腹減り少女はSEED世界で爆発少女にレベルアップする   作:サボテンダーイオウ

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PHASE-29FATES

プラント本国、最高評議会議長室。

白々とした未来的な光が淡く満たす静寂のなかで、ギルバート・デュランダルは、ガラスのチェス盤の前に一人静かに座っていた。

彼の細い指先が、白銀のクイーンの駒へと滑る。

脳裏に去来するのは、先ほど黒海戦線から届けられた、あの最新鋭艦ミネルバを巡る悍ましいまでの戦闘ログだった。

 

「彼等がいつどこで何故出会ってしまったのかは、私は知らない」

 

さて、彼の回想と対比してアークエンジェルの食堂のテーブルには、湯気を立てる温かい緑茶と、色とりどりの和菓子が並べられ、かつての過酷な旅路を共にした仲間たちが肩を並べて腰掛けていた。

 

「そういえば、アークエンジェルでラクス拾った時はあんなにはっちゃけるとはおもわなかったよね~。最初の印象ってふわふわのお姫様ってイメージだったじゃん」

 

アマキは楽しげに声を弾ませながら、手にした煎餅をバリバリと小気味よい音を立てて頬張った。そのじゃじゃ馬娘らしい男前な食べっぷりに、隣に座るキラが優しい苦笑を浮かべる。

 

「うん。フレイとも仲良くなってたしね。アマキ関係で」

 

キラはずずっと湯呑みからお茶をすすりながら、恋人の言葉に深く同意した。

 

「フフ。フレイさんとはいい意味でライバルでしたわ」

 

ラクスは気品溢れる微笑みを浮かべ、手元の白い大福を小さな黒文字で綺麗に二つへと切り分けながら、小さな口へと優美に運んだ。

 

「あの時アンタがはっぱかけてこなきゃ、こっちだって乗り気にならなかったわよ。策士よね、ラクスって」

 

フレイが呆れたように小さく肩をすくめながら、手に持った三色団子を可憐な口元へと運んでパクリと食べた。かつては激しく擦れ合い、傷つけ合ったこともあった。けれど、ラクスのあの一歩も引かない純粋な覇気とはっぱがあったからこそ、自分もまた真っ直ぐに向き合うことができたのだと、フレイは懐かしそうに目を細める。

フレイが呆れたように三色団子を食べながら零したその言葉は、食堂にいる全員の意識を、かつての前大戦初期――まさに今自分たちが座っているこの食堂のテーブルで巻き起こった、あの嵐のような日々の記憶へと鮮烈に引き戻した。

 

あの時、ラクスは人目を盗んで部屋を抜け出し、アマキの姿を探してこの食堂へとこっそりとやってきていたのだ。けれど、広々とした食堂のなかにアマキの姿はなく、キラ達がいただけ。そのラクスを見つけるなり、フレイはサイの制止を聞かずに、怒りのままに食堂の自動扉を押し開けて怒鳴りつけた。

 

『ちょっと!!』

 

『やめろ、フレイ!』

 

必死に腕を掴んで止めようとするサイを強引に振り払い、フレイは血走った目を剥いて、食堂の椅子に座る桃色の髪の少女を指差した。

 

『アンタ!コーディネーターのくせに、私たちのアイドルを勝手に取るんじゃないわよ!』

 

キラたちとの関係が良好だった当時のフレイにとって、それはコーディネーターという人種へのいがみ合いなどではなく、ただ自分たちの大切な存在を勝手に奪おうとする、ぽっと出のお姫様への純粋なライバル心と独占欲の爆発だった。だが、ラクスは、その激しい怒号を真っ正面から受け止めながら、ふわりとした美しい微笑を微塵も崩さなかった。

 

『……アマキ様がそう望まれたのでしょうか? 押し付けられたのではなく?』

 

『はぁ!? 何様のつもりよ!』

 

フレイがさらに声を荒げて詰め寄る。ラクスはその澄んだ瞳でフレイを真っ直ぐに見つめ返し、大空に響く歌声の如く凛とした、しかしどこまでも優美な声音で自らの名を告げた。

 

『ラクス・クラインですわ。――アマキ様を敬愛する仲間とでも……おっしゃっておきましょうか』

 

『結局、同類じゃない!』

 

反発し、擦れ合い、火花を散らす二人のパッション。

だが、アマキを誰よりも大切に想い、その往く路を護りたいと願うその純粋な熱量だけは、間違いなく二人とも同じだった。互いの瞳の奥にある譲れない覚悟を認め合った、まさにその瞬間――。

ガシッ。

食堂の白い蛍光灯の下、二人の少女の手が力強く握り合わされた。

 

『フレイ・アルスターよ』

 

『ラクス・クラインですわ』

 

絶対に相いれないはずだった二人が、アマキという一人の存在の手綱をしっかりと握り合うために、このアークエンジェルの食堂で奇跡の共同戦線を組んだ。そのあまりにも強烈で、しかしどこか誇り高き始まりの記憶。

 

「フフ、本当に……あの時のフレイさんは、とても格好よかったですわ」

 

ラクスが現在の食堂のテーブルで、懐かしそうに目を細めて笑う。

 

「ちょっと、昔の話はナシって言ったでしょ!」

 

フレイが頬を真っ赤に染め、三色団子を口に放り込みながらそっぽを向いた。

 

ラクスはフレイのはずがしがる様子に微笑みながら食堂でフレイと意気投合し、それを目撃して大慌てになったアマキに強引に部屋へと連れ戻された時の記憶に思いを馳せていた。

 

あの時のアマキは息せき切って自分を探してくれていた事をなぜか心地いいと感じていた。

自分の手を握り部屋まで戻る際のやや乱暴な行い。この艦がナチュラルがたくさんいる中で、ラクスに危害が及ばないように配慮してくれていたこと。

 

『ラクス、勝手に出ないでよ』

 

『……ごめんなさい。でも、探してくださっていたのですね?』

 

その問いかけにアマキは頭を搔きながら呆れた様子だった。

 

『……はぁ……そりゃ心配するだろ、当然じゃん』

 

『アマキ様は、やはり優しい方ですのね』

 

『優しいかどうか知らないけど……私の手は、真っ赤なんだよ』

 

きっと自分が思う以上にアマキは何かを背負っている。そう感じた。瞳に闇を抱き、その闇の深さに悲しみさえ宿していた。

その手が真っ赤に見えるのは彼女だけなのだろうが、ラクスにはそれ以上言葉を掛けることはできなかった。その時のラクスはアマキを知らなかったから。

 

『……アマキ様?』

 

『……なんでもないよ』

 

誤魔化すような笑い方が不器用に見えた。だからラクスは当たり前のように動いてしまった。出会って数時間の他人に対して。

 

『お疲れのようですね』

 

まさか自分の膝に他人を招くなど。内心自分でも驚いていた。当時の婚約者であるアスランとも清い関係を維持していたのに、でも不思議とそうなっていた。

 

『さぁ、こちらへどうぞ』

 

『……何?』

 

『膝枕ですわ』

 

ラクスは手招きをするとアマキが反射的に後退してあら、と警戒されてしまったことを悲しく思った。

 

『いや、なんで』

 

『いいからどうぞ』

 

『遠慮するって』

 

『アマキ様?』

 

これほどまでに自分が勧めているのになぜ遠慮する。プラントで歌姫と慕われる自分のお願いでも聞けないのか。頑固な少女だ。

でもここまで来たのだ。退かせてなるものかと意地になった。その時ハロが追い風を起こしてくれた。

 

『テヤンデー! テヤンデー!』

 

『痛いって……』

 

ハロの突撃のあと、室内にじわりと満ちていく、わたくしの笑顔のままの沈黙と圧。その無言のプレッシャーが、アマキには効いた。

 

『……圧が怖い。……重いって』

 

『はい』

 

やや遠慮がちにアマキが膝の上に頭を預けてくれた。

最初こそぎこちない預け方だったが、ラクスが彼女のさらさらとした髪を慈しみを込めて撫で続けると、そのうち寝息が聞こえてくるではないか。

よほど、気を張っていたのだろう。その眠りは深く健やかで普段から熟睡することはないと知れた。

 

この人はどのくらいの命を奪い、どのくらいの命を背負っているのだろう。

自分にはその悲しみも苦しみを理解することはできない。

だが今は寄り添いたいと思った。彼女に少しでも安心して眠れる場所をあげたかった。

 

『どうぞ。今だけでも、お休みください。アマキ様』

 

今だけは子供のように健やかな眠りを。

この孤独な少女に癒しを。

 

「ラクス?どうしたの?おせんべい食べる?」

 

心配そうに声を掛けてくれたアマキによってラクスは回想の波から現在へと意識を引き戻したラクス。

 

「いいえ。それはアマキが食べてくださいな。ありがとう」

 

ふんわりと笑って返すとそう?とアマキのおせんべいは瞬く間に彼女の胃袋へと収められていく。きっとアマキは知らない。

あの時から己が、この一人の少女に惹かれていたことを。

その深い闇の中に悲しみを癒したいと思ったことを。

この思い出は自分たちのもの。

誰も、知らなくていい。

◇◇◇

 

「ラクス・クラインは当時の最高評議会議長、シーゲル・クラインの娘にしてパトリック・ザラの息子、アスラン・ザラの定められた相手だった」

 

それは、プラントという国家が至上の調和を目指すために遺伝子レベルで、そして政治的にあらかじめ用意していた完璧な未来の構図。

 

『そう言えば彼女が君の婚約者だったな』

 

『は、はあ』

 

『ザラ委員長とクライン議長の血を継ぐ君らの結びつき、次の世代にはまたとない光になるだろう。期待している』

 

『ありがとうございます』

 

ザフトの軍人として、父の選んだ婚姻をそれが当然の運命であると疑いもしなかった、あの頃のアスラン・ザラ。世界の欺瞞のすべてを嘲笑うようにして微笑んでいたクルーゼの言葉を、ただ生真面目に、誇り高く受け止めていた若き日の忠実な背中。

だが、遺伝子が、国家の正義が、世界の調和がどれほど完璧な宿命をハメ込もうとしていようとも、人間の感情という名の不確定要素は、それを容易く食い破ってしまう。

デュランダルはチェス盤の前で静かに目を伏せ、薄い唇の端に歪んだ残光を滲ませた。

 

「それが何故、彼女と出会ってしまったのか……」

 

アマキ・カンザキ。

あの猪娘、もとい何を考えているのかわからない不可思議な少女。

あの娘のどこに惹かれたのか。

 

破天荒でありながら誰もが圧倒する能力を持ち、その才能を己の仲間のためだけに捧げる、まるで救世主のような存在。

出自が一切不明。どのように生まれどのように育ったか、人間関係も一切謎に包まれている。この情報社会において異端の存在。

 

だからこそ、その力を誰もが欲するのだ。あの圧倒的破壊力をもつスノーホワイトとパイロットさえ味方につければ陣営は一気にガタ落ち。

世界を掌握することさえ可能だろう。

 

◇◇◇

 

「そういえば、あの時のアマキって無茶ぶりすごかったって、アスラン言ってたよ」

 

キラが湯呑みを置き、かつての親友がもどかしそうに零していた愚痴を思い出して、優しい苦笑を浮かべた。

 

「え? そう?」

 

あっけらかんと答えるアマキは、追加で皿に盛られたラクスの手作りタルトタタンをフォークですくい、最高においしそうに頬張っていた。戦場の苦悩を背負いながらも、現在のこの穏やかな時間がたまらなく愛おしい。

 

 

「ああ、あのラクスがこっちにいるから協力しろって話ね。割と有名よね」

 

フレイは温かいコーヒーを飲みつつ、キラの言葉に深く同意した。当時のアークエンジェル全軍がひっくり返るほどに驚愕した、あのじゃじゃ馬娘の規格外のスタンドプレー。

 

「あら。そうでしたの?」

 

ラクスは美しい桃色の髪を揺らし、素知らぬ顔で可愛らしく小首をかしげて見せる。无论、わざとだ。自分自身もアマキの往く路を護るために裏で一枚噛んでいたのをすべて理解した上で、楽しげに知らぬふりを決め込んでいるのだった。

 

あの時、ラクスを艦に返すことを決めたうえでの行動だった。

 

『イージスのパイロット!こちらエリス、アマキ・カンザキだ!』

 

敵機体に通信を仕掛けるというのはアマキの役目だ。キラでは言い合いで終わってしまうと思ったから。

応答――イージスのモニターに映るのは、キラと同年代の少年。

苛立った声が返り、

 

『戦闘中に敵と会話とは、頭がおかしいのか?』

 

アマキもイラっとしたのは言うまでもない。わかっててやってるんだから一言多いんだよ。

脅すようにアスランに指示を送るも結局、ラクスの登場で戦局はガラリと変わる。

 

『わたくしはラクス・クラインです。アークエンジェルに保護されております。

今この場に、追悼慰霊団代表として立っています。この場を血で汚されるおつもりですか?

ラウ・ル・クルーゼ隊長、戦闘を停止してください。今すぐに』

 

その凛とした声に、空気が凍り、出撃してきたばかりのクルーゼは舌打ちを一つ残し、

 

『……ッチ、了解』

 

と撤退するしかなかった。

 

「……本当に、あのラクス嬢の通信には、ヴェサリウスのクルーも全員が文字通り言葉を失って絶句していたからな。彼女の静かな圧はすごかったよ」

 

食堂の入り口に、不意に低い含み笑いを伴った聲音が響いた。

壁に背を預けて登場したのは、話題の人凛としたオーブ軍の隊服にその身を包んだ、ラウ・ル・クルーゼ。ラウはどこか懐かしそうに語ってみせた。

 

「あ! ラウ。一緒にラクスのタルトタタン食べる?」

あっけらかんと答えるアマキは、フォークを持ったまま嬉しそうに声を弾ませ、手作りのスイーツを差し出してみせた。

 

「ラウさん。ここ座りますか?」

 

キラもまた湯呑みを置き、かつての天敵であった男に向けて優しく微笑みながら、自らの隣の席をトントンと叩いて手招きする。

 

「コーヒーでいいですか?それとも紅茶にします?」

 

フレイは手にしたマグカップを揺らし、すっかりアークエンジェルの『家族』として馴染んだラウへ向けて、可憐な小首をかしげて尋ねた。

 

「じゃあ切り分けてきますわね」

 

ラクスはあらあら、嬉しそうに席を立ち、新しく加わった大切な仲間のためにタルトタタンを切り分けるべく、小さな足取りでカウンターへと向かっていった。

 

◇◇◇

 

デュランダルは、ガラスのチェス盤の上に美しく並ぶ白きピースたちを、どこまでも深い、底知れない瞳で見つめていた。

 

パトリック・ザラの息子、アスラン・ザラ。

シーゲル・クラインの娘、ラクス・クライン。

そして、最高傑作として生み出されたはずの、キラ・ヤマト。

 

彼らが前大戦の初期、中立国オーブの領海間際で行ったという、あの歴史の闇に埋もれた『ラクス・クライン返還交渉』の記録。デュランダルはチェス盤の上で駒を滑らせ、当時の3機のモビルスーツの対峙を脳裏へと不気味にフラッシュバックさせていく。

 

ザフトのイージスガンダム、アークエンジェルのエリス、そしてストライクガンダム。三機が静かに並び、互いに一定の距離を保ったまま、張り詰めた沈黙のなかで各機のコクピットハッチが静かに開く。

 

『アスラン・ザラ……来たか』

 

『エリスのパイロットか』

 

アスランの声は静かだが、冷えた火花のような鋭さを含んでいた。

 

『ラクス。君から何か、言葉を』

 

促されてラクスはイージスへと振り向き、優しく手を振った。

 

『はい、アスラン。お久しぶりですわ』

 

『……確認した』

 

アスランは応じながら、静かに機体から降りる。両腕を広げ、ラクスを受け止める体勢で待つ。アマキはラクスの背中に手を添えようとするが――ラクスがそっとその手を押し返した。

 

『お待ちください』

 

『……どうした? アスランが待ってるぞ』

 

ラクスの瞳は、どこか切なげだった。

 

『……また、お会いできますか? アマキ様』

 

少しだけ、声が震えていた。

 

『できるさ。きっとな』(……脱走だけは勘弁して)

 

『ええ。きっと』(つては確保してございますので、ご安心を)

 

アマキの背筋に微かな悪寒が走るが、いや、気のせいだと自分に言い聞かせて、今度こそラクスの背を押した。彼女は静かに向き直し、そのままふわふわとアスランの腕の中へと収まる。

 

『キラは――こちらに返してもらえないのか?』

 

アスランの問いかけに、アマキは冷静に答えた。

 

『キラが、君たちと行きたいと言うのなら、連れて行って構わない。彼の意思を尊重する』

 

『アマキさん!?』

 

驚くキラの声が、通信越しに跳ねる。アマキは、彼に向かって静かに語りかけた。

 

『キラ。君がこれから苦しまないで済むチャンスなんだ。同胞を殺さなくて済むなら、それが一番じゃないか』

 

『でも僕は――っ!』

 

その続きは、アマキが被せるように遮った。

 

『ご両親がオーブにいるなら、交渉次第ではプラントに呼ぶことだってできるかもしれない。……もう、人を殺さなくていいんだよ』

 

キラに、これ以上“戦う痛み”を味わわせたくない。その一心で、アマキは言葉を尽くす。

 

『キラ、来い! 一緒にプラントに行こう!』

 

『キラ……』

 

アスランとラクスが、キラに手を差し伸べる。その声は、温かく、切実だった。アマキもまた、心のなかで(キラ……行くんだ。君には平穏な場所が必要だ)と深く願っていた。

だが――キラの答えは、もうとっくに決まっていた。

 

『僕は――行かない!』

 

『キラっ!?』

 

『アスラン……僕は行かない。アマキさんを、一人にしたくない!』

 

その言葉は、強く、揺るぎなかった。

 

『キラ……』

 

アスランの表情が、僅かに揺らぐ。道を違えるという現実が、静かに迫ってくる。

 

『ならば――次は、戦場でお前を撃つ』

 

『……僕もだよ、アスラン』

 

選ばれなかった道。それが、ふたりの決別だった。そして、その選択こそが――キラの戦う理由になる。

 

―――ザーーッ。

 

「それでも魂が引き合う……定められた者達。定められた物事」

 

議長は、細い指先でアスランとラクスの駒を静かに弾く。

どれほどプラントの婚姻統制が完璧な宿命をハメ込もうとしていようとも、キラやアマキという外側の因果が、彼らの関係をことごとく引き裂いていった。しかしその拒絶の果てに、かつて決別を選んだキラとアスランは、今や黒海の大空において、再び吸い寄せられるようにして戦火を交えている

 

◇◇◇

 

クローンとして生み出され、短すぎる寿命を呪いながら世界のすべてをあざ笑った男。

かつて同じプラントの片隅で、抗えぬ遺伝子の不条理について夜を徹して語り合った、あのクルーゼのシルバーの仮面が、議長の瞳の奥に不気味にフラッシュバックしていく。

 

『全てをそう言ってしまうなら、では我等が足掻きながらも生きるその意味は……』

 

『全ての者は生まれ、やがて死んでいく。ただそれだけのことだ』

 

薄暗い部屋のなかで、薬の薬瓶を弄びながら、クルーゼは底知れない、しかしどこまでも愉しげな含み笑いを響かせた。

 

『だから何を望もうが、願おうが無意味だと?』

 

『いやいや、そうではない。ただそれが我等の愛しきこの世界、そして人という生き物だということさ。どれだけどう生きようと、誰もが知っていることだが忘れていること。だが私だけは忘れない。決してそれを忘れない。こんな私の生に価値があるとしたら、知ったときから片時もそれを忘れたことがないということだけだろうがな。ふふふ、はっはっはっ……』

 

クルーゼの狂気とも諦めともつかない咆哮が、議長室の冷たい壁に反射して消えていく。

人は知っているのだ。どれほど愛し、どれほど平和を願い、どれほど力ずくで戦場をねじ伏せようと、最後には誰もが死に、憎しみの連鎖は決して終わらないということを。忘れたふりをして足掻いている歪んだ世界を、あの男はただ真っ直ぐに憎み、愛し、滅ぼそうとしていた。

デュランダルは、ガラスのチェス盤の上の駒を強く握りしめた。

 

「だが、君とて望んで生きたのだ。まるで何かに抗うかのように。求めるかのように。願いは叶わぬものと知った時、我等はどうすればいい? それが定めと知った時に……」

 

誰よりも望んで生きたからこそ、クルーゼは世界を道連れにしようとした。

そして自分もまた、タリアとの婚姻を遺伝子によって引き裂かれたあの日に、一度壊れてしまったのだ。願いが叶わぬものと知ったなら、人はどう生きればいい。戦火にのたうち回るシンも、迷い続けるアスランも、そして海を蒸発させてまで誰も死なせないと叫んだアマキも、すべては『叶わぬ願い』の狭間で苦しんでいるに過ぎない。

 

「ならば……最初から間違えない世界を、私が作ればいい。誰もが自らの役割を知り、分相応の幸せを享受できる完璧な運命を……」

 

デュランダルは薄い唇の端に、冷徹にして哀しい決意の残光を滲ませながら、チェス盤の真ん中へと静かに黒いポーンの駒を置いた

 

◇◇◇

キラは皆と楽しくやり取りする中で、ふとあの頃の記憶を思い出す。

気晴らしにと誘ってくれたアマキの手を握りしめ、外へ出た時のこと。トリィが窮屈な羽をはばたかせて空を飛びだったのをまぶしく思えた。

 

『トリィ!?』

 

『なに、どうしたの!?』

 

現実の時間から少しでも離れていたくて、アマキの温もりを大切にしたかった。

そんな時、予期せぬ夕暮れのフェンス越しに親友との再会。

かつての主を懐かしむようにトリィは彼の手のひらに降り立つ。

 

『キラ!あれって……』

 

『……ア、スラン……?』

 

アスランがトリィを掌に乗せて、僕に差し出してくれた。

 

『……君の、だよね』

 

『……うん……ありがとう……』

 

きっと彼は潜入捜査をしている最中だ。じゃなきゃこんなところで出会うはずがない。として仲間が共にいることも気づいた。初対面であることを周囲に示さなくては。

 

『おーい!行くぞー!』

 

でもここで声を掛けなくちゃと僕は思った。

 

『昔……!友達に……!』 

 

『大事な友達にもらった、大事なものなんだ……』

 

どれだけ大切か。殺しあわなくてはいけない関係など誰が望んでなるものか。

 

「君は、親友だ」と伝えたかった。でもそれは叶わなかった。

 

『……そうか』

 

アスランもわかっているからこそ、絞り出すような声で短く終わらせたんだと思う。

僕たちを隔てていたのはフェンスだけじゃなくて、関係、立場そのものだったんだ。

 

だから、アスランが僕を殺そうとしたことも、僕がアスランを殺そうとしたこともその延長戦につながっていた。

アマキのエリスが、ニコルさんのブリッツがお互いのロストしたことを知った僕たちは互いに憎しみ、大切な者を殺された恨みで殺しあった。

 

『あ、あああ嫌だぁぁあ、嫌だぁああああ!!』

 

『ニコルぅぅうううぅーーー!!』

 

『アマキさん、アマキさん、アマキさん!!』

 

『ア゛ア゛ズラア゛ーーア゛ン!!』

 

『キラァァァァ!!』

 

それは仕方ないないことだったんだ。感情のままに殺し合いをして、僕たちは互いを傷つけ死なせることしか頭になかった。

 

◇◇◇

 

アークエンジェル食堂の楽しげな喧騒のなかで、ラウはサングラスの奥にある自らの瞳の闇へと、静かに視線を落としていた。

かつて前大戦の末期、自らの憎悪のままに数数の惨劇を引き起こし、世界を滅亡の淵へと追いやろうとしたあの狂気の日日。

 

数少ない友人をけしかけてしまった罪は消えない。私はこの場にいることを相応しいとも思っていない。私の罪はそれだけ重いものなのだ。過去を消し去ることはできない。それもまた私なのだから。

 

アマキやキラたちの優しさに包まれながらも、自らが背負った血の十字架を決して忘れることはないという、冷徹なまでの自己への宣告。そのクルーゼの独白の残響は、デュランダル議長の頭脳のなかで、かつてプラントの片隅で繰り広げられた、あの呪われた因果の記憶へと鮮烈にフラッシュバックしていった。

 

まだ幼いクローンの少年、レイ・ザ・バレルが、苦痛の薬瓶を弄ぶクルーゼ大佐の背中を見上げている、あの薄暗い私室の光景。

 

「そんなことは私は知らない。私は私のことしか知りはしない」

 

「ぁ……」

 

「迷路の中を行くようなものさ」

 

「あは」

 

「道は常に幾つも前にあり、我等は選びただ辿る。君達はその先に願ったものがあると信じて。そして私は……やはりないのだとまた知るために」

 

冷酷にして、どこまでも歪んだ世界の真理。人は誰もが自らの選択が正しいと信じて往くが、その先には絶望しかないのだと、私は少年へ向け、そして自らへ言い聞かせるようにして不敵に笑うのだった。

 

そして、その私の虚無の言葉に導かれるようにして、デュランダルの心に、自らの魂を完全に引き裂いたあの最悪の「運命の日」の情景が、生々しく蘇ってきた。

遺伝子の適性。プラントが定めた絶対のルール。

あの日、愛し合っていたはずのタリアは、デュランダルの前から去ることを選んだのだ。

 

『仕方がないの。もう決めてしまったの! 私は子供が欲しいの。だからプラントのルールに従うわ。だからもう……貴方とは一緒にいられない……』

 

『……そうか』

 

どんなに愛していようとも、生まれてくる子供の未来のために、国家のシステムに従って自分を切り捨てて去っていった最愛の女性の背中。

 

デュランダルはガラスのチェス盤を血が出るほどの力で強く握りしめ、仮面の奥にある世界の不条理へ向けて激しい怒号を心の中で響かせた。

 

「誰が決めたというのだろう。何を!」

 

人間の愛も、絆も、生まれてくる命の未来すらも、なぜ遺伝子のデータごときに、国家のルールごときに縛られ、引き裂かれなければならないのか。

誰もがすべては『誰かが決めた不条理な宿命』のなかでのたうち回っているに過ぎない

 

◇◇◇

 

戦争はまた新たな争いを呼ぶ。終わりなどどこにもない。

少年は苦しみ、その苦しみから解放されることはない。

 

『ぁぁ…ハァ…』

 

『キラ…』

 

『………』

 

『アマキ様…』

 

だからこそ、少女は立ち上がる。少年たちを守るため、願いのために。その願いのための代償は世界を敵に回すほどの覚悟だ。だからこそ、歌姫に不安が宿る。だが少女は決意を宿していた。ゆるぎない想いが彼女を突き動かす。

 

『……そろそろ、剣を取るべき時が来たな』

 

『では……』

 

狼煙を上げる時が来た。そこに苦しんでいるはずの少年が待ったをかける。

 

『僕も…行く』

 

歌姫は冷静に諭す。苦しみの中で生まれ出た選択肢に責任がとれるのかと問う。

 

『貴方は戻ったところで、戦況は変わらないかもしれません。それでも行くのですか?』

 

『変わらないかもしれない。でも、何かのきっかけになるかもしれない』

 

少年は傷つき、迷い、悲しみの中に答えを見出せずにいた。だが何もしないままでは何も変わらないことを学んだ。

 

『ここで黙って見ていることは、もうできない。何もしないままでいることは、もうできない。できないまま終わらせたくないんだ』

 

『また、ザフトと戦われるのですか?』

 

様々な選択肢が歌姫から紡がれる。

 

『では、地球軍と?』

 

答えははっきりと浮き出てこない。それでも誰かと敵対すること以外を少年は選んだ。

 

『僕たちは、何と戦わなきゃならないのか……少し、わかった気がするから』

 

『……わかりました』

 

歌姫は少年の決意を受け取り、その想いに答え剣を与えた。

 

『さぁ、どうぞ』

 

『ん?あぁ!ガンダム!』

 

『想いだけでも…力だけでも駄目なのです。だから…』

 

フリーダム、そしてスノーホワイト。両翼を抱く機体は少年、少女を乗せ宇宙をはばたかせた。だが彼、デュランダルならば、こう問うのだろう。

 

『仕方がなかった。では、それは本当に選んだことか?』

 

『うぅ…うぅ…』

 

弱者は強者にはなれない?自分が望んだ道ではないというのに、強制されることが当たり前なのか。それは生きているのか?それとも生かされているのか?

 

『選んだの本当に自分か?』

 

プラントを追われるラクスに対してアスランは接触を成功させる。いや、これもラクスから彼に気づけるよう残したメッセージだったのだろう。自身が行う予定だったコンサート会場にて彼女は待っていた。アスランがどのような思いを抱いているのかを。

 

『ラクス!』

 

『はい?』

 

『どういうことですか!?スパイを手引きしたというのは本当なのですか!?』

 

銃を構えながら問いただす彼は怯えた子犬ようのだった。対してラクスは揺るぎない思いを抱き堂々たる姿を見せつける。

 

『お聞きになったから、ここにいらしたのではないのですか?』

 

『では本当なのですか!?スパイを手引きしたというのは!何故そんなことを!?』

 

『スパイの手引きなどしてはおりません』

 

『え?』

 

『キラとアマキ様にお渡ししただけですわ。新しい剣を』

 

『ぅ!?』

 

聞き捨てならない名前にアスランは過敏に反応し動揺し信じられないという表情になる。

 

『今のお二人に必要でお二人が持つのが相応しいものだから』

 

『キラ…?アマキだと?何を言ってるんです!キラは…あいつは…』

 

『貴方が殺しましたか?』

 

凛と咲く花々のようでいて、鋭い刃を持つ歴戦の将のようにアスランを射抜くラクス。

その言葉に、アスランの動機が激しくなり銃を握る手が震え、銃口がわずかに下がる。

殺した、確かに自分はキラを殺した、はず。

なのに、ラクスはアスランを安心させるために微笑んで戯言を口にする。

 

『大丈夫です。キラとアマキ様は生きていますから』

 

アスランはラクスの言葉を信じられなくて銃口を彼女に向けることで己を保とうとする。

 

『うぅ嘘だ!一体どういう企みなんです!ラクス・クライン!…そんなバカな話を…あいつは…あいつが生きてるはずがない!!じゃあなんでニコルは死んだんだ。アイツだけ生きてるなんて……!』

 

『……選び得なかった道の先にこそ……』

 

もしかしたら、本当の未来があるのではないか?

 

◇◇◇

 

ぽつり、と。

まるで自分自身に言い聞かせ、世界への言い訳を探すような、かすれて弱々しい声が彼の唇から漏れ出た。

それはプラント議長という絶対者の仮面を剥ぎ取られた、ただの一人の男の、ひどく泥臭い未練だった。

 

「本当に望んだものがあったのではないか……?」

 

もしあの時、社会のルールを、遺伝子の婚姻統制を拒絶して、彼女の手を強く握り返していれば。自分たちは今頃、別の幸福の中にいたのではないか。

叶わぬ仮定に胸を締め付けられるデュランダルの背後、誰もいないはずの闇の境界から、傲慢で、しかし酷く聞き馴染んだ男の嘲笑が響いた。

 

『そうして考えている間に、時はなくなるぞ』

 

心臓を直に掴まれたかのような錯覚に、デュランダルは息を呑んだ。

振り返るまでもない。世界を呪いながら死んでいったはずの親友。

ラウ・ル・クルーゼの幻影が、仮面の奥の瞳を愉しげに細めて彼を見下ろしている。

容赦なく突きつけられる現実の残酷さに、デュランダルはきつく奥歯を噛み締めた。

 

「く……ッ!」

 

苦渋に満ちた声を漏らし、チェス盤の駒を握りしめる。指先が白くなるほどの強い力。だが、どれほど悔やもうと、失った時間は二度と戻らない。

ラウの幻影は、まるでデュランダルの心臓の傷口を抉り広げるかのように、低く、冷酷なトーンで告げた。

 

『選ばなかった道など、なかったと同じ』

 

それは、過去の未練に囚われるデュランダルを完全に突き放す言葉だった。

 

死闘をやりあってから再び邂逅を果たしたキラとアスラン。ぎこちなく笑うキラに対してアスランは声を絞り出す。

 

「やあ、アスラン」

 

全てをなかったことにはできない。だが話し合うことはできる。

 

「キ…ラ…」

 

友として再び話し合うことができる喜びを嚙みしめる。

その選択が何処へ繋がるかなど予想もつかない。だが、もし。

 

『もしもあの時…もしもあの時…』

 

地球軍に弓を引き、オーブの理念と共に戦うと決めていなかったら、あるいは違う未来がまっていたかもしれない。キラ達と共に命運を共にすると決めたアークエンジェルのクルー達。

 

「てぇ!」

 

マリューの叫びとアークエンジェルの砲撃。アマキの挑発の乗っかり、自爆からの運命から逃れたウズミ・ナラ・アスハとその一派。

 

「よし!行くぞカガリ!お前のバージンロードには私が必ず着いて行くから泣かせはしないっ!」

「お父様!」

 

『いくら振り返ってみても、もう戻れはしない。何も変えることなど出来ない』

 

過去の傷をあざ笑うかのように、クルーゼの呪縛が響く。だが変えられる未来はある。

行動しなければ変えられない。アマキの行動がウズミを焚き付け、シーゲルの暗殺を未然に防いだ。

 

『エターナル、発進してください!』

 

敵対する道ではなく共存する道を選び取ったラクス達。その意見に賛同するように多くのものが彼女のもとに集った。

 

『こちらフリーダム。キラ・ヤマト』

 

『こちらスノーホワイトだ。ラクス!久しぶり!』

 

『アマキ様!キラ!』

 

『いいのか?お前の婚約者だろ?』

 

『ぅ…元ね。俺はバカだから…』

 

『…(どっちかというとアマキだと思うけどな)ま、今気付いただけ、いいじゃないか』

 

『え?』

 

『でも、キラもバカだと思うぞ。うん。やっぱコーディネイターでもバカはバカだ。しょうがないよ、それは』

 

『そうか。そうだな』

 

他者との絆。それは、時にすれ違い傷つき合いながらも、関係をより強固な結びつきへと変化させられる、人間だけの持つ力。

 

『我等は常に見えぬ未来へと進むしかないのだ』

 

誰にも見えない、正解すら分からない闇の中を、それでも足を踏み出して進まなければならない。

先の見えない不安に駆られる中、いつ死がそこまで来ているかもわからない恐怖に怯える、まだ幼い一人の少年。そんな孤独な彼の震える肩に優しく手を置き、寄り添うのは――。

 

「ぁぁ……」

 

その温もりに触れた瞬間、少年の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。

 

◇◇◇

『ここにいたっ! 怪我してるしー』

 

張り詰めた空気を破り、アマキが紫の瞳を鋭く光らせて駆け込んできた。

黒い長髪を揺らしながら、その視線は出血している男へと向けられる。

 

『ムウさん!』

 

キラも悲痛な声をあげて駆け寄った。

すべては、クルーゼの狡猾な誘導によるものだった。不気味な静寂を湛えるメンデルの研究所、その最奥へと誘い込まれたムウ、キラ、そしてアマキの三人。

 

『キラ、アマキ……きちまったのかよ』

 

脇腹を押さえ、痛みに顔を歪めながらも、ムウは二人の姿に苦い表情を浮かべた。

そこへ闇の向こうから、あの男の傲慢で愉しげな声が響き渡る。

 

『さぁ遠慮せず来たまえ。始まりの場所へ! キラ君、君にとってもここは生まれ故郷だろ?』

『はぁ!?』

 

あまりにも脈絡のない言葉、そして何より「生まれ故郷」という不気味な響きに、キラは本気で眉をひそめて不快感を露わにした。

 

『親父!?』

 

クルーゼから投げ渡された書類にはムウの父の写真が添付されていた。

 

◇◇◇

 

メンデルの研究所で母親は子供の為に夫に問いただす。

 

「嘘つき! 返して! あの子を返して! もう一人の……!」

 

しかし、研究に魂を売った夫は振り返りもせず、狂信的な光を宿した瞳で、目の前のカプセルだけを見つめていた。

 

「私の子だ! 最高の技術で、最高のコーディネイターとするんだ!」

 

「それは誰の為? 貴方の為!? 最高のコーディネイター……それがこの子の幸せなの!?」

 

母親としての至極真っ当な、そして痛烈な拒絶。

だが夫にはその涙も、妻の悲痛な訴えも届かない。彼は取り憑かれたように拳を握り、自らの正当性を証明するかのように、傲然と言い放った。

 

「より良きものをと、人は常に進んできたんだ! それは、そこにこそ幸せがあるからだ!」

 

歪んだ信念の咆哮。それは彼を狂わせ、また一人の狂人を生み出した。

 

「クローンは違法です!」

 

ユーレンの声は上ずり、そこには科学者としての最低限の倫理、あるいは法を犯すことへの凡人ゆえの怯えが確かに混じっていた。

しかし、目の前に立つ絶対的な権力者は、鼻で笑うようにその言葉を冷酷に一蹴する。

 

「法など変わる。所詮は人の定めたものだ」

 

不遜に言い放ち、煙草の煙をくゆらせるアルの瞳にあるのは、莫大な資産を背景にした傲慢さと、自らの遺伝子を永遠に残そうとする歪んだ執着だけだった。

 

「しかし……」

 

なおも法律という壁にすがり、言い淀むユーレン。その気弱な躊躇いを見透かすように、アルはさらに距離を詰め、研究者の最も脆い急所へと容赦なく踏み込んだ。

 

「苦労の末手にした技術、使わんでどうする。欲しいのだろ? 研究資金が」

 

それは、悪魔の囁きだった。

資金不足に喘ぎ、自らの研究である「最高のコーディネイター」の創造を諦めきれないユーレンにとって、それは抗えない毒杯に他ならない。金と狂気が交錯する空間で、ユーレンは反論の言葉を失い、自らの魂を売り渡すように黙り込むしかなかった。

 

『今ではないいつか。ここではないどこか』

 

彼の呟きは、存在を否定された者たちの痛切な呪いだ。

差し出された強制の道。遺伝子によって選び抜かれた道。血を流して己で勝ち取った道。

世界は常に、選ばれる人間と捨てられる人間を冷酷に分断する。その境界線はどこにあるのか。人間の価値は、生まれ持った能力だけで全てが決まるというのか。

 

『きっとそこにはあるもの。素晴らしいもの』

 

届かぬ理想をあざ笑うように響くクルーゼの幻影。

だが、その絶望の底で、かつて一人の少女が叫んだ魂の言葉が激しく交錯する。

 

『駄目だ! お前! 逃げるな! 生きる方が戦いだ!』

 

死を選ぶよりも、不条理な現実に抗い、泥をすすってでも生き抜くこと。カガリの叫びは、絶望に沈む世界へのささやかな抵抗だった。

しかし、その光さえも、男の歪んだ確信が容赦なく塗りつぶしていく。

 

『それを求めて永劫に血の道を彷徨うのだろ? 君達は。不幸なことだな』

 

人類が続く限り、戦いと悲劇の連鎖は終わらない。暗闇から投げかけられた痛烈な嘲笑に、若き日のレイはただ、何も知らずに小さく首を傾げるだけだった。

 

◇◇◇

 

「救いはないと……?」

 

薄暗い議長室。デュランダルの掠れた問いかけは、あまりにも無力で、まるで縋るような響きを帯びていた。

だが、暗闇から響くラウの幻影は、そんな親友の弱さを冷酷に、そして愉しげにあざ笑う。

 

『救いとは何だ? 望むものが全て、願ったことが全て叶うことか?』

 

ラウの声が、影のようにデュランダルの背後に回り込む。仮面の奥の瞳が、男の未練を冷たく射抜いていた。

 

「こんなはずではなかったと、だから時よ戻れと祈りが届くことか? ならば次は間違えぬと確かに言えるのか? 君は」

 

痛烈な拒絶だった。どれほど悔やもうと、失った過去はやり直せない。変えられない。お前という人間に、歴史の、あるいは己の選択の正しさを保証できるはずがないだろうと、容赦なく突きつけてくる。

 

「誰が決めたというのだ。何を?」

 

世界の不条理を呪うラウの言葉が、部屋の空気を完全に凍りつかせる。

しかし、その圧倒的な絶望の宣告を受けた瞬間、デュランダルの瞳に、引き返せない狂気と執念の光が宿った。

 

「ならば私が変える! 全てを!」

 

デュランダルは叫ぶように声を荒げ、チェス盤の駒を強く握りしめた。激しい感情の昂ぶりが、その端正な顔を歪める。

 

「戻れぬというのなら、始めから正しい道を!」

 

過去に戻れないというのなら、人間が最初から間違えない世界を作ればいい。

頭を支配するのは、かつて研究者として見つめ続けた、命の設計図。

 

『アデニン、グアニン、シトシン、チミン……』

 

祈るように、あるいは呪文を唱えるように、4つの塩基の基礎を呟く。

遺伝子によってあらかじめ定められた、完璧な調和。迷いも、争いも、選択の過ちすら存在しない究極の未来――デスティニープランの青写真が、彼の脳内で完成へと向かっていく。

 

『己の出来ること、己のすべきこと。それは自身が一番よく知っているのだから』

 

静かに、だが絶対の確信に満ちた声だった。

悲劇を繰り返さないために、世界すべてを遺伝子の支配下に置く。ギルバート・デュランダルが「救世主」という名の独裁者へと変貌を遂げた、決定的な瞬間だった。

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