腹減り少女はSEED世界で爆発少女にレベルアップする 作:サボテンダーイオウ
今年最後の更新となります。
また来年も楽しんでいただけたらと思います。皆様、よいお年をお過ごしください。
キラに付き添われて自室へ戻ったラクスは、扉が閉まる音を聞いた瞬間、糸が切れたようにベッドへ倒れ込んだ。
ふわりと舞い上がったシーツが、彼女の体を包むように沈む。肩が小さく震え、指先が布をぎゅっと掴む。
「薬とかいる?」
キラがそっと近づき、ラクスの背中に手を伸ばしかけて止める。触れていいのか迷っているのがわかる。
「……いいえ……」
ラクスは枕に顔を半分埋めたまま、かすれた声を絞り出した。
腕で目元を覆い、深く息を吐く。その吐息が震えている。
精神的に参っているのは明らかだった。
アコードの言葉が、何度も脳裏に蘇る。
胸の奥がじくじくと痛む。
張り詰めていた心が、今まさに崩れ落ちようとしていた。
「疲れが出たんだね。少し、休んで。ね?」
キラはベッドの端に腰を下ろし、ラクスの肩にそっと触れた。
ラクスはその手に反応するように、わずかに身を縮める。頷くのが精一杯だった。
普段は衝突ばかりのキラだが、こういう時だけは妙に優しい。
それがまた腹立たしくて、でも救われる。
ラクスは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
あちらの世界では熟睡できることが少なく、アマキの前では気丈に振る舞っていたが、限界はとうに来ていた。
天井の模様。
軋むベッドの音。
肌に馴染むタオルケット。
写真立てに並ぶ、アマキとキラと自分の笑顔。
どれも、ラクスの“帰る場所”だった。
だからこそ、ここでは安心して眠れる。
ラクスはゆっくりとまぶたを閉じた。
◇◇◇
コンコン、と控えめなノックが響く。
ラクスはびくりと肩を震わせ、目を開けた。
「……起きてる?…」
その声を聞いた瞬間、胸が跳ねる。
(アマキ様……!)
「………ありゃ、まだ寝てたか…」
ラクスは反射的に目を閉じ、狸寝入りをしてしまった。
心臓がうるさいほど鳴っている。
アマキは静かに部屋へ入り、ドアをそっと閉めた。
足音を忍ばせながらベッドへ近づく。
ベッド脇に腰を下ろすと、スプリングが軋み、ラクスの体がわずかに揺れた。
シングルベッドゆえに距離が近い。
アマキの体温が伝わってくるほどだ。
ラクスの胸が、跳ねる。
息を止める。
「………」
アマキの手がそっと伸び、ラクスの髪に触れた。
指先が優しく髪を梳く。
その動きは驚くほど丁寧で、慈しむようだった。
どれほど撫でられていただろう。
ラクスは目を閉じたまま、震えを抑えるのに必死だった。
やがてアマキが、小さく呟く。
「………ラクスはさ」
ラクスの指先がぴくりと動く。
「ラクスのまんまでいいんだよ」
その言葉が、胸の奥に深く刺さった。
(わたくしのまま……?)
アマキの声は続く。
ラクスの髪を撫でる手は止まらない。
「私が知ってるラクスは、人一倍頑張り屋さんで、頼られたら嫌とは言わない真面目で……」
アマキは、ラクスの“素顔”を一つずつ拾い上げていく。
そのたびにラクスの胸が熱くなり、喉が詰まる。
「……可愛くて、大切な子はあなただけなんだ」
ラクスは唇を噛み、肩を震わせた。
涙がこぼれそうになるのを必死に堪える。
(もう……やめて……)
心が決壊してしまう。
嬉しさで、全部あふれてしまう。
アマキはラクスの震えに気づいていた。
それでも言葉を続ける。
「一人で悩まないで。一緒に考えよう。これからのこと。私とキラが必ずラクスを守るから」
ラクスの胸が、ついに限界を迎えた。
「……っ……!」
ラクスは勢いよく体を起こし、アマキに飛び込んだ。
アマキは驚きながらも受け止めるが、勢いに負けて二人ともベッドから転げ落ちる。
「わっ——痛っ!」
アマキの後頭部が床にぶつかり、涙が滲む。
ラクスはアマキの胸に顔を埋め、堰を切ったように泣き出した。
「……う、…っ……」
アマキは苦笑しながらラクスの頭をぽんぽんと撫でる。
「嬉しい……嬉しいのです……!」
ラクスは涙でぐしゃぐしゃになりながら、必死に言葉を紡ぐ。
「わたくしは……貴方が……ラクスのままでいい、と……言ってくれるから……!」
アマキは優しく頷いた。
ラクスはアマキの胸に顔を埋めたまま、震える指でアマキの服をぎゅっと掴んだ。
涙がぽたぽたと落ち、アマキの服に小さな染みを作っていく。
呼吸は乱れ、肩が上下し、声にならない嗚咽が喉の奥で震えていた。
「……う、…っ……」
アマキはそんなラクスを抱きしめ返し、背中をゆっくり撫でた。
手のひらがラクスの肩甲骨をなぞるたび、ラクスの体がびくりと震える。
「ラクス」
アマキは優しく呼びかけ、ラクスの頭にぽんと手を置いた。
ラクスは鼻をすんすん鳴らしながら、涙で濡れた顔を上げる。
その瞳は赤く腫れ、涙の粒がまつ毛に残っていた。
「嬉しい……嬉しいのです……!わたくしは……貴方が……ラクスのままでいい、と……言ってくれるから……!」
アマキはその言葉を受け止めるように、ラクスの頬に手を添えた。
親指でそっと涙を拭う。
ラクスはその指先に触れた瞬間、また胸が熱くなる。
「うん」
アマキの声は低く、優しく、揺るぎなかった。
ラクスは震える手でアマキの服を掴み直し、縋るように見上げる。
その瞳には、恐れと期待と、どうしようもない想いが混ざっていた。
「わたくしは……アコードから『逃げてもいい』のでしょうか?」
アマキはラクスの両肩に手を置き、まっすぐに見つめ返した。
その瞳には迷いがなかった。
「誰かが駄目だと言っても、私が殴ってボコって気絶させて屈服させて認めさせてやる。
ラクスは逃げてもいいんだ」
ラクスの目が大きく見開かれる。
その瞬間、アマキの手がラクスの肩をぎゅっと強く握った。
その温度が、ラクスの胸に深く染み込む。
「ラクス。逃げて、逃げて、それでも追いかけてくるなら共に立ち向かおう。私は君を守るよ。アコードの対とやらも。君が望まないなら退けるよ。……もちろん、穏便に済むなら話し合いで、ね」
アマキは片目をつむり、軽くウインクした。
ラクスの胸がまた跳ねる。
「……ほんとうに?」
ラクスはか細い声で尋ね、アマキの袖を掴んだまま離さない。
その指先は震えていた。
「約束するよ」
アマキがそう言うと、ラクスは息を呑んだ。
そして、意を決したように問いかける。
「それは、義務、からですか……?」
アマキは一瞬だけ目を瞬かせた。
ラクスの問いは真剣そのものだった。
「義務……じゃないよ」
「では、責任感、からですか?」
ラクスはアマキの服を掴む手に力を込める。
その瞳は揺れていた。
アマキは困ったように眉を下げ、ラクスの手にそっと触れた。
「……ラクス……」
ラクスはさらに身を寄せ、逃がすまいとアマキの服を引き寄せた。
その必死さに、アマキは観念したように息を吐く。
「そうだね」
アマキはラクスの手を包み込み、ゆっくりと呼吸を整えた。
ラクスはその動きを見逃すまいと、じっと見つめる。
「……認めるよ。私は、ラクスが好きだ」
ラクスの胸が大きく跳ねた。
呼吸が止まる。
指先が震える。
だが、まだ信じきれない。
「それは……どういう“好き”ですか?」
ラクスは震える声で問い、アマキの胸元を掴んだまま離さない。
その瞳は涙で潤みながらも、真剣だった。
アマキは苦笑し、ラクスの頬に手を添えた。
「……女の子にこんなに真剣に迫られるなんて、初めてだよ」
ラクスはむっとして睨む。
アマキはその頬を指でなぞり、宥めるように微笑む。
「茶化してないよ」
アマキの指がラクスの顎先をそっと掴む。
親指が唇をなぞり、ラクスの呼吸が震える。
「ラクスが初めてだよ。こんなに目が離せなくて、心が揺れて、守りたいって思った女の子は——君だけだ」
ラクスの瞳が揺れ、頬が赤く染まる。
アマキの顔がゆっくりと近づく。
ラクスは自然と瞼を閉じた。
距離が、あと数センチ。そして——
【その先は、二人だけの秘密】
ラクスはアマキの胸元からそっと身を離し、照れくさそうに目元を指で押さえた。
「……泣きすぎて、目が腫れてしまいましたわ」
アマキはラクスの顔を覗き込み、柔らかく微笑む。
「腫れてても、綺麗だよ。ラクスは」
ラクスは頬を染め、アマキの肩にそっと頭を預けた。
二人の呼吸が静かに重なる。
「……アコードの“対”が、動き出すかもしれません」
「うん。私も、そう思う」
ラクスは胸に手を当て、深く息を吸った。
「わたくしは……逃げることを選びました。でも、逃げるだけではいけないとも思っております」
アマキはラクスの手を包み込む。
「逃げることは、立ち止まることじゃない。準備する時間だよ。私たちで、選び直そう。ラクスの未来を」
ラクスは静かに頷いた。
「……ならば、わたくしは、歌います。誰かのためではなく、わたくし自身のために。この心が震える限り、歌を紡ぎ続けます」
「それが、ラクスの戦い方なんだね」
「はい。わたくしのままで、戦います」
窓の外が白み始め、朝の光がカーテンの隙間から差し込んだ。
新しい選択の朝が、静かに訪れようとしていた。
◇◇◇
キラは、薄々こうなる気がしていた。
自室の椅子に腰を下ろし、背もたれに体重を預けると、深いため息が漏れた。
「……仕方ないよな」
天井を見上げ、指先でこめかみを押さえる。
アマキのことになると、ラクスも自分も、どうしてこうも不器用なのか。
その時——コン、コン、と控えめなノック。
キラは一瞬だけ目を閉じ、覚悟を決めるように息を吸った。
立ち上がり、ドアノブに手をかける。
金属の冷たさが指先に伝わる。
ゆっくりとドアを開けると——
そこには、手を繋いだアマキとラクスが立っていた。
二人とも、どこか緊張した面持ち。
ラクスは指を絡めるようにアマキの手を握り、アマキはその手を包むように握り返している。
キラは言葉を失った。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
「……来たね」
ようやく絞り出した声は、少し掠れていた。
アマキはいつものように柔らかく笑っていたが、ラクスの瞳は真っ直ぐキラを見据えていた。
その視線には、覚悟が宿っている。
「話があります」
ラクスの声は震えていない。
それが、キラの胸をさらに締め付けた。
「……入って」
キラは二人を部屋に招き入れ、ドアを静かに閉めた。
閉まる音が、やけに重く響く。
三人は向かい合って座った。
アマキとラクスは手を繋いだまま。
キラはその手元に視線を落とし、ゆっくりと息を吐いた。
「……予想はしてたよ。アマキが、ラクスを選ぶって」
アマキは眉を下げ、キラの言葉を受け止めるように頷いた。
「選んだっていうより……気づいたんだ。私にとって、ラクスがどれだけ大切かって」
「……そっか」
キラは視線を落とし、膝の上で手を握りしめた。
その指先がわずかに震えている。
「そんな予感はしてたんだ」
ぽつりと呟く声は、どこか寂しげだった。
アマキはそっと身を乗り出し、キラの手に触れようとしたが、途中で止めた。
触れていいのか迷っている。
「…うん。…でも、私は二人ともが好きなんだ」
ラクスもキラも、息を呑んだ。
アマキの声は震えていない。その分、重かった。
「どちらかを選ぶことが、どうしてもできない。ラクスには放っておけない無茶ぶりなところもあるし、キラには揺るがない信念と、つたない私を支えてくれる優しさがある。どちらも、私にとっては欠けてはならない存在なんだ」
ラクスは静かに目を伏せ、キラはアマキをじっと見つめた。
「……それって、ずるくない?」
キラの声は低く、しかし怒ってはいなかった。
ただ、正直な気持ちをぶつけただけ。
「ずるいよ。すごく。でも、正直に言うしかなかった」
アマキはキラの目をまっすぐ見返した。
その瞳に嘘はなかった。
キラはため息をつき、ラクスの方へ視線を向ける。
ラクスはゆっくりとキラに視線を返した。
「……わたくしは、嬉しいですわ。キラとも、好きな人が共にあるということが。今この瞬間も」
「えっ」
キラは目を丸くした。ラクスはアマキの手を握り直し、微笑んだ。
「キラも、わたくしも、アマキ様を愛している。ならば、争うよりも、共に在る道を選びたい。それが、わたくしの答えです」
キラはしばらく言葉を失い、視線を彷徨わせた。やがて、ゆっくりと息を吐き、ラクスを見つめ返す。
「……僕も、ラクスがそう言うなら……受け入れるよ。でも、嫉妬はするから。覚悟しといて、アマキ」
アマキは苦笑しながら頷いた。
「うん。覚悟してる」
三人はそっと手を重ねた。
その瞬間、空気が柔らかく変わった。
恋愛の形を超えた、絆の誓いだった。
風呂上がり。
アマキはタオルを頭に巻いたまま、脱衣所の鏡の前で腕を組んでいた。
鏡の中の自分が、妙に疲れて見える。
「……無理じゃない?よく考えたら無理じゃない?」
タオルの端がぴょこっと跳ね、まるで悩みのアンテナのように揺れる。
「二人と同時に付き合うって、そんな器用なことできる人間、いる?いや、いや、私は人間なのか?……いや、一応人間だ。中身はちょっと特殊だけど」
鏡の前でうろうろ歩き回り、タオルを直し、またため息。
足元ではルルがぴょんぴょん跳ねているが、アマキは気づいていない。
「ラクスは繊細……いや、豪胆か?キラは誠実で……どっちも好きで……でも、どっちかに“今日はこっち優先”とか言ったら、もう片方が“えっ”ってなるでしょ?それって、もう恋愛じゃなくてスケジュール管理じゃない?これは尻軽ということなのか?」
その時——背後から、そっと声がした。
「……アマキ?」
「うわっ!?ラクス!?いつからいたの!?」
アマキは跳ねるように振り返り、タオルがずり落ちそうになるのを慌てて押さえた。
ラクスは脱衣所の入り口に立ち、くすくすと笑っていた。
頬がほんのり赤い。
どうやら風呂上がりらしく、髪がしっとりと濡れている。
「最初からですわ。鏡に向かって“二人と同時に付き合うって”と言っているところから、ずっと」
「……恥ずかしっ!」
アマキは顔を覆い、しゃがみ込む。
ラクスはその隣にそっと腰を下ろし、アマキの濡れた髪をタオルで拭き始めた。
「声かけた?」
「勿論ですわ。二回ほど」
「近いんですけど……!」
ラクスはさらに距離を詰め、アマキの頬に髪が触れるほど近づく。
「わたくしは、アマキ様が悩んでくださることが嬉しいのです。それだけ真剣に向き合ってくださっているということですから」
アマキはタオルを握りしめ、顔を真っ赤にする。
「でもさぁ……私、どっちかに“今日はラクスと手を繋ぐ日”とか決めたら、キラが“僕は?”ってなるじゃん。それって、恋愛じゃなくて交代制勤務じゃない?」
ラクスは微笑みながらアマキの髪を丁寧に拭き続ける。
「……それはそれで、面白いかもしれませんわ」
「ラクス、笑ってるけど、これ結構深刻なんだよ!?」
その時——さらに後ろから声がした。
「交代制勤務って言われると、なんか僕、シフト表作りたくなるんだけど」
「キラ!?いつからいたの!?ていうか覗き魔か!風呂上がりに来るなって言ってないけど来るな!!」
アマキは反射的にルルを掴み、
「ごめんね!」
と一言添えてから、キラに向かって豪快に投げつけた。
「いたっ!」
キラが顔を押さえた瞬間——ラクスが指を鳴らす。
「お行きなさいっ!」
どこからともなく大量のハロが転がり出てきた。
「ハロハロハロハロ!!」
ピンク、青、黄色、緑。
カラフルな球体が跳ね、回転し、キラに向かって突撃する。
「ちょっ!ラクス!!」
キラはタオルで防御するが、ハロたちは跳ね返って再突撃。まるで怒れる豆粒の暴動。
「まだまだアマキの柔肌は見せませんわ!」
「酷いっ!!」
「早く出てけー!!」
アマキの怒号が脱衣所に響き渡った。
◇◇◇
その後、仲間たちに
「キラとラクス、両方と付き合うことになった」と報告すると——
「ようやくか」
「遅すぎ」
「ていうか、どうやって回すのその関係」
呆れとツッコミの嵐が巻き起こった。
アマキは頭を抱えながらも、どこか誇らしげだった。
◇◇◇
アマキは、キラに対して誠実でなければならないと考えていた。
ラクスの気持ちを受け入れた以上、“仮の交際”のまま曖昧にしておくのは、どうしても違う。
(……キラにも、ちゃんと伝えなきゃ)
その思いは、日を追うごとに強くなっていった。
胸の奥で、何度も何度も同じ言葉が響く。
——直接、届けたい。
ラクスの気持ちを受け止めた時、アマキは同時に気づいてしまった。
キラの存在が、自分の中でどれほど大きいかということに。
(キラにも……ちゃんと“好き”を伝えたい)
そう思った瞬間、アマキの中で迷いは消えた。
(ラクスにも……協力してもらおう)
アマキはラクスの部屋を訪ね、事情を話した。
ラクスは驚くどころか、ふわりと微笑んだ。
「もちろんですわ、アマキ。遅いくらいですわよ。キラにも、ちゃんと貴方の気持ちを伝えて差し上げてくださいませ」
その笑顔は、嫉妬ではなく、二人を信じている者の微笑みだった。アマキは胸が熱くなった。
(ラクス……ありがとう)
こうして、アマキはキラを砂浜へ呼び出す準備を整えた。夕陽が沈む時間を選んだのは、ラクスの提案だった。
「キラは夕暮れが好きですもの。きっと、心が開きやすくなりますわ」
アマキは頷き、胸に手を当てた。
(よし……行こう)
キラに誠実であるために。
三人の関係を、本当の意味で“始める”ために。
アマキは砂浜へ向かった。
◇◇◇
ラクスはにこやかに、
「夕食の準備も進んでおりますし、ちょうどいいからアマキを呼んできてくださいますか?」
と軽く言ったが、キラの胸には妙なざわつきが残った。
夕暮れの時間帯。空はオレンジ色に染まり、海風が屋敷の庭を抜けていく。
キラはあたりを見渡しながら外へ出た。
(アマキ……どこ行ったんだろう)
大体お腹が空くころにはキッチンへ現れているはずなのに、今日は珍しい日だ。
砂浜へ向かうと、波の音が近づくにつれ、胸の鼓動が少しずつ早くなる。そして——視界に入った。
夕陽に照らされ、砂浜に一人佇むアマキの後ろ姿。
風に髪が揺れ、影が長く伸びている。
その姿は、まるで絵画の一部のように美しかった。
キラは思わず足を止めた。
(……綺麗だ)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。アマキは何かを決意したように、拳を握りしめていた。
キラはゆっくりと歩き出し、声をかけた。
「アマキ……?」
アマキが振り返る。
その顔は、どこか覚悟を決めたような、でも少しだけ不安を含んだ笑顔だった。キラの胸が跳ねる。
(……なんだよ、その顔)
夕陽がアマキの髪を照らし、瞳をきらめかせる。キラは息を呑んだ。
「来てくれたんだ」
「探したよ。だってもうすぐ夕食だし、おなか空くと動けなくなるじゃない。だからね」
「フフ、キラは私のことよく見ててくれるね」
「まぁ、長い付き合いだし」
「そうだね。長いね」
「アマキ?」
アマキは一度、深く息を吸った。
「……私ね、ちゃんとキラに言わなきゃって思ってた。でも私は愛に臆病で、怖がりで、目をそらし続けてた。
でもそれじゃあ前に進めないってわかってる。だから」
アマキは胸に手を当てた。
「だから——」
ぐぅぅ。
「………」
「………」
アマキのお腹が鳴った。
意図的ではない。もうすぐ夕食だから自然な反応だ。だが間が悪い。
アマキは真っ赤になって、必死にキラへ謝った。
「ごめん。やり直させて」
「う、うん」
ふぅ、と深呼吸をして気合を入れ直す。そしてキラの顔をまっすぐ見つめ、意を決したように口を開いた。
「キラに言いたいことがある」
「私から渡せるものなんて私自身しかない!だから——!」
アマキは勢いよく胸に手を当て、夕陽に照らされた砂浜の真ん中で、全身を使って叫んだ。
風が髪を揺らし、波が足元をさらい、空はオレンジ色に染まっている。
「キラ! 私を——君の傍にいさせてほしい!!」
その言葉は、海の向こうまで届きそうなほど真っ直ぐだった。キラは呆然と立ち尽くし、目を見開いたままアマキを見つめていた。
「……アマキ……」
声が震えている。
アマキは笑顔のまま、両腕を大きく広げた。
「キラ!君が好きだ!君がいたから、私はここにいる!君が見てくれたから、私は前に進めた!だから……!」
胸に手を当て、深呼吸をして、もう一度叫ぶ。
「君が大好きだ!!」
その瞬間——キラの足が動いた。砂を蹴り、一直線にアマキへ向かって走り出す。
アマキは驚きながらも、その場に立ち尽くした。キラは無我夢中でアマキを乱暴に自分の胸に抱き寄せた。
アマキの肩に顔を寄せ、肩で息をしながら震える声で言った。
「アマキ……! ありがとう。……僕も……君が好きだ……! 大好きだ!」
アマキは目を丸くし、そしてゆっくりとキラの背中に腕を回した。
「……キラ」
二人の影が夕陽に重なり、波の音が優しく響く。そして徐々に二人の唇は距離を縮め、重なった。
二人の唇が触れ合った瞬間、世界の音がふっと遠のいた。
波の音も、風のざわめきも、夕陽のきらめきさえも、すべてが背景に溶けていく。
キラはアマキを抱きしめる腕に、ほんの少しだけ力を込めた。
乱暴ではなく、“離したくない”という想いがそのまま形になったような抱擁。
アマキは胸の奥が熱くなり、
心臓が跳ねるたびにキラの胸に伝わってしまいそうで、
恥ずかしくて、でも嬉しくて。
唇が離れると、二人の額がそっと触れ合った。
キラは息を整えながら、震える声で囁く。
「……アマキ。こんなふうに……君から言ってもらえるなんて……夢みたいだよ」
アマキは頬を赤く染め、キラの胸元に額を寄せた。
「夢じゃない。ようやく言えたんだ。ごめんね、時間、かかっちゃって」
キラの喉が震え、小さく笑うような息が漏れた。
「……ほんとに、君だけだよ……僕の心をぐちゃぐちゃにできるのは。全部、君だけ、アマキだけなんだ」
アマキは顔を上げ、少し照れたように笑った。
「それ、褒めてる?」
「もちろん。……世界で一番、嬉しい意味で」
キラはアマキの頬に手を添え、親指でそっと撫でた。
その指先は温かくて、優しくて、アマキの胸がまたきゅっと締め付けられる。
「アマキ。これからも……僕の隣にいてくれる?」
アマキは迷いなく頷いた。
「当たり前だ。キラが望むなら、ずっとね」
キラはその言葉を聞いた瞬間、もう一度アマキを抱きしめた。
今度はゆっくりと、大切なものを包み込むように。
夕陽が沈みかけ、二人の影は長く伸びて重なった。