ヒューストンを始めとする艦娘達そして深海棲艦達は元艦艇であり、艦艇であった時とほぼ同じ様な能力を発揮することが出来る。
しかし艦艇の様に実弾や魚雷、艦載機などを使用して戦闘する訳ではなく、それらと同じ威力を発揮する動的なエネルギー――但しその実体が思考や思念の具現化なのか、もっと別種の起源のものかは相変わらず不詳である――によって戦闘すると考えられている。
それらは通常の人間の視覚や聴覚では捉えることが出来ず、そのテクノロジーの産物であるレーダーやソナーによっても捕捉する事は不可能だが、艦娘や深海棲艦達はそれを『見る』事や『聞く』事で知覚出来る。
通常の戦闘において彼女達は飛来する砲弾や接近する魚雷を感知することが出来る為、警戒を怠らない限りはそれらを回避する事も可能だ。
従って、敵にそれを当て様とする場合は飽和攻撃や時間差攻撃、或いは注意を逸らす為の陽動などの戦術を取るケースが多い。
敵の放った砲弾を『見た』瞬間にヒューストンは姉に欺かれたことを悟ったが、時既に遅しであった。
それでも必死に全力機動を掛けて少しでもその場から逃れ様としたものの、次の瞬間強い衝撃を感じて海面に叩きつけられる。
(あぐぅっ!)
ところがその衝撃は何故か横からやって来て、ヒューストンを吹き飛ばしたのだ。
「何っ⁉」
思わず口を衝いて出た言葉が凍り付く。
次々に立ち上がる弾着の水柱に、呑み込まれるその姿は――
「パースちゃん!」
敵弾が飛来した事に気付いたのはパースもジョンもほぼ同時だったが、僅かにパースの方が近くにいた。
それと見て取った瞬間に彼女は躊躇う事無くヒューストンの許に最短時間で到達する事を選択し、最大戦速で突進するとそのまま体当たりしたのだった。
一瞬呆然とし掛かったヒューストンだったが、既に述べた様に軍艦としての本能が彼女を立ち上がらせる。
「パースさん! パースさん!」
僅かに遅れて駆け付けたジョンが叫ぶ。
「次弾が来るわよ!」
「はいっ!」
小山のように重なり合った水柱が収まった時、そこには海面に倒れたパースの姿があった。
無言のままで彼女の腕を掴むと、一瞬の間をおいてジョンが反対の腕を掴む。
キッと見上げたその先には予想通り敵弾が迫っていた。
「こっちよ⁉」
声を掛けつつ予想される敵弾のベクトルに直交する様に移動すると、ピタリと息の合った動きでジョンも追従してくれる。
一度、二度、そして三度目の弾着をやり過ごすと、初めて落ち着いてパースの様子を見る。
「パースちゃん、あたしの声は聞こえる⁉」
膝に抱き上げて声を掛けると、どうにか彼女は薄目を開けて応じてくれる。
「は……い……」
「判るのね! 良かった――本当に良かった……」
抑え様もなく涙が溢れて来るが、その感激に冷や水を浴びせる様にジョンの声が響く。
「また来ましたよ!」
再び彼女の身体は本能に従って全く意識する事無く回避行動を起こしていたが、その脳裏には別の想念が浮かんでいた。
(姉さん――それが貴方の本心なのね――良く判ったわ)
胸の奥から泉の様に冷たい怒りが湧き上がって来る。
それがひたひたと全身を満たして行くのを感じながら、嘗ての経験を思い返していた。
艦隊に復帰して最初に深海棲艦との戦闘に突入した時、自分が憎悪の塊になった様な気がした。
一緒にいた仲間達によれば、その際の彼女は蒼白い肌に真っ白な髪を振り乱し、血の様に紅い瞳を爛々とギラつかせていたと言う。
現在に至る迄にこの現象に係る多くの例が報告された結果、激しい憎悪などの負の感情に因って艦娘が深海棲艦化する事が知られる様になった。
ヒューストンにしても、もしその折に仲間がいなければそのまま深海棲艦へと化していたかも知れない。
だが、たった今自分に起きている変化は何かが少し違っている様な漠然とした感覚があった。
ただ共通する点がある事も同時に感じ取ってはいた――どうやら、己の意志の力だけではそれを制御出来ないらしいと言うことを。
「ジョン、パースちゃんを連れて撤退しなさい、アークさん達とランデブーするのよ」
「あっ、でもヒューストンさんは――」
口に仕掛けたジョンストンは思わず絶句する。
ヒューストンの声はまるで遠い天上から降って来る様な深みと広がりがあり、それだけでも既に違和感があったと言うのに、顔を上げた途端に我が眼を疑う光景が飛び込んで来たからだ。
背筋を伸ばしてすっくと立った彼女の身体の中から目紛るしく色を変える複雑な光――虹色とでも?――が溢れ出していた。
しかもそれはみるみる輝きを増しており、刻一刻とヒューストンの全身を塗り潰して行く様だ。
「ま、待って下さい! 一体何が――」
「勝手な事ばかり言ってごめんねジョン――パースちゃんの事、頼んだわよ」
何処かしら寂し気にそう言うと、彼女は身を翻して滑る様に離れて行く。
何が起こっているのか理解が追い付かずに固まっていたジョンの耳に、先程よりは少しはっきりとしたパースの声が届く。
「お願いジョン――もう少しだけ――助けてくれる?」
「えっ、あ、ハイ!」
我に返って腕の中の彼女を改めて抱え直すと、ヒューストンの指示通りにアークロイヤルらの方向へと下がり始める。
「ジョンストン、こちらアークロイヤルだ。一体どうなっているのだ? 副長殿と連絡が途絶してしまったのだ」
「こちらジョンストンです――正直に言って良く判りません。私は被弾したパースさんを補助して撤退中です」
インカムから響いたアークロイヤルの声にジョンが応じていると、ガンビア・ベイの声が割って入る。
「ヒューストンさんは更に敵艦群に接近中です! 何なんでしょうあの光は――」
「いかんな――このままでは取り返しがつかぬ事になりかねん――ジョンストン、パースと会話は可能か?」
ジョンが応答し様とすると、パースが自ら声を上げる。
「こちらパースです――もう少しで自力航走が可能になると思いますが……」
「パースさん、無理したら危険ですよ?」
「いえ、多分大丈夫――直撃したのは二発だけだったし、どうも小口径弾だった見たいだから……」
「本当ですか?」
「今はパースの申告を信じよう、ジョンストン。夕張とジェイは最大戦速でパースの許へ急行してくれ! ジョンストンは直ちにヒューストンを追尾せよ!」
「アイアイサー! パースさんごめんなさい!」
「気にしないで――それよりもヒューストンさんをお願い、必ず連れ戻してね」
「全力を尽くします!」
「頼んだぞ! 我々も出来るだけ早く追い付く!」
「ハイッ!」
思い切り良く返事をすると、両手でパンッと頬を叩いて気合を入れ直す。
艦娘としての視界の中でもヒューストンの姿は豆粒の様に小さくなってしまっている。
「よしっ、最大戦速!」
誰言うともなく自分自身に命令したジョンストンは、能力の限界に挑戦する覚悟で全力で飛び出す。
今のところ敵弾が飛来して来る様子は無く、攻撃は全てヒューストンに集中しているらしい。
だがもとより敵艦は四隻のみであり、それ程厚い弾幕を張れる訳でもないので、全て易々と回避出来ている様だ。
(でも――逆もそうよね)
敵が一発も当てられないのであれば、単艦のみのこちらの弾はもっと当たらない筈なのだ。
ヒューストン程の艦娘であればそんな事位は充分承知していると言うのに……。
そう思ってしまったジョンストンは、無駄と知りつつインカムに向かって呼びかける。
「ヒューストンさん! 応答して下さい! 独りで突っ込むなんて無茶ですよ⁉」
しかし予想通りと言うべきかそれに対する返事は無く、こちらが心配する様な事は百も承知であるのを思い知っただけだった。
とにかく追い付くしか無い――改めてそう思い直すと更に我が身を励まして増速する。
まるで体の奥からタービンの轟音が響いて来る様だ。
が、その時彼女はまたも信じ難いものを見てしまう。
豆粒よりも幾分かは大きく見えて来たヒューストンは、今や全身のほとんどがあの虹色の輝きを放っていたが、その右腕がサッと上がる。
艦娘が発砲する際に普通に見られるジェスチャーだが、通常であればそのジェスチャーしか『見え』無いところだ。
放たれた砲弾は弾着側に接近してからでなければ『見る』事が出来ず、発砲直後から弾道が確認出来たりはしない。
ところが、振り上げられた彼女のその手の先からは眩い金色に輝く光の矢の様な何かが放たれたのだ。
「あっ!」
思わず声が出てしまうが、全く同時にインカムからも同じ声が響いたので、ガンビア・ベイもまた同じものを目撃したらしい。
ヒューストンの手から放たれた一条の光の矢は、ややゆっくりと放物線を描いて行き、間もなく水平線の向こうに消える。
「ガンビィ見えてる⁉」
「見えてるよ! あっ、やっぱり避けられ――ああっ⁉」
「どうしたの!」
「信じられん――あれは一体何なのだ?」
割り込む様に入って来たアークロイヤルの声は、彼女もまた信じ難い光景を目撃した事を物語っていた。
「何が起きたんですか?」
「あの光がね、曲がったんだよ」
「曲がったって?」
「正確には標的を追尾したのだ。回避しようとした敵を追い掛けてな」
「そんなの――人間が使う誘導兵器見たいじゃないですか!」
「全くだ――副長殿の身に何が起こっているのだ?」
「で、でもこのままじゃ危険ですよ! 何が起こっても不思議じゃ無いです」
「何がなんでも追い付いて止めます!」
「頼むぞ、今はジョンストンだけが頼りなのだ」
「了解っ!」
体中に漲っているのは、不思議に温度の低い怒りだ。
以前深海棲艦に対して感じたのは、己自身から大切なものを奪った者達への憎悪であり、もっと煮え滾る様な憤怒だった。
だが、今感じているのはそれよりもずっと冷えた感情であり、矛盾した言い方にはなるが冷静であると表現してもおかしくない程なのだ。
とは言え先程から自分自身の制御が十分に効いておらず、自分が自分を律している――ノーザンプトンの『己を完全に律しなければ前線には出られないわよ!』と言う声が聞こえて来そうだ――とは到底言い難い。
何よりも、体の奥から湧き上がって来る――と言うべきか、不可思議な何かによって体内から力が引き出されている様な感覚が有り、まるでコントロールを失った自分自身を横から冷静に眺めている様な奇妙な状態だった。
そんな状態なので、自分がサッと腕を振り上げたのもそうしてから初めて気付いたような有様だ。
(これは一体……?)
視界の中で、自分自身から放たれた光り輝く矢の様なそれが、水平線の向こうにいる敵を目指して弓なりの弾道を辿って行くのを傍観者の様に見送る。
敵がそれを回避しようとするのも見えてはいたが、何故かヒューストンはその後に何が起こるのかも知っていた様だ。
だからなのか、その光の矢が回避した敵を追って曲がるとそのまま直撃したのも当たり前の事の様に感じられる。
(信じられ無い……あたしの何処にこんな力があったの?)
そう思っているその間に再び自らの腕が上がり、今度は数条の光の矢が飛び出す。
それらが先程と同様になだらかな弧を描いて伸びて行くのを目で追いかけながら、次に何が起こるのかを確信している自分に気が付く。
先程経験したばかりの驚きから立ち直り切っていない姉達は、今度は只回避するだけでなく迎撃しようとしているのか盛んに発砲するが、もちろん何の役にも立たない。
そして光の矢は必死に逃げ様とする敵に襲い掛かると容赦無く刺し貫き、断末魔の叫びと共にそのまま轟沈させてしまう。
その凄まじい威力に恐れを為したのか、(恐らくシカゴをも含めた)残る者達は此方に背を向けると増速して離脱し始める。
(これでお別れね、シカゴ姉さん――もしも再び相見える事があったとしても、二度と同じ過ちは犯さないわ)
ヒューストンの中にはこれで終わったと言う思いが湧き上がって来るが、同時になお怒りを持て余す自分が別にいる様な感覚にも囚われる。
そんな己自身が分裂した様な違和感とは別に、体の奥底では先程からある種の警報が鳴り響いており、危機が迫っている事を教えていた。
(駄目よ――これ以上は危険だわ? 早く皆の許へ戻らないと――)
そう思うのとは裏腹に今はまだ怒れる己が主導権を握っているのか、彼女の身体は言う事を聞かずに更に追撃を続け様とする。
そして再び自身の腕がサッと振り上げられるのを見るとともに、またも数条の光の矢が放たれると今や全速力で逃走する敵の背中を追って非情な放物線を描く。
逃れられないと判ってはいてもやはりどうにか回避しようと彼女らは足掻き、思い切った急反転などを試みたものの徒労に終わってしまう。
先程と同じ様に光り輝くその矢が全弾狙い過たず敵の体を貫くと、絶叫(先程もそうだったのだが、ヒューストンには聞こえる筈も無いのにである)を残してそのまま轟沈する。
(そろそろ気が済んだでしょ? 本当にもう危険なのよ!)
己の裡に鳴り響いている警報の正体が判って来たヒューストンはどうにか我が身の制御を取り戻そうとするが、自分の中の嚇怒する何かが激しく抵抗する。
自身の内なる力とでも言うべきものが急速に枯渇して行くのが今やはっきりと感じられ、その限界が迫っていた。
「――ストンさん――ってくだ――」
背後から微かに声が聞こえたので振り返ろうとするのだが、やはり体が言う事を聞かないので僅かに首と目だけを動かして後ろを見ると、それはどうやらジョンの様だ。
(ジョン! 来てくれたのね!)
あらん限りの力を振り絞って、首と眼とを彼女に向けたままで左手を動かす。
どうにか少しだけ上げる事が出来たその左手を開いて見せると、勘の良いジョンは直ぐに察してくれる。
「今行きます!」
そう叫んだ彼女が真っ赤な顔をしているのを見て、初めて自分が通常ではあり得ない様な速度を出している事に気付く。
普段であれば、どう頑張っても最大戦速のジョンには追い付けないと言うのに……。
眼尻を決して、額に玉の様な汗を浮かべつつ必死に手を伸ばす彼女の奮闘に何とか応えようと己自身に挑み掛かるが、どうしても我が身の主導権を取り戻す事が出来ない。
何処迄も頑な自分に対して勃然と怒りが湧き上がり、その怒りが口を衝いて出る。
「いい加減にして! あたしはこんな処で沈む訳には行かないのよ!」
その叫びと共にガクンと速度が落ち、間近に迫っていたジョンが勢い余って突っ込んで来る。
「あぁっ⁉」
同時に声を上げた二人は、そのまま絡み合う様に倒れ込むと海面をゴロゴロと転がる。
尻餅を搗いてやっと止まったヒューストンの膝の中にジョンが転がり込んで来てやはり止まると、急に辺りを静寂が包む。
気が付くと我が身から溢れ出していたあの光は消え失せており、今にも崩れ落ちそうな程の酷い倦怠感が重く伸し掛かっていた。
「――ヒューストン――さん……あの――光は?」
恐る恐ると言った体で顔を上げたジョンが問い掛けて来た事で、やっと自分を取り戻せたと言う感覚が沸いて来る。
「ええ、消えたわ――有難うジョン……ジョンが助けに来てくれたお陰よ♪」
そう言って不思議なものでも見るかの様な眼差しで見詰めるその頬にそっと触れると、初めて彼女は笑顔を浮かべる。
ところがその笑顔は数秒も続かず、見る見る内にクシャクシャに歪むとさめざめとした泣き顔に変わる。
「良かったぁ――ヒューストン――さんが――元に戻って――ほんとに――ほんとに、良かったぁ……うわはあぁ〜ん、うぅっ、はうぅ……」
どうにかそれだけを言うと、後はひたすらしがみついて泣きじゃくる彼女を優しく抱き締める。
「本当に有難う――こんなあたしの為に必死で頑張ってくれて……大好きよ、ジョン♪」
その時、長らく存在を忘れていたインカムから皆の声が響く。
「二人共止まりましたよ! ジョン、大丈夫?」
「副長殿、ジョンストン、二人共無事か!? 応答してくれ!」
「こちらヒューストンです――ご迷惑をお掛けしましたが、どうにか無事です――ジョンも一緒ですよ」
「おお! それは良かった、よくやってくれたなジョンストン! ――ジョンストン、聞こえるか? 大丈夫か?」
「済みませんが、今ジョンは取り込み中です♪ でもご心配なく、ちゃんと無事ですよ」
「――良かったよねぇ――ジョン……グスッ――一杯頑張ったよねぇ――ヒック――良かったねぇ本当に……」
感激しているのか、しゃくり上げながらジョンを気遣うガンビィが何とも微笑ましい。
(――仲間って――本当に良いものね……)
自分では立ち上がれない程に疲労困憊してはいたものの、重い枷が一つ外れた様な穏やかな気分だった。