腹減り少女はSEED世界で爆発少女にレベルアップする 作:サボテンダーイオウ
「…まさか、そんな…っ!」
アスランの叫びは、夕闇の遺跡に虚しく響き渡った。
ラクス・クライン暗殺未遂。オーブの邸宅を襲撃したコーディネーターの特殊部隊。それが事実であるならば、自分がザフトに戻ってまで信じようとしたデュランダル議長の『正義』は、根底から覆ることになる。
アスランは戸惑いと共に脳裏の暗がりに、プラントで出会ったあの桃色の髪の少女の、無邪気で扇情的な笑顔がありありと蘇る。
「……ぁぁ……っ」
『皆さん、わたくしはラクス・クラインです。どうかお気持ちを静めて。わたくしの話しを聞いてください』
プラントの民衆を熱狂させていた、偽物のラクス――ミーア・キャンベルの歌声。そして、その不条理な芝居の舞台裏で、優雅にチェス盤を睨んでいたギルバート・デュランダルのあの穏やかな微笑みが、アスランの記憶を容赦なく侵食していく。
『笑ってくれて構わんよ。君には無論、分かるだろう。だが仕方ない。彼女の力は大きいのだ。私のなどより遙かにね』
議長はそう言って寂しげに笑ってみせた。本物がいないから、その理想を繋ぎ止めるために偽物を用意したのだと、そう言ってアスランの合理性を納得させたのだ。だがそれさえも偽りだったということなのか。
アスランは絶望のなかに視線を彷徨わせたが、目の前の4人は、ただ静かに、冷徹なまでの眼差しで彼の崩壊を見つめていた。
「………」
『だから今だけでもいいんです! あたしは。今いらっしゃらないラクスさんの代わりに、議長やみんなのためのお手伝いが出来たらそれだけで嬉しい。アスランに会えてほんとに嬉しい!』
彼女は本気で世界のために、そして自分のために微笑んでいた。だが、その少女の純粋さすらも、議長という巨大な存在の手のひらの上で踊らされていた泥人形に過ぎなかったというのか。本物のラクスが「邪魔者」として暗殺されかけていたというのなら、あの偽物の存在は、平和の象徴ではなく、本物の死を隠蔽するための『器』でしかなかったことになる。
『戦いを終わらせる、戦わない道を選ぶということは、戦うと決めるより遙かに難しいものさ、やはり。できることならそれを何とかしたいのだがね。私も。 だがそれこそ、何より本当に難しいのだよ』
耳元で囁くように響く、デュランダル議長のどこまでも優しく、理知的な声音。
世界のために苦悩し、平和のために泥を被る覚悟を見せていたあの男の言葉が、いまやアスランの胸を抉る最も鋭い毒刃へと変わっていく。
「アスラン……」
カガリが悲痛な面持ちでその名前を呼ぶ。アスランは激しい動呼吸のなか、必死に思考を巡らせ、自分自身がザフトに戻った選択を、そしてギルバート・デュランダル議長という男を否定しないための、苦しい弁明の言葉を絞り出した。
「……それは……ラクスが狙われたというなら……それは確かに、本当にとんでもないことだ。だが、だからって議長が信じられない、プラントも信じられないというのは、ちょっと早計過ぎるんじゃないのか? キラ」
大戦の英雄であるはずのキラたちが、たった一度の襲撃の疑惑だけで、平和のために奔走する議長やプラントのすべてを「敵」と決めつけるのは短絡的だ。アスランは必死に声を張り上げ、そう言って目の前の親友に食い下がった。
「アスラン……」
キラの瞳に、深い悲しみと諦めのような色が混じる。
議長の語る言葉の美しさに盲目になり、その足元に広がるどす黒い暗殺の欺瞞から目を背けようとする、かつての戦友の頑なな現実逃避。
だが、そのキラの沈黙を、岩場から飛び降りてきたじゃじゃ馬娘が、一瞬で粉々に踏みつぶした。
「あぁ?」
アマキの紫の瞳が、黄昏の闇のなかで冷酷なまでの鋭さを宿してアスランを射抜いた。彼女は腕を組み、ふくよかな身体を揺らすこともなく、きわめてストレートで毒のある言葉をアスランに向けて吐き捨てた。
「こっちが嘘ついてるとでも? 頭わいてんじゃね?」
「っ……!」
アマキの放った容赦のない辛辣な毒舌に、アスランは弾かれたように息を詰まらせ、拳を激しく握りしめた。
アスランは頭の痛いじゃじゃ馬娘を睨みつけ、喉を引き裂くようにして言葉を吼え返した。ここで自分自身が信じた議長を否定してしまえば、カガリを守るためにザフトへ戻った自分の歩みそのものが瓦解してしまう。彼は必死に声を張り上げ、その胸の奥にある生存戦略を二人に突きつけた。
「その襲撃のことだって、議長の御存じのない極一部の人間が勝手にやったことかもしれないじゃないか!」
「アスラン……」
議長の語る言葉の美しさに盲目になり、その足元に広がるどす黒い暗殺の欺瞞から目を背けようとする、かつての戦友の頑なな現実逃避。そんなキラの静かな沈黙に、アスランは焦燥感を爆発させるように食い下がった。
「そんなことくらい、解らないお前じゃないだろ!」
「……それはそうだけど……」
キラは裾を静かに握りしめ、ぽつりと呟いた。
確かに、プラント内には急進派の残党もいれば、議長のコントロールの及ばない不穏な分子もいるだろう。だが、キラが、そしてアマキが直感的に感じ取っているのは、その襲撃の事事実そのものよりも、その後に偽物のラクスを用意して平然と世界を躍らせているデュランダル議長という男の底知れない『不気味さ』だった。その本質をアスランが全く見ようとしていないことに、キラは静かな絶望を感じていた。
「ちょっと待ってよ! アスラン!」
キラの沈黙を庇うように、アマキが鋭い声を上げてアスランへと一歩詰め寄った。実際に家を破壊され、ラクスの命を狙われた当事者として、アスランのあまりにも身勝手な擁護論が許せなかった。
「五月蠅い!」
アスランはアマキを拒絶するように鋭く一喝すると、大きく呼吸を荒らげながら、それでも自分の義務を果たすように、硬い表情で言い放った。
「兎も角、その件は俺も艦(ふね)に戻ったら調べてみる」
「ぁ……」
背後のミリアリアの顔からも、思わず緊張の吐息が漏れる。
どれほど現実から目を背けようとも、ラクス暗殺未遂という事実を突きつけられた以上、もはや何も知らなかった頃には戻れない。
ジャケットの襟元を無意識に正しながら、アスランはそう言い放ち、荒い呼吸を整えるように一度強く目を閉じた。ラクス暗殺未遂という重い疑惑を胸に抱えながらも、彼は目の前に立つキラ、解してカガリを見据え、彼なりの決然としたアドバイスを突きつけた。
「だからお前達は、今はオーブへ戻れ」
「……じゃあ、お前……」
カガリがすがるような、悲痛な声を漏らす。だが、アスランは厳しい表情を崩さないまま、突き放すように背に言葉を重ねた。
「戦闘を止めたい、オーブを戦わせたくないと言うんなら、まず連合との条約からなんとかしろ。戦場に出てからじゃ遅いんだ!」
国家としての根回しもせず、ただ戦場に乱入して「やめろ」と叫ぶだけでは何も変わらない。カガリが本当にオーブの首長であるならば、ユウナたちセイラン家を政治の場でねじ伏せ、大西洋連邦との同盟を破棄してみせろ。それができなければ、オーブ軍はいつまでも連合の猟犬として戦わされ続ける――。アスランの放ったあまりにも冷酷な正論に、カガリは言葉を失って唇を震わせた。
「アスランはザフトに戻るの?」
重苦しい沈黙を切り裂くように、アマキがその紫の瞳をアスランへと向けた。
「……」
アスランは己の胸元を見つめ、自分を、そしてカガリを納得させるように真っ直ぐに告げた。
「オーブが、今まで通りの国であってくれさえすれば、行く道は同じはずだ」
「アスラン!」
カガリが叫ぶ。だが、アスランの瞳は、すでに前大戦の英雄としての迷いを捨て去ったかのように硬く、冷徹だった。
「俺は復隊したんだ! 今更戻れない」
「そんな……っ」
デュランダル議長からフェイスの特権を与えられ、最新鋭機セイバーを託された。今更ザフトを抜けてアークエンジェルにのこのこと戻るなど自分を信じてくれた議長への義理が許さなかった。
だが、そのアスランの悲壮な決意を、アマキは鼻で笑うようにして、一刀両断に切り捨てた。
「言い訳じゃないか。そんなの」
「……っ」
アスランの身体が、衝撃を受けたようにピクリと強張った。
行く道は同じ、今更戻れない。議長の欺瞞と暗殺の闇から目を背け、ザフトという巨大な組織のぬるま湯に逃げ込んでいるだけの、ただの「言い訳」に過ぎないのではないか。アマキの放った容赦のない荒削りな毒舌は、アスランの細いプライドを木っ端微塵に粉砕した。
「君はこれからもザフトで、またずっと連合と戦っていくんだね?」
「……終わるまでは、仕方ない」
アスランは視線を落とし、自分自身に言い聞かせるように低く呟いた。
「……」
「ぁぁ……」
「はぁ……」
その諦めにも似た言葉に、アマキ、カガリ、そして背後でカメラを握るミリアリアの3人から、重苦しい沈黙と悲痛な吐息が漏れる。だが、キラの追及はそこで終わらなかった。
「じゃあ……この間みたいに、オーブとも?」
「え?」
カガリが弾かれたように顔を上げる。数日前、あの地獄のダーダネルス海峡で、オーブの軍を力ずくでねじ伏せなければならなかったあの不条理。アスランは顔を歪め、焦燥を爆発させるように声を荒らげた。
「……俺だって、出来れば討ちたくはない! でも、あれじゃ戦うしかないじゃないか!」
ユウナたちに唆され、連合の猟犬としてザフトの前に立ちはだかるオーブ軍。彼らが牙を剥いてくる以上、軍人として引き金を引くしかない。それがアスランの限界だった。
だが、そのアスランの頑なな防壁を、アマキが呆れたような声で一瞬にして踏み潰した。
「じゃあ戻ってきなよ、こっちに」
「!? お前、俺の話を聞いていたのか? 戻らないと言っただろう!」
アスランは怒髪天を突き、自分を無視するはずだった決意も忘れてじゃじゃ馬娘を睨みつけた。だが、アマキは一歩も引かず、その紫の瞳でアスランの心を真っ直ぐに見据えた。
「だって、討ちたくないんでしょ? じゃあ戻ってくればいいじゃない」
「っ! だから!」
(どうして、そうあっさりといえるんだ。アマキはいつもいつもそうだ)
思ったことを、いつだって素直に言葉にすることができる。迷いなく不殺の翼を広げるアマキの真っ直ぐな生き方に、アスランは激しい嫉妬にも似た焦燥を覚えながら、言葉を詰まらせた。
「それってデュランダル議長に対する義理? ――それとも、自分から声かけてお願いした側だから、間違ってても目を瞑るの?」
「っ……!!」
アスランは言葉を失い、喉の奥で息を詰まらせた。
痛いところを、一番突かれたくない核心の欺瞞を、この少女は恐ろしいほど正確に撃ち抜いてきた。
ミネルバに配属され、議長からフェイスの特権とセイバーを託された。それは、自分から「世界のために力になりたい」と願い出たからこそ与えられたものだ。今更「ラクスが暗殺されかけたから議長は敵だ」と認めてしまえば、自分の下した決断が、自分の正義が、すべて『間違い』だったと認めることになってしまう。
間違っているかもしれないと気づきながらも、自分のプライドと議長への義理のために、大切なオーブに銃口を向けることに「目を瞑る」のか――。アマキの放った容赦のない辛辣な一言は立ち尽くすアスランの心を、完膚なきまでに真っ二つに叩き割るのだった。
アスランは激しい動揺を隠すように、今度は世界を覆う大義名分を盾にして、必死に怒号を張り上げた。
「連合が今ここで何をしているか、お前達だって知ってるだろ!? それはやめさせなくちゃならないんだ!」
カガリが唇を噛む。ユーラシア西側での連合の暴挙、そして地球連合が世界にもたらしている混沌。それを止めるために自分はザフトのフェイスとしてここにいるのだと、アスランはカガリを激しく指差した。
「だから条約を早く何とかして、オーブを下がらせろと言っている!」
「くッ……」
ユウナたちに主導権を握られ、軍を動かされてしまった己の不甲斐なさ。その痛いところを突かれ、カガリの瞳に激しい悔しさと涙が滲む。その彼女を庇うように、キラが静かに、しかしどこまでも真っ直ぐな声をアスランへと届けた。
「……でも、アスラン……」
「ぅ……」
アスランの息が詰まる。キラの瞳には、かつて前大戦の終局で見せたような、すべてを受け止める覚悟の光が宿っていた。
「それも解ってはいるけど、それでも僕たちは……オーブを討たせたくないんだ」
「キラ!」
「本当はオーブだけじゃない。戦って、討たれて失ったものは……もう二度と戻らないから」
「……っ!」
そのあまりにも純粋で、あまりにも残酷な正論に、アスランの理性が激昂の炎に包まれた。お前はいつもそうやって、戦場の上空からすべてを否定し、綺麗な理想だけを並べ立てる。アスランは拳を固く握りしめ、かつての親友の最も昏い傷口に向けて、容赦なく言葉の刃を突き刺した。
「自分だけ解ったような綺麗事を言うな!! お前の手だって、既に何人もの命を奪ってるんだぞ!!」
それは、絶対に口にしてはいけない言葉。かつて血の復讐劇のなかで、お互いに大切な仲間、そして愛する人を殺し合ったという、あまりにも重すぎる消えない事実。かつての親友の傷口に向けて、アスランは焦燥のあまり容赦なく言葉の刃を突き刺した。
その言葉の重みに、キラがかすかに視線を落とし、裾を強く握りしめた、まさにその瞬間だった。
アマキは迷うことなく一歩を踏み出すと、傷ついたキラの身体の前にスッと立ち塞がり、その背中を自らのふくよかな身体で完璧に庇うようにしてアスランとの射線を遮った。そして、瞳に烈火のような怒りと絶対的な自負を宿し、アスランに向けて強く言い返した。
「――だから、もう誰の手も汚させないために、私たちがここにいるんだろうが!」
凛とした、しかし地を走るような凄みを帯びた啖呵が、夜の遺跡の石柱に激しく響き渡った。
「キラが過去を背負って傷ついてるのも、それでも引き金を引かなきゃいけない現実も、全部全部わかった上で、私はキラを守るって決めてるんだ。もう誰にも、お前にだって、キラをこれ以上責めさせない!」
「お前……っ」
アマキに真っ向から睨み据えられ、アスランは気圧されたように言葉を詰まらせて後退した。
彼女の放つ言葉の重みは、迷いながら銃を握るアスランとは次元が違っていた。キラはアマキの言葉に静かに救われながら、アスランの目を見つめ直した。
「……うん。知ってる」
「ぅ……っ」
アスランの方が、むしろ息を呑んで後退した。
キラは自分の犯した罪を、その両手に染み付いた血の重みを、一瞬たりとも忘れてなどいなかった。生きるためにモニターの向こうで奪ってしまった数々の命への絶望。それをすべて背負ったまま、キラは、ぽつりと胸の内にある本当の祈りを口にした。
「だからもう、ほんとに嫌なんだ、こんなことは」
「ぁ……」
背後で見守っていたミリアリアの顔からも、あまりにも重すぎる対話に、悲痛な吐息が漏れる。アスランはただ、目の前の親友と、その背中を完全に支える少女の姿に言葉を失って立ち尽くしていた。
「キラ……」
「討ちたくない。……討たせないで」
誰も殺さない、誰も死なせない。その難しさを誰よりも分かっている二人だからこそ、その言葉には、迷いながら引き金を引くアスランのどんな大義名分をも容易にねじ伏せる、絶対的な「重み」が宿っていた。
戦場をただ否定するのではない。そこにあるすべての命を力ずくで救い上げることの、気の遠くなるような過酷さと罪の重さを、キラとアマキはあの日からずっと背負い続けているのだ。
ただただ、その圧倒的な覚悟の前に圧倒されて立ち尽くしていた。だが、彼は震える呼吸を強引に整えると、決別を決定づけるように、冷徹な声を夜の空気に響かせた。
「ならば、尚のことだ。あんなことはもうやめて、オーブへ戻れ。……いいな?」
「あ……アスラン! ……」
カガリが悲痛な声を上げ、去ろうとする彼の私服のジャケットに手を伸ばしかけた。だが、アスランは足を止めるものの、振り返ることはしなかった。カガリの指に収まっている指輪が夕暮れの光を反射して光る。
「……理解は出来ても、納得出来ないこともある」
「ぇ……」
カガリの息が止まる。
ラクスが何者かに暗殺されかけ、議長の裏にどす黒い闇が潜んでいるかもしれないという、キラたちの告発。その恐るべき危うさは、頭では理解できている。だが、世界を平和に導くために自分を信頼し、力を貸してほしいと願ってくれた議長の言葉を、今更「全部偽物だった」と納得して引き返すことなど、アスランのプライドが、その義理が許さなかった。
「俺にだって……」
俺にだって、譲れないものがある。守らなければならない正義がある。
アスランはそれ以上言葉を続けることなく、夜の闇に紛れるようにして、静かに遺跡の階段を降りていった。
「アスラン……」
カガリの掠れた呟きが、冷たい石柱の間に消えていく。
崩れた石壁の影。その闇のなかに息を潜めていたルナマリアは、あまりにも重すぎる3人の決裂に、言葉もなく立ち尽くしていた。ザフトの暗殺疑惑、そして本物のラクスが狙われたという残酷な真実。
「……」
崩れた石壁の影。その闇のなかに息を潜めていたルナマリアは、あまりにも重すぎる3人の決裂に、言葉もなく立ち尽くしていた。ザフトの暗殺疑惑、推測される本物のラクスが狙われたという残酷な真実。
ルナマリアは震える手で、3人の声を拾い上げていた高感度の集音器と、足元に据え置いた軍用の大型録音機材をそっと見つめた。これだけの会話の記録だ。艦長へ報告すれば、必ずプラントの、そして世界の裏側を暴く重大な手がかりになるはずだった。
だが、遺跡の中心からは、そんなシリアスを完璧に蹴散らすような軽い声が響いた。
「……さーて、私たちも撤収しますか」
カガリが未だ涙を浮かべて立ち尽くすなか、アマキはふう、と息を吐いて伸びをした。
「で・も、その前に~。いっちに~さんし~っと……」
アマキが突然、その場で腕や足を屈伸させるように体の節々を動かす真似をし始めた。
「え……?」
「は……?」
あまりにも戦場の緊迫感にそぐわないじゃじゃ馬娘の奇行に、涙を浮かべていたカガリも、深く息を呑んでいたキラも、背後でシャッターチャンスか!?とカメラを構えていたミリアリアも、完全に思考が停止して限界まで目を点にした。
そんな3人が呆然と見守るなか、アマキはクラウチングスタートのような走り出すポーズをとると、次の瞬間、そのふくよかな身体からは想像もつかないほどの爆発的な推進力で、遺跡の床を強く蹴り上げた。
――ドンッ!!
「うわぁっ!?」
弾丸のような跳躍。あまりの風圧と凄まじい脚力にキラたちが「ひっ」と声を上げて仰け反るなか、夜の闇を切り裂いて、アマキの巨体が高台の石壁へと、文字通り空を飛ぶようにして肉薄していった。
「っ!? ――」
夕暮れの中で高感度モニターを睨んでいたルナマリアは、頭上から突然降ってきた白い影に驚愕に目を見開き、反射的に護身用のピストルを抜いて銃口を向けた。だが、アマキはその射線を空中での身をよじるような機動で鮮やかに回避すると、着地ざまにルナマリアの背後へと滑り込み、その細い首元をガシッと力強く締め上げた。
「お嬢さん、お久しぶりだね~。盗み聞きご労様」
「アンタ……っ! ――ぐ、離しなさいよ!」
ルナマリアは喉を圧迫されながらも、必死にアマキの拘束を逃れようと暴れる。アマキはルナマリアを完全にホールドしたまま、空いた右手で自身のホルスターからピストルを滑らかに引き抜いた。
「御免ね。身内ネタだから楽しくなかったでしょ? これね、タリアさんにでも頼まれたのかな? ――でもごめん。壊させてもらうよ」
アマキはルナマリアの足元にある大型の録音機材へと冷酷に銃口を向け、躊躇なく引き金を引いた。
―――バァンッ!!!
静まり返った夜の遺跡の空間に、鼓膜を裂くような激しい銃声が轟いた。
放たれた弾丸は大型録音機材の心臓部を完璧にブチ抜き、火花と激しい硝煙を上げながら、内部の記録メディアごと一瞬で鉄屑へと変えられた。
アマキはルナマリアの首をパッと放すと、煙の立ち上るピストルをホルスターへと滑らかに収めた。ルナマリアが激しく咳き込みながら床に膝をつくなか、アマキはいつものニッコリとした不敵な笑みを浮かべ、仮面の男ラウから教わったような、冷徹な大人の忠告を突きつけた。
「タリアさんには、君の口から直接説明してあげてね? ――できる範囲でいいからさ。今回は見逃してあげるけど……次はない」
「……っ…悪魔ね、あんたは」
ルナマリアは黒く焦げた機体を見つめ、青ざめた顔で唇を噛んだ。
◇◇◇
薄暗いロドニアの地下施設の通路には、防護服を身に纏い、ピストルやアサルトライフルを構えたザフトの一般調査部隊の面々が、埃と死臭の立ち込めるなかを慎重に進んでいた。
彼らのインカムからは、緊迫した無線の交信コードが次々と飛び交っている。
『F2より各班、電力線の起爆スイッチ解除を確認』
『F5よりF1、二階クリア』
施設に仕掛けられていた大西洋連邦の自爆用のトラップを、技術兵たちが冷や汗を流しながら一つずつ解除していく。だが、最奥の区画へと足を踏み入れたF3班の兵士からの定時報告は、ノイズ混じりに、あまりの凄惨さにひどくひび割れた声音でブリッジへと届けられた。
『F1、こちらF3。……みんな腐っちまってる。酷い臭いだ……っ』
まるで地獄のような世界が広がっていた。
◇◇◇
ミネルバへと帰艦したシンとレイの二人は、その足で直ちに艦内の医務室へと集められていた。未知の生物兵器や残留ガスの危険性を考慮した、軍医による強制的な検疫処理のためだった。
「いや、ほんと俺は別に、何ともないですから」
シンはベッドの端に腰掛け、軍医に向けて煩わしそうにぶっきらぼうな声を上げた。
「そうは言ってもね、念のためだ。現段階では建物や周辺からガスやウィルスの類は検知されていないが、何があるか分からんだろ」
ミネルバの軍医は、モニターの数値を厳しくチェックしながら、ため息混じりにの目を光らせた。そして、消毒液の匂いが漂う室内に、少し声を潜めて不満を漏らす。
「だが、艦長も迂闊だよ。そんな場所へ、君達だけで行かせるなんて」
まだ十代の最新鋭機のパイロット二人(を、何が潜んでいるかも分からない連合の秘密施設に真っ先に放り込んだのだ。医師としての至極真っ当な怒りに対し、シンは慌てて両手を振ってタリア艦長を庇った。
「ちゃんとチェックはしながら入りましたよぉ。――レイ!」
シンが助けを求めるようにして、隣のベッドに静かに座っていた相棒へと視線を向けた。
レイ・ザ・バレル。あの薄暗い地下実験室のなかで、自分という存在が「造られた」出生のトラウマの残像に襲われ、激しい過呼吸のなかに溺れて崩れ落ちていた男。シンは未だ、あの時のレイの見たこともないほどに青ざめた顔が脳裏に焼き付いて離れずにいた。
だが、レイはすでにいつもの、感情を完璧に削ぎ落とした氷の表情を取り戻し軍医に向けて、丁寧だがこれ以上の介入を拒絶するような、静かな声を響かせた。
「すみませんでした。もう大丈夫です。ありがとうございました」
「そうか? まだ休んでいてもいいんだぞ?」
軍医はなおも心配そうに言葉を重ねる。しかし、レイの鉄の意志が揺らぐことはなかった。
「いえ、ほんとうにもう大丈夫です」
「あ……」
シンは、それ以上何も言えずに短く声を漏らした。
◇◇◇
ロドニアの地下施設内を徹底的に捜索していた一般兵たちの報告を受け、地上に設営されたザフトの簡易拠点内。過酷な調査が終わりを迎える頃、天幕の隙間から覗く外の景色は、もうすでに暗い夜の静寂に包まれていた。
その中心にある指揮用の簡易テントの中で、バートから報告が上がる。
「内部のチェック完了しました。自爆装置は全て撤去。生物学的異常は認められません」
「そう、ありがとう」
タリアは深く、重いため息とともに頷いた。丸一日をかけた調査の結果、施設に仕掛けられていた罠はすべてクリアされ、残留ガスや生物兵器の危険性も存在しないことが証明された。だが、折りたたみ椅子に座り、アーサーが、ライトの光の下で不思議そうに首を傾げた。
「ということは……どういうことでしょうかねえ? その、レイの異常は……」
「……」
アーサーの至極真っ当な疑問に、簡易テント内の一同が沈黙した。
建物からも周辺からも、毒ガスもウィルスも一切検知されていない。ならばなぜ、常に冷静沈着で鉄の意志を持つレイが、あの施設に入った途端にあのような凄まじい過呼吸の発作を起こして崩れ落ちなければならなかったのか。その本当の理由を、まだ誰も知る由はなかった。
「艦長、セイバーです」
通信兵の鋭い声が、簡易テントの重苦しい空気を切り裂いた。
直後、テントの天幕を激しく震わせるモビルスーツの重低音の着陸音が、夜の森に轟き渡る。
「ん?」
タリアが顔を上げる。漆黒の夜空を切り裂いてロドニアの地上へと急速降下し、見事な着陸を決めたのは、一機の鮮烈な赤き可変モビルスーツ――セイバーガンダムだった。
彼は港へ戻るなり、シンたちが不穏なラボの探索任務へ向かったと聞き、一睡もせぬまま愛機を駆って夜の帳が下りたこの地へと追いかけてきたのだ。
コックピットから降り、タリア達に出迎えられたアスランは、タリアへと声をかけた。
「港へ戻ったら発進したと聞いて。……どうしたんです? 何かあったんですか?」
アスランからの問いかけに対してタリアは苦い表情で応えた。
◇◇◇
J.P.ジョーンズの格納庫。
薄暗い空間のなかに、先日のダーダネルス海峡で大破し、脚部や武装を強引に削ぎ落とされたカオス、アビス、ガイアの凄惨なダメージデータが冷酷に点滅していた。
派手なベネチアンマスクの位置を指先で直しながら、スノウは、目の前のガイアガンダムを仰ぎ見て呟いた。
「フム。三機ともやられてしまうとはなぁ」
「ええ。でもそれをスエズにも戻らずにここでというのは、正直きついですよ」
端末の修復進捗を睨みながら、地球軍整備士がやれやれと肩をすくめてぼやく。前線基地であるスエズへ引き返して万全の補修を受ける猶予すら与えられず、この黒海の洋上で強引にダメージコントロールを強いられているのだ。
「それはそうだな。だが敵の首級くらい持ち帰らねば上はお怒りだろう。……あえて残骸にしてしまうか」
「カンザキ大佐が言うと本当になりそうだからやめてくださいよ!」
その底知れない冷徹さに、地球軍整備士が引きつった顔で制する。スノウにとって、兵器の破損などチェスの駒が少し傷ついた程度に過ぎない。むしろ、乱入してきた身内の「じゃじゃ馬娘」アマキの暴れっぷりに、マスクの奥の瞳を妖しく細めていた。
だが、その隣でスノウの腕にずっと引っ付いていたステラは、彼らの冷たい会話を聞きながら、自分が負けてしまったことを怒られているのかと急に不安になった。
「スノウ……おこってない?」
「ん? 大丈夫だ。怒ってない。むしろステラ達は今日も元気で嬉しいさ。毎日元気でいておくれ」
スノウ大佐はマスクの奥の瞳を優しく細めると、大きな手で愛娘の頭を優しく撫で上げた。
「うん!」
ステラは一瞬で表情を明るくし、満面の笑みを浮かべて嬉しそうに頷いた。
「カンザキ大佐!」
そこへ緊迫した声を上げて慌ただしく駆け込んできた地球軍兵士の姿に、スノウはベネチアンマスクの奥の瞳を静かに向けた。
「何事だ」
「ロドニアのラボのことなんですが……」
「ロドニア、例のやつか」
スノウが薄い唇の端を吊り上げる。大西洋連邦が犯した最大の禁忌――生体CPUの実験場。
「アクシデントで処分に失敗したようで。更に悪いことにザフトが……」
「ああ、そちらは既に対処済みだ。心配するな」
スノウは兵士の報告を冷たく遮ると、不敵な笑みを浮かべて言い放った。すでに潜入しているシン達への、特大の催しはすべて彼の手によって整えられていた。
「そ、そうだったのですか。ですが報告を受けてスエズも慌てているようで……とりあえずお耳に」
「え?」
慌てる兵士たちの緊迫した空気と、自分たちの故郷である「ロドニア」という単語の響きに、ステラはただ不思議そうに小首を傾げるのだった。
◇◇◇
物々しい周囲の警戒のなか、その薄暗い地下実験室の最深部へと直接足を踏み入れたのは、タリアを筆頭とするミネルバの首脳陣、そしてアスランやシン、さらに愛機の修理中に生身での同行を志願したハイネだった。
だが、半開きになった重い防爆隔壁の向こうに広がっていたのは、言葉を失うほどにおぞましい、地獄そのものの光景だった。
「な……んだ、これ……っ」
広い部屋の冷たいコンクリートの床や壁には、生々しい夥しい血飛沫と、無数の弾痕が刻まれていた。
そして何より凄惨だったのは、そこに転がる白衣を着た研究職員たちと、まだ十代にも満たない幼い子供たちの凄惨な遺体の数々だった。
腕や首筋には、不自然に脈打つバイオセンサーの端子が埋め込まれている。転がる遺体の中には、職員の首筋に小さなナイフを突き立てたまま絶命している子供や、拳銃を握りしめたまま事切れている大人の姿があった。
それは、薬物の禁断症状と恐怖によって理性を暴走させた子供たちと、証拠隠滅のために彼らを「処分」しようとした職員たちが、狭い密室の中で狂気的に殺し合った、最悪の内乱の痕跡だった。
「うわぁぁ……ぅぅ……っ」
「ぅ……っ」
タリア艦長は溢れそうになる嫌悪感を必死にカミ殺し、胃の奥からせり上がる不快感に口元を押さえて青ざめた顔で立ち尽くす。
「……」
「……」
アスランとシンは、ただ無言のまま、あまりの生々しさに息を呑んで硬直していた。
「ぁぁ……っ」
アーサーは頭を抱え、涙をボロボロとこぼしながら、埃っぽいコンクリートの床に崩れ落ちそうになっていた。子供と大人が殺し合ったという、あまりにもむごたらしすぎる現実。
――バサバサバサッ!!!
その時だった。死体安置所さながらの地下室の暗がりから、突如として数羽の不気味な黒い影が、けたたましい羽音を立てて飛び出してきた。どこからか紛れ込み、死臭を嗅ぎつけて遺体に群がっていたカラスたちだった。
「うわぁぁ! ――っ、ひぃっ!」
至近距離を黒い翼が掠め飛び、アーサーは腰を抜かして床へとしりもちをついた。カラスたちが天井の配管へと逃げ去り、バサバサという羽音がようやく静まると、アーサーは荒い息を吐いて胸を撫で下ろす。
「……ふう……。ん?」
安堵したのも束の間、アーサーの視線が、カラスたちがつい先ほどまで突っついていた、すぐ目の前の子供の遺体の生々しい傷口へと向けられた。
「うわぁぁぁぁ!!」
極限状態の恐怖が限界を突破し、アーサーはブリッジの時とは比べ物にならないほどの情けない絶叫を地下室に轟かせた。
「おい、しっかりしてください副長!」
腰を抜かして錯乱するアーサーの脇を強引に抱え上げ、鋭い声で叱咤したのはハイネだった。彼は転がる遺体の銃やナイフの位置、そして飛び散った血痕の軌跡をエース特有の冷徹な観察眼で射抜き、不快そうに顔を歪めた。
「こいつは酷えな……。ただの処分じゃねえ、完全に身内で殺し合ってやがる。薬で子供の理性をブチ飛ばして、手に負えなくなって文字通り噛み殺されたってわけかよ……大西洋連邦のクソ野郎どもは!」
ハイネの怒りを孕んだ生々しい分析が、地下室の冷気をさらに際立たせる。
「これは……一体……何なんですか、ここは!!」
アーサーはハイネに支えられながらも、涙で濡れた顔を跳ね上げ、震える指先で目の前の子供たちを指し示しながら、その胸の奥にある純粋な人道的な怒りを叫んだ。
軍人としての合理性を遥かに超えた、大西洋連邦の絶対的な悪。タリアは重く、ひび割れた声音でその真実を口にする。
「内乱……ということでしょうね。証拠を隠滅し、自爆しようとして……」
「でも……何で、こんな子供が!?」
「ぁ! ――」
アスランの胸の奥に、昨晩の遺跡でのキラやアマキの言葉が、強烈なノイズとなって突き刺さった。『戦って討たれて失ったものは、もう二度と戻らない』『議長は本当に平和を望んでいるのか』。連合がこれほどのおぞましい罪を犯しているのは事実だ。しかし、それを討つザフトの正義の裏にも、ラクス暗殺というどす黒い闇が潜んでいる。世界のどちらを向いても地獄しかないという圧倒的な不条理に、アスランは息を詰まらせて拳を握りしめた。
「……」
シンは、ただ真っ直ぐに血溜まりに横たわる子供たちを見つめていた。大人たちの都合で命を弄ばれ、殺し合わされた子供たち。この世界の理不尽を、シンは血が出るほどに奥歯を噛み締めてその胸に刻みつける。
「……はぁ……」
タリアは深い、深い溜息とともに、静かに周囲の医療機器の残骸へと視線を戻した。
◇◇◇
――だが、この場にいるミネルバの誰もが、この瞬間まで知る由もなかった。
彼らが今、目の前で直視し、カラスさえも群がっていたあの「殺し合った職員と子供たちの遺体」の正体が、肉体も肌の質感も、血の匂いすらも本物と寸分違わぬほどに精巧に造り込まれた、ただの人形(ダミー)に過ぎないということを。カラスたちが突っついていた肉の破片すらも、スノウが用意した完璧な演出の一部だったのだ。
ミネルバ隊がロドニアの地下でパニックに陥っている音声データをスピーカーから淡々と拾い上げながら、スノウはベネチアンマスクの奥の瞳を妖しく細め、薄い唇の端を不敵に吊り上げていた。
「いい驚きっぷりじゃないか。聞いている私もドキドキするぞ」
本物の実験体の子供たち、そして彼らを匿っていた研究職員たちは、スノウ大佐が仕組んだ極秘の隠密作戦により、処分部隊が手を下すよりも遥かに前に、本国ユーラシアのさらに別の安全な保護区画へとすでに全員の避難・移送を完了している。無論、上の連中など知ったことじゃない。
スノウとしては大西洋連邦の残虐性をザフトの前線に強く印象づけ、彼らの倫理観を内側から激しく揺さぶるための、完璧な視覚的トラウマの舞台装置のつもりだ。要はお化けやしみみたいなものである。
◇◇◇
パイロット待機室、部屋に戻ってきたステラは、広めのソファに深く背を預けて思い思いの時間を過ごしていた二人の青年の前で、記憶の片隅に残る不穏な単語をぽつりと口にした。
「ロドニアのラボ」
「ん? どうした?」
ソファの上でクッションを抱え、リラックスした様子で読書をしていたスティングが、その名前にわずかに眉をひそめて顔を上げた。
「あん?」
同じくソファの隅で、携帯音楽プレイヤーのイヤホンを片耳から外し、お気に入りのおもちゃを弄んでいたアウルもまた、怪訝そうにステラを見上げる。二人の視線を浴びながら、ステラは穏やかな室内のなかで報告をする。
「ってスノウがいってた」
「ロドニアのラボって……そりゃお前……」
スティングの言葉が僅かに詰まる。その単語が持つ意味の重さに、それまで部屋に流れていた穏やかなくつろぎの空気が一気に凍りついた。アウルがソファから跳び起きるようにして立ち上がり、どこか苛立たしげに声を尖らせる。
「俺達が前いたとこじゃんか」
「何だいきなり」
スティングがソファから腰を上げ、ステラの前に歩み寄ってその小さな肩を掴む。ロドニア。それは自分たちが生体CPUとしての狂気的な調整を受け、人間としての尊厳を削ぎ落とされた、思い出すのもおぞましい忌まわしき実験場だ。ステラはスノウ大佐のブリッジでの会話を、思い出すようにして言葉に紡いだ。
「悪いことにザフトがって……スノウが!」
「「ええ!? 」」
スティングとアウルの二人の絶叫が、待機室の壁に激しく反響した。
「あそこって廃棄されたんじゃなかったっけ!?」
アウルが激しい焦燥のなかに傍らの壁を強く叩く。自分たちが前線へ駆り出された時点で、あの施設はすでに使い潰され、完全に捨てられたはずだった。
「ああ。そのはずだが……」
スティングもまた、悔しげに奥歯を噛み締めて天井を睨みつけた。あの最悪の場所に、よりによって自分たちの敵であるザフトが潜入している。それが何を意味するのか。自分たちの過去が暴かれることへの嫌悪か、あるいは――。
「……みんな、まだあっちにいるのかな?」
二人が激しい動揺を隠せずにいるなか、ステラはただ静かに、寂しげな瞳で床を見つめてぽつりと呟いた。
薬品に塗れ、大人たちに玩具のように命を弄ばれていた、かつての自分たちの同胞――ロドニアの子供たち。
あそこは、スノウが来る前は文字通り地獄のような場所だった。だが、彼がステラたちの前にやってきた日から、すべてが変わったのだ。
それまでの大人たちのように自分たちをただの消耗品の道具として見るのではなく、当たり前の人間のように接し、名前を呼び、この温かい部屋と自由な時間を与えてくれた。だからこそ、3人はスノウを心から父親のように慕い、信頼している。
自分たちだけじゃない。あの地獄に取り残されてきた、大切な仲間のことも気がかりで仕方がないのだ。
「――善は急げ、だ! スノウのところへ行くぞ!」
「うん!」
「待ってよ、俺も行く!」
スティングの力強い号令に、ステラとアウルが即座に弾かれたように応じた。3人はソファを力強く蹴り上げると、スノウの自室へ向けて一目散に駆け急ぐのだった。
「スノウ――っ!!」
スノウ大佐の私室のその重い自動扉が勢いよく開き、息を切らせたステラ、スティング、アウルの3人が雪崩を打つようにして駆け込んできた。
突然の騒がしい乱入劇に、室内のデスクで珍しくベネチアンマスクを外していたスノウは、耳元からヘッドホンを外して机の上に置くと、困ったように肩をすくめて見せた。
「何だ? お前たち、ぞろぞろと」
「ステラに聞いたぜ。あっちのラボ、どうなってるんだ!?」
スティングがデスクの前に詰め寄り、その熱い想いをぶつける。
「母さんはどこに避難してんだよ!」
アウルもまた、自分たちをずっと陰で支えてくれた大切な女性研究員――「母さん」の安否を気遣い、必死に声を張り上げた。彼らにとってロドニアは地獄だったが、スノウが来てからは、守るべき大切な家族のいる場所に変わっていたのだ。
そんな息子たちの純粋な焦燥を受け止め、スノウ大佐は素顔の瞳を優しく細めて包み込むような声音で告げた。
「ああ、ステラに聞いたか。安心しろ。あちらの関係者は、既に私が退避させた。あそこにあるのは……そっくりな奴だけだ」
「そっくりって、なあに?」
ステラが不思議そうに首を傾げる。
「人形だ。人形。私が監修しているから本人そっくりだし、感触も人間そのものだぞ。仲間に頼んでな、金もかけたぞ。全財産だ。はっはっは!これで私も無一文だ。すごいだろう?」
「……何言ってるかさっぱりだが、向こうの奴らは大丈夫ってことだな」
スティングが呆れたように肩をすくめる。
「マジ? さっすがスノウ! やるじゃん」
アウルはパッと表情を明るくして親指を立てた。だが、スノウ大佐の口から紡がれた次の一言が、この温かい私室の空気を別の意味で一変させた。
「――それよりも、ステラ。シンに会ってくるか?」
「シン!? どこにいるの?」
ステラの瞳が、ぱっと輝く。あの日、海岸で自分を優しく受け止め、ハンカチを貸してくれた大切なザフトの少年。
「ロドニアのラボにいるらしい。ハンカチを借りていただろう。……返してきなさい」
「「はぁ!? 」」
スティングとアウルが、私室の天井を突き破らんばかりに見事なシンクロで大絶叫を上げた。自分たちの最も過酷な故郷であり、今は敵であるザフトの戦闘区域だ。よりによって、そこへ妹同然のステラを一人で「ハンカチを返すためだけ」に向かわせるという、父親のあまりにも突飛すぎる命令に、二人はひっくり返りそうな顔で絶句した。
「いく! いく! シンにあいたい!」
「よし! 許可する。行っておいで」
スノウ大佐は優しく微笑み、愛娘の背中をポンと押して出撃の手続きを承認した。
「やったぁ!」
ステラは満面の笑みでバンザイをすると、スティングたちの静止の声も聞かずに、スキップをするような軽やかな足取りで部屋を飛び出していった。
スノウ大佐の私室を飛び出し、スキップをするような軽やかな足取りでカタパルトデッキへとやってきたは、まだダメージコントロールの最中だったハンガーへと勢いよく足を踏み入れた。
「あ?」
「お、おい!」
突然の少女の来訪に、整備士が一声かける。
そんな周囲の動揺などどこ吹く風で、ステラは地球軍の隊服のまま愛機の足元まで進み出ると、コントロールパネルの前に立つ兵士を見上げてきっぱりと言い放った。
「はっちあけて。スノウから行ってきていいっていわれてるから」
「はぁ? またあの人勝手に……。おーい! ハッチ解放急げ!」
兵士は呆れたように頭を抱えてぼやいたが、最高指揮官であるスノウ大佐の直々の命令とあっては逆らえるはずもない。彼は慌ててインカムに怒鳴り、周囲の整備員たちに甲高いサイレンとともに指示を飛ばした。
重いハンガーの格納庫のハッチがギチギチと音を立てて開く。
シートに深く身を沈め、操縦桿を握りしめるその小さな手のなかには、あの日海岸で手渡されたシンの温かいハンカチが、大切に握りしめられている。
「シン……まってて!」
ステラは満面の笑みを浮かべ、メインモニターの向こうに広がるロドニアの暗い森を見つめて呟いた。
システムが起動し、ガイアガンダムの双眸が鋭く光る。ステラの駆る愛機は、隊服の裾を小さく揺らしながらカタパルトから勢いよく弾き出され、大切なシンの待つ約束の地へと向けて、軽やかに大空へと舞い上がっていくのだった。
◇◇◇
ロドニアの地下施設内を徹底的に捜索していた一般兵たちの報告を受け、地上に設営されたザフトの簡易拠点内。その中心にある指揮用の簡易テント」の中で、通信席のバートがコンソールからタリア艦長へと振り返った。
過酷な調査が終わりを迎える頃、天幕の隙間から覗く外の景色は、もうすでに暗い夜の静寂に包まれていた。
「ええ、そうね。まさか、死体が全部偽物なんて思わないでしょう。……兎に角、今取れるだけのデータは取って。後から専門のチームも来るでしょうけど……これだけの施設、連合がこのまま放置しておくとは考えにくいわ。バート、周辺警戒も厳に」
「はい!」
タリアの冷徹な命令を受け、バートが即座にコンソールを叩き、外で待機するグフへと警戒指示を飛ばした。証拠隠滅のために爆破されかけたこの施設を、連合軍が完全に諦めたとは到底思えなかったからだ。
「ハァハァ……オエェェ……っ!!」
すぐ傍らでは、夜の簡易テントの隅でバケツを抱え、現場の凄惨なデータと殺し合いの痕跡への嫌悪感に耐えかねたアーサー副長が、口元を抑えてどこかへ走っていく姿があった。
そんな大人の合理的な指示や副長の不甲斐なさを置き去りにするように、シン・アスカの胸の奥で燻っていた激しい憤怒が、ついに限界を迎えて爆発した。
「ほんとにもう、信じられませんよ! コーディネイターは自然に逆らった間違った存在とか言っておきながら、自分たちはこれですか!?」
シンは血がにじむほどに拳を握りしめ、回収された子供たちの遺体(スノウ大佐の精巧な人形)のデータを睨みつけながら、夜の簡易テント内に激しい怒声を荒らげた。
「シン……」
アスランがその名前を低く呼び、シンの痛切な叫びを止めようとする。だが、かつてオーブの戦火に巻き込まれ、世界の理不尽を誰よりも憎むシンの口からは、吐き捨てるような怒りの言霊が止まらなかった。
「遺伝子弄んのは間違っててこれはありなんですか!?いいんですか!?一体何なんですか、ブルーコスモスってのは!!」
自分たちコーディネイターを『不自然なバケモノ』として排除しようとする大西洋連邦。その彼らが、裏ではこうして幼い子供たちの遺伝子を薬物で弄び、戦うためだけの生体部品として使い潰し、最後は内乱で殺し合わせている。そのあまりにも肥大化した自己矛盾と冷酷な欺瞞が、シンの純粋な心にはどうしても許せなかった。
「……まったくだ。ヘドが出るぜ、ブルーコスモスのクソ野郎どもは」
シンの激昂を受け止めるように、すぐ隣から低く、しかし怒りを孕んだハイネ・ヴェステンフルスの声がテント内に響いた。ハイネは腕を組み、回収された施設の記録データを冷徹に見つめながら、シンの肩をその大きな手でポンと叩いた。
「自分たちの都合の良いように『自然』だの『正義』だのの言葉を並べ立ててよ。その裏じゃあ、こんな幼いガキどもに戦うためだけの調整を施して使い潰してやがる。遺伝子を弄るのが大罪だって言うなら、人間の尊厳を根こそぎ弄び、噛み合わせているこいつらの『罪の在処』は一体どこに行くんだって話だ」
先任エースとして数々の地獄を見てきたハイネだからこその、生々しくもシンに寄り添うような激しい憤り。シンはその言葉に救われるようにして、深く奥歯を噛み締めた。
「……確かにな」
アスランはシンの叫び、そしてハイネの言葉に、重く、深く同意するししか無かった。
連合の犯した最大の『罪の在処』。その圧倒的な悪を前に、アスランの胸には、昨晩遺跡でキラやアマキから突きつけられた「議長の暗殺疑惑」の闇が再び重くのしかかっていた。
そんな重苦しい沈黙が夜の簡易テントを支配していた、まさにその時だった。コンソールを睨みつけていたバート・ハイムが、弾かれたように叫び声を上げた。
「 艦長!モビルスーツ1接近中! ――ガイアです!」
「「「 ぇ! 」」」
タリア艦長、アスラン、シン、ハイネの4人の顔に、同時に驚愕が走った。
ガイア。数日前のダーダネルス海峡で、スノーホワイトによって脚部を焼かれ、大破撤退したはずの連合軍の強奪ガンダム機。
「一機? 後続は?」
タリアが鋭く問いかける。
「現時点ではありません」
バートの報告に、タリアは美しくも冷徹な眉をひそめた。満身創痍のはずの機体が、単機で夜の闇に紛れて突入してくる。その意図が大人であるタリアには読めなかった。
「どういうつもり……?」
だが、考えている時間はない。タリアは覚悟を決めたように吼えた。
「施設を守るのよ! いいわねアスラン、シン!」
大西洋連邦の犯した最大の『罪の在処』。そのおぞましい証拠を、連合の手で跡形もなく隠滅させるわけにはいかない。
「「はい!」」
シンとアスランは、迷いのない声で力強く応じた。
ブルーコスモスへの激しい憤怒を宿したままインパルスへと駆け出すシン。そして、昨晩の遺跡での決裂の迷いを振り切るようにセイバーへと飛び乗るアスラン。
ロドニアの深い森。
その静寂を切り裂いて、赤く不気味な双眸を光らせたガイアガンダムが、猛烈な速度でザフトの簡易テントへと突入してくる。
四足獣形態へと変形し、夜の木々を獰猛に蹴り上げながら迫るコックピットの中で、地球軍の隊服に身を包んだステラは、胸にシンのハンカチを強く抱きしめたまま、無邪気な声を響かせた。
「シン、まってて。――はぁぁ!!」
ガイアの背部から放たれたビームサーベルの鮮烈な光刃が、夜の闇を一本の線となって切り裂く。だが、その突撃線に割り込むようにして、シンのインパルスが神速の抜刀で滑り込んできた。
「このぉぉ!!」
激しい火花が夜の森に飛び散り、金属同士が軋み合う凄ましき衝撃音が反響する。
上空で可変を解き、ホバリングを続けながら索敵データを睨んでいたアスランのセイバーが、鋭い声を通信回線に飛ばした。
「気をつけろ、シン。施設の破壊が目的なら、何か特殊な装備を持っているかもしれない。……爆散させずに倒すんだ」
あの証拠となりうる施設を、これ以上大西洋連邦の手によって跡形もなく隠滅させるわけにはいかない。アスランの冷静な指示に、シンは操縦桿を激しく引き絞りながら応じた。
「ええ! ――ぁ! うわぁぁ!」
ガイアは瞬時に人型形態へと戻り、野性味溢れる変則的なビームサーベルの連撃を繰り出す。その凄まじいプレッシャーに押され、インパルスの装甲が激しく火花を上げた。
「シン! ――チィ!」
アスランのセイバーが上空から牽制のビームライフルを放つが、ガイアは軽やかな跳躍でそれを回避する。
「ハァ、ハァ……っ! ――うぅ!」
ステラは激しい過呼吸のなかに溺れながら、ただ大好きなシンの元へ行きたいという一心で引き金を引き続ける。
敵の動きに生じ始めた不自然な乱れと焦燥を、アスランの目が捉えた。
「ん?」
「チィ! 爆散させるなったって……!」
敵の殺気のない、しかし狂気的なまでの突破力に、シンは防戦一方で声を荒らげる。
「シン! 下から回り込めるか!?」
「やってます!」
インパルスが背部のスラスターを激しく吹かし、夜の森の木々の隙間をすり抜けるようにして、ガイアの懐の死角へと鋭く滑り込んでいく。
「うッ!」
完全に下を潜り込まれたことに、ステラが息を詰まらせた。
「てえぇぇい!」
シンのインパルスのサーベルが、ガイアガンダムの胸部装甲を完璧に、しかし爆散させぬよう絶妙な角度でへし折った。
「あ! キャァァァ!」
衝撃に耐えかねて、ガイアのコックピットハッチが激しく吹き飛ぶ。火花が飛び散る煙の向こう、衝撃の余波でシートから投げ出されかけたパイロットの姿が、インパルスのメインモニターに映し出された。
「……」
「ぁ!」
シンは震える手で瞬時にコンソールを叩き、そのモニターの映像を最大画面へとクローズアップさせた。
全周囲モニターいっぱいに拡大され、硝煙を切り裂いて映し出されたのは、月明かりに照らされた、紛れもないあの短い金髪の少女の素顔だった。
「ん? ――女?」
上空のアスランが、驚愕に目を見開く。戦場に放り込まれていたのが、ノーマルスーツすら着ていない、華奢な地球軍の隊服姿の少女だったからだ。
だが、最大画面に映る彼女の顔を直視したシンの衝撃は、アスランの比ではなかった。
あの日、ディオキアの海岸で自分を信じて優しく微笑み、今も彼女の胸に抱きしめられているあの温かいハンカチの持ち主――。
「あ! ――あの子……」
シンはスクリーンいっぱいに広がる少女の顔を見つめ、限界まで目を見開いてその名前を絶叫した。
「ステラ!!」
大西洋連邦が犯した偽りの『罪の在処』。その凄惨な戦火のただなかで、引き裂かれた少年と少女の運命は、スノウの不敵な後押しによって、ついに最悪で、しかし決定的な『本当の再会』を果たすのだった。
続編としてガンダムSEED FREEDOM編を読んでみたいですか?
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