隅田との交際をはじめ、順調に仲を深めて行くヒューストンですが、彼との約束を果たす事に躊躇してしまいます。
……そして二人は最大の危機を迎えます。
第6章・第1節
「おはようございます司令」
「ああ、おはようヒューストン」
朝の何気ない挨拶は、着任して初めて交わした時と今も言葉こそほとんど変わりはしないものの、互いにとって随分意味合いの違うものになったと感じる。
「昨日のあのお料理、とっても美味しかったわ」
「実は私も驚いているんだ、まさか本当に出してくれるとは思っていなかったんだよ」
「あら本当に?」
「Mr.竹橋には何時も感心させられるよ、私の地元の味迄ちゃんと再現されていた」
「故郷の味なのね――貴方の故郷ってどんな処かしら」
「雪の深い土地でね、交通の便が悪い訳では無いんだが」
「早く行って見たいわ――ご両親にちゃんと紹介してね」
「いや――それはちょっと迷うな」
「まぁ非道いわ、どうしてそんな事言うの⁉」
「そんなの決まってるよ、君見たいなとんでもない美人をいきなり連れて帰ったりしたら、親父もお袋も腰を抜かしてしまうよ」
「もうっ! ――だったら許してあげる♪ ウソでも嬉しいわ」
「嘘なんかじゃないさ、日本に戻ってもうっかり君と街を歩いたり出来ないんじゃないかと真面目に心配してる位だよ」
「大袈裟ねぇ♪ そんなにあたしを家の中に閉じ込めておきたいの?」
「大切な君を誰にも見せたく無いし触れさせたく無い気持ちと、自分のパートナーはこんなに素晴らしい
「うふふ♪ そんな事言ったら本気にしちゃうわよ」
「もちろん本気だよ」
こんな甘いお喋りがどれ程盛り上がっていても、勤務時間が始まると瞬時にスイッチを切り替える――彼との暗黙の約束だった。
そしてそんな関係がとても心地良い。
(こんな風にいられるのも良いけど……でも、家で食事の支度をしながら彼の帰りを待つ――なんて言うのも憧れるわね♪)
甘い会話の余韻を引き摺って彼との未来を夢想していると、コンコン!とかなり鋭い(気の所為か険のある)ノックが響く。
「どうぞ入室下さい」
ロックが解除された途端に扉が開き、概ね予想通りと言うべきなのか飛鷹が靴音を響かせて踏み込んで来る。
そしてこれもまた何時もと変わる事無く形ばかりの敬礼をすると、敬語抜きで喋り始める。
「おはよう大佐、今日は予定通り西側海域の哨戒演習に出撃するわ。特に何か聞いておく事があるかしら?」
「いや、特段の指示事項は無い。敵性艦との遭遇が予想されるので、細心の注意を払って行動して欲しい」
「そう、判ったわ――で、どうなのかしら?」
「――『どう』とは何の事だろうか?」
「決まってるじゃない、そろそろ目が覚めたのかって事よ!」
「益々分からないな――一体何から覚めるのかな?」
しかしヒューストンには大体の想像がついてしまった。
「やれやれ――って事はまだなのね……まぁもう少し位は待ってあげるけど、何時迄もって訳には行かないわよ、判ってる?」
「――司令、少しだけ失礼しますわ――ねぇ飛鷹、それには副長が代行して回答します。幾ら待ってても無駄よ」
「悪いけどあんたには聞いて無いの――もう一度言っとくわね、いっ時うつつを抜かすのは大目に見てあげるけど、限度があるからね!」
「飛鷹、前置き抜きで話すのは止めてくれないか、私が何にうつつを抜かしているんだ」
「自覚が無いのは困ったもんね! あんた達男ってものはね、誰しも一度は金髪巨乳女が良く見える時期があるもんなの! でもその内にそれが幻想だった事に気が付いて現実に戻って来るから、それ迄は待ってあげるって言ってるんじゃない! どう、判った?」
「凄く言い難いんだけど、欠片も理解出来ないわね」
「あんたが理解する必要全く無いから、気にしなくていいのよ♪」
「気にするわよ!」
「一々下らない事に引っ掛かってないでさっさと一発やらせてあげなさいよ! そしたら彼も目が覚めるんだから!」
「勤務時間中に、司令の執務室で堂々と下ネタ振るとかどういう神経してるの!? 規律も何もあったもんじゃないわね!」
「規律だったらちゃんと保たれてるわよ、隊の司令が正常な精神状態で指揮に当たる事が出来る様に適切な処置を提案してるだけの事よ」
「よくもまぁそんな屁理屈を捻り出すわね――感心するレベルだわ」
「聞こえて無かったのかしら? あんたに理解して貰う必要は何も無いのよ!」
「それこそお互い様よ、理解しようだなんてこれっぽっちも考えて無いから!」
「――も、もうそれ位にしておこうヒューストン!」
何とかタイミングを掴んで言葉を挟んだ彼を無視する訳には行かないので、仕方無く通常の勤務時間モードに戻す事にする。
「――申し訳ありませんでした、司令」
「いや、いいんだ――飛鷹、君も勤務時間中に不謹慎な言動は慎んで貰いたい。それに副長を『あんた』呼ばわりするのもだ」
「はいはい、良く判ったわよ――念のために言っておくけど、自分の過ちに気付いた時は遠慮してないで直ぐ言うのよ? あたしはちゃんと許してあげるから」
「――いや、過ちを犯していると言う認識は特に無い。例え有ったとしても軍務の場で言うべき事では無い」
「自分のこと程自分じゃ見えないものなのよ、大佐。――では、帰投したらまた報告するわ」
「どうかお気を付けて!」
言葉が途切れた瞬間に殊更に硬い声を出して敬礼して見せると、一瞬こちらを睨み付けた飛鷹と目が合い、バチっと言う音がした様な錯覚に囚われる。
が、それは一瞬で終わり、フンと鼻を鳴らした彼女が形ばかりの答礼をしてすたすたと退出して行くと室内が急にシンとする。
「ごめんなさい――つい歯止めが効かなくなってしまって……」
「いや、私も飛鷹がああいう態度に出る事は想定しておくべきだったんだ――咄嗟にピンと来なかったよ」
「あら、あの屁理屈を事前に想定出来たら大したものですわ♪」
「だとしたら、これで一つ経験を積んだ訳だ。次からはそれを活かす様に心掛けよう」
「ええ、そうしましょう」
その次の機会はすぐにやって来る。
「コンコン、おはようございますぅ〜」
彼が苦笑しつつこちらを見るので、笑顔を返しておいてから出来るだけ感情が籠もらない様に声を出す。
「どうぞ入室下さい」
一拍間をおいてからのカチャリ、そして更に一拍開けてからそろりと突き出される顔――何もかもが何時もの彼女のままなのは、ある意味大したものだと思う。
「えへへぇ~、おはようございますぅ〜。司令のぉ今日のご機嫌は如何ですかぁ♪」
(やっぱりあたしのご機嫌は聞かないのね……まぁ予想通りだけど)
「私の機嫌を気にする必要は無いから遠慮なく入りたまえ、ポーラ君」
「ありがとうございますぅ~♪ 司令のご機嫌が良いとぉ、それだけでポーラは元気を貰えますよぉ~」
「それは良かった、これからも君達に元気と活力をもたらす事が出来る様に努力しよう」
「えへへぇ、そこ迄ポーラ達に真剣に向き合って下さる方が司令だなんてぇ、もうそれだけで幸せな気分ですよぉ」
「そんな風に受け止めてくれるだけで、とても有難い事だ。それはさておき、用件を聞こうかポーラ君」
「はぁい、今日はぁ予定通り東側海域の哨戒演習に出撃して参りまぁす」
「そうか、旗艦として僚艦の取り纏めに務めると共に、敵性艦との遭遇には充分注意して対処して欲しい」
「了解しましたぁ、司令が気遣って下さるからぁ、ポーラ一杯やる気出しちゃいますよぉ♪」
「君の働きに大いに期待している――では、帰投したらまた報告してくれ」
彼の応答には先程の経験が良く生かされており、ここ迄スムーズに進んで来た。
これで後は敬礼して送り出すばかりだと思い掛けたのだが、やはりそう甘くは無かった。
「それはそうとぉ、司令はそろそろぉヒューストンさんに飽きて来た頃じゃありませんかぁ?」
「また随分直球で来たわね……」
「――ポーラ君、今この様な状況で極度に個人的な話柄を切り出すのは慎んでくれないか」
「あらぁ~これは申し訳ありませんでしたぁ♪ そうですよねぇ、ご本人を前にしてそんな事言えませんよねぇ。ポーラが不注意でした~」
「いや、そう言う意味では無いから誤解しないで貰いたい。軍務中にその様な話題が相応しく無いと言う意味だ」
「エヘヘえ、了解しましたぁ♪ それじゃあプライベートなお時間にぃ、改めてお聞きしますねぇ〜。因みに今夜はぁポーラ空いてますよぉ、お食事なんかどうですかぁ?」
「いや、私は都合が悪いんだ」
「でしたらぁ、ご都合の良い日を教えて下さいますかぁ? ポーラが合わせますよぉ」
「ポーラ君、今は出撃前だと言う事を忘れないで貰いたい。脱線した話題を続けるのもそろそろ終わりにしてくれないだろうか」
横でヒューストンが我慢しているのをさすがに気遣ってくれた彼が何とか釘をさすと、ポーラも潮時とばかりに会話を切り上げる。
「そうですかぁ、それじゃあ残念ですけどぉまた今度にしておきますねぇ」
「どうかお気を付けて!」
ここぞとばかりに力を込めた声を出して敬礼すると、何時もの如く掴み処の無い笑顔を浮かべた彼女が答礼してするすると退室して行く。
(やっと終わったわ……)
そう思って気を抜き掛けたその時だった。
扉の前で立ち止まった彼女が首だけでこちらを振り返る。
「ヒューストンさぁん?」
「何かしら?」
「今ならまだぁ、ポーラにもチャンスがありそうですよねぇ♪」
「なっ……」
扉の閉まる音が響いた後の室内を覆った静寂は、言い様も無く居心地の悪いものだった。
「――ヒューストン……」
「――はい……」
「勤務時間中に申し訳無い――だがどうしても言っておきたい――彼女の言う事は断じて有り得ない」
彼の言葉は誠実そのものだったが、それを聞いたからと言って安堵する心境では無い。
「――有難うございます、でも――多分そんな積もりでは無かったと思いますわ……」
「そうか……もし本当に君の言う通りなら良いんだ。君が気にしない限り、私は彼女達の言動も気にはしない」
「じゃあ、あたしも少しだけ――信じてるから大丈夫よ」
「有難う、その言葉がとても嬉しいよ――それじゃあ今日のスケジュールを確認しようか」
「ええ♪」
そう言って微笑んだものの、内心ではとても複雑だった。
(見透かされちゃったわね……)
言う迄もないが、ポーラは本心からそう思っている訳では無い。
飛鷹が全く諦めていないのはイヤと言う程伝わって来るし、少しも衰えを見せないファイティングスピリットは見習いたい位だとも思う。
しかしポーラは明らかに一歩退いており、今日も一頻り言葉遊びを楽しんだだけの事だ。
にも関わらずわざわざあんな事を言って見せたのは、自分を揶揄したのだろう。
『何をもたもたしてるんですかぁ〜?』
そう言う彼女の声が聞こえて来そうだ。
(言われなくたって判ってるわよ! その位……)
心の中でそう打ち消して見たところで、事実が変わる訳でも無い。
我ながら情け無い事だとは思うが、ヒューストンは彼にまだ話すことが出来ずにいた。
何度と無くその機会を窺いはしたものの、彼との甘い時間に影を射してしまう事を恐れてつい口に出せないままだったのだ。
(でも――何時迄も放っておくのは無理よね……)
彼が約束を忘れていないのは既に明白なのだが、それをおくびにも出さないのはやはりヒューストンを気遣ってくれているのだろう。
(しっかりしなさいヒューストン! これだけはどうしても避けて通れない事なのよ)
改めてそう己を叱咤しながら、朝礼の為にブリーフィングルームへと向かう彼の後を追った。