腹減り少女はSEED世界で爆発少女にレベルアップする   作:松魚

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PHASE-36アスラン脱走

ジブラルタル基地の専用格納庫。

議長が誇らしげに語る言葉に、シンは完全に魂を奪われたようにデスティニーの巨躯を見上げ、その獰猛なまでのメカニカルな輪郭を瞳に焼き付けていた。

 

「デスティニーは火力、防御力、機動力、信頼性、その全ての点においてインパルスを凌ぐ最強のモビルスーツだ」

 

「ぁぁ……」

 

機体から放たれる圧倒的な強者のオーラが、シンの胸の全能感をどこまでも膨らませていく。

 

「一方のレジェンドは量子インターフェイスの改良により、誰でも操作出来るようになった新世代のドラグーンシステムを搭載する実に野心的な機体でね。どちらも工廠が不休で作り上げた自信作だよ。どうかな? 気に入ったかね?」

 

「はい! 凄いです!」

 

シンは憧れの指導者からのの問いかけに、パッと顔を輝かせて元気よく即答した。こんなすごい機体はどこを探したって見つからない。シンはデスティニーの虜となり目が離せなかった。

 

「……」

 

そしてそのすぐ隣で、アスランはただ無言のまま、冷徹な威圧感を放つレジェンドの灰色の装甲を険しい眼差しで見つめていた。嫌悪感さえ露わにしている。この機体がこれからどれだけの犠牲者を生み出すのか、議長は考えているのかさえ思った。

誰もが操れるドラグーンという悪魔的な技術の進化、そして自分を再び都合の良い最強の戦力として縛り付けようとする議長の底知れない算段に、アスランの胸中には拭いきれない拒絶感と戦慄が渦巻いている。

 

「……アスラン?」

 

隣に寄り添うミーアは、そんなアスランの不自然なほどの沈黙と暗い横顔を不思議そうに覗き込み、怪訝に小首をかしげる。

 

「デスティニーには、特に君を想定した調整を加えてある」

 

「え? 俺をですか?」

 

シンは驚きに目を丸くし、自分の胸を指差しながら、改めて目の前にそびえ立つデスティニーを見上げた。

 

「最新のインパルスの戦闘データを参考にしてね」

 

「はぁ」

 

「君の操作の癖、特にスピードはどうやら通常を遙かに越えて来始めているようだね」

 

「えぇ……」

 

シンは気恥ずかしそうに頭を掻いたが、フリーダムを撃破したあの瞬間の、極限まで研ぎ澄まされた自分の感覚を思い出し、胸を高鳴らせた。

 

「いや、凄いものだな君の力は。このところますます」

 

「いえ、そんな」

 

「インパルスでは機体の限界にイラつくことも多かったと思うが、これならそんなことはない。私が保証するよ」

 

「はい! ありがとうございます!」

 

シンはデュランダルからの手放しの絶賛に、パッと顔を輝かせて元気よく一礼した。自分の力、そして自らの歩んできた正義が完全に肯定されたことが、彼の胸をいっぱいに満たしていく。議長は満足そうに微笑みながら視線を滑らせ、シンの隣で頑なに沈黙を守っていたもう一人の赤服へと語りかけた。

 

「君の機体はこのレジェンドということになるが、どうかな、アスラン。ドラグーンシステムは」

 

「え……」

 

急に話を振られたアスランは、弾かれたように顔を上げ、議長の底知れない瞳を見つめ返した。

 

「私は君なら十分に使いこなせると思うな」

 

議長のその声音はどこまでも穏やかで、一見すればかつての英雄への絶大な信頼の表れのように聞こえる。だがそれは有無を言わせぬ強制力が働いていることをアスランはひそかに感じた。

 

「……」

 

アスランはレジェンドガンダムを見上げたまま、黙り込んでいた。

 

「ん? どうしたね、アスラン」

 

シンはアスランの不自然な沈黙に怪訝そうな視線を向け、隣に寄り添うミーアも不思議そうに彼の暗い横顔を覗き込んだ。

 

「……これは、これからロゴスと戦っていくために……ということですか?」

 

「「え?」

 

「戦争をなくすためにロゴスと戦うと、議長は仰いました」

 

絞り出すように声を上げ議長をまっすぐに見つめ返した。平和のためと称してかつての戦友を討ち、今また新たな最強の兵器を押しつけられる不条理。その矛盾を、もうこれ以上飲み込むことはできなかった。

自分はただ戦うためだけに存在するわけじゃない。アスランが望んだのはこれ以上争いを起こさせないため。

カガリが、キラ達が望む平和の一歩となるのならとこの戦場に舞い戻った。だが議長の言い分ではこの新たな力で更なる戦を呼び込もうとしているではないか。

 

「ああ。戦いを終わらせるために戦うというのも矛盾した困った話だが。だが、仕方ないだろ? 彼等は言葉を聞かないのだから」

 

「……」

 

「それでは、戦うしかなくなる」

 

議長は少しも声を荒らげることなく、まるで出来の悪い子供に世界の真理を説くように、優しく冷徹に事実を言い放った。だがアスランはミーアの腕を解き、拳を握りしめ議長をまっすぐに見据えた。

 

「でも、何故彼等を……」

 

「ん?」

 

「アークエンジェルとフリーダム、スノーホワイトを討てと命じられたのですか?」

 

「あんた、まだ!」

 

シンはアスランの往生際の悪さに激しい怒りを覚え、一歩前に出て殴りかからんばかりに鋭く凄んだ。

世界の平和のために邪魔者を排除した自分たちの戦功を、未だに否定し続けるかつての英雄がどうしても許せない。まだこだわり続けているのか。この人はとさえ、侮蔑も含んでいる。

 

「アスラン……」

 

議長は怒鳴ろうとするシンを片手で静かに制し、困った子供を見るような哀れみの眼差しをアスランへと向けた。

 

「あの艦は確かに不用意に戦局を混乱させたかもしれません。でも、その意志は私達と同じでした。戦争を終わらせたいと、こんなことはもう嫌だと。デストロイに立ち向かっていったのだって、彼等の方が先だ!」

 

アスランは思うままに気持ちを叫んだ。

 

「ぅ……」

 

シンはベルリンでのフリーダムとスノーホワイトの戦いを思い出し、悔しげに奥歯を噛み締めて言葉を呑み込む。

 

「なのに何故!? 話し合う機会すらないまま、あんな命令を!」

 

 

「アスラン……。では私も聞くが、ならば何故彼等は私達の所へ来なかった?」

 

「ぅ……」

 

議長の放った、あまりにも冷徹で揺るぎない正論。アスランは胸の奥を突かれたように、それ以上言葉を紡ぐことができなくなった。

 

「想いが同じと言うのなら、彼等がこちらへ来てくれてもよかったはずだ。私の声は届いていただろう? なのに何故彼等は来ようともせず、戦ったのだ」

 

「……」

 

アスランは叫びたかった。それは貴方が偽物のラクスを用意して、暗殺部隊まで送って本物のラクスを襲ったからだ、と。不信感と恐怖から、彼らは議長と距離を取っていたのだ。

それが本当ならなぜ嘘をつく。ただ平和を望む彼女を戦場へ引きずりだしたのは誰だ!

殺されそうになったら、誰だって疑心暗鬼になる。

すべては、目の前のこの男が仕組んだことではないか。

だが、その真実をここで口にすれば、即座に反逆者として拘束される。どす黒い沈黙が、アスランの胸をきつく締め付けた。

 

「機会がなかったわけでもあるまい。グラディス艦長も、戦闘前には投降を呼び掛けたと聞いている」

 

「彼らはオーブを守りたいと言っていた」

 

アスランは声を絞り出すように、戦場へ消えた彼らの本当の気持ちを必死に代弁してみせた。

自分たちを害しようとする世界から逃れ、ただ故郷を守るために飛んだのだと、その無念を伝えるために。

 

「……」

 

だが、アスランの決死の訴えも、議長にはどこ吹く風といった様子であしらわれた。

 

「ん? ふ、ラクスだって、こうして共に戦おうとしてくれているのに」

「……くっ……議長!」

 

アスランの胸を激しい焦燥と激怒が支配した。

ミーアが偽物であることを完全に知ったうえで、尚も平然と彼女を「ラクス」と言いのける議長。

その不気味なまでの傲慢さと冷徹さに、アスランはこれ以上ない腹立たしさと、背筋が凍るような戦慄を覚える。

 

「アスラン!」

 

「ぅぅ……」

 

アスランは拳を血が滲むほど強く握り締め、言い返せない悔しさに唇を噛んで俯いた。目の前の「ラクス」の存在を盾にされ、自らの主張がただの個人的な感傷として処理されていく。その圧倒的な絶望のなか、デュランダルはどこまでも慈悲深い、包み込むような声音で語りかけた。

 

「君の憤りは分かる」

 

「え?」

 

「何故こんなことに、何故世界は願ったように動かないのかと。実に腹立たしい想いだろう。だが言ってみれば、それが今のこの世界、と言うことだ」

 

「「え?」」

 

「今のこの世界では、我等は誰もが本当の自分を知らず、その力も役割も知らず、ただ時々に翻弄されて生きている」

 

「議長!」

 

議長の口から語られる、世界の不条理の根源。

それは優しく若者たちの苦悩に寄り添う言葉のようでいて、その裏で密かに発動されようとしている絶対的な思考の檻――『ディスティニープラン』の不気味な胎動そのものであった。

本当の自分を知り、最初から与えられた役割に生きれば、このような迷いも戦いも起きない。

議長が静かに提示するその「悪夢」の思想の輪郭に、アスランは言葉にできない強烈な戦慄を覚え、声を張り上げる。

 

「アークエンジェル、いや君の友人のキラ・ヤマト君に限って言っても、そうだな、私は実に彼は不幸だったと思う。気の毒に思っているよ」

 

「不幸?」

 

アスランは眉をひそめ、議長の言葉をオウム返しに呟いた。

海へと沈んでいった親友の遺志を「不幸」の一言で片付けようとするその声音には、冷徹な哀れみが満ちていた。

 

「あれだけの資質、力だ。彼は本来戦士なのだ。モビルスーツで戦わせたら当代彼に敵う者はないと言うほどの腕の」

 

「むぅ……」

 

シンの表情が不快げに歪む。

自分が死に物狂いで討ち果たしたフリーダムのパイロットを、議長が「当代無敵の戦士」と最大級に評価した事実が、彼の若きプライドを小さく逆なでした。

 

「なのに誰一人、彼自身それを知らず、知らぬが故にそう育たず、そう生きず、ただ時代に翻弄されて生きてしまった」

 

議長はゆっくりと首を振り、悲劇のヒーローを憐れむように言葉を重ねた。

キラが戦いを嫌い、ただ平和を願って苦悩していた軌跡すら、議長にとっては「与えられた役割を知らない愚かさ」として処理されていく。

 

「そして、もう一人。アマキ・カンザキ。あれは野放しにしておくには危険すぎる存在だ」

 

「……」

 

「え?アマキ・カンザキ?」

 

シンの瞳が怪訝そうに揺れた。シンの中では、あの純白の機体に乗っているのはステラの大切な人を傷つけた「アマノ・シノザキ」という認識ままだ。それなのに、議長の口から飛び出した「アマキ・カンザキ」という本物の名に、格納庫の空気は一瞬にして奇妙な歪みをはらんでいく。

 

「あれほどの力、正しく使えばどれだけのことが出来たか分からないというのにね」

 

「ぁ……」

 

ミーアは息を呑み、議長のどこか冷徹な声音に怯えるように肩をすくめた。議長は淡々と、しかし容赦のない弾劾の言葉を重ねていく。

 

「ラクスと離れ、何を思ったのかは知らないが、オーブの国家元首を攫い、ただ戦闘になると現れて好き勝手に敵を討つ。戦場を引っ掻き回し、挙句の果てにヒーロー気取りだ。スノーホワイトの能力も未知数ながら、あの脅威は決して見逃すことはできない。パイロット同様にね」

 

「……」

 

アスランは喉の奥で呻き、怒りと悲痛さに全身を震わせた。

世界を裏から操っていたロゴスへの憤りを肯定してみせる一方で、ただ平和を願って戦場に立ち続けたキラやアマキの意志を「ヒーロー気取り」「未知数の脅威」として冷酷に切り捨てる議長。その徹底的なまでの排除の論理。

 

「そんなことのどこに意味があるというのかね」

 

「しかし、キラ達は!」

 

「以前、強すぎる力は争いを呼ぶと言ったのは、攫われた当のオーブの姫だ」

 

「ぁ……」

 

議長が穏やかに紡いだ反論に、アスランは言葉を失って息を呑んだ [INDEX]。

かつてカガリ自身が発した「強すぎる力」への危惧。それを逆手に取り、キラやアマキの排除を正当化する論理の美しさに、アスランの胸を激しい焦燥が突き上げる。

 

「ザフト軍最高責任者として私は、あんなわけの分からない強大な力を、ただ野放しにしておくことは出来ない。だから討てと命じたのだ。それは仕方のないことだろう」

 

「うぅ……」

 

「本当に不幸だった。彼は。彼がもっと早く自分を知っていたら、君達のようにその力と役割を知り、それを活かせる場所で生きられたら」

 

「っ!?」

 

「?」

 

アスランは顔を跳ね上げ、議長の底知れない瞳を凝視した。

「自分の役割を知る」――その言葉が、個人の意志や自由を奪い、あらかじめ定められたレールに人間を嵌め込む恐るべき思想の檻であることを、アスランは直感的に悟って背筋に戦慄を走らせる。キラ・ヤマトは議長にとって最高のパイロットとしてしか見られていない。ならここにいるミーアもアスランもシンも議長にとっては駒代わりでしかない。全て自分が思い通りに動かせる駒。思い通りにいかないから潰すのか。

キラも、アマキも、アークエンジェルも。

 

隣に寄り添うミーアは、アスランの急な反応にただ怪訝そうに小首をかしげるだけだった。

 

「彼自身も悩み苦しむこともなく、その力は称えられて幸福に生きられただろうに」

 

「幸福……」

 

「うん」

 

「あぁ、でありますか?」

 

「そうだよ。人は自分を知り、精一杯出来ることをして役立ち、満ち足りて生きるのが一番幸せだろ?」

 

「ぁぁ、はい」

 

シンは議長の言葉を深く噛み締めるように、まっすぐな光をその瞳に宿して力強く頷いた。

インパルスを駆り、戦果を挙げ、今また最強のデスティニーを与えられて正義を肯定された自分。それこそが、議長の言う「役割を活かして満ち足りて生きる幸福」そのものだったからだ。

 

「この戦争が終わったら私は、是非ともそんな世界を創り上げたいと思っているのだよ。誰もが皆幸福に生きられる世界になれば、もう二度と戦争など起きはしないだろう。夢のような話だがね。だが、必ずや実現してみせる。だから、その日のためにも、君達にも今を頑張ってもらいたいのだ」

 

「はい!」

 

「……」

 

「……」

 

シンの迷いのない快活な返事が、薄暗い専用格納庫に響き渡る。

夢のような理想郷――『ディスティニープラン』の甘美な誘惑に魂を震わせるシンと、その思想がもたらす絶対的なディストピアの恐怖を確信し、完全に静まり返るアスラン。ミーアは、完全に引き裂かれてしまった二人の少年のあまりに対照的な佇まいに気圧され、ただ小さく息を呑むのだった。

 

◇◇◇

ジブラルタル基地の司令部執務室。

大きな窓から眼下の港湾を見下ろしながら、アーサーとマリクは次々と入港してくるかつての敵――地球連合軍の艦隊を複雑な面持ちで見つめていた。

 

「しかし、凄いものですねえ。こんなに連合側の軍が参集してくるとは」

 

「ええ。でも、なんかこう……落ち着かないわね」

 

「そうですね。もう、あれは敵と刷り込まれている感じで……確かに」

 

議長のロゴス告発以降、世界はひっくり返り、かつて血で血を洗う戦いを繰り広げていた連合の兵士たちが、今はザフトの要塞に続々と「共闘」のために集結している。

 

「ほんと、これで一斉に裏切られたら、ジブラルタルはお終いですね。はっはっはっ……あ……あれ?」

 

「もう、馬鹿なこと言わないの、アーサー! そうでなくとも作戦前でみんなピリピリしてるのに」

 

「す、す、すみません!」

 

アーサーはタリアの鋭い一喝に文字通り飛び上がり、縮こまって冷や汗を流した。

 

「でも、これでヘブンズベースを討ち、逃げ込んだロゴスを討っても、問題はそのあとね。本当にこれでロゴスを滅ぼすことが出来るのかしら……」

 

タリアは腕を組んだまま、地平線の彼方へと視線を向け、誰に言うでもなく小さく呟いた。

デュランダル議長が掲げた「ロゴス討伐」という大義名分のもと、世界中の軍隊が一つにまとまり、次の標的である地球軍最高司令部『ヘブンズベース』への大攻勢が始まろうとしている。

しかし、組織のトップをどれだけ排除したところで、人間の心の奥底にある欲望や戦争のシステムそのものが消え去るわけではない。

急速に回り続ける世界の歯車と、その「混沌の先」にあるはずの議長の真の狙いに対し、タリアの胸中には拭いきれない不気味さと、前線指揮官としての深い焦燥感が重くのしかかる。

 

◇◇◇

 

専用格納庫から場所を移したジブラルタル基地の一室にて。

 

「ミネルバ所属レイ・ザ・バレル、出頭いたしました」

 

先ほどまでの喧騒とは一変した静寂の中、レイは美しい挙動で居住まいを正し、デュランダル議長の前で深く一礼した。

 

「レイ! 元気だったかね? 大丈夫か? 体の方は」

 

「はい」

 

「ロドニアのラボでは辛い目に遭ってしまったな。いや、私も迂闊だった」

 

「いえ、ギルのせいではありません。大丈夫です。私も自分があんな風になるとは思っていませんでしたので、驚きましたが」

 

議長は先ほどアスランを冷徹に追い詰めていた時とは明らかに違う、実の父親のような深い慈愛に満ちた眼差しをレイに向けた。レイもまた、軍の公式な場での「議長」という肩書きではなく、幼い頃から自らを守り、導いてくれた恩人への親愛を込めて、その名を「ギル」と呼ぶ。

地球軍の拡張クローンたちの実験場だったロドニアの秘密研究所。あの場所でかつての忌まわしい記憶と共鳴し、発作を起こしたレイの身体を、デュランダルは心底案じていた。

 

「何か飲み物は? またいろいろと細かい話を聞かせてもらいたいものだな」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「……」

 二人の間に流れる、部外者を一切寄せ付けないあまりにも強固で独特な絆の空気。

 ラクスとして部屋の隅に佇んでいたミーアは、その一分の隙もない信頼関係にどこか気圧されるようにして、無言のまま静かに冷や汗を流して立ち尽くすのだった。

 

◇◇◇

ジブラルタル基地の薄暗い一室 。

アスランはベッドの端に腰掛け、頭を抱えて激しい葛藤の暗雲に呑み込まれていた。

 

(キラ……)

 

脳裏に去来するのは、あの日、戦場で刃を交えた大切な仲間たちの言葉と、デュランダル議長の冷徹な正論だった。

 

『プラントは、本当にそう思ってるの? ――あのデュランダル議長って人』

 

『じゃあ、あのエロい衣装のラクス・クラインは?』『 今、プラントにいる、あのラクスは何なの?』

 

『私が心から願うのは、もう二度と戦争など起きない平和な世界です』

 

『それでも僕たちは、オーブを討たせたくないんだ』

 

『キラが過去を背負って傷ついてるのも、それでも引き金を引かなきゃいけない現実も、全部全部わかった上で、私はキラを守るって決めてるんだ。もう誰にも、お前にだって、キラをこれ以上責めさせない!』

 

『ならば何故彼等は私達の所へ来なかった?』

 

『討ちたくない。……討たせないで』

 

『じゃあ戻ってきなよ、こっちに』

 

『それってデュランダル議長に対する義理? ――それとも、自分から声かけてお願いした側だから、間違ってても目を瞑るの?』

 

「ああ、痛いほどわかっているさ。間違っているのは、俺だと……」

 

アスランは声を震わせ、己の無力さと愚かさを呪うようにして、きつく拳を握りしめた。

議長を盲信し、かつての戦友たちの不信の声を「戦局を混乱させる邪魔者」として切り捨てようとしていたのは、自分自身だ。暗殺されかけたからこそ彼らは議長を疑い、距離を置いた。それなのに自分は、ただ議長に声をかけてもらったという義理と、自らの居場所を守りたいがために、明らかな欺瞞から目を瞑り続けていたのだ。

守りたかった大切な親友を、自らの所属するザフトの手で葬り去ってしまったという最悪の『悪夢』。

その取り返しのつかない混沌のどん底で、アスランの胸には、もはやこの場所に留まることはできないという、決死の覚悟が静かに、しかし激しく燃え上がり始めていた。

 

重苦しい沈黙が広がる部屋の静寂を切り裂くように、乱暴にハッチが開かれる金属音が響いた。

 

「アスラン? アスラン?」

 

「……ぁぁ……」

 

頭を抱えていたアスランは、聞き慣れた声に弾かれたように顔を上げた。

そこには、額に大粒の汗を滲ませ、ラクスの衣装を乱したまま息を切らせているミーアが立っていた。いつもの奔放な笑顔は完全に消え失せ、その瞳には尋常ではない焦燥の色が浮かんでいる。

 

「ぁぁ、やっぱりいた。駄目よ、こんなことしてちゃ」

 

「え?」

 

「貴方、さっきも格納庫で議長にちゃんとお返事しなかったし。こんなことしてたら、ほんとに疑われちゃう」

 

「はあ?」

 

 ミーアは足早にアスランに歩み寄ると、その逞しい両肩を掴んで激しく揺さぶった。

その必死な態度に、アスランはただ怪訝そうに眉をひそめる。

 

「あのシンて子は、もうずっと新型機のところにいるのよ?貴方も早く!」

 

「疑うって、何をだ」

 

「貴方は駄目だって」

 

「はあ?」

 

「言ってたの、あのレイって子!アスランはアークエンジェルと繋がってるって」

 

「!」

 

「議長、あのレイって子と話してて、それで……」

 

「……」

 

アスランの背筋に、凍りつくような冷たい戦慄が走った。

格納庫での自身の僅かな躊躇。それすらも、冷徹なチェスプレイヤーである議長とレイの網には、完璧な「裏切りの兆候」として捉えられていたのだ。ミーアの小さな手のひらが恐怖で小刻みに震えているのが、アスランの肌に生々しく伝わってくる。

 

『そうか、やはり駄目かな、アスランは』

 

『思われた以上に、彼のアークエンジェルとフリーダム、そしてスノーホワイトに対する想いは強かったようです』

 

薄暗い部屋の照明のなか、デュランダルは手元にあるチェスの駒をそっと盤上へと置きながら、静かに、しかし冷徹な諦念を込めて呟いた。

その対面に佇むレイの切れ長の瞳には一切の感情が宿っておらず、軍の秩序を乱す異分子を淡々と排除するための報告を重ねていく。

 

『んー……彼もまた戦士でしかないのにな。余計なことを考えすぎるんだ。それがせっかくの力を殺してしまっている。キラ・ヤマトのせいかな? 彼と出会ってしまったのは不幸ということか。アスランもまた』

 

『かもしれません」』

 

「だが、彼はもういないが、……アマキ・カンザキは生きているはず。アレはそう簡単に死なないよ」

 

「はい」

 

レイは表情一つ変えずに言葉を返した。

 デュランダルはチェス盤を見つめたまま、わずかにその瞳の奥の光を鋭く尖らせた。

 

「罪状はある。あとは任せていいか?」

 

「はい」

 

「罪状はある」――それは、内通、あるいは反逆者としてアスランをジブラルタル基地の網で捕らえるための決定的なゴーサインだった。レイは短く応じると、議長の意を受けて静かに一礼し、闇の中へとその身を翻した。

◇◇◇

 

「ね? だからまずいの! やばいの!」

 

「……」

 

「早くそんなことありませんて見せないと、このままじゃ議長、貴方を……」

 

ミーアの必死の訴えが、アスランを回想の泥沼から現実へと引き戻した。彼女はアスランの両手をきつく握りしめ、涙を浮かべながら彼の顔を覗き込んでいる。

突如、自室のドアノブが不気味にガタガタと鳴り響き、電子ロックの警告音が鳴り渡った。

 

「「?」」

 

張り詰めた空気のなか、外から低く冷徹な男たちの声が叩きつけられる。

 

「ミネルバ所属特務隊アスラン・ザラ。保安部の者です。ちょっとお話をお聞きしたいことがあるのですが」

 

「流石議長は頭がいいな」

 

「え?」

 

「俺のこともよく分かってる」

 

「ぁ……」

 

アスランは自嘲気味に口元を歪めると、部屋の照明のブレーカーに手をかけた。

レイの密告、そして議長のサイン。すべてが今、この瞬間に自分を捕らえる罠となって発動したのだ。ミーアはその冷酷な手回しの早さに、恐怖で声を震わせる。

 

「アスラン・ザラ! 開けてください!」

 

「確かに俺は、彼の言うとおりの戦う人形になんかはなれない!いくら彼の言うことが正しく聞こえても!」

 

「え……」

 

アスランは叫ぶと同時に室内のブレーカーを叩き落とし、部屋を一瞬にして暗黒の闇へと沈めた。

それと同時にハッチが強引に爆破され、夜視ゴーグルをつけた保安部員たちが次々と室内に突入してくる。

 

「ぁ!」

 

「ふん!」

 

「あぁ……」

 

「ったく! 悪あがきを!」

 

「探せ!」

 

闇の中で火花が散り、激しい格闘の音が鳴り響く。

アスランの驚異的な身体能力が、闇を味方にして保安部員たちを次々になぎ倒していった。

鈍い打撃音とともに保安部員たちが床に転がされていく光景を、ミーアは恐怖に目を丸くしながらただ見つめることしかできない。

 

「早く!」

 

「あー!──」

 

アスランは倒れた部員から奪い取ったアサルトライフルを素早く構え、ミーアの手を引いて外の非常階段へと躍り出た。灰色の空から激しい雨が容赦なく叩きつけられ、雷鳴とともに要塞全域を揺らすアラートのサイレンが鳴り響く。二人はみるみるうちに冷たい雨に打たれ、頭からずぶ濡れになりながら、滑りやすい鉄製の階段を遮二無二下りていった。

 

「ぁぁ、アスラン!」

 

「ん?」

 

「アスラン、どうして!?」

 

「議長は自分の認めた役割を果たす者にしか用はない」

 

「え?」

 

「彼に都合のいいラクス、そしてモビルスーツパイロットとしての俺」

 

「ぁ……」

 

「だが君だって、ずっとそんなことをしていられるわけないだろ!」

 

「え……」

 

「そうなれば、いずれ君だって殺される! だから一緒に!」

 

激しい雨のカーテンに遮られ、互いの声がかき消されそうになる。

アスランは踊り場の壁へとミーアを押し込み、冷たく濡れた彼女の肩を強く掴んで、必死に引き裂かれそうな声を絞り出した。本物のラクスが襲撃された事実、そして使い捨てられる偽物の残酷な運命。それを知るからこそ、アスランは彼女をこの絶望の檻から救い出そうとしたのだ。

 

「ええ!? あ、あたしは! あたしはラクスよ!」

 

「ミーア!」

 

「違う!」

 

「?」

 

「あたしはラクス!ラクスなの!ラクスがいい!!」

 

「君……」

 

「役割だっていいじゃない!ちゃんと……ちゃんとやれば!そうやって生きたっていいじゃない!!だから……アスランも……ね? 大大丈夫よ……」

 

ミーアはアスランの手を激しく振り払い、雨と涙で顔を完全にぐしゃぐしゃに濡らしながら、その小さな胸の奥にある悲痛な叫びを大雨の空へと爆発させた。偽物だと言われ、命の危険を説かれても、世界中から愛され、称えられる「ラクス・クライン」という夢の役割だけが、彼女のすべてだった。

何者でもなかった少女がようやく手に入れた光。それを今さら捨てて、どこへ往けというのか。

激しい雨に打たれながらも、その役割にしがみつこうとするミーアの瞳には、狂気的なまでの強い意志が宿っていた。

 

「ぅ……ミーア!」

 

「ぅぅ……ぁぁ……」

 

「そうやって生きる幸福」を盲信する彼女の涙と悲痛な絶叫を前に、アスランはこれ以上言葉を重ねることができなかった。それは先ほど格納庫でシンと議長が語った、ディスティニープランの甘美な檻そのものだった。

 

「くっ!」

 

 要塞の奥から、自分たちを追ってくる保安部員たちの無機質な足音が迫ってくる。アスランは激しい苦悩のなかで唇を噛み締め、一人、激しい豪雨が吹き荒れる非常階段をさらに下へと再び走り出すのだった。

 

「ぅぅ……ぅぅ……」

 

 その場に取り残されたミーアは、ただ濡れた鉄の床にへたり込み、去りゆく赤服の背中を見つめながら、雨の音に掻き消されそうな声で泣き続けるしかなかった。

 

◇◇◇

 

「ドアは固めたんだな? では各部屋と周辺を探せ!」

 

「は!」

 

「出来れば拘束したいところだが、万一の場合は射殺もやむを得ん」

 

ジブラルタル基地の居住ブロック通路。

ずぶ濡れのアスランを追ってきた保安部員たちの冷徹な怒号が、冷たい金属の壁に跳ね返っていた。

彼らが手にする自動小銃のボルトを引く硬い機械音が、非常警報のサイレンに混じって不気味に響き渡る。

 

「いったい何? 何が……ぁ?」

 

ジブラルタル基地内にあるメイリンの私室。

基地全域に鳴り響く不穏な緊急警報のサイレンに、メイリンは自室に戻るなり、コンソールを開いて基地内の騒動の居所を調べようとした。

画面に明滅するセキュリティアラートの文字を凝視していたその時、背後の開き戸がバタンと勢いよく開き、大雨に打たれてずぶ濡れになった男が、アサルトライフルを抱えたまま滑り込んでくる。

 

「ぁ……」

 

「あぁ!アスラ……っ!?」

 

「ごめん!外に出たいだけなんだ。頼む、静かにしてくれ」

 

メイリンが驚いてその高名な赤服の名を叫びそうになった瞬間、アスランが正面から一歩詰め寄り、その大きく冷たく濡れた手のひらで彼女の口元をガサッと力強く塞ぎ込んだ。

至近距離で正面から交わる、ずぶ濡れのアスランの荒い息遣いと、その強い眼差し。あまりの近さと緊迫感にメイリンの鼓動は激しく高鳴り、胸の動揺を隠せないまま、コクりと小さく首を縦に振った。アスランは静かにその手を離し、アサルトライフルを抱え直す。

 

「……追われてるの、貴方?でも、どうして?」

 

「そんなことは、あとでレイにでも聞いてくれ」

 

「え?」

 

アスランはアサルトライフルを構えたまま、足音を殺して部屋の窓際へと素早く身を寄せた。

カーテンの隙間から外の激しい豪雨が打ち付ける敷地内を鋭く見下ろすと、そこには雨に濡れるサーチライトの光のなか、すでに複数の保安部員や警備車両がメイリンの所属する居住ブロックの周囲へと包囲網を狭めつつある光景が映し出されていた。

 

「ぁ!」

 

部屋の普通な開き戸のすぐ外から、複数の激しい足音と無機質な怒号が突きつけられた。

 

「保安部だ。室内を検分したい。ドアを開けろ」

 

「俺が出たら声を上げろ。銃で脅されていたと言え」

 

「ぇ……ぁ……ん! こっち!」

 

「ぁ……」

 

アスランはメイリンを巻き込むまいと、アサルトライフルを握り直して自分がすべての罪を被る覚悟を決めた。

しかし、メイリンは一瞬だけ激しく動揺したものの、その瞳に引き返せない強い決意を宿すと、アスランの腕を掴んで部屋の奥にあるバスルームへと彼を強引に引っ張り込んだ。

 

「おい! いないのかっ!」

 

返答のない開き戸を、保安部員が苛立ちを露わにしてドンドンと乱暴に叩きつけた。銃を手にした男たちの容赦のない気配が、薄い扉一枚を隔ててすぐそこにまで迫っている。

 

「あっ! はぁ〜い」

 

メイリンは慌てたような声を上げて外へと響かせた。外のけたたましいサイレンに負けないよう、わざと少し高めの声を張り上げる。そして、その場を強引に突破しようとアサルトライフルを握り直すアスランの手を強く引っ張る。

 

「なにをっ!」

 

「しっ! まかせてください」

 

メイリンは人差し指を唇に当ててアスランを鋭く制すると、その瞳に引き返せない強い決意の光を宿した。彼女はアスランをバスルームの陰に押しやる。

そして、自分は手早く隊服を脱ぎ捨て、頭にシャワーをぶっかけた。

容赦なく降る冷たい水滴が髪を濡らし、肌を伝う。一刻を争う極限の緊張感の中、メイリンは濡れた身体のままバスタオルを素早く身体に巻き付けた。

ずぶ濡れの髪を軽く手で押さえ、湯気も立たないバスルームから飛び出すと、わざと激しく息を乱し、いかにも入浴中に慌てて出てきたという風を装って部屋の開き戸へと向かう。

 

「おああ!」

 

「ぁ……」

 

メイリンが勢いよく開き戸を開けた瞬間、そこに立っていた保安部員たちは、バスタオルを一枚体に巻き付けただけの彼女の姿に思わず顔を真っ赤にしてのけ反った。

ずぶ濡れの髪から滴る水滴が白い肌を伝うあまりに刺激的な光景に、銃を構えていた男たちの殺気が一瞬で瓦解する。

 

「ちょっとメイリン! やだ、なんて格好よあんた!」

 

そこへ、騒ぎを聞きつけて通路の奥から駆けつけてきた姉のルナマリアが、妹のあまりに破廉恥な姿を目撃して金切り声を上げた。

 

「ぁ、お姉ちゃん。だって、シャワー浴びてたらドンドンドア叩くんだもん」

 

 メイリンはわざと少し膨れっ面を作り、濡れた髪を手で押さえながら、いかにも迷惑そうに不満を口にしてみせた。その完璧な演技の裏で、彼女の心臓は今にも破裂しそうなほど激しく高鳴っている。

 

「いいからあんたはさっさと服を着なさい、みっともない。だいたい、なーに? これは何の騒ぎなの?」

 

「ぁぁ、いえ……」

 

ルナマリアから厳しい視線を向けられた保安部員たちは、バスタオル姿の若い女性の部屋に強引に踏み込もうとした気まずさから、すっかり気圧されて冷や汗を流しながら言葉を詰まらせた。

 

「はぁ……」

 

バスルームの冷たいタイルの影、暗闇に身を潜めていたアスランは胸を撫で下ろすようにして静かに、深く安堵の息を漏らした。

 

「ぁ……ぁぁ……ぅぅ……ぅぅ……」

 

保安部員たちをルナマリアが外で引き留め、開き戸が完全に閉まった瞬間。メイリンは張り詰めていた糸が切れたように床へへたり込み、冷たい涙を流しながら激しく身体を震わせた。バスタオル一枚の姿で世界の正義を敵に回した恐怖と激しい動揺が、今になって一気に押し寄せてくる。

 

「ありがとう。でも、何故……」

 

バスルームの物陰から這い出てきたアスランは、アサルトライフルを傍らに置き、ずぶ濡れのまま彼女の前に膝をついた。そして、部屋のフックに掛けられていた白いバスローブを素早く手に取ると、小刻みに震えるメイリンの小さな肩へとそっと優しく掛けてあげた。何故、自分のような反逆者を命懸けで守ってくれたのか。

 

「ぅぅ……分からない……ぅぅ……」

 

「……でも、助かった。すまない」

 

アスランは心からの謝罪と感謝を伝えた。

 

そんなアスランにメイリンは思った。

こんな時でも優しいんだ、この人は、と。ただ、ずっと憧れていた。

ミネルバのオペレーター席からいつも見つめていた、不器用で、誰よりも優しくて、傷だらけになりながら戦う彼の背中を。好きになるのに時間なんて関係なかった。

だからこそ、理不尽な罠に嵌められ、殺されかけているアスランを、ここで見殺しにすることなど絶対にできなかった。

 

たとえこの先、どんな過酷な運命が待っていようとも、今この瞬間は、自分の命を懸けてでもこの人を守りたい――その純粋で一途な恋心だけが、彼女を突き動かす絶対的な衝動だった。

 

アスランはこれ以上彼女をザフトの裏切り者という奈落へ巻き込むまいと、きつく唇を噛み締めて開き戸へと歩みを進めた。

 

「ぁ」

 

その背中を見つめていたメイリンは、頭で考えるより先に、体が衝動的に動いていた。ベッドの端から床へ滑り落ちるようにして、アスランの足元へと必死に縋り付いた。バスローブ越しに伝わる彼女の小さな手のひらの強烈な力と、その必死な拒絶の重みに、アスランは弾かれたように足を止め、愕然として見下ろした。

 

「うわ……」

 

「か、格納庫!ちょっと待って!」

 

メイリンはバスローブの襟元をぎゅっと掴んで涙を拭うと、部屋のコンソールへと力強く這い寄り、濡れた手で手早くキーボードを叩き始めた。その瞳には、恐怖を越えたオペレーターとしての確かなプロの光が戻っている。

 

「基地のホストに侵入して、どこかで警報を出せれば……!」

 

メイリンの指先が、ジブラルタル基地の防衛ネットワークへと音速で潜行していく。

どこか別のブロックで偽の異常事態を発生させ、自分たちを包囲している保安部員たちの意識を格納庫から完全に逸らす。アスランを無事に外へと逃がすため、少女は再び自らの優秀な頭脳を武器に、ザフトの巨大な要塞システムそのものを敵に回して、命懸けのハッキングを開始する。

各方面が偽のアラートに踊らされる中、

 

「車まわします! 見えたら出てください!」

 

「あ、ああ」

 

メイリンは手早く隊服に身を包むと、アスランの足元から勢いよく這い上がり、部屋のキーをひったくるようにして開き戸を飛び出した。

基地のホストコンピューターを完全に掌握している彼女は、保安部員の配置も、監視カメラの死角もすべて知り尽くしている。アスランはアサルトライフルを抱えたまま、窓陰から激しい雨の降りしきる敷地内へと鋭い視線を走らせた。直後、居住ブロックの勝手口の前に、激しい水飛沫を上げながらザフトの軍用小型四輪駆動車が急ブレーキで滑り込んでくる。運転席の窓から、大雨に濡れたメイリンが必死に手招きするのが見えた。

アスランは一瞬の躊躇もなく物陰から飛び出し、土砂降りの雨を突っ切って助手席のドアを強引に開け、車内へと滑り込む。少女の一途な想いと並外れた機転が、ジブラルタル基地の完璧な包囲網を完全に切り裂き、二人はモビルスーツデッキへ向けて猛然とアクセルを踏み込む。

 

◇◇◇

 

ジブラルタル基地の司令部。

 

「なあに?何事なの?」

 

「わかりません。司令部からは何も……艦長。議長からです」

 

画面が切り替わりその画面の向こうのデュランダルは、いつもより固い表情を浮かべていた。

ギルバート・デュランダル

「タリア」

 けたたましく鳴り響くサイレンと、港湾区画のダミー警報に大混乱するオペレーターたちの喧騒の中、タリアは通信ディスプレイの前に進み出た。

 

「はい。この警報はなんですか?一体——」

 

「子細はまだ分からんが、アスランが突然こちらの保安要員を打ち倒して逃走した」

 

「ええ!?」

 

タリアは思わず絶句し、目を見開いた。先ほどシンと共に出頭したばかりのアスランが、あろうことかザフトの要塞内で保安部を相手に立ち回りを演じ、逃亡したという信じがたい報告。シンならばわかるがあの温厚なアスランがやるだろうか?

 

「ミネルバに行くことはないと思うが一応知らせておく。ことによったらレイやシンを借りるかもしれん」

 

「逃走って……何故です!?」

 

「だから、まだ分からんと言ったろう。また後後で連絡するよ」

 

「……」

 

一方的に切れた通信ディスプレイの黒い画面を、タリアはただ硬直したまま見つめるしかなかった。

 

◇◇◇

 

大雨が激しく叩きつけるジブラルタル基地のモビルスーツデッキ。

メイリンが奪った軍用車を滑り込ませたのは、薄暗いハンガーの最奥だった。

 

「追っ手はほとんどが港です。今なら……行ってください!」

 

「ここでいい」

 

「いえ、もう少し奥に行った方が一目がありませんから」

 

車を飛び降りた二人は、闇に紛れるようにして配備されていた青いグフイグナイテッドの機体へと駆け寄る。

 

「使えそうですか?」

 

「ああ」

 

「あ、当然ですね。アスランさんなら」

 

ザフトの最新鋭量産機であるグフイグナイデッド。かつてガンダムを駆ったアスランにとって、そのコックピットを立ち上げるなど容易いことだった。メイリンはそんな彼の頼もしい姿に少しだけ安堵の笑みを浮かべ、必死に声を張り上げる。

 

「じゃ、急いで行ってください!」

 

「でも君……」

 

「殺されるくらいなら……行った方がいいです!」

 

その瞬間、暗闇の奥から放たれた鋭い銃撃が、冷たい金属の床を激しく抉った。

 

「は!」

 

「きゃあ!」

 

「うっ!」

 

火花が暗がりに飛び散り、メイリンが短い悲鳴を上げてその場に激しくのめり込む。

 

「やっぱり逃げるんですか! また!」

 

「レイ!」

 

「俺は許しませんよ!ギルを裏切るなんてこと!」

 

アサルトライフルを構え、豪雨のカーテンの向こうから冷徹に歩み出てくるレイ。その切れ長の瞳には一片の慈悲も宿っていない。議長と組織の正義を絶対視する彼にとって、そこから逃げ出そうとするアスランは、ただの「排除すべき裏切り者」でしかなかった。

レイはアスランだけでなく、傍らにいるメイリンへも容赦なく銃口を向け、非情な連射を放った。

 

「やめろ、レイ! メイリンは!」

 

「きゃぁ……」

 

「くっ……」

 

アスランはメイリンの小さな身体を庇うようにして、雨水が溜まった冷たい床へと激しく転がり込む。アスランは身を挺して銃撃を躱しながら、床に落ちていたアサルトライフルを引っ掴んで即座に鋭く撃ち返した。

 

「うっ!」

 

「ぅ……」

 

「ぁ……」

 

弾丸が至近距離でレイの足元を弾き、レイはチッと舌打ちをして物陰へと素早くバックステップを踏む。激しい硝煙の臭いと大雨が交錯する凄惨な銃撃戦のなか、アスランは激しく息を切らせながら、メイリンの細い腕を力任せに引き寄せ、一刻の猶予もないグフのコックピットへと滑り込もうと死に物狂いで手を伸ばした。

 

「ごめん! でも、このままじゃ君が……」

 

アスランはメイリンを抱きかかえるようにしてグフイグナイテッドの狭いコックピット内へと滑り込み、重厚なハッチを背後で叩き閉めた。外の激しい豪雨の音とレイの銃声が、気密された装甲越しに鈍くこもって響き渡る。

 

「ぅぅ……」

 

急速に立ち上がるコンソールの淡い光が、恐怖と動揺で小刻みに震えるメイリンの青ざめた横顔を照らし出していた。自分が巻き込んでしまったばかりに、この若きオペレーターの少女までがザフトの反逆者として射殺の対象にされてしまった。そのあまりに重い現実への痛切な罪悪感を抱えながら、アスランはシートの横で彼女の身体を支え、死に物狂いで操縦桿を握り締める。

モニターが次々とカットインし、強奪された青いモビルスーツのツインアイが、不気味な紅い輝きを灯して完全起動を告げた。

 

◇◇◇

 

大雨が荒れ狂うジブラルタルの上空。

強奪したグフイグナイテッドの狭いコックピット内で、メイリンはシートの横でアスランの腕を必死に掴みながら、不安げに問いかけた。

 

「で、でも、どうするの?」

 

要塞の対空砲火を強行突破したものの、全画面のインジケーターは「反逆者」を捉えるための警告アラートを激しく明滅させており、引き返せない恐怖が彼女の喉を締め付ける。

 

「アークエンジェルを探す!」

 

「え!? だって、あの艦は……」

 

メイリンは驚きのあまり目を見開いた。

ザフトの公式発表では、先日のエンジェルダウン作戦でシンのインパルスによって完全に撃沈されたはずの不沈艦。それを追うというアスランの言葉は、にわかには信じ難いものだった。

 

「沈んじゃいない。きっとキラもアマキもだ!」

 

アスランは雨の乱気流に揺れる操縦桿を力強く握り締め、確信に満ちた声を響かせた。

アークエンジェルはどんな困難さえ乗り越えてきた艦。そしてキラだってあの撃沈は偽装であると直感していた。

何よりアマキは簡単に死ぬはずがない。アレが、そう簡単に死ぬわけがないっ!

 

◇◇◇

 

『シン! デスティニーとレジェンドの発進準備をさせろ!』

 

激しい雨の音が反響する専用格納庫に、通信越しのレイから切迫した怒号が響き渡った。

まだデスティニーガンダムの前に残っていたシンは、コンソールを覗き込んだまま、肩をびくつかせて驚き、怪訝そうに振り返る。

 

「え? 何で?」

 

『逃走犯にモビルスーツを奪取された! 追撃に出る!』

 

「ええ!?」

 

レイの冷徹極まりない一言に、シンは血相を変えて目の前のコンソールへと飛びついた。

鳴り響くサイレンのなか、周囲のスタッフたちも慌たらしく出撃準備に入る。

整備班の面々や管制スタッフたちが大雨のなかを駆け回り、カタパルトの固定クランプを解除し、新型二機への急速エネルギーチャージを死に物狂いで進めていく。

一刻を争う極限の緊急事態に、二人はパイロットスーツに着替える時間すら惜しみ、ザフトの赤服のままで慌たらしく発進シーケンスのキーを叩き込んでいく。システムが急速に立ち上がり、新型二機のOSが眩い光を放ち始める中、シンはキーボードを叩く指を震わせながら叫んだ。

 

「レイ!」

 

『いいか!?』

 

「ああ、けど何でまたスパイになんか……」

 

基地内を騒がせているスパイの正体など、自分たちには関係のない、ただの不審者による騒動だと思い込んでいたからだ。だが、すでにレジェンドガンダムのシートへと滑り込み、機体を完全起動させていたレイは、感情の一切を削ぎ落とした冷たい瞳で、無慈悲な現実の楔を突きつけた。

 

『油断するなよ、追うのはアスラン・ザラだ』

 

「ええ!?アスランって……そんな……何で!」

 

シンは操縦桿を握り締めたまま、自らの耳を疑って激しい衝撃に目を見開いた。

自分を殴り、ロゴスを討つ議長の大義を最後まで拒み続けたあのかつての英雄が、あろうことかザフトを裏切り、最新鋭機を強奪して逃亡したという最悪の現実。

信じていた先輩との、決定的な決裂。

激しい動揺と裏切られた怒りに全身の血を逆流させながら、シンはデスティニーのモニターに視線を走らせる。

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