みだし」
「そうね。あ、今晩、あなたが来るのを楽しみにしてたわよ」
「うわぁ」
僕は頭を掻いた。
・・・
お昼は三笠公園入口交差点近くのインドカレー屋さんで済ますことにした。彼女はバターチキンカレー、僕はよこすか海軍カレーセットを注文した。お互いに味見をしあっこしたりと、中々楽しいお昼ごはんだ。
周囲を眺めてみると、僕らの他にも観光客がチラチラ、その他には入りたてと思われる海自のセーラー服を着た隊員が何人も見受けられた。ひとりふたり、合衆国海軍の関係者と思われる外国人もいたが、あまり目立つ感じではなかった。
食事を済ませ、横須賀街道を西に向かって歩いて行った。右手に海上自衛隊の基地ゲートが見えてきた。
「お父さんの話だとね」
彼女が話しかけ始めた。
「昔はここのゲートもアメリカの水兵さんでごった返していたんですって。お父さんまだ若かったし、水兵さんも血の気が多かったから、何回か喧嘩沙汰になりかけたこともあったそうよ。
日本に返還されてからはそんなこともなくなったんだけど、お父さんに言わせれば、『海自は大人し過ぎてつまらない』ですって」
僕はかつて住んだことのある港町を思い出した。
「やっぱ海の男は血の気が多いのかな?」
「ううん、そうねぇ……あなたが大人しすぎるのかもしれないわね」
「うひぃ」
「お父さんに会ったらね」
「うん」
「とにかく堂々としてるのよ。大丈夫。あなたは十分素敵なのだから」
なんか照れる。
・・・
そのうち、次の目的地、ヴェルニー公園に着いた。
僕らは細長い公園をゆっくりと散策した。〈長門〉や〈高雄〉型の記念碑の前で、ふたりで自撮りをしたり、彼女は陸奥の主砲の大きさに驚いていたり。
対岸が見えるベンチに、僕はどっと座り込んでしまった。デスクワーク主体の仕事をしていると、体力が持たないなぁ。
彼女は心配そうに覗きこんできた。
「何か飲み物買ってこようか?」
僕は汗を拭きふき応えた。
「お願いします」
近くのキッチンカーに向かう彼女を見送った。よっぽど僕より元気だな。若いって素晴らしい。
彼女の後ろ姿をしばし見送る。彼女のぽってりとしたお尻もカワイイなぁ。
彼女を待っている間、僕は対岸の海自基地を眺めていた。灰色の護衛艦が何隻も見えた。
彼女のお父さんが勤めているという第六ドックは……僕は携帯をタップしてマップを開いた。……そうか、この対岸の桟橋のさらに向こうか。ここからじゃ直接見えないんだな。
ややあって彼女は飲み物を買って戻ってきた。
「レモンジュースでよかったかな?」
「ありがとう」
受け取って一口飲んだ、レモンの爽やかな酸味が喉を通り抜ける。彼女もオレンジジュースをストローでチューチューと飲んでいた。
「一杯フネがいるね」
僕はメザシ状につらなっている護衛艦の向こう、奥の方に鎮座している航空護衛艦〈そうりゅう〉のマストを注視しながら応えた。
「うん、なんせ海自の中枢だからねぇ」
「アメリカのフネもいるのかな?」
「昔は護衛艦がいるところにたむろしていたみたいだけど、ちょうど君のお父さんが若い頃にみんな国後島に基地を移転させちゃったからねぇ」
「そうなんだ」
国後島か……。
「統一戦争で大変な目にあってから、日本駐留の第七艦隊が撤退しちゃっていたけど、しばらく前……あの9・11の後で幾らか日本に戻ってきたみたいだよ。今はちうごくの方が危ないってんで、ここや佐世保に間借りして何隻かいるみたい」
「そうね、お父さんも生き残ったアメリカ人の元同僚さんに再会して喜んでいたわ」
「そうかぁ、そうだよね」
ふと、一隻の護衛艦が出港するのが見えた。航跡をなびかせている姿がとても印象的だった。
「あのフネはどこに向かうのかしら?」
「訓練出港なのか、アフリカ沖で海賊退治なのか……」
件の護衛艦が汽笛を鳴らした。それに応えるように、彼女は優しくつぶやいた。
「いってらっしゃい」
きっと彼女のお父さんも、出港するフネを同じ気持ちで見送ったんだろうな。そんなことを想いながら僕はいつまでも彼女の横顔を眺めていた。
例の感染症が流行る前、僕が上京した時に横須賀のこの辺り一帯へ来たことがあるけれど、ふたりでくるのはまた格別な感慨があった。
・・・
夕刻、僕らは坂の上にある彼女の実家に着いた。木造の二階建ての純和風な佇まいで、こじんまりとしつつも立派な庭があった。
門をくぐり玄関の前で、僕は内心緊張していた。フーっと深呼吸をする。そして、チャイムを押した。
まずは彼女が第一声。
「ただいまぁ」
彼女のお母さんが迎えてくれた。
「おかえりなさい。彼氏さんも、ふふ、いらっしゃい」
お母さんの後ろからお父さんもやってきた。
「いらっしゃい。──君。まぁ上がんなさい」
僕らは玄関に上がった。
「わたしは着替えてくるね」
と、彼女は階段を上がっていった。僕は応接室に通された。
ソファーで彼女のお父さんと相対する。お母さんがお茶を出してくれると、お父さんは身を乗り出して僕のことを尋ねはじめた。仕事のことや出身地のこと、などなど。
根掘り葉掘り聞かれた僕は〝まるで面接みたいだなぁ〟なんて感想を抱いた。いや、実際面接だったのだろう。
その内彼女が部屋着に着替えて降りてきた。応接間での声が聞こえていたらしい、少しキツめにたしなめてきた。
「もうお父さん、会社じゃないんだから」
ちょうどお母さんもやってきた。
「ごはんの準備ができたわよ」
居間に通されると、テーブルには寿司と酒が用意されていた。
四人が腰かけると、お父さんが話しかけてきた。
「──君。酒はいけるかな」
「はい、大丈夫です」
「それはよかった」
そういうと酒の瓶を掲げた。僕はグラスを捧げた。お返しに僕もお父さんのグラスに酒を注いだ。
それぞれに飲み物行き渡ったところで乾杯となった。
応接間では固い雰囲気だったお父さんも、今は少しリラックスしているようだ。
「──ほぅ、父上は電力会社に」
「はい、すでに退職したのですが、つい最近まで協力会社で働いていました──」
話題は地元のことに移っていた。
「……函館、か。あそこにもドックがあっただろう」
「えぇ、函館山のふもとに。戦争で反応弾をくらって壊滅しましたが、その後再建されました」
「うん、私もいつだか出張で行ったことがある。護衛艦の整備についての研修のためにね。あそこは中々優秀なところだよ」
地元のことを褒められると、直接関係がなくてもうれしいものだ。
「うん、函館か、あそこはいいところだ」
「ありがとうござます」
僕はしばらくお父さんと酒を酌み交わしていた。いつしかお父さんはこれまで以上に饒舌となっていた。
「──長年フネに関わっていると、一隻一隻に愛着が湧くものだ」
「はい」
「そうなるとな、不思議とフネにも人格があるんじゃないかと思う時がある。君は〈ミッドウェイ〉という空母は知っているか?」
「えぇ、まぁ、あらましは」
酒で顔を赤くしたお父さんは話を続けた。
「そうか。……あれは私がまだ駆け出しの頃だ、〈ミッドウェイ〉の大改装が終わって一息ついたとき、私は彼女の仕上がり具合を見回りに行ったんだ。私にとって初めての超大型艦だったからね。
ひとりで船体を眺めていると背後から声をかけられたんだ」
「はい」
「相手は合衆国海軍風の女性でな。今でこそ女性の士官なんて沢山いるけれども当時は珍しくってな、『はて、こんな士官がいたかな?』なんて思った。すると彼女は『今回もありがとう。貴方たちのお陰で私はまだ戦える』なんて言ってきた。あの時は私も疲れていたのだろう。彼女の存在を素直に受け入れていた」
僕はうなずいた。
「彼女は話を続けていた、『ただ……』と。私は聞き返した『ただ、なんでしょう?』とね。すると彼女は苦笑して応えた『ただ、尻が少し大きくなりすぎたようだ。これでは艦載機の発着艦に支障がでるかもしれない。貴方たちの頑張り過ぎだ』とのたまわったんだ。その時は自分たちの頑張りを否定されたようで悔しくてね。怒鳴りかえそうとしたら、もう彼女の姿は消えていたんだ」
「はい」
「私は夢から覚めたような気分になった。きっと疲れているんだろう、とね」
「はい」
「その後しばらくして、彼女が公試に出てから船体の動揺が激しくなった、という話を耳にした。
お父さんの表情はどこか悲しげになった。
「だから、湾岸戦争で〈ミッドウェイ〉が沈んだ際はとても残念だったよ。なにか大切な娘を喪ったようでな。
あの時、『〈ミッドウェイ〉なんて名前がいけない』なんて言う奴がいた。思わずそいつをぶん殴ってしまったのも苦い思い出だ」
僕はなにも言えなかった。
「おっと、少し酒が過ぎたようだ。……私は休むことにするよ。
──君……」
「はい」
「娘を大切に、な。おやすみ」
そのままお父さんは部屋に戻っていった。
食器を片付けながら、彼女は言った。
「お父さん、また与太話を始めた」
少しあきれ気味な彼女に、お母さんは微笑んで言った。
「あらあら……知ってる? お父さんがあの話をするのは、よっぽど気に入った相手にしかしないのよ。ふふ、彼氏さん、良かったわね」
僕は赤面するしかなかった。
お母さんは食器を洗いながら僕らに言った。
「あなたたちも今日は疲れたでしょう。もう休んだらどう?」
「ありがとう。そうするわ。あぁ、お布団敷くわね」
僕も酒が回って眠気が襲っていたので、素直に従った。
・・・
翌朝、ちょっと早めに目が覚めた。トイレに向かうと、ちょうどお風呂上りの彼女に会った。
「おはよ」
「おはよう」
「昨日お風呂に入れなかったでしょ。ちょうど出たところだから、あなたもはいりなよ」
「ありがとう。そうするよ」
「ちょっと冷めちゃったかもしれないけど、その時は追い炊きしてね」
「うん」
彼女の実家のお風呂はまぁ、ごく普通の広さだと思うのだけど、自宅アパートのそれと違い、ゆっくりと足を伸ばせるのが最高だった。
風呂から上がると朝食が準備されていた。彼女の家族は僕を待っていたらしい。挨拶を済ませ、皆で食べ始めた。
テレビでは、
お母さんは心配顔を浮かべていた。
「朝から物騒ね……」
お父さんも難しい顔を浮かべる。
「ロシアか。……中国にしてもそうだが、愚かな指導者が国の中枢を占めると、国家としてこうも馬鹿なことを簡単に始める。困ったもんだ」
僕も口を開いた。
「日本は、全部が全部素晴らしい国、という訳ではいないですけど、こうして自由に生活ができてちゃんとご飯も食べられる。この国に生まれて良かったと思います」
彼女が被せるように話した。
「こうして自由に恋愛もできるしね」
お父さんは複雑な表情をしていた。それに対して、お母さんは微笑みを浮かべていた。
「ふふ、そうね。朝からご馳走様」
・・・
朝食後、彼女の実家を出た。御両親は玄関先まで僕らを見送ってくれた。
こうして、彼女の両親とのファーストコンタクトは終わりを告げた。
「どうだった?」
「いいご両親だね」
「いつか……」
「うん?」
「ううん、なんでもないっ!」
そういうと彼女は腕を組んできた。僕らは仲良く、朝の坂道を下って行った。