ヒューストンの予想は概ね当たり、日本からの聴聞官は次の日に到着すると同時に翌日聴聞を開始すると通告して来た。
昨日の内に心の準備を整えていた(それに歯も多少はましになった)ので、その通告はもちろん翌日の聴聞にも落ち着いて臨むことが出来る。
迎えにやって来た日本の士官と兵士に伴われて、司令部建屋の一角にある小さめのブリーフィングルームのドアの前に立つ。
「失礼致します! 被疑者Miss Houstonをお連れしました!」
「入り給え」
聞き間違え様も無い隅田の声で応答があり、付き添いの士官も躊躇なくそれに応じてドアを開ける。
室内にいたのは全部で3名、隅田と二人の女性だが、中央に立つ長い黒髪を湛えた長身の女性が恐らく聴聞官なのだろう。
交流プログラムの席で顔を合わせた記憶はあるが、ヒューストンは残念ながら名前を失念してしまっていた。
隅田とその(艦娘であることだけは判る)女性から少し脇に離れた席に立った女性は普通の日本人の様に見えるが、少なくとも面識はない。
士官と兵士が退室して背後でバタンと扉が閉まると、中央に立った件の女性が隅田を一瞥して口を開く。
「隅田司令、念のために確認しますがこちらはMiss Houstonで間違いありませんな?」
「ええ、間違いありません」
その返答が肚に落ちたらしい彼女はゆっくりとこちらを向くと、口許に微笑を浮かべながら声を上げる。
「お会いしたのは随分以前の事なので、失念しておられるかも知れませんなMiss Houston。私は長門、今回の件の聴聞官として派遣されて来ました。どうぞよろしく」
「ヒューストンです、こちらこそよろしくお願い致しますMiss 長門。仰る通り残念ですがお名前を失念しておりました、ご容赦ください」
そう応じると長門は愉し気な表情になる。
「Miss Houstonは率直な方だ。これより行う聴聞についても、どうか肩の力を抜いて率直にお答え頂けるとたいへん有難い」
「出来る限りご期待に沿える様に致しますわ」
「よろしくお願いします。聴聞に当たっては、こちらの塔原主任と共に行うので、併せてお願いしておきます」
そう振られたその女性は深々と礼をした上で、落ち着いた声で自己紹介をする。
「国防省技術研究所、海洋技術部門主任研究員を拝命しております
外見からは線の細い印象を受けていたが声には張りがあり、適度に抑制を効かせたその様子からは知的レベルの高さも感じられた。
恐らくは、軍属以外でこの様な役割に最も相応しい人物として選ばれたのだろう。
「それではMiss Houston、どうぞお掛けを。皆さんにご異存が無ければ早速聴聞を始めましょう」
長門の朗々とした声に対して全員が着座する事で応じた為に、そのまま聴聞は開始された。
まず塔原が事案の概要を読み上げ、長門がそれについて意見があるか否かを質問して来たが、既にソウから聞いていた目撃者の情報そのままだった。
なのでわざわざ否定する程食い違っている訳でも無く、その前段を捕捉する程度の事だったが、その説明についての質問を重ねて行く事から実質的な質疑が始まった。
もちろん、予め準備を整えていたヒューストンにとってはありのままを答えて行く以上の事は必要が無く、聴聞は非常にスムーズに進んでいく。
彼女達から発せられる質疑も特に捻ったものはなく、寧ろ応え易い様に一定の配慮がなされているのではと思えた。
時折間の手を入れたり軽く寸評を挟んだりしながら聴聞を進めて行く長門は泰然としており、自分の回答がどの様に受け止められているのか全く推測が出来ない。
傍らの塔原もその点は余り変わらなかったが、時々差し挟む質問は専ら何を感じたのか、ポーラが何を考えていると思ったのか――と言ったものばかりであり、彼女の専門分野を何となく推察出来る中身だった。
その間隅田は一言も発言する事なくじっと一連の遣り取りに聞き入っており、偶に手元のタブレットに何やら書き込んだりしながら淡々としていた。
彼女にとって最も気になるのが彼の反応なのだが、それを僅かでも感じさせる様な振る舞いも表情も一切見せないのは、当然だが意識してそうしているのだろう。
そして彼がそうする以上、ヒューストンもまた同じ様に振る舞わねばならない。
間違っても、彼に何かしらの温情や目溢しと言った何かを期待する様な素振りだけは絶対に出来なかった。
そうした慎重な抑制と同時に適度な率直さをも感じ取って貰うのは中々の無理難題ではあったが、事前に覚悟して来た事でもあり、どうやらやりおおせたらしい。
朝から始まって昼前に及ぶ頃、とうとう長門がお決まりの言葉を口にする。
「――有難うMiss Houston、私がお聴きしたいことは以上です。塔原主任、何か付け加える事はあるだろうか?」
「――はい、それでは一点だけ――これ迄お聞きして来ました限りでは、Miss Polaは意図的に貴方を怒らせるように仕向けたと言う印象を持っておられるとの事でしたが、彼女が何故その様な行為に出るに至ったのかについて、もしお感じになる事が有ればお聞き出来ますか?」
「――その点については、今も腑に落ちないものがあります」
「どう言った事でしょう?」
「はい――例えば、もし彼女の思惑通り私が激昂して一方的な暴力行為に及んだとしたら、私は大した調査も無いままに何らかの処分を受ける事になったでしょうか?」
「――それが、何らかの形で事案に対する調査が行われるか――と言う意味でしたら、お察しの通り確実に詳細な調査が実施されるのではないでしょうか」
「ええ、ですからその際の彼女の行為がどの様な意図の下に行われたのかという事に付いて全く触れられずに済む――という事はあり得ないと予想出来ます。にも関わらず、あの様な行為に出たというその意図がやはり理解出来ません」
「――分かりました――有難うございました、私からは以上です」
これを聞いた長門は、傍らの隅田を顧みて同じ様な問いを投げ掛ける。
「隅田司令、貴官からは何か付け加える事が有りますか?」
ほんの一瞬、それ迄不自然な迄に淡々としていた彼の表情に変化が起こり、その内心が垣間見えそうになったものの直ぐにそれは畳み込まれ、感情を排した何時もよりやや低い声で応じる。
「――いえ、本官からは特にありません」
「判りました、それでは一旦私達からの聴聞はここで終了致します。――隅田司令、Miss Houston、終了する前に我々は少し離席致しますので、申し訳ありませんが戻る迄そのまま待機していて頂けますかな?」
「はい」
「判りました」
二人が異口同音に肯うのを聞くと長門はサッと立ち上がり、しかも全く何のサインやアイコンタクトも無いのに塔原も間髪を入れずに立ち上がると、そのままドアの向こうへと消えて行く。
扉が閉まったその直後、恐らく無意識になのだろうが隅田がホウッと小さく溜息を吐く。
(あっ……)
内心の緊張が零れ出たそれが胸に響き、思わず彼を見詰めると彼も吸い寄せられるかの様に視線を上げた為に、互いの視線が交わる。
「……」
口を開こうとしたのだが、感情が一気に湧き上がって来て言葉にならない。
何とか言葉を絞り出そうとしたものの、彼に対する想いばかりが膨れ上がって何も言えなくなってしまい、涙が溢れて来て頬を伝う。
「ヒューストン!」
弾かれる様に立ち上がった彼がテーブルを回り込んで来て傍らに膝を付くので、益々申し訳なくなり詫びの言葉が口を衝いて出る。
「――ごめんなさい……」
「頼む、謝らないでくれ――君がこんな事に巻き込まれたのも私の責任だ――」
「いえ、違います――あたしは司令の信頼を裏切ってしまったんです――」
「何も裏切ってなどいない、私は君が真面目で大人しい優等生だから信頼している訳じゃ無い」
「でもあたしは――」
「君とポーラ君を、例えば私と篠木に置き換えても同じ事だ。あいつがもし私を中傷して殴り掛かって来たら、私も殴り返すだろう。右の頬を打たれたら左の頬を差し出すのは、歴史に名を残す聖人のやる事だ。聖人でも何でも無い私が、君に聖人であれと言える訳が無い」
ヒューストンにとって彼の言葉はやはり不思議な力を持っているらしく、胸一杯に充満していた昂った感情が引き潮の様に静かに退いて行く。
最初に二人で過ごしたあの夜と同じ様に彼がチーフを手にしてそっと顔に触れて来るので、それが終わるのを待ってから改めて口を開く。
「――有難うございます、司令――これから先どんな処分が下されても、立派に務めてご信頼にお応え致しますわ」
そう言って視線を上げると、彼の瞳に輝きが宿っている。
しかし次の瞬間、何故か彼はその輝きを仕舞い込むと戸惑っている様な逡巡する様な感情を浮かべて俯く。
(――どうしたの……?)
急に不安がこみ上げて来て思わず問い返しそうになり、辛うじてそれに耐えると、なんと彼が膝の上に揃えていた彼女の両手を握って来る。
(!)
「一つだけ――君に伝えておきたい」
「――はい……」
「――君は、誰とも争う必要はない――
飛鷹に対しても、ポーラ君に対しても――
それ以外の数多いる女性達の誰に対しても――
争う必要は無いんだ」
(えっ……)
言葉が素直に入って来ず、束の間混乱してしまう。
彼は一体何を伝えようとしているのか――
が、突然脳裏に渦巻いていた思考の断片が美しく整列し始め、一見場違いとも思えるその言葉に込められた彼の真意が、思考の海から浮かび上がって来る。
(――そんな――まさか……)
長い間、こんな瞬間がやって来るその時を幾度となく妄想して来たが、まさかこんな形で聞く事になるとは予想もしていなかった。
そして何より、自身の反応が余りにも予想と違っていた。
全身の血液が顔に集まって来て、今にも沸騰し始めそうだ。
きっと傍目から見たらあり得ない程に真っ赤な顔をしているのだろう。
(ど――どうしよう……何か言わなきゃ……)
と思いはするものの、いざとなると何を言って良いのか全く頭が働かない。
それでも、何も言わない訳にはいかないという焦燥から、つい余りにも在り来たりな事を口にしてしまう。
「あ――有難う――ございます……」
「い、いや……」
恐る恐る顔を上げて見ると、彼もまた赤い顔をしていた。
それを見た途端、悦びが溢れ出して来ると共に幾らか落ち着きを取り戻し、自然に言葉が口を衝いて出る。
「――先程、あたしに聖人であれなどと言えない――と仰って頂きましたね」
「ああ、確かにそう言った」
「でも、あたしは――今なら聖人になれそうな気がしますわ♪」
まるで彼の顔に陽が当たった様に明るくなり、真っ白な歯が顔を覗かせる。
「それは困ったな――君が聖人になってしまったら、私が君の代わりに殴り返してしまいそうだ」
「でしたらあたし――やっぱり聖人になるのは止めておきます」
「ハハハ♪」
「うふふ♪」
コンコン!
唐突にノックの音が響き、彼が瞬時に立ち上がるのと同時にヒューストンもさっと前に向き直って背筋を伸ばす。
まるでそれを見計らったかの様なタイミングで扉が開き、長門の良く通る声が響く。
「お二人ともたいへんお待たせをしましたな、宜しければクロージングをしましょうか」
そう言いつつ彼女は自分達の顔を軽く一瞥したので、多分二人揃って顔を赧めているのを見られてしまっただろう。
とは言え、口許に微笑を浮かべた長門は泰然とした姿勢を全く崩す事なく着席すると、隅田、ヒューストン、塔原の順に全員の顔を見渡す。
「――どうやら皆さんにも異存は無い様ですな。それでは改めて、皆さん長時間に渡りご協力有難う御座いました――」
お定まりのクロージングを進めて行く彼女の声を聞きながら安堵に浸るヒューストンは、まるで寛いだ午後に小鳥達の囀りを聞いているかの様にこころ穏やかだった。
これで第4章は終了します。
次章では、ヒューストンとポーラの対話や、二人を取り巻く者達の心情などに触れて行きたいと思います。