(はぁ……)
改めて何十回目かの溜め息を吐く。
営倉に放り込まれた訳では無く自室での監禁と言うのは随分恵まれた話だが、気分が落ち込むの迄はどう仕様も無かった。
怪我の治療でベッドにでも寝かされているのならまだしも諦めが付くだろうが、艦娘たる我が身には天与の桁外れの治癒能力が備わっている。
そのお陰で、頬に開いてしまった穴もズタズタになった口の中も腰の打ち身に至る迄全て治ってしまっていた。
もっとも、折れてしまった歯が生えて来るのにはさすがにもう少し時間が掛かる様で、口を開けるとみっともない事になっている。
もう数日もすれば全く元通りになるのだろうが、それ迄は人前で口を開く気にはならないだろう。
(まぁどっちにしろこの有様なんだから……)
どうせ歯が生え揃う迄に会う相手など聴聞官と立哨の兵士位なものだ――そう思い掛けて再び憂鬱になる。
そう、どう考えても隅田には会わねばならない。
いずれ査問の席に立たされるであろうことは予想しているものの、その前には事情聴取なり聴聞なりが行われる訳だし、そこには必ず彼が同席する筈だ。
一体どんな顔をして彼に会えば良いのだろう?
何よりも、彼は一体どんな表情で自分を見るのだろう?
厳しい眼差しでこちらを見据えて叱ってくれるのならそれこそ本望で、涙を流して詫びることさえ出来るだろうし、この胸のわだかまりも綺麗に洗い流せるかも知れない。
(そんな訳無いわよね……)
もしも気の毒な相手を見る様な憐れみの眼差しを向けられて、挙句の果てに『しっかり反省してくれるのであれば今回の事は――』などと言われでもしたなら、きっとその日の内に荷物を纏めて帰国したくなるだろう。
サンディエゴに舞い戻って太平洋艦隊の男達にコソコソ陰口を叩かれ、またしても姉に頭ごなしに叱り付けられる方が余程ましだ。
どれ程言い繕ったところで、彼の信頼を裏切ってしまった事だけは覆しようもない事実であり、こればかりは歯が生えて来る様には自然に解決したりはしないのだ。
(はぁ~落ち込むわ……)
結局またしても溜め息を吐いて自己嫌悪に陥っていると、唐突に電子音がして立哨の兵士の声がする。
「ヒューストン副長、面会者ですが希望しますか?」
希望を聞かれたという事は私的な面会者だという事だが、別段どうしても会いたくない相手がいる訳でもないので拒む理由も無い。
「ええ、会います。入室して貰って結構です」
返事をするとカチッと小さな音がしてドアのロックが解除され、カチャリと控え目に扉が開くと意外な人物が顔を出す。
「こんにちわ、ご機嫌はいかがですかヒューストン副長?」
「ソウ! 貴方が来てくれるなんて!」
「お邪魔ではありませんでしたか?」
「まさか、わざわざ会いに来てくれるなんて嬉しいわ♪」
「そんなお言葉を頂いて光栄です。もうお食事などは普通に出来そうですか?」
そう言いながら彼が左手のアイスサービングトレイを開くと、よく冷えたオペラが現れる。
「何てこと! 信じられ無いわソウ!」
「お気に召して頂いて良かった、心にも栄養が必要ですからね♪」
ところが彼の目は笑っておらず、ちらりと部屋の奥に視線を走らせる。
(あっ……)
すぐにその意を察したヒューストンは、改めてやや声を張って彼を招き入れる。
「ありがとうソウ、さぁ奥迄上がって頂戴」
「恐れ入ります」
さも自然に応じた彼はサッと歩を進めてテーブルにトレイを置くと、低い声を出す。
「お伝えしたい事があって伺いました。時間もありませんので手短に申しますが――」
「ええ、教えてくれる?」
「はい、これは店で小耳に挟んだだけの事ですので真偽を確かめた訳ではないのですが――どうやら今回の件の聴聞官が日本から派遣されて来るそうです」
「そうなのね、それで?」
「それが、どうやら艦娘の方らしいとの事です」
「本当に?」
「ええ、英国の派遣士官がそう口にしておりました」
「どう言う事かしら――誰かが国際問題にしたがってるって事?」
「その可能性はあります、何でもイタリア海軍はかなり強硬に自分達の派遣士官を聴聞官に加えろと主張したらしいので、それを抑える為の人選では無いかとの事です」
「――有難う、何となく呑み込めたわ……」
「それともう一点重要な事が有ります」
「何?」
「どうも、目撃者がいた様です」
「本当なの⁉」
「日本の下士官の方だそうで、お二人が言い争っているのを見掛けたので事情を聴こうと近付いたところ、突然ポーラさんが殴り掛かったのを見て慌てて上官に連絡を取った様だとの事です」
「そうだったの……それで意外に早く飛鷹が来たって訳ね」
「そう言う事の様ですね――ですので、聴聞の際にはどうかご注意ください――まぁ副長に限っていらぬ心配だとは思いますが」
「いいえ、折角貴方が足を運んでくれたんだから、注意を怠らない様にするわ――本当に有難うソウ、何と言って感謝したら良いのか判らない位よ」
「それには及びませんよ、今回の件から解放されましたらまた店にお運び頂ければ十分ですから♪」
「うふふ、でもよく考えたらお店にお金を落としてるって意味ではポーラの方がお得意様よね♪」
「泥酔される前に切り上げて頂ければ本当にお得意様なのですが……♪ それではもう時間ですのでこの辺で失礼致します、食器は立哨の方にでもお渡し下されば後程取りに伺いますので」
「判ったわ、貴方の心遣い、感謝しながらじっくり味わう事にするわね」
「ええ、少しでも副長のお慰めになれば幸いです――それではお邪魔を致しました」
そう言って立った彼は、全く何事も無かったかのように立哨の兵士に暇を告げて退室して行く。
その後で兵士が内部の確認の為に室内を一瞥するが、その目の前でトレイを開けて彼が差し入れてくれたオペラをこれ見よがしに確認して見せると、小さく溜め息を吐いて顔を引っ込めてしまった。
カチリと言う施錠音を確認してやっとリラックスしたヒューストンは、それを一旦冷蔵庫に入れておいてから徐に湯を沸かし始める。
コーヒーを淹れる準備をしながら、彼がわざわざ知らせに来てくれた情報をお浚いしつつ今後の事を考える。
イタリア海軍が強硬な主張をしたのは、まだ目撃者がいた事を知らないからだろうことは予想が付くが、もちろん知らぬ振りをしているだけという事もあり得るだろう。
何様、人が駆け付けて来た時にポーラをKOしていたのは自分なのだし、真相がどうであれ言って見るに越したことは無い位の事は考えていてもおかしくは無い。
それに、太平洋艦隊司令部の動向が何も伝わって来ないのもさもありなんと言う処だ。
彼等にすれば、何とも面倒な事をやらかしてくれたものだと苦々しく思っている筈であり、真相が明確になる迄は出来るだけ沈黙してやり過ごそうとしているのだろう。
昨日面会に来てくれたロイとパースによると、隅田が全員を集めて訓示をしたそうだが、事件に関してはこれから調査をすると言うのみだったらしい。
実際、今に至る迄事情の聴き取りなどが一切行われていない処を見ても、彼が日本からの聴聞官が到着する迄は何もせず静観すると固く決めているからだろう。
イタリア海軍からの突き上げや各国海軍からの説明要求などに晒されているのだと思うと、只々申し訳無いと言う気持ちで一杯になる。
(あそこで気を抜かなかったら、こんな事にならなかったのに……)
そう思うとポーラに対して腹立たしい思いもあるが、この手で叩きのめしたからなのか、不思議に憎しみの様な強い感情は湧いて来ない。
それにもし真相が明らかになれば、故意に私闘を仕掛けた上に先に手を出している事などが厳しい処分に繋がる事は概ね予想がつく。
(それはもちろんだけど――それどころじゃないわよね……)
真相が明らかになると言う事は、当然の事だが隅田がそれを知ると言うことなのだ。
勾留だろうが役務だろうが、楽では無くとも終わってしまえばそれ迄だが、意図的にヒューストンを陥れようとした事を彼が知ると言うのは致命的な筈だろう。
(そうよね――幾ら彼でもそれを赦す訳無いわよね)
現に飛鷹はそれをちゃんと理解しており、一見極端な言動をしていても絶対に彼の心の中の一線を越える様な事はしない様に振舞っている。
しかし今ひとつ理解出来ないのは、ポーラがその事に気付いていなかったとは思えない事だ。
そこ迄切羽詰まって冷静さを失っていたのだろうか?
(何かそう単純に割り切れ無いのよね……)
ただ、あの隅田の遭難騒ぎの折に垣間見た彼女の闇の様な部分は理解の及ばないところもあり、合理的な考えでは推測が難しい。
とは言え、その点を除けばやはり彼女は曲者であり、今回の件を実行に移すに当たって自分の過去の事を調べた節がある。
もちろんまだ年数が経っている訳でも無いので公式な記録は非公開だろうが、探せば様々な伝聞や面白可笑しいゴシップ的な何かは出て来るだろう。
恐らくはそうやって集めた情報から、ヒューストンを我を忘れる程激昂させる事が出来ると踏んだのかも知れない。
(そこ迄必死だったって言う事かしら――でも、目的が違うわよね)
改めて気を付けねばと己に再確認する。
自分の目的はポーラや飛鷹に勝つ事では無く、隅田のハートを掴むことだ。
その為にこそ努力しているのであって、ライバル達を出し抜いたり蹴落としたりする為では無いのだ。
ドリッパーから褐色の雫が滴るのを見詰めながら取り留めも無い事を考えていた彼女は、つと立ってソウが差し入れてくれたオペラを取り出す。
お気に入りのトラジャの香味と酸味をゆっくりと味わっておいてからその欠片を口に運ぶと、全身に染み渡る様な甘さが一杯に広がる。
(ソウの言った通りね――甘い物って心の栄養だわ♪)
脳裏に漂っていた霧がスーッと晴れて行く様な感覚があり、思考がすっきりして来る。
今大切な事は先ず聴聞、そしてその後の査問を乗り切る事だ。
そしてその場では必ず隅田と顔を合わせる事になる。
(彼の前で、余計な小細工は逆効果にしかならないわ――起こったことは出来るだけありのままに話して、その時あたしのとった行動を説明出来る様に考えを纏めておくことね)
査問の日程は聴聞及び関連する調査次第だろうが、聴聞そのものは明日にでも始まってもおかしくはない。
そうと決まれば、早速考えを整理しておかねば。
俄かに気力を取り戻したヒューストンは、差し入れとコーヒーに満足すると早速立ち上がって行動に移った。