腹減り少女はSEED世界で爆発少女にレベルアップする 作:松魚
スパイ活動にいそしんでいたキサカの耳にもけたたましい警報が耳に入っていた。どさくさに紛れて情報収集をしていたが、これは潮時かと思った。
ウー、ウー、と無機質なサイレンが鳴り響き、基地の通路の照明が警告の赤色へと切り替わる。突然の事態に、周囲を行き交う兵士たちの間に一気に動揺が広がっていった。
「なんだ?警報?」
「おいどうしたんだ?」
慌ただしく走り出す兵士たちの喧騒の中、
「…」
騒ぎ立てる兵士たちを一瞥し、キサカは足早にその場を離れた。
◇◇◇
基地内は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。ドタドタと慌ただしい足音が廊下に響き渡り、通信機からは怒声が飛び交う。
「スパイが!?」
「やはりロゴスの…集まった軍の中にか?」
突然降って湧いたスパイ騒ぎに、休暇中だったミネルバの面々も足を止め、顔を見合わせる。
「艦に戻った方がいいのかな? ねえどうしよう?」
「え、あ、うん」
突然の緊迫した空気に気圧され、ヴィーノはおろおろと周囲を見回すことしかできない。そんな中ハイネが険しい表情で騒がしい通路の奥を睨み据えた。
「おいおい、一体どういうことだよ?」
不穏な空気を感じ取ったハイネの言葉に、ルナマリアは困ったように眉を下げて肩をすくめた。
「私もわからなくて…」
ヘブンズベースへの通告、そして足元で起きたスパイ騒ぎ。これから始まる激戦を予感させるように、基地の警報音はいつまでも鳴り響いていた。
ジブラルタル基地の司令本部。鳴り響くけたたましい警報の正体は、スパイ騒ぎだけではなかった。通信モニターから飛び込んできた最悪の報告に、将官たちは机を叩いて激昂する。
「グフを奪われただと!?」
「追撃は!?」
「は! 今エルガー隊が!」
パニックに陥りかける司令部。だが、その背後から、一切の動揺を感じさせない穏やかで低い声が響いた。
「それはもうシンとレイに命じた。それより今これ以上騒ぎを大きくしないようにしてくれないかね」
ゆっくりと歩み出てきたデュランダル議長は、その長い髪を揺らしながら、ひどく冷静に場を制する。そのすぐ後ろでは、ミーアが恐怖に身をこわばらせて小さく息を漏らしていた。
「ぁぁ…」
身を寄せてくるミーアを庇うように一歩前へ出たデュランダルは、底の知れない瞳で将官たちを見据える。
「妙なデマが飛ぶと参集してくれた各国の軍にも影響する。それは今非常に好ましくない」
静かながらも絶対的な威圧感を放つ議長の言葉に、将官は気圧されたように冷や汗を流して頭を下げた。
「ぁ、はい」
その時、コンソールを必死に叩いていたオペレーターが、新たな異常を検知して声を張り上げた。
「隊長! ホストに侵入した端末が特定できたのですが…」
「ん?」
兵士の不自然な間に、デュランダルは怪訝そうに眉をひそめた。
通信の向こうから響く荒い息遣いと火線の交錯する音に、司令部一同がハッと息をのむ。デュランダルはすぐさまコンソールの通信マイクへ片手をかけ、身を乗り出した。
「レイ」
『はい』
「君がアスランを追っているとき、メイリン・ホークの姿を見なかったか?」
『メイリン・ホークはアスランと一緒です。今も』
どんよりとした曇天の空を、凄まじい爆音と共に切り裂いて飛ぶ最新鋭機レジェンドガンダム。背部のスラスターから強烈な光の尾を引き、激しい風を切り裂きながら、レイは一切の感情を排した声で告げた。
その衝撃の報告がスピーカーから響いた瞬間、同じくデスティニーガンダムを駆って空中戦を展開していたシンは、操縦席でカッと目を見開いて前方を見据えた。
「ええ!?」
「アスランと?それは人質をいうことか?」
「え!?」
急ぎこの場に召集されたタリアも、あまりの衝撃に椅子から立ち上がり、メインモニターを凝視する。自艦の優秀なオペレーターが裏切ったなどと信じたくなかった。しかし、大空を疾走するレイの報告は冷徹に続けられる。
『いえ、そうではないと思います。彼はメイリンを庇い、私の銃を撃ち落としてグフのコクピットに上がろうとした時には手を差し伸べ、彼女は躊躇せずにその手を取りました』
「ええ!」
信じられない現実だが機体はなおも雲を突き抜けてグフへと肉薄していく。
『映像記録があると思います』
「メイリンが!?」
タリアは愕然として顔を青ざめさせ、拳を強く握りしめた。デュランダルは冷え切った瞳でスクリーンを睨み、さらに確証を得るべく声を鋭く尖らせる。
「では彼女は人質として連れ去られたのではない、と?」
『はい、そうではありません』
激しい風切り音の混ざる通信の背側で、レジェンドとデスティニーの二機に追い詰められるグフからの、絶望的な苦悶の通信が重なって響く。
「くっ!」
「アスラン、あいつ!」
シンは歯をガチガチと鳴らし、裏切ったアスランへの怒りと困惑で、デスティニーの操縦桿を握る手にメキメキと力がこもる。そんなシンの焦燥を置き去りにするように、空中を猛スピードで滑空するレイは、淡々とメイリンの危険性を議長へと説き伏せていく。
『彼女は情報のエキスパートです。こうなった経緯は分かりませんが、このまま逃がせばどれほどの機密が漏れるか分かりません』
「メイリンも…何で!」
シンは行き場のない困惑と憤りを爆発させるように叫び、デスティニーのコンソールを強く叩きつけた。何故みんなが裏切っていくのか、その頭の中は完全にパニックに陥っている。だが、レイは眼下を飛ぶ標的を確実に仕留めるため、冷酷に言葉を繋げた。
『脱走は絶対に阻止すべきものと考えます。撃墜の許可を』
「レイ!」
「レイ!ちょっと待ちなさい! ――」
我に返ったタリアがマイクにすがりつくようにして必死に声を張り上げる。しかし、デュランダルが冷徹な天秤を傾け、決断を下すのは一瞬だった。
「そうか分かった。君の判断を信じよう。撃墜を許可する」
「議長!」
タリアが絶望に顔を歪めて叫ぶが、議長の手元の通信ランプは非情にも灯り続ける。
『ありがとうございます』
レイは冷たく目を細め、大空を滑空するレジェンドのシステムを限界まで同調させる。そしてシンもまた、決定的な困惑を抱えたまま、デスティニーのスラスター出力を上げるしかなかった。逃げるグフを仕留めるため、二羽の凶鳥が曇天の空を舞う。
「そうか分かった。君の判断を信じよう。撃墜を許可する」
議長からの非情な宣告がコックピットに響き渡る。その瞬間、シンは驚愕して通信機に向かって叫んだ。
「レイ!」
「聞こえたなシン。ではそういうことだ」
レジェンドのスピーカーから返ってきたのは、かつての仲間を討つ命令を平然と受け入れる、冷え切った声だった。
「でもそんな…」
割り切れない想いにシンが操縦桿を握る手を躊躇わせた瞬間、レジェンドガンダムは猛烈な勢いで加速し、逃げるグフの退路を断つようにどんよりとした雲海を切り裂いた。
「右から追い込む。前へ回り込め!」
「ぅくっ…レイ!」
レイの冷徹な戦闘指示に気圧されながらも、シンは無意識にデスティニーのフットペダルを踏み込み、スラスターの出力を上げる。光の翼が怪しく煌めき、巨体が大空へと躍り出た。だが、その胸中はまだ激しく揺れ動いている。そんなシンの迷いを見透かしたように、レイの容赦ない怒声が通信回線を震わせた。
「こんなことで、議長とそれに賛同するする人々の想いが無駄になったらどうする!」
「は!?」
ハッと突き動かされるようにシンの身体が強張る。脳裏に浮かぶのは、議長が掲げる平和な世界、そして自分を信じてデスティニーを託してくれた人々の顔だった。
「今ここでの裏切りなど許せるはずもない。覚悟を決めろシン!俺達で防ぐんだ!」
「くっ!」
レイの強烈な意志と言葉の重圧に押し潰されるように、シンは奥歯をガチリと鳴らした。
(そうだ……ここで止めなきゃ、また戦争が……!)
目の前を飛ぶグフが、アスランが、自分たちの目指す平和を脅かす「裏切り者」に見えてくる。シンは困惑を振り払うように操縦桿を強く引き絞り、デスティニーのセンサーの照準を、かつての先輩へとロックオンした。
「きゃぁ!」
「くっそー、レイか!」
突如、激しい大雨を切り裂いて放たれたビームの奔流が、グフイグナイテッドの至近をかすめた。衝撃波で機体が激しくロールし、コックピット内のメイリンが短い悲鳴を上げてアスランの腕にしがみつく。コンソールから激しい火花が飛び散り、警報音がけたたましく鳴り響いた。
レジェンドガンダムから放たれたドラグーンの波状攻撃。それはかつての戦友を一切容赦なく文字通り「塵」にせんとする、レイの冷酷な殺意の証明だった。逃げ惑うグフの眼前に、雨のカーテンを切り裂いてさらなる巨大な影が急速に接近してくる。
「チィ!」
「シン!」
「何でこんなことになるんだよ! 何であんたはっ!!」
「「うぅぅ……」」
大雨の視界の向こうから、赤く禍々しい光の翼を広げたデスティニーガンダムが、凄まじい質量となってグフへと突撃してきた。シンは隊服のまま操縦桿を激しく押し込み、裏切りへの怒りと混乱を爆発させながら大型ビームソード『アロンダイト』を振り下ろす。アスランは防戦一方のままグフのシールドで間一髪その一撃を受け止めたが、新型機の圧倒的なパワーに圧し潰されそうになりながら、コックピットのシートで歯を食いしばった。デスティニーの超重量がグフのフレームをきしませ、激しい衝撃となって二人の身体を揺さぶる。
「シン, やめろ!踊らされている!お前も!」
「ええ?」
「そんな手は通じない!見苦しいですよ、アスラン」
「レイ! くっ!」
「踊らされている」というアスランの必死の叫びに、シンの心が僅かに揺らぎかけたその瞬間、通信ウィンドウの向こうからレイの冷徹な一喝が遮るように突き刺さる。レイの言葉にシンの思考は乱され、ただ目の前の敵を討つことへと意識を強制的に引き戻される。
レジェンドのドラグーンが再び不気味に駆動し、逃亡するグフの退路を完璧に塞ぐようにして、次なる包囲網の光条を激しく収束させていく。暗雲が立ち込める大雨の空が、最新鋭機二機が放つ無数のビームの光で不気味に白く染まり上がっていった。
「逃げんなよ!降伏しろ!裏切るな!基地へ戻れ!」
シンはデスティニーガンダムの操縦桿を激しく押し込み、怒りと悲痛が入り混じった絶叫を通信回線へと叩きつけた。自分を殴り、正義を説いたはずの尊敬する先輩が、なぜザフトを、議長を裏切ってスパイなどという汚名に甘んじているのか。信じたくない現実を否定するように、デスティニーは獰猛な追撃を緩めない。背部から吹き出す光の翼が、激しい雨粒を蒸発させながら夜空を赤く染め上げていく。
「くっ! シン! ええい!」
「くっ!」
アスランは雨の乱気流に激しく翻弄されながらも、グフイグナイテッドの機体を反転させ、迫り来るデスティニーのビームソードをシールドで強引に弾き返した。金属とエネルギーが激突する凄まじい衝撃波がコックピットを揺らし、シンのインジケーターに激しい火花が散る。強烈なGがシンの身体をシートに押し付け、デスティニーのモニター群が一瞬だけ赤く明滅した。
「やめろ! 俺はこのまま殺されるつもりはない!」
「え?」
「聞け、シン! 議長やレイの言うことは確かに正しく、心地よく聞こえるかもしれない!」
「アスラン!」
遮ろうとするレイの冷徹な声が通信に割り込む。だが、アスランはそれを力ずくでねじ伏せるように、さらに声を張り上げた。
「だが、彼等の言葉は、やがて世界の全てを殺す!」
「え?」
「え?」
アスランの必死の叫びが、大雨のノイズを突き破ってコックピット内に響き渡った。
世界の全てを殺す――そのあまりに不穏で絶望的な言葉の重みに、シンの思考が一瞬だけ完全にフリーズする。
「それにお前は勘違いしている! アマノ・シノザキを殺すな! 彼女は本当はアマーーー」
「シン、聞くな!」
「ぁ……」
アスランがシンの誤解を解こうと、白い純白の機体に乗るパイロットの真実を叫ぼうとした刹那、レイの狂気的な一喝が通信回線を強引に遮断した。メインモニターに強制的なノイズが走り、アスランの声が強引に掻き消される。
「アスランは既に錯乱している! それ以上戯言をぬかすなっ! アマノ・シノザキは敵だ! そうだな、シン!」
「ええ? レイ、一体何を……」
デスティニーのシートで、シンは戸惑う。遮断されたはずの通信ウィンドウの隙間を抉り取るように、再びアスランの悲痛な怒号がスピーカーを震わせた。
「巫山戯るな! そうやってシンを誘導させるなっ! 彼女を撃てば二度とシンは誰も信じなくなるぞっ!」
「惑わされるなシン! アスランの戯言などに耳を貸すな! アマノ・シノザキは敵だっ!」
「なんだよ、二人して……! 意味わかんねぇよっ!!」
シンは操縦桿を握り締めたまま、頭を掻きむしりたいほどの混乱に陥った。
アスランの必死な警告と、レイの冷徹な断定。二人の間で激しく飛び交う言葉の銃弾に、シンの思考は完全にパンクしかけていた。
デスティニーからは、逃げるグフとその後方を冷酷に包囲するレジェンドの姿を映し出し続けている。どちらが正しいのか、誰を信じればいいのか、シンの呼吸は激しく乱れ、コックピットの気圧すら重苦しく感じられるほどだった。
「シン! どうしても討つというのなら、メイリンだけでも降ろさせろ! 彼女は……!」
「彼女は既に貴方と同罪だ。その存在に意味はない」
「…っ…」
レジェンドのコックピットから放たれたレイの無慈悲な宣告。同僚であったはずの自分を「意味のない存在」として切り捨てた冷酷さに、メイリンは絶望のなかで小さく息を呑んだ。恐怖で全身が凍りつき、アスランの腕を握る
「レイ! お前っ!」
「レイ!」
「敵なんだ彼は、彼等は!」
「ぅ……」
シンの胸に、鉛のような重苦しい圧迫感がのしかかる。だが、レジェンドの冷徹な追撃の手は緩まず、雨を蒸発させながら無数のビームの光条がグフを追い詰めていく。
「議長を裏切り、我等を裏切り、その思いを踏みにじろうとする。それを許すのか?」
「く……」
「お前は言ったろ? そのためならどんな敵とでも戦うと! それは嘘だったのか!?」
「はっ!」
「シン!」
「くっ! ハァ、ハァ……っ!!」
シンの脳裏に、かつてジブラルタル入港直前に自分が誓った言葉が鮮烈に蘇る。
『だったら俺だって、どんな敵とでも戦ってやるさ!』
レイの巧みな誘導尋問と、議長への絶対的な忠誠心が、シンの迷いを強引に「裏切り者への殺意」へと塗り替えていく。過呼吸の一歩手前のような荒い息遣いが、狭いデスティニーのコックピット内に響き渡る。シンの視界が、大雨の暗闇の中で怒りと焦燥によって赤く染まっていく。もう引き返せない、自分を否定しないためには、目の前の「裏切り者」を討つしかないのだと、シンは血がにじむほど奥歯を噛み締めた。
「くっそー!!!」
混濁する意識のなか、シンの脳裏にジブラルタル基地での誓いが鮮烈にフラッシュバックした。
『議長の言葉聞いて、俺凄く感動したよ。難しいって言ってたのに、議長やるんだ。諦めないんだって』
『この戦争が終わったら私は、是非ともそんな世界を創り上げたいと思っているのだよ。誰もが皆幸福に生きられる世界になれば、もう二度と戦争など起きはしないだろう。だからその日のためにも、君達にも今を頑張ってもらいたいのだ』
その瞬間、シンの瞳の奥で、何かがパキィンと弾け飛んだ。
瞳孔が収縮し、感情のすべてを闘争本能へと割り振る『SEED』が発動する。シンの瞳から生気が消え、ただ標的を駆逐するためだけの絶対的な意思が宿った。デスティニーガンダムの背から血紅の光の翼が爆発的に広がり、土砂降りの雨を蒸発させながらグフイグナイテッドへと肉薄した。
「シン!」
種割れを起こしたシンの視界に、今度はベルリンでの記憶、そしてかつて出会ったアマノの言葉が、激しいノイズのように交錯する。
『何でこんなこと、また戦争が……』
『アマノ・シノザキ。よろしく、シン』
ぷにぷにの手だった。屈託なく笑う人だと思った。
『……シン! 助けてくれてありがとう! 直接お礼を言いたかったんだ』
律儀な人だと思った。たった一回助けただけなのに。
『何やってんだ!? 死にたいのかお前は!』
敵なはずなのに、俺を守ろうとした。なんて自分勝手な奴だと思った。
『よって、それを阻害せんとする者、世界の真の敵……』
彼女と接した時間はごく僅かだった。それでも何か安心できるような印象を彼女に抱いていた。
もっと何かこう、…初めてじゃなくて前にもっとどこかで会ったことがあるような。そんな彼女は敵だった。
敵なら殺すしかないじゃないか。アスランだって。議長の敵なら、殺すしか。
「あんたが悪いんだ……あんたが! あんたが裏切るからぁぁっ!!うおぉぉぉっ!!」
アスランに向けて放った言葉はここにいないアマノに向けてのシンの悲しい叫びだった。
自分と家族を救ってくれたヒーローの幻影。ミネルバで心を通わせたはずのアマノ。信じたかった存在がことごとく自分を置いて「敵」へと変わっていく理不尽さに、シンの叫びは血を吐くような慟哭となって大雨の空へ響き渡る。
「ぁ……」
「シン!」
アスランはシールドを構えたが、デスティニーの超大型ビームソード『アロンダイト』の獰猛な軌跡が、その防壁を強引に叩き割った。火花と絶叫のような金属音が大雨の空に炸裂する。世界を救うため、もう誰も死なせないため。議長の理想を盲信するシンは、目の前の「裏切り者」を排除するために絶叫しながら刃を押し込む。デスティニーの重圧が、グフの装甲を容赦なくねじ伏せていく。
「あぁ……」
「ううぅっ!」
「くっ!」
「うおぉぉぉっ!! 俺は……俺はもう絶対に!」
「シン!」
「ぅ……」
「でやぁぁぁっ!!!」
デスティニーの放った決定的な一撃が、グフの機体を深々と一刀両断した。
激しい爆炎が大雨の空に広がり、真っ二つになった青い機体は、ジブラルタルの冷たい海へと向かって、黒煙を引きながら真っ逆さまに墜ちていく。機体の爆発とともに、通信回線が完全に途絶した。
残されたのは、叩きつける雨の音と、デスティニーのスラスターが狂ったようにあげる駆動音だけだった。
「ハァ、ハァ……ぅ……」
シンは操縦桿を握ったまま、血の気の引いた顔で荒い息を吐き散らした。SEEDの残光が消え、我に返った彼の瞳に、かつての先輩を自らの手で葬ったという最悪の現実が重くのしかかる。ガタガタと震える指先が操縦桿を軋ませ、コックピット内の無機質なインジケーターの光が、その青ざめた横顔を冷たく照らし出していた。
「シン。よくやった」
「……」
「俺達の任務は終わった」
「任……務?」
「ああ」
レイの冷徹な肯定の言葉。それが、シンの胸の奥に深い『悪夢』の楔を打ち込んでいく。
「アスラン……メイリン……」
「裏切った彼等を、敵を討ったんだ。俺達は」
「く……」
自分のしたことは正しかったはずだ。しかし、涙の交じった激しい豪雨は、隊服のまま震える少年の絶望をただ冷酷に濡らし続けるのだった。
「やるべきことをやったんだ」
「う……」
「さ、戻るぞ」
「うぅ……」
海の底へ消えていったグフの残像が網膜に焼き付いて離れない。シンは溢れそうになる何かを堪えるように、ただ胸をかきむしり、レジェンドに続くように海上を去っていく。
◇◇◇
作戦司令部の騒乱から離れた議長室。しかし、そこにも大雨の暗闇を切り裂いた結末は非情に届けられた。扉を開けて入ってきた通信兵が、張り詰めた声で敬礼する。
「報告!グフ撃墜です」
「「「おお」」」
居合わせた将官たちの間に、安堵とも緊張ともつかない低いどよめきが広がる。だが、その声に混ざって、ミーアは、絶望に顔を青ざめさせて小さく声を漏らした。
「ぁ…」
アスランが本当に撃たれてしまった。その事実に震えるミーアの様子を気にかける風もなく、兵士は淡々と報告を続ける。
「デスティニー、レジェンド帰投」
「そうか、ありがとう」
デスクの後ろで静かに深く椅子に腰掛けたデュランダル議長が、労うように短く応じる。その言葉を聞いたタリアは、自らの部下を二人も同時に失った痛恨に、きつく奥歯を噛み締めた。
「く…」
デュランダルはすぐに思考を次の政治的処理へと切り替え、傍らに控える秘書官へと視線を向けた。
「クラエバー、事の次第を簡単に文章に纏めてくれ。連合側もあれこれ聞いて来始めているからな」
「はい」
さらに議長はよどみない口調で指示を重ねていく。
「これまでの経緯とこちらから調査隊を出すので現場海域へは立ち入らないよう要請する旨を」
「分かりました」
事実上の現場封鎖。すべてをザフトの都合の良いように処理するための手際の良さだった。さらに議長は、将官の一人へと向き直る。
「それと、メイリン・ホークには姉がいたな。彼女を呼んでくれたまえ。一連の事態を話さねばならんし、また訊かねばならないこともあるだろう。それは君の方でやってくれるか?」
「は」
将官が深く一礼して部屋を辞していく。妹の脱走と撃墜という残酷な真実を、これからルナマリアに突きつけねばならない。その冷徹な段取りを終えたデュランダルは、静かにタリアへとその底の知れない瞳を向けた。
「ミネルバの彼等の部屋を調べさせてもらうことになると思うが、グラディス艦長」
「ええどうぞ。でもその前に、少しお話しさせていただきたいですわ」
氷のように冷ややかな視線でデュランダルを射抜くタリア。公私の境界線で揺れ動く彼女の強い拒絶を前にしても、議長は表情ひとつ崩さず、どこか穏やかさすら感じさせる声で言葉を返した。
「そう睨まなくても。ちゃんとそうするつもりだよ、タリア。どのみちこちらも君にも話を訊かなくてはならんし。アスランは私が復隊させフェイスとまでした者だ。それがこんなことになって。ショックなのは私も同じさ」
どこまでも泰然自若としたその態度。まるで自分も被害者であるかのように振る舞う男に、タリアの胸の奥で言葉にならない憤りが渦巻く。その時、別の兵士が恐縮したように議長へと近づいた。
「議長」
次の執務の予定を告げる兵士を片手で制し、デュランダルは最後に、痛々しいほど張り詰めた表情のまま立ち尽くすタリアへ、ひどく優しい声で語りかけた。
「君にも迷惑を掛けてしまったな。本当に済まない。あとで必ず時間は作るから君も少し落ち着いてくれ」
「…」
その優しさこそが、何よりも恐ろしい欺瞞に思えてならなかった。タリアはきつく拳を握り締め、ただ無言で彼を睨みつけることしかできなかった。
◇◇◇
激しい大雨の中、ジブラルタル基地の格納庫へと帰還したデスティニーガンダムとレジェンドガンダム。巨体が重々しい駆動音を立ててシステムを停止させ、コックピットのハッチが開く。二人が、タラップを伝って床へと降りてきた。
だが、シンは足元に着地した瞬間から、まるで魂を抜かれたかのようにその場に立ち尽くしていた。その異様な様子を、隣に降り立ったレイの鋭い視線が見逃すはずはなかった。
「シン、どうした?」
「…………」
乱れた隊服をを直すこともせず、レイの問いかけに、シンはピクリとも反応しない。ただ血の気の引いた顔で、かつての先輩の命を奪った自分の両手のひらをじっと見つめていた。
服に染み付いた湿気や汗の不快感すら忘れるほどの圧倒的な絶望。アスランとメイリンの最期の叫びが、激しい幻聴のように何度も何度も駆け巡っている。シンはおぼつかない足取りで少しでもこの場から離れようとふらふらと歩いて行った。
レイは静かにシンの後ろ姿を見つめながらその後ろをついていった。
◇◇◇
ジブラルタル基地の一室。ルナマリアは、身を切るような冷気と無機質なライトに照らされながら、厳しい調書を受けていた。机を挟んだ向こう側から投げかけられる、メイリンの通信ログや脱走の事実を突きつける容赦のない言葉。ザフトの赤服の袖をきつく握り締め、ルナマリアは震える声を絞り出した。
「メイリンが…メイリンが何で…そんなはずありません!あの子がそんな…アスランも…」
目の前に並べられた証拠の数々を拒絶するように、ルナマリアは激しく首を振った。あのおとなしくて真面目な妹がザフトを裏切るはずがない。アスランが、そんな大それたことをするはずがない。
だが、冷淡に続けられる査問官の手続きは、彼女の必死の言葉をただの感情論として切り捨てていく。その冷酷な現実に耐えかねて、ルナマリアは机に身を乗り出すようにして叫んだ。
「そんなの何かの間違いです!絶対そんな!馬鹿なことを!」
涙が溢れそうになるのを必死に堪え、真っ直ぐに相手を睨みつける。
自分が動揺すれば、妹の、そしてアスランの罪が本当に確定してしまう。そう分かっているからこそ、ルナマリアはパニックになりそうな心を必死に抑え込みながら、大雨の音が壁越しに低く響く取り調べ室の中で、孤独な抵抗を続けるしかなかった。
◇◇◇
激しい大雨が一晩中続いた翌朝。ジブラルタル基地の議長室には、どんよりとした曇天の光が窓から弱々しく差し込んでいた。一睡もできずに朝を迎えたシンは、まだ湿り気の残るザフトの赤服のまま、レイと共に議長室の重い扉を叩いた。
「「おはようございます」」
「おはよう。昨日は済まなかったね。いきなり大変な仕事を頼んで」
デスクの後ろから立ち上がったデュランダル議長は、彼らの心身を深く労るような、どこまでも優しい声音で迎え入れた。その気遣いに、レイは直立不動のまま淡々と応じる。
「いえ」
「だがよくやってくれた。ありがとう」
「討ったのはシンです」
「ぁ…」
不意に自分の名前を挙げられ、シンはビクリと肩を揺らした。血の気の引いた顔のまま、言葉にならない声を漏らす。
「そうか」
「ぁ…」
「大丈夫か?」
シンを覗き込むようにして、デュランダルは眉をひそめて顔を近づけた。その父親のような眼差しに、シンは視線を彷徨わせながら、かろうじて声を絞り出す。
「大丈夫…です…でも…」
「ん?」
「アスランとメイリン、何でそんなこと…」
どうしても拭えない疑問。昨日まで同じ釜の飯を食った仲間が、なぜ。シンが縋るように問いかけると、デュランダルはデスクの書類に視線を落とし、重々しく首を振った。
「まだコクピットも見つからず何も分かってはいないが、こちらのラグナロクのデータには侵入された跡があったようだ」
「ラグナロク?」
「ヘブンズベース攻撃作戦のコードネームだよ。たいそうな名前だがね。ただその中にはデスティニーとレジェンドのデータもある」
「ぇ?」
自分の愛機の名前を出され、シンは息を呑んだ。
「侵入はそう容易ではないはずだが情報に精通している者がいればあるいは…」
「メイリンですね」
「ん」
「…」
レイの冷徹な断定に、シンは拳を握りしめてうつむく。そんな二人の反応を見届けながら、デュランダルは言葉を繋げた。
「彼はラクスを連れ出そうともした」
「え?」
「だがラクスは拒否し、それでこちらにも事態が知れたのだが。一体彼は何故、何処へ行こうとしていたのかな。アークエンジェルとフリーダムを討てと命じたことをだいぶ怒ってはいたようだが。だがそれも…」
「後ろ盾を失い焦ったのでは?」
「ぁ…」
「分からんね。ならば尚のこと、何処へ?」
「ラグナロクの情報なら欲しがるところは一つです」
「ぁ…ロゴス…」
点と点が最悪の形で結びつき、シンの口からその名前が零れ落ちる。
「開戦の折、それだけはどうしても避けてくれと言って来てくれた彼だからこそ、私は信じて軍に戻した。それが何故? ロゴスを討って戦争を止めようというのが気に入らない?」
「議長…」
悲しげに目を伏せるデュランダルの姿に、シンの胸は締め付けられる。自分を裏切ったアスランへの憤りが形を変えようとしたその時、レイが一歩前へ踏み出し、議長へ強い忠誠の眼差しを向けた。
「心中はお察ししますがもう思い悩まれても意味のないことです。我々がいます。議長」
「レイ…」
「困難でも究極の道を選ばれた議長を、皆支持しています」
「レイ…」
「ぁ…」
レイの迷いのない言葉の強さに気圧されながら、シンもまた、自分が信じるべき「正義」がどこにあるのかを必死に胸に刻み込もうとする。
「次の命令をお待ちしています」
「ありがとう」
デュランダルは微かに微笑み、二人の若きパイロットを誇らしげに見つめた。
◇◇◇
「ヘイズ隊、作業時刻は予定通り。関係各員は直ちに準備を開始せよ。降下揚陸隊A班は15時よりブリーフィングを行う。各隊長は…」
ジブラルタル基地の格納庫には、大雨の余韻を残す湿った空気の中に、スピーカーからの無機質な構内放送がけたたましく響き渡っていた。
そんな騒音のなか、整備ドックに並び立つ二機の最新鋭MSを見上げ、ミネルバの少年兵たちは呆然と立ち尽くしていた。
「これが…」
「デスティニー…レジェンド…」
見上げる彼らの瞳に映るのは、不気味なまでの威容を誇る、血紅の翼を持つデスティニーと、ドラグーンを背負ったレジェンドの巨体だった。
「シンとレイが乗るのか…今度は」
少し前までは自分たちと同じように過ごしていた仲間が、今やフェイスの特権を与えられ、この怪物のような新型機を駆って戦場へ赴く。その遠い存在になっていくような感覚にヨウランが呟く。だが、隣に立つヴィーノの脳裏を占めていたのは、機体よりも、失われたもう一人の仲間の姿だった。
「メイリンは…」
「よせよ、そのことは言うな。もう絶対に」
ヴィーノが震える声でその名前を口にした瞬間、ヨウランは周囲を警戒するように遮り、厳しく首を振った。
脱走、裏切り、そして撃墜――昨日まで隣で笑っていた同僚の「消滅」は、もはやこの基地においてタブーであり、口にすれば自分たちの身をも危うくする。
「うぅ…」
ヨウランに窘められ、ヴィーノはそれ以上何も言えず、悔しさと悲しさに顔を歪めてただ俯くことしかできなかった。上空のアナウンスは、そんな少年たちの葛藤など知る由もなく、次の戦いへ向けて淡々と準備の刻限を告げ続けていた。
◇◇◇
ジブラルタル基地での厳しい調書と議長との対話を終え、タリアは逃げ込むように自らの艦長室へと戻っていた。ドアの閉まった静まり返る私室。タリアは深く椅子に座り込んで身を預けている。天井のライトを仰ぐようにして、一歩も動けないほどに衰弱している彼女の元へ、心配のあまり追ってきた副長のアーサーが、静かに部屋のドアを開けて入ってきた。
「お疲れ様でした、艦長」
「艦内はどう? 司令部からの発表、もうみんな聞いたわね?」
タリアは椅子の背に全身の体重を預けたまま、目元を片手で覆い、疲れ切った声で問いかけた。アーサーは痛ましげに顔を曇らせて頷く。
「はい、皆そのショックを受け、動揺しております」
「そうよね…」
一晩にして、優秀なオペレーターだったメイリンと、アスランを同時に失ったのだ。艦内に広がる悲痛な空気を想い、タリアは椅子に身を沈めたまま、深く重いため息を吐き出した。
「艦長?」
いつも毅然としている彼女が、椅子の奥深くへ吸い込まれるようにぐったりとしている姿を見て、アーサーは思わず声を上ずらせる。タリアは顔から手を退け、消え入りそうな声で本音を漏らした。
「悪いけどもう少し頼める? これではシートに座れない」
「は、はい!」
あまりにも重すぎる現実を前に、今はブリッジの指揮官席(シート)で毅然とした「艦長」の仮面を維持するだけの心が残っていない。その本当の弱さを見せられたアーサーは、彼女を支えるべく、深く椅子に座り込む彼女の前で力強く背筋を伸ばして敬礼を掲げた。
「すぐに行くから」
「は!」
アーサーはそれ以上言葉を挟まず、静かに艦長室の自動ドアを閉め、ブリッジへと戻っていった。一人きりになった私室で、タリアは椅子に身を預けたままきつく拳を握り締め、胸の奥で渦巻く欺瞞への憤りと割り切れない悲しみを必死に抑え込もうと、ただじっと目をつむっていた。
◇◇◇
調書を終えたルナマリアが力ない足取りで通路を歩いていたその時、前方から歩いてくるシンとバッタリ顔を合わせた。
お互いにザフトの赤服のまま、その場の空気が凍りついたように足が止まる。ちょうどその時、離れた角から偶然通りかかったレイの目が、二人のただならぬ気配を捉えていた。
「ん?」
レイは声をかけるのをやめ、物陰から静かに二人の様子を窺った。
「ぁ…」
「ぁ…」
ルナマリアの赤く腫れ上がった目元を見て、シンはハッと息を呑み、そのまま金縛りにあったように動けなくなっている。自分が昨夜、あの激しい大雨の中で撃ち落とした青いグフ。その中にいたメイリンの姉が、今、目の前に立っている。かけるべき言葉など見つかるはずもなかったが、シンの口からは、押し潰されそうな後悔が掠れた声となって零れ落ちた。
「………ごめん…」
「ぁ!……うぅ…うぅ…」
シンのその謝罪の言葉が引き金となり、ルナマリアは小さく息を詰まらせた。それまで必死に耐えていた緊張の糸がぷつりと切れ、顔を両手で覆ってその場に泣き崩れてしまう。シンはそれを無言で見ていたが、そっとルナマリアの前に膝をついた。するとルナマリアはたまらずに涙を流しながらシンの胸をたたき続ける。
「………」
「何で、何でよ!」と言葉にならない叫びをあげるように、大粒の涙をボロボロと溢れさせながら、彼女はシンの胸を何度も、何度も小さな拳で叩き続けた。
シンは痛みに身をすくめることもなく、胸に受ける彼女の衝撃を、ただじっと動かずに受け止め続けている。その拳の痛みのひとつひとつが、自分が犯してしまったことの生々しい罪の重さとなってシンの胸に突き刺さっていた。
通路に響き渡るルナマリアの痛々しい泣き声と、隊服越しに響く鈍い衝撃音。その二人きりの痛切な光景を、レイは無言でその場を離れた。自分の足音さえ消すように静かに身を翻し、冷え切った通路の奥へと消えていく。残された通路には、やり場のない悲しみの音だけが、いつまでも虚しく響き続けていた。
◇◇◇
ジブラルタル基地の司令部に詰める将官の促しに、デュランダル議長は静かに頷き、目の前の巨大なメインスクリーンを見据えた。
「議長」
「ああ分かっているよ。やらねばならん。そのために我々は集ったのだからな」
そこには、出撃の刻限を迎えた無数のザフト艦艇のデータが整然と並んでいる。
「マジマ隊、全機発進」
「シレオ隊、発進スタンバイ」
「針路クリアー。旗艦BB01、出港よろし」
鳴り響くサイレンと無機質なアナウンスが基地内を駆け巡る。激しい水飛沫をあげ、ザフトが誇る最新鋭戦闘艦ミネルバの巨体がゆっくりとドックを離れ、大海原へとその艦首を向けた。ブリッジのコンソールを操作するアーサーが、全軍に向けて力強くマイクを握りしめる。
「旗艦BB01ミネルバより通達。全軍我に従え」
ミネルバの号令とともに、周囲を埋め尽くす大艦隊が一斉にエンジンを駆動させ、波濤を蹴立てて進軍を開始した。その圧倒的な光景を司令部から見届けながら、デュランダルはすまし顔のまま、通信兵へと静かに指示を出した。
「まずは通告を送ってくれ」
「ぇ?」
これから始まるであろうヘブンズベースへの総攻撃。その直前に投げかけられた意外な言葉に、洋上のミネルバブリッジにいた面々は驚きに目を見開く。
「基地内にいるロード・ジブリール氏他、ロゴスと名を挙げた方々の引き渡しを要求すると」
「はい!」
「話し合えればな。それに越したことはないだろう?本当は」
フッと穏やかな笑みを浮かべ、あくまですべての責任は拒絶するロゴス側にあるのだと言わんばかりのトーンで語るデュランダル。その底知れない欺瞞を孕んだ言葉の裏で、大艦隊は曇天の海を真っ直ぐに突き進んでいく。世界を揺るがす大決戦の火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。
◇◇◇
「進入クリアランス、3、1、1。係留チームスタンバイ。放射線管理チームはAパドックに待機せよ」
「よし!直ちに修理と補給作業にかからせろ!急げ!」
慌ただしく人が行き交うアークエンジェルの格納庫。その最中、ブリッジのミリアリアから少し緊張した声で通信が入った。
「ジブラルタルよりヘブンズベースへ向けての通告です」
「え?」
「我等ザフト及び地球連合軍はヘブンズベースに対し以下を要求する。一、先に公表したロゴス構成メンバーの即時引き渡し。二、全軍の武装解除、基地施設の放棄」
「これは…」
世界を揺るがすような一大事が報じられる中、ブリッジの自動ドアが開き、キラがひどく困り果てた様子でマリューの元へと歩み寄ってきた。
「マリューさん、ちょっといいですか?」
「キラくん」
「ラクスと話したいんです。連絡が取れますか?」
「え?」
深刻な情勢の直後だけにマリューは怪訝に思うが、キラの切実な訴えは、あまりにも予想外な方向へと向けられていた。
「本当に急がないと…アマキの食べすぎに歯止めが効かなそうで……、ちょっとリバウンドの傾向があるんです。」
「まぁ!」
「さっきも僕のいない隙にぽたぽた焼きの袋を全部からにしていたって、スティングさんが教えてくれて。お菓子の全般は隠しているはずなんですけど。雪彦さんからダイエット用の薬は渡されているんですが、その、副作用が豚に変身しちゃうらしくて、それはちょっと忙しい時には飲ませたくないかなって」
真面目な顔のまま必死に事情を説明するキラ。そのあまりにも斜め上な悩みに、マリューは驚きつつも、どこか楽しそうにクスリと笑った。
「それは急がないいけないわね。それにしても豚に変身って…嫌がらせかしら?ちょっと見てみたいわね」
「はい。忙しい時でなければ飲ませようと思います。だからラクスのお仕置きがないとやっぱりダメみたいですよ」
――同じ頃、宇宙を往くエターナルのブリッジ。
地球からの困惑混じりの通信を受け取り、ラクスは静かに、しかし重大な決意を秘めて呟いた。
「そろそろ頃合いかもしれません」
傍らでコーヒーを手にしていたバルトフェルドが、そのただならぬ雰囲気に視線を向ける。
「ん?」
「普段の抑止力としてわたくしが制している分、今の状況はアマキにとって好都合なものです。ブレーキ役がいなければリバウンド確実ですわ。ぷにぷになアマキも愛しておりますが、健康的なアマキの方がお似合いですもの」
「ええ!?また太ったら、パイロットスーツ新調しなくては……あ」
アイシャからの冷めた視線でダコスタは失言だったと顔を青ざめる。ジロリと冷たい視線を向けられ、ダコスタはしまったという顔で思わず身をすくませた。
「そうよ、また強制ダイエットの日々ね。私もできればしたくはないわ。あの子ったら、いっつも!小動物な可愛い目で訴えてくるんだもの。私も辞めてあげたい気持ちを抑えるの大変なのよ」
「ええ。アイシャさんもこう言ってますし、歯止めが効かなくなったらもう、キラ達にはアマキを止められなくなります。ですからもう時間との勝負ですわ」
お菓子をめぐるアマキとの攻防戦を思い出し、がぜん使命感を燃やすラクス。その勢いにバルトフェルドは苦笑しながらコンソールへと向き直った。
「じゃあ、あっちとコンタクトをとるか」
「はい。お願いします」
こうして、緊迫する情勢の裏側で、アマキのリバウンドを阻止するための極秘通信回線が開かれるのだった。
◇◇◇
その頃、ザフト軍のミネルバのコックピットでは、一人の少年が静かに闘志を燃やしていた。
ヘブンズベースへの通告が響き渡る中、シンは計器の光に照らされながら、迫り来る決戦の刻を前にして拳を強く握り締める。
(戦争をなくす。今度こそ、本当に)
その瞳に宿るのは、過去の悲劇を繰り返さないという狂おしいほどの義務感。だが、その背負ったものの重さに耐えるように、彼は小さく声を漏らした。
「うぅ…」
じっとりとにじむ汗を拭うこともせず、シンは目の前のメインモニターを見つめ続ける。その横顔には、言葉にできないほどの暗い陰が落とされていた。
あの地獄のような戦火から、自分と家族の命を救い出してくれた憧れの英雄、アマキ・カンザキ。
プラントで「アマノ・シノザキ」という名で出会い、せっかく親しい交友関係を結べたと思ったのに、彼女――いや、アマノはオーブ側として自分たちの前に立ちはだかった。
何度も交戦を重ねるうちに、シンは気づいてしまったのだ。
あの白い機体、スノーホワイトに乗っているパイロットの操縦の癖は、二年前の戦場で命を救ってくれた神業のようなアマキ・カンザキのものではない。あの、アマノのものだ、と。
(アマノの奴……あのアマキ・カンザキのスノーホワイトを奪って、あんな奴が乗って戦場を汚してるんだ……!)
それだけではない。脱走したアスランのグフを落としたあの戦闘以来、シンの心は激しくすり減っていた。いくら反発し合っていたとはいえ、同じ艦ふねで苦楽を共にした仲間だったのだ。自らの手で仲間を殺めてしまったという事実は、シンにとってショック以外の何物でもなかった。
押し潰されそうなほどの罪悪感が、シンの胸を締め付ける。
――だから、決めつけるしかなかった。
(あいつのせいで……アマノのせいで、アスランまで死んだんだ……!そうだ!全部、ぜんぶ、アイツのせいだ……)
自分がアスランを殺したんじゃない。あのアマノが敵として現れて、戦況をめちゃくちゃにかき乱したから、こんな悲劇が起きたんだ。そうやって全ての責任をアマノに押し付け、憎悪の矛先をすり替えなければ、シンの心は今すぐ木っ端微塵に砕け散ってしまいそうだった。そうしなければ、自分の心が保てなかったのだ。
間接的にアスランを死に追いやる原因を作ったアマノへの激しい憎悪。
まさかアマノの正体こそが、食べすぎて二年前の面影を完全に失った本物のアマキ・カンザキだとは夢にも思っていないシンは、壮大な勘違いと歪んだ防衛本能のどん底で激しく落ち込みながら、ただ目の前コンソールに映し出されるスノーホワイトの映像をただただ憎々し気に睨みつけていた。
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