冷たい女   作:Y.E.H

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第2章・第5節

 ドック脇の控え室は程々の広さがあり、濡れた衣服のまま使用する事も考えられていたのかビニールレザー張りの椅子やソファなども設えてあった。

とは言えずぶ濡れのままで腰を下ろすのはさすがに不快であり、ましてや寛ぐ積もりなどは全く無い。

ドアを潜ってすぐその横に立った隅田が、立ち居振る舞いだけで無く言葉でもはっきりとその意思表示をする。

「さてポーラ君、早速だが話しを聞こう。出来るだけ手短にして貰えると有り難い」

室内のテーブルの前で艤装を外し、更にフェイスシールドを外していた彼女は暫くそれには応じる事無くバサッと軽く髪を振るう。

ザッという音と共に飛沫が床を叩いた後数秒間の沈黙が流れても平然としているその様子は、まるで居合わせた者達の忍耐力を試しているかの様だ。

案の定飛鷹がイライラし始めたが、そんな挑発に乗っていては益々事が長引くだけなので視線を絡ませておいてから眼で制すると、少々不満気にしながらも何とか従ってくれる。

「見ての通り此処には私も副長もおり、二人が同時に隊を留守にしている状態だ。何時迄も長居が――」

「でもぉ~その状況を作ったのはぁ、司令御自身ですよねぇ」

「もちろん、その責めは甘んじて受ける積もりだ。既に先程無線ではあったが副長からも強く諫められているし、隊に帰還したら君達全員に改めて謝罪する積もりだ」

「司令、お言葉は大変有難いのですが、そこまで為さる必要は無いと思います」

「そうだわ、軍務外の事でならともかく軍務中の判断違いを部下に詫びるのはおかしいわ」

「君達の言う通りである事ももちろん承知して――」

「そんな事よりぃ~落ち着いて話しが出来ませんしぃ、座って貰えませんかぁ?」

「幾ら何でもこんなずぶ濡れのままで――」

「いや、そうしなければ話せないと言うのであればそうしよう――さぁこれで良いだろうか?」

言いながらソファに歩み寄った隅田は躊躇する事無く一動作で腰を下ろし、真っ直ぐにポーラの顔を見る。

「有難うございますぅ、でもぉ何時もはこんなに理解のある素敵な方なのにぃ、さっきは何故あんな無茶を為さったんですかぁ?」

そう言いたかったのはヒューストンも全く同じなのだが、ポーラの常日頃と全く変わらぬのんびりとした口調で言われると、説明し難い刺々しさを感じる。

「君達全員が点検の為に出払っている状況で、時間が経てば更に天候が悪化する事は明白だったので、自身で動く事が最も適切だと考えたからだ。しかし天候の悪化は予想よりも早く、こういう結果となってしまった。君達には――」

「お詫びをして欲しいんじゃ無いんですよぉ、どうしてそれがぁ適切だって思ったんですかぁ?」

「軍には常に合理性が求められる。適切だと判断したのは、それが最も合理的だと考えたからだ」

「司令の命を危険に晒すことがぁ、合理的だって言うんですかぁ?」

「命の危険を犯す事を合理的だと考えた訳では無い、只予測が甘かったと――」

「幾ら予測が違ってもぉ、あの状態で船を出すのはリスクがある位判ってた筈ですよぉ~? それにぃ、ここは狂った人殺しどもが彷徨く海の真っ只中なんですよぉ、判ってるんですかぁ?」

背筋に冷たいものを感じて思わず身震いする。

彼女が『狂った人殺しども』と吐き捨てる様に口にしたその一瞬、激しい憎悪を垣間見たからだった。

 

(ポーラ……ひょっとして――貴方もなの?)

 

「君の指摘は正しい、だから私の見込みの甘さを認めるのには吝かではないが、あらゆるリスクを避ける為に海には出ないと言うのは違うと思う」

「どうしてですかぁ? 司令はただの人間ですよぉ? 嵐だろうがあの人殺しどもだろうがぁ、出くわしたらどうやって命を守るんですかぁ?」

「特別な方法があるとは思わない、私であっても他の誰であってもそれは全く同じだ。だが我々軍人の使命は市民の生命・財産を外敵から守る事だ。その為には進んで危険を冒さねばならない事もあるだろう。それは私が一海士であったとしても変わらない」

全く緊張感の無い話だが、ついうっとりと聴き惚れてしまった。

口当たりの良い言葉を並べるのが得意な者も多く見て来たが、彼はなんの邪念も虚飾も挟む事無く言っているのだ。

しかしここ最近の傾向としては、こんな風に彼女が油断した時にこそ何かが起こる様になっているらしい。

そしてそれはこの度もまた同じだった。

 

「だからぁ! そう言う事言ってるんじゃ無いんですよぉ!」

突然ポーラが金切り声を上げて隅田ににじり寄る。

「ダメっ!」

「ちょっ!」

ヒューストンと飛鷹が同時に叫んで駆け寄り、彼との間に割って入る。

艦娘は海上にある時にこそその特殊な能力を完全に発揮出来るが、一定量以上の液体の水に触れている状態でも能力の一部を発現する。

今ここにいる全員がほぼずぶ濡れと言って差し支えなく、飛鷹が幾らかましな位だが、この状態であれば例えば素手で車をひっくり返す程度の事は容易く出来てしまう。

そんな人間離れした怪力を発揮出来る状態の艦娘に掴み掛かられたりすれば、先程正に彼女が指摘した通り『ただの人間』である隅田の命は無いだろう。

「あんた何考えてんのよ! 頭冷やしなさい⁉」

「司令に危害を加える様なら力尽くで止めるだけよ、そうしたら本当に軍法会議になるわよ」

二人を睨み付けた彼女の瞳に凍て付く様な冷たい焔が燃え上がり、只ならぬ闘気が漲る。

 

(やる気なのね――ならば受けて立つ迄ね!)

 

事ここに至っては是非も無い。

全身から余計な力を抜いて、間も無く繰り出されて来るであろう初撃に対して油断なく身構える。

眼で確認する迄も無く、傍らの飛鷹からも同じ様に態勢を整えた気配が伝わって来る。

艦娘同士はもちろんの事、例え深海棲艦相手であってもこんな肉弾戦そのものの格闘をするのは滅多にない事だが、気後れする様な云われなど無い。

後は隅田が出来るだけ速やかにこの場を離脱してくれさえすれば……。

 

「三人共待って欲しい」

 

場違いな程冷静に発せられたその言葉には不可思議な力でも籠っていたのだろうか。

正に暴発寸前に迄高まっていた緊張が急速に萎えて行くのがはっきりと感じられる。

「君達が傷付け合う事など決してあってはならない。ヒューストン、飛鷹、二人には心から感謝しているが、どうかそこを開けてはくれないか」

「そんな事出来る訳無いでしょ⁉」

「司令、本気で仰っておられますか?」

「もちろん本気だよ――ポーラ君、君の話を聴くと言ったからには最後まで聴こう。だが、私には君の哀しみや怒りの全てを受け止める様な力は無い。それでもなお君が救われる為にはどうしても必要だと言うのであれば、この身を差し出す事も厭いはしない。しかしそれによって君が得るのは、拭い難い罪と新たな哀しみだけだ――それ以外に得る物など何も無い」

隅田が冷静に紡ぎ出したその言葉は、胸の奥底に迄沁み込んで来る様な存在感のあるものだった。

しかも正に今、自らの命をいとも容易に奪う事の出来る者の眼前に晒されている状況でありながら、彼の口調には動揺の欠片すら感じられなかったのだ。

 

(あたしの男を見る目って結構確かだったのね♪ ――さぁポーラ、此処まで言われて貴方はどうする積もりなの?)

 

緊張が解れて余裕の出来たヒューストンは改めて目の前の彼女に視線を戻すが、既にその猛々しい迄の闘気は雲散していた。

 

「どうして……」

 

そのポーラが口を開くが、それと同時に両眼一杯に泪が溢れ出す。

 

「どうして判ってくれないんですかぁ? どうして貴方はそんなに自分の命を粗末にするんですかぁ? 貴方の命は貴方一人だけのものだと思ってるんですかぁ?」

「……」

 

床にペタンと座り込み、両手を付いた彼女からは最早危険な気配がしなかったので少しだけ脇によって隅田と向かい合える様にしてやると、飛鷹も黙って同じ事をする。

 

「もしも貴方が死んだらぁ、ポーラはどうすれば良いんですかぁ? もしもそんな事になったらぁ、貴方を恨みますよぉ――絶対に赦しませんからねぇ」

「――いや――待ってくれないかポーラ君――」

「いいえ、待てませんよぉ~ポーラはもう十分待ちましたからぁ。もう待たされるのは嫌なんですぅ――独りで待たされるのは嫌なんですよぉ……」

「……」

 

尽きる事の無い泉の様に瞳に泪が溢れては零れ落ち、零れ落ちてはまた溢れる。

 

その眼差しは隅田を見ている筈なのだが、同時に今この時では無い過ぎ去った日々をも見ているのだろうか。

 

「貴方はぁ、ポーラを残して先に死ぬ積もりなんですかぁ――また、ポーラを置き去りにしてぇ逝ってしまう積もりなんですかぁ――」

「――ポーラ君、君は一体誰を……」

「ポーラはぁ、貴方を赦しませんからねぇ〜、毎日貴方のお墓に向かって説教しますよぉ、毎日毎日しますよぉ――ずーっとずーっと離れませんからねぇ……」

「どうか聞いて欲しい、私は――」

「貴方のお墓に縋ってぇ、毎日毎日お酒を呑みますからねぇ――

気を失う位呑んでぇ、それをまた全部吐き戻しちゃいますからねぇ……

真っ赤な血の色になる位吐きますからねぇ~

それからまた吞んでぇ、倒れる位に呑んでぇ、また血が出る程吐いてぇ――

そこ迄――

そこ迄してもぉ――

どれだけ呑んで吐いてもぉ――

ポーラはぁ――

貴方の許へは行けないんですよぉ……

どんなに行きたくてもぉ――

行けないんですよぉ……」

 

胸の奥から不快な異物の様な何かがせり上がって来て、今にも嘔吐しそうになるのをグッと堪える。

 

(やっぱり、そうなのね――貴方はあたしと同じ事を……)

 

先程からポーラは『する』とは言っているが、実際にはそう『した』のだ。

 

彼女にとって掛け替えのない存在だった誰かを喪い、その悲しみに耐えられずに酒に溺れたのだろう。

 

いや、もっと言うならば酒の力で破滅する事で、その悲しみから永遠に開放される事を望んでいたのかも知れない。

 

しかしながら、それは叶う筈も無い望みだった。

 

艦娘の肉体は人間よりも遥かに強靭であり、それはもちろん内臓も変わらない。

その上、切断された四肢でも2日もあれば再び癒合回復してしまう程の桁外れの治癒能力迄備わっている。

どれ程酒によって身体を痛め付け様が、数日と経たずに元通りの健康体へと戻ってしまう、そんな己自身を呪い続ける日々だったのだろうか。

 

その時、隅田がヒューストンの脇を通ってポーラの前に膝を付く。

 

一瞬止め様かとも思ったが、もうその必要も無いと思い直して只見守る事にした。

 

「済まない、私は所詮私でしかないし、先程も言った通り君の哀しみ全てを受け止める事はもちろん、それを僅かでも癒す事すら出来ない無力な存在でしかない」

 

静かだが、どこかしら勁さを感じさせる声が響き、ポーラを過去――彼女の心を支配する残酷な記憶――から現世へと呼び戻す。

 

再び眼前の現実へと引き戻されたその眼差しにしっかりと視線を合わせた彼は、そっと右手を伸ばして、今しも頬を伝い落ちて行く余りに澄んだ雫に微かに触れる。

 

「だが、君に約束しよう。我が身を危険に晒す様な決断をする時には、まず君達のその力を借りる事を――だから、どうかもう泣かないでくれないか……頼む」

 

ゴウッと風の音が響き、パラパラと雨粒がガラスを叩く音がする。

 

間も無く訪れる嵐の前触れに晒されるこの小さな室内は、到底静寂とは程遠かったが、それでも息苦しくなる位に静かだった。

 

やがて、凍り付いた時間の枷からやっと遁れたかの様にポーラの手がゆっくりと上がり、差し出された隅田の手をそっと握る。

 

「本当ですかぁ――本当にぃ――本当に信じて良いんですかぁ……? 貴方はぁ――ポーラを置いて行ったりしませんかぁ……?」

 

「――君が言った通り、私はただの人間だ――だから、只の人間に出来る事しか出来ない。そんな約束も保証も無い私の言葉を信じてくれるのならば、全力でそれに応えたい」

 

相変わらず実直としか言い様の無い物言いだが、それがまた誠実さを一層際立たせている。

昔ヒューストンを取り巻いていた男達であれば、ここぞとばかりに女を歓ばせる様な甘い誓いの言葉を並べて見せただろう。

 

「――信じますよぉ――ポーラはぁ、貴方を信じますよぉ――信じさせて下さいねぇ――もう一人にはしないで下さいねぇ……」

 

そう言った彼女の表情には救われた様な安堵の色が浮かんでいる。

 

「貴方がいてくれるからぁ、ポーラは生きようって思えるんですよぉ――貴方がぁ必要なんですよぉ……」

 

彼女の片腕が隅田の首に回され、縋り付くように顔を埋めると彼は一瞬身を強張らせて逡巡するが、思い直したのかごく控え目に肩に手を回す。

内心ではかなりムカッとしたものの、さすがにこの場はそういう空気でも無かったので仕方なく我慢するが、一抹の期待を込めて傍らの飛鷹を流し見る。

が、彼女もまた貧乏くじを引く積もりは無いらしく、束の間視線を絡ませておいてから殊更にそっぽを向く。

 

(何よ、得意の喧嘩腰はどこへ行ったのよ!)

 

胸の奥でそう悪態を吐いて見せるのが精一杯だった。

 

 そんな飛鷹が何処迄事態を予測していたものか判らないが、とにかく彼女は車を二台回して来ていた。

ヒューストンにとっては面白くない話で、分乗出来る状況である以上司令と副長が同乗する訳には行かなかった。

そして当然の様に彼女は隅田と同乗したために、気は進まないがポーラと同乗して隊に戻ることになる。

 

「――何時頃の、話なのかしら?」

「え〜何がですかぁ?」

「さっき貴方が話してた事よ」

「もちろん〜これからそうするかも知れないって話ですよぉ~」

「――話す気は無いって事なのね……」

「ヒューストンさんだってぇ、話してくれませんよねぇ~」

「だったら判るんじゃ無いの? これ迄話さなかった理由も」

「それが判るのとぉ~、話す事とはまた別ですよぉ~♪」

「――そう――だったら仕方が無いけど――でも、判り合えるかも知れないって思う事は、そんなにいけない事かしら?」

暫し沈黙した彼女は、やがて幾らか低い声を出す。

「――誰かにぃ、判って欲しいって思った事もありますよぉ~、でもぉ――それってやっぱり傲慢ですよねぇ……」

「……本当に傲慢なのかしら――たとえそれが真逆のハッピーな事柄だったとしても、誰かにそれを理解してくれって言う事の意味は同じなんじゃないの? もしもそれが駄目だって言うんなら、あたし達は永遠に判り合えないって言ってる様に聞こえるわ」

「もしそうだとしてもぉ~、それはそれで良いんじゃ無いですかぁ? 所詮あたし達はぁ、何時も独りなんですからぁ……」

「でも貴方は、そんな自分自身を彼には理解して欲しい、ありのままの自分を受け止めて孤独の淵から救って欲しいって思ってるんじゃないの?」

 

再び沈黙してしまったポーラは、今度はずっと長く黙ったままだった。

間も無く道の両肩が開けて隊の正門へと向かう曲がり角に差し掛かった頃、彼女はゆっくりと此方を振り向いたが、そこにあったのは何時ものあの柔和そのものの笑顔だった。

 

「ヒューストンさんってぇ――とーっても嫌な方ですねぇ~♪」

 

車内の空気が一瞬で凍り付いてしまったのを感じる。

横目でチラリと前をみると、運転席と助手席の兵達の顔が軽く蒼褪めていた。

ここ迄露骨に感情を逆撫でする様な態度に出るのは、指摘した事が余程癇に障ったのだろうか。

 

(他人に本音を見透かされるのがそんなに嫌なの? その笑顔の仮面はそんなに大切なのかしら?)

 

喉元まで上がって来たその言葉を飲み込むと、鋭い舌鋒を躱す様な言葉を探す。

飛鷹であれば真っ向から食って掛かるのかも知れないが、これ迄アメリカ海軍で些か斜に構えて過ごして来た身にとってはどうにか受け流せる範囲と言えた。

 

「貴方の言う通りかも知れないわね。現にあたしは太平洋艦隊じゃ拗ね者だったし、否定はしないわよ」

「あら〜自覚がお有りなんですねぇ〜、直そうとは思わないんですかぁ?」

「自分で自分を否定するだなんてあたしには無理ね。それに貴方みたいに他人を巻き添えにしてる自覚も無いし。第一、所詮あたし達は独りだって言ったのは貴方じゃない」

「そうやってぇ、揚げ足を取るのが本当にお上手ですよねぇ〜」

「なんでも良いけど、もうそれ位にしておいたら? あたし達の厭味ったらしい言い争いを聞かされる側にしたら溜まったもんじゃないでしょ?」

そう言っておいてから兵達に向かって声を掛ける。

「ここで取っ組み合いを始めたりしないから、心配しなくても良いわよ♪」

言われた彼らの顔に浮かんでいた緊張の色がスウッと引くのが判ったものの、ポーラが追い打ちを掛けたので台無しになってしまう。

「そうですよぉ〜、ちゃんと貴方達の目が届かない所でやりますからねぇ〜♪」

 

(全く……ここ迄面倒臭い奴だなんて思わなかったわ――本当に今日は踏んだり蹴ったりね!)

 

さっさと宿舎に戻って熱いシャワーでも浴びたい――心の底からそう思った。

 




これで第2章を終わります。
出来るだけ同じ間隔で次の第3章も投稿して行きたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。
次章では、自分の感情や思いもよらない出来事に振り回されるヒューストンを描いていきたいと思います。
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