腹減り少女はSEED世界で爆発少女にレベルアップする   作:サボテンダーイオウ

87 / 88
PHASE-30刹那の夢

激しい戦闘の余波が残るミネルバのブリッジ。警報音こそ止んだものの、コンソールにはいくつかの異常を示す黄色いシグナルが点滅している。

アーサーはタブレットのデータを険しい表情で見つめながら、艦長席のタリアへ歩み寄った。

 

「メインエンジンに深刻な損傷はありません。火器と船体外装にいくつか被弾しましたが、航行に支障のないレベルの、比較的軽いダメージで済んでいます」

 

「そう……。幸いだったわね」

 

タリアは小さく息を吐き出すが、その表情は晴れない。

アーサーは震える声で、記録された戦闘データの報告を続けていた。

 

「モビルスーツ隊ですが、セイバーとウォーリアに外装の損傷はあるものの、駆動系への致命的なダメージはなく航行・戦闘共に可能です。ファントムは軽微な損傷、ハイネ隊員のグフも健在と、厳しい状況ではありますが十分な戦力を維持しています。……ですが、スノーホワイトが放った高エネルギー反応は、我が艦の陽電子砲を上回る威力を、あの単機で、それも文字通り『一瞬』で出力しています。もし、あれが我が艦へ直接向けられていたらと思うと……!」

 

アーサーはそこから先の言葉を紡ぐことができなかった。想像するだけで、総毛立つほどの恐怖が背筋を駆け抜ける。

 

「ジブラルタルまでもうあと僅かだというのに。本格的な修理と補給を待つ間、ここで足止めというのは辛いけど、仕方ないわね」

 

「はあ……」

 

アーサーが肩を落とすと、タリアは椅子の背にもたれかかり、艦長席の手すりを白くなるほどの力で握りしめながら、天井を見上げて忌々しげに唇を噛んだ。

 

「毎度毎度、後味の悪い戦闘だわ。決定的に敗退したわけでもないのに、いつもあいつらに戦場をかき乱されて、気がつけば網から逃げられている……。一体どんな化け物よ。神にでもなったつもりかしら、あいつらは」

 

戦場を支配したスノーホワイトの圧倒的な影。戦う大義すら見失いそうになる不可解な介入への苛立ちと恐怖を胸に抱いたまま、ミネルバは重苦しい沈黙と共に進むしかなかった。

 

「対空、対潜警戒は厳に。何が仕掛けてくるかわからないわ。あと、各班のケアもお願いね」

 

「はっ!」

アーサーは敬礼を返し、慌ただしく自席へと戻っていく。

 

一方、熱気とオイルの臭いが立ち込めるモビルスーツデッキ。ヴィーノが、震える手でタブレットを握りながら、怯えた声を絞り出していた。

 

「スノーホワイト……あんなの、モビルスーツの戦い方じゃない。はぁ……あんな動き、人間業じゃないよ」

 

頭を抱えるヴィーノの横で、ヨウランは機体各所に残る不気味な溶解痕をそっと指でなぞりながら、恐怖を噛み殺すように苦々しく拳を握りしめた。

 

「これ、すぐに直せってのは無理だよなぁ……。いくらまだ動けるって言ってもさ。一瞬、世界が白く染まったと思ったんだ。次の瞬間には俺たちのレーダーもセンサーも全部狂って、ただ空間ごと薙ぎ払われた。流石のフェイス(アスラン)のセイバーも、あの純白の魔物にはまともに勝てないか……。ウォーリアだって傷だらけだ」

 

絶大な信頼を寄せていたアスランすら圧倒したスノーホワイトの戦闘力は、整備兵たちの心に重い影を落としていた。天災そのものが人の形をして迫ってくるかのような、圧倒的な力の暴力。

しかし、その時、デッキの奥から軽快で頼もしい足音が近づいてくる。オレンジ色のパイロットスーツをまとったハイネが、ハッチに手をかけたまま、肩をすくめて二人の前に現れた。

ハイネ

 

「まぁまぁ、そうヘこむなって。機体は傷ついちゃいるが、アスランのセイバーもルナのウォーリアも、まだ五体満足でしっかり動ける。それに俺のグフイグナイテッドだってピンピンしてるんだ。ミネルバの火力が落ちたわけじゃないさ。……まぁ、俺もあの時、オレンジの機体ごと蒸発するかと思ったけどな。一切の躊躇いもなかったよな。無駄がなさすぎて、逆にこっちの鳥肌が止まらなかったぜ」

 

ハイネはいつもの軽口で誤魔化そうとするが、背中が冷や汗でぐっしょりと濡れているのを、自分自身で自覚していた。

◇◇◇

 

アークエンジェルの艦長室には、重苦しい静寂が満ちていた。

卓上のモニターには、先ほどのクレタ島沖の海戦で記録された戦闘データが淡々と映し出されている。

マリューは腕を組み、画面に表示されたミネルバ側の甚大な外装損傷と、それを単機で引き起こしたスノーホワイトの出力グラフを見つめ、静かに息を吐き出した。

 

「危ないところだったわね。……スノーホワイトのあの威力。一歩間違えれば、海域そのものを完全に消滅させていたところよ」

 

艦長としての率直な危惧。その言葉に、部屋の壁に背を預けていたアマキは、紫の瞳をわずかに伏せた。黒い長髪が肩から滑り落ちる。幾度となく戦闘をこなしてきたが自分が解き放った力が戦場にどれほどの絶望をもたらしたかは、十分に理解していた。

 

「……ゴメン。直撃は避けて、周囲の空間ごと薙ぎ払って出力を削いだんだけど、やっぱり使うべきではなかったのかもしれない」

 

アマキの声には、いつもの覇気はなく、明確に落ち込んだ様子が滲んでいた。強すぎる力を行使してしまったことへの悔恨が、彼女の胸を痛めている。

キラはアマキのすぐ隣に歩み寄り、その少し震える手の上に、そっと自分の手を重ねた。

彼女が悩み、決断したうえで選択した行動を否定することなく、その重圧を、誰よりも近くで分かち合いたかった。

 

「アマキのせいじゃないよ。フリーダムだけじゃ、あの乱戦を止めきれなかった。ミネルバも、オーブの軍も、みんな必死で……戦いを止めようとすればするほど、僕たちはより大きな力で、力ずくで押さえつけるしかなくなっていく……」

 

キラは苦しげに視線を落とす。

ラクスがプラントで語ったような「平和への願い」を実現するために動き出したはずなのに、現実の戦場では、スノーホワイトという絶対的な「魔物」の力で相手を恐怖させ、ねじ伏せることでしか介入できない不条理。アマキがきつく唇を結び、自分の存在意義さえ揺らぐような重圧に胸を締め付けられた、その時だった。

 

「――君がそう落ち込むことはないだろう、アマキ。あの場を収めるにはあれが一番効果的だっただけのこと。気に病むことはないさ」

 

アマキ至上主義のラウがすかさず肯定にかかる。ラウもあの場にいたが、あの混乱を一発で沈めさせ、なおかつオーブ軍に連合、ミネルバを撤退に追い込んだのだ。その手腕は褒めるべきである。誰も殺さない、誰も死なせない。その理念は簡単にできるものではない。

 

「まぁ、ラウの言う通り、アマキがミネルバの連中をビビらせたのは事実だ」

 

ムウは頭の後ろで両手を組みながらそう言った。その口調は軽かったが、戦場の真実を突いている。

 

「でも……大きすぎる力は争いを呼ぶ、だろう? 私が新たな火種となっては意味がないんだ」

 

スノーホワイトという規格外の存在。それがまた新たな憎しみや軍拡を招くのではないかという恐怖。アマキの紫の瞳に、深い迷いと葛藤が影を落とす。

 

「……アマキ……」

 

「アマキさん」

 

「……ゴメン……」

 

己の力を自責するように呟くアマキ。

するとムウは何の前触れもなく、アマキの黒髪の頭を大きな手でわしわしと容赦なく乱暴に撫で回した。

 

「えっ?! ちょ、ちょっと!なにすんのっ」

 

突然の暴挙に、アマキは驚いて紫の瞳を丸くして抵抗をする。だがムウはアマキの抵抗など気にせずに撫でまくりアマキの髪はぐしゃぐしゃになる。

ムウは(まだまだ子供だってのに、変なものばかり背負わせちまってるな……)と、大人の一人として胸の奥に苦い罪悪感を抱いていた。だからこそ、その感傷を吹き飛ばすように言葉を続ける。

 

「……まぁ、なんだ。お前のスノーホワイトの一撃、そりゃあ鳥肌モノの威力だったよ。だがな、アマキ。力なんてのは道具だ。ラウの言うように敵を震え上がらせて無駄な血を流させない『盾』にもなる。現にお前さんは、あの化け物みたいな出力を完璧にコントロールして、ミネルバの命を救ったじゃねえか。それは、お前さんの覚悟と優しさがなせる芸当だぜ。だからさ、そんな辛気臭い顔してんな」

 

マリューもまた椅子から立ち上がるとアマキの方へ歩み寄りもう片方の肩にそっと手を添えた。

 

「そうよ、アマキさん。あなたの優しさに甘えて、その背中にばかり重すぎる力を背負わせてしまっていることが、私たちは申し訳ないことだと思ってるわ。……いつも私たちを、アークエンジェルを救ってくれてありがとう」

 

ラウの冷徹ながらも芯のある肯定、ムウやマリューたちの温かい言葉、自由への重圧を分かち合おうとするキラの信頼。

普段はムードメーカーして陽気に振る舞うアマキだったが、皆からの信頼、満ちる絆の深さと、自分が振るう力の意味を、その胸の奥でしっかりと噛み締めていた。

 

キラ

「……大丈夫だよ。アマキだけ悩まなくていい。僕もいるんだから」

 

キラも繋いだ手にぎゅっと力を込め、愛しい恋人を支えるように嬉しそうに目を細めるのだった。

アマキ

「……うん、……ありがとう。みんな」

 

仲間たちの温もりに救われ、アマキの唇にようやく柔らかな微笑みが戻った。

 

◇◇◇

 

「いや、しかし……皆、無事でよかった」

 

カガリは凛とした佇まいで正面を見据え、食堂を埋め尽くす大勢の将兵たちを見渡した。その声は震えていたが、心ある臣下たちが生きて目の前にいることへの、心からの安堵が宿っている。あの騒動のあと、タケミカヅチの士官たちはユウナを見捨てて艦を下り、アークエンジェルへと救助されたのだ。

そのトダカはカガリの前に深く膝を突き、無骨な頭を垂れて言葉を紡ぐ。

 

「戦場からおめおめと逃げおおせた我らを迎え入れてくださって本当にありがとうございます」

「いや、そんなことはない。良く決断してくれた。トダカ」

 

カガリは激しく首を振り、膝をつくとトダカの煤けた手を強く握りしめた。ウズミの遺志を継ぐオーブの「心」をアークエンジェルへ託すために、フラッグシップであるタケミカヅチを乗り棄ててでも生き延びる道を選んでくれた。その英断に対する感謝が、彼女の胸を突き上げる。しかし、トダカの実直な瞳には、軍人としての、そして一人の司令官としての重すぎる痛恨の情が宿っていた。

その時、食堂の入り口から、周囲の将兵たちが一斉に左右に割れて道を作った。

 

「――相変わらず、堅苦しい挨拶が好きな男だな。トダカ」

 

聞き覚えのある、重厚で落ち着いた声が食堂に響く。

一同が息を呑んで振り返った先に立っていたのは、かつてオーブの理念と運命を共にし、オノゴロの地で自爆を遂げたはずの前代表首長――ウズミだった。

 

だが、かつて一国を統べていた「オーブの獅子」のその身を包んでいたのは、お馴染みの厳格な首長服ではなく、家庭的な白い割烹着姿だった。

右手には大きなレードル(お玉)を握り、割烹着の袖を少したくし上げたウズミは、いつもの厳しい、けれどどこか慈愛に満ちた眼差しで、膝を突き合わせる娘と忠臣の姿を見下ろす。厨房の熱気のせいか、少し額に汗を浮かべていた。

 

ウズミ

「よく生きて戻ったな、トダカ。……そして皆もだ。ちょうど大人数の飯を仕込んでいる最中でな。手が離せんでこの姿のまま出てきた」

 

「ウ、ウズミ様……っ! その、お姿は……!? いえ、ご無事で……っ!」

 

トダカは弾かれたように顔を跳ね上げ、かつての主君のあまりにもシュールかつ衝撃的な生存の姿に、目を見開いて絶句したあと、激しく涙を溢れさせた。

 

「タケミカヅチを乗り棄て、泥をすすってでも生き延びる道を選んだこと、決して恥じることはない。国を国たらしめるのは、鉄の塊たる軍艦ではない。そこに生きる『人』の心だ。お前たちが繋いだその命こそが、これからのオーブの真の礎となる。……さあ、生き残ったからにはしっかり食え。戦後の混迷を乗り切るには、まずはスタミナだ。今日はシーゲル殿と、特大の肉鍋を用意しているからな」

 

ウズミの低く威厳に満ちた声が、割烹着姿という圧倒的なギャップを置き去りにして、食堂にひしめくすべての将兵たちの胸に真っ直ぐに染み渡っていく。

 

「お父様……」

 

カガリは父親の大きく偉大な背中(と、その白い割烹着の紐)を見上げ、涙を流しながらも、アークエンジェルならではの温かい空気にホッとしたように微笑むのだった。

◇◇◇

 

ミネルバの薄暗い医務室。さまざまな生体維持モニターが規則的な電子音を刻むなか、白いベッドに横たわるステラ。シンはお守り代わりとなっている貝殻を手に握り締めていた。そこで眠りから覚めたステラがシンに気づき、そしてその貝殻に視線を向ける。

 

「……シン…それ……ステラの?」

 

「あ、これ? 君がくれたやつだ。落とさないように入れてるんだよ」

 

シンは透明なガラスの小瓶を見せた。

カラン、と瓶の中で貝殻が優しく音を立てる。シンの顔に柔らかな微笑みが浮かんだ。

 

「かいがら、あげた」

 

ステラはシーツから弱々しく手を伸ばし、ガラスの表面をそっと指先でなぞった。その顔に、微かな記憶の光が灯る。

 

「俺、大事に持ってるんだ」

 

シンは小瓶を優しく握り直し、ステラの顔を覗き込んだ。

 

「……うれしい。シンはステラまもってくれるの」

 

ステラは枕に頭を預けたまま、無垢な瞳でシンをじっと見つめた。

 

「うん。言ったね」

シンは優しく頷き、シーツの上に置かれたステラの小さな手を、自分の手のひらでそっと包み込んだ。あの日、海辺で交わした約束の温もりを確かめるように、その手にぎゅっと力を込める。

 

「でも、スノウにもあいたい。あえなくて、ステラかなしい」

 

ステラは寂しげに視線を落とし、胸元を小さく波立たせた。彼女が心から慕い、求めているのは、今や自分たちの敵である連合のスノウなのだという本音が、無防備に漏れ出す。

 

「…………」

 

ステラの手を包んでいたシンの指先が、ぴくりと硬直した。

彼女を救いたいという純粋な想い。けれど、自分はザフトに席を置く非情な現実。彼女を死なせたくないという痛切な願いの狭間で、シンはただ静まり返る医務室のなか、言葉を失うことしかできなかった。

 

◇◇◇

 

「これからどうすんのかねぇ。結局オーブとは決着つかなかったしな」

 

レクリエーションルームのソファに深く腰掛け、ヴィーノは手元の雑誌をパラパラと捲りながら、これからの行く末を案じるように大きなため息をついた。

 

「また襲ってきそうだよね」

 

近くのテーブル席で冷たいジュースを持ったメイリンが、不安そうに眉をひそめて言葉を返す。ヨウランが軽く同意する。

 

「ああ、確かに。またアレ来るのかね?あの白いやつ。またあんなのぶっ放されたら、ミネルバだって無事じゃすまないだろ?」

 

前回の戦闘で見せつけられた、空間ごと薙ぎ払うような絶望的な破壊力。思い出すだけでヴィーノとメイリンの顔が引きつる。

 

「そりゃそうだよ。でも、あのスノーホワイトのパイロットって女の人だったよね」

 

メイリンがオペレータールームでのデータ解析で知った事実を漏らすと、ヴィーノは驚愕に目を見開いた。その時、レクリエーションルームの自動扉が開き、鋭い声が響く。

 

「メイリン!」

 

「あ、お姉ちゃん!」

 

不意を突かれたメイリンは、肩をすくめて身を硬くした。ルナマリアは呆れたように腰に手を当てて歩み寄ってくる。

 

「なに噂話してんのよ。あのさ、アスランどうしてるか知らない?」

 

「えぇ?」

 

「どうって?」

 

姉の突然の問いかけに、ヴィーノとメイリンはパチクリと目を瞬かせた。ルナマリアは少し視線を泳がせ、歯切れ悪そうに言葉を濁す。

 

「いや、あの人、ちょっと落ち込んでるみたいだから……」

 

「ぁぁ」

 

「戦闘じゃあのスノーホワイトに一歩も手が出せなかったもんな。今何してるかは知らないけど」

 

「ぁ、シン」

 

レクリエーションルームの自動扉が開き、入ってきたシンの姿にメイリンが気づいて小さく声を上げた。

 

「ぁ……」

 

先ほどまでアスランやスノーホワイトの深刻な噂話をしていたルナマリア達は、少し気まずそうに声を詰まらせる。シンはそんな四人の微妙な空気に気づく様子もなく、いつものぶっきらぼうな調子で歩み寄ってきた。

 

「なにしてんの?」

 

「シン。ああ、ちょうどよかった。ねえ、アスランは? どうしてるか知ってる?」

 

「あ? いや。知らないけど」

 

シンは面倒そうに視線をそらし、そっ気なく答える。

 

「そう……」

ルナマリアが落胆したように肩を落としたその時、ヴィーノが何かを思い出したようにパッと表情を明るくしてシンに向き直った。

 

「そうだ! シン!」

 

「なに?」

 

「あの時お前、スノーホワイトしっかり見たんだよな。あのパイロットって絶対女だぜ!」

 

「っ!」

 

ヴィーノの突然の言葉に、シンは思わず目を見開いて息を呑んだ。

 

「……」(アマキ・カンザキ)

 

ルナマリアは黙り込んだまま、かつてその圧倒的な力で戦場を蹂躙した、あの伝説のパイロットの名前を脳裏に思い浮かべていた。

 

「ぜってぇゴリラみたいなやつだよ、きっと!」

 

「え~、やだ~」

 

ヴィーノが勝手な妄想で盛り上がり、メイリンが嫌そうに顔をしかめる。しかし、その悪気のない軽口は、シンの胸の奥にある熱い感情を瞬間的に爆発させた。わずかな時間だったが、アマノの人柄はシンがよく知っている。

彼女が、アマノが、何も知らない奴らにそんな風に言われるのがどうしても許せなかった。

 

「そんなことないっ!」

シンはレクリエーションルームに響き渡るほどの声で、激しく否定した。

 

「え?」

 

あまりの剣幕に、メイリンとヴィーノは呆然として言葉を失う。ルナマリアも怪訝そうにシンを見つめた。周囲の驚いたような視線が一斉に自分に集まるのに気づき、シンはハッと我に返ると、慌てて視線を泳がせて顔を赤くした。

 

「あ、……なんでもない」

 

シンはそれだけ口にすると、気まずさを誤魔化すように踵を返し、足早にレクリエーションルームを立ち去っていく。入ってきて早々に怒鳴って飛び出していったシンの不可解な激昂に、残された三人はただただ首を傾げるばかりだった。ルナマリアだけは複雑そうな表情でシンがいなくなったドアを見ていた。

 

◇◇◇

 

シンは苛立ちを抑えることができなかった。

レクルームを飛び出し、誰もいない無機質なミネルバの廊下を乱暴な足取りで進みながら、頭をめちゃくちゃにかきむしる。

 

(なんで、なんでアマノさんがいるんだよ!?)

 

胸の奥を激しくかき乱すのは、ヴィーノたちの能天気な噂話への怒りだけではなかった。

あの純白の機体――スノーホワイトは、アマキ・カンザキのものだ。ザフトのデータベースでもそう記録されている。

それなのに、なぜあの戦場で、オーブにいるはずの、“アマノ・シノザキ”が搭乗しているのだ。

 

(アマノさんがアマキ・カンザキから奪った? いや、そんなことする人じゃないっ!)

 

あんな人畜無害そうなぽちゃっとした女の子がそんな卑劣な強奪に手を染めるはずがない。シンは必死にその仮説を頭から振り払う。

 

きっと、きっと何かの間違いだ。音声を入手して、誰かが声を変えているに違いない。

じゃなきゃ、あんな奴、あのスノーホワイトがやったことが許されない。

自分たちの前に立ち塞がり、戦場を圧倒的な恐怖で蹂躙したあの純白の魔物。あれがもし本当に、アマノなのだとしたら――自分は一体、誰を信じればいいというのか。

いくつもの真実と拒絶が頭の中で激しく交錯し、シンはただ、やり場のない混乱と焦燥感に突き動かされるように、冷たい壁に拳を強く押し当てる。

 

その時、前方から聞こえてきた聞き慣れた声にハッとして顔を上げた。角の陰に身を隠すようにして、そっと二人の様子を窺う。そこにタリアと軍医が何やら立ち話をしていた。

 

「そう……。状態は良さそうね」

 

「ええ」

 

「ぁ!」

 

物陰から覗き込んだシンの瞳が、驚きに小さく揺れる。二人が話している内容――それは、ミネルバの医務室に隔離されている、あの地球軍の強化人間(エクステンデッド)の少女、ステラのことだった。

 

「このまま生きたままで引き渡すことができそうです」

 

「ぁ!」

 

軍医の冷淡な言葉に、シンは胸を強く突かれたような衝撃を覚える。プラント本国へ研究素体として『引き渡す』という事実。生きたまま引き渡せることを安堵する軍医の口調は、ステラを一人の人間ではなく、ただの「サンプル」として扱っている何よりの証拠だった。

 

「じゃあ措置は今まで通り続けてちょうだい」

 

「ぇぇ……」

 

シンは信じられない思いで奥歯を噛み締めた。助けたい一心で医務室に通い詰めていた自分の願いとは裏腹に、彼女の運命は冷酷な軍の歯車によって着々と進められている。

 

「分かりました」

 

「ええ、お願い。……あ、シンは? まだ来てたりするの?」

 

ふと思い出したように、タリアがシンの動向を尋ねた。

 

「ぁ…」

 

物陰で、シンは思わず息を潜める。

 

「ええ、ちょくちょく。何であんなのに思い入れるんだか分かりませんけどね」

 

鼻で笑うような軍医の言葉には、敵兵であり、なおかつ化け物染みた戦闘能力を持つ強化人間に心を寄せるシンへの、隠しきれない呆れと冷ややかさが混じっていた。

 

「……そう」

 

タリアはそれ以上何も言わず、ただ複雑な色の混じった、どこか悲しげな視線を落とす。

 

「……」

 

誰も、ステラを助けようとはしていない。ここにいれば、彼女はただの実験動物として、暗い研究所の奥底で使い潰されるだけだ。

アマノへの混乱と焦燥、そしてステラに迫る理不尽な運命――。あまりにも多くの重圧が同時に押し寄せ、シンの胸の奥で、引き返せないほどの危うい決意の炎が静かに燃え上がろうとしていた。

 

◇◇◇

 

パトリック・ザラ、ウズミ・ナラ・アスハ、そしてギルバート・デュランダル。

かつて世界を揺るがした指導者たちの言葉が、アスランの脳裏を激しく駆け巡る。さらにその絶望的な思想の連鎖を断ち切るように、あの戦場で対峙した黒髪の少女、アマキの冷徹な問いかけが、海風と共に彼の胸の奥を鋭く抉った。

 

『それってデュランダル議長に対する義理? ――それとも、自分から声かけてお願いした側だから、間違ってても目を瞑るの?』

 

 

「く……っ」

 

己の欺瞞を突かれたかのような激しい目眩に、アスランは頭を押さえて呻き声を漏らす。

夜の帳が下りつつあるミネルバの上部甲板。冷たい風が吹きつける中、手すりに背を預けた彼は、自身の無力さと混迷に打ちのめされていた。

 

 

「ぁ……」

 

ステラの危機を知り、重苦しい決意を胸に甲板へ上がってきたシンが、偶然その姿を見つけて足を止めた。目の前にいるのは、あのスノーホワイトに一歩も手が出せず、ただ防戦一方のまま敗北を喫したの先輩だ。

 

「シン……」

 

アスランは気配に気づき、顔を上げて辛うじてシンの名を呼んだ。

 

「何ですか?」

 

「ぁ……いや……」

 

言葉を詰まらせ、視線を落とすアスラン。そのふがいない姿に、頭のなかが混乱で破裂しかけていたシンの苛立ちが、一気に限界を超えて噴き出す。

 

「……部屋じゃなくてこんなとこで落ち込んでたんですか。呑気なもんですね。ルナが心配してましたよ。どうしてるかって」

 

「シン」

 

「そうやって偉そうな顔したって、何も出来なきゃ同じです!」

 

 

「なんだと……」

 

シンの容赦のない言葉に、アスランの瞳に微かな動揺と、それを隠すような険しさが走る。だが、シンはもう止まらなかった。ステラを実験動物のように扱う地球軍への憎しみ、そして、それすら止められない自分たちの無力さをすべてアスランにぶつけるように、激しく吠えた。

 

「悪いのは全部地球軍んだ! あんただってそれと戦うためにザフト軍に戻ってきたんでしょ!?」

 

「ぅ……」

 

「だったらもっとしっかりしてくださいよ!」

 

言い放ち、シンはアスランを激しく睨みつける。

かつての英雄でありながら、今の混迷する戦場で何一つ答えを出せず、ただ暗い海を見つめて苦悩することしかできないアスラン。その沈黙に背を向けるようにして、シンは自らの危険すぎる決意――ステラを連れ出す計画へ向けて、迷うことなく夜の甲板を去っていくのだった。

 

「……」

 

残されたアスランは、広がる闇に消えていくシンの背中を見つめながら、ただ何も言い返せずに、冷たい潮風のなかへと再び深く沈んでいくしかなかった。

 

◇◇◇

 

シンは自室のパソコンで色々と脱出のための計画を立てていた。

薄暗い同室のなか、モニターの白い光だけがシンの顔を静かに照らしている。画面に映し出されているのは、ミネルバの内部構造図や警備の巡回ルート、そしてかつて鹵獲(ろかく)した地球軍の機体――ガイアガンダムのデータだった。

 

(ガイアの認識コードを利用して……スノウを呼び出せないか……!?)

 

シンはキーボードを叩く指に渾身の力を込め、画面に走る複雑なプログラムを必死に解析していた。

かつて戦場でステラが乗っていたガイアガンダム。その固有の認識コードや通信周波数をハッキングし、利用して地球軍のスノウを直接呼び出し、交渉の場を引きずり出すことはできないか。

ステラを実験動物のように扱うプラント本国へ引き渡すくらいなら、彼女を必要としている地球軍の、あのスノウの元へ返した方がまだマシだ。

一歩間違えればザフトのメインサーバーに検知され、即座に身柄を拘束されるだけの危険すぎる賭け。緊迫感で口の中がカラカラに乾いていく。

その時だった。

 

「ん? 何をしている?」

 

静まり返った部屋に、低く、しかし明瞭な声が響いた。驚きで心臓が跳ね上がる。声の主は、隣のベッドで寝ていたはずのレイだった。いつの間にか上体を起こし、暗闇のなかから鋭い瞳でこちらを見つめている。

シンは弾かれたように肩を跳ね上げ、心臓が口から飛び出そうなほどの衝撃を覚えた。慌ててパソコンの画面をカモフラージュ用の別データへと切り替えるが、キーを叩く指先が小さく震える。

 

「ぅ……何でもないよ」

 

シンは引きつった笑みを浮かべ、必死に平静を装いながら視線を泳がせた。背中をじっとりと冷たい汗が伝わっていく。

レイはしばらくの間、無言でシンの顔をじっと見つめていた。その沈黙が、シンにとっては永遠のようにも感じられた。軍律違反のハッキング、それも敵軍の指揮官への接触。もしレイに発覚すれば、この場で拘束されてもおかしくはない。

 

「……そうか」

 

短くそれだけ告げると、レイはそれ以上の追及をすることなく、何事もなかったかのようにまたベッドへ横になる。

本当に気づいていないのか、それともシンの異変を察しながらもあえて見逃したのか。彼の真意は分からない。しかし、レイが再び静かな寝息を立て始めた瞬間、シンは激しく波打つ胸を片手で押さえ、大きな息を吐き出した。

切り替えたモニターの画面を見つめ直し、シンはきつく奥歯を噛み締める。

 

(もう、時間がない……。やるしかないんだ……っ!)

 

ステラを救い出すための焦燥感。退路を断たれたシンは、ガイアの認識コードを利用した決死の試行錯誤を終わらせ、次なる行動――医務室へと向かうべく、再び昏く光る画面を力強く見つめる。

 

深夜の静寂が支配するミネルバの医務室。計画通り、シンは足音を完全に消して電子ハッチを潜り抜けた。だが、不運にもそこには夜間の見回りを行っていた一人の看護師が残っていた。

 

「なあに? こんな時間に……うッ!」

 

不審な影に気づいた看護師が声を上げた瞬間、シンは電光石火の速さで間合いを詰め、彼女の首筋に鋭い当身を食らわせた。看護師は言葉を失い、そのまま床へと崩れ落ちる。

シンは荒い息を整えながら、ベッドに横たわる金髪の少女へと駆け寄った。シンは優しくその肩を揺する。

 

「ステラ。ステラ」

 

「……シン……?」

 

薬品の副作用で朦朧とした瞳が、うっすらと開かれる。目の前にいる少年の姿を認識すると、彼女の怯えた表情が少しだけ和らいだ。軍の冷酷な計画によって実験動物のように扱われ、明日をも知れぬ命だった少女。シンはそんな彼女の細い身体を、愛おしそうに力強く抱き起こした。

 

「帰ろう。俺は約束は守るさ。ステラを守る」

 

それは、世界すべてを敵に回してでも、目の前の小さな命を救い出すという、シンの破滅的で、けれどどこまでも純粋な誓い。

 

 

「ま、ジブラルタルに入れば可能性あるんじゃないの?」

 

「けどここにいたんじゃ、休暇って言ったって家にも帰れやしない」

 

ミネルバの下部格納庫へ続く薄暗い通路。深夜の巡回をしていた警備兵と整備員が、退屈そうに私語を交わしながら歩いていた。その前方に、ぐったりとしたステラを背負ったシンの影が滑り込む。

 

「はっはっはっ。……お? おい何を……」

 

「……」

 

「貴様! そこで何をしている!」

不審な人影と、その背にある医務室の少女の姿に気づき、警備兵が鋭く怒声をあげて銃を構えた。

警備兵

「どうした!」

 

「くッ……」

 

シンはステラを庇うようにして身を硬くする。完全に退路を断たれた、その瞬間だった。

 

「動くな!」

 

「うわぁっ!」

背後から迫ろうとした警備兵が、何の前触れもなく短い悲鳴をあげて床へ倒れ込んだ。

 

「!?」

 

「うわっ……!」

 

「お前ら何を……うわっ!」

 

「ぅ……」

 

「ぁ……」

 

闇の中から吸い込まれるように現れた影が、目にも留まらぬ鮮やかな体術で、警備兵たちを次々と静かに無力化していく。

 

「ええ?!」

 

あっけにとられるシンの前で、最後に残った整備員たちを気絶させたその影が、ゆっくりと立ち上がった。薄暗い非常灯に照らされたのは、同室で眠っていたはずのレイだった。

 

「返すのか?」

 

「ぁ、ああ。このままじゃ死んでしまう。その後も実験動物みたいに……。俺はそんなの!」

 

「お前は、戻ってくるんだな?」

 

レイの静かで、けれどすべてを見透かすような瞳が、シンを真っ直ぐに射抜く。

 

「当たり前だ!」

 

迷いのないシンの咆哮。それを聞いたレイは、わずかに目を伏せると、淡々と、しかし確かな意思を宿して告げた。

 

「なら急げ。ゲートは俺が開けてやる」

 

「え?」

 

「どんな命でも、生きられるのなら生きたいだろう」

 

かつてクローンとしての過酷な運命を突きつけられ、それでも明日を求めて足掻いたレイだからこその、魂からの肯定だった。

 

「ぁ……」

 

自分を咎めるどころか、その無謀な脱走の手助けをしてくれる親友の優しさに、シンの目から熱いものが込み上げる。しかし、今は一刻を争う。シンは背中のステラをきゅっと抱き直し、レイが開けてくれた未来へのゲートへと向かって、全力で走り出すのだった。

 

軍その数分後。夜間の定期巡回、あるいはシンに気絶させられた看護師の発見により、ミネルバの医務室は一転して蜂の巣をつついたような騒ぎに陥っていた。

 

「「あ!」」

 

駆けつけた医師と、意識を取り戻したばかりの看護師が、もぬけの殻となった生体維持カプセルを見上げて悲鳴をあげる。繋がれていた無数のチューブや医療用モニターのコードが、無残に床へと垂れ下がっていた。

 

同じ頃、格納庫の闇のなかで、シンはコア・スプレンダーの狭いコックピットにステラを滑り込ませていた。薬品の副作用と激しい消耗により、彼女の呼吸は未だに荒い。

 

「……シン……」

 

「大丈夫だよ。ちょっと我慢して」

 

シンは自分の膝にステラを乗せ、座席のシートベルトをきつく締め直した。激しく揺れるコックピットの計器類を見つめながら、その手を優しく握りしめる。

 

「今、ここから出してあげるからね」

 

――ビーーーッ! ビーーーッ! ビーーーッ!

その瞬間、艦内にけたたましい非常警報のサイレンが鳴り響いた。赤い警告灯が断続的に回転し、無機質な通路を不気味に赤く染めていく。

ブリッジの自動扉が勢いよく開き、タリアが、険しい表情でキャプテンシートへと駆け込んできた。

 

「どうしたの? 何事なの?」

 

 

「医務室から、拘留中だったエクステンデッドの少女がいなくなったと!」

コントロールパネルの異常シグナルを睨みつけながら、バートが緊迫した声を張り上げる。

 

「なんですって!?」

 

タリアは驚愕に目を見開き、手すりを強く握りしめた。プラント本国への引き渡しが迫っていた、あの地球軍の強化人間が、この厳重な警戒を敷かれたミネルバのなかから跡形もなく消え失せたのだ。

 

同時刻———。

 

「開けろ! くっそー。おい、誰かそこの端末から割り込んで……!」

 

下部格納庫の隔壁の前で、マッドが閉ざされたハッチを力任せに叩きながら怒鳴り声を上げていた。しかし、レイが仕掛けた高度なセキュリティロックはびくともせず、整備員たちが慌ててコンソールを叩くが、強制解除のコードはことごとく弾かれていく。

その緊迫した喧騒を他所に、コントロールルームの闇に紛れたレイは、淡々とインパルスの発進シーケンスを見つめ、静かに通信回線を開いた。

 

「いいぞ、シン」

 

「行くよ!」

 

シンの悲壮な覚悟を孕んだ声が響くと同時に、インパルスのスラスターが猛烈な火花を散らして爆発的な咆哮を上げた。強制開放された下部ハッチから、漆黒の夜の海へと、純白の機体が目にも留らぬ速さで滑り出していく。

 

ミネルバのブリッジでは、コンソールに突如として表示された未許可の発進シグナルに、メイリンが悲鳴のような声を張り上げていた。

 

「艦長! インパルスが!」

 

「え!?」

 

タリアは弾かれたように立ち上がり、メインモニターを見据えた。そこには、艦の制止を振り切り、夜の闇へと消え去っていくインパルスの機影がはっきりと映し出されていた。

その頃、吹き荒れる風のなか、インパルスのコックピットでステラを優しく抱きかかえながら、シンは必死に操縦桿を握り締めていた。

 

「地球軍の位置、ガイアのコード……よし、これで!」

 

ハッキングしたガイアガンダムの固有認識コードが、インパルスの通信システムを通じて、地球軍の特定周波数へと決死のSOSを送り出す。画面の向こう、その電波の先に待つのは、ステラを引き戻そうとしている地球軍の男――スノウ・カンザキ。

 

(頼む……繋がってくれ……! ステラを、助けてくれ……っ!)

 

すべてを捨てて軍律を犯し、夜の空を駆けるシン。その痛切な祈りを乗せた信号が、暗黒の空へと解き放たれていくのだった。

 

◇◇◇

 

「おい……あれ、レイだぞ……」

 

下部格納庫のコンソールから上がってきた逆探知の結果を受け、ミネルバの通路に集まっていたクルーたちの間に、驚愕と困惑の混じった呟きが波紋のように広がっていった。

マッドたちが必死に端末へ割り込み、ゲートを強制開放してセキュリティを書き換えた人物のIDを特定したその瞬間、保安員に両脇を固められたレイが、冷たい金属の通路を静かに歩いていたのだ。

 

「ぁ……」

 

その場に駆けつけていたアスランとルナマリアは、すれ違うレイの姿に絶句して言葉を失った。シンだけでなく、あの冷静沈着なレイまでもがこの大罪に加担していたという事実は、二人の脳裏を激しく揺さぶる。だが、拘束されている当のレイは、クルーたちの刺すような視線を浴びながらも、その端正な顔に動揺の色を一切見せず、恐ろしいほどに淡々と前を見据えて歩いていた。

静まり返った艦長室。次々と舞い込む最悪の報告に、タリアが痛みの走る額を押さえながら通信機に鋭い指示を飛ばしていた。

 

「ええそう、仕方ないでしょ? ハイネ向かわせて。悪いけど、アスランはいいわ」

 

タリアは冷徹に、しかしどこか苦渋を滲ませて告げた。前回の戦闘でスノーホワイトに完敗し、上部甲板で傷つき落ち込んでいたアスラン。今の彼の精神状態で、シンの追撃などという過酷な任務を任せるわけにはいかない。それが艦長としての冷徹な判断だった。

 

重苦しいハッチが閉まり、一人残されたタリアは、扉の前に控えていた銃を構える警備兵たちへと視線を向け、冷たく言い放つ。

 

「貴方もいいわ」

その冷徹な言葉とともに、先ほど通路を連行されていたレイが、ついに艦長室の中へと連れてこられる。親友を逃がした張本人であるにもかかわらず、彼の瞳には迷いも後悔もなかった。

 

「は!」

警備兵たちは一礼すると、レイの身柄を艦長に引き渡し、重苦しい空気が満ちる部屋を退出した。

二人きりとなった艦長室で、タリアとレイの視線が真っ向から交錯する。

タリアは机に両手をつき、目の前に立つレイを鋭く見据えた。

 

「追撃などしなくてもシンは戻ってきます」

 

レイの声には一切の動揺がなく、まるで決まりきった未来を告げるかのように淡々としていた。その言葉の真意を測りかね、タリアは眉根を寄せる。

 

「どういうことレイ。これもあの方からの指示かしら?」

 

『あの方』――ギルバート・デュランダル議長。レイの背後にいる最高権力者の影を問うタリアだったが、レイはただ静かに目を伏せるだけで、それ以上の言葉を返さなかった。

 

◇◇◇

 

同じ頃、漆黒の夜の海を進む地球軍の母艦ブリッジ。電子警報の変則的な音が鳴り響き、オペレーターが驚愕の声を上げた。

 

「これは!?」

その叫びに、仮面の指揮官――スノウが鋭くシートから身を乗り出す。

 

「ガイアの識別コードとな。ふむ、こちらに用事があるということか」

 

「分かりませんが、ずっとそれで呼び出しを。我が軍の暗号化された特定周波数に直接割り込んできています!」

 

「……ステラのガイアか。だが、あの機体はザフトに鹵獲されたはず」

 

仮面の奥の瞳を険しく光らせ、スノウは瞬時に決断を下した。あの捕えられた少女が、自分たちを呼んでいるのかもしれないという可能性。

 

「総員、第二戦闘配備」

 

「「「は!」」」

 

「まあいい、応答してくれ」

 

先ほどの乱戦で艦隊は傷つき、即座に動かせる戦力は限られていた。それでもスノウは迷わず愛機を駆る覚悟を決め、オペレーターへ指示を飛ばす。

 

「はい。回線を開きます」

 

ザーー、というノイズの向こうから、夜空を駆けるインパルスのコックピットで必死に叫ぶ、シンの通信が地球軍のブリッジへと繋がろうとしていた。

 

インパルスのコックピット。計器盤のインジケーターが明滅し、地球軍の専用回線が確立されたことを示す緑色のランプが点灯した。

 

 

「ん?」

シンはノイズの向こう側に確かな応答の気配を感じ取り、操縦桿を握る手にぐっと力を込めた。背後で苦しげに息を吐くステラを気遣いながら、暗号化されたマイクに向かって、魂を絞り出すように言葉を叩きつける。

 

「スノウへ。ステラが待ってる。ポイントS228へ一人で迎えに来てくれ。繰り返す。スノウへ。ステラが待ってる。ポイントS228へ一人で迎えに来てくれ」

 

それはザフトの赤服としての立場を完全に捨てる、文字通りの軍律違反の告白だった。

 

その悲痛な呼びかけは、地球軍の母艦ブリッジへと真っ直ぐに届いていた。

 

「大佐……」

 

オペレーターは動揺を隠せないまま、振り返って仮面の指揮官へと視線を向けた。

 

同じ頃、ミネルバの静まり返った艦長室。タリアの鋭い眼差しを受け止めながら、レイは微動だにせず、淡々とした口調で自らの罪を告げていた。

 

「今回のことは私の一存です。通常の処分をお願いいたします。シンは彼女を返しに行っただけです。必ず戻ります」

シンの無実を主張し、すべての責任を自分一人で背負おうとするレイ。ギルバート・デュランダル議長からの指示を疑うタリアに対し、彼はただ、親友を信じる実直な意志だけでそこに立っていた。

 

◇◇◇

 

一方、重苦しい空気が漂うミネルバの居住区通路。ブリッジから戦力外を言い渡され、壁に背を預けて立ち尽くすアスランのもとへ、心配そうにルナマリアが駆け寄ってきた。

 

「アスラン?」

 

「……」

 

ルナマリアの問いかけに、アスランはただ暗い床を見つめたまま、何も答えることができなかった。キラたちの、そしてアマキの言葉が頭を離れない。混迷する世界の中で、自分は一体何のためにここにいるのか。その答えを見出せないまま、元英雄は深い懊悩の底に沈んでいた。

 

◇◇◇

 

地球軍の暗い格納庫。ジェットブラックの機体、ウィンダムの足元で、スノウ・カンザキはノーマルスーツのヘルメットを小脇に抱え、出撃の準備を進めていた。

 

「本当にお一人で行かれるんですか?」

 

不安を隠せない将校の問いに、スノウは仮面の奥の瞳を鋭く光らせ、静かに肩をすくめてみせた。

 

「カオスにアビスもまだ使えん以上、仕方がないさ。罠だとしても、何かしてみなきゃ何も分からん。あの子が……ステラがそこにいるかもしれないんだ」

 

「はっ……」

 

「あとを頼むぞ!」

 

スノウは力強く告げると、タラップを駆け上がり、ウィンダムのコックピットへと滑り込んだ。ハッチが閉まり、機体のツインアイが怪しく昏い光を放つ。

シンが指定したポイントS228へと向けて、漆黒の夜空へウィンダムが発進していくのだった。

 

 

「待っててステラ。もう少しだから。きっとスノウが来てくれるから」

 

インパルスのコックピット。薄暗いモニターの光に照らされながら、シンは背後で苦しげに荒い息を繰り返すステラへ、言い聞かせるように優しく声をかけた。操縦桿を握る手のひらには、焦燥感でじっとりと汗が滲んでいる。

 

「……スノウ……」

 

薬品の副作用で朦朧とする意識の中、聞き馴染んだその名に、ステラがうっすらと瞳を開けて小さく呟いた。

 

「ああ。だから大丈夫だ、ステラ……。あ!」

 

指定したポイント「S228」の夜空を見据えていたシンの瞳が、驚きに大きく見開かれた。インパルスの長距離センサーが、上空から急速に接近してくる単一のモビルスーツの熱源反応を捉えたのだ。

漆黒の闇を切り裂くように、一機のウィンダムが推進光を引いて降下してくる。そのコックピットの中で、仮面の男――スノウもまた、眼下に佇むトリコロールカラーの機影を捉えていた。

 

「あれは……ザフトのインパルスか。少年が来たということか」

 

ウィンダムのメインモニターに浮かび上がる、夜霧を纏ったトリコロールカラーの重厚なシルエット。その双眸に宿る光を見つめながら、スノウは仮面の奥で静かに息を呑んだ。

軍に所属する者が、これだけのことを、それも単独で行えるはずがない。

ザフトという巨大な軍の組織、その最新鋭機のパイロットという立場でありながら、艦から最高機密である強化人間を盗み出し、あろうことか敵軍の指揮官に直接シグナルを送って呼び出すなど、常軌を逸している。

見つかれば即座に軍機違反で射殺されても、何ら文句は言えないはずだ。

国家を裏切る大罪人として、己の未来も命も、すべてがその場で吹き飛ぶ。

(その覚悟の上で……すべてを捨てて、あの子を連れ出したということか)

モニター越しに伝わってくる、インパルスのどこか悲壮で、けれど一歩も退かない凜とした佇まい。そこにいるのが、ただ一人の少女の命を救うためだけに、世界のすべてを敵に回した「少年」であると確信した瞬間、スノウの胸には軍人という枠を超えた、激しい揺らぎと深い敬意が湧き上がっていた。

 

ウィンダムが静かに着地し、その場に砂煙が舞う。スノウはコックピットから自ら地上へと降り立つ。

 

「来たぞ! スノウ・カンザキだ! 約束通り一人だぞ!」

 

その姿を確認したシンは、インパルスのコックピットからステラを優しく両腕に抱きかかえ、昇降ワイヤーでゆっくりと地上へと降りてきた。夜気に触れた少年は、地面をきつく踏み締めながら、目の前の男に向けて魂を絞り出すように叫んだ。

 

「くッ! 死なせたくないから返すんだ! だから絶対に約束してくれ! 決して戦争とかモビルスーツとか、そんな死ぬようなこととは絶対遠い、優しくて温かい世界へ彼女を返すって!」

 

もう二度と、彼女を戦場に駆り出す実験動物にしないでくれ。ただ普通に生きてほしい。それだけを願うシンの悲痛な叫びを、地面にしっかりと立つスノウは真正面から受け止めた。

 

「……約束する。ステラ達は安全な場所へ向かわせると」

 

仮面の奥の声には、偽りのない確かな誠実さが宿っていた。

スノウとて、今回のことは猛省すべき点でもあった。守るべき子供たちを、軍の歪んだ実験や戦火から確実に、そして無事に生かすためには、もう一つの方法――ロゴスの支配から遠く離れた、真に安全な場所へ隠すしか残されていないと確信していた。

 

「く……」

 

シンは涙を堪えるようにオーブの夜空の下で奥歯を噛み締め、腕の中の少女をスノウへと託した。地球軍の冷酷な指揮官だと思っていた男の両腕に、ステラの身体が優しく移されていく。生身の温もりが重なる。

 

「ステラ、お帰り」

 

 

「スノウ……スノウ!」

 

安心したように、ステラが嬉しそうに微笑み、スノウの首元に強く抱き着いた。その小さな身体の軽さが、彼女がミネルバの医務室でどれほど過酷な消耗を強いられていたかを物語っていた。

 

「ぅ……」

 

「ありがとう、少年」

 

その感謝の言葉に、シンは感情を爆発させるように激しく首を振った。

 

「別にそんなのはどうでもいい! でもさっき言ったことは……!」

 

「分かっている。……ではな」

 

スノウが背を向け、ステラをその腕にしっかりと抱きかかえながら自らのウィンダムの方へと歩み出そうとしたその時、シンは引き裂かれるような想いで声を張り上げた。

 

「待って!」

 

「ん?」

 

スノウが足を止め、振り返る。シンは震える手で、ポケットから小さなガラスの小瓶を取り出した。中には、あの日二人が海辺で交わした、大切な約束の証である貝殻が綺麗に瓶詰にされて収められていた。

 

「ステラがくれたんだ。ステラ、これが好きで。だから……」

 

シンはその貝殻が詰まった大切な小瓶を、スノウの腕の中にいるステラの小さな手のひらにそっと握らせる。カラン、と瓶の中で貝殻が優しく音を立てた。

 

「シン…?」

 

「さよならだよ、でも忘れないでステラ。俺を、忘れないで」

 

淡い初恋のような想いだった。こんなに純粋な少女がどうしてこんな戦場にいなくてはいけないのか。自分たちがもし、もっと平和な世界だったら、普通に恋をして、普通に過ごせるはずなのに。残酷な世界の不条理が、少年と少女の理不尽な引き裂きを強いていた。

涙がシンの頬を伝い、夜の闇に消えていく。どんなに離れても、この絆だけは消えないでほしいと祈る少年の顔を、少女は小瓶を胸に抱きしめながら、静かに見つめ返した。

 

「……シン……」

 

二人の切ない別れを夜の平原が静かに包み込む。軍律を犯し、すべてを敵に回してでも守りたかった少女の命が、今、確かな約束と瓶詰の貝殻と共に、ウィンダムの傍らで次の未来へと手渡された瞬間だった。

 

ステラを乗せたウィンダムが夜空の彼方へと遠く飛んでいくのと同時に、漆黒の闇を裂いて、ハイネのグフイグナイテッドが静かに地上へと降りてくる。

その鮮やかなオレンジ色の機体は、まるで少年の犯した大罪をすべて包み込むかのように、静かに、そして優しくインパルスの前に着地した。

 

「……ハイネ……」

 

追撃の手がまさか自分の信頼する先輩パイロットであることに、シンは恐怖と絶望で息を詰まらせた。軍律違反。その場での射殺や拘束を覚悟し、操縦桿を握る手が小刻みに震えだす。

だが、メインモニターに繋がったハイネの通信音声は、想像していたものとはあまりにかけ離れた、いつもの軽快で落ち着いたトーンだった。

 

『終わったか、シン』

 

「え……」

 

思わず声を漏らし、シンは目を見開いた。怒号でも責め苦でもないその言葉の真意が分からず、ただ呆然とモニターを見つめる。

 

『一応、気遣ってやってんだよ』

 

コックピットの中で、ハイネはオレンジのバイザー越しに、少女が去っていった遥かな夜空を静かに見つめ返していた。軍人としては決して許されない暴挙。だが、一人の人間として、目の前の不器用な後輩がすべてを賭けて通した「筋」と「優しさ」を、ハイネは誰よりも理解していた。

 

『お前が命がけでやったことだ。これ以上の野暮な追撃はしねえよ』

 

「ハイネ、……」

 

『……だが、ここからは俺のターンだ。ミネルバへ帰るぞ』

 

その言葉とともに、ハイネのグフは力強く向きを変えた。敵を見逃す行為はフェイスとしてあるまじき行為だ。だがあえてハイネは見逃してくれた。特務隊の誇りよりも、目の前の不器用な後輩の命と、その心がこれ以上壊れないことを優先してくれたのだ。

その優しすぎる言葉に、シンの瞳から堰を切ったように熱い涙が溢れ出した。

 

もうステラに会えないこと。

でもスノウは約束をしてくれた。

ステラを温かい世界に返すと。

 

あの仮面の指揮官の、どこか誠実な引き際の言葉を思い出し、シンは激しい寂しさのなかで、一縷の救いを得ていた。

シンは泣き顔を袖で拭いながら、インパルスのスラスターに静かに火を灯し、自分の責任を果たすため、オレンジの機体に続くように夜空へ舞い上がるのだった。

続編としてガンダムSEED FREEDOM編を読んでみたいですか?

  • 読んでみたい
  • 別に読まなくて良い
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。