腹減り少女はSEED世界で爆発少女にレベルアップする 作:サボテンダーイオウ
「一体どうなっているのです!」
ジブリールは怒りをあらわにしながらデスクを叩いた。高級な木材が鈍い音を立て、室内に鋭く響き渡る。その端正な顔は醜く歪んでいた。
対面する大型モニターの向こう側で、大西洋連邦大統領は疲弊しきった顔で深くため息をついた。
「それは君だって知っているだろう。プランの準備がまだ完全に整っていなかったところへもってきて、あの被害だ。それでも君の言うとおり強引に開戦してみれば、こちらの攻撃は全て躱され、あっという間に手詰まりだ」
大統領は手元の端末を苦々しげに見つめ、言葉を続ける。
「これではあちこちで民衆が跳ねっ返り、ごり押しで結んだ同盟が綻び始めるのも無理はないさ」
「私はそんな話が聞きたいのではない!」
ジブリールは画面の大統領を睨みつけ、グラスを激しく叩きつけるように置いた。冷徹な緑の瞳が、電子の光を超えて大統領を射すくめる。
「私はそんな現状に対して、あなた方がどんな手を打ってらっしゃるのかを聞いているのです」
「……」
大統領はモニター越しに言葉を詰まらせ、不快そうに視線をそらした。その態度がさらにジブリールの神経を逆なでする。
「コーディネイターを倒せ滅ぼせやっつけろと、あれだけ盛り上げて差し上げたのに、その火を消してしまうおつもりですか!」
「ジブリール……」
大統領の警告混じりの声を、ジブリールはせせら笑うように遮った。
「弱い者はどうせ最後には力の強い方に付くんです。勝つ者が正義なんですよ! ユーラシア西側のような現状をいつまでも許しておくから、あちこちで跳ねっ返りが出るんです!」
「だが、我等とて手一杯なのだ。だいたい君のファントムペインだって大した成果は挙げられていないじゃないかい」
大統領の痛い指摘に、ジブリールは一瞬言葉を詰まらせ、忌々しげに顔を顰めた。ミネルバを取り逃し続けている現状への苛立ちが、その胸中で黒く渦巻く。
「ですから!……ぁ!」
不意に、ジブリールの脳裏に妙案が閃いた。口元が歪な形に釣り上がる。
「そうだ、オーブですよ」
「え?」
モニターの中の大統領が、怪訝そうに眉をひそめた。
「あの国は今は我々の陣営だ。そして、その戦力はなかなかなもののはず」
「ああ……」
ジブリールはデスクから離れ、愉悦に肩を揺らしながら画面の前を歩き出した。
「黒海には彼等に行ってもらえばいいんですよ。同盟国の責務としてザフトを追っ払いに。もはやあの国に『NO』は言えますまい」
そこまで一気にまくし立てると、ジブリールは思い通りに動かせる新たな「駒」の手応えに、不気味な笑みを深めた。
「この間もおもしろいものが飛び出して、またこちらを驚かせてくれたりもしましたけどねぇ」
アークエンジェルがオーブを脱出したという報告を思い浮かべ、皮肉を込めて呟く。ジブリールはモニターの向こうの大統領に向け、品性のない笑い声を響かせながら通信を切るのだった。
◇◇◇
ジブリールたちによる密談の裏で、オーブ国防本部もまた、大国たちの思惑に完全に巻き込まれようとしていた。
「黒海をですか?」
ユウナに呼び出されたトダカ一佐の困惑した声が響く。並み居る他の軍人たちも一様に、手元の端末に表示されたあまりにも理不尽な進軍ルートを前に言葉を失っていた。トダカの眉間には深い皺が刻まれる。
「そ。オーブは同盟条約に基づき、黒海のザフト軍を討つべく派遣軍を出すこととなった」
机に腰をかけ、軽い調子で言い放ったのは、首長代行のユウナ・ロマ・セイランだ。その言葉に、オーブ軍首脳たちは一斉に息を呑み、顔を見合わせた。先の大戦でプラントと結んだ和平の精神は、大西洋連邦との同盟によって完全に踏みにじられようとしていた。
「旗艦はタケミカズチ。総司令官として私が行く」
ユウナは自身の胸を叩き、自信に満ちた笑みを浮かべる。しかし、その後に続いた言葉には、言い訳めいた焦りが混じっていた。
「まあいろいろあって、代表が現在不在というとんでもない状況の我が国だ。だからこそ国の姿勢ははっきりと示しておかねばならない」
カガリ・ユラ・アスハがアークエンジェルと共に姿を消したというスキャンダル。それを隠蔽し、自らの権力を大西洋連邦に誇示するためには、ザフトへの実力行使という実績が必要不可欠だった。
「はぁ……」
トダカは重いため息を噛み殺した。国を守るための軍が、政治の道具として他国への侵略に駆り出される。その不条理さに胸が締め付けられる。
「しっかりと、宜しく頼むよ?」
ユウナが椅子の背もたれから身を乗り出し、ねめつけるようにトダカを睨んだ。その目が、かつてカガリの逃亡を許した海軍への不信感を露骨に物語っている。
「……っ」
トダカの身体がわずかに硬直する。
「今度こそ」
決定事項だ、と言わんばかりの冷酷な圧力が室内に満ちる。従わねば、残された部下たちの立場もない。トダカは拳を握りしめ、胸の内に煮え滾る感情を押し殺して、敬礼で応えた。
「はッ!」
上官に逆らうことは今の自分にはできない。
誇り高き中立の理念が、政治という泥に塗れて瓦解していく。トダカはその不条理をすべて呑み込むように、ただ黙って、悲壮な敬礼を捧げ続けるしかなかった。
◇◇◇
地球連合軍の特殊部隊――ファントムペインが乗り込む軍艦の、とある私室の洗面所に、不釣り合いな水音が響いている。
そこにいたのは、顔を不気味な仮面で覆った男、スノウ・カンザキ大佐。彼は今、軍務ではなく、およそ大佐という冷徹な階級には似合わない「洗濯業」にいたく勤しんでいた。
「スノウ? 何してるの? それステラのだよ」
不思議そうに首を傾げ、隣から覗き込んできたのは金髪の少女、ステラ。彼女の視線の先で、スノウは洗面台に向かい、一枚の布を丁寧に揉み洗っている。
「ん? ああ、これか。血がついているから落としてるんだ。借り物なんだろう? このハンカチ」
「うん」
かつてミネルバのパイロット――シン・アスカから手渡されたハンカチ。それに付着した汚れを落とすスノウの指先は、ひどく優しい。
「血はな、固まってしまうからお湯で洗っちゃだめだぞ。水か、ぬるま湯だ。それでこのハンカチは色物だから酸素系漂白剤でつけこむぞ。そして綺麗になったら水ですすいで、干すだけだ」
「わぁ~! スノウすごいすごい!」
みるみるうちに汚れが落ちていく様を見て、ステラは少女らしい純粋な声を上げて喜んだ。
だが、その微笑ましい光景を遮るように、無機質な声が割って入る。
普段なら、大佐の私室に許可なく入ることは厳禁とされているはずだ。しかし、遠慮なしに入ってきた研究員の態度は、これがこの部屋における「日常的な風景」であることを物語っていた。
「あの~、そろそろ調整ベッドへ行ってほしいんですが……」
白衣を着た研究員が、手元の端末を見つめながら億劫そうに急かしてきた。スノウは仮面の奥の視線を向けることもなく、ひらひらと手を振る。
「ああ。まぁ、待て待て。洗濯の知識を授けているのだ。女の子には特にこういうのは必要だろう?」
「ステラもやりたい」
楽しそうなステラに、スノウは仮面の裏から真剣な声を響かせ、諭した。
「素手は駄目だぞ。素手は。手袋をしなさい」
「はぁ、早く終わらせてくださいよ。まったく」
研究員は肩をすくめ、やれやれとため息をついた。
その後、ステラたちの精神・身体調整が始まり、スノウはその様子を静かに見守る。
薄暗い室内には、ステラたちの生体バイタルを刻む無数のモニターが淡い光を放っている。正面の大きな強化ガラスの向こうには、カプセルの中で眠りについた子供たちの姿が並んでいた。
スノウはコントロールパネルの前に立ち、満足げに息を吐く。
「ふぅ、いい洗濯だった。心が洗われるようだ」
「変なところで熱心ですね、貴方は」
あきれ顔で端末を操作する研究員に、スノウは真面目な面持ちで尋ねた。
「ちゃんと休んでいるか、子供たちは」
「はい。健やかに」
隣のコンソールに座る研究員が、モニターのグラフを確認しながら静かに応じる。研究員はしばらく黙っていたが、ガラスの向こう、解き放たれない檻のようなカプセルと、手元の冷酷なバイタルデータに視線を落とした。
「……不思議ですね。彼らは戦闘マシーンのはずなのに、私達と同じように感情を抱いている。そんなもの必要ないと思わなければならないのに、私もカンザキ大佐、あなたのようにふと気づけば親愛の情を抱くようになっていました」
スノウは歩みを止め、ガラスの向こうでカプセルに満たされる子供たちのあどけない寝顔を見つめた。
「……あどけない寝顔をしているじゃないか。私にとっては、彼らは守るべき子供たちだ」
「……情を抱き続けてはいざというときに辛い思いをなさいますよ」
研究員の言葉は、この制御室にいる以上、避けては通れない残酷な未来を暗示していた。消耗品として使い潰される彼らに、上官が情など抱いても絶望しか残らない。
「ふむ。いざという時か」
スノウは自嘲気味に呟き、小さく息を漏らした。
「……その時はその時考えよう。あとを頼む」
「はい」
背を向け、制御室を去りながら、スノウは誰に言うでもなく心の中で言葉を紡ぐ。
(色々な体験をしてあの子たちに楽しい時を過ごさせてやりたいが、今は、情勢が許さないか。まぁ、いざという時は……)
仮面の奥の瞳が、ふと鋭く細められる。
連合という組織の、その歪んだシステムに縛られているつもりは毛頭ない。
(――逃げ道など、いくらでもある)
彼らを弄ぶ戦況の裏で、仮面の男は静かに自らの手札を数えていた。
◇◇◇
ミネルバの格納庫から居住区へと続く通路に、どこか堅苦しい足音が響いていた。新しく着任したパイロット、ハイネを案内するため、ミネルバの面々が集まっていた。
「レイ・ザ・バレルであります」
まず名乗りを上げたレイに対し、オレンジ色のパーソナルカラーを持つザフトのエース――『FAITH(フェイス)』の証を胸につけた男は、屈託のない笑みを浮かべた。
「ああ、ブレイズザクファントムね。ハイネ・ヴェステンフルスだ。よろしく」
ハイネは周囲を見回し、感心したように口笛を吹く。
「しっかしさすがに最新鋭だなぁミネルバは。な? ナスカ級とは大違いだぜ」
「ええ、まあそうですね」
アスランが同意すると、その隣からルナマリアが興味津々に尋ねた。
「ヴェステンフルス隊長は今まではナスカ級に?」
「ハイネでいいよ。そんな堅っ苦しい。ザフトのパイロットはそれが基本だろ? 君はルナマリアだったね?」
「あ、はい」
急に距離を縮められ、ルナマリアは少し面食らったように頷く。
「俺は今まで軍本部だよ。この間の開戦時の防衛戦にも出たぜ?」
気さくに話すハイネを見上げ、シンが恐る恐る口を開いた。
「隊長……あの、俺達は……」
「ヴェステンフルス隊長の方が先任だ、シン」
シンの無遠慮な物言いを嗜めるようにアスランが遮るが、ハイネはすぐにそれを手で制した。
「ハイネ」
「あ……」
「あ、でも何? お前隊長って呼ばれてんの?」
ハイネに首を傾げられ、アスランは気まずそうに視線を泳がせる。
「ああ、いえ、まあ……はい」
「戦闘指揮を執られますので、我々がそう」
淡々と、しかし当然のこととしてレイが補足した。するとハイネは「えー」と大げさに嫌そうな顔をしてみせた。
「んー、いやでもさぁ、そうやって壁作って仲間はずれにすんのはあんま良くないんじゃないの?」
ハイネの言葉に、ルナマリア、アスラン、シン、レイの4人は一瞬言葉を詰まらせ、互いに顔を見合わせた。
「俺達ザフトのモビルスーツパイロットは、戦場へ出ればみんな同じだろ? フェイスだろうが赤服だろうが緑だろうが、命令通りにワーワー群れなきゃ戦えない地球軍のアホ共とは違うだろ?」
「はい」
アスランが短く応じる。ハイネの言葉には、ザフトの戦士としての誇りと、仲間を想う純粋な熱がこもっていた。
「だからみんな同じでいいんだよ。あ、それとも何? 出戻りだからっていじめてんのか!?」
「え!?」
「あ、いやぁ……」
「いえ、そんなことは……」
冗談めかして言われ、ルナマリアやシンが慌てて否定する。ハイネはそんな彼らを見てニヤリと笑うと、アスランの肩を叩いた。
「なら、隊長なんて呼ぶなよ? お前もお前だなアスラン。何で名前で呼べって言わないの」
「すいません……」
先輩エースからのストレートな指摘に、アスランはつい謝った。シンはその様子を不思議そうに見つめていた。
「ま、今日からこのメンバーが仲間ってことだ。息合わせてばっちり行こうぜ!」
ハイネが前を歩き出し、一同がそれに続く。その少し後ろを歩きながら、アスランは小さくため息を漏らし、隣のシンにポツリと呟いた。
「俺も、ああいう風にやれたらいいんだけどね」
「ん?」
「ちょっとなかなか……」
不器用で、いつも言葉が足りずに周囲と摩擦を起こしてしまう自分。ハイネのような軽やかさを持てない自嘲が、その声には混ざっていた。
「隊長……」
シンが怪訝そうにその横顔を見つめる。アスランは一瞬ためらい、それからハイネの言葉を思い出すように微かに微笑んだ。
「アスランだ。シン」
「あ……」
シンの目が驚きに丸くなる。初めて「隊長」の壁を崩してくれたアスランに、シンが何かを言いかけたその時、前方から大きな声が響いた。
「おーい、何やってんのアスラン! お前が案内してんだろうが!」
通路の先でハイネが振り返り、腰に手を当てて呆れたように笑っている。
「あ、はい、すいません!」
アスランは慌てて声を返し、小走りでハイネの元へと向かう。その後ろ姿を、シンはほんの少しだけ柔らかくなった眼差しで見つめ、それから彼らの後を追うのだった。
◇◇◇
オーブ軍が誇る巨大空母『タケミカズチ』は、牙を剥く大自然の猛威にさらされていた。激しく波打つ海原を切り裂き進む巨体のブリッジで、アマギは窓の外の荒れ狂う嵐を見つめていた。
「だいぶ荒れてきましたね」
アマギが呟く。総司令官であるユウナは、激しい船酔いで自室のバケツにしがみついて完全にのびており、ここにはいない。最高責任者のいなくなった静かなブリッジで、トダカ一佐は淡々と応じた。
「まだ序の口だろうがな。一時間くらいか? こいつを抜けるのに」
「そうですね。そう大きい低気圧ではありませんから」
アマギは手元の端末の気象データを確認し、一息ついてから、誰もが胸に抱きながらも口にしなかった疑問を口にした。
「しかしまさか喜望峰(きぼうほう)回りとは思いませんでしたよ」
わざわざアフリカ大陸の南端を大きく迂回する長旅。合理性を欠いた進軍ルートに、トダカは皮肉を込めて自嘲気味に笑った。
「仕方ないさ。ステージは黒海だ。インド洋じゃ観客がいないんだろ。戦う相手は同じでも」
大西洋連邦という『観客』に、オーブがどれだけ従順な猟犬であるかを見せつけるための政治的パフォーマンス。それが今回の派兵の本質だった。総司令官が部屋から出てこられないのをいいことに、トダカの言葉には自然と棘が混ざる。
「……」
アマギは唇を噛み締めた。周囲の視線に配慮しつつも、拳を握りしめ、一度は飲み込もうとした言葉を、トダカに向けて絞り出す。
「しかし、このようなことは口にしてはいけないのでありましょうが……今回の派兵、自分にはやはり疑問です。他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない。それがオーブの理念であり、我等オーブ軍の理念でもあったはずです。なのに……」
先の大戦でウズミ・ナラ・アスハ前代表が命を賭して守り、彼らの中に深く根付いた「オーブの誇り」。それをユウナたちセイラン家は、大国への保身のためにあっさりと売り払ってしまった。
「ああ、解っている」
トダカは静かに、しかし重みのある声でアマギの言葉を受け止めた。その眼差しは、嵐の向こうの、はるか遠くを見つめている。
「だがこれも国を守るためと言えばためだ。本当は如何なることがあろうともオーブの理念は守られて欲しいと、我等はアークエンジェルとカガリ様に願いを掛けたがな」
かつてカガリをアークエンジェルへと逃がしたあの夜、トダカはオーブの未来を彼女たちに託した。自分たちはここで泥をすすり、どれほど汚れても国を守る盾となる。だからこそ、若き希望には輝いていてほしかった。
「間に合わぬのなら……せめて何処かでこの戦いを、カガリ様が見ていてくださることを祈ろう」
自分たちの裏切りを、過ちを、どうか叱り飛ばしに来てほしい。トダカの言葉の裏にある切なる祈りに、アマギは胸を突かれ、静かに居住まいを正した。
「はい」
狂った世界の波に呑まれながらも、彼らの心の奥底にある『オーブの火』だけは、まだ消えてはおらず、あきらめてもいなかった。
◇◇◇
地球連合軍特殊部隊「ファントムペイン」の旗艦、戦艦『J.P.ジョーンズ』。
その艦橋(かんきょう)の中は、無数の計器が放つ鈍い光と、オペレーターたちの硬い報告が交錯し、独特の緊張感に包まれていた。
その空間で、スノウは届けられたばかりの入電データに仮面の奥の目を細めた。
「ほう、オーブの派遣軍とな」
その声に、隣に立つ艦長が手元の端末を確認しながら、硬い声で補足する。
「空母1、護衛艦6。明日の夕刻にはこちらに入る予定だそうですが」
「それを使い黒海を取り戻せと」
スノウは短く吐き捨てると、ふっと自嘲気味に口元を歪めた。
大西洋連邦のトップやジブリールといった『上の連中』は、チェスの駒を動かすように簡単に言ってくれる。だが、急造の同盟国であり、しかも内部がガタガタなオーブの軍隊を、この過酷な黒海平定の戦力として前線に組み込むことがどれほど現場に負担を強いるか、理解しているはずもなかった。
「『言うは易く行うは難し』という諺を知らぬか、上の連中は」
「はぁ……」
艦長は否定も肯定もできず、ただ苦笑いを浮かべて言葉を濁す。スノウは腕を組み、戦艦『J.P.ジョーンズ』の分厚いガラス窓の向こうに広がる、どんよりと曇った黒海の空を見据えた。
「わかった。少々難儀なことになりそうだが……やってみるか」
困難な任務であればあるほど、その仮面の奥の瞳には不敵な光が宿る。彼にとってこの戦況すらも、手玉に取るべき盤面の一つに過ぎなかった。
同じ頃、戦艦『J.P.ジョーンズ』の艦橋の隣に位置する薄暗いメンテナンスルーム。
無機質な調整ベッドの上で、ステラ・ルーシェは静かに目を覚ました。
薬品の匂いが漂う静寂のなか、シーツを小さく揺らして起き上がると、少し離れた場所では兄同然の存在であるスティングとアウルが、白衣を着た研究員と何やら談笑しているのが見えた。ステラが起きたことに気づくと、二人は親しげな笑みを浮かべ、こちらへ向かって優しく手招きをした。
しかし、ステラはすぐには動かず、ぼんやりとした瞳のまま自分の胸元にそっと手を当てた。そこには、先ほどスノウ大佐が綺麗に血を洗い落としてくれた、大切なあの人のハンカチが仕舞われていた。
激化していく情勢の足音など、ステラの意識の枠外にあった。薄暗い部屋のなか、指先に触れるハンカチの感触だけが、彼女にあの少年の面影を思い出させていた。その唇が、小さく動く。
「……シン、またあいたい」
少女の小さな、けれど切実な呟きは、冷たい壁に吸い込まれて誰に届くこともない。
スティングやアウルたちの笑顔に囲まれたこの部屋から、間もなく彼らは過酷な戦場へと駆り出される。
そして、スノウ大佐が引き受けた「難儀な作戦」の先には、まさにその少年――シンの駆るインパルスが待ち受けているのだった。
◇◇◇
ミネルバのブリッジ。実用的なコンソールと戦術端末だけが整えられたその中央で、タリア、アーサー、アスラン、ハイネの四人は、戦術コンソールを囲んで立ったまま向かい合っていた。ハイネはアスランのすぐ隣に静かに立ち、コンソールの画面を見つめている。
モニターが放つ光のなか、タリアは戦況データを指し示しながら、硬い声で告げた。
「ジブラルタルを狙うつもりか、こちらへ来るかはまだ判らないわ。でも、この時期の増援なら巻き返しと見るのが常道でしょう。スエズへの陸路は立て直したいでしょうし、司令部も同意見よ。もう本当に鬩ぎ合いね。ま、いつものことだけど」
「はあ……」
副長のアーサーが、迫り来る大戦の重圧に気圧されたように、立位のまま気の抜けた返声を漏らす。アスランの隣に立つハイネが、鋭い目つきで画面を見つめながら問いかけた。
「その増援以外のスエズの戦力は? つまりはどのくらいの規模になるんです? 奴等の部隊は」
「数は兎も角、あれがいるのよ。インド洋にいた地球軍空母」
「え!?」
タリアの言葉に、アスランが弾かれたように顔を上げた。インド洋――それは、かつて自分がシンたちと共に戦った、あの特殊部隊の影を意味していた。
「あ、あの例の強奪機体を使っている!?」
アーサーがブリッジに響き渡るような取り乱した声を上げる。
「そう。だからちょっと面倒なの。おそらく彼等も来るわ」
タリアの肯定に、ハイネが腕を組みながら眉をひそめた。
「強奪機体って、アーモリーワンのか?」
「はい、そうです」
アスランが重苦しく頷く。あの彼らが再び牙を剥いてくるのだ。
「兎も角、本艦は出撃よ。最前衛マルマラ海の入り口、ダーダネルス海峡へ向かい守備に就きます。発進は〇六〇〇」
「はい!」
アーサーが居住まいを正す。
「はッ!」
アスランもまた、軍人としての表情へと戻り、深く頷いた。タリアは隣のオレンジ服のエースへと視線を向ける。
「貴方も、よろしい?」
「ええ、それはもう」
ハイネは不敵な笑みを浮かべ、軽く肩をすくめてみせた。戦場を知り尽したエースらしい、頼もしい態度だった。
「では、直ちに発進準備に掛かります」
「ええ、お願い」
アーサーが自分の担当コンソールへと戻るため、足早に歩き出す。タリアはそれを見送った後、一度視線を落とし、それから意を決したようにアスランを見つめた。
「それと、アスラン」
「はい」
「今度の地球軍の増援部隊として来たのは……オーブ軍ということなの」
「え!?」
「え……」
アスランの身体が凍りついた。すぐ隣に立つハイネが「ん?」と小さく目を細める。ブリッジの中に、重苦しい静寂が四人の間に流れた。
「なんとも言い難いけど、今はあの国もあちらの一国ですものね」
タリアの声には、かつて中立を貫いた気高き国への、一抹の寂しさが混じっていた。しかし、アスランの衝撃はその比ではない。カガリが守ろうとした、自分が命を賭けて守ろうとした祖国が、なぜ連合の猟犬としてザフトの前に立ち塞がるのか。
「オーブが……そんな……」
絶望に震えるアスランの肩を、タリアの冷徹な、しかし引き留めるような言葉が叩く。
「でも、この黒海への地球軍侵攻阻止は、周辺のザフト全軍に下った命令よ。避けられないわ。避けようもないしね」
ここで私情に流されれば、待っているのは全滅の一途だ。タリアは教え込ませるように、アスランの目を真っ直ぐに見据えた。
「今は、あれも地球軍なの。いいわね? 大丈夫?」
「……はい」
アスランは拳を血がにじむほどに強く握りしめ、絞り出すように答えた。その心中を察するように、ハイネはただ黙って、静かに戦況モニターへと視線を戻すのだった。
◇◇◇
ミネルバの食堂。出撃前の慌ただしさが漂う空間で、シンは耳を疑うような報告を突きつけられ、トレイを前にしたままその場に立ち尽くしていた。
「ええ!? オーブ!?」
「そ、援軍、オーブだって」
向かい合わせの席で、ルナマリア・ホークが困惑と呆れの混ざった溜息混じりに応じる。
「そんな……なんであの国が……!」
シンの瞳が、激しい動揺に大きく揺れた。
かつてのオーブ解放作戦。あの地獄のような戦火のなか、突如現れた謎の少女――アマキ・カンザキによって、シンの両親と妹のマユは奇跡的に命を救われた。家族全員が生き延び、今は別の場所で健やかに暮らしている。シンにとってオーブとは、アマキとの大切な出会いの場であり、家族と平穏に過ごした愛すべき故郷そのものだった。
「もう信じらんないわよねーほんと、こんなとこまで。でも、今は地球軍だもんね、そゆこともあるか」
ルナマリアは自嘲気味に肩をすくめ、自分を納得させるように呟いた。セイラン家が実権を握り、大西洋連邦と同盟を結んだ以上、オーブもまた打倒すべき敵。それが世界の現実なのだと、彼女は食堂の席を立ちながら割り切ろうとしていた。
「……」
しかし、シンは何も言い返すことができなかった。
俯いたシンの拳が、悲しみとやりきれなさで白くなるほどに強く握りしめられる。あの優しかった祖国が、大国の都合で戦争の道具に成り下がってしまった事実が、シンの心を激しく締め付けた。
(カガリ…ユラ・アスハ…あんたは、一体何をしてるんだよ……! あの人が守ってくれたあの国を、なんで……!)
胸の奥で渦巻く切ない叫びを押し殺すように、シンはただ無言で席を立ち、出撃を待つインパルスの待機する格納庫へと歩き出すのだった
◇◇◇
出撃直前、ミネルバの上部甲板。手すりに手をかけ、その景色を無言で見つめていたアスランの背後に、軽い足音が近づいた。
「オーブにいたのか、大戦の後ずっと。いい国らしいよなぁ、あそこは」
振り返ると、ハイネがポケットに手を突っ込んだまま、隣へと並んだ。アスランは視線を陽光にきらめく海へと戻し、小さく息を吐く。
「ええ、そうですね」
「この辺も綺麗だけどなぁ」
ハイネが顎で、風に波立つ外の海を指す。激しい戦火が迫っているとは思えないほど、世界はただ平穏を保っているように見えた。
「はい」
短く応じるアスランの横顔を、ハイネの鋭い、しかし温かみのある眼差しが射抜いた。
「戦いたくないか」
「ん?」
「オーブとは」
核心を突かれ、アスランは言葉を失った。あの国には、今も自分が残してきた大切な人たちがいる。かつての仲間たちが守ろうとした国と、いまや敵として刃を交えなければならない。
「……はい」
重い沈黙の末に認めたアスランに、ハイネは追及するような風でもなく、淡々と問いを重ねた。
「じゃあお前、何処となら戦いたい?」
「え? いや、何処とならって……そんなことは……」
戦いたい相手など、いるはずがない。誰も殺したくないし、誰も死んでほしくない。そんなアスランの困惑を見透かしたように、ハイネはふっと小さく笑った。
「あ、やっぱり? 俺も」
「あ……」
ハイネの意外な言葉に、アスランは目を見開いた。ザフトのトップエースである彼もまた、戦うことそのものを望んでいるわけではないのだ。
「……そういうことだろ?」
ハイネは真剣な目に戻り、アスランの肩にポンと手を置いた。登った太陽の光のなかで、その手の重みが、軍人としての現実を否応なしに突きつけてくる。
「割り切れよ。今は戦争で、俺達は軍人なんだからさ。でないと、死ぬぞ?」
優しさだけでは、この狂った戦場を生き残ることはできない。迷いは一瞬の遅れを生み、その遅れが命取りになる。先任としての、あるいは戦友としてのハイネの切実な忠告だった。
「……はい」
アスランは俯き、ただその言葉を噛み締めるしかなかった。
◇◇◇
激しい嵐が嘘のように去り、タケミカズチの最高司令官室には、ようやく船酔いから復活したユウナ・ロマ・セイランの、自信に満ちた声が響いていた。
「な~るほどね。黒海、そしてマルマラ海。ふん、私ならこの辺りで迎え撃つことにするかな。海峡を出てきた艦(ふね)を叩いていけばいいんだから。そう考えるのが最良かと」
ユウナはデスクの埋め込みモニターに表示された黒海の電子地図を指差し、上機嫌に語る。その正面で、顔を派手なベネチアンマスクで覆った男――ファントムペインのスノウは、腕を組んだまま、仮面の奥の瞳をわずかに細めていた。
「ほう」
相槌を打つスノウの声を賞賛と受け取ったのか、ユウナはさらに胸を張り、言葉を弾ませる。
「ザフトにはあのミネルバがいるということだけれど、ま、作戦次第でしょう。あれが要というのなら、逆にあれを落としてしまえば奴等は総崩れでしょうし」
「ふぅむ、なるほど、さすがオーブの最高司令官殿だ。頼もしいお話です」
スノウはわざとらしく感心してみせると、口元に薄い笑みを浮かべた。チェスの歩兵(ポーン)を動かすように簡単に語るユウナの無知を、心の中で嘲笑いながら、罠の仕込まれた次の一手を差し出す。
「では先陣はオーブの方々に。左右どちらかに誘っていただき、こちらはその側面からということでよろしいか」
「ああ、そうですね。それが美しい」
最も損害の出る危険な囮役に仕立て上げられているとも知らず、ユウナは「美しい」という響きだけに満足してあっさりと快諾した。
ユウナから見て左側に直立不動で控えていたトダカ一佐とアマギの2人は、胸が張り裂けんばかりの無念に耐え、ただ厳しく唇を噛み締めていた。トダカは表情を変えないまま、重いため息を胃の奥へ押し殺す。
(はぁ……)
政治の道具にされ、あげく他国の仮面の軍人に体よく使い潰されようとしている我が軍の兵士たち。隣に並ぶアマギもまた、直立した姿勢のまま、背後に回した拳を固く握りしめて静かに怒りを堪えていた。しかし、それを知らないスノウは、派手なマスクの裏からさらにユウナへと言葉の網をかける。
「海峡を抜ければすぐに会敵となると思うが、あなた方ならばたやすい、だろう?」
「ええ、お任せください。我が軍の力とくとご覧に入れましょう」
スノウの挑発混じりの問いかけに、ユウナはこれ以上ないほど満面の笑みで胸を叩いてみせるのだった。
◇◇◇
ミネルバが出撃へのカウントダウンが刻々と進むなか、パイロットスーツに身を包んだシン・アスカは、通路を歩くアスラン・ザラの背中に向けて、迷いを振り切るように声をかけた。
「……あの」
「ん? どうしたんだ?」
アスランが足を止め、怪訝そうに振り返る。シンはしばらく視線を落として躊躇していたが、意を決してアスランの目を真っ直ぐに見据えた。
「……。アスランはオーブと戦うこと、もう受け入れたんスか」
「……そう簡単に、できたらいいんだがな。カガリが……」
ハイネから「割り切れ」と言われたばかりのアスランだったが、やはりその胸中は複雑に揺れていた。アスランは遠くを見つめるように視線を泳がせ、ぽつりと言葉を漏らす。
「彼女がいれば、こんなことにだけはならなかったかもしれないけどな」
「……」
その言葉に、シンの表情が冷たく強張った。家族が生きているからこそ、シンにとって今のオーブの迷走は、代表であるアスハ家の無力さゆえに見えた。
二人は、格納庫へと続くエレベーターに乗り込む。
ガタリ、と重い音を立てて扉が閉まり、閉鎖された空間がゆっくりと階下へ向かって沈み始めた。駆動音だけが響く狭い室内で、シンは再びアスランへと言葉をぶつける。
「アスハ一人いて何か変わるんですか? この状況が」
「はぁ……まだいろいろと出来ないことは多いけど、気持ちだけは真っ直ぐな奴だよ、カガリは」
カガリの不器用さを知り尽くしているからこそのアスランの弁護。しかし、戦火の現実を肌で知るシンには、その言葉は甘えにしか聞こえなかった。
「……気持ちだけじゃ守れない。意味ないじゃんか。そんなの!」
シンの激しい拒絶の叫びが、エレベーターの鉄の壁に反響する。アスランはふと、シンの瞳の奥にある強い執着の正体に気づく。
「君は、オーブが好きだったんだな」
「……オーブにはアマキ・カンザキがいるかもしれないんだ。もし彼女が戦争に巻き込まれてたら、俺は……!」
シンの口から飛び出した「アマキ」の名前。あの日、自分たち家族を戦火から救い上げてくれた、紫の瞳の少女。もし彼女が、セイラン家の始めたこの愚かな戦争に巻き込まれ、傷つくようなことがあれば、自分は絶対に許せない。シンにとっては、オーブを守ることと、アマキの平穏を守ることは同義だった。
「……」
アスランは言葉を失い、内心で激しく動揺した。
(アイツらはアークエンジェルにいるなんて……カガリもアマキも、もうオーブにはいないなんて、今はザフトのアイツに言えないよな……)
真実を告げられないアスランの沈黙を、シンは自分への同意と受け取ったのか、俯きながら拳を強く握りしめた。
「……いつも戦争の犠牲になるのは民間人んだ。罪もない人ばかり。……俺が、何とかしなくちゃ……。あの人みたいに……」
かつて、圧倒的な力で自分たちを戦火から救い出してくれた、あのアマキ・カンザキのように。今度は自分が力を振るい、この理不尽な戦場を終わらせてみせる。
チーン、と到着を告げる電子音が鳴り、エレベーターの扉が左右に開く。
その純粋で、だからこそ危ういシンの決意の背中を、アスランはただ複雑な痛みを胸に抱えながら、見つめることしかできなかった。
◇◇◇
タケミカズチの最高司令官室。デスクのモニターを前に、船酔いから完全に復活したユウナこれ以上ないほど晴れやかな声を響かせた。
「よーし、始めようか。ダルダノスの暁作戦、開始!」
そのあまりに聞き馴染みのない単語に、ユウナから見て左側に直立不動で控えていたトダカ一佐とアマギの2人は、同時に眉をひそめた。
「「は?」」
思わず声を漏らした2人に対し、ユウナは得意げに胸を張り、これ見よがしに指を立ててみせる。
「なんだ、知らないの? ゼウスとエレクトラの子で、この海峡の名前の由来の。ギリシャ神話だよ。ちょっとかっこいい作戦名だろ? ん?」
「……チッ」
トダカは表情を変えないまま、ユウナの能天気な蘊蓄を完全に無視して激しい舌打ちを漏らした。そのまま鋭い眼差しを正面の通信コンソールへと向け、腹の底から声を張り上げる。
「モビルスーツ隊、発進開始!」
「モビルスーツ隊、発進開始! 第一、第二、第四小隊、発進せよ!」
隣のアマギも即座に後に続き、張り詰めた声をブリッジのオペレーターたちへと飛ばす。軍人たちにとって、これは神話ごっこなどではなく、命を賭けた本物の戦いなのだ。
「イーゲルシュテルン起動、オールウェポンズフリー!」
タケミカズチの対空機関砲が火を噴き、オーブ軍の主力機ムラサメが、次々と朝の空へと飛び立っていく。
一方、そのオーブ軍の猛攻を特等席で見つめている者がいた。
ファントムペインの旗艦、戦艦『J.P.ジョーンズ』の艦橋。窓の外で繰り広げられるオー軍の進軍をモニター越しに眺めながら、艦長が呆れたように、しかし感心したように口を開いた。
「元気ですな、オーブは。あれだけの遠征をしてきたというのに」
「アスハ家から奪い取った政治だ。ここで体裁を守らねば、分捕った意味がなかろう」
その言葉に、隣に立つスノウは、腕を組んだまま鼻で笑った。ユウナたちの浅薄な保身の心理など、彼にはすべてお見通しだった。スノウは仮面の奥の瞳を冷たく細め、窓の外の戦火を見つめる。
「善戦してくれることを祈ろうではないか。精々、我らの役に立ってほしいものだが」
囮として使い潰されるオーブの兵士たちへの憐れみなど、この男には微塵もない。彼にとっては、すべては自らの目的を果たすための盤面に過ぎなかった。しかし、スノウはふと、戦況データから視線を外し、まだ見ぬ青空の彼方へと意識を向けた。口元が、歪な形に吊り上がる。
「……フム。じゃじゃ馬娘は、現れるかな?」
戦いを愛し、戦場をニッコリと駆け抜けるあの異分子。彼女がこの舞台を黙って見過ごすはずがない。スノウの不敵な予言に呼応するかのように、黒海の天平には、運命を激変させる二条の光が動いていた。
ミネルバが海峡へ滑り込むと同時、遮蔽されたブリッジのメインモニターへ、一斉に無数の赤い光点が映し出された。
「熱紋確認! 一時の方向、数20。モビルスーツです!」
バート・ハイムの緊迫した声が響き渡る。コンソールのデータを注視していた彼は、信じがたい現実に目を見開いた。
「機種特定、オーブ軍ムラサメ、アストレイ!」
「……っ」
その報告に、ブリッジの空気が一瞬で凍りつく。本当に、かつての同盟国が、あのオーブが敵として牙を剥いてきたのだ。しかし、タリア・グラディスは一切の動揺を声に出さず、ただ冷徹に、毅然として次の命令を突きつけた。
「セイバー、インパルス発進。離水上昇、取り舵10!」
ミネルバの艦体が波を蹴り、巨大な主翼が風を孕んで海面を離れる。
◇
カタパルトデッキ。
真っ白な光のなかで、シン・アスカはコアスプレンダーの操縦桿を強く握りしめていた。
食堂でルナマリアから聞かされた「オーブ参戦」の報せ。アマキが命を懸けて守ってくれた自分の家族、そして愛すべき故郷。それがなぜ連合の猟犬になってしまったのか。その答えは出ない。だが、目の前にはもう戦場が広がっている。
「シン・アスカ、コアスプレンダー、行きます!」
轟音と共にカタパルトが射出され、シンの駆る機体が黒海の空へと弾き飛ばされた。チェストフライヤー、レッグフライヤーが次々とドッキングし、インパルスがその勇姿を現す。
続いて、別のカタパルトではアスラン・ザラがセイバーのコックピットで深く息を吐いていた。
ブリッジでタリアから告げられた残酷な現実。上部甲板でハイネから突きつけられた「割り切れ。でないと死ぬぞ」という言葉。カガリの国と戦う迷いを胸の奥に押し込め、彼は赤き愛機を起動させた。
「アスラン・ザラ、セイバー、発進する!」
爆発的な推進力を引き連れ、セイバーが空へと舞い上がる。
カタパルトから黒海の空へと弾き出されたインパルスと、セイバーを待ち受けていたのは、視界を埋め尽くすほどの絶望的な大群だった。
「何なんだよ、この数は……!」
インパルスのコックピットで、シンは目の前のメインモニターに映し出された無数の光点に息を呑んだ。
オーブ軍主力機、M1アストレイ。そして空戦型のムラサメ。ユウナの無謀な総力戦命令により、狭い海峡の空は、オーブの象徴である赤と白の機体で埋め尽くされていた。
「ザフトの新型め! 逃がすな!」
「回り込め! 包囲して叩き落とせ!」
通信回線に、焦燥と敵意の混ざったオーブ軍パイロットたちの怒号が混じる。
直後、アストレイの大群が一斉にビームライフルと対空バルカンを掃射した。暗い空を無数の光条が網の目のように切り裂き、シンとアスランを目がけて容赦なく襲いかかる。
「くそっ……! なんであんたたちが、そんな風に戦うんだよ!」
シンは操縦桿を激しく引き、襲い来るビームの嵐を間一髪で躱していく。圧倒的なレスポンスで機体を翻弄させ、すれ違いざまに容赦のないカウンターのビームを叩き込み、アストレイを次々と撃ち落としていく。数で押し潰そうとするオーブ軍を相手に、インパルスはその超高性能を見せつけるかのように、戦場を苛烈に支配していた。
しかし、シールドで実弾を弾くたび、激しい衝撃とともにシンの胸は締め付けられた。撃ち落とすことは容易い。インパルスの性能なら、この数であっても蹂躙できる。だが、シンの脳裏には、あの日このアストレイが守ろうとしたオーブの街並みと、アマキによって救われた大切な家族の笑顔がチラついて離れなかった。
(俺は……あの人が守ってくれたこの国の人たちを、自分の手で殺さなきゃいけないのか……!?)
迷いがシンの指先をわずかに鈍らせる。その隙を突くように、アストレイの3機編隊が背後からビームサーベルを抜いて急速接近してきた。
「シン、動きが硬いぞ! 割り切れと言われたはずだ!」
その窮地を救ったのは、赤い閃光だった。
アスランのセイバーが可変し、圧倒的な速度でシンの背後に割り込む。ビームライフルを連射してアストレイの突撃を牽制するが、アスランの射撃もまた、機体の急所を無意識に避けていた。
「アスラン……!」
「直撃を避けてローターやスラスターだけを狙え! 動きを止めればいい!」
アスランは叫ぶが、その声には悲壮な焦りが滲んでいた。
周囲からは次から次へと新しいムラサメの編隊が急降下し、容赦のないミサイルランチャーの斉射を浴びせてくる。大群のアストレイによる十字砲火がセイバーの装甲をかすめていくが、アスランは巧みなシールドワークと変形機構を駆使し、紙一重ですべての決定打をいなし続ける。
カガリが命を懸けて守ろうとした気高きオーブの理念は、ここにはない。目の前で自分たちを殺そうと群がってくるのは、大西洋連邦の猟犬となり果てた、ただの『敵軍』だ。
ハイネの「割り切れ、でないと死ぬぞ」という言葉が、激しい警告音とともにアスランの脳裏に鳴り響く。しかし、引き金を引く指は、鉄のように重かった。
押し寄せるオーブ軍の圧倒的な物量と、2人の胸を締め付ける残酷な葛藤。インパルスとセイバーは、光り輝くビームの檻をその圧倒的な技量で圧倒しながらも、引き裂かれるような想いを抱えたまま、黒海の空を駆け抜ける。
モビルスーツ隊を撃ち出したミネルバのブリッジには、激しい衝撃波が何度も叩きつけられていた。装甲シャッターで遮蔽された室内で、敵味方の砲撃のフラッシュが電子モニターを激しく明滅させる。
タリア・グラディスは戦況マップの立体ホログラムを鋭い目で見据え、間髪入れずに次の指令を突きつけた。
「取り舵30。タンホイザーの射線軸を取る」
「え!?」
副長のアーサー・トラインは、その凄まじい決断に弾かれたように声を上げた。陽電子破城砲『タンホイザー』。一撃で戦況をひっくり返す、ミネルバ最大の決戦兵器だ。
「海峡を塞がない位置に来たら薙ぎ払う。まだ後ろに、あの空母がいるはずよ」
タリアの冷徹な声がブリッジに響く。
敵の囮であるオーブ軍の先陣をただ相手にするのではない。海峡という狭窄地形を逆手に取り、射線が通った瞬間にオーブ軍ごと、後方に潜むファントムペインの戦艦『J.P.ジョーンズ』をまとめて一掃する。それが彼女の狙いだった。
「あ、はい!」
アーサーは艦長の苛烈な戦術に戦慄しながらも、すぐに担当コンソールへと飛びつき、全力で叫んだ。
「タンホイザー、臨界電圧へ! 照準、射線軸固定急げ!」
ミネルバの艦首がギチギチと音を立てて旋回を始め、巨大な砲口が、何も知らずに進軍してくるオーブ軍へと向けられようとしていた。
◇
同じ頃、オーブ軍の旗艦タケミカズチの最高司令官室では、ユウナ・ロマ・セイランがヒステリックに喚き散らしていた。
「何をしている! 敵のモビルスーツはたったの二機だ! どんどん追い込め! モビルスーツ隊全機発進!」
「いや、それは……!」
ユウナから見て左側に直立不動で控えていたトダカ一佐が、思わず鋭い声を上げた。
ミネルバが不気味に回頭し、タンホイザーの照準を合わせようとしている最悪の瞬間に、全機を出撃させて足を止めるなど自殺行為に等しかった。だが、ユウナはその諫言を遮るように、狂ったように叫ぶ。
「一機ずつ取り囲んで落とすんだよ! そうすればいくらあれだって落ちる。これは命令だぞ!」
「……」
トダカはそれ以上、言葉を続けることができなかった。
厳しい表情のまま直立し、背後に回した拳を血がにじむほどに強く握りしめる。隣に並ぶアマギもまた、奥歯を噛み締め、悔しさのあまり表情を強張らせていた。
◇
黒海の空は、完全に狂気に支配されていた。
押し寄せるアストレイとムラサメの大群を、圧倒的な機体性能と技量で翻弄し、手玉に取り続けるインパルスとセイバー。しかし、そのコックピットにいる2人の精神は、すでに限界を迎えようとしていた。
「くっそー……っ!」
アスランは歯を食いしばり、血を吐くような声を漏らした。
急所を外し、スラスターだけを正確に撃ち抜いてアストレイの動きを止めていく。だが、墜ちていく機体が海面で爆発するたび、カガリの泣き顔が脳裏をよぎり、胸を激しく抉り取っていく。なぜこんな不条理な戦いをしなければならないのか。割り切ることなど、できるはずがなかった。
「ふおぉぉ!!」
同時に、シンが理性を焼き尽くすような咆哮を上げていた。
迫り来るムラサメの編隊をすれ違いざまに切り裂き、カウンターのビームで撃ち落とす。殺したくない、アマキが守ってくれたこの国の人々を傷つけたくない。その純粋な願いとは裏腹に、迫り来る大群を生存のために反射的に屠り続けてしまう残酷な現実。悲しみとセイラン家への激しい怒りが混ざり合い、シンはただ獣のように叫ぶしかなかった。
ミネルバのタンホイザーが臨界に達し、ユウナの命令でオーブ軍が射線上に並び、2人の若者が絶望の咆哮を上げる――。
◇◇◇
ミネルバの艦首がギチギチと音を立てて回頭し、巨大なエネルギーの奔流がその砲口へと集束していく。ブリッジの戦術モニターには、オーブ軍の護衛艦群がその射線軸上に完全に捉えられていた。
「タンホイザー、軸線よろし」
副長のアーサーが張り詰めた声で告げる。タリア・グラディスは冷徹に、一切の躊躇なく、引き金となるコマンドを入力した。
「よし! 起動! 照準、敵護衛艦群!」
「は!」
アーサーの復唱と同時に、射撃管制席のチェンが、訓練通りに無機質な声をブリッジ内に響かせる。
「タンホイザー起動。照準、敵護衛艦群。プライマリ兵装バンクコンタクト。出力定格。セーフティ解除」
破滅へのカウントダウンが完了する。
◇
対するオーブ軍の旗艦タケミカズチのブリッジには、けたたましい最悪の警告音が鳴り響いていた。
「敵艦、陽電子砲発射態勢!」
オペレーターの悲痛な叫びに、ユウナの左側に直立不動で控えていたアマギは息を呑んだ。
「ぁ……」
直撃すれば、護衛艦群はおろかタケミカズチとてただでは済まない。トダカ一佐の鋭い怒号が、ブリッジの窓を震わせた。
「回避! 面舵20!」
巨大なタケミカズチの艦体が、波を蹴って大きく傾く。
だが、両軍が文字通りすべてを賭けた一撃を放とうとした、まさにその一瞬――天空から降り注いだ圧倒的な光の束が、戦場のすべてを凍りつかせた。
「あ!」
ミネルバの副長アーサーが、同時に驚愕の声を上げる。
「てぇ!」
タリアが放った発射の絶叫を遮るように、上空から飛来した超高エネルギーの閃光が、まさに火を噴こうとしていたミネルバの艦首タンホイザーの砲身に大直撃した。
――ドゴォォォン!!
「「「うわぁ!」」」
陽電子のエネルギーが逆流し、激しい大爆発の衝撃に、ミネルバのブリッジ一同が悲鳴を上げて床へと叩きつけられた。
◇
爆炎と爆風のなか、戦場に展開していたザフトのモビルスーツ隊もまた、その「異変」に動きを止めていた。
「ん?」
アスランが、それぞれのコックピットで目まぐるしく警報を発するレーダーの光点を見つめる。
「何だ? 何処から!」
インパルスのコックピットで、シンは周囲を索敵し、息を呑んだ。
「なんだ……?」
雲を切り裂き、まばゆい陽光のなかを舞い降りてきたのは、二機のモビルスーツだった。一機は、一際目を引く大きなウイングを展開した、自由の名を持つ蒼き機体。
そして、その隣に並び立つのは――。
「あぁ……フリーダムと、スノーホワイト!? キラ!? アマキまで!」
セイバーのコックピットで、アスランは戦慄の声を上げた。かつて前大戦を共に戦い抜いたキラ・ヤマトのフリーダム。そして、その隣を固めるのは、純白の装甲を纏った美しき機体『スノーホワイト』。そのコックピットにいるのは、他でもないアマキ・カンザキのはずだった。あの常軌を逸した機動を誇るワンオフの怪物が、彼女以外の誰かに扱えるはずがない。アスランは驚愕とともにそれを確信していた。
「あれは……あの時の! 白い、機体っ!?」
そしてインパルスのコックピットで、シンはただ、そのスノーホワイトの姿に視線が釘づけとなっていた。モニターに映し出されたその白銀の機体を見つめ、シンの脳裏にあの日の記憶が鮮烈に蘇る。
オーブ解放作戦の日、降り注ぐミサイルと絶望の戦火のなか、自分と、大好きな家族の命を間一髪で救い出してくれた、あの圧倒的な強さの残像。自分がザフトに入ってまで追い求めた「力」の象徴が、今、目の前にあった。
不殺の信念を掲げるキラのフリーダムと、戦場を無邪気に楽しむ戦闘狂のアマキが駆るスノーホワイト。狂った戦場を力ずくで止めるために現れた二つの光は、黒海のすべてを翻弄するように、美しく不敵にその翼を広げるのだった。