彼女と僕(WEB版)   作:あべ模型製作所

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幽霊艦隊

 

 

厚岸町 北海道

二〇二二年五月一日 早朝

 

 農家の朝は早い。酪農家の朝ならばなおのことだ。

 

 携帯のアラームで目覚めた僕は、隣で寝ていた彼女を起こした。

「ううん、もう朝……? 今何時?」

「4時半だよ」

 低血圧気味な彼女は少し不機嫌そうな面持ちだった。それでも昨晩、僕の妹と交わした約束は憶えているようだ。

「そっか、朝ね。和美さんはもう牛舎に行ってるの?」

「もうとっくにね。さ、ツナギを着て僕らも行くか」

「了解」

 

 道東の朝は早い。五月となれば、すでに夜は白んでいた。

 

 僕らは妹宅を出て坂を下った所にある牛舎へと向かった。

「お、ちゃんと起きたな。おはようお兄ちゃん、と彼女さん」

「おはよう。で、僕らは何をすればいい?」

「そうだなぁ、じゃぁふたりともこれ持って」

 渡されたのは農業用の巨大なフォークだった。

「で、これを使って牛のフンをこのコンベアに落として」

「フン……か」

 僕は何気なく受け取ったが、彼女を見ると、

「これ……で……」

 若干蒼ざめていた。

「あー」

 妹は彼女を見るとニヤリとした。

「まぁ、あんまり無理しなくていいよ。適当にお兄ちゃんを手伝って……ただし」

 妹は目つきを少し細めた。

「『働かざる者食うべからず』だから。少しでも動いてね」

 彼女は妹の迫力に、ただうなずくだけだった。

 

 牛自体は搾乳のため、牛舎から出ていた。空になった房(と表現すればいいのかな?)には寝床となる稲わらと、牛たちが出すフンが堆積していた。

 僕らはそれらの房を一つずつ清掃していくことにした。最初に妹が見本を見せてくれたので、僕らは見よう見まねで進めていった。彼女を見ると大分引き気味だったものの、健気にフォークで稲わらとフンをコンベアに落としていた。

 

 それでもやっぱり愚痴が出た。

「わたし、てっきり牛さんのお乳を搾るのかと思ってたのに……」

 すでにツナギには牛のフンがこびりつきだしていた。僕はなだめるように言った。

「仕方がないよ。今は全部機械化されているし、ここと隣の牛舎で百頭以上牛がいるんだぜ。手作業で乳搾りなんてやってたら、一日中かかっちゃうよ」

「それはわかってるんだけど。うう」

 彼女は自分を納得させるかのように、再び手を動かしはじめた。励ましになるかどうかはわからなかったが、僕は一言加えた。

「仕事が終わったら生牛乳飲ませてくれるって。牛乳は大丈夫だったよね?」

「うん」

 

 僕らは黙々と片付けを進めていった。

 

 小一時間で牛舎内の清掃が終わった。それにあわせるように、牛たちが帰ってきた。妹は満足そうに話しかけてきた。

「おぉ、やればできるじゃん。きれいきれい」

 そう言いながら牛たちを一頭一頭柵に繋いでいた。

「ありがとうございます。和美さんはこれを毎日?」

「そう、毎日毎日、休みなくだよ」

 そう語る妹の表情は、どこか誇らしげだった。

「こうしてあたしたちは生きる糧を得てるんだ」

 

 僕の妹が酪農家に嫁いだ理由はイマイチわかっていない。妹の話だと、見聞を広めるためにバイト感覚で就農しただけだったのだが、たまたま今の旦那さんに見染められたのだそうだ。

 もう結婚してから十年近く経つ。いで立ちはまさしく、農家のおっ母さんという雰囲気だ。

 

 牛舎の脇にある倉庫で、僕らは長靴に付いたフンを洗い落とした。肉体労働に慣れていない僕らはクタクタになっていた。そんな様子を見ていた妹は牛乳の入ったグラスをよこしてくれた。

「はい、お駄賃の生牛乳だよ」

 彼女は受け取ると一口飲んだ。

「おいしい、すごく濃いのね」

 僕も飲んでみた。確かに普段飲む牛乳とは全く味が違っていた。

「出荷しているのは工場で加熱殺菌しているからね。これが本当の牛乳の味だよ」

 彼女は笑顔を浮かべていた。

「和美さん、ありがとうございます。」

 

 そんなこんなで酪農家の手伝いみたいなことをしたのだけど、僕らがここに来たのは妹の手伝いをするためではなかった。

 連休を利用して道東旅行をするついでに妹夫婦宅で一泊したのだけど、「どうせなら働いてけ」という妹の強い働きかけのためだった。

 まぁ、僕も彼女も妹がどんな仕事をしているのか、その一端が見れただけでもいい経験になった。横須賀生まれ、横須賀育ちの彼女には、全てが新鮮に映っただろう。

 

 朝ごはんを食べ終えると、早速出かけることにした。牛の世話はあくまでオプションなのだ。

 

・・・

 

 妹宅からレンタカーを出発させる。この辺りはどこも酪農家ばかりなのだけど、それだけに一軒一軒の間はキロ単位で離れていた。

 何度か訪れていた僕にはありふれた道東の風景なのだけど、彼女にはそれも新鮮に見えるようだ。

「すごいね。これぞ大自然、って感じね」

「まぁ、そう見えるよな。実際は全部人間が作った自然なんだけどね」

「もう、せっかく人が満喫しているのに」

 ゴメンゴメン、共感して欲しかったんだろうけど、ついつい。男はこれだから。謝る代わりに僕は話した。

「明日は道東の奥地に行くよ。本当の手つかずの自然を堪能させてあげるよ」

「ふふ、わかった。楽しみにしてるわね」

 彼女はうなずくと、尋ねた。

「で、今日はその大自然とは真反対のところに行くんでしょ」

「まぁね」

「あなたのミリタリ癖よね」

 彼女は軽くため息をつく。元々彼女とは趣味を通じて出会ったのだけど、お互い趣向は若干ずれている。彼女は軍艦擬人化コンテンツのコスプレは好きでも、軍艦そのものにはそれほど興味はないのだ。

 

 そう、軍艦。今日は軍艦を見に出かけるのだ。

 

・・・

 

 高原を下って海辺まででると、巨大な湾が見えてきた。いわゆる厚岸湾だ。

 港までは降りることはできない。何故なら、そこは巨大な軍港地帯だからだ。

 

・・・

 

 少し歴史の話をする。

 

 太平洋戦争の結果、北海道は米ソに分割された。いわゆる留萌─釧路線って奴だ。その分割ラインの向こう、そうかつての〈向こう側〉は十勝地方と釧路地方を隔てる形で、こちらとむこうに分かれることになった。

 その結果、釧路市は〈向こう側〉で唯一、太平洋を望む都市となった。そのため、貿易や工業の発展のため、戦前を上回る勢いで開発が進んだ。

 その発展は釧路市を潤すことになったんだけど、その代わり、釧路湿原は工業化のために干拓されてしまった。

 隣の鶴居村に申し訳程度の湿原が残されたのだけど、丹頂鶴はほとんど絶滅に近い状態まで追いやられることになる。

 時代が進んで、自然がどうのと叫ばれるようになり、ようやく保護された時には残り数十羽しかいなかったほどだ。

 幸い保護事業が進んだので、今でも百羽程度生息しているらしい。

 

 まぁ、そういったなりふり構わぬ開発の結果、釧路市は百万都市へと成長した。当然、交通事情は悪化したので、一九七〇年代に都市モノレールが建設されたくらいだ。

 

 そうした話は、あちらの有名な政治家・田中角栄先生の著作「共和国改造五ヵ年計画」を読むと、詳しいことが書いてあると思う。

 

 

 で、厚岸。

 

 巨大な湾が形成されているこの地域は、赤衛艦隊初代司令長官(だったっけ?)の神大将が目をつけたらしい。なんでも「革命を世界に広めるために、艦隊は太平洋にも展開しなければならない」とかなんとか。

 そうして、ただの漁村だったこの地に軍港ができた訳だ。

 

 太平洋に開かれているのはこの地のみだった。千島列島は合衆国に占領されていたので、〈向こう側〉は豊原のある樺太と太平洋を、海の上で分断された状態になっていた。それを解決するために、根室運河要塞が建設された。

 

 根室半島の付け根を開削することによって、道東沿岸から千島列島を経由しなくても太平洋に出られる、というのは彼らにとって大きな利益だった。まぁ、国後島という巨大な邪魔者がいたと、彼らは思っていただろうけど。

 当然、ソ連海軍も厚岸に目をつけた。ソ連太平洋艦隊の支隊を置いたのも当然だろうね。

 

 そんな状態は統一戦争まで続いた。ソ連は崩壊して撤退していたけど、赤衛艦隊は壊滅するその日まで、潜水艦部隊やミサイル艇なんかを置いていた。

 

 統一後は空っぽになっていたんだけど、その後は……。

 

・・・

 

 僕らは軍港の見える道の駅、「コンキリエ」にレンタカーを止めた。かつては軍事機密で立ち入り禁止地帯だったんだけど、今では観光スポットのひとつだ。

 展望台があるので僕らは早速登ることにした。

 

「ねぇ」

 彼女はいつものお気に入りのベレー帽ではなく、麦わら帽子を被っていた。それが風に飛ばされないよう、手で抑えながら僕に尋ねる。

「あなたの話だと、軍港だったのは統一前の話だったんじゃないの?」

「そうだよ。潜水艦部隊とあれこれ」

「なんで今は海自の基地になってるの?」

「最初は民間に開放するって話もあったんだよ」

「そうなんだ」

「この湾は汽水だから、牡蠣の養殖にでも使えるんじゃないかってね」

「でも、そうはならなかった……」

「そう、環境庁の調べで、ここがあまりにも汚染されているのがわかったんだ。そんな状態で牡蠣の養殖なんてとてもとても……だから海自が引き取ってとりあえず基地隊を置いたんだ」

「ふーん」

 そう言うと彼女は展望台に備え付けてある望遠鏡に百円玉を投入した。

「その割にはフネがたくさんいるじゃない。『とりあえず』なんて規模じゃないわよ」

 そうだよな。そう見えるよな。

「あれはね。幽霊艦隊なんだ」

「幽霊?」

「そ、みんな幽霊」

「? どゆこと?」

 彼女は目を白黒させていた。

「あそこにたむろっているのは、全部退役したフネなんだ」

「え、あれ全部?」

「そう、あれ全部」

「合衆国には退役した軍艦を保管する施設があるんだけど、海自もそれにならった訳、例えば……」

 僕はやけに平べったい、空母みたいな護衛艦を指し示した。

「……あれは元〈しらね〉って対潜護衛艦なんだ」

 彼女は望遠鏡を向けた。

「わぁ、なんかボロボロね」

「一応、内部は腐敗しないように保護してるんだけど、外見はどうしても錆びてくるんだ。他の護衛艦も──」

「あぁ、本当、みんなボロボロね」

「でしょ。だからその様子を『幽霊艦隊』って呼んでいるんだ」

「もう統一されたのに、とっておく必要があるのかしら?」

 僕は両肩をすくめた。

「僕にもわからない。海自的には、まぁ必要だと思ってるんだろうね。次なる戦争に備えるために」

「物騒な話ね」

「願わくは──」

 ミリタリおたくの僕だけど、護衛艦が生き延びているのは嬉しいんだけど、彼女の意見には賛成するしかなかった。

「彼女たちがこのまま静かに、解体されるまで平和であればいいね」

 

・・・

 

 コンキリエで妹夫婦にお土産を買い、釧路市で観光を楽しんだ後、夕方頃に妹宅に戻った。

 

 ちなみにその日の夕食は、廃用牛を売りさばいた金で買った特上牛肉を用いた焼肉だった。

 

・・・

 

 次の日妹夫婦と別れ、僕らは道東観光に赴いた。

 

 摩周湖や屈斜路湖で本物の自然を楽しんだ後、川湯温泉の旅館に一泊した。

 

 

 そこで色々思い出を刻んだのは、ふたりだけの秘密だ。

 

 

 

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