冷たい女   作:Y.E.H

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第3章・第2節

 真っ青な空の下、心地良いそよ風の吹く中を駆け抜けて行くのはとても爽快だった。

そのうえ彼との関係が進展を見せ始めた実感もあって、ヒューストンは心浮き立つ様な気分に浸り切っている。

 

「ヒューストンさん、さっきから何だか気持ち悪ーい」

「本当にね〜あんなにブスッとしてたのに、急にニヤニヤし始めちゃって不気味だよねぇ〜」

サムとジョンが揶揄う様に声を上げても、今は全てにこやかに受け流せる程に心が広くなっていた。

「ウフフ、二人共そんな細かい事ばっかり言ってたら毎日を楽しめないわよ♪」

「え〜任務をですかぁ? 幾ら気分を変えてもお仕事はお仕事ですよぉ〜?」

「あら、そんな事無いわよ♪ いい? 物事は気分の持ち様で幾らでも変えられるのよ、人生を楽しむ為にはとっても大切な事だわ♪」

何処までも朗らかに応じるヒューストンの様子に、『ダメだこりゃ……』とでも言いた気に肩を竦めて黙ってしまうジョンに代わって、本日の旗艦であるアークロイヤルが口を開く。

「まぁいいではないか、副長殿の機嫌が良いと言う事一つで私は安心して指揮が取れるし、それだけで有難い事だ」

もちろんその言葉の意味する処は明らかだった。

その折を思えばいささかの後ろめたさもあるので、フォローの積もりで少し食い付いておく。

「あの時はつい失礼な事もして仕舞いましたけど――もうそろそろ許して貰う訳には行きません?」

「いやこれは失敬、そもそも許す許さぬなどと考えてもいないので安心して欲しい。私は普段の副長殿とのギャップが大きかったが故に中々印象が拭え無いだけなのだ」

「その時のアークさん、めっちゃバクバクだったんですよねぇ♪ 見たかったなぁ~」

ジェイがさも可笑しそうに口を挟むが、当のアークロイヤルは怪訝そうな顔をする。

「ジェイは相変わらず判り難い事を言う。『めっちゃバクバク』とはそもそもどう言う状態を言うのだ?」

「え〜判るでしょう? バクバクですよぉ?」

横からジョンが聞き返すものの、アークロイヤルの反応は芳しくない。

「それは駆逐艦同士で通じるスラングか何かなのか? 私にはさっぱり思い当たる節が無いのだが」

相変わらず真顔でそう応じた彼女に、ジョンとジェイは顔を見合わせて苦笑いするばかりだ。

「まぁそう厳密に考えなくても良いと思いますよ、『緊張していた』位に思っておけば♪」

「そうか、そういうものなのか」

どこまでも不得要領なその様子に、クスクスと含み笑いをした夕張が目先の違う話題を振って来る。

「それよりも、私は今日のデータに期待しちゃいますね! ひょっとしたらヒューストンさん、ベストスコア出そうじゃないですか?」

「そこ迄じゃないと思ってるんだけど――そう見える?」

「見えますよすっごく!」

「ジョンには聞いてません〜」

「でも、私にもそう見えますよ♪ もしかしたら当隊初の2.0超えもあるんじゃないかって期待してる位です」

「2.0なんて――本当に出たら凄いですね、見てみたいです」

「あら本当? パースちゃんがそう言うんだったら頑張っちゃおうかしら♪」

「ほらまたパースさんばっかりぃ~」

「一々そんな事で拗ねちゃダメよ♪ ジョンのことだって同じ位に愛してるわよ♪」

そう言って背中から腕を回して抱き締め様とすると、首を竦めて身体をブルブル震わせた彼女が少々上擦った声を出す。

「もう――ヒューストンさん本当にどうかしちゃってますよぉ、何だか調子狂っちゃう~」

「あら、遠慮しなくたって良いのにぃ♪」

「や、やっぱり今日は遠慮しときます……」

そんな能天気な遣り取りを横目にしながら、ガンビア・ベイが憂鬱そうな溜め息を吐く。

「ヒューストンさんが良い成績出すのは嬉しいですけど――あたし的には何だか出て欲しく無いなぁなんて、その――す、済みません……」

「どうしたのよガンビィは♪ ひょっとして引け目を感じてるんじゃないでしょうね?」

「で、でも、本当にヒューストンさんが増幅率2.0なんて出しちゃったら、益々私置いてけぼりですから……」

見るからに後ろ向きな彼女の様子にさすがに苦笑する。

ここグアムに各国から集まった艦娘達にとって、成績すなわち増幅率値であると言っても過言ではない。

艤装の持つ性能から言えば、彼女達の特殊な能力発現に深く関係する体内信号を機械的に増幅するのはいとも簡単である。

しかしながら、その信号を増幅したらそのまま能力迄も増幅される訳では無く、如何に巧みに自らの能力を艤装に同調させるかと言う掴みどころの無い目標に向かって夫々に悪戦苦闘しているのが現状だった。

聞く処によると、艤装の試験運用が全艦に行き渡っている日本国内においては、軽巡洋艦大井が増幅率2.37を記録したのがこれ迄の最高らしい。

これに対して隊に所属する艦娘達は、ほとんどが1.7台後半から1.8台の増幅率をウロウロしており、ヒューストンと、先行して運用実績のある夕張の2人だけが1.9台の数値を記録している。

そんな中にあってこの場ですっかり凹んでいるガンビィはと言えば先月やっと1.5を超えたところで、まだ1.6を超えた事は一度も無い状態だ。

「気持ちは判らないでも無いけど――でも、ガンビィはちょっと気にし過ぎじゃないかしら?」

「そ、そうでしょうか……」

実際、増幅率が2.0だから元の2倍の力が発揮出来るとか2倍の速さで航行出来るとか言う訳でも無く、あくまでも目安に近い数値なのだからそれだけに固執する必要も無いと思うのだが……。

「そうですよガンビィさん! 絶対値よりもこのところの上昇率は素晴らしいんですから、焦らずに行きましょうよ」

夕張が明るくフォローしてくれたのだが、当のガンビィは乗って来ない。

「で、でも最初が酷過ぎたから、今は普通になっただけですよぉ……」

「普通だったら言う事無しじゃない、皆にはゆっくり追い付けば良いことだわ」

そう言っても彼女の表情は曇ったままだった。

 

(まぁ、そう言う性格なんだから仕方無いわね♪)

 

「間も無く演習予定海域だ、ジョンストン、サミュエル、それにジェイは水測による索敵を開始のこと。本艦およびガンビア・ベイは艦載機による索敵を開始する。その他の艦艇は水上警戒態勢を取れ」

アークロイヤルの落ち着いた指示が飛ぶと、彼女達は一斉に口を噤んで任務に頭を切り替える。

それは言わば軍艦の本能の様なものだ。

もっとも、本能と言う意味ではこんな指示が出ていなくても彼女達は意識する事無く常に周辺を警戒している。

彼女達に備わった特殊な能力は、単なる能力と言うよりも天性とでも表現する方が適当かも知れない。

「水測可能な範囲に不審な音源は探知出来ません!」

「ジョンストン同じです!」

「サムも同じくだよ!」

忽ち三人が申告すると、次は水上警戒組である。

「夕張、水上索敵圏内に艦影確認出来ません!」

「パース、有効索敵圏内に未確認艦影を認めず!」

「ヒューストン、索敵圏内に不審な艦影等を認めません」

何気なくそう申告した直後の事だった。

 

(アマリ――キンスル――リヲトレ!)

 

「誰!?」

思わず声が出てしまうが、周囲にいるのは見慣れた顔ぶればかりだ。

「どうしたの?」

スーッとサムが近寄って来るが、その表情からするに今の何かを感じたのはどうやら自分だけらしい。

「今ね、『声』が聞こえたのよ」

「えっ本当に⁉」

「えぇ~どうしたんですかぁ? 誰か判りますか?」

二人の会話を聞き付けたジョンも話に加わって来ると、自然に全員の耳目がこちらに向く。

旗艦であるアークロイヤルも異変に気付いた様で、改めて指示を出し直す。

「ジェイとサミュエルは水測による索敵を再開せよ、ガンビア・ベイは航空索敵を継続、パース・夕張は水上警戒態勢を維持せよ」

そう言っておいてから彼女はヒューストンとジョンストンの許へと接近して来る。

「副長殿、どう言う状況なのだろうか?」

「先程水上索敵の結果を申告した直後に一瞬『声』が聞こえたんです。今は聞こえていない状態ですが……」

「『声』がか――相手が誰かは判ったのだろうか?」

「いえ、そこ迄は明確には判りませんでした――ですが、思い当たる相手は一人しかおりませんわ」

「そうか、貴殿の戦没した御姉妹と言えば――」

「そうです、姉のシカゴしか思い当たりません」

「シカゴさん……」

ジョンが独り言の様に呟くが、実艦時代の彼女が就役したのがそもそも姉の戦没後なので全く一面識も無い相手であり、知識として知っているだけなのだ。

ただ『声』が聞こえた体験の方は共有していた。

「ねぇ、ジョンの時はどんな感じだったのかしら?」

「あたしの時はなんだか雑音見たいな感じでした――言葉になって無くて……」

彼女達には時として『声』が聞こえる事がある。

但し艦娘であれば誰でも聞こえる訳では無く、姉妹艦のいる者や非常に強い精神的な結び付きのある者にしか聞こえない。

日本に於いては過去に艦娘と普通の人間の間で『声』が聞こえた例があったらしいが、これは極めて稀な事であって、通常は姉妹艦同士で互いの『声』が聞こえるだけと言って良い。

ヒューストン自身も一度、姉のノーザンプトンの『声』を聞いた事があるが、その折は今まさにジョンが言った通り雑音に近いものだった。

もっともそのお陰で姉を発見する事が出来たので、相手を捜索している時には非常に役に立つ事は間違いない。

だが、たった今ヒューストンが経験した様な恐らく深海棲艦と思われる姉妹艦の『声』が聞こえた例はアメリカ海軍には無い。

これもまた日本における例が報告されているのみだが、その際はまるで電話や無線で通話するかの様に会話が出来たと聞く。

 

(もしもそんな風にシカゴ姉さんと会話出来たら……)

 

もし自分の言葉に耳を傾けてくれたなら、一緒に帰還してくれる様に説得出来るかも知れない。

そう思い始めたら、直ぐにそれを抑え切れ無くなって来る。

「済みません、接触を試みる事を許可して頂けないでしょうか?」

「――それはつまり、説得出来る可能性があると言うお考えか?」

「今の時点では何の確証もありませんし、意思疎通出来るかどうかすら定かではありません……ですが、今初めて手にしたチャンスを活かして見たいんです」

聞かされたアークロイヤルは、腕組みをすると口をへの字に結んで目を閉じてしまう。

沈黙が流れたのは数秒間かそれとも数十秒間だったのか――何れにせよ、それを破ったのはガンビア・ベイの声だった。

「10時方向に不審な艦影を確認! 距離約20、艦影は4! 繰り返します! 10時方向距離約20に不審な艦影4を確認!」

その言葉に全員が反応し、期せずして視線が一斉にアークロイヤルに注がれる。

彼女の報告が確かなら、敵は水測及び通常の水上索敵範囲のギリギリ外側にいる訳で、明らかに意図的な距離を保っているものと推測される。

この事実に対して果たして旗艦はどの様な判断を下すのか――そんな緊張の高まりを全員が感じたその時、件のアークロイヤルが目を見開く。

「深海棲艦の目的が、単に我々を監視しているだけなのか或いはそれ以上に踏み込んだ何かが存在するのか、今の我らにはそれを判断するに足る情報が圧倒的に不足している」

一つ一つ言葉を選ぶ様にそう口にした彼女は、徐ろにヒューストンと視線を交える。

「副長殿、どうかその手掛かりとなる何かを掴み取っては貰えまいか、大いに期待している」

「――有難うございます!」

「うむ――パースとジョンストンはヒューストンの麾下に入りその指示に従う様に! ガンビア・ベイは本艦と共に常時警戒態勢を取る! 夕張、ジェイ、サミュエルは航空戦隊の標準護衛陣形を取れ!」

そこ迄流れる様に指示を発しておいてから、彼女は改めてヒューストンに向き直る。

「ヒューストン、臨時編成の遊撃戦隊旗艦を命じる。貴艦独自の判断により行動し、正体不明の不審艦群の情報を収集せよ! 必要に応じて交戦を許可する!」

「了解しました! これより本艦は任務行動に入ります」

そう言って互いにキビキビと敬礼を交わし、くるりと振り返るとそこにはパースとジョンストンの真っ直ぐな眼差しが待ち受けていた。

「ではこれより航空索敵で確認された不審艦群に接近するわよ、あたしを先頭にしてパースちゃん、ジョンの順で単縦陣をとって第四戦速で進行するわね。何か質問は?」

「ありません!」

「あたしもです!」

間髪を入れずに返答したパースに続いてジョンも素早く申告してくれる。

「それじゃ行くわよ!」

「アイアイサー!」

二人の綺麗に揃った小気味良い応答に満足したヒューストンは、何処かしら胸躍る様な感覚を覚えながら速やかに加速する。

 

(貴方は誰かさん見たいに頑固じゃないわよね、シカゴ姉さん?)

 

心中でそう呼び掛けては見たが、やはりそう簡単には姉は応じてくれなかった。

 

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