冷たい女   作:Y.E.H

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終章・後節

 その浅い微睡みは、永遠に続く無為そのものだった。

 

時に明るい陽光が水底に迄差し込み、様々な海の生き物達が躍動する――――

 

かと思えば、漆黒の闇が静寂と共に身体を包み込む…………

 

そんな月日を、一体どれ程過ごして来たのだろうか?

 

それとも――――

 

「――――ス――――――ん――――――」

 

最初はとても切れ切れな、只の空耳の様だったその音――いや、それはどうやら何者かの声であるらしい――は、徐々に大きく、はっきりとし始める。

 

「――スト――――えま――ヒュ――さん――」

 

(――誰……?)

 

「ヒュース――聞こ――か? ――トンさん? ――」

 

次第にそれは、自分を呼ぶ声であることが朧気に判り始めると共に、『自分』と言う存在が少しずつ知覚出来る様になる。

 

「ヒューストンさん、聞こえますか? ヒューストンさん、ヒューストンさん!」

 

(――ヒューストン……ヒューストン………………そう…………あたしは――――あたしが…………ヒューストン!)

 

突然、全てが繋がった様な感覚が全身を走り、自分が何者であるのかをはっきりと理解する。

 

「はっ⁉」

 

思わず声が出ると共に、眩しい光の中に自分がいる事に気付く。

 

「――これは――一体……?」

 

自分は渺茫たる海の真っ只中におり、やや傾き掛けた日差しの中で海面に立っていた。

 

(立って……?)

 

そこで初めて、自分に人間そっくりの身体がある事に気付く。

 

(何が起こってるの……?)

 

そう疑念が湧き上がって来たその時、背後から叫び声が響く。

 

ヒューストンさん!

 

その呼び声に反応して振り返ると、橙色の分厚い上衣を身に付けた赤い髪の少女、そして違う方向からは藁色の髪の少女が、海面をまるで滑る様に近付いて来る。

「えっ、貴方達は――」

そう言い掛けたのだが、二人は全く止まる気配も見せずにまっしぐらに彼女の許へと突っ込んで来ると、そのまま勢い良く抱き付かれる。

「えっ、ちょっと待って? 二人共――」

何とか話し掛けようとして二人が泣いているのに気が付き、思わず言葉を飲み込む。

どうして良いものか判らず、抱き付いたまま泣いている二人の肩に遠慮がちに手を回すと、赤い髪の少女が顔を上げる。

 

「――ヒューストンさん、本当にヒューストンさんですよね?」

 

涙に濡れたその眼差しに眼を合わせた刹那、何の前触れも無く脳裏に言葉――記憶?――が甦って来る。

 

「貴方――デ・ロイテルね? ――そして貴方はパースね?」

 

内心の不思議な衝動に押し出される様に発した言葉に、二人は顔をくしゃくしゃにして応える。

「ヒューストンさん! お帰りなさい! ……」

そう言った切り、また二人は泣きながら抱き付いて来る。

事ここに至って、やっと自分の置かれた状態が少し飲み込めて来たヒューストンにも彼女達の感情が沁みて来て、自然に涙が溢れて来る。

 

「貴方達は、あたしを迎えに来てくれたのね――デ・ロイテル、パース――こんな風に貴方達と再会出来るだなんて――本当に有難う…………」

 

頬を撫でて行く風の感触が、味わった事の無い心地よさだった。

 

 

「一体何を言ってるの? 悪いけど全然理解出来無いわ」

ヒューストンの硬い言葉に、二人の表情が曇る。

「いきなり理解して下さいとは言いません――ですが、それ程ゆっくり考えて頂ける時間も無いんです、済みません……」

「そもそも何故あたしがJapの艦隊なんかに行かなければならないの? しかもその副長だったとか、悪い冗談としか思えないわ⁉」

「ヒューストンさん、さっきもお話しした通り私達もその艦隊に所属しています。太平洋戦争が終結してから長い年月が経過して、日本とアメリカは同盟国になっているのです」

「それは確かに聞いたけど――でもねパース、あたしの艦隊はアメリカ太平洋艦隊なの。だからそこへ帰って、この九十年の間に何が起こって世界はどうなったのか――それとさっきも聞いた、深海棲艦とか言う敵との戦争とは一体どんなものなのか聞きたいのよ。Japの艦隊で聞きたい訳じゃ無いの」

彼女の言葉は硬いだけでなく不快な程に棘があり、それが二人の心に容赦なく突き刺さる。

このままではどうにもならない――ここは思い切った説得をしなければとパースが決意し掛けたその時、デ・ロイテルが強い声で喋り始める。

「判りましたヒューストンさん、どうしてもあたし達とは同道出来ない、アメリカに帰還すると仰るのでしたら、残念ですがあたし達にはそれを強制する事は出来ません」

「有難う、判ってくれるのね――」

「いいえ違います、先程から申し上げている通り、あたし達はヒューストンさんにこのまま第五特務艦隊に来て頂きたいとしか思っていません。それ以外の選択肢など最初から考えてはいません」

「幾ら何でもそれは横暴だわ⁉ あたしの希望を聞いてくれる位してくれたって良いんじゃない?」

「横暴かどうかは判りません。ですが――これだけは言えます。たった今も第五特務艦隊では、あたし達以外にアメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、そして日本から来た十二名の艦娘と数百名の軍人たちが、ヒューストンさんの帰還を心から待ち望んでいます」

「それは判るけど、でも、どうして今すぐでなければならないの? アメリカに一旦戻って一、二ヶ月してからじゃ駄目なの?」

 

「――本当に、一、二ヶ月したら来て頂けますか?」

「――もちろんよ、約束するわ」

「信じられませんね」

「何ですって⁉」

「ちょっとロイ――」

「今、これ程嫌がっている方が果たして安心出来る自分の母国に戻って、嘗ての僚艦達と再会して、現代のアメリカがとても暮らし易くなっているのを見て――それから憎い敵国の艦隊に戻って来るなんて事が本当に出来ますか? そして、そこ迄嫌がっている貴方を、アメリカ海軍は再びあたし達の艦隊に派遣する事を選択しますか? 代わりに別の者を派遣すると言ってお茶を濁すのが精々ではありませんか?」

 

カッとなって言い返そうとしたヒューストンだったが、今彼女が言った事そのものには少しドキリとしていた。

別に嘘を吐いて騙してやろうとまで思っていた訳では無いが、とにかくこの場で二人を何とか説き伏せてしまえばどうにでもなるだろうと内心で思い掛けていたからだ。

 

(何を考えてるのよ――どうしてそこ迄必死に――)

 

そう思って改めてデ・ロイテルの顔を見ると、瞳に薄っすらと涙を滲ませている。

思わず溜め息を吐くと、顔を上げて視線を合わせる。

「ねえ教えて? 一体何故そこ迄必死なの? その艦隊には何があるの?」

「――隊は深海棲艦の襲撃で壊滅的な打撃を受けました――ですが、あたし達は司令の許で隊を再建すると決めたんです。そしてその為にはヒューストン副長が必要なんです――とても大切なものを犠牲にして多くの人間達と隊を救ってくれた――あたし達の大切な副長です」

「貴方達はそう言うけど、あたしには何の事だかさっぱり判らないのよ――それでも、あたしが行かなければならない理由はどこにあるの? もっと他の理由があるんじゃないの?」

「ロイ――ここはやはりお話しした方が――」

「駄目よ! それは出来ないわ」

「理由があるんだったら聞かせて? ここ迄強引にあたしを連れて行こうとするんだから、せめてそれ位教えてくれたって良いんじゃないの?」

 

「――済みません――それだけはどうしてもお話しする訳にはいきません――そう言われた方の想いが良く判るからです――とても――とても、大切に想っているからこそなんです……」

彼女の瞳から、溜まっていた涙が零れ落ちて頬を伝う。

このまま押し問答を続けていても、どうやら何も変わらないらしい。

「どうしても話せないのね――それじゃ最後に聞かせて? もし――それでもあたしが断ったら――貴方達はどうする積もりなの?」

 

「――あたし達と、ヒューストンさんがお会いするのは――これが最後だと思って下さい。あたし達の知っていたヒューストンさんはもうこの世にはいない――二度と取り戻すことは出来ないんだと思って、永遠に忘れる事にします……」

 

(そこ迄言うの――? そう迄しなきゃいけない事なの?)

 

そう口に出したかったが、言った処で何が変わる訳でもない――何より、その答えを知る為には残念ながら自らその艦隊に行くより他無いらしい。

 

「――判ったわ――正直に言って、全く気が進まないんだけど――貴方達と一緒に行く事にするわ……」

 

「有難うございます――無理なお願いを押し付けてしまって、本当に申し訳ありませんでした」

「長時間に渡ってしまいご迷惑をお掛けしました、明日の意向確認の際に、その様にお申し出頂けます様お願い致します」

 

二人は其々に――そして冷静かつ落ち着いた口調で礼を述べると、立って深々と頭を下げる。

少々極まり悪い思いをしながらヒューストンも答礼すると、彼女達は扉の向こうに消える。

しかし扉がバタンと閉じたその後で、その扉の向こうから烈しく嗚咽を漏らす声が聞こえて来る。

一体何事かと扉を開けそうになったのだが、ぐっと堪えて聞き耳を立てていると、パースの声が聞こえて来る。

 

「有難うロイ……辛い事をさせてしまって本当にごめんなさい――苦しかったわよね……」

 

それに応える声は聞こえて来ず、息が詰まりそうな程の嗚咽がただ響いて来るばかりだ。

 

(何が貴方達にそこ迄させるの……? このあたしは一体何者なの……?)

 

ヒューストンの胸の中は、千々に乱れるばかりだった。

 

 

飛行機と言うものに初めて乗った彼女にとって、それは緊張と驚きの連続だった。

そして機体がグアム島上空で旋回して着陸態勢に入った時に窓から見えた基地の様子は、想像以上の惨状に見えた。

「――酷い有様ね――どんな大艦隊に襲撃されたの?」

「30隻を超える艦隊が艦砲射撃を加えました。本当に壊滅寸前だったと思います」

「――それを――そんな艦隊をあたしはどうやって撃退したの?」

「正確には撃退したのではありません、全滅させたんです――艤装を意図的に暴走させることで、限界を遥かに超えた能力を引き出したんです」

「貴方達の言うあの艤装は、そんなとんでもない事が出来てしまう物なの?」

「――いえ、普通の状態では無理だとは思いますが……」

二人の説明を聞いても、今一つ良く理解出来無かった。

前の自分は、一体何故そんな事をしたのだろうか――――

ただ隊を護りたいとか、人間達を救いたいとか言う忠誠心の様な動機だけではどうにも腑に落ちないのだ。

 

 

空港に迎えに来ていた車両に分乗して基地の正門を潜ると、そこかしこで人が活発に動き回っているのが目に付く。

三日前にデ・ロイテルが言った言葉に掛値は無い様で、本当に基地再建の為に人々が注力しているその熱意が伝わって来る。

やがて車が停まって降り立ったその建物は司令部建屋らしからぬものだったが、どうやら残存した施設に仮住まいをしているらしい。

何より驚かされたのは、その建屋前に各国の様々な制服を身に付けた士官と思しき軍人たちがズラリと並んで、一斉に敬礼をした事だった。

反射的に答礼をしたヒューストンの許に、一人のアメリカ海軍の佐官らしき男性が歩み寄って来ると威儀を正して挨拶する。

「お帰りなさいませ、ヒューストン副長! 本日は、副長に命を救って頂いた者達全員になり替わりまして、衷心より御礼申し上げたくお待ちしておりました!」

「あっ――いえ、お出迎え有難うございます、皆さんの歓迎を受けてとても嬉しく思います」

「それではどうぞ中へ! 艦娘の皆さんと隅田司令がお待ち兼ねです! それと、改めて申し上げますがここは副長の家そのものです! 残念ながら復旧にはまだまだ時間を要しますが、どうか心行く迄お寛ぎ下さい!」

「あ――有難う」

戸惑いながらそう応じると、居並ぶ士官達に改めて答礼したデ・ロイテルとパースが左右に立って建屋内に誘ってくれる。

廊下を歩いていくと、やがて大会議室と言う如何にも急ごしらえの看板が付いたドアの前に来る。

「デ・ロイテル並びにパースです! ヒューストン副長をお連れして只今帰還致しました!」

デ・ロイテルがそう申告して自らドアを開けると、室内には艦娘達と思しき女性や少女達が立っており、その一番奥に一人の中年の男性が座っていた。

が、よく見るとその男性が座っているのは車椅子の様で、どうやら怪我をしているのか或いは下肢が不自由らしい。

「デ・ロイテル君、パース君、派遣任務の遂行お疲れ様でした。――そして無事にMiss Houstonを連れ帰ってくれた事に深く感謝します」

「有難うございます」

二人は声を揃えてそう応じるが、聞いているヒューストンの方はその男性の言葉遣いや態度に違和感を感じていた。

しかしそれを突き詰めている暇もなく、唐突に一人の少女が駆け寄って来るなり抱き付いて泣き出す。

「ヒューストンさぁん!」

「えっ――」

その少女も艦娘であるのは間違いないのであろうが、全く見覚えが無い。

「駄目だよサム――我慢して無きゃ……」

そう言いながら別の(やはり見覚えのない)少女が近付いて来るが、彼女もまた一杯に涙を溜めている。

その後ろから歩いて来た更にもう一人のやや小柄なブロンドの女性が、申し訳なさそうに口を開く。

「お帰りなさい、ヒューストンさん――私はガンビア・ベイ、この娘達は駆逐艦ジョンストンと護衛駆逐艦のサミュエル・B・ロバーツです。三人ともヒューストンさんが戦没された以降の竣工なんです」

「そうだったのね――初めまして、ヒューストンです」

そう言うと、今迄しがみ付いていたサミュエル・B・ロバーツが恐る恐る身体を離して上目遣いに見詰める。

 

「ヒューストンさん……ホンとに憶えて無いの……?」

「ごめんなさいね――貴方達の事、判らないの……」

「サム――仕方が無いよ、ヒューストンさんだって困ってるんだから……」

ジョンストンが彼女を宥めるが、その伏し目がちな眼差しは哀しみに沈んでいた。

 

「済みませんでしたヒューストンさん――どうか皆と――司令のお話を聞いてあげて下さい。よろしくお願いします」

ガンビア・ベイがそう言って二人の肩に手を掛けると、彼女達も頭を下げて部屋の脇へと戻る。

彼女達に一体何と言ってあげれば良かったのだろうか――胸中で困惑が広がって行く。

 

ただ、ここに集まっている艦娘達はそんな彼女を一人で悩ませておく気は無いらしく、直ぐに別の二人が近付いて来る。

「初めましてヒューストン殿――私はRoyal Navy(王立海軍)より参加している航空母艦アークロイヤル、そしてこちらは駆逐艦ジェイナスだ」

「あ――初めまして――」

「ヒューストンさん、お帰りなさいと言う訳には――行きませんか? 帰って来て下さったんですよね?」

ジェイナスと紹介された金色の巻き毛の少女がおずおずとこちらを見るので、些か心が痛む。

「――ううん――まだ考えてるのよ」

「ヒューストン殿、私はどうも頭が固いので直ぐに『副長殿』と呼び掛けそうになってしまう。だがそれはただうっかりと言うだけではなく、その様に望んでいる我々の内なる希望そのものがそう言わしめるのだと思う。貴殿にとっては単なる迷惑に思えるかも知れぬが、それでもなお以前の貴殿が残した足跡に思いを馳せて頂きたいのだ――どうかよろしく頼む」

彼女の謹厳な物言いにはどう返してよいのか判らず、つい曖昧な返答をしてしまう。

「ええその――あたしに出来る範囲で考えて見ますわ――」

 

「ヒューストンさぁん、何も無理してぇ当たり障りの無い事を言わなくたって良いんですよぉ♪」

先程から一人笑顔を浮かべている女性が、やはり駆逐艦らしい少女と共に前に出て来て肚の底を見透かした様な事を言う。

「何もそんな積もりじゃ――」

「判ってますよぉ~、あっ申し遅れましたぁ、あたし達はぁイタリア海軍の巡洋艦ポーラとぉ駆逐艦リベッチオでぇす。よろしくお願いしますねぇ」

「よ、よろしく……」

「今ヒューストンさんはぁ、人間そっくりの姿で陸に上がってぇ一刻も早くアメリカに帰りたいって思ってるんでしょうねぇ」

「――そうね、その通りだわ」

「でもぉ、それが良いことずくめになるなんてぇ期待し過ぎない方がいいですよぉ? だってぇ、あたし達は人間そっくりだけど人間じゃ無いんですよぉ? だからぁ、きっとどこかで意識のズレを思い知る事になりますよぉ~」

「……」

「もうポーリィったら、ヒューストンさんを困らせる様な事言っちゃダメだよぉ。ヒューストンさんごめんなさい!」

「い、いえ、別にいいのよ」

「でも、今ポーリィが言った事はウソじゃないですよ! ここにいればそんなイヤな思いする事も無いから、どうしても帰りたいんだったら、暫くここにいて陸の上に慣れてからの方がリベは良いと思います! よ~く考えて決めて下さいね」

「――有難う、考えて見るわね……」

 

続いて進み出て来た二人は、イタリアからの二人とは真逆の威儀を正した様子だった。

ヒューストンよりも背が高いプラチナブロンドの女性が、踵をカツンと打ち鳴らしておいてから口を開く。

「ヒューストン殿、我々はドイツ海軍より参加している空母グラーフ・ツェッペリンと駆逐艦マックス・シュルツだ、以後お見知りおき願いたい」

「初めまして、よろしくお願いします」

「お見受けする限り、残念な事に我らの願いとヒューストン殿の思いは一致していない様だ。だが、我らには貴殿が必要なのだ――貴殿は以前の自分の事など与り知らぬと思われるだろうが、我らもまた貴殿に以前と同じように振舞ってくれなどと言う勝手な都合を押し付ける気など毛頭ない。一度喪った何かを、元通りに取り戻せるなどと言う甘い考えは持っていない積もりだからだ」

彼女の言葉が途切れると共に、傍らにいたマックス・シュルツが思わずと言った様子で喋り出す。

「そ、そうです! 我らは今眼の前にいるヒューストン殿を必要としているのです! 決して副長殿の追憶を徒に追い求めているのではありません! どうか――どうか、それだけは……」

何とかそこ迄言った彼女の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。

ハッと胸を衝かれて固まってしまったヒューストンの前で、グラーフ・ツェッペリンがそっと彼女の肩を抱く。

「良くぞ言った、マックス――我らの共通の思いを見事に代弁してくれたな――ヒューストン殿、どうか我らの願いを少しでも斟酌して頂ければ幸いだ」

「ええ――判りました」

 

二人が下がった後で進み出て来たのは、明らかに日本の艦娘と思われる二人だったが、やはり同じ国と思しき長い黒髪を湛えた女性は司令らしい男性の横に控えたままだ。

「ヒューストンさん、初めまして巡洋艦夕張と駆逐艦夕暮です――多分あたし達と一緒にいる事には、蟠りがおありなんでしょうね……」

「――そうね、残念だけど普通に接するのは難しいわ……」

そう応じると、夕暮と紹介されたもう一人の小柄な女性――少女なのか成人女性なのか一見判断の付きにくい容姿だ――が妙に丁寧な言葉遣いで話し掛けて来る。

「ヒューストンさん――初めましてと申し上げねばならないのが本当に残念です……私から一つだけお願いしておきたいのですが、お聞き入れ頂けますか?」

「ええ、どんな事かしら」

「アジア艦隊の旗艦でいらした折に、『輪廻』という言葉をお聞きになった事は御座いませんか?」

「――あるわ――生まれ変わりの様な概念だったと思うけど」

 

「有難うございます――私達艦娘も、形は違いますが言わばその輪廻の中に生きる身なのではないかと思っております。

幾度となく生まれ変わっては、新たな生を生きる――それは出会いの喜びと別れの哀しみを幾度となく繰り返す運命そのものなのかも知れません。

ですが――その生の全ては他ならぬ私達自身であり、決して他者のものでは無いのです。

――どうかヒューストンさんに於かれては、私達が忘れ難く抱き続けているヒューストン副長の辿られた生についても、ご自身の一部としてお考え下さいませんでしょうか――宜しくお願い致します……」

 

そう言って此方を見詰めたその瞳の奥に深い哀しみを見てしまい、どう返事をしていいものか判らなくなる。

 

「――ごめんなさい――何と言って良いのか判らないわ……」

 

「判らなくて当然よ! ――でも強いて言うとしたら、判らない内に結論を出さないでくれって言う事位かしらね」

突然横合いから件の黒髪の女性が声を掛けたのでそちらに向き直ると、司令と思しき男性が彼女を振り返って声を掛ける。

「飛鷹、君からは話す事は無いのか?」

「――別に無いわ――――貴方だって、これ以上お願いばかり畳み掛けられたって返事の仕様が無いでしょ?」

こちらを見ながらそう言う彼女は随分サバサバとした物言いだが、それ自体は不快に感じない。

「お気遣い有難う――今は本当にその通りの心境ね……」

「――と言う事よ! だから、後はあんたに任せるわね」

到底司令に対する口の利き方とは思えないが、この場にいる全員が何の反応も示さない辺り、これがどうやら普通らしい。

「済まない飛鷹、ちょっと手を貸してくれないか」

「もうっ! 無理しないで座ったままでいなさいよ本当に!」

そう言いつつも彼女はその男性を助けて立たせるとこちらを見るので、意を察したヒューストンもその前に進み出る。

 

「初めましてMiss Houston、私は第五特務艦隊司令を拝命している、日本国国防海軍の隅田だ。――今日はこの場に足を運んでくれた事に心から感謝したい――本当に有難う」

「い、いえ――」

「そして、私が今こうしてここにあるのも――そして隊が今全員の協力の下で復旧を目指していられるのも、全て貴方のお陰だ――感謝などと言う言葉で言い表せる事では無いが、改めてお礼を言わせて欲しい」

 

「――お言葉ですが、あたしには何とも……」

 

そう言い掛けたのだが、横から飛鷹が手箱を手にして進み出るとその蓋を開けて隅田に手渡す。

「有難う――――Miss Houston、これは日本国国防海軍からの特別賞詞とアメリカ海軍からの銀星章だ――実はこれ以外にも、日本国政府より貴方に旭日章を授与したいと考えているが、それは東京に足を運んで貰わねばならないのでまた後日とさせて欲しい――今この場では、どうかこれを受け取って頂きたい」

「申し訳ありませんが――これをお受けすることは出来ません――あたしがやった事ではありませんので……」

「貴方はそう言うのではないかと思っていた――だが、私達は貴方以外にこれを贈るべき誰かを知らない――どうか枉げて受け取って貰えないだろうか」

 

「――――判りました、一旦納めさせて頂きます」

 

ヒューストンがそれを受け取ると、辺りに不自然な沈黙が流れる。

 

(やっぱり――この辺ではっきり言うタイミング見たいね――言い難いけど、言うしか無いわよね……)

 

彼女達の気持ちは良く判ったし、一体自分が何を望まれているのかもそれなりに理解出来た積もりだが、どう考えてもそれに応じる気持ちにはなれない。

以前の自分は――その理由は未だによく理解出来無いが――この隊を護る為に我が身を擲った。

そんな過去の自分に対する信頼や尊敬は不快なものではないにしても、自身の事として受け止めるには余りにも遠過ぎる様に思えてならない。

やはり自分には無理だ――そう改めて確信すると、視線を上げて隅田と目を合わせる。

 

「Miss Houston――隊の司令として、貴方に改めてお願いしたい。再びこの隊の副長として、復職する事を了解して貰えないだろうか? 私を含めた隊の全員がそれを望んでいる」

 

「隅田司令――それに皆さんのご意思は判りましたが――」

 

拒み掛けたその刹那、隅田の瞳の奥に何かがあるのに気付く。

何故かは判らないものの、彼はそれを表に出すまいとして懸命に抑え付けているらしい。

 

(何なの……?)

 

残念ながら、この世に出現したばかりの彼女にとって、その何かを正しく理解する事は出来無かった。

がしかし、それが自分自身と隅田の間に存在する特別な何からしいと直観する。

 

(どう言う事――? これが――――ひょっとしてこの何かが――――以前のあたしの……)

 

何の前触れもなく、胸の奥に不可思議な感情が湧き上がって来る。

 

 

「――ヒューストン――――貴方…………」

 

飛鷹が声を上げた事で、初めて自身の異変に気付く。

 

「――嫌だ――――あたしったら一体…………」

 

全く理由は判らないのだが、不意に目頭が熱くなり、瞳から涙が溢れて頬を伝って行く。

 

「ヒューストンさん――これを……」

傍らからデ・ロイテルが近付いて来て、チーフを差し出してくれる。

 

「あ、有難う――」

 

そう言って涙を拭いつつ顔を上げると、隅田の瞳からも涙が零れ落ちていた。

 

 

「どうして……? 何故、あたしが――――それに、貴方まで――」

 

 

「――済まない――

 この様な時に、個人的な感情に駆られてしまうなど――本当に申し訳ない…………」

 

「――い、いえ、そんな事は…………」

 

 

また沈黙が流れたその後で、飛鷹がまるで古い友人に対する様に語り掛ける。

 

「ねぇ、ヒューストン――あたしからも改めてお願いするわ――この些細な個人的感情ってヤツについて、考えを整理する間だけでも構わないから――ここに残ってくれないかしら?」

 

 

「――――ええ――そうね…………

 何故だかさっぱり判らないけれど……そうして見るわ…………」

 

ヒューストンさん!

 

何人かの少女達が、一斉にそう叫んで抱き付いて来る。

 

 

(そうね――――少しだけ――――少し位なら――――良いわよね…………)

 

 




「冷たい女」はこれで一先ず完結します。
長らくお付き合い有難うございました。
もし良ければ、感想などを書き込んで下さればたいへん喜びますので、どうぞよろしくお願いします。
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