二〇二二年八月一三日
大井町 品川区 東京
朝4時頃、僕は目覚めた。横では彼女がスースーと寝息を立てていた。
〝あぁ、ホテルに着いて以来、ずっと交わりっぱなしだったもんな〟
同時に思った。
〝僕にもこういう時間が持てるんだ〟
翌日のコミケ──コミックマーケット100に備えて、僕らは大井町駅近くのビジホに泊まった。当初、早めに休んで明日に備えましょう、なんて彼女は言っていたが、彼女が当日着るコスプレ衣装を試着してみせたあたりからスイッチが入ってしまった。
最初のうちは、彼女も「衣装が汚れるから」なんて言ってはいたものの、まんざらでもなかったらしい。僕らは夜中までひたすら獣の様に交わり続けた。
で、日をまたぐ頃、ようやく僕らは満足してベッドにバタンキューした……という訳だ。
「ううん」
彼女が起きたらしい。
「起きてたの?」
「ちょっと前だよ」
「そうなんだ、おはよ」
「おはよう」
彼女は現状に気づいたらしい。少し恥じらった表情を浮かべた。
「このままじゃちょっと……シャワー浴びなきゃ」
ここで小悪魔な貌を浮かべた。
「あなたも一緒に入る?」
「そうさせてもらうよ」
浴室で体を洗い、ふたりで浴槽に浸った。
「昨日……」
「うん」
「あの衣装で」
「うん」
「で、今日はあなたの横で売り子をやるんだ」
「うん」
「前日交わったあの衣装で」
「そうだね」
ようやく事態に気づき、彼女は顔を真っ赤にしていた。湯舟にのぼせた訳では決してないだろう。
「うわぁ、わたし、どんな顔すればいいんだろ」
「普段通りでいいと思うよ」
僕はなんとなしに優越感に浸っていた。そしてもう一度思った。
〝僕にも、こういう時間が持てるんだ〟
・・・
6時にはホテルを出た。正直、腹が減って仕方がないのだが、とりあえず会場に着いてから、ゆっくりといただくことにした。
大井町駅からりんかい線に乗り、しばらくして国際展示場駅に着いた。いつもの逆三角形が見えてくる。どんどんテンションが上がってくるのを感じた。
ビッグサイトの近くにある牛丼屋さんで朝食をとり、僕らは入場した。彼女とはここで分かれ、僕は自分のスペースのある東館に向かった。
サークルの準備をし終えた頃、彼女が着替えを終えてやってきた。
「どう、かな?」
僕がリクエストをしたとはいえ、中々過激なコスチュームだった。
「とても素敵だよ……うん」
〝この衣装が完成するまでの一週間、彼女の表情はまるで、阿修羅をも凌駕する存在だったもんなぁ〟
その時と今の様子のギャップに風邪を引きそうになった。
彼女には一言付け加える。
「昨日にも勝るよ」
「も~~~それは言わないで」
「ゴメンゴメン。あんまりカワイイからついつい」
「で、センセ。これが今回の作品ね」
「うん」
僕が書いているのは艦船擬人化コンテンツの二次創作小説だ。普段は30部も捌ければいい方だけど、今回はどうかな?
地味な同人作家と誰からも注目されるコスプレイヤー。中々の組み合わせだろう。
今回のコミケ、C100は僕らにとって久しぶりの参加だった。あの感染症で中止したこともあるけれど、入社してから多忙だった彼女はC97も参加を控えていた。C99Aも見送った頃にはフラストレーションが溜まっていたのだろう。会社から帰ってくるなり、僕にストレスをぶつける時もあった。
正直キツイこともあったけど、今は仕事が順調らしい。最近は穏やかな日々を過ごしていた。
同棲を始めて、ここ2カ月ほど、彼女は準備に明け暮れていた。休みの度に一日中ミシンの音がしていたし。
そのせいでしばらくご無沙汰だったのだけど、昨日は解放感で爆発したんだろうなぁ。
〝ま、それはお互い様か〟
・・・
10時半開場とともに拍手が響いた。ややあって一般参加者がホールに入ってきた。
……結果から言えば、今回の売れ行きは過去最高だった。新刊が完売したのは勿論、既刊も全て捌けてしまった。当然僕の筆力が突然文豪クラスに進化した訳ではないだろう。9割方彼女の魅力に寄るものだ。
お昼前には完売してしまったので、彼女はコスプレ会場に行った。僕は後片付けをしてから後を追った。
行ってみると、カメコさんに囲まれて臨時の撮影会が始まっていた。そうなのだ、元々彼女はちょっとした売れっ子なのだ。
僕はなんとなしに嫉妬をおぼえたけれど、同時に優越感に浸っていた。
〝どうぞどうぞ、ご自由にお撮りください。でも、彼女は僕の彼女だから〟
〝とりあえず、彼女は大丈夫だろう。楽しそうな表情だったし〟
僕は会場を散策することにした。
ごった返すコミケ参加者。煽情的なコスプレイヤー。極端なあおりで撮らんとするカメコさんたち。まぁ、いたって平和そのものの光景だった。そのはずだった。
何の気なしに、僕は周囲を見渡した。林立する高層ビルディング、近代的な輸送手段。そして、日本最大の国際展示場。
今でも近代的な、首都東京の近代的な風景なんだけど、これから先、もっともっと発展するんだなぁ。それこそ、彼女も携わっている「バビロン・プロジェクト」が完成すれば、今の風景も一変するんだろうなぁ。
永遠の都バビロン。
しかし、と僕は思った。この繁栄は永遠に続くのだろうか。破壊と再生を繰り返し、今の繁栄を手に入れたメガロポリス東京。そして今、さらなる繁栄を求めてバベルの塔のようなビルを建てようとしている……。
ふと、昔観た映画で引用されていた、旧約聖書の一節が脳裏を走った。
「エホバ降りて、彼の人々の建つる街と塔を見給えり。いざ我等降り、彼処にて彼等の言葉を乱し、互いに言葉を通ずることを得ざらしめん。故にその名は、バベルと呼ばる。」
果たして、と僕は思った。
〝エホバがいるかどうかはわからない。ただ、なんだろう。どこかの誰かが僕らのことをなんか、ジッと観察しているような、そんな気がする……〟
僕は頭をブルブルとふった。
〝きっと、なんちゃって小説家の妄想癖が爆発したのだろう。だいたい、彼女が関わっているプロジェクトに、そんな不吉な想像をするなんて馬鹿げている、彼女に悪いじゃないか〟
「────」
僕を呼ぶ声がする。なんだろうと辺りを見回すと、カメコさんから解放された彼女が息を弾ませて駆け寄ってくるのが見えた。
〝今は──〟
愛する彼女がいて、充実した仕事が待っている。今はそれでいいじゃないか。
不安なことなど、なにがあろう。
僕は笑顔を浮かべて彼女を迎え入れた。