冷たい女   作:Y.E.H

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第2章・第3節

 隊のあるここグアム島の近海は、水温の上がる季節になるとしばしばハリケーンが発生する地域である。

アジア艦隊の旗艦であったヒューストンに取っては旧聞に属する事柄だったが、長い年月が経過したが為に知識を修正せねばならない事もあった。

通常この地域で発生したハリケーンは徐々に発達しながら北上して行く筈だったが、近頃では温暖化とやらの影響で北上せずに迷走したり、急激に発達する様なことも起きるらしい。

 

「でも、日本ではハリケーンでは無く台風と呼んでおりましてよ?」

「へえぇ、何だかタイフーンに似てるわねぇ」

「そうですわね、ひょっとしたらどちらかが語源かも知れませんわ」

夕暮は一風変わった娘で、やたらに丁寧な言葉遣いで会話をする。

見た目は各国の駆逐艦達の中でも一番大人びており、身長こそ低いものの成人女性顔負けの見事なスタイルをしていた。

こうしてジェイナスと喋っていると、少女と小柄な大人の女性の様に見える。

「あら、ヒューストン副長ではいらっしゃいませんか、お声の一つも掛けて下されば宜しいのに♪」

そう言った彼女は急にジェイとの会話に興味を失なったらしく、何処かしら艶めいた仕草でスルスルと近付いて来る。

「わざわざ副長自ら危険箇所のご確認ですか? そんな事は私達にお任せ頂ければよろしいんですのよ? もっとも――」

ここで言葉を切った彼女は、媚態も露な上目遣いで見詰めながら身体を擦り寄せて来た。

「――私はその方が嬉しいのですけれど♪」

 

(ダメだわ――この娘だけは本当にガチなのよね……)

 

彼女はその見た目通りに、他の駆逐艦達よりもずっと恋愛に対して積極的である。

それだけならともかく、その積極性の対象が異性では無く同性なのが厄介だった。

もちろんの事相手が誰でも良い訳では無い様で、彼女と同格の駆逐艦には全く興味が湧かないらしい。

「やはり、包容力のある成熟した女性に惹かれますわ」

ジョンやジェイの様な駆逐艦達が集まって理想の恋愛話に花が咲いた折り、彼女はそう口にしたそうである。

まあ事も無げにそう言って退けた時点で、違う意味で引かれてしまった訳だが。

「きょ、今日はグラーフと一緒じゃ無いのね?」

「まぁ! どうしてそんなつれない事を仰るんですの? そこ迄私が目障りでして?」

そこはかと無く怨を帯びた切な気な眼差しで見上げられると、どうしても強くは拒めなくなってしまう。

夕暮の好みのタイプはどうやらブロンドのグラマーな女性らしく、ヒューストンやガンビア・ベイ、グラーフが大のお気に入りである。

パースにも随分ご執心だったのだが、真面目な彼女は夕暮のアプローチを強く撥ね付けたので、それ以来対象から外れたらしい。

 

(あたしもそうしておけば良かったかしらね……)

 

そう思わないでも無いのだが、彼女は無神経な訳ではなくこちらの反応を窺っては巧みに合わせて来るので、どうも強い態度に出辛いのだ。

「確かにグラーフさんはとても魅力的な方ですわ、でも――副長の様に思い遣りがあって深い洞察力を兼ね備えた方にも惹かれて仕舞いますの……」

言いながら弱いしなをつくって身体を預けて来る彼女は、相手が男性であればいとも容易く誘惑出来るだろうに。

「と、取り敢えずこちらは異常が無さそうね、ジェイ?」

最前から半ば呆れた様子でこちらを見ているジェイナスに向かって声を掛けると、苦笑いしながらもきちんと応答してくれる。

「ハーイ! 目視の範囲では異常なしでぇす」

「間違いございませんわ、こちらの箇所は少々の暴風雨や荒波に曝されましても十分に耐え忍ぶ事でしょう」

一応夕暮も口を揃えて報告してくれたので、この場を早々に切り上げる事にした。

「それじゃ二人共、残りの点検箇所も頼んだわね」

そう言って背を向け様としたのだが、左腕が柔らかい感触に包み込まれる。

「岸壁や建屋は大丈夫かも知れませんわ、でも――私のこの小さな胸は不安で張り裂けそうですの……」

艶を帯びたその眼差しで如何にも心細げに見詰められたら大抵の男は陥落してしまうのかも知れないが、幸いな事にヒューストンは自分が女であることを改めて自覚しただけであった。

「そ、そう? でもきっと大丈夫よ! 宿舎で仲間と一緒に肩を寄せ合ってたら、その内ハリケーンも通り過ぎて行くから♪」

大袈裟な迄に愛想良くそう言い切ると、縋り付くその腕を出来るだけそっと(しかし素早く)振り解く。

「ジェイ! 夕暮だけじゃなくて他にも不安に思う娘がいるかも知れないから、皆で協力して乗り切ってね♪」

にこやかにそう言い切ったのだが、ジェイナスはあからさまに不服そうな顔だ。

「――はぁ~~い……」

 

押し付けられたと言わんばかりの彼女の視線に少々罪悪感を覚えるが、夕暮にとって駆逐艦達は恋愛対象では無いのだからと己に言い聞かせつつその場を退散する。

 

(全く――どうしてグラーフはあんなに平気なのかしら?)

 

自分とガンビィは彼女が苦手で仕様が無いのに、グラーフはどれだけ纏わり付かれても全く意に介さないのだ。

ただ、だからと言って愛想良くしている訳でも無く、どちらかと言うと彼女のマイペースを全く崩していないだけにも見える。

そんな様子であっても当の夕暮自身が至って嬉しそうなので、彼女の傍にいてくれるのが平和で良いのだが。

何様ヒューストンですら彼女を振り解くのは一苦労だと言うのに、気の弱いガンビア・ベイに取っては天災にも等しい存在だった。

前に言った通り夕暮は無神経だったり性格が悪かったりする訳では無いのだが、上手に逃げ出したりはっきり拒否したり出来ないガンビィに対してはどうも暴走してしまうらしい。

大抵の場合誰かが助けに入るのだが、間の悪い時にはそうも行かず、物理的に逃げるしか無くなってしまう。

先月にもそう言う場面が発生してしまい、彼女のセクハラに耐え切れなくなったガンビィが泣きながら逃げ出す騒ぎになった。

この折りはさすがに隅田が夕暮を呼び出して厳しく説諭し、その後で飛鷹と夕張に伴われてガンビィに詫びを入れたのだった。

 

(あの時はあんなに神妙だったのに……現金なもんだわ)

 

そんな事をつらつら思い返しつつ専用スーツから通常の軍装に着替えて司令室迄戻って来たのだが、どうした事か隅田は不在で、米国から一緒に着任した副長代行士官が留守番をしていた。

「あら、司令はどう為さったの?」

「先程巡視に出られました」

「いや、巡視って――司令ご自身がわざわざ?」

「ええ、補給廠の遮水壁の一部が破損仕掛かっているとかで、急遽お出に――」

「って、あそこは陸からは簡単には近付け無いところでしょ? 司令はそれをご存知なの?」

「はい、ですので司令は汎用多用途艇の用意を命じて出られました」

「そんなに普通に言われたら、あたしがどうかしてるのかと思っちゃうわ? これから荒れるのが判ってるのにどうして止めてくれないのよ!」

「ですが――」

彼は何事か言い繕う積もりだったのだろうが、ヒューストンは既にそれを聞いていなかった。

 

(本当に司令ったら!)

 

誰に対しても決して偉振る事をせず、素早く判断し果断に実行するのは間違い無く彼の美点であるが、この場合はそれが悪い方に出てしまっている。

仮にもこの隊を預かる重要な立場にある以上、軽々しく動き回って我が身を危険に晒す様な事は慎んで貰わねばならない。

 

(とにかく、直に止めに行くのが一番早いわ)

 

かと言って、今から再度専用のスーツに着替えていては時間が掛かり過ぎる。

取り敢えずブーツにだけ履き替えておいてプロテクタージャケットを引っ掛けて廊下に出ると、点検から戻って来たらしいデ・ロイテルと鉢合わせする。

「どうしたんですかぁ、まさかこれから出るの?」

「丁度良いわ、付いて来てロイ!」

「でも、もう降り出してますし波も高くなって来てますよ?」

彼女の後ろからパースが心配そうに口を挟む。

「だから行かなきゃいけないの! 急がないといけないから後で説明するわ」

そう言って先に立って歩くとロイは素直に従ってくれるが、パースはそのまま奥へと下がって行く。

突き当たりのドアを勢いに任せて引き開けると、風に煽られた雨粒が頬を叩く。

目の前の海は青黒く沸き立ち、波頭が白くなり始めている。

「ほらぁ、もう結構ヤバいですよ? 本当に行くんですか?」

「こんな海に多用途艇で出ていった人がいるのよ」

「えっ、誰ですか?」

「ひょっとして――司令ですか?」

背後から声を掛けたのは、行ってしまったと思ったパースだった。

振り返ると、彼女は二人分のレインコートと荒天用のゴーグルを手にしていた。

「有難うパースちゃん、本当に困った人なのよ♪」

受け取ったコートに袖を通しながらそう言うと、先程とは打って変わって楽しそうな顔をしたロイが口を挟む。

「ですよねぇ~わかるわかるぅ~♪ やっぱりヒューストンさんが傍にいなきゃダメですよねぇ」

「ええそうよ、これはあたしの役目なの、さあ行くわよ!」

「はぁ~~い♪」

思わず気が抜ける位に良い返事で応じる彼女を従えて再びドアを開ける。

生ぬるく湿った風がゴウッと吹き込み、レインコートの裾をはためかせる。

「気を付けて下さいねヒューストンさん、何かあるといけませんから、私このまま待機してます」

自分を思い遣ってくれるパースの言葉が、何とも言えず心地好い。

「大丈夫に決まってるでしょ! あたしが付いてるんだから♪」

したり顔でそう言って退けるデ・ロイテルに向かって、彼女は例によって困った様に眉を寄せて応じる。

「貴方の方が余程心配なんだから……ヒューストンさんの事頼むわよ――ロイ」

「ああっ! パーシィが初めてロイって言ってくれたぁ♪ やぁーん嬉しい、パーシィちゅきちゅきぃ」

そう言いながら彼女に抱き付いてキッスを浴びせるロイに対して軽い殺意が湧いて来る。

「ちょっとロイ、一体誰に断ってパースちゃんにキスとかしてる訳⁉」

「キャー~ヤッバイ~い、ヒューストンさんたら怖~い♪ それに司令もパーシィも両方だなんてとっても欲張りさぁーん♪」

「余計なお世話よ! パースちゃん、ロイに何かされたら直ぐあたしに言うのよ、判った⁉」

「はい、お願いします」

「二人共非っ道ぉ~い、あたし何だかやる気無くなっちゃった感じぃ~」

「もう――冗談に決まってるじゃない、頼りにしてるわよ♪」

「そうよ、ヒューストンさんの事助けてあげてね」

「ん~まぁそーゆー事なら仕方無いかぁ♪ じゃあ行きますか副長殿!」

「有難うロイ、それじゃあたしに付いて来て!」

そう一声掛けておいて岸壁に進み出ると、思い切り良くサッと海面に降り立つ。

 

(待ってなさいよ司令、今日はちょっと叱っちゃうんだから!)

 

そんな風に己を叱咤しなければ不安に感じる程海は荒れ始めていた。

大きなうねりが身体を突き上げたかと思うと、次の瞬間には足下が消失したかの様に波の谷間に突き落とされる。

「いやぁーん、これヤッバ~い♪ エフテリングにもこんなのは無いですよぉ」

絶叫マシンが大好きだと言っていたロイはすっかり面白がっているが、無論のことヒューストンは気が気でない。

「多用途艇、応答願います。こちら副長のヒューストンです、応答願います!」

無駄とは思いつつインカムに呼び掛けるが、耳障りな雑音が返って来るだけだ。

どちらにせよ本気を出せば10分もあれば着ける距離なので、余計な事は考えずに補給廠へ急いだ方が良い。

肚を括って速度を上げると、波頭から身体が宙に浮く。

波の腹に着水してしまうとうねりの圧力で跳ね返されそうになり、激しい衝撃で膝が軋む様な感覚を覚える。

上手く波頭から波頭へと飛び移って行かなければ思う様に速度が出せない。

辺りは薄暗い上に雨と波飛沫で白濁した様になっており、ゴーグルが無ければ目を開けていられなかっただろう。

それでも視界の彼方に何とか見慣れた砂州と岬が見えて来たので、再度インカムに向かって呼び掛ける。

「こちらヒューストン、多用途艇応答してください! 聞こえますか司令! 応答してください!」

逸る気持ちを抑えてゆっくり目に呼び掛けると、聞き取り辛いものの今度は何とか応答がある。

「――ちらたよ――です――だい――れいのし――と、しゃ――きの――けんを――ちゅうで――」

「多用途艇、今すぐ引き返してあたしとランデブーするか、ポラリスポイントに一時待避するかどちらかにして! 今すぐよ!」

「――かし、しれ――ごしじ――くにんが――るまで――せよと……」

「今はあたしの指示を優先しなさい! 司令にはあたしが説明するから!」

「それで――しおま――さい」

 

無線が沈黙したその間に二人は補給敞のある湾の入り口を形作っている岬に辿り着き、湾内に向かって岬を廻り込むが、時折不意に打ち寄せる三角波に翻弄されて速度を落とさざるを得ない。

その時、先程よりも一段とはっきりした声がインカムから響いて来る。

「ヒューストン、ひょっとしてわざわざ来てくれたのか? 危険なので直ぐに戻って欲しい」

「それはあたしの台詞です司令! こんな荒天に船を出されるなんて非常識ですわ⁉ 今すぐあたしと一緒に帰還なさって下さい!」

「――申し訳ない、君の言う通りだ。遮水壁の破損を目視で確認するだけにして引き揚げよう」

「またそんな事を仰って! 駄目です、今すぐそこを離れてこちらへ向かって下さい! 何かあったらどうなさるお積もりですか⁉」

「目視確認だけなら直ぐに終えることが出来る、頼むからほんの少し待って欲しい」

それだけ言って隅田は無線を切ってしまう。

「そんな余裕ありません! 司令⁉」

叫ぶ様に引き留めたのだが、応答は無くなっていた。

「ウフフ、きっと司令はぁ、ヒューストンさんに連れ戻しに来て欲しいんですよぉ♪」

「何言ってるのよ! 例え断られたって首根っこ掴んで連れ戻してやるんだから!」

勢いに任せてそう言い放つと、外海よりは幾らかうねりの小さい湾内に入る。

目指す補給廠はもう目と鼻の先だった。

 

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