翌日以降は出来るだけポーラに対してリアクションしない様に注意していたので、自分の方から彼女の泣き言・繰り言スイッチを入れてしまう事は無くなった。
ただ、幾らこちらが注意していようが彼女は話し相手(単なる愚痴の聞き役の様なものだが)が欲しくて仕方が無いので、それに捉まった場合は諦めて付き合い切るしかなかった。
役務そのものは別に重労働でも無く、ただ単にトイレ掃除などをさせられる事に対して屈辱的な気分になる効果がメインだった(と思う)ので、没頭していればどんどん時間は過ぎて行ってくれた。
そして遂に二週間が無事に過ぎ、ヒューストンだけは役務から解放される日がやって来る。
清掃を終えて更衣室で着替えを済ませるとポーラは監視役と共に居室に戻って行くが、自分の監視役はこれ迄預かっていた居室のセキュリティキーを返却した後に敬礼して退去して行く。
「あー終わったぁ~♪」
誰言うともなく声に出して見ると、胸にスゥっと風が通った様に朗らかな気分になる。
何よりも、再び手にした居室のキーが何とも言えない開放感をもたらしてくれていた。
もちろん明日の朝一番で役務報告書を彼に提出して、それが正式に受理されれば晴れて役務終了となるのだが、余程いい加減なものでも提出しない限りは不受理になる様な類のものでは無いのだ。
どこかうきうきとした軽い足取りで食堂に向かうと、久し振りに自分で自由にメニューを選んで夕食が摂れる。
(うふふ、毎度代わり映えしないここの夕食がこんなに楽しみになるだなんてね♪)
内心で軽く苦笑しながらトレイを手に食堂内をサッと見渡すが、やや遅めの時間の所為なのか艦娘の姿は誰も見えなかったので、空いている一角を探して一人で席に着く。
自由の身となったその感覚(及び彼の隣に戻れる悦び)は正に魔法のスパイスであり、何を口にしても美味しく感じられる。
(何時もこれ位美味しかったら良いのに……)
まぁ、それは無い物ねだりと言うものかも知れない。
これ迄経験し或いは見聞して来た限りにおいても、食事が美味しい軍や部隊と言うものを知る機会は一度も無かったからだ。
そんなどうでも良い思考を巡らせながらも一人の自由を満喫しつつ食事を摂っていると、ふと気配を感じたので顔を上げる。
見ると、少し離れた所からリベッチオがもじもじしながら上目遣いにこちらを伺っている様子だった。
もちろん何か話があるのだろうが、そうして良いものかどうか逡巡している事はすぐに判ったので軽く視線を合わせて笑顔を浮かべると、パッと表情が明るくなる。
それでもなお、おずおずと遠慮がちに近寄って来た彼女は、どう口火を切って良いものか迷っているらしい。
「リベちゃん久し振りね♪ 何か話したい事があるんだったら聞かせてね」
そう声を掛けてやると戸惑った様なその顔がすっきりとして、ヒューストンの真横迄やって来るとぺこりと頭を下げる。
「ヒューストンさん、ごめんなさい!」
「あら、どうしたの? あたしリベちゃんに酷い事されちゃったかしら♪」
笑顔でそう声を掛けると、はにかんだ様な申し訳無さそうな何とも言えない表情で応じる。
「だって――リベはヒューストンさんが悪いって思ってたけど、ポーリィが待ち伏せしてケンカ仕掛けたんでしょ? ヒューストンさん、ちっとも悪くなかったのに……」
言う迄も無く、彼女はポーラとの乱闘騒ぎの折にヒューストンを敵意の籠った眼差しで睨み付けて来たし、事実が明らかになる迄はポーラを叩きのめした悪役として見て来たのだろう。
しかし事実が明らかとなった事でそれが間違いだったことが判ったので、素直な彼女はわざわざ詫びに来てくれたのだ。
「それで謝りに来てくれたのね♪ あたし、ちっとも気にしてないから貴方ももう気にしないでね」
それを聞いた彼女は晴れやかで嬉し気な顔になると、やっと何時もの屈託のない笑みを浮かべる。
「ありがとう、ヒューストンさん!」
「どう致しまして♪ それより夕食はもう済ませたの?」
「うん!」
「そうなのね、ねぇ良かったら話し相手になってくれないかしら」
「えへっ、良いよぉ♪」
そう明るく応じると、向かいの席にすとんと腰を下ろして真っ直ぐに見詰めて来る。
「ヒューストンさんは、おトイレ掃除もう終わり?」
「ええそうよ、今日で終わったの」
「ポーリィはまだなんだよね」
「そうね、あと二週間ちょっとあるかしら」
「そんなにぃ?」
「それでも随分軽くなったのよ」
「えぇ~そうなのぉ?」
「そうよ、リベちゃんの国の海軍が色々お願いしたからよ」
それを聞いた彼女は意外にも渋い顔になる。
「あら、どうしたの? お国の海軍がそう言う事するのイヤなの?」
「――ううん、そうじゃないけどぉ……」
「じゃあどうして? 貴方の国の軍なのよ?」
「イタリアがイヤなんじゃ無いの、でも――海軍はあんまり好きじゃないの」
「そう――何か嫌な事があったのね」
「うん――あのね、海軍はいっつもあれはダメこれはダメしか言わないの。リベはここに来てから、日本や他のお国の海軍の人達はとっても優しいし、禁止禁止ばっかり言わないって判ったの」
これは初めて聞くが、成る程と思わされる面もあった。
どの国にとっても艦娘は非常に重要な存在だが、その扱いに付いては対応が分かれるらしい。
アメリカはどちらかと言うと艦娘其々の自由意志が尊重されており、自分達に国や軍の方針を下ろす時は命令では無く説明・説得と言う形式を取る傾向がある。
ヒューストンにとってもこの地に着任して来て良く判った事だが、日本は更にその辺りが徹底しているらしく、艦娘達はその個々の立場が非常に重んじられている様だ。
にも関わらず、腫れ物に触れる様な扱いをされている訳でも無く、曰く言い難い不思議な信頼関係がその根底にあるらしい。
それに対してドイツ海軍やオーストラリア海軍は規律重視の傾向が強い様で、グラーフやマックス、それにパースの立ち居振る舞いにもそれが良く現れている。
ただ、イタリア海軍がそう言う傾向なのはかなり意外だ。
「そうだったの、でもどうしてそんなに厳しかったの?」
「あのねぇ、何時も偉そうにしてるチョビヒゲのおじさんがね、『カンリ出来ない! 手が足りない!』ってそればっかり言うの」
これには思わず苦笑してしまう。
(結局人員不足で監視の目が行き届かないって事? 何だかお粗末ねぇ)
「困った話ね、リベちゃん達が自分で管理する様に出来なかったのかしら」
「ここに来たらね、みんなそう言ってるの、でもポーリィはお酒呑んじゃうのかなぁ〜」
「お酒止めろと迄は言わなくても、ちょっと控える位はポーラも出来るんじゃないかしら? やっぱり無理?」
「昔はね、ポーリィだってこんなにお酒飲まなかったんだよぉ」
「あら本当? 何時からこうなっちゃったの?」
「あのねぇ、リコが死んじゃってからだよぉ――あっ! ……」
何気なく口にしてしまってから、彼女はしまったと言う顔になると視線を落として黙ってしまう。
「――ごめんね、ひょっとして言っちゃいけない事を聞いちゃったかしら?」
「――うん――そうなの……ポーリィ、怒るかなぁ……」
「あのね、ポーラにはあたしからちゃんと言うわ、貴方が悪いんじゃないって。それに、こんな騒ぎ迄起こしてあたしも巻き込まれちゃったし、今のお話はその原因なんじゃないかって思ってるの」
「――ヒューストンさんもそう思う?」
「ええ、あたしにも思い当たる事があるのよ――残念だけど♪」
そう言って微笑んだ積もりだったのだが、思ったよりも明るい笑顔にはならなかったらしい。
リベッチオの顔に、その幼さとは不釣り合いな労りの色が浮かぶ。
「――大丈夫だよ、ポーリィにはリベが自分で話したって言うから」
「有難う――リベちゃんは強いわね」
「ううん、そんなこと無いよ――ヒューストンさんは何が聞きたいの?」
「そうね――リコはポーラの恋人だったの?」
「うん、ポーリィはね、リコのお嫁さんになるって言ってたんだけど海軍がダメって言ったんだって」
「そう――ひょっとしてリコは軍人だったの?」
「そうだよ、リコはねぇ、水兵さんだったの」
「やっぱりそうだったの、でもポーラはそれで納得したの?」
「そんなことないよぉ、もうね、すっごく怒ってね、毎日司令官のとこに文句言いに行ってたよ」
「そこ迄して、どうにかなったのかしら」
「ううん、結局海軍はどうしてもダメっていうから、ポーリィはもう戦わないし海軍もやめるって言い出したの。それで大騒ぎになっちゃって……」
「まぁそりゃぁ騒ぎになるわよね――で、海軍は結局折れたの?」
「あんまりかなぁ~、一応リコとポーリィが付き合うのはいやいや認めたんだけどぉ、それもザラに言わせてたの、ポーリィがザラの言う事なら聞くって知ってたから」
そう言う彼女の顔があからさまに嫌悪感に染まる。
ザラの名前はヒューストンも聞いた事が有った。
ポーラの姉妹艦であり長姉な訳だが、どうやらここでも長姉は体制派とでも言うのか、妹の側にとって苦手な存在であるらしい。
「ザラさんはポーラのお姉さんなんでしょ? 少し位はポーラの味方をしてあげなかったの?」
「ザラはねぇ、ポーリィにはとっても厳しいの。ポーリィがお酒ばっかり呑む様になってからミカエラにも会わせない様にしてたし……」
「ミカエラって?」
「小っさい女の子だよ、リコの娘さん」
「えっ、じゃあリコは結婚してたって事?」
「うん、奥さんとは離婚したんだって」
「そうだったの――でも、リコは水兵さんなのよね、どうやってミカエラを育ててたのかしら」
「リコにはお姉さんがいるの、結婚してるんだけど子供がいないんだって。だからお姉さんがミカエラを預かってた見たい」
「そう――そうなのね――ねぇ、ひょっとしてポーラはミカエラを凄く可愛がってたんじゃない?」
「そうだよ、ポーリィはねぇ、ミカエラをリコと一緒に育てたいって言ってたの。一度ねぇ、リコが死んじゃうちょっと前かなぁ、ミカエラがね『マンマ』って言ってくれたって――ポーリィ泣いてたんだよぉ」
そう言う彼女の瞳にも薄っすらと泪が滲む。
艦娘は人間の男性と愛し合う事も性の悦びを共有する事も出来るが、生理機能の相違から子を成す事が出来ない。
艦娘にとって真の親子関係と言うものはあり得ず、それは否が応でも己が人間とは似て非なる存在である事を思い知らされる現実なのだ。
「――何だか――ちょっと羨ましい気もするわね」
「うん」
「リベちゃんはマンマが欲しい?」
「――うん、リベのマンマに会って見たい」
「――何時かね、きっと会えるわ……」
「うん!」
そう明るく応じたその瞳から、儚い星の欠片の様に一粒の雫が宙に舞って消える。
人間と共に暮らすことは、その人間達との相違を常に突き付けられる日々だと言って良い。
それをどの様に受け止め消化して行くのかは全て彼女達個々人次第なのだが、所属する艦娘が少ない環境であればある程その孤立感は際立って行く。
艦娘同士が互いに支え合うコミュニティが存在しない状況におかれた彼女達が、それを人間との結びつきの中に求めて行く事になるのはある意味必然とも言えた。
「でも――リコは死んじゃったのね……」
「――うん――リコの船がね、深海のやつらに襲われたの」
今更の様に、ポーラが自分と全く同じ経験をして来た事に気付かされる。
彼女が深海棲艦に対する激しい憎悪を覗かせたのが、今となっては痛い程に理解出来た。
「リベもね、あの時ポーリィと一緒だったの――連絡が入って、途中までヘリコプターで行ったんだけど――でも、間に合わなかったの……」
「――そう……」
「――あんなポーリィ――見た事無かったよ――ほんとに気が狂った見たいにね、ぷかぷか浮かんでる死んじゃった水兵さん達を片っ端から見て廻って――」
「――リコは見つかったの?」
「ううん――結局見つからなかったの――それでも、ポーリィはどうしても探すのを止めなかったんだけど――ザラや皆で無理矢理連れて帰ったの……」
「そんな事が有ったのね……ごめんなさいね――辛い事話させちゃって」
「――良いの――だって、ヒューストンさんにも辛い事あったんでしょう?」
「ええ――リベちゃんにも嫌な事しちゃったわね」
「嫌じゃないよぉ、あの時はちょっとびっくりしただけだよ――それに、ヒューストンさんちゃんと謝ってくれたもん」
「でも、リベちゃんだって謝ってくれたからお相子ね」
「うん! ――でもね、ヒューストンさんもどうしても嫌な事あったらお話ししてね、リベ、ちゃんと聞くから」
「とっても嬉しいわ――本当に有難う、それに長々とお話に付き合わせちゃって」
「ううん、良いよぉ」
「最後に一つだけ教えて――ポーラはそれからミカエラには会えてないの?」
「ちゃんとした事はねぇ、リベも知らないんだけど――でも、リコのお姉さんが会うの許してくれない見たいなの」
「そう――ザラさんだけが厳しい訳じゃ無いのね……」
「うん――やっぱりポーリィ可哀そう」
そう言った彼女は視線を落としながら席を立つ。
幼い姿と無邪気さばかりが目立つが、この娘は自分達を巡る複雑な感情もちゃんと理解しているのだ。
「リベちゃんの言いたい事判るけど――でも、やっぱりポーラは何か間違えてたと思うわ」
「――そうなのかなぁ――でもぉ、そうだよね……」
「あたし、一度ポーラに話して見るわ――聞いてくれるかどうか判らないけど」
「ありがとう、ヒューストンさん――」
顔を上げて微笑むその様子が何とも言えずいじらしい。
手を振って去って行くのを見送った後で、思わず溜め息が出る。
(そうよね――放っておく訳にも行かないわよね……)
例え彼の事を横に置いたとしても、自分はこの隊の副長なのだからその位のお節介は許容範囲だろう。
いざとなれば、彼に相談すれば良い――そう思ったヒューストンは、立ち上がってトレイを手にすると人影がまばらになった食堂を横切って行った。