腹減り少女はSEED世界で爆発少女にレベルアップする 作:サボテンダーイオウ
ハイネの後に続きミネルバに着艦したシンに待っていたのは、銃を構えた警備兵による冷酷な拘束だった。カタパルトデッキにインパルスが静止し、ハッチが開きシンが降りてくると同時に、殺気立った兵たちがコックピットを包囲する。
「シン・アスカ! 軍法第三条G項他の違反により君を逮捕する!」
突きつけられた銃口と、ガチャリと冷たい音を立てて差し出される手錠。敵への最高機密引き渡し、そして無断発進という銃殺刑すら免れない大罪。
だが、シンはうろたえる様子もなく、暴れることもなく、堂々と両手を差し出して手錠を掛けられ、連行されていった。その瞳には、かつてのようなやり場のない怒りではなく、一人の少女の命をすべて賭けて救い切ったという、静かで確固たる覚悟が宿っていた。
グフイグナイテッドのコックピットから降りてきたハイネは、複雑そうにその背中を見送った。
「……やれやれ、大した度胸だよ、お前さんは……」
特務隊の権限をもってしても、これほどの大罪を不問に付すことはできない。これからシンとレイを待ち受けるであろう、軍法会議という名の容赦のない現実を思い、ハイネは苦い表情で小さくため息をつくのだった。
◇◇◇
手錠を掛けられたシンが、警備兵たちに囲まれて無機質な艦内の通路を進んでいく。その様子を、心配のあまり格納庫近くの角でずっと待ち構えていたルナマリアが、息を呑んで見つめた。
「あ!」
思わず声をあげて駆け寄ろうとするが、銃を携えた警備兵の鋭い眼差しに阻まれ、それ以上足を踏み出すことができない。
「失礼します。シン・アスカを逮捕、連行しました」
艦長室へと冷淡に状況を報告する警備兵の声が、冷たい通路に虚しく響き渡る。
「……」
ルナマリアは、ただ唇をきつく噛み締め、拳を握りしめることしかできなかった。
いつもなら理不尽な扱いに激昂し、大声を荒げるはずのシンが、今は嘘のように静かで、どこかやり切ったような澄んだ横顔をしている。そのあまりの変化が、彼女の胸を言いようのない不安で満たしていく。
艦長室の重苦しい空気のなか、手錠を掛けられたシンが、タリアの机の前に直立していた。
タリアはシンを冷徹な、しかしどこか引き裂かれるような眼差しで見つめ、深く、重いため息をついた。
「覚悟は出来ている、とでも言いたげな顔ね。レイは信じていたけれど、よく戻ってきたわ。でも戻ればどうなるかは無論解っていたでしょ? ふぅ……。勝手な捕虜の解放、クルーへの暴行、モビルスーツの無許可発進、敵軍との接触。こんな馬鹿げた軍規違反聞いたこともないわ! 何故こんなことをしたの? あの子が可哀想だった? でもあれは……」
「死にそうでした」
遮るように放たれたシンの低い声に、傍らに控えていたアーサーが息を呑んだ。
「ん?」
「艦長もそれは御存じだったと思いますが?」
「シン!」
アーサーが咎めるように声を荒げるが、シンの瞳に宿る剥き出しの怒りと哀しみは、もう誰にも止められなかった。
「いくら連合のエクステンデッドだからって、ステラだって人間です! それをあんな風に……。解剖したときにデータが取りにくくなるとか! あんなのとか! あの子が死ぬってこと誰も気にもしない。地球軍だって酷いけど、艦長達だって同じですそれじゃあ!」
彼にとって、救えるはずの命を軍の都合で切り捨てる行為は、自分を絶望に突き落とした世界そのものと同じに見えていた。
「シン! 口を……」
「だからって、貴方のやったことが認められるわけではないわ」
タリアの冷たく静かな一言が、シンの激昂を遮った。彼女とて一人の母親であり、少女の境遇に血の通った痛みを覚えないわけではない。だが、彼女はそれ以上に、多くの命を預かるミネルバの艦長だ。
「事実彼女は連合のエクステンデッドで、私達は彼女をジブラルタルへ連れて行くようにと司令部から命令を受けていたのよ? 個人の勝手な思惑でそれに背くことは許されません!」
「くッ……」
シンは悔しさに唇を血がにじむほど噛み締め、拳を震わせた。何も言い返せない。それが軍という組織の絶対的な不条理だった。
「この件は司令部に報告せざるを得ないわ。処分は追って通達します。それまでの間、シン・アスカにもレイ・ザ・バレル同様、営倉入りを命じます」
すべてを覚悟していたとはいえ、冷酷に下された通告。シンは警備兵に促され、静かに艦長室を後にした。残されたタリアは、痛む頭を押さえるように深く椅子にもたれかかり、混迷を極める自艦の行く末に、ただ忌々しげに天井を睨みつけることしかできなかった。
手錠を掛けられたシンが警備兵に促され、重苦しい足取りで艦長室を退出していく。その小さくなっていく背中を、通路の物陰からルナマリアが見つめていた。
「シン……」
かける言葉も見つからず、ただその名を呟くのが精一杯だった。そのすぐ隣では、アスランが壁に拳を押し当て、悔しげに顔を歪めていた。
「くッ……」
何もできなかった。アイツらに敗れて以来、ただ混迷の渦に呑まれるだけで、後輩の暴走を止めることも、その心の叫びに気づくこともできなかった己の無力さが、アスランの胸を激しく掻きむしる。
「ぁ……」
ルナマリアはそんなアスランの痛々しい姿に、それ以上何も言うことができず、ただ静かに視線を落とすしかなかった。
◇◇◇
一方、誰もいなくなった艦長室。タリアは机に両手を突いたまま、やり場のない怒りと疲弊をぶつけるように、感情を剥き出しにして机を叩いた。
「んっもう!」
「ぁ……」
突然の激昂に、傍らにいたアーサーはビクッと肩を跳ね上げ、怯えたように声を詰まらせる。
勝手な捕虜の解放に、モビルスーツの無許可発進。軍としては言語道断の大罪だが、シンの「ステラだって人間です」という剥き出しの叫びは、一人の母親でもあるタリアの胸の奥を、間違いなく残酷に抉っていた。
「はぁ……」
深く、重いため息をつきながら、タリアは力なく椅子へと身体を沈めた。
「ぁ……」
アーサーはそんな艦長の苦渋に満ちた横顔を見つめながら、かけるべき言葉も見つけられず、ただおろおろと立ち尽くすことしかできなかった。シンの独断がもたらした決定的な亀裂は、ミネルバの空気を取り返しのつかないほど重く、冷たく変えていくのだった。
◇◇◇
鉄格子に囲まれた冷たい営倉のなかに、鈍い金属音が響いてハッチが閉ざされた。
部屋の真ん中には厚い隔壁が立ち塞がっており、お互いの姿を見ることはできない。シンは手錠の擦れる音を鳴らしながら、冷たい壁に背を預け、見えない隣の空間に向けて申し訳なさそうに声を絞り出した。
「……ごめん」
自分の無謀な独断に付き合わせ、ゲートを開けさせてしまった。そのせいで、優秀なパイロットであるレイにまで重い軍罰が下ろうとしている。シンは胸に去来する罪悪感を抱えながら、その言葉を投げかけた。
壁の向こうから返ってきたレイの声は、驚くほど淡々としていた。
「何がだ」
「え? いや、だって……」
「お前に詫びてもらう理由などない」
「?」
シンは怪訝そうに顔を上げる。
「俺は俺で勝手にやったことだ」
「……」
「無事に返せたのか?」
「うん」
シンは小さく頷き、あの日平原でスノウの腕へとステラを託した、確かな生身の温もりを思い返していた。きっとステラを二度と戦闘と関わりのある場所に連れていくことはないと安堵していた。
「なら、良かったな」
姿は見えずとも、レイの言葉の端々に、いつもより柔らかなニュアンスが宿っているのが伝わってきた。
「ありがとう……ん?」
レイのあまりにブレない信頼と、すべてを肯定してくれるような言葉に、シンは呆気にとられたが、そこへ一人の訪問者が現れたことで意識はそちらへ向かう。
そこには暗い表情で佇むアスランの姿があった。
アスランは静かに鉄格子へと歩み寄り、「シン」と声を掛ける。
隔壁に背を預けて床を睨みつけていたシンは、正面からかけられたその声に、不機嫌そうに顔をわずかに歪めた。
「……なんですか?」
「いや、すまなかったと思って」
「?」
予想外の謝罪の言葉に、シンは怪訝そうに顔を上げ、鉄格子の向こうのアスランを真っ直ぐに見据えた。上部甲板であれほど激しくぶつかり合い、銃殺刑すらあり得る大罪を犯した自分に対して、なぜこの男は今更頭を下げてくるのか。
「彼女のこと、君がそんなに思い詰めてたとは思わなくて」
「……別に。ただ嫌だと思っただけですよ。ステラだって被害者なのに。なのにみんなそのことを忘れて、ただ連合のエクステンデッドだって……。死んでもしょうがないみたいに」
吐き捨てるようなシンの言葉。それは軍医たちの冷酷な会話を聞いてしまったことへの怒りであり、世界の理不尽さへの純粋な拒絶だった。だがアスランの返答は意外なものだった。
「だが、それも事実ではある」
「!?」
「彼女は連合のパイロットであり、彼女に討たれたザフト兵も沢山いるということも事実だ。君はそれを……」
「それは! でも……でもステラは望んでああなったわけじゃない! 解ってて軍に入った俺達とは違います!」
シンは鉄格子に激しく詰め寄り、その柵を両手で掴み返して叫んだ。自分の意志で戦うことを選んだ兵士と、薬物と洗脳で戦うだけの機械に改造された少女。選ぶ選択肢など初めから用意されていなかったのに、それでもステラは死ぬべきだったのか。
そんなものと一緒にするなと叫ぶシンの眼差しが、アスランを激しく射抜く。
「ならば尚のこと、彼女は返すべきじゃなかったのかもしれない。自分の意志で戦場を去ることも出来ないのなら、下手をすればまた……」
「じゃあ! あのまま死なせれば良かったって言うんですか!?」
「そうじゃない! だがこれでは何の解決にも……!」
「あんなに苦しんで怖がってたステラを!」
「シン!」
「それにあの人は約束してくれた! ステラをちゃんと戦争とは遠い優しい世界に返すって!」
少年の脳裏に、あの雪の降る平原で、生身の肉体でステラをしっかりと受け止めてくれた仮面の男――スノウ誠実な眼差しが蘇る。あの人は絶対に約束を守ってくれる。その一縷の希望だけが、今のシンの拠り所だった。
「だから自分のやったことは間違っていないとでも言う気か、君は!」
鉄格子の向こうのアスランの瞳にも、焦燥と怒りが混じる。感情で軍律を破るシンの危うさは、かつて自分が歩んできた苦難の道を思い出させていた。
「俺だって……!」
激しく衝突する二人の視線。そのとき、シンの独房のさらに隣、厚い壁の向こう側から、水を打ったように静かで冷徹な声が響いた。
「シン! もうやめろ」
「「!?」」
二人の息が同時に止まる。アスランは声のした壁の向こうへと視線を走らせた。
「アスランももういいでしょう。今そんな話をしたって何もならない」
「レイ……」
レイはただ暗闇の中で淡々と言葉を紡いだ。
「終わったことは終わったことで、先のことは分からない。どちらも無意味です。ただ祈って明日を待つだけだ。俺達は皆」
「……」
レイのブレない言葉が、熱くなっていたシンの胸の気炎を静かに鎮めていく。
シンは掴んでいた鉄格子からゆっくりと手を離し、再び暗い床へと視線を落とした。鉄格子の向こうに立つアスランは、そんなシンの頑なな後ろ姿をただ見つめることしかできず、営倉にはただ規則的な空調の音だけが、重苦しく響き渡っていた
◇◇◇
「こちら第八十一独立機動軍、スノウ・カンザキ大佐だ。ボナパルト聞こえるか? 識別コードを送る。着艦を許可されたし」
雪煙が激しく舞い上がるユーラシア西側の空。スノウは単独でウィンダムの操縦桿を握り、バイザーの奥の瞳で、白銀の地表にそびえ立つ地球軍の巨大移動要塞ボナパルトの影を捉えていた。計器盤のスイッチをいくつか指先で弾き、淡々と通信を飛ばす。
その愛機のすぐ傍らには、漆黒の夜空を滑るように、一機の大型輸送機が風を切りながら寄り添うように高度を下げてきていた。
『こちらボナパルト。了解。識別コードを確認。ようこそ大佐。アプローチどうぞ』
重々しい金属音を響かせ、要塞の広大な着艦ハッチが左右に割れる。スノウのウィンダムが推進光を弱めて先に滑り込み、それを追うように大型輸送機が風圧で雪を吹き飛ばしながら、ゆっくりと格納庫内へと着陸した。
◇◇◇
プシュー、と白濁した蒸気を噴き出しながら大型輸送機の乗降ハッチが開く。船内では、意識が完全にはっきりとしたステラが、同じ船室に乗船しているスティング、アウルの二人と共に、分厚いガラス窓に顔を近づけて外の景色を見つめていた。
その胸元には、シンから託された瓶詰の貝殻が、小さな両手で大切に抱きしめられている。要塞の窓から覗く、ユーラシアの極寒の地ならではの真っ白な銀世界が、彼女の大きな瞳にきらきらと映り込んでいた。
「……ぜんぶまっしろだった」
「すげぇだろ あれ雪ってんだぜ?」
アウルが座席から身を乗り出し、窓ガラスをトントンと指で叩きながら無邪気に声をあげる。
「ゆき? たべれる?」
ステラが不思議そうに首を傾げ、抱きしめた小瓶の表面を親指でなぞる。
「食べちゃダメだ。お前はまだ病み上がりなんだから大人しくしてろよ。……またえらく辺鄙なところへ連れてきたよな。今度は何するんだよ? スノウ」
アビスとカオスを前回の戦闘で激しく損傷し、さらに辺鄙な地まで連れてこられたことにスティングは、苛立たしげに腕を組み、不満そうに肩をすくめた。
そこへ、自身のウィンダムを下り、ノーマルスーツのヘルメットを小脇に抱えたスノウが、自動扉を潜って輸送機の船室へと合流してくる。スティングはその仮面の男をジロリと睨みつけた。だが、スノウは歩みを止めると、いつもの飄々とした調子で、フッ、と不敵に笑ってみせる。
「フッ、時間があれば雪合戦してもいいぞ。私は強いからな」
「大佐! 遊びにきたんじゃないですよ!」
近くでコンソールを操作していた一般兵が、あまりの緊張感のなさに耐えかねたように、振り返ってたまらずといった様子で突っ込みを入れた。
「すぐに作戦が始まるわけでもあるまい。息抜きは人生を生きる上での甘味だよ」
スノウはヘルメットを近くのシートへ放り投げると、軽く肩の力を抜いてみせる。
「それをいうならスパイスでは? ……はぁ」
兵士が呆れたように深いため息をつき、再び作業に戻っていく。その姿を横目にしながら、スノウは仮面の奥で、この地に赴く直前にロゴスの最高権力者から直々に下された、冷酷な命令の記憶を呼び覚ましていた。
『ま、何にでも見込み違いということはある。つまりはミネルバは君の手には余ると、そういうことだったんだな。ではどうしたものかと考えたんだが、幸いデストロイが完成してね。君にはそちらを任せることにした。君達がミネルバを討ってくれていればこんな作戦は必要なかったのだが、仕方ない。腐った部分は早く取り除かないとどんどん広がるからね。あれを使ってユーラシア西側を早く静かにさせてくれてたまえ。今度こそ。それなら出来るだろう?スノウ』
画面の向こうで冷酷に言い放ち、自分たちを使い潰すべき道具としか思っていない、傲慢なロゴスの首領の顔。
(そろそろあの狐とも、見切りをつけねばいかんな……)
スノウはきつく拳を握りしめ、胸の奥で静かに、けれど決定的な反逆の決意を固める。その微かな殺気を含んだ沈黙を察したのか、隣に座っていたステラが、不安そうにスノウの服の裾を小さな指先でクイクイと引っ張った。
「スノウ……?」
「……ああ。大丈夫だ。かき氷用のシロップもあるぞ」
スノウはハッとして我に返ると、仮面の奥の目を細め、ステラの金髪の頭を大きな手で優しく撫で回した。
「だから駄目だっつってんだろっ! ステラもその気になるな」
スティングがすかさず立ち上がり、呆れたように大声をあげる。
「早く雪合戦しようぜ!」
アウルがその場でぴょんぴょんと跳ね、早く外に出たそうにスノウの背中を押し始めた。大型輸送機の船内に、子供たちの無邪気な喧騒が賑やかに響き渡る。
ジブリールの命令通り、デストロイガンダムによる「ベルリン蹂躙作戦」の恐怖の足音が刻一刻と迫るなか、スノウは彼らをロゴスの魔の手から真に救い出すためのもう一つの選択へ向けて、静かに、しかし力強く歩みを進めるのだった。
◇◇◇
アークエンジェルの艦内は、これまでの重苦しい雰囲気を払拭するように、いつもの規則正しいコンソール音と乗組員たちの確かな声で満たされていた。
艦長席のマリューが頷くのを見届け、ノイマンが手慣れた手つきでメインレバーを引き絞る。
「浮上完了。推力移行します」
巨大な船体がゆっくりと水平を保ち、巡航高度へと加速していく。スカンジナビア半島の雄大な地形が、メインモニターの端に白く霞んで映し出されていた。
「周辺に異常なし。目標点まで約90です」
コンソールのレーダー波を注視しながら、チャンドラ二世が落ち着いた声で現在位置を報告する。アークエンジェルは次の目的地へ向けて、北欧の冷たい空気を切り裂きながら順調に航行を続けていた。
「でも寒そう」
オペレーター席のミリアリアが、モニターに表示された外気温度のグラフを見つめながら、少し身震いをするように肩をすくめた。窓の向こうには、極寒の地特有の険しい氷河の景色が広がっている。
「実際寒いぞ、フィヨルドのドックは」
ノイマンが苦笑混じりに前方の視界に目をやる。前大戦でも過酷な環境を潜り抜けてきたベテラン操縦士ならではの、実感を込めた言葉だった。
「だから温泉があるんだよ、アークエンジェルには」
チャンドラ二世が手元のキーを叩きながら、悪戯っぽく微笑んで言葉を挟む。
「えー、うそ!?」
ミリアリアは驚愕に目を見開き、隣のチャンドラ二世の顔をパチクリと見つめた。その微笑ましいやり取りを耳にして、副長席に座るナタルが、いつもの凛とした口調で静かに書類から顔を上げた。
「嘘を教えるな。……『温泉』ではなく、正しくは『銭湯』だろう。オーブに寄港した際、ウズミ前代表の計らいで改装時に設置された大型公衆浴場だ」
「おっと、ナタル副長に一本取られましたか。まぁ、お湯に浸かって温まれるって意味じゃ同じですよ!」
チャンドラ二世が「ありゃ」と頭をかいて笑うと、CICの補助席にいたフレイもパッと表情を明るくして身を乗り出してきた。
「そうよ、ミリアリア!時間内から教えられなかったけど本当に大きくて気持ちいいんだから!」
「じゃあ後で入らなきゃ!アマキさんも誘おうっと」
ミリアリアが嬉しそうに声を弾ませると、ノイマンも操縦桿を握りながら肩をすくめて笑ってみせた。
「ふふ、オーブの技術者たちの粋な計らいね。合流してくれたトダカ一佐たちにも、まずはあそこで旅の疲れをじっくり癒やしてもらわなくっちゃ。……さあ、みんな。温かいお風呂を楽しみに、今はしっかりユーラシア西側の動向への警戒をお願いね」
マリューが包み込むような微笑みでブリッジの会話をまとめ、再びキリリと表情を引き締める。アークエンジェルはオーブへ向けて、凍てつく北欧の空を力強く突き進んでいくのだった。
◇◇◇
ブリッジの和やかな日常とは裏腹に、トダカたちの合流を経たオーブの将兵たちの間では、自国の未来を巡る真摯な対話が続けられていた。
カガリを囲むように、トダカ、アマギ、そして馬場一尉の部下であったイケヤ、ゴウ、ニシザワらムラサメ隊のパイロットたちが、真剣な面持ちで言葉を交わしている。
「しかし、スカンジナビア王国に匿われてらしたとは」
アマギが、これまでのウズミやカガリの潜伏先について、深い感銘を覚えたように呟いた。
「国王陛下と極身近な方々しか知らぬことだがな。だが本当にありがたいことだと思っている」
カガリは小さく頷き、北欧の地で自分たちを静かに守り続けてくれた異国の友誼に感謝を捧げた。
「地球軍の攻撃を受けたおりも、真っ先に救援くださいましたな、あの国は」
「ああ」
かつてオーブが地球連合軍の侵攻を受け、ウズミらが命を賭して理念を貫いたあの日。国際社会の中でいち早く手を差し伸べてくれたスカンジナビア王国の存在は、彼らにとって忘れることのできない大恩だった。
「私はまだ、そういったものに守られているだけだ。あなた方のことにしても」
カガリは、しっかりと地を踏みしめる自分の足元を見つめ、寂しげに、しかし毅然と告げた。首長としての力不足を誰よりも痛感しているからこその言葉だった。
「カガリ様……」
トダカは主君の小さな肩を見つめ、軍人としての深い慈愛を滲ませてその名を呼んだ。
「だが、ならば今はそれに甘えさせてもらい、いつの日かきっとその恩を返す。まだ間に合うというのなら、お父様のように、常に諦めぬ良き為政者となることで」
かつて「オーブの獅子」と呼ばれた偉大な父親の背中を追い、未熟な自分を乗り越えて国を導く。その強い覚悟が、カガリの瞳に確かな炎を灯していた。
「カガリ様……」
主君の成長と決意に、トダカやアマギをはじめとする将兵たちの胸が熱く震える。
「オーブ国内にはセイランのやり方に反対し、カガリ様が戻られるのを心待ちにしている者も多くおります」
「自分には政治向きのことは分かりませんが、この戦争、どうみても連合側に非があるように思えてなりません」
「となれば、今やその一陣営であるオーブも、このままでは……」
「そうです、セイランは馬鹿だ……!」
現在のオーブを牛耳るウナトやユウナへの怒り。ロゴスの傀儡となり、ザフトとの無意味な戦いに兵を駆り立て、クレタ島沖で多くの同胞を死なせてしまったセイラン家への憤りは、軍人たちの間で限界に達していた。
「分かっている。分かっているから少し待ってくれ。私もなるべく早くオーブに戻りたいと思っている。あなた方や、クレタで死んでいった者達のためにも。だから今少し、今少し待って欲しい。そして時が来たら、その時は私に力を。オーブのために。頼む」
カガリはトダカやアマギたち将兵を真っ直ぐに見据え、深く頭を下げた。ただ涙を流すだけだったかつての少女はもういない。国と民の命を背負う代表首長として、誇り高きオーブの真の姿を取り戻すという絶対の決意だった。
トダカ達はそんな主君の凜々しい姿に熱いものを込み上げさせながら、真っ先にビシッと美しい敬礼を捧げ、誰よりも太い声を響かせた。
「「「無論ですカガリ様! オーブのために!」」」
一斉に響く、忠臣たちの力強い咆哮。アークエンジェルに合流したオーブの「心」は、カガリの決意のもとに今、再び不屈の灯火として燃え上がった。
◇◇◇
アークエンジェルの最上部にある展望室。分厚いガラス越しに、スカンジナビア半島の冷たく美しい星空と、遥か眼下に広がるフィヨルドの険しい山肌が静かに流れていく。
その暗い空間の中で、キラは一人、手すりに背を預けて窓の外を見つめていた。その肩の上で、緑色の小鳥型ペットロボットがパタパタと羽を羽ばたかせる。
「トリィ! トリィ!」
「――だーれだ~」
静寂を破り、後ろから伸びてきた柔らかな手がキラの視界をそっと奪った。耳元で弾んだその茶目っ気のある声は、キラがもっともよく知る人物のものだった。
「アマキでしょ」
キラはクスリと微笑みながら、その温かい手を自身の手でそっと外した。
振り返ると、やはりアマキだった。お茶目なことをして場を和ませてくれようとしている事がわかりキラは申し訳なさそうな顔になる。
「……ゴメン、なんか色々考えちゃって」
「わかる。そういうときも必要だよね」
アマキはそう言ってキラに寄り添い、ガラスに映るキラの横顔を愛おしそうに見つめた。前大戦の地獄を潜り抜け、今また世界の不条理の真ん中に立たされている少年。その華奢な背中に、あまりにも多くのものが背負わされていることを、彼女は痛いほど分かっていた。
「……」
「……」
しばらくの間、二人は流れる星空をただ無言で見つめ合っていたが、やがてキラが堰を切ったように本音を漏らした。
「……なんか、何でこんなことになっちゃったのかなって思って。何でまた、アスランと戦わなきゃいけないのかって」
キラは自嘲気味に俯き、繋いだ指先をきつく握り締めた。
「……一体何が正解で間違いなのか、わからなくなっちゃうよね」
「トリィ!」
「僕たちのやってることの方が、馬鹿げた間違いだったら……」
自分の振るう強大な力への恐怖。そして、かつての親友と再び刃を交えてしまったことへの迷いが、キラの言葉を濁らせていく。
アマキはそんなキラの手元にそっと自分の手を重ね、包み込むように指を絡ませた。窓の外の極寒の景色とは対照的な、アマキの生身の温もりが、キラの震える心を静かに解きほぐしていく。
「色々考えて悶々するのは仕方のないことだよ。だってそれが人だしね」
「うん」
「私はこの世界に落ちてキラに拾われた。だからこの世界が好きだよ。争いばかりだけど、それでもキラとラクスが、皆がいる世界だから守りたいとも思ってる」
「アマキ……」
アマキの真っ直ぐな言葉が、キラの胸の奥底に優しく染み渡っていく。普段は戦場で冷徹なまでの強さを見せる彼女だからこそ、その根底にある「大切な人を守りたい」という純粋な願いの重みが、キラには誰よりも理解できた。
「きっとみんなそうなんだと思う。アスランだって、私だって頑張る。戦うんだよ。きっとアスランにとってザフトに戻ることが戦うことの選択肢だったはず」
「……」
「アスランもあんなこと言ってたけど、守りたい気持ちは一緒だよ。彼、素直じゃないしね。……だから諦めないで。アスランがいつ戻ってきてもいいように、私たちも頑張ろう? 一緒に」
アマキはそう告げると、重ねていた手にぎゅっと力を込め、それからキラの顔を見上げて柔らかな微笑みを浮かべた。流れる星々の光が、二人の横顔を淡く照らし出す。
「うん。……なんかこの前と立場が逆だね」
かつてスノーホワイトの力に怯えていたアマキをキラが抱きしめて救ったあの日。その思い出が重なり、キラの唇にようやく柔らかな微笑みが戻る。アマキはいたずらっぽく紫の瞳を細めた。
「……そうだね。じゃあもっと、慰めて、あげるよ」
そう言ってアマキは静かに目を閉じ、唇を近づけてくる。キラもその愛おしい意図に気づき、そっと瞼を閉じた。星空の展望室で、二人の影が静かに重なり合う。
恋人の確かな存在と、その温かい肯定の言葉。彼女の存在は何よりも代えがたいと思う。
◇◇◇
ボナパルト移動要塞の巨大な格納庫内。出撃を告げるけたたましいサイレンが鳴り響くなか、スノウは愛機であるウィンダムのコックピットハッチの前で、ステラを真っ直ぐに見つめていた。その背後には、不気味にそびえ立つロゴスの最高機密――超大型モビルスーツ「デストロイガンダム」が、巨躯を横たえて起動の時を待っている。
「ステラ、君はウィンダムに乗りなさい」
「え、……でもあれはスノウののじゃないの?」
ステラは不思議そうに大きな瞳を瞬かせ、スノウの背後にあるジェットブラックのウィンダムを指さした。ジブリールからの本来の命令――『デストロイにはステラを乗せろ』という指示に真っ向から背くスノウの言葉に、近くにいたスティングとアウルも息を呑む。
「指示では『コレ』はステラが乗れと言われているがな。私でも十分使いこなせる。……いいか、ステラ。スティングとアウルの指示に従うんだ。何があってもな」
スノウは背後の巨大なデストロイを見上げ、仮面の奥の瞳を鋭く光らせた。あんな化け物染みた破壊の兵器に、これ以上この小さな少女を乗せるわけにはいかない。
「……スノウは?」
「……私は少年との約束を果たさねばならん」
あの日、夜の平原でザフトの少年――シンと交わした、命懸けの約束。彼女を戦争やモビルスーツから遠い、優しくて温かい世界へ返す。その約束を果たすためスノウはデストロイに搭乗する。
「……スノウ?」
「ステラ、いい子でな」
これが最後とならぬことを祈ろう。
仮面を外し、ステラの金髪を優しく撫でるスノウ。だが、その言葉に宿る張り詰めた決意を察したのか、ステラの顔が瞬時に不安に歪んだ。
「いや! スノウどっかいっちゃうのいや!」
ステラはスノウの服の裾を強く掴み、子供のように涙を浮かべて首を激しく振った。スノウはその小さな手を優しく引き剥がすと、背後に控えていた二人の少年に視線を向けた。
「スティング、アウル。あとは頼んだぞ」
「……っチ。俺に全部押し付けやがって」
「……ずるいんだよ、スノウはいつもいつも!」
悪態をつきながらも、二人はスノウの背負う覚悟の重さを誰よりも理解していた。スティングはステラの肩をそっと抱き寄せ、ウィンダムの昇降ワイヤーへと誘導する。
「スノウ!」
「では行くぞ!」
ステラの悲痛な叫びを背中で受け止めながら、スノウは一切振り返ることなく、デストロイガンダムの巨大なコックピットへと続くタラップを力強く駆け上がっていった。
ハッチが重々しく閉ざされ、デストロイの複眼が怪しく、禍々しい赤い光を放つ。ロゴスへの見切り、そして少年との約束。すべてをこの巨体に注ぎ込み、スノウは地獄の引き金となるベルリンの空へと、自ら進撃を開始するのだった。
◇◇◇
深夜の密会、そしてシンの逮捕から一夜明けたミネルバ。重苦しい沈黙が漂う艦長室のメインコンソールから、突如としてけたたましい電子音が鳴り響いた。
『艦長! 司令部から、特一暗号電文です!』
スピーカー越しに響くメイリンの緊張した声に、デスクを囲んでいたタリアとアーサーは弾かれたように顔を上げた。
「「!」」
特一暗号――それは最高機密に属する、軍上層部あるいはギルバート・デュランダル議長からの直接命令を意味していた。タリアは即座に端末のハッチを開き、コンソール横のセンサーへ右手の親指を押し当てた。電子音が鳴り、指紋認証がクリアされて電文のロックが解除されていく。
デスクのすぐ後ろで、アーサーが落ち着かない様子で手元の大切な書類を胸に抱きしめながら、不安に声を震わせた。
「どうなるんでしょうか? シンは……」
「分からないわね。普通に考えれば銃殺だけど。シンのこれまでの功密を考慮してくれれば、それだけは……」
タリアは深く椅子にもたれかかり、痛む頭を押さえるようにして天井を睨みつけた。
勝手な捕虜の解放、モビルスーツの無許可発進、敵軍との接触。軍律に照らし合わせれば、即座に極刑に処されても一切の文句は言えない。けれど、インパルスのパイロットとしてミネルバを何度も救ってきた彼の強さを、タリアは誰よりも知っていた。だが、冷酷な現実はそれだけでは終わらない。
「防げなかった私達も、責任は問われるわよ」
「ぁぁ……あ!」
タリアの言葉に、アーサーは悲鳴に近い声を漏らし、自分の頭を抱えてその場で凍りついた。自分までもが軍法会議にかけられるかもしれないという恐怖に、その顔が瞬時に青ざめる。
だが文章に目を通したタリアは驚いて声をあげてしまった。
「え!?」
「え?」
アーサーは情けない声をあげてパチクリと目を瞬かせ、一体何事かと呆けた。
◇◇◇
けたたましい警報音がボナパルト移動要塞の広大な格納庫に鳴り響き、重厚な気密ゲートが油圧の重低音を立ててゆっくりと左右に割れていく。
『非常要員待機。X-1デストロイ、プラットホーム、ゲート開放』
不気味な地鳴りのような駆動音とともに、スノウの乗る超大型モビルスーツ「デストロイガンダム」が、ベルリンの戦火へ向けてゆっくりと歩を進め始める。その巨大な足音が遠ざかっていくのを、スノウの愛機であったジェットブラックのウィンダムの操縦席で、ステラは膝の上で瓶詰の貝殻を両手できゅっと抱きしめながら、じっと見つめていた。
「……スノウ……」
すぐ隣の操縦席で、メインコンソールのスイッチを慌ただしくパチパチと切り替えていたスティングが、ヘッドセットの位置を直しながら鋭い声でコックピットの空気を引き締めた。
「いいか。俺達はあいつの機体に付きつつ、戦闘のどさくさに紛れて戦線離脱する。すぐに追手もかかってくるはずだ。そこは俺とアウルでカバーする。ステラはただ逃げることだけを考えろ」
スティングの指先が操縦桿のトリガーにかけられる。すべての機体が完璧にオーバーホールされ、インジケーターのランプは、すべて万全の緑色を灯している。
『……ああ。わかってるよ』
通信モニターの向こう、修復されたアビスガンダムのシートで、アウルもいつもの不敵な笑みを消し、真剣な面持ちでレバーを引き絞って頷く。スノウがデストロイでロゴスの目を引きつけている今こそ、自分たちがこの地獄から本当に抜け出す唯一のチャンスだった。
「……まさか、逃げ先が例の場所とはな。スノウも無茶言ってくれるぜ」
スティングがウィンダムのスラスターレバーを一気に押し込むと、機体は猛烈な加速と共にカタパルトから夜空へと飛び出した。隣のレーンからはアウルのアビス、そして完璧な状態に整備されたカオスガンダムが滑り出し、3機のモビルスーツは夜霧のなかで綺麗に編隊を組む。
彼らは先行するデストロイガンダムの巨躯に寄り添うように随行し、ベルリンの市街地へと向かって高度を下げていく。目前に広がるのは、ロゴスの命によって間もなく火の海へと変わろうとしているユーラシア西側の凄惨な戦場だ。スティングは計器の通信周波数を、あの日シンがハッキングで割り込んできた特定のコードへと手動でダイヤルを合わせた。
『ホントに話通じんの? 向こうとさ』
アウルがアビスのシートに深く背を預け、不安そうに通信越しに首を傾げる。彼らが向かおうとしているのは、ザフトでも地球軍でもない――かつて戦場で自分たちを圧倒的な恐怖で蹂虙し、けれどステラを救うためのシグナルを受け取ってくれたアークエンジェルだった。
「やってみるしかないだろうよ。俺たちには後がないからな。戦闘が始まったら一気に離脱するぞ」
『ハぁ……』
アウルの深いため息が、デストロイの発する不気味な駆動音と、これから始まる大戦火の予感のなかに消えていく。
スノウがデストロイを駆ってベルリンへと突き進むなか、その背中に付き従う3人は、固唾をのんでその瞬間を待つのだった。
◇◇◇
薄暗い営倉のなかに、ガチャリと冷たい金属音が響き渡る。
鉄格子のハッチが左右にスライドして開き、銃を肩にかけた警備兵が冷淡な声を響かせた。
「出ろ」
シンは何も言わず、ただ静かに立ち上がって独房の外へと一歩を踏み出した。
同じ頃、ミネルバの艦長室。指紋認証によって開封された「特一暗号」の画面を前に、アーサーが持っていた書類を震わせながら、信じられないといった様子でその公電を読み上げていた。
「『拘束中のエクステンデッドが逃亡の末死亡したことは遺憾であるが、貴艦のこれまでの功績と現在の戦況を鑑み、本件については不問に付す』……ええ!? 一体これはどういうことですか!?」
デュランダル議長からのあまりにも寛大で、あまりにも出来すぎた超法規的処置。シンとレイへの極刑を覚悟していたアーサーは、あまりの衝撃に目を丸くしてひっくり返りそうな声をあげた。
「はぁ……」
タリアは椅子の背もたれに深く身体を沈め、やり場のない、重いため息をついた。
シンの犯した大罪の事実を綺麗に揉み消し、彼をミネルバの「切り札」として戦場へ繋ぎ止めるための、冷酷なまでの政治的配慮。その意図を察し、タリアの胸には苦い感情が広がっていた。
――ピピッ。
ハッチの電子音が鳴り、艦長室の自動扉が開いた。
「失礼します」
先ほどシンを連行してきた警備兵が一礼し、その背後から手錠を外されたシンがゆっくりと室内に歩み出てきた。
「お?」
アーサーが慌てて口を噤み、パチクリと目を瞬かせる。
「……」
シンはただ無言のまま、タリアのデスクの前で直立不動の姿勢を取った。すべてをやり切り、どんな罰でも受ける覚悟を決めた少年の瞳は、驚くほど真っ直ぐで静かだった。
「「……」」
生還したシンの佇まい、そして手元に表示された最高機密の免罪符。二人の大人の間に、言いようのない重苦しい沈黙がただ静かに流れていく。
◇◇◇
炎と硝煙に包まれるベルリンの街。
巨大なデストロイガンダムのコックピットの中で、スノウ・カンザキは無数のインジケーターが警告を発するコンソールを睨みつけ、操縦桿をミリ単位で制御していた。
ロゴスの命令は「ユーラシア西側の完全なる焦土化」。しかし、スノウの目的はあくまでロゴスの目を引きつけ、ステラたちを無事に脱出させるための時間稼ぎだ。民間人の避難を促すようにあえて大火力を威嚇射撃に留め、ザフトの防衛部隊の攻撃を最小限のカウンターで捌いていく。
「被害を極力出さぬのも、難しいな……っ!」
しかし、デストロイという機体が持つ圧倒的な質量と、自動で追従する全方位レーザー砲は、スノウの繊細な操縦すら置き去りにして、前方から突撃してきたザフトのディンやバビの装甲を容赦なく引き裂いていく。
「うわぁぁぁッ!」
凄まじい爆炎が夜空を赤く染め上げ、ザフトのモビルスーツが次々と瓦礫の街へと叩きつけられていく。
その破壊の化け物のすぐ背後、随行するウィンダムのコックピットからその様子を見ていたスティングは、歯を食いしばりながら、メインモニターに映るデストロイの異様な挙動に声を荒げた。
「……スノウ、死ぬ気かよ! さっさとあんなの焼き払っちまえばいいのに、なんで……!」
いつもなら容赦なく敵を効率的に殲滅するはずのスノウが、あきらかに手加減をし、自ら機体に負荷をかけるような無理な機動を見せている。ロゴスに逆らい、あえて泥をかぶって自分たちの盾になろうとする男の姿に、常軌を逸した危うさを感じずにはいられなかった。
「……ッチ」
「スノウが!」
アビスガンダムのシートで、アウルも息を呑んで戦況マップを睨みつける。介入しようとするステラを抑え込む役割を任されているので応援に向かいたいが、今は現状維持が優先だ。
ザフトの増援、そしてロゴスからの厳しい監視の目がデストロイに集中しつつある。
◇◇◇
艦長室での面会を終え、処分不問となったシンの復帰の報は、瞬く間にミネルバの艦内を駆け巡った。冷たい金属の通路を進むシンの背中に、クルーたちの驚きと困惑の混じった囁き声が容赦なく降り注ぐ。
「不問だって?」
「え! うそ! あれで? 司令部が?」
「やっぱスーパーエースだもんなぁ。お上がそう簡単に手放すわけないか」
軍の最高機密を盗み出して敵軍へ接触したという、銃殺刑すらあり得る大罪。それが何のお咎めもなしに揉み消されたという超法規的な事実に、誰もが釈然としない表情を浮かべていた。しかし、その歪んだ空気をも吹き飛ばすように、通路の向こうからドタバタと騒がしい足音が響いてくる。
「あ! シン! 良かったよなぁお前! ああ、もう心配したぁ!」
ヴィーノが満面の笑みを浮かべてシンの両肩を掴み、がくがくと激しく揺さぶった。自分のことのように安堵し、涙目になりながら大声をあげる。そのすぐ後ろには、複雑な面持ちで立ち尽くすルナマリアとアスランの姿があった。
「ぁ、ん……」
本当に良かったと安心する気持ちと、軍としての不条理さに割り切れない思い。ルナマリアが戸惑ったように声を詰まらせると、ヴィーノが不思議そうに首を傾げた。
「あ?」
「ご心配をおかけしました」
シンはヴィーノの手を優しく外すと、余裕ぶった様子でわざわざアスランに声を掛けた。鉄格子の向こうで自分を案じ、かつて衝突した先輩の目を真っ直ぐに見据える。
「ん?」
「もう大丈夫です。いろいろと、ありがとうございました」
「いや……」
アスランはシンの落ち着き払った瞳に微かな衝撃を覚え、かけるべき言葉を見失ったように視線を泳がせた。感情に流されて暴走していたはずの後輩が、営倉を経て、何かを完全に吹っ切ったような迷いのない横顔をしている。
「……」
ルナマリアもまた、シンのまとう圧倒的な空気の変化に、ただ圧倒されるように言葉を失うのだった。罪を免じた議長の不気味な思惑と、守るべき約束を胸に秘めたシンの復活。ミネルバはそれぞれの歪みを抱えたまま、間もなく始まるベルリンの地獄へのカウントダウンを刻み始めていた。
◇◇◇
スノウはコックピットの中で奥歯を噛み締め、デストロイガンダムの重厚な操縦桿を両手で力任せにねじ伏せた。ロゴスから指定された進路は、人口が密集するベルリンの中央市街地。しかし、スノウはその悪魔の命令を完全に黙殺した。
「……クソ!」
超大型モビルスーツの強大すぎる慣性と、自動制御システムが激しくアラートを鳴らしてパイロットの操作に抵抗する。機体がギチギチと悲鳴を上げるほどの強引な旋回の末、デストロイはその巨躯の向きを大きく変え、燃え盛る中央市街地を避けるようにして、建物のまばらな郊外の外れへと進路を無理やり変えていく。
しかし、その急激な針路変更の負荷により、背負った巨大な円盤型砲塔の火器管制が一時的に暴走。放たれた複列位相エネルギー砲が斜めに夜空を切り裂き、市街地の端にある高層ビルの上層部を容赦なく吹き飛ばした。
「キャー――ッ!」
爆風に煽られ、崩落するコンクリートの破片が降り注ぐ中、避難が遅れていた一般市民たちの悲鳴が遠く激しく響き渡る。
「(やはり、私の意志だけではこの化け物は完全に抑え込めんか……!)」
手加減をして被害を極力減らそうと郊外へ外れようとしても、デストロイという『破壊の化け物』そのものが、周囲を地獄へと変えていく。ロゴスの呪縛を断ち切り、子供たちの未来を繋ぐために盾になろうとしたスノウの悲壮な足掻きを置き去りにするように、戦火は残酷に拡大していくのだった。
◇◇◇
アークエンジェルのブリッジでは、先ほどの銭湯の話題を引き継ぎながら、マリューがノイマンたちを振り返ってクスリと微笑んでいた。
「あの時はほんと慌てたわよ」
改装当時の懐かしい思い出話。ミリアリアやフレイもその和やかな空気に笑みをこぼしていたが、その瞬間、チャンドラ二世のコンソールが突如としてけたたましい赤色の警告音を鳴り響かせた。
「艦長、ターミナルからエマージェンシーです」
「え?」
マリューの表情が瞬時に引き締まり、ブリッジの全員に一線級の緊張が走る。
チャンドラ二世が慌ただしくキーボードを叩き、メインモニターに広域レーダーと戦況データを割り込ませた。ユーラシア西側の主要都市――ベルリンの周辺から発信されている、地球軍の特定周波数に暗号化されたSOSの信号。
そして同時に、アークエンジェルのセンサーが捉えたのは、ベルリン市街へ向けて進撃を開始した、未知の巨大モビルスーツ――デストロイガンダムの不気味な熱源反応だった。
「……なっ、ただの新型機ではないな。都市を一つ丸ごと消し去る気か!」
ナタルが副長席から身を乗り出し、ディスプレイの数値を睨みつける。
◇◇◇
特一暗号の処理を終え、タリアとアーサーがブリッジへと戻った直後、メインコンソールに向かうメイリンの指先が激しく凍りついた。次々と画面に割り込んでくる真っ赤な最優先アラート。それは先ほどの電文をさらに上書きする、ザフト最高司令部からの全軍への絶叫だった。
「司令部より緊急通達です」
「「え?」」
一変したブリッジの空気に、タリアとアーサーは同時に身を乗り出す。メイリンの顔からは完全に血の気が引いていた。
「ユーラシア中央より地球軍が侵攻。ザフト全軍は非常態勢を取れとのこと……!」
「何ですって!?」
タリアは驚愕のあまり、言葉を失ってメインモニターを凝視した。
画面に次々と映し出されるのは、燃え盛るユーラシアの都市の惨状と、そこを蹂躙する未知の巨大な影。そして、その破壊の化け物が進む最終進路の先には――今まさにスノウが無理やり針路を郊外へと逸らそうと足掻いている、ここベルリンの街が指定されていた。
◇◇◇
チャイン、チャイン、とブリッジに鋭い警報音が鳴り響き、メインモニターがユーラシア西側、ベルリンの衛星映像へと強制的に切り替わった。そこに映し出された凄惨な光景に、ブリッジに駆けつけたキラとアマキは息を呑んだ。
「ぁ……」
「……っチ!」
メインモニターを埋め尽くしているのは、赤黒い炎に包まれて崩壊していくベルリンの街並み。そしてその中心で、無数のビームを撒き散らしながら、街を、建物を、そして逃げ惑う人々を容赦なく踏みつぶしていく、見たこともない巨大な漆黒のモビルスーツ――デストロイガンダムの姿だった。
「これは……」
マリューはコンソールを掴む手に血がにじむほど力を込め、あまりの不条理な破壊に声を震わせた。
「…ぁあ…」
カガリもまた、モニターに映る地獄のような有様に言葉を失い、ただ青ざめた顔で画面を凝視することしかできなかった。
「こんな……!」
こんな理不尽な一方的な虐殺が、あっていいはずがない。かつて各地の戦場で見てきた「力」による蹂躙の、最も最悪な形が今、目の前で行われている。キラの隣で、画面を凝視していたアマキの紫の瞳が、怒りと冷徹な闘志で鋭く燃え上がった。
「なんでもデカけりゃいいってもんじゃないだろうがっ!」
アマキはきつく拳を握りしめ、地球軍が作り出すガンダムに悪態をつく。
そして、キラと同時にマリューを真っ直ぐに見据えた。
「行きます!マリューさん!」
「急ぐぞ!被害がデカくなる前にっ」
「分かったわ」
マリューは迷うことなく深く頷くと、ブリッジのクルーたちへ向けて凛とした大声を響かせた。
「アークエンジェル、ただちにベルリンへ向かう!」
世界を覆う理不尽な闇を振り払うため、アークエンジェルは凍てつく北欧の空を蹴り、地獄と化したベルリンの空へと向かって一気に急降下を開始するのだった。
続編としてガンダムSEED FREEDOM編を読んでみたいですか?
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