隊の受け入れ建屋は、珍しくごった返していた。
通常は帰投して来る艦娘達を待ち構える整備班や各国からの派遣技官と当番兵達の姿位しか無いのだが、今日は演習艦隊の旗艦であるアークロイヤルからの急報が入っていたからだ。
第五特務艦隊が設置されて半年以上が経過したが、深海棲艦との戦闘が発生したのはこれが初めてであり、しかもその中身についても異例尽くめと来れば尚更である。
何時もの顔触れ以外に救護班や各国の連絡士官も集まって来た他に、今日は出撃の無かった留守居の艦娘達も全員姿を見せていた。
「此処へ来てとうとう初交戦とはね――満を持して仕掛けて来たってとこかしら?」
「え~それってかなりヤバくないですかぁ? これ迄ずっと様子見してたって事ですよねぇ」
「本当にそうならとても危険だとは思います。ですが、まだ詳細が判らない状況では何とも言えないのでは?」
「なぁーんだぁ~、ここは温かくてのんびりしててとーっても好きだったのになぁ~」
「そう言う事を余り言わないで下さいまし、私……何だかとっても不安ですわ」
そう言って自らの肩を抱く様にした夕暮は、その言葉通り不安の色を隠そうともせずに帰投ゲートを見詰める。
雑談を交わし合う皆と離れて独り佇んでいるポーラは、何時ものあの笑みを浮かべたまま何処となく所在無気にしていた。
そんな常日頃とは異質な喧騒を制するかの様に、彼女らの頭上から声が降って来る。
「距離3,000に演習艦隊全艦を確認! 各班は受け入れ準備!」
とは言え、当然の事ながらその指示を聞いてから慌てて準備を始める者達がいる訳では無く、何となくざわめいていた空気がやや粛然とした程度だ。
ところがまたしても常ならぬ事が起きたために、その空気感もまた変わってしまう。
司令部建屋に通じるドアから、隅田が本日の代行副長であるグラーフ・ツェッペリンを従えて姿を現したのだ。
途端に集まっていた兵や士官達にピリッとした気配が充満するが、艦娘達にとって彼はそう言う存在とは言い難いらしい。
「ちょっと、司令がわざわざ来る所じゃ無いんじゃないの?」
飛鷹のこう言う物言いは隊内では既に当たり前になりつつあったが、それでも苦笑する者や顔をしかめる者はいた。
「今更ではあるが余り感心せんな、特にこの様な場ではな」
そんな者達の声を代弁するかの様にグラーフが窘めるが、無論の事彼女は意に介さない。
「ご忠告痛み入るわ、今後の参考にさせて貰うわね」
そう言い放って済ました顔をしている有様に、当のグラーフも肩を竦めるばかりだ。
「私に対して気を遣う必要は何も無い。だが、戦友に対しては充分以上に気を遣ってくれるものと信じている」
「厭味な言い方ね、そんな皮肉似合わないわよ!」
隅田にしては珍しく辛い言葉を口にしたのが気に障ったのか、フンと不機嫌そうに鼻を鳴らすとそっぽを向く。
「ヤッバーい♪」
そう囁やいたデ・ロイテルに対して、普段は超然としているマックスが(滅多にない事だが)口に指を当てて見せる。
グラーフと言いマックスと言い四角四面の武張った印象を持たれていたが、こうして共に過ごす時間が長くなってくると存外に細やかな処も見えて来るものらしい。
「演習艦隊帰投! 演習艦隊帰投! 受け入れ用意!」
スピーカーから発せられたその声と共に屋外に喧騒が起こり、待機していた各班から様々な通話が漏れ始めると、先程迄とはまた異なるざわめきが波の様にうねり始める。
その時、軽い電子音が鳴り響いてLEDが点灯するとゲートが開き、慣習に従って旗艦であるアークロイヤルが単艦で姿を現す。
すぐに当番兵と英国からの派遣技官らがサッと取り囲むとテキパキと艤装を取り外し、インカム等その他諸々の装備を受け取る。
身軽になった彼女が改めて隅田の前へと進み出てきびきびと敬礼すると、彼もまた完璧なタイミングで折り目正しく答礼する。
「演習艦隊旗艦アークロイヤル、只今帰投致しました! 本艦隊所属の艦艇は全艦帰投しております。司令に於かれては直接のお出迎えを賜り、誠に恐悦であります!」
そこ迄淀み無く朗々と口上を述べた彼女であったが、急にふと視線を落とすと低い声を出す。
「しかしながら、本艦の指揮の乱れから僚艦に損害を出さしめた事は責めを免れません。どうか速やかに相応の処分をご検討下さい」
言い終えて悄然としてしまったその様子が周囲に伝染し、シンとした空気に包まれ掛けるもののさすがに隅田はそれを放っておきはしなかった。
「アークロイヤル君、ご苦労様でした。と同時に、僚艦全員を無事に連れ帰ってくれた事に対し、隊の司令として心より感謝したい。当隊としては貴艦の功績に対して何らかの賞詞を検討したいと考えている」
明るく言い放ったその言葉にホッとした者も多かったが、アークロイヤル自身はその空気に易々と乗る様な性質では無い。
「司令のお言葉は大変有難く思いますが、軍における信賞必罰とは人における背骨の様なものです。捲土重来の活躍を期待して処罰を一先ず棚上げとして頂く事迄ならいざ知らず、賞詞についてはお受けする訳には参りません」
「司令、アークロイヤル殿の申し条は誠にもっともかと。この場は一旦処分を猶予とするに止めては?」
タイミングを図ったグラーフの助言に対して眼で肯った隅田は、僅かに微笑して言葉を繋ぐ。
「それでは、些か残念ではあるが貴艦への賞詞は見送ることとしよう。本日は通常の帰投報告には及ばない、明日以降のタイミングで詳細な報告と分析の為の会合を持ち、その場にて聞かせて欲しい」
「承知致しました、それでは本艦は僚艦のサポートに戻りますので一旦失礼致します」
そう言って改めて敬礼を交わした彼女は再びゲートの向こうへと消え、同時に一部の救護班と当番兵がその後に続く。
「適切な助言を有難う」
「いやこれしきの事で礼などとは――ロイヤルネイビーの伝統とやらを覆すのは骨が折れそうだと思った迄の事」
相変わらずニコリともせずに冗談を言う彼女と、それに対して何のリアクションも返さずに平静を保っている司令の取り合わせは、見様によっては可笑しみを感じさせた。
そんな風に醸し出された空気を破ってゲートがまた開き、後ろを顧みながら夕張が現われると、それに続いて両脇をアークロイヤルとジェイナスに支えられたパースが姿を見せる。
彼女のプロテクタージャケットは大きく引き裂け、その下に身に着けたオーストラリア海軍の専用スーツも裂けてしまっていたが、肩の所で補修テープで留められていた。
そのスーツはそこここに赤黒い染みが出来ており、修羅場を潜り抜けて来た事を物語っていたが、本人の足取りはしっかりしている様だ。
彼女は両脇の二人と共に隅田の前へと進み出ようとしたが、後方で見守っていた艦娘達の中からデ・ロイテルが声を上げる。
「パーシィ、パーシィ!」
そう呼び掛けながら駆け寄ってきた彼女はサッとパースに抱き付くと、一旦体を離してからその顔をひたと見詰める。
「パーシィ大丈夫なの? 心配したよぉ……被弾したんでしょ、歩いても大丈夫?」
「有難うロイ、どうも小口径弾だったみたいだから大丈夫。被弾直後は動けなくなったけど、今は平気よ」
「良かったぁ~、もう無茶したらダメだよぉ? 本当に心配したんだからね!」
「本当に有難う――でも心配してくれるのは嬉しいけど、司令をお待たせする様な事しない方が良いんじゃない?」
相変わらずやや冷静に指摘されたロイは初めて気が付いたのか瞠目すると、慌てて隅田の方に向き直る。
「ヤッバーい! あっ、いえ、済みません、司令をさておいて申し訳ありませんでしたぁ」
しかしそう言われた隅田は却って嬉しそうな表情を浮かべ、白い歯を見せる。
「いや、詫びる必要など何もないので気にする必要は無い。私への礼などそれこそ後回しにしてでも、仲間同士が共に気遣い合い支え合う事の方が遥かに重要だ。どうかその気持ちを忘れないでいて欲しい」
「エヘヘ、有難うございます司令♪」
にこやかに礼を言ってサッと引き下がる様を斜す目に見たグラーフが意味有りげな眼差しで飛鷹を流し見ると、余計なお世話だと言わんばかりに横を向いてしまう。
その間にもパースは隅田の前に進み出て、しっかりした挙措で敬礼する。
「パース帰投致しました。申し訳ありません、戦闘に際して不用意に被弾してしまい、装備を破損してしまいました」
「パース君、良く無事に帰還してくれました。貴艦の生還こそが何より重要な事であり、それは装備などに替え得るものでは無く、しかも仲間を庇っての被弾と聞いている。隊としては貴艦への特別賞詞を検討するとともに、オーストラリア海軍に対して貴艦へのBattle of Honor褒章を申請する積もりだ」
言い終えた隅田は、彼女が口を開こうとするのを眼で制すると改めて言葉を繋ぐ。
「どうか辞退しないで貰いたい♪」
そう言って傍らのアークロイヤルを一瞥すると、彼女は得たりとばかりに応じる。
「無論その様な謂れはありませんぞ、必要とあらば本艦からも推薦状を提出する所存ですからな。パース殿、どうかその様な手間を増やさぬ様にして貰えると有難いのだが」
こう言われてしまうと、断わる訳にもいかなかった。
小さく溜め息を吐いた彼女はつと顔を上げて隅田と視線を合わせると、些か感情を圧し殺した様な声を出す。
「判りました、過分な褒詞を頂き恐縮ですが謹んでお受け致します」
「それは良かった♪ しかし今回の貴艦の功績はそれだけの価値があるものです。先ずはゆっくり傷を癒して下さい」
「アイアイサー!」
そう言ってキビキビと敬礼した彼女の許に救護班が車椅子を押して来るが、それを軽く手で制すると医療棟へと自分の足で下がって行く。
この一連の遣り取りはそれなりに時間を取ったこともあり、その間にヒューストンを始めとする米国艦が姿を見せても良さそうなものだが、何時迄経っても彼女達は姿を見せない。
艦娘達が帰投する際は、余程の重症を負っているなどの緊急事態で無い限り自力で歩いてゲートを潜るのが慣例になっている。
それからすれば少なくとも彼女達は自力で歩けない程の重症では無い筈だった。
待つ者達の間に不安や焦燥と言った曰く言い難い感情が流れ始める頃、やっとLEDが灯って電子音が鳴る。
サッとゲートが開いて最初に見えたのはサムの小さな背中だ。
後ずさりする様にして入って来た彼女の後から現れたのは全員の予想通り両脇をガンビア・ベイとジョンストンに支えられたヒューストンだったのだが、その姿は予想とは余りに掛け離れていた。
一見自力で歩いて来た様にも見える彼女だが、実際には両脇の二人に支えられて何とか立っているだけであり、両足で歩くと言うより引き摺っているだけに近い。
血の気がほとんど失せてしまった様なその顔色は蒼白くなっており、嘗て深海化し掛かった彼女を記憶している者が見たら再発したのかと誤解するレベルだった。
実際のところ、ヒューストン自身も上陸する迄は自力で建屋に入る程度の事は何とか出来るだろうと思っていたが、陸に上がった途端にその場に崩れ落ちそうになったのだ。
それでも三人の助けを借りて何とかゲートを潜ったのだが、そこに隅田が出迎えているとは思っていなかった。
(ダメよ、もう少しシャンとしなきゃ心配させちゃうわ?)
とは思うものの自身の身体が全く言う事を聞いてくれないのだ。
どんなに発破を掛け様ともカラカラに乾いた布を搾っているかの様で、雫の一滴すら出てくる気配が無い。
何とかしなければと悪足掻きをしているその間に、こちらを見詰めていた隅田と視線が交わる。
その瞳に浮かんだ驚愕とも困惑とも――或いはそのどちらでも無いもっと別種の感情かも知れない――言い難い複雑な色を目の当たりにしたその瞬間、彼の口が動く。
「――ヒューストン……」
それはごく近くにいた者だけにしか聞き取れない程の小さな呟きだったが、その拍子に彼の心の中の何かが弾けたのか、突然周囲の者達を掻き分ける様にしながら歩き始める。
(やっぱり心配させちゃったわ……しっかりしなさいよあたし!)
必死で力を振り絞って両足を踏み締めると、無理矢理顔を上げて何とか言葉を押し出す。
「し、司令、ヒューストン只今――」
ところが早足で近付いて来る隅田は、そんな彼女に反応する様子を見せず真っ直ぐに向かって来る。
(えっ、ちょっと何? どうしたの?)
焦って何とか体勢を立て直そうとするがもちろん急にどうにか出来る訳でも無く、あっという間に彼が目の前に迫って来てしまう。
(あっ、えっ、イヤだ、待って⁉)
一瞬何が起こったのか理解出来ずにパニックになり掛けるが、気が付いた時にはしっかりと抱き締められていた。
「――良く――良く無事に戻って来てくれた……良かった――本当に良かった……」
彼の声は耳から聞こえて来るのか、それとも固く抱き締められているその広い胸から直接響いて来るのか良く判らない。
(一体――何なの? これは本当に現実? ……それとも夢?)
とは言え彼の力強い腕の感触も胸の奥から響いて来る心臓の鼓動も、これが紛れも無い現実である事を物語っている。
(どうしよう――ああ、本当に夢みたい……♪)
そう思って得も言われぬ幸福感にどっぷりと浸り込みそうになった次の瞬間、己の体が悲鳴を上げる。
(で、でも、もうダメよ! 幾ら嬉しくてもちょっと限界だわ)
無理をして振り絞っている体力もとっくに限界を超えていた。
このままでは彼の腕の中で失神して、とんでもない粗相をしてしまいかねない。
こんな時に本来頼りになるのは勘も良く機転も利くロイやジョンなのだが、同時にこの二人は気心が知れ過ぎているとも言えた。
その所為か、自分が隅田に抱き締められていると言う余りに幸せかつ冷やかし甲斐のある状況を止めに入る気配すら見せない(もしこの時二人の顔を見る事が出来たなら、これ以上は無い程ニヤニヤしていただろう)。
そうこうしている内に本当に意識が朦朧とし始めた彼女の許に、意外な救世主が現れた。
ツカツカと靴音高く近付いて来たその救世主は、全く遠慮する事無く隅田の肩に手を掛ける。
「ちょっと、何を堂々とセクハラ行為を働いてる訳?」
ハッとして振り返った彼が見たのは、今にも喉笛を食い千切らんばかりの恐ろしい形相で睨み付けている飛鷹の顔だった。
「――あ、いや、済まない……私は何を――」
そう言いつつ腕を緩めたものだから、支えを失ったヒューストンはその場にヘナヘナとへたり込んでしまう。
「あっ、す、済まないヒューストン、大丈夫か?」
慌てて手を差し伸べ様とした隅田だったが、飛鷹の手が鉤爪の様に肩に食い込んでいるので身を屈める事が出来無い。
その間に相変わらず愉し気なニヤニヤ笑いを顔に貼り付かせたデ・ロイテルとジョンストン、そしてオロオロしたガンビア・ベイが彼女を助け起こし、慌てて駆け寄って来た救護班が押して来た車椅子に座らせる。
(な、何とか助かったわ……)
正に間一髪と言うところだったヒューストンが心中秘かに胸を撫で下ろしていると、ロイとジョンが更に余計な口を挟んで来る。
「司令、心配なさらなくても大丈夫ですよぉ♪ あたし達がちゃんと医療棟にお送りしますからぁ」
「でもぉ、どうしてもご心配でしたらぁ、司令が抱っこして連れて行ってあげますかぁ♪」
「なっ、いや、そんな事は――」
(何言い出すのよこの娘達は!)
とは言うものの、こんな状況で無ければそれは正にWelcomeそのものではある。
心の中では一応突っ込んで見たものの、ついついその情景を妄想してしまう。
彼の腕に抱き上げられて、幸福そうな笑みを洩らしつつ静々と運ばれて行く己の向かうその先は、医療棟では無く……。
(――って無理無理無理無理! 状況を考えなさいよ状況を!)
顔が火照って目眩が襲って来たので、思わず顔を覆って俯いてしまう。
「ヒューストンさん! 大丈夫ですか⁉ すぐに治療しないと不味いですよ!」
彼女の様子を勘違いしたガンビィが慌ててくれたお陰で、隅田も我に返ってくれる。
「そ、そうだな、救護班! 直ちに副長を医療棟へ搬送! ガンビア・ベイ君、どうかよろしく頼む」
「ア、アイアイサー!」
そう言って敬礼した彼女はヒューストンの車椅子に付き添って小走り、サムとそれと少々残念そうなジョンが付き従う。
「ジョンストン君!」
「ア、ハイなんでしょう司令!」
「言い忘れるところだった、君のこの度の働きに対して特別賞詞の授与を検討すると共に、アメリカ太平洋艦隊司令部に対して銀星章の授与を申請する予定だ――その勇気は正に称賛に値する」
きっぱりと言い切った彼に対して、ジョンは改めて満面の笑みを浮かべる。
「ハイっ! 有難うございます、光栄です!」
一段と大きな声で応えるとサッと敬礼して車椅子の後を追う彼女を見送った隅田は、我知らず大きな溜め息を吐く。
「残念だったわね、自分で連れて行けなくて?」
相変わらず火でも吐きそうな語気で飛鷹の言葉が浴びせられるが、彼はどうやら冷静さを取り戻した様だ。
「先程は諫めてくれて有難う、しかしもしそれが必要な緊急時であれば、それが君であっても私は迷わずにそうする積もりだ」
「あらそう、それじゃ精々その時を楽しみにしておくわね」
「もう一度言うが関心せんな、そんな話柄はプライベートに留めておいては如何かと思うが」
「ええ、良く分かってるわよ!」
そう言い放った彼女はもう沢山だと言いたげに背を向けると早足に退出して行き、グラーフを始めとする皆の苦笑がそれを見送る。
しかし、相変らず摑み所の無い笑みを浮かべたままのポーラが、一言も言葉を発する事なくそっと姿を消した事に気付いた者はほとんどいなかった。