第五特務艦隊は日本国の隷下にあり、年度の考え方も日本流である。
ヒューストンにして見れば随分中途半端な時期に年度末を迎えるものだと言う意識があるものの、自分が着任して間も無く一年になると言う節目ではあった。
(そう言えば、年度末だからという事なのよね)
飛鷹、夕張、夕暮が一時帰国の為に旅発つのも、年度末というタイミングだからなのだ。
「貴方は帰らなくていいの?」
何気なく彼にそう聞くと、如何にもと言う返事が返って来る。
「軍務での出張はともかく、隊の司令がそんな事は出来ないな」
「どうして? 別にちょっと帰国する位は良いじゃない」
「休みも取らずに働き詰めだと云うなら別だが、君と過ごす時間も十分に取れているし、そのお陰で心身共に充実しているからそもそも帰国したいと言う気持ちが湧かないよ」
「――ウフフ、本当にぃ?」
「もちろん、正直な本音だよ♪」
彼の頬に触れた指を握るその手の温もりが、その言葉が本心からであることを教えてくれる。
(不思議ね――本当に……)
飛鷹の言い草ではないが、肌を重ねる様になってからは日に日に彼の胸の裡が意識する事無く理解出来るようになって来る。
(ひょっとしたら――アルの時もそうだったのかしら)
あの頃、具体的にこんな感覚を意識したことは無かったが、それはまだヒューストン自身が精神的に未熟だったからなのかも知れない。
先日グラーフが口にした『若気の至り』という言葉が、何となく実体をもって感じられる気がする。
「そろそろ時間だな」
「ええ、行きましょうか――見送りに」
「飛鷹がまた、君に来て欲しくないとか言い出さなければ良いんだが♪」
「多分大丈夫よ、今はちょっと落ち込んでる見たいだから♪」
そう言いあった二人は、執務室を出て滑走路へと向かった。
三人が発った翌日からグアム周辺の天候は崩れ、三日続けて演習が出来ずに終わる。
「JMA及びNOAAの情報による限り、明日はどうやら天候が回復しそうです。皆さんのご要請を調整しておきましょう」
ブリーフィングルームに集まった顔触れを前にューストンが口火を切ると、早速アークロイヤルが応じる。
「このタイミングで三日間に渡って外洋行動のデータ取得が出来なかった事で、計画に更なる遅れが生じている。本来なら紅白戦演習のデータ取りがしたいところだが、そこ迄無理は言うまい」
「では、少なくとも哨戒演習には出たいと?」
「その通りだ副長殿、ご配慮頂ければ有難い」
「その点は我々も全く同じ事情だな、少なくとも哨戒演習でのデータ取りは最優先にしたい」
腕組みをしたグラーフが言葉を繋ぐと、もう調整の方針は決まった様なものだった。
「今のところ、こちらのデータ取得はやや先行していますし、太平洋艦隊司令部からの要請も特に無い様なのであたし達が留守番で問題ありません。他の皆さんはどうかしら?」
「はぁ~い、特にありませんよぉ♪」
「オーストラリア海軍においても、特段の要望事項はありません」
ポーラとパースが応じた後で、デ・ロイテルが少し思案顔をする。
「ヒューストンさん達が留守番なんですよねぇ――ちょっと手薄なのがヤバくないですかぁ?」
その懸念はもっともな処だが、それに応じて隅田が口を開く。
「先程日本と連絡を取って確認したところ、予定を一日早めて明後日には三名とも帰隊するとのことだった。従って今指摘のあった様な状態は明日一日のみという事になる」
「そう言う事でしたら、無人機による哨戒密度をあげる様にシフトを組み替えて、明日一日を乗り切りましょうか」
「副長殿、データ取りを重視してはいるが、それ以上に敵襲に備える事が肝要だ。我らへの急報は、誤報の懸念などに囚われる事無く迅速に発出して頂いて構わんのでよろしく頼みますぞ」
「ええ、その様に注意して当たりますわ」
「それにしても、一日切り上げての帰隊という事か。飛鷹殿が十分に骨休めを出来ているのか否かが気になってしまうな」
「えへへぇ~、帰って来るなりぃ、ヒューストンさんは八つ当たりされそうな気がしますねぇ♪」
「それならまだ良い方よ、出発前のあの地を這う様なテンションで戻って来られる方がずっと憂鬱だわ」
「全くだな」
期せずして全員から笑いが漏れ(なんとパースですら微笑を浮かべて)ると、同じく笑みを浮かべた隅田が締め括る。
「それでは明日は、第一編成のアークロイヤル隊による東側海域哨戒演習及び第三編成のグラーフ隊による西側海域哨戒演習を実施するものとする。ヒューストン、君は本隊の哨戒シフト案を作成してくれ。何か質問は?」
無言で彼の瞳を見返した一同の顔を一通り全員見回してから、再度声を上げた彼が宣言した。
「本日のブリーフィングは以上とする。各自明日の任務に備えてくれ」
「ハイ!」
翌朝、アークロイヤルとグラーフを送り出した後で、アメリカ組だけでの朝礼に臨む。
最近めっきり見る事も無くなったオドオドするガンビィは少々新鮮でもある。
「や、やっぱり今日は一日中臨戦態勢で待機でしょうか? ヘリもスクランブル待機なんですよね?」
「ガンビィ大袈裟だよぉ~、そんなにしなくたって今日はたくさんショーカイ機とんでるんでしょー?」
そう言いながらサムがこちらを見る。
「そうね、通常の二倍の密度で哨戒してるわ」
「で、でも、それは少しでも早く見つけられるって言うだけですよね? 本当に交戦する時の戦力とは関係ないですよね?」
すっかり震え上がってしまっている状態の彼女を言葉で説得するのは簡単ではなさそうだ。
「ガンビア・ベイ君の恐れは正しい。無人機による哨戒は敵を早期に発見し、迅速に迎撃態勢を取る事が目的だ。十分な戦力をもって迎撃出来るか否かとは別の話には違いない」
隅田があっさり認めてしまった事で却ってガンビィの不安は膨れ上がってしまったのだろうか、何だか震え出した様にも見える。
どうやって宥めようかと思っていると、そんな様子を見てジョンが声を上げる。
「司令、ガンビィを怖がらせないで下さいよぉ♪ 迎撃するのはあたし達だけじゃなくて基地の防衛システムも無人機も全部使うんですよね?」
「その通りだ、ジョンストン君。もちろんどれだけ備えようが、敵が余りにも圧倒的な兵力であればどう仕様もないが、当隊の防衛用に備えられた装備は十分に手厚いものだ」
「聞いたでしょうガンビィ、どんな時だって絶対大丈夫とは言え無いけどさぁ、そんなに震え上がらなくたって良いんじゃないかなぁ」
「有難うジョン♪ でも、過剰に怖がるのは良くないけど緊張感を持つことは大事よね。だからガンビィも怖がり過ぎない位に用心しておいてくれるのは大歓迎よ」
「あ、は、はい……」
辛うじてそう応じはしたものの、彼女の顔が急に明るくなったりはしないのだった。
(まぁそれがガンビィなんだし♪ ――それに、別に間違ってる訳でも無いわよね)
逆にこういう局面で怖がるのは、判断力が健全な証拠だと言えるかも知れない。
とは言え、では日頃の状態がどうかと言えばここに飛鷹ら日本組の三名が付け加わるだけであり、それが万全の態勢とは言い難いのもまた事実だった。
執務室に戻って何時もの様に事務仕事に手を付けるが、今日は誰もやって来ない所為でそれなりに余裕がある。
「ごめんなさい、ちょっとだけ雑談しても良い?」
「ああ、君の異動の件かな?」
「そうなの、貴方はどう思うの?」
「いい考えだと言うべきなのか、それとも君がアメリカ海軍から離脱する事無く日本に来るための多分唯一の方便と言うべきなのかどちらだろうな」
「でも、そうなのよね――太平洋艦隊司令部に退役を申請したり、日本への移籍を申し入れたりしたら大騒ぎになりそうだもの」
「間違いないだろうな、実際にこれ迄正式に退役したり移籍した艦娘は誰もいない訳だし」
「そうよねぇ――そもそも、退役や移籍なんて想定してないわよね」
「まぁ、言って仕舞えば我々人間の身勝手な言い分でしかないとは思う。君達は兵器などでは無く自由な意思を持った存在なのだから、戦わねばならない義務など存在しないし、押し付けられる謂れも無い筈なんだが……」
「貴方が罪悪感を感じる謂れも無いわよ♪」
「有難う――でも、我ながら情け無いよ。君を掛け替えのない大切な存在だと意識したその瞬間から、君が戦場に赴くのが不安で仕方無くなっているんだ――本当に現金な話だ」
「そんなのあたしだって同じよ――貴方やアルの命と他の人達の命に違いがある訳じゃ無いのに、同じ様に受け止める事なんて出来無いもの」
「――君の様に思い遣りと深い洞察力とを兼ね備えている者ばかりだったら、こんな問題ももっと前向きに解決して行けるんだろうな――近頃は良くそう思うよ」
「仕方無いじゃない、深海棲艦とまともに戦う事ばかり考えていたら、それしか見えなくなってるんじゃないかしら――まぁ納得いかないとは思うんだけど♪」
「本当に済まないな――話を元に戻すけど、横須賀に駐留するという案を掘り下げて見るのが今は最善だと思うよ。第七艦隊との連絡将校をやっている奴とはそれなりに話が出来るから、意見を聞いてみようと思ってる」
「お願いね――さもないと、貴方にグリーンカードを取って貰わなきゃいけなくなるから♪」
「――そうか、君の強力な推薦があればそれも可能な訳か――いざとなったらそうするかな♪」
「あら、調子が良いんだから♪」
そんな平穏な時間が過ぎて行き、日が中天に差し掛かる頃、それは出し抜けに起こった
緊急連絡を示す赤いLEDが禍々しく点滅を始めたので、直ちに応答スイッチに触れると執務室内の液晶パネルに哨戒担当士官の顔が映る。
「報告を!」
「たった今哨戒機SH07が敵影を確認しました! 距離凡そ10000、複数です!」
「直ちに非常警報発令! 連絡機の準備急げ!」
「アイアイサー!」
パネルの表示が消えるのと同寺に執務室のドアが叩かれる。
直ぐにロックを解除すると、ガンビィ・ジョン・サムが駆け込んで来る。
彼の顔を一瞥すると無言で頷くので、三人に指示を出す。
「迎撃の為に直ちに出撃準備よ、あたしも直ぐに行くから艤装の用意をお願いね」
「ア、アイアイサー!」
震えながらもガンビィが応じると、ジョンも不安気な眼差しでこちらを見る。
「――大丈夫ですよね、ヒューストンさん⁉」
「もちろんよ、皆で協力して隊を守り抜くわよ!」
「ハイ!」
彼女達が走り去るのを追い掛ける様に、隅田と二人で地下のコマンドルームに向かう。
二人が入ると既にオペレーターは全員配置についていた。
「状況報告!」
彼の鋭い指示に、担当士官が素早く応じる。
「SH07及び09による確認では敵影が28、それ以外に更に未確認の敵影と思しき個体を複数確認しています!」
「何だと――」
さしもの隅田もその数に思わず絶句する。
それ程の規模の艦隊との接敵など、そうそうあり得る話ではない。
だが、さすがに彼は何時迄も呆然としている様な指揮官ではなく、直ぐに己を取り戻す。
「直ちに全火力をもって迎撃、航空兵力も全て投入する!」
「アイアイサー!」
「アークロイヤル隊及びグラーフ・ツェッペリン隊との連絡確立せよ!」
「応答を確認! 直接繋ぎます」
オペレーターの言葉と同時に音声がつながり、アークロイヤルの声が響く。
「司令、たった今急報を受信しましたぞ。直ちに最大戦速で帰投致しますが、迎えは寄越せるのでしょうかな⁉」
「今、離陸準備を命じている。離陸後は直接連絡を取ってランデブーを図って欲しい」
「了解しました、因みに敵の数は?」
「確認出来ただけで28だ」
「――何と言う事だ……とにかく急ぎ戻ります!」
「よろしく頼む!」
その言葉が終わると共に今度はグラーフの声が響く。
「司令、今の会話が一部聞こえたぞ。奴らめ、完全にこちらの虚を衝いて来たな」
「済まない、私の誤りだ――急ぎ帰投して欲しい」
「その反省は的外れだと思うがな――とにかく最大戦速で帰投するが、可能であれば本艦からの航空支援をも試みる積もりだ」
「有難い――よろしく頼む……」
そう言った彼が急に小さく見えた様な気がして胸を衝かれる。
「大丈夫よ、ミツヒコ――」
「ヒューストン――」
「あたしも出るわ――絶対に奴らに好き勝手なんてさせないから」
「分った、くれぐれも注意してくれ」
「ええ」
そう言い残してコマンドルームを後にすると、いきなり地響きがして遠い轟音が聞こえる。
(もう撃って来たのね!)
未確認の艦影まで含めれば30隻を超える艦隊を送り込んで来たその意図は明らかだ。
この隊を壊滅させる積もりなのだろう。
(貴方なのね――姉さん……)
何の確証がある訳でもないが、ヒューストンには確信があった。
深海棲艦がこの隊の様子をずっと窺っていたのは判っていたが、これ程の艦隊をつぎ込んで迄排除しようとするのはそれだけの脅威を嗅ぎ取ったからなのだ。
スタンバイルームに入ると、正に艤装を装着している最中の三人が不安を隠し切れない様子でこちらを見る。
「待たせたわね、準備が出来次第直ぐに出ましょう」
何時もより声を張って宣言すると、その言葉と共に自分を担当してくれる女性兵士達が装備を手伝ってくれる。
専用スーツに着替える僅かな間にも絶え間なく弾着があり、彼女達もまたその地響きに慄いているのが判る。
「三人とも聞いて、敵は30隻を超える艦隊よ。少々頑張ったからと言って撃退出来る様な数では無いわ」
「それじゃあ、どうするんですか⁉」
「はっきり言うわね、とにかく敵弾に中らない事が最優先よ。味方が駆け付けて来てまともに反撃が出来る様になる迄生き延びる事、絶対に無茶をしては駄目よ」
「わ、判りました……」
ガンビィが泣きそうな顔で応じるが、幸いにもジョンとサムはしっかりとした顔で頷いてくれる。
「海上に出たら、ガンビィは火力の高そうな敵艦に航空攻撃を集中してね。サムはガンビィの護衛に徹して頂戴。ジョンはあたしと一緒に前へ出て敵をけん制しつつ隙を見て攻撃するわよ、いいわね!」
「ハイ!」
三人が返事をした直後、女性兵士が声を上げる。
「装着完了しました!」
「ありがとう、貴方達はすぐに退避して基地防衛プログラムに加わりなさい」
「了解いたしました、どうかご武運を!」
彼女達が一斉に駆け出すのを横目に見ながら室内を横切り、ドアを開けるともうそこは出撃用の水路だ。
「さぁ行くわよ!」
「ハイ!」
コンクリート製の階段を下りて海面に足を付けたその瞬間から全身に力が漲る。
「艤装主電源ON! 出撃よ!」
「アイアイサー!」
一斉に飛び出した四人の眼前に狙い澄ましたかのように水柱が林立するが、そんな事に怯んでいる訳にはいかない。
(姉さん、これが貴方の意地という訳ね――でも、あたしにも意地があるのよ!)
折角掴み取った彼との幸福を、易々とくれてやるわけには行かない。
どんなことをしても護り切って見せる――今はその決意だけを頼りに敵に挑むしかなかった。