鷺澤 有里咲。私、鷺澤有里栖の同一存在。鏡を見たようなもう一人の自分が目の前に姿を見せた。最初は驚いたけど徐々に事態を飲み込めていく。私と有里咲の二つの似た世界の間には、世界を揺るがす問題が起きていること。また有里咲その問題に奔走するために私と入れ替わって私の世界を調査していたと打ち明けられた。
話が壮大過ぎてついていくのでやっとだったけど、自分の取り巻く問題の原因がはっきりしたので内心はすっきりした。
「とにかく、本当にごめんなさい」
有里咲は私や常坂君に謝罪してきた。黙って私を別世界に連れ出した事に有里咲は罪悪感を覚えてる。不思議と有里咲を責める気になれなかった。
「ううん大丈夫。有里咲、顔をあげて」
いたずらに私を誘拐したなら怒ったかもしれない。でも有里咲は自分の使命を全うしようとしてやむを得ずに私を他の世界に送った。ここまでの話で、彼女の真剣さが伝わってきたというのもある。有里咲を問い詰める気になれなかった。それに別世界に行ったなんて早々できる経験ではない。私は運が良かったと飲み込むことにした。おかけで常坂くんと仲良くなれたし、逆に有里咲には感謝してる。
ただ常坂君との関係は区切りをつけなければいけない気がした。水鏡湖に行く際中の彼の横顔を見て何かを悟ったのだ。ちくりと胸が傷むが、何の痛みかは私にはわからない。
数日後、私は遊びに二人を誘った。有里咲の事を知りたいという名目で。せっかく本来出会えないはずの二人が出会ったんだもん。常坂君と有里咲の気持ちの確認というのもある。もし二人が両思いであるなら私が後押ししないと。
「俺は有里咲が好きだ」
二人と遊ぶ中、とうとう常坂君が決断し、有里咲に自分の気持ちを告白する。そんな彼の本心に私は、嬉しくもあり、そして同時に悲しくもあった。二人には結ばれてほしい気持ちがあるのは確かなのに、この何とも言えない靄がかかったような気持ちはなんだろう。それを考える暇はなかった。私の後押しで有里咲が本心を告白したのだ。それは私の想像上を超えたのもだった。
「私は恋をしちゃいけない……いけなかったのに……なのに私は……」
恋をすれば自分の魔力が減り使命を果たせなくなる。だからここまで有里咲は必死に好意を抑えようとしていた。でも結局堪えきれなかったのだと有里咲は語る。有里咲の常坂君に向ける気持ちは、その辺の些細な恋心と違った、大きく叶えさせてあげたいと思わせる、まさに千万の想いに思えた。
「二人のせいだからね。有里栖に後押しされて、常坂くんから告白までされちゃったら……私、常坂君のこと諦めきれなくなっちゃった。だから分の悪い賭けに出てみようと思う」
思いの外、有里咲は前向きだった。開き直って何とか常坂君と想いを諦めずに問題を解決しようと一歩踏み出した。私にできるのは、二人を応援することくらい。二人が世界を救って戻ってくるのを信じて。まあ私の記憶が無くなっちゃうのは残念だけど。二人との繋がりが残っていると信じて、待つことにした。
気まぐれに最後の挨拶がしたくなって、実行日に押しかけてしまった。二人の邪魔はするべきではないのに。
「ごめんね。突然押しかけちゃって」
「ううん私も有里栖に挨拶するか迷ってたから。本当に有里栖にはいつも気を遣わせて……」
「気にしなくていいよ。二人の邪魔するかもって躊躇してたくらいだから……最後の挨拶、じゃないんだね」
「うん、また有里栖とも皆とも会える。常坂君とも。私はそう信じてる。だからさよならは言わないよ」
「うん私も信じてる。またね、有里咲。常坂君も……あ、まだ常坂君にはお礼が言えてなかった」
「お礼?」
「私が不安定な時、寄り添ってくれてありがとうね。とても心強かった」
なぜか常坂君の顔を見ると心が暖かくなる。この気持ちは……何なんだろう?
「気にするな。有里栖と一緒だったからこうして有里咲に会えた。俺も有里栖には感謝してる。ありがとうな」
「うん、二人と会えて良かった。また会おうね」
私は笑顔で二人を見送って、水鏡湖を立ち去る。どこか名残惜しい気持ちを感じながら、私は自宅まで戻る。二人を祝福しているはずなのに、なんで心が穏やかじゃないんだろう……自宅の鏡で私は自分の姿を覗き込んでいた。別人のように表情が暗かった。
「有里栖お嬢様? どうされましたか?」
「
家のメイドさんである可純さん。心配そうに私の顔を覗き込んできた。普段との些細な違いで私の隠し事なんかは、可純さんにはお見通しなのだ。
「私には大した事はできませんが……悲しいことがあったのなら泣いても良いのですよ」
「別にそんなこと……」
無意識に私の頬を伝うのは一筋の涙。ああ、二人に幸せになって欲しい気持ちがあったのは確かだ。心から祝福だってしてる。でも本当はそれ以上に私も常坂君のことを……今になって彼への恋心を自覚した。何もかも手遅れな状況で。
でも私には最初から選択肢など無い。世界を救う有里咲には支えが必要だ。何の使命も持たないただの小娘の私に常坂君の側にいる資格など無い。何より二人の邪魔をして有里咲や常坂君を困らせたくない。悲しませたくない。それは私がもっと望まない展開だ。なら私は笑顔で二人を見守ろう。そう決めたからこそ、決壊した。
「うっ……えっ……やだよぉ……私だって好きなのに……」
私の感情の吐露に、無言で可純さんに抱きしめられる。人の温かみを実感し更に私の瞳から涙が溢れ出す。可純さんに失礼だけど、こうして常坂君に抱きしめて欲しい、慰めて欲しい、そんな気持ちが溢れて、どうしようもなく涙は出続ける。そんな中途半端な自分が嫌で嫌で仕方がなかった。いつの間にか泣きつかれた私はベッドに寝かされて眠りについていた。
私は夢を見ていた。幼い頃から両親や環境に恵まれ、望めば何でも手に入れられた不自由のない生活。友達も優しく不満一つなかった。可純さんから好物のお菓子は少しだけと制限をされていたが、私のための理解できていたから自分は愛されてる実感もあった。だが初恋の人は私に振り向いてもらえない。初めて自分ではどうしようもない無力感に苛まれながら、私は別に大した存在じゃない、叶わないことだって普通にあると教えられたところで目を覚ます。
「あれ……ふー」
眠りから覚めると、多少のもやもやあったけど、思いの外感情はすっきりしている。どんな夢を見ていたかは覚えていないが、目覚めは悪くはない。いつもより早い時間だが、すっかり窓の先はすっかり晴れやかな朝日が差し込んでいた。服は学校から帰って着替えていない。色々スッキリしたくてシャワーを浴びる。浴槽にお湯が張ってあった。可純さんの気遣いだとすぐに気がつくとありがたくお風呂に浸かる。お湯に浸かってリラックスすると、服を着てからダイニングキッチンへ。既に可純さんは甲斐甲斐しく働いていた。
「……可純さん色々ありがとう」
「いえ、有里栖お嬢様は笑顔の方が素敵ですから。朝食できてますよ」
笑顔で答える可純さんの傍目に、美味しそうな朝食が一式テーブルに置かれていた。昨日は夕飯も食べなかったしお腹は空いてるはず。遠慮なくすぐに食事にする。
「有里栖お嬢様お味はいかがですか?」
「……おいしい」
口に含んだ野菜の甘味が私の口いっぱいに広がる。いくら泣こうが、平穏な日常だろうと、変わらずご飯は美味しい。生き返る思いだった。やっぱり私は食べることが好き。それだけは胸を張って言える。そうだ。今は落ち着いたけど、未だに内心で失恋した気持ちがくすぶってる。常坂君への恋心を無かったことにはできない。
でも、生きていれば、こうして何かしら楽しいことと出会える。他にもどうしようもなく、悲しいこと。胸が苦しくなることにも直面する。それが当たり前なのだ。
私の場合は今まで感情がネガティブになる機会がほとんど無かった。それはきっと幸運で、そして不運でもあるのだろう。身が裂けるほどの悲しみを経験し、日常をここまでかけがえのないものと実感できた、いい機会だった。自分が成長するには必要だったのだ。そうポジティブに解釈してこれからは前向きに生きていこう。そうしないと有里咲や常坂君に胸を張って再会できない。食事を終え身支度を済ませてから、玄関へ。
「可純さん、いってきます!」
「いってらっしゃいませ、有里栖お嬢様」
玄関の扉を開けると、明るい陽光が私を優しく照らす。よし、常坂君には私を選ばなかったことを後悔させてあげるくらいの、魅力的な女の子になろう。有里咲からも嫉妬されるくらいの素敵な女性になっちゃおう。二人の仲を引き裂く気はないけど、失恋した身としてそれくらいする権利はあると思う。そう胸に秘めて私は玄関を飛び出した。
ふと、登校中どこからか香ばしい香りがする。近くのパン屋さんに違いない。確か今日から新作パンの販売が開始されるとか。朝食を食べたばかりだけど、まだ学校までに時間もあるし、私は我慢できなかった。
「待ってくださーい、私も並びます!」
素敵な女の子になるよりも、魅力的な女性になるよりも、私には食べたいものがある。私は、花より団子かもしれない。気がつくと、店のガラス窓から見える色とりどりのパンに、私は目を離せなくなっていた。
「うーおひぃー」
新作パンのあまりの美味しさに打ち震え、学校を遅刻になりそうになったのは可純さんには内緒。
有里栖はどこまでもポジティブで、失恋にもすぐ立ち直りそうなイメージです。