9歳のリリー・エバンズは妹の手をぎゅっと握りしめて薄暗い路地裏を歩いていた。空はどんより曇っていて、生暖かい風が吹き抜けていく。
そうっと横を見ると、妹は肩のあたりまで伸びた銀白色の髪を鬱陶しそうに耳にかけてから口を開いた。
「まだ遠いの?」
「もうすぐそこよ、ローズ」
リリーはそう答えた。人気がないせいで自然と声を潜めてしまう。
「その子、ほんとに言ったの?私達が魔女だって」
ローズはいつも通りの声の大きさで平然とそう尋ねた。リリーは頷く。それから昨日会ったばかりの少年を思い出した。
「ローズにも魔法のこと教えてくれるって言ってたのよ」
ふうん、とローズが声を漏らす。あまり興味が無さそうなその声にリリーが文句を言おうとしたとき、ローズは前方に見えてきた丘を指さした。以前、姉のペチュニアと3人で遊びに来たことがある。
「リリーが言ってるのって彼のこと?」
「そうだわ。セブ!」
リリーは声を張り上げる。黒い服を着た少年が振り返ってこちらを見た。
「はじめまして」
近くまで行ってローズがそう言うと、セブと呼ばれた少年は僅かに顎を引くようにして頷いた。
「彼はセブルスっていうの。セブ、この子が昨日話した私の双子の妹よ」
「よろしくね、セブルス」
「ああ。ローズだろ?名前はリリーから聞いてる」
にこりともせずにそう言って手を差し伸べてくる。
握手を交わしても表情が変わらないセブルスに嫌われているのかと思ったものの、どうやら元からこういうタイプらしかった。
セブルスから魔法界の話をひとしきり聞き終える頃には日が暮れかかっていたので、リリーとローズはセブルスと別れて家路についた。
セブルスが昨日見せてくれたという「花を空中に浮かせて飛ばした」魔法について興奮気味に話すリリーの声を聞きながら、ローズは何となくセブルスとは長い付き合いになりそうだと感じていた。
知り合ってからというもの、リリーとローズは毎日のようにセブルスと遊んだ。初めて会った丘で遊ぶことが多かったが、時折セブルスの家を訪れることもあった。
ローズがセブルスの家を訪れて何よりも驚いたのは、彼の母親もまた魔女であったことである。魔法界の中では名家の出身らしい──聖28一族って言うんだ、と説明されてもリリーとローズにはいまいちピンとこなかった。
「じゃあこの本はセブルスのお母さんのものなの?」
二度目の訪問のとき、魔法について書かれた本を持ってきたセブルスにローズはそう尋ねた。
セブルスは頷く。
「実家を出るときに持ち出したって言ってた」
「セブのお母さんって、お父さんと結婚するために家出したんでしょう?ロマンチックね」
リリーはそう言ったがセブルスの顔は浮かない表情だった。
両親が不在だから二人を家に上たはずなのに、リビングへ通じるドアへ何度も視線を向けている。ローズとリリーは顔を見合わせた。
「セブ、大丈夫?」
眉をひそめてリリーが問う。
セブルスは何か言おうとしてそれを止め、唇を引き締めてすぐに頷いた。取り繕おうとして失敗しているようにローズの目には映った。
違和感に気がついてしまえばその正体を見つけるのは容易い。
「セブルス、腕見せて」
「…なんで」
「いいから」
強い調子でそう言うと、セブルスは躊躇いつつも長袖を捲りあげた。
露わになった腕を見たリリーが沈痛な表情になる。ローズも同じ気持ちだった。
「それ、…お父さんが?」
セブルスは押し黙ったまま小さく頷く。
聞かない方が良かったかもしれない。そう思ったローズが謝ろうとしたとき、セブルスが話し始めた。
「結婚するとき、母さんは自分が魔女だって隠してたんだ。父さんは魔法が使える母さんや僕を怖がってるんだと思う……そんなこと、本人は口にしないけどな」
セブルスが袖を元に戻し、沈黙が少しの間部屋の中を漂った。
傷だらけの肌を見て泣きそうな顔をしていたリリーが顔を上げる。そして「セブには私達がいるわ」と言うと、そっと彼の肩に手を置いた。
セブルスは驚いた顔をしたが、すぐにその手の温かさを感じて少しほっとした様子を見せた。
「そんなに気を張らなくていいのよ」とリリーが優しく微笑む。
ローズも同じようにセブルスに近づいて、少し冗談めかした声で言った。
「リリーの言うとおり。それにホグワーツには一緒に行くんだから」
二人の言葉に少し心が軽くなったのか、セブルスは口元にかすかな笑みを浮かべた。
「セブルスが笑った」
ローズが思わず口にすると、セブルスは一瞬きょとんとして、それからじとりとした視線を向けてきた。
「君、ときどきびっくりするくらい失礼なこと言うな」
文句を言ったセブルスの声は言葉とは裏腹にどこか和んでいた。
リリーがそのやり取りを聞いて思わずといったふうにくすくす笑う。深い赤色をした髪の毛がふわりと揺れた。
***
トントン、と控えめな音が聞こえて、セブルスは読んでいた本から顔を上げた。路地に面した窓の隅からすっかり見慣れた銀白色の髪が見え隠れしている。
溜息を飲み込んで窓を半分ほど開けると、ローズがこちらを見上げた。出会った頃よりずいぶんと伸びた髪が背中で揺れている。
「…また来たのか」
「リリーは掃除当番だから帰りが遅いの。後から来るよ」
「聞いてない」
「でも気になるんでしょ?」
あっけらかんと言い放つローズを見つめ、セブルスはわざと大きな溜息をついてみせた。
「何しに来たんだ。今日は親がいるから家には上げられないぞ」
「それならここで良いわ。それ、何の本?」
セブルスは本を持ち上げて表紙を見せてやった。
「……“鏡の国のアリス”?」
「読んだことあるか?」
「無いわ。読もうとしたけど、よくわからなくて辞めちゃった」
セブルスは「そうか」と答えると本を棚に仕舞い、窓から路地へ滑り出た。
不思議そうに自分を見てくるローズを見返す。
「家の外と中じゃ話しにくいだろう」
ローズは顔を綻ばせると「そろそろリリーが帰ってくると思う」と言った。
「うちまで迎えに行こう」
セブルスはその言葉に賛成したが、エバンズ家に着くよりも前にリリーと合流することとなった。
走ってきたらしいリリーは「行き違いにならなくてよかった!」と息を弾ませながら笑う。
長い赤毛が暑そうだったので、ローズはポケットに入っていたヘアゴムを貸してあげた。
「今日はちょっと離れたところまで行ってみない?」
ローズの魅力的な提案にリリーとセブルスが反対するはずもない。
「でも、ちょっと離れたところってどこ?」
「クラスの子に聞いたんだけどね、市場の近くに毎週木曜だけお菓子を売ってるお店があるんだって」
リリーがパッと顔を輝かせる。セブルスはその横顔にぼんやり見とれた。
「セブは甘いもの好き?」
突然顔を覗き込んできたリリーに動揺しながら、セブルスは何とか曖昧に頷く。
リリーはそんなセブルスの様子には気付かないまま妹を振り返り、「私レモンキャンディーが食べたい」とはしゃいでいた。
「セブルスはどれにする?」
閑散とした狭い店内で、セブルスは不意に呼びかけられた。
店に入って早々、リリーとセブルスを置き去りに店内を好き勝手見て回っていたローズだが、ようやく二人のところへ戻ってきたのだ。
「どれでも良い」
本当にどれでも良かったので、セブルスはそう言った。
「もしかして甘いものあんまり好きじゃなかった?」
「いや。あまり食べたことがないだけで、別に嫌いじゃない」
「そう」
リリーはレモンキャンディーを、ローズはマシュマロを買うことに決めたらしい。セブルスはあまり甘くなさそうなチョコレートを手に取ってレジへ持っていった。
人の良さそうな店主に見送られて外へ出る。
「リリー、レモンキャンディー一粒ちょうだい」
「いいわよ。3人で食べるつもりで買ったし」
リリーはにっこり笑ってそう言うと、包みを開けて一粒ずつローズとセブルスに手渡した。
セブルスは礼を言って薄い黄色の飴玉を口に放り込む。甘酸っぱい味がじんわり広がった。
「美味しいな」
「セブもそう思う?」
「ああ」
ローズは口の中で飴玉を転がしながら、穏やかに繰り広げられるリリーとセブルスの会話を聞いている。
並んで歩く三人の頭上には淡い色の空が広がっていた。
***
その年の夏、11歳を迎えていた三人のもとに、ホグワーツ魔法魔術学校からの入学許可証が届いた。リリーは喜び、ローズもまた胸を躍らせていた。
受け取ったその日にセブルスのところへ行くと、彼もまた抑えた微笑を浮かべて自分宛の封筒を見せてくれた。
そのときのローズは、これから始まるホグワーツでの新しい生活に思いを馳せていた。
だがそれは無邪気な日々の終わりを告げる手紙であり、三人の運命が大きく分かれる分岐点でもあった。
しかし、ローズがそのことに気づくのはずっと後のことだった。
コークワースやスピナーズ・エンドで過ごした、自分たちの無邪気な子ども時代が終わりを告げたのもこのときだったのだろうと、ローズは自分の過去を振り返るたびにそう感じるのである。
見切り発車で書き始めました。
温かく見守っていただけたら幸いです。