腹減り少女はSEED世界で爆発少女にレベルアップする 作:サボテンダーイオウ
ダーダネルス海峡の激戦が幕を閉じ、身動きの取れなくなったミネルバは穏やかな海面にその巨体を休めていた。しかし、艦首から立ち上る黒煙と焼け焦げた装甲が、戦いの爪痕の深さを生々しく物語っている。
作業の火花が激しく散る格納庫の通路で、タリア艦長は、手元のタブレットに視線を落としていたベテラン整備班長のマッドと向かい合っていた。マッドは画面を指先でスクロールしながら、硬い表情で言った。
「資材は直ぐにディオキアの方から回してくれるということですが、タンホイザーの発射寸前でしたからねえ。艦首の被害はかなりのものですよ」
「はぁ……」
タリアは思わず重いため息を漏らした。
あの白い機体――スノーホワイトとフリーダムによる、一分の狂いもない精密な超長距離狙撃。臨界電圧に達していた陽電子の逆流は、ミネルバの牙であるタンホイザーの砲身だけでなく、その周辺の火器管制システムや伝送回路までを容赦なく焼き尽くしていた。
「さすがにちょっと時間がかかりますね、これは」
マッドがタブレットに表示された、歪んだ隔壁や破断したコードの赤文字を見つめ、やれやれと首を振る。最前線で戦い続けるこの艦にとって、足を止められること自体が最大の危機に他ならない。
「そうね」
タリアは視線を上げ、メカニックたちが懸命にダメージコントロールに奔走する艦首を見つめた。
「兎も角、出来るだけ急いで頼むわ。いつもこんなことしか言えなくて悪いけど」
戦場の理不尽に翻弄されながらも、前線の兵たちの命を預かる指揮官としての、せめてもの気遣いだった。マッドはタブレットを脇に抱え直し、無骨な顔に信頼の笑みを浮かべて頷いた。
「いえ、解かってますよ、艦長」
最先端の戦闘艦でありながら、それを支えるのは泥臭い人間の技術と意地。
◇◇◇
ミネルバの食堂。いつもなら兵士たちの笑い声で賑わうはずの空間は、今夜は重苦しい静寂と、作業服に身を包んだパイロットたちの張り詰めた空気に満ちていた。トレイを前にしたシンは、スプーンを握りしめたまま、奥歯をガタガタと鳴らして床を睨みつけていた。
「あいつらのせいだ……」
「!」
隣の席で黙ってコーヒーをすすっていたアスランが、シンのただならぬ気配に弾かれたように顔を上げた。シンは抑えきれない怒りを爆発させるように、声を荒らげる。
「あいつらが変な乱入して来なきゃ、もっと俺らだって活躍できたんだっ!」
「シン……」
向かいの席から、ルナマリアが心配そうにその顔を覗き込む。だが、一度火がついたシンの感情は止まらない。テーブルの端に座るハイネもまた、無言のままシンの言葉を静かに受け止めていた。
「大体何だよあいつら! 戦闘をやめろとか。あれがほんとにアークエンジェルとフリーダム!? ほんとに何やってんだよオーブは! 馬鹿なんじゃないの?」
ユウナの暴走によって泥を塗られた故郷への苛立ち。そして、シンの胸を最も激しく掻きむしっているのは、あの上空で優雅に舞っていた白銀の機体だった。
「あの人の機体だって……奪いやがって……! 許さないっ!」
あの日、自分と家族の命を絶望から救い上げてくれた、神聖なる白きモビルスーツ。それが、自分たちの頼れる仲間を襲い、戦場をめちゃくちゃにする『敵』の手にある。中身がまさかアマキだとは知らないシンにとって、それは大切な思い出を無残に汚され、強奪されたに等しい裏切りだった。
「シン!」
ルナマリアが窘めるように声を大きくするが、シンの肩に、ポンと大きな手が置かれた。
「……」
「落ち着けって、シン」
驚いて振り返るシンに、ハイネが屈託のない、しかしどこか達観した笑みを浮かべて語りかけた。
「確かに俺達は負けた。けど向こう(連合軍)だって惨敗だったろ。とりあえずはオッケーだ」
「……ハイネ」
アスランが、そのエースとしての割り切りの良さと器の大きさに、感嘆とも複雑ともつかない声を漏らす。ハイネは肩をすくめ、自らの胸に手を当てた。
「それに……俺が助けられたのは事実だ」
「え……」
シンの目が驚きに丸くなる。ハイネは、自分のビーム機関砲を壊したフリーダムや、自分を殺そうとしたガイアへの怒りよりも先に、あの窮地で自分を救い上げてくれたスノーホワイトの圧倒的な技量と、そこに宿る『不殺の意志』を真っ直ぐに評価していた。
「あいつらのやり方が正しいかは別としてさ、誰も死なずに済んだ。お前も、俺もな。……だろ?」
ハイネのその言葉は、頭に血が上っていたシンの胸に、言葉にならない重みとなって静かに突き刺さる。
◇◇◇
その言葉は、重苦しい沈黙が支配するミネルバの艦長室に、静かな波紋を広げた。
「え? あの艦の行方を?」
タリアはデスクに肘をつき、疲弊した表情のまま視線を目の前の若者に向けた。
先の大戦の英雄であるフリーダムガンダム。そして、世界のどこにも記録がない、白い外套を纏った――スノーホワイト。
あの凄まじい二機の『白』によって混迷の極みに達したダーダネルス海戦の記憶が、いっそうの色濃い影を彼女の目元に落としている。
対するアスラン・ザラは、直立不動の姿勢を崩さない。彼の整った軍服の襟元には、ザフト最高評議会議長直属の特権階級を示すFAITHの徽章が、艦長室の薄暗い照明を浴びて鈍く光っていた。
「はい。艦長もご存じのことと思いますが、私は先の大戦時、ヤキン・ドゥーエではあの艦、アークエンジェルと共にザフトと戦いました。おそらくはあのフリーダムのパイロットも、あのアークエンジェルのクルーも、そしてあそこで名乗りを上げたオーブの代表も――私にとっては皆、よく知る人間です。だからこそ尚更、この事態が理解できません。というか、納得できません」
語気には、彼が抱える割り切れない焦燥感が滲んでいた。
カガリたちの介入の仕方は間違っている。だがそれ以上に、あの戦場を引き裂いたフリーダム、スノーホワイトの圧倒的な破壊力と冷徹な意志が、アスランの心を激しく揺さぶっていた。
タリアはふっと浅い息を漏らし、椅子の背もたれに体を預けた。
「それは確かに、私もそうは思うけど……。あのフリーダム、あるいはあのスノーホワイトと呼ばれ機体。あれほどの力を持ちながら、彼らは一体何のために動いているのか……」
軍人であるタリアにとって、あれは明確な脅威であり、排除すべき「敵」でしかない。
しかし、アスランは違う。
「彼等の目的は地球軍に与したオーブ軍の戦闘停止、撤退でした。しかし、ならばあんなやり方でなくとも、こんな犠牲を出さなくとも手段はあったように思います。彼等は何かを知らないのかもしれません。間違えているのかもしれません」
アスランの右手が、自らの胸元へと当てられた。
「無論、司令部や本国も動くでしょうが、そうであるなら……彼等と話し解決の道を探すのは、私の仕事です」
話し合う。かつて掴み取ったはずの和平の道を、もう一度手繰り寄せるために。あの強大すぎる二機の白きガンダムが、これ以上戦場を無差別に破壊する前に。
タリアはデスク越しに、アスランの胸元の徽章をじっと見つめる。その瞳の奥には、ギルバート・デュランダル議長がこの若者に託した『役割』への複雑な思惑が過っていた。
「それは……ザフトのFAITHとしての判断、ということかしら?」
「はい」
アスランの答えに迷いはなかった。真っ直ぐにタリアを見つめ返し、力強く顎を引く。タリアは視線を外し、天井を仰ぐようにして大きくため息をついた。
「なら、私に止める権限はないわね。はぁ……。確かに、無駄な戦いだったと思うもの。私も。あのまま地球軍と戦っていたら、どうなっていたかは判らないけれど……。あの二機のガンダムが、この戦火をさらに拡大させるのだけは止めなくてはならないわ。いいわ、分かりました。貴方の離艦、了承します」
そこで一拍、タリアは言葉を区切った。
「でも、一人でいいの?」
孤立無援でかつての仲間たちと、あるいはあの底知れないスノーホワイトのもとへ飛び込もうとする彼の、あまりにも危うい生真面目さを心配したのか。アスランは自らの覚悟を証明するように、深く一礼した。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
踵を返し、自動ドアへと歩き出すアスラン。シュッと音を立てて閉まる扉の向こうへ彼の背中が消えた後、艦長室に残されたタリアは、もう一度深く、重いため息をつくのだった。
◇◇◇
アスランが去った後の艦長室に、再び重苦しい静寂が戻る。
タリアは、まだ彼が残していった決意の余韻を噛み締めるように、デスクの前に佇んでいた。
その時、室内に短い電子音が鳴る。
「はい」
タリアが応答すると、静かに自動ドアが開いた。そこに立っていたのは、ペールグリーンの髪を持つザフトの赤服、レイ・ザ・バレルだった。
「レイ・ザ・バレルです。よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
タリアが促すと、レイは乱れのない軍人らしい足取りで室内へと歩みを進めてくる。
「ん?」
タリアはわずかに眉をひそめた。アスランが離艦した直後のこのタイミングでの入室。そして何より、普段は機械のように冷静沈着なレイの表情に、微かな、だが確かな緊張の色が滲んでいるのを、彼女は見逃さなかった。
レイはタリアの正面で足を止めると、まっすぐに彼女を見つめ、静かに切り出した。
「艦長。実は……」
◇◇◇
アスランは、ミネルバを離艦してアークエンジェルの手がかりを探すため、見知らぬ異国の町を軍用の四輪駆動車で駆走していた。行き交う人々が立てる喧騒の中、周囲を警戒しながら視線を走らせていた彼の動きが、ふと止まる。
人混みの向こう、見覚えのある短い茶髪の女性が、片手に大がかりなカメラを抱えて歩いていた。
先の大戦において、アークエンジェルのブリッジで共に生死を潜り抜けた戦友、ミリアリア・ハウだった。
アスランは咄嗟に車のブレーキを踏み込み、タイヤを軋ませて路肩へ滑り込ませると、運転席のドアから大きく身を乗り出し、彼女の背中に向かって思わず声をあげていた。
「ん? ミリアリア!」
不意に背後から名前を呼ばれ、彼女は不思議そうに足を止め、ゆっくりと振り返った。
「ぁ……?」
怪訝そうに視線を彷徨わせたミリアリアの瞳が、車から身を乗り出して自分を見つめている青年の姿を真っ直ぐに捉える。アスランはさらに身を前に出し、確信を込めてその名を静かに呼んだ。
「ミリアリア・ハウ?」
その声を聞いた瞬間、彼女の表情が驚愕に染まる。かつて平和のために共に戦い、今はザフトの軍服を纏って特権階級の証を胸に光らせている少年兵。
「アスラン・ザラ?」
信じられないといった様子で、彼女の口からその名が漏れた。雑踏の喧騒のなか、車越しに視線を交わす二人。
それから二人は通りに面したどこかのカフェへと入った。
テーブルを挟んで向かい合う二人の間には、先の大戦時とは異なる微妙な距離感が漂っている。アスランは目立つザフトの軍服を脱ぎ、調達した地味な私服へと着替えていたが、その表情に刻まれた焦燥感までは隠せていなかった。カメラを傍らに置いたミリアリアは、ジャーナリストとしての冷静な視線をそんな彼に向けている。
「そう。それで開戦からこっちオーブには戻らず、ザフトに戻っちゃったって訳?」
ミリアリアの問いには、責めるような響きはなかったが、どこか突き放すような冷徹さがあった。アスランはコーヒーカップに落としていた視線を僅かに上げ、言葉を濁すように応じる。
「ぁぁ、簡単に言うとそういうことだ」
「…………」
ミリアリアは何も言わず、ただ静かにアスランを見つめた。私服姿であっても、彼がザフトの重責を担ってここにいる事実は変わらない。その沈黙の重さに耐えかねるように、アスランは自ら核心へと話題を切り替える。
「それは兎も角アークエンジェルだ。あの艦(ふね)がオーブを出たことは知っていたが、一体何でまたこんなところで……。あの介入のおかげで……だいぶ、その……」
「混乱した?」
ミリアリアが言葉を先回りすると、アスランは虚を突かれたように顔を上げた。
「ぇ?」
「知ってるわよ。全部見てたもの、私も」
そう言って彼女はカバンから自分が撮った写真を数枚テーブルに出した。
フリーのジャーナリストとして、この泥沼の戦場をその目で見届けていた。フリーダムの乱入がもたらしたザフト・連合双方の困惑も、その被害もすべて。
アスランはその写真を受け取り自分たちの戦いの場面が撮られていたことに言葉を失い、ただ口を噤む。
「でも、アークエンジェルを探してどうするつもり?」
重ねられたミリアリアの問いは重い。たとえ今は私服に身を包んでいようとも、彼はザフトの『FAITH』だ。いまさらあの「超法規的な戦艦」に接触して何をするというのか。
「……話したいんだ。会って話したい。キラやアマキ、カガリとも」
アスランの声には、焦燥と、かつての戦友たちへの純粋なすがりが含まれていた。しかし、ミリアリアは現実を突きつけるように、彼のまっすぐな瞳を見据える。
「今はまた、ザフトの貴方が?」
「それは……」
返す言葉がなかった。自分はザフトの正義を信じて再び戦う道を選んだ。だが、その立場はキラたちにとって「敵」でしかない。
アスランの苦悩の表情を見たミリアリアは、小さく息を吐き、張り詰めていた表情を僅かに和らげた。
「いいわ。手がない訳じゃない。貴方個人になら繋いであげられる。私もだいぶ長いことオーブには戻ってないから、詳しいことは分からないけど……誰だってこんなこと、ほんとは嫌なはずだものね。きっとキラや……アマキさんだって」
平和を願いながらも戦わざるを得ないオーブ軍人たち。そして、戦火を止めるために混迷に飛び込んだキラたちの痛みを、彼女は知っていた。
◇◇◇
黒海の激戦地から離脱し、再び静かな航行へと戻ったアークエンジェルの食堂。
いつもなら温かい湯気とクルーたちの憩いの場となる空間で、マリューはホカホカと湯気が立つラーメンのトレイを前に、箸を進める手を止めて隠しきれない不安を言葉にした。
「でも、どうしたらいいのかしらね」
「強引に割って入ってめちゃくちゃにしたことか? 今更だろ」
向かいの席で、トレイに載ったピリッと辛いチリソースたっぷりのケバブを豪快に口へ運び、肉を噛みちぎりながら、ムウがいつも通りの軽い調子で笑い飛ばした。ザフトの最新鋭機を無力化し、オーブの護衛艦の足を止め、ファントムペインを退けたのだ。今更綺麗事を言っても始まらない。
「確かにな。あ! ケバブにはヨーグルトソースをかけたまえっ」
その豪快な開き直りに頷きながら、アンドリューはトレイの丼から箸でうどんをズルズルと音を立ててすする合間に、隣のムウへ向けて独特な食のこだわりを突きつけた。
「もう! これからのことよ」
男たちの呑気な食事風景に、マリューが眉をひそめて少し声を尖らせる。彼女が憂いているのは、今回のあまりにも強硬な武力介入が世界に与えた政治的波紋のことだった。
「ま、先日の戦闘ではこちらの意志は示せたというところかな」
バルトフェルドはうどんの汁を一口動き、丼を置きながら言葉を重ねる。「誰も死なせない、これ以上の戦争は許さない」というアークエンジェル陣営の絶対的なメッセージは、確かに届いたはずだった。だが、その隣でフォークを器用に使い、皿の上のカルボナーラを淡々と口に運んでいたラウが、仮面の奥の瞳を細めて冷酷な現実を突きつけた。
「あれで我らもザフトに目をつけられただろう。板挟み状態なのは同じだよ」
ラウの言う通りだった。元ザフトのエースであるハイネの命をアマキが救ったとはいえ、ミネルバのタンホイザーをへし折った事実は変わらない。プラントからも、大西洋連邦からも、あるいはユウナのいるオーブからも、アークエンジェルは『排除すべき危険な第三勢力』としてマークされたのだ。
「動きづらくなるわね」
目の前のトレイに載った温かい月見そばを箸で静かにたぐりながら、アイシャが、しかし声のトーンを重くして呟いた。世界中が敵になりかねない隔離された航路。
「そうよね」
マリューもまた、厳しい現実を噛み締めるように低く頷き、再びラーメンの箸を取った。
その時、カウンターの奥にある厨房の仕切りから、麺の湯を切る威勢のいい音とともに、白い湯気の向こうから一人の男が顔を覗かせた。
「何を悲観することがあろう、マリュー艦長」
腕組みをしながら、穏やかだがずっしりとした威厳のある声を響かせたのは、ウズミ・ナラ・アスハだった。割烹着に三角巾姿でありながら、その眼差しにはかつて一国を率いた獅子の光が宿っている。
「世界を敵に回すことを恐れては、あの2機の双翼が命懸けで編み出した『誰も死なない戦場』の価値が曇る。カガリの不甲斐なさは父親として頭が痛いが……あの子供たちの往く道は、決して間違ってはいない」
「ウズミ殿。あまり若い者を急かしては、せっかくの出汁が濁ってしまう」
そのウズミの背後から、慣れた手つきで次の注文の皿を用意しながら、シーゲル・クラインが柔らかな微笑みを浮かべて言葉を重ねた。
「ラウの言う通り、我々は世界という巨大な盤面の狭間に立たされている。だが、国家という枠組みに縛られぬ我々だからこそ、守れる命があるはず。……さあ、冷めないうちに食べなさい」
かつてプラントとオーブという巨大な勢力を導いた二人の代表が、いまは厨房で若き戦士たちの帰る場所を優しく、力強く支えている。その言葉は、マークされたという重圧に揺れていたマリューたちの胸に、これ以上ない確かな錨となって深く突き刺さるのだった。
キラのフリーダムとアマキのスノーホワイトという絶対的な双翼を擁し、ムウやラウという前大戦の伝説たちが並び立つアークエンジェル。彼らの往く道はさらなる茨の道へと変わろうとしていたが、偉大なる先達たちに支えられたこの食堂で、自分たちが掲げた理想を降ろすつもりは、誰一人として毛頭なかった。
◇◇◇
激しい戦闘の熱を洗い流すため、アークエンジェル艦内の大浴場へと足を運んだカガリは、広い湯船の片隅で一人、静かに温かいお湯に身を浸していた。
しかし、その表情は険しい。湯煙の向こうを見つめながら、自国の暴走と自分の無力さへの悔しさを反芻し、張り詰めた心を緩めることができずにいた。
だが、その静寂は、突如として鳴り響いた賑やかな足音によって派手に打ち破られることとなる。
「うわ!」
カガリの柔らかい頬を、背後から忍び寄った細い指先がいたずらっぽく、むにゅ、と突いた。
「うふふ、うふふ」
楽しげに喉を鳴らして微笑みながら、湯船に入ってきたのはラクスだった。そして、その隣には――。
「それそれ!」
「うわっ!? ――ぶっ!?」
勢いよくお湯に飛び込んできたアマキが、満面の笑みでカガリに向けてダイナミックにお湯を撥ね飛ばした。容赦なく顔面に温水を浴びせられ、カガリは盛大にむせ返る。
「うわ! 何するんだラクス! やめろよ! ぶっ! やめろっつーの!!」
「あはは! それそれ~!」
容赦なくお湯をかけ続けてくるアマキに対し、カガリはついにキレて湯船の中で飛びかかった。
「ギブギブ!」
「大人しくしろっ!」
アマキのちょっとだけ引き締まった首を捕らえ、カガリはガシッと力強くヘッドロックを極めてへし折らんばかりに締め上げる。アマキがバタバタと足を暴れさせ、ラクスがそれを楽しそうに「うふふ」と眺めているうちに、大浴場には心地よい水飛沫と、いつもの少女たちの騒がしい笑い声が広がっていった。
ひとしきりジャレ合い、温かい湯船に三人で肩を並べて浸かった頃、お湯の心地よさも手伝って、カガリの肩からようやく余計な力が抜けていた。アマキがふいー、とだらしなくお湯に浮かぶなか、ラクスがそっとカガリの横顔を覗き込む。
「だって、とても暗いお顔をなさってらっしゃるのですもの。どうされましたか?」
カガリは自分の濡れた両手を見つめ、湯面に波紋を広げながら、胸の奥に燻っていた最大の迷いをぽつりと吐き出した。
「……これで、良かったのかなって、思ってる」
言葉による説得を拒絶され、力ずくで自国の軍をねじ伏せるしかなかった、黒海の不条理な決着。自分の選択が本当にオーブのためになったのか。強気な言葉の裏にあるカガリの傷を、ラクスは優しく包み込むように、穏やかな、しかし世界中の誰よりも揺るぎない声を響かせた。
「まず決める」
「え?」
カガリが弾かれたように顔を上げる。ラクスの美しい桃色の髪が濡れて肩に張り付き、その紫の瞳から、未来を切り拓くための絶対的な真理が紡がれる。
「そしてやり通す。それが何かを成す時の、唯一の方法ですわ。きっと」
ただ流されるままに戦うのではない。世界中を敵に回そうとも、「これ以上の犠牲は出さない」と一度決めたのなら、その理想の刃を最後まで信じて振り抜くこと。それこそが、アークエンジェルの双翼が、キラやアマキが、配置された大人たちがここに立っている理由なのだと、ラクスは静かにカガリの目を真っ直ぐに見据えて告げた。
「ラクス……」
カガリの目の前から、霧が晴れるように迷いが消え去っていく。隣でお湯をパチャパチャと弄んでいるアマキが、命を懸けて守ってくれたオーブの精神。それをユウナたちの泥から引きずり出すために、今度こそ自分が代表として前を向くのだと、彼女の瞳に力強い光が戻った。
そこに、浮かんでいたアマキがぱっと顔を上げ、器用にウインクを飛ばして言葉を挟んできた。
「っそ。考えすぎは駄目。一に実行、二に実行、三四がなくて五に実行ってね」
「ね? アマキもこう言ってますし」
ラクスは小首を傾げ、悪乗りの混ざったいつもの可憐な微笑みを浮かべる。カガリもまた、濡れた顔を拭い、小さく、しかし確固たる覚悟を込めて頷いてみせた。
「うん。ありがとう。アマキのは違うけど」
「うふ」
「ひどいっ!」
アマキが頬を膨らませて湯面をバシャバシャと叩くなか、カガリの口元にはようやくいつもの自然な笑みが戻っていた。
温かい湯煙が立ち込める大浴場の中で、三人の少女の心は完全に一つになっていた。
――その頃、薄い壁を隔てたすぐ隣の男湯。
「ふふっ……」
湯船の縁に頭をあずけ、首まで温かいお湯に浸かっていたキラは、女湯側から聞こえてくる賑やかな声を耳にして、小さく、優しく苦笑していた。。
最初の「うわ!」「それそれ!」という派手な水音と、アマキがヘッドロックを極められて「ギブギブ!」と叫んでいたコミカルな騒ぎ。そして、そこから一転して響いたラクスの凛とした言葉と、カガリの決意。最後のアマキの突飛な実行論まで、男湯の静寂のなかにすべてが心地よく響き渡っていた。
キラは天井から立ち上る湯気を見つめ、自身の濡れた前髪を無造作にかき上げる。
世界を敵に回すかもしれない恐怖や、かつての戦友であるアスランと刃を交えなければならなかった辛さ。それらが、隣の部屋から聞こえる彼女たちの強い絆と笑顔によって、静かに融かされていくのを感じていた。
「一に実行、か……。うん、僕もがんばらなきゃね」
キラは誰もいない男湯のなかで、静かに、しかし鋼のような覚悟を瞳に宿して呟いた。
どんなに板挟みの茨の道であろうとも、自分たちを信じてくれる仲間が、そして隣で笑い合う少女たちがいる。そのすべてを力ずくでも守り抜くため、自由の翼を駆る青年は、湯煙のなかで静かに次なる決意を固めるのだった。
◇◇◇
ディオキアの港に停泊し、急ピッチで艦首の修復作業が進められているミネルバのブリーフィングルーム。
「探索任務!? でありますか?」
シンの怪訝そうな声が、実戦端末を操作していたアーサーへと向けられる。海峡でのあのすさまじい乱戦を経験した直後だというのに、言い渡されたのは戦闘ではなく地味な調査任務。納得のいかないシンに対し、アーサーは胸を張り言い返す。
「そうだ。これも司令部からの正式な命令なんだぞ?」
「ん……」
シンは不満げに口を尖らせ、隣に立つレイを見やった。だが、レイは無表情のまま、アーサーの言葉を静かに待っている。アーサーはモニターに表示された黒海奥地の衛星地図を指し示した。
「地域住民からの情報なんだが、この奥地に連合の息の掛かった何やら不明な研究施設のようなものがあるそうだ。今は静かだそうだが、以前は車両や航空機、モビルスーツなども出入りしていたかなりの規模の施設ということだ。君達には明朝、そこの調査に行ってもらいたい」
「そんな仕事に俺達を!? でありますか?」
シンは思わず操縦服の袖を握りしめ、声を荒らげた。自分たちは最新鋭機インパルスやセイバーを駆る、ザフトの主力パイロットだ。あの中身のわからない。スノーホワイトやフリーダムへの怒り、そして故郷オーブへの複雑な感情が燻っている今、なぜそんな裏方の任務に回されなければならないのか。
「シン、いい加減にしろ」
冷徹なレイの一喝が、シンの言葉を遮った。
「ん……」
「そんな仕事、とか言うなぁ。もし武装勢力が立て籠もってでもいたらどうする!?」
珍しく強い口調で詰め寄ってきたアーサーの迫力に、シンは気圧されたように言葉を詰まらせた。
「あ……」
「そういう任務なんだ。しっかりと頼むぞ」
アーサーはそう締めくくると、ようやくいつもの少し気弱な副長の表情に戻り、ほっとしたように息を吐いた。ここ数日の激戦で、上層部もミネルバ隊を無駄に消耗させたくないという意図もあるのだろう。
「了解しました」
レイは淀みのない声で敬礼を捧げ、アーサーの命令を正式に受領した。
◇◇◇
激戦を終え、再び海原を静かに航行するアークエンジェルのブリッジ。食堂での慌ただしい食事を終え、各々が担当コンソールに戻ったその時、通信席のチャンドラ二世が怪訝な声を上げてメインモニターを振り返った。
「ん? 艦長!」
「ん?」
その尋常ではない様子に、マリュー、ナタル、ムウ、アンドリュー、アイシャ、そして操舵席のアーノルドの面々が、同時にモニターへと視線を向けた。
メインコンソールに表示されたのは、通常の軍事コードではなく、世界的な情報ネットワーク『ターミナル』の特殊暗号によって厳重にプロテクトされたメッセージだった。
きわめて個人的なテキストメッセージだった。マリューはその文面を静かに読み上げる。
『ダーダネルスで天使を見ました。また会いたい。赤のナイトも姫を探しています。どうか連絡を。ミリアリア』
「ミリアリアさん?」
マリューが驚きに声を裏返すと、ラクス・クラインがそっとモニターに近づき、不思議そうに言葉をなぞった。
「赤のナイト?」
「ぁ……」
その言葉の意味を真っ先に理解したカガリの身体が、一瞬で強張った。
赤のナイト――ザフトの最新鋭可変機『セイバー』の鮮烈な赤。そして、そのコックピットにいる、自分が誰よりもよく知るあの男の不器用な顔。カガリは拳を胸元で握りしめ、掠れた声を漏らした。
「……アスラン?」
「あらら」
カガリの露骨な動揺を目の当たりにし、ムウがニヤニヤとした笑みを浮かべて肩をすくめる。バルトフェルドもうどんの後味を噛み締めるように、顎をさすりながら渋い声を漏らした。
「んー……」
「これ、ターミナルから回されてきたものなんでしょ?」
マリューが確認するようにチャンドラ二世へ視線を向けると、彼はコンソールを叩きながら力強く頷いた。
「はい」
「ダーダネルスで天使を見たって……じゃあ、ミリアリアさんもあそこに?」
マリューの疑問に、操縦桿を握るノイマンが納得したように言葉を重ねる。
「彼女、今はフリーの報道カメラマンですからね。戦火の黒海に来ていたとしても不思議はありませんが……」
「相変わらず無茶をする……」
コンソールの横で腕を組んでいたナタルが、硬い表情のまま、しかしその声に隠しきれない安堵と心配をにじませて低く呟いた。前大戦で共に死線をくぐり抜けた少女が、今も自分の足で戦場を歩き、元気に生きている。その事実にナタルは胸を撫で下ろしながらも、厳しい目をモニターの続きの文面へと向けた。
「アスランだ、キラ!」
ミリアリアの電文を前に、カガリは強気な声を弾ませて、隣に立つキラを振り返った。ずっと行方の分からなかった大切な人が、自分を探して黒海のすぐ近くまで戻ってきている。その事実にカガリの瞳には喜びの光が宿っていた。
だが、コンソールに肘をついたバルトフェルドが、濁った黒海のデータを見つめながら、冷徹な大人の懸念を口にした。
「さあて、どうする。アスランは今はザフトだろ?」
「で、でも!」
カガリが戸惑いの声を漏らす。バルトフェルドは顎をさすりながら、警告するように言葉を重ねた。
「誰かに仕掛けられたにしちゃあ、なかなか洒落た電文だな」
「でも、ミリアリアさんの存在なんて……」
マリューが眉をひそめて呟くと、操縦桿を握るノイマンが、コンソールを操作しながら冷静に補足した。
「確か、彼女自身は知っているはずですがね。この艦への連絡方法は」
「あ……」
カガリは言葉を失った。本物のミリアリアからのメッセージだとしても、彼女を踏み台にしてザフトや連合の影がアークエンジェルを誘い出そうとしている罠かもしれない。緊迫した静寂がブリッジを支配するなか、それまで黙ってモニターを見つめていたキラが、静かに、しかし迷いのない声を響かせた。
「会いましょう」
「ぁ……」
カガリが息を呑む。キラはいつもの優しい、しかし鋼のような芯の通った眼差しでカガリを見つめた。
「アスランなら僕たちの話を聞いてくれるはず」
「んー……」
バルトフェルドが渋い声を漏らす。罠のリスクは消えない。それでも、ただ逃げ回るのではなく「まず決める」というラクスの言葉の通り、キラは自らの意志で一歩を踏み出すことを選んだ。
「でも、アークエンジェルは動かないでください。僕が一人で行きます」
「私も私もー!」
重苦しいブリッジの空気を切り裂くように、ひょっこりとアマキが、満面の笑みを浮かべて素早く挙手をした。本人はぴょんぴょんと飛んで可愛くアピールしているつもりだろうが、周りにはドスドスと音を立てて足踏みしているような怪獣の印象である。まだまだダイエット中だ。
「アマキ、キラ」
背後からラクスが窘めるように穏やかな声をかけるが、キラは優しく笑って首を振った。
「大丈夫、無茶はしないよ」
「私は一緒に行くぞ」
カガリが毅然とした態度で前に出る。これ以上、アスランから目を背けるわけにはいかない。キラは少し考えてから、カガリに向けて頷いた。
「いいよ。じゃあ僕とカガリで」
「私は私は?」
自分だけが置いてけぼりにされ、アマキが不満げに頬を膨らませる。キラはいつものようにニッコリと笑いながら、きわめてストレートな正論を突きつけた。
「アマキと一緒だと、多分問題が発生すると思うから。ラクス、よろしくね」
「はい」
ラクスはすべてを察したように、アマキの腕へ優しく手を絡めながら引き寄せ可憐に微笑んだ。戦場でニッコリと神速の武装解除をやってのける、この規格外の戦闘狂(じゃじゃ馬娘)。アスランとの極秘の対談に彼女がついてくれば、それこそ話し合いの前に戦場がめちゃくちゃになりかねない。
「あは」
キラの身も蓋もない言い回しと、完璧なお目付け役としてラクスが控えた構図に、カガリはそれまでの緊張をどこかへ忘れたように、思わず笑い声を漏らした。
罠と知りつつも、すれ違う未来の糸を結び直すため。キラとカガリの二人は、アークエンジェルの仲間たち、指示を出すウズミやシーゲルたち、そして不満そうに「ムキーっ!」と喚いているアマキの視線に見送られながら、アスランが待つ約束の地へと向けて、密かに出撃の準備を進めるのだった。
◇◇◇
ハイネの機体は損傷しているので今回は艦で待機ということになった。
ブレイズザクファントムのコックピットの中で、レイは冷徹に周囲の索敵データをチェックし、通信回線を開いた。
「では、行くぞ!」
「りょーかい」
インパルスのシートに深く身を沈めたシンは、まだどこか不満を隠しきれない声で短く応じた。胸の内に燻る複雑な感情は、この地味な探索任務では晴れそうにない。シンは不器用な吐息とともに、操縦桿を前に押し出した。
彼らが向かう先にあるのは、地域住民から報告のあった地球連合の不審な研究施設――ロドニアの遺伝子研究所。そこでは一体何が待ち受けているのか。
◇◇◇
夕暮れ時の赤錆びた遺跡。静寂のなかに、密かにフリーダムを降りたキラとカガリの二人が足を踏み入れた。
長く伸びる影の先、物陰からひょっこりと顔を出した短い金髪の少女が、弾けたような声を上げた。
「キラ!」
「ミリアリア」
キラが穏やかに微笑んで応じると、ミリアリアは首に下げたカメラを揺らしながら、やれやれと肩をすくめて見せた。
「あーもう、ほんとに信じられなかったわよー、フリーダムを見た時は。花嫁をさらってオーブを飛び出したっていうのは聞いてたけど」
「いやあ、その話は……ぁ、あの……」
かつてアークエンジェルのブリッジで共に戦った気心の知れた親友からの強烈なツッコミに、カガリは顔を真っ赤にして両手を振り、不器用にしどろもどろになった。しかし、すぐにその表情を引き締め、一番訊きたかった名前を口にする。
「……それより、アスランは?」
「ぁ……ごめん。用心して通信には書けなかったんだけど、彼、ザフトに戻ってるわよ?」
ミリアリアが少し声を潜め、心配そうに二人の顔を覗き込んだ。大戦の英雄である彼が、再びプラントの軍服を纏って前線に立っている。それはあまりにも衝撃的な事実のはずだった。だが、キラとカガリの反応は、ミリアリアの予想とは違っていた。
「知ってるよ」
キラが静かに、しかし迷いのない声で返す。
「ああ」
カガリもまた、重く頷いた。そこへ見知らぬ機体がやってくる。
「あの機体……」
キラが遮音性の高い空を見上げるように呟く。赤き可変モビルスーツ。あの機体が数日前、あの地獄のダーダネルス海峡で、自分たちの行く手を阻むように立ち塞がったザフトの新型機。それがやや離れた遺跡にゆっくりと降下し着地する。そしてコクピットが開き、一人の青年が降りてきた。
「――キラ。カガリ」
静かに足音を響かせ、姿を現したのは、私服姿の――アスランだった。
かつて同じ理想を掲げて大戦を駆け抜けた三人の若者の視線が交わう。
「アスラン……」
キラがその名前を低く呟くなか、カガリは一歩前に踏み出し、強気な声を震わせて叫んだ。
「アスラン!お前……ずっと……ずっと心配していたんだぞ!あんなことになっちゃって、連絡も取れなかったけど……でも、なんで!なんでまたザフトに戻ったりなんかしたんだ!」
「……その方がいいと思ったからだ。あの時は。自らの為にも、オーブの為にも」
アスランの声は、どこか自分を納得させるような重い響きを帯びていた。カガリを守るため、オーブを裏から支えるためにプラントへと渡り、デュランダル議長の手を取った。それが最善だと信じていた。だが、ジャケットの裾を強く握りしめ、カガリはその言葉を激しく拒絶する。
「そんな……何がオーブの!」
「カガリ!」
感情が暴走しかけたカガリを、隣に立つ私服姿のキラが手で静かに制した。
「ぁぅ……キラ……ぁ……」
カガリが唇を噛んで引き下がるのを見届け、キラはアスランの真っ直ぐな瞳を見据え、核心の問いを投げかけた。
「あれは君の機体?」
「ああ」
「じゃあ、この間の戦闘……」
「ああ、俺もいた。今、ミネルバに乗ってるからな」
「……」
キラとカガリの顔に、隠しきれない動揺が走る。本当に、あの赤き愛機はアスランの意志で自分たちの前に立ちはだかっていたのだ。アスランは一歩詰め寄り、その歯がゆさと焦燥を二人にぶつけた。
「お前を見て、話そうとした。でも通じなくて……だが、何故あんなことをした!あんな馬鹿なことを!」
「ぁ……」
「おかげで戦場は混乱し、お前たちのせいで要らぬ犠牲も出た」
戦場から死者を出さないために引き金を引いたはずのキラに対し、その介入自体が戦場をさらに狂わせたのだと、アスランは厳しい言葉を突きつける。だが、カガリも黙ってはいなかった。
「馬鹿なこと……? あれは、あの時ザフトが戦おうとしていたのはオーブ軍だったんだぞ! 私達はそれを……!」
「あそこで君が出て、素直にオーブが撤退するとでも思ったか!」
「ぅぅ……っ」
アスランの怒号が廃墟の壁を震わせた。一国の代表としてのカガリの甘さを、彼は切り捨てるように吼える。
「君がしなけりゃいけなかったのは、そんなことじゃないだろ! 戦場に出てあんなことを言う前に、オーブを同盟になんか参加させるべきじゃなかったんだ!」
「それは……!」
カガリの言葉が詰まる。ユウナたちの謀略を止められなかった己の不甲斐なさ。その痛いところを突かれ、カガリの瞳に激しい悔しさが滲んだ。
――ギチギチと音を立ててすれ違う、3人の視線と信念。
黄昏の廃墟が最悪の緊迫感に包まれ、息を呑むような沈黙が訪れた、まさにその瞬間だった。
「じゃーん! 呼ばれて飛び出てアマキ様、参上~!」
彼らが立つ場所の後ろから何かが飛び出したと思ったら、凄まじい勢いで空中回転をキメてキラたちの前に降り立ち両手を広げて満面の笑みを浮かべたのは、黒髪ロングのふくよかな少女――アマキだった。
「ゲッ!!」
アスランは弾かれたように後退し、文字通りひっくり返りそうな顔で絶叫した。そう、アスランがもっとも会いたくない人物ナンバーワン。よりによって一番来てほしくないじゃじゃ馬娘の登場だった。
「えー……なんでアマキいるの……?」
キラは限界まで目を点にし、深く、深いため息をついて頭を抱えた。お目付け役のラクスを置いて、どうやってここまで来たのか。
アマキはニッコリとウインクを飛ばし、得意げに胸を張ってみせる。ついでにふくよかなぜい肉も揺れる。
「ラウに送ってもらったもーん!あ、ミリアリア久しぶり~」
「アマキさん 少し痩せたみたいだけど元気そうで良かった!」
それまで張り詰めていたミリアリアは、アマキの姿を見るなり「きゃーっ!」と喜んでみせた。本土戦を生き延びた大切な友との再会に、戦場カメラマンとしての本能のままに一眼レフカメラを構え、その瞬間をパシャパシャと凄まじい勢いで撮りまくる。
「……あの人はほんとに、アマキに甘すぎなんだから……っ」
キラは天を仰ぎ、シルバー&グレーのムラサメを駆って裏で手を貸したに違いない「あの仮面の男」の過保護ぶりに呆れ果てた。ラクスを「念入りに愛して」絆した上に、ラウの特急タクシーを使うなど、このじゃじゃ馬娘の行動力は文字通り規格外だった。
「こらーーっ!! 話の腰を折るなっっ!!」
世界とオーブの未来を賭けた、一生に一度の涙のシリアスな大激論。それを一瞬で粉々にぶち壊されたカガリは、顔を真っ赤にして拳を振り上げ、アマキに向けて全力の怒号を浴びせるのだった。
ミリアリアがようやく満足してレンズキャップをはめた頃、黄昏の遺跡にはなんとも言えない脱力感が漂っていた。
一生に一度の涙のシリアスな大激論を粉々にぶち壊され、怒号を上げていたカガリがはぁはぁと肩で息をするなか、アスランは激しくズキズキと痛むこめかみを指先で押さえた。
(……気にするな。ここでアイツを相手にしたら終わりだ。無視する方向でいく、それしかない……)
アスランの中で、頭の痛い存在であるじゃじゃ馬娘を「完全に見えないものとして扱う」という大人の結論が導き出された。彼は無理やり呼吸を整え、再びキラとカガリに向き直ろうとする。
だがアマキはその紫の瞳をまっすぐにアスランへと向けると、きわめて直球の疑問を投げかけた。
「それでアスラン。アンタ、私たちの何のよう?」
「……やめさせたいと思ったからだ! もうあんなことは!」
無視すると決めたはずの決意は、その邪気のない問いかけによって一瞬で粉砕された。アスランは怒髪天を突き、喉を引き裂くようにして本音を吼え返した。
「ユニウス7のことは解ってはいるが、その後の混乱はどう見たって連合が悪い。それでもプラントは、こんな馬鹿なことは一日でも早く終わらせようと頑張っているんだぞ! なのにお前達は、ただ状況を混乱させているだけじゃないか!」
アスランの叫びには、彼なりの正義と焦燥がすべて詰まっていた。プラントへ渡り、デュランダル議長と直接言葉を交わし、世界を平和へと導くために再び赤服を纏ったのだ。その歩みを、ただ「戦場の否定」という不条理な介入でかき乱すキラやアマキたちの傲慢さが、アスランにはどうしても許せなかった。
「ふーん……」
アマキは意味深にアスランの必死な顔を見つめて小さく呟いた。そんなアスランの焦燥を受け止めながら、キラは少しも怯むことなく、静かに、しかし冷徹なまでの声音で言葉を返した。
「本当にそう?」
「え?」
アスランが息を呑む。
「プラントは、本当にそう思ってるの? ――あのデュランダル議長って人」
「……」
その名を出された瞬間、アスランの身体が微かに強張った。キラの言葉は、まるで世界の裏側に隠された欺瞞を暴き立てるかのように、黄昏の廃墟に重く響き渡る。
「戦争を早く終わらせて、平和な世界にしたいって……本当にそう思っているのかな」
「あ……」
ミリアリアの顔からも、思わず緊張の吐息が漏れる。言葉の持つ美しさと、その裏にある不気味な作為。キラはただ疑っているのではなかった。デュランダルという男が世界をどう導こうとしているのか、その底知れない「歪み」を、その直感で本能的に察知していたのだ。
「お前だって、議長のしていることは見てるだろ!?言葉だって聞いたろ!」
アスランは必死に声を張り上げ、自分自身の選択を肯定するように言葉を重ねた。
「議長は本当に……世界を、平和を――っ!」
議長を信じるアスランと、その言葉の裏にある闇を警戒するキラ。そして、その狭間で静かに事態を見つめるアマキとカガリ。アスランがデュランダル議長の正当性を必死に叫ぶなか、岩場に腰掛けていたアマキが、思い出したように人差し指を立てて不敵な問いを投げかけた。
「じゃあ、あのエロい衣装のラクス・クラインは?」
「エロい……」
アスランは思考が追いつかず、目の前の少女の突飛な単語をそのままオウム返しにして呆然と呟いた。プラントで見た、一際扇情的な衣装を纏って民衆を熱狂させていたあの歌姫の姿が脳裏をよぎる。
「アマキ、一言余計だよ」
私服姿のキラが苦笑交じりに遮ると、すぐにその瞳を冷徹なまでの真剣さに染め、アスランを見据えた。
「今、プラントにいる、あのラクスは何なの?」
「ぁ、ぁれは……」
アスランは言葉を詰まらせた。あれは議長が用意した偽物だ。カガリのため、オーブのためにザフトへ戻る条件として、議長から「彼女のことは不問にしてほしい」と言われ、呑み込むしかなかった不条理。アスランの動揺を、背後のミリアリアも息を呑んで見つめる。
「ぁ……」
その欺瞞の傷口を抉るように、アマキが静かに、しかし決定的な告発を口にした。
「ラクスは暗殺されそうになった」
「え!?」
アスランの叫びと同時に、密かにアスランの後を追ってこの対談の場に潜り込んでいた、ミネルバのパイロット――ルナマリアも息をのみ信じがたい事実に目を見開いていた。
「殺されそうにって……なんだそれは!」
アスランが激昂する。あの可憐な平和の象徴であるラクスが命を狙われるなど、プラントの常識ではあり得ないことだった。キラは静かに事実だけを告げる。
「オーブで。僕等はコーディネーターの特殊部隊とモビルスーツに襲撃された」
「ぅ……っ」
「事前に情報は入手してたから、待ち伏せできたし怪我もなかったけどね。住んでる家とか破壊されたし、大迷惑だわ~」
アマキが肩をすくめて吐き捨てる。彼女の手回しによって最悪の事態は免れたものの、襲撃者が本物の暗殺部隊であったことは明白だった。
「狙いはラクスだったよ。だから僕たちは……機体に乗ったんだ」
「そんな……」
アスランは絶句した。キラたちが再び隠遁の生活を捨てて戦場へ舞い降りたのは、世界を混乱させるためではない。ただ、大切な人の命を、理不尽な暗殺の牙から守るための防衛行動だったのだ。
「……」
盗み聞きしているルナマリアは青ざめた顔のまま、言葉もなく立ち尽くしていた。自分たちが信じ、命を懸けて戦っているザフト、あるいはプラントの影が、かつての歌姫の命を奪おうとしたという現実。
「ラクスが邪魔だと言ってる人物は信用ならない。特にデュランダル議長はね」
アマキの紫の瞳が、黄昏の闇のなかで鋭く光る。
「それがはっきりしないうちは、僕たちはプラントも信じられない」
キラの放った拒絶の言霊は、アスランの胸を容赦なく抉り取った。
「キラ……っ!」
アスランは叫ぶが、それ以上言葉が続かない。デュランダル議長の掲げる平和の光の裏に、どす黒い暗殺の闇が潜んでいる。
◇◇◇
朝靄を突き抜け、鬱蒼とした森の奥深くに佇むロドニアの不審な研究施設。ハンドガンを片手に、もぬけの殻となった薄暗い建造物の内部へと二人は警戒しながら潜入する。
埃っぽい空気のなかを進み、最深部にある広大な実験室へと足を踏み入れた二人の目に飛び込んできたのは、無数に並ぶ歪んだカプセルと、非人道的な遺伝子操作を連想させる夥しい医療機器の残骸だった。
「はッ……!」
突如、静寂を切り裂くように、レイの喉から弾かれたような短い悲鳴が漏れた。
ピストルを構えたまま硬直したレイの視界が、激しく明滅し始める。白く無機質な壁、張り巡らされたチューブ、形成されたカプセルの列。そして脳裏に直接焼き付いている、自分という存在が「造られた」あの忌まわしき出生の記憶の残像。
「何だ? ここは……?」
周囲の異様な光景に眉をひそめていたシンが、隣の異変に気づいて振り返る。
「ぁ……ぁ……」
レイの手からハンドガンが滑り落ち、コンクリートの床にカン、と鋭く甲高い金属音を立てて転がった。彼は自らの胸元を狂ったように掻きむしり、てそのまま崩れ落ちるように膝をつく。
「ん? レイ!?」
シンの声に、焦燥が混じる。普段、感情を一切表に出さず、常に冷静沈着なレイが、見たこともないほどに顔を青白く染め、瞳の焦点を激しく失わせていた。
「ぅぅ……っ」
「レイ!」
「ハァ、ハァ……ッ!」
レイの呼吸は完全に狂っていた 。肺が酸素を拒絶するように激しく、浅く、過呼吸の波が彼の細い身体を容赦なく苛んでいく。誰もいない暗い実験室のなかに、彼の悲痛な息遣いだけが不気味に響き渡る。
「レイ! どうしたんだよレイ!」
シンは自分のピストルをホルスターに押し込み、床に膝をついてレイの肩を激しく揺さぶった。いつも自分を導き、完璧な判断をくだしてくれた、鉄の意志を持つ相棒。そのレイが、まるで底知れない闇に引きずり込まれそうな子供のように怯え、激しく喘いでいる。助けを呼ぼうにも、この閉ざされた空間には自分たち二人しかいない。
「ハァ……ハァ、ハァ、ハァ……ッ!!」
「レイッ!!」
シンの必死の絶叫が、冷たい実験室の壁にむなしく反響する。
地球連合が犯した最大の禁忌――「エクステンデッド」の実験場。その狂気の残影は、まだ何も知らないザフトの若き戦士たちの魂を、足元から容赦なく引き裂きにかかるのだった。