彼女と僕(WEB版)   作:あべ模型製作所

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喫茶「ペンケ」

 

 

二〇二二年六月某日

東京都西部地域

 

「それじゃ、ありがとうございました!」

 引っ越し業者のお兄さんたちが、帽子を脱いで一礼して去った。後には僕と彼女だけが残った。

 

 

 北海道で彼女が同棲の提案をしてから、この日の引っ越しに至るまで大車輪だった。

 帰ってすぐに不動産屋さんのサイトにアクセスし、耳寄りな物件を見つけるとアパート周辺の環境を調べた。そうして見つけたのが、西武新宿線沿いのこのアパートだった。

 

 ここは快速が停まる駅から一五分くらいの場所にあり、コンビニやスーパーも駅周辺に集中していて便利な地勢にあった。

 玉に傷は予算の都合から新しいアパートやマンションは選択できず、築四〇年近い少々古ぼけた物件になってしまったことだ。

 

 確かに外見は古いけれど、内装はそれなりにリニューアルされていたのは幸いだった。それに、2DKに風呂トイレ別で七万円台に抑えられたのは奇跡に等しい。

 

 僕らはそれぞれ引っ越しと諸々の手続きのために一週間の有休を勝ち取ることに成功していた。それでも、残りは今日をいれて後三日……実質的には後二日しかない。

 

 彼女がため息をつく。

「ふう、荷物の山ね」

「そうだね。明日には市役所にも行かなきゃならないし、中々ハードなスケジュールだね。今日中に荷ほどきするとして、その前に、引っ越し蕎麦でも食べに出かけようか?」

「そうね、これから住む街だから、ちょっとお散歩してみましょう」

 

・・・

 

 外に出ると、生憎の空模様だった。引っ越しの最中に降らなかったのは、むしろ幸運だったのかもしれない。

 一応、折り畳み傘を用意していたけれど、なるべくなら降らないで欲しいなぁ。

 

 僕らの新居たるアパートは、公道から少しだけ離れていた。大家さんの自宅と畑がアパートの前にあるので、プロムナードの様に道が伸びており、そこから路地に接していた。

 

 路地はかろうじて車がすれ違えるくらいの幅だ。まぁ、都会ならこんなものだろう。

 

「駅の方に向かおうか?」

 彼女は少し考える風だった。

「そうね、だけど、最短ルートはもうわかってるから、ちょっと寄り道しながらにしない」

「うん、そうしようか」

 

 歩いている内に歩行者専用らしい、細い路地を見つけた。僕らはそこを通ることにした。

 路地の左右は生垣となっており、それほど閉鎖的な印象はなかった。季節によっては様々な花が見られるのかもしれないなぁ。それに街灯が洒落ていて、夜、彼女がひとりで歩いていてもそれほど心配はなさそうだ。

 

 ポツリ……ポツリ。

「あ」

「雨だね」

 

 生憎の雨が降り出した。僕は傘を差しだした。彼女も……と思ったらあれ? 傘は?

「いいの」

 そう言うと僕の傘に入ってきた。自然と寄り添う形になる。僕は彼女の側に傘を差しだした。左肩が濡れ始めたけれど、まぁいいか。

 

 店を求めて進む内にアジサイを見つけた。雨と実によく似合う。彼女も「綺麗ね」と指をさして喜んだ。

 

 とは言え、早急にどこかのお店を見つける必要があった。この際ソバ屋さんじゃなくてもいいからどこかないかな。

 

「ほら」

 細い路地を抜けたところで彼女がなにか見つけたようだ。

「喫茶店があるよ。あそこにしない?」

「そうしよう」

 

 店の前には小さい看板があり、古風なフォントで「喫茶ペンケ」と書いてあった。

「変わった名前ね」

「どこかで聞いたことがあるなぁ」

 携帯を取り出しかけた僕に、彼女が咎める。

「先にお店に入りましょう」

「それもそうだね」

 

 カラン……。

 

「いらっしゃいませ!」

「いらっしゃいませ」

 店に入ると、元気な声と落ち着いた声が同時に響いた。元気な方は高校生くらいの歳と思われる女の子だった。平日なのにハテ? と、一瞬考えたが、とりあえず脇に置いた。もうひとりの落ち着いた声は、ロマンスグレーの髪を整えた、いかにもマスターな風情の男性だった。

 

 ボックス席に落ち着くと、女の子がメニュー表とおしぼりを持ってきた。

「ご注文が決まりましたら声をかけてください」

 眺めると喫茶店らしいメニューが並んでいた。コーヒーの種類が多いところから、それなりのこだわりもありそうだ。

 

「なににしようか」

「そうね、引っ越し蕎麦の代わりに、わたしはナポリタンにするわ」

「じゃぁ僕も」

 

 お冷を持ってきた女の子にナポリタンとホットコーヒーを注文する。すると女の子はどこか誇らし気に尋ねてきた。

「コーヒーの銘柄はなににしましょうか」

 僕らは顔を見合わせる。ふたりともコーヒーはそれほど詳しくないのだ。

 改めてメニュー表を眺めて僕が応えた。

「じゃぁブルーマウンテンで」

「かしこまりました」

 そういうと女の子は下がり、マスターに「なぽりたんとブルマンふたつずつでーす」と呼びかける元気な声が聞こえてきた。

 

 ようやく、少し気分が落ち着いてきた。ゆっくりと店内を見回す。お店はマスターと女の子のふたりで営んでいるらしく、それほど広くはなかった。精々十人も座れば満席だろう。

 その代わり、装飾品はどこか独特のものを感じた。

「そうか」

 僕は先ほど引っ込めた携帯を取り出してタップした。

「『ペンケ』の意味がわかったよ、というか思い出したよ」

「へー」

「『ペンケ』って、アイヌ語で、意味は「上」とか「上の」ってことみたい。そう言われれば、装飾品もどこかアイヌ文化に通じるものを感じるもんな」

〝こんなところで北海道のものに出会えるとは……ね〟

 

「もしかして」

 彼女はカウンターを眺めた。

「マスターも北海道出身なのかもね。あなたと話が合うかもしれないよ」

「僕は人見知りだからなぁ、うまく話せればいいけれど」

「全く」

 彼女は小悪魔的な表情を浮かべた。

「私を落とした癖に」

 少しドギマギする。

「いやぁ、それはそうなんだけど……」

 

 そうこうしている内にナポリタンとコーヒー……ブルマンが元気な声と共に届いた。

 

 まず、ブルマンを一口含む。

〝おや〟

 近頃はコンビニでも美味しいコーヒーが飲めるけど、今飲んだのは別格だった。

 彼女も「美味しい」とつぶやいていた。

 なんというか、随分と香りがよいのだ。改めてメニュー表をみたものの、値段は突飛なものではなかった。

 

 ナポリタンは往年の喫茶店らしい風情で、特別なところはない代わりにどこか懐かしく、心安らぐ味付けだった。

 

 

 食後、僕らはブルマンのお代わりをもらって今後について話し合った。具体的には家事の当番だ。

 まぁ以前からこの手の話はしていたので、再確認と言ったところだ。

 基本的に平日は交互に家事をこなす。ゴミ出しは僕が担当、その他も適当に決めた。

 金銭的なものは折半、お小遣いは自分で管理。ふたりともオタク気質だから、使いすぎずに貯金にも回しましょう、というのが彼女の提案だった。

 

 話し合っている内に一五時を過ぎた。まだ雨模様だったし、このまま帰るのが少し勿体ないような気がしたので、改めて紅茶とケーキを注文した。

 

 少ししてマスターがケーキとティーカップ、それにティーポットを持ってきた。

 

 配膳するとマスターが尋ねてきた。

「お客様、こちらは初めてですか?」

 一瞬僕らは顔を見合わせた。彼女が応えた。

「えぇ、実は今日こちらに引っ越してきたんです」

「そうでしたか。失礼ですが会話が聞こえてきたもので。

 お客様のおっしゃる通り、あそこに掛けてあるのはアイヌの文様をあしらったものです。一口にアイヌと言っても地域によってコミュニティーが異なるので、正確にはアイヌ風、と言ったところですが」

「そうなんですね。ねぇ、あなたはその辺り詳しくないの?」

「道南はそれほど文化が残っていないからなぁ。僕もそこまで詳しくはないよ」

 マスターは微笑んでいた。

「お客様は北海道のご出身ですか」

「はい、函館です」

「そうですか。私自身は東京の者なのですが、以前北海道に住んでいたことがありまして。そこでアイヌ文化に感銘を受けて店の装飾に使わせていただいております」

「へぇ」

 初対面のお客さんと話過ぎたと考えたのだろうか、マスターは話を引っ張らなかった。

「それでは、ごゆっくりお過ごしください」

 

そう言うとそのまま下がっていった。

 

 彼女はもう少し話を聞きたそうだったけど、僕にはこれくらいの距離感の方がありがたい。

 多分、今日だけの関係では終わらないだろうし。マスターとはおいおい距離を詰めていけばいいだろう。

 

 

 ケーキと紅茶を楽しんだ後、しばらくふたりで今後の話をした。

「とにかくさ」

 彼女は楽しげな雰囲気で話しかけた。

「引っ越しが一段落して落ち着いたらさ、この辺りをまた回ってみましょう」

「そうだね」

「あ」

「うん?」

「雨が止んだよ」

 彼女につられて窓の外を見ると、鬱陶しい雲が去り、陽光が差し出していた。

 

「なぁ」

「なぁに?」

「これから」

「うん」

「これからもよろしく」

 僕はペコリと頭を下げた。

「わたしもよろしくね」

 

 会計を済ませるとマスターが声をかけてきた。

「またいらしてください」

 女の子も挨拶をしてくれた。

「またのご来店をお待ちしています!」

 彼女がニッコリして応える。

「是非」

 

・・・

 

 店を出ると、これまでの雨と穏やかな陽光で、街がキラキラして見える。なんだか僕らの揚々とした前途を予感させてくれるようだ。

 早速行きつけのお店もできたし。

 

「じゃ、帰ろうか」

「ヨーソロー」

 

 

 僕らの同棲生活は、こうしてスタートした。

 

 

 

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