しっぽを隠して!稲形さん!   作:人外が好き

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しっぽを隠して!稲形さん!

 稲形(いなり)さんは学校一の美少女である。

 立てば凛々しく、座れば可愛らしく、歩く姿は美しいというだけでなく、性格面は品行方正質実剛健才色兼備と、大概の褒め言葉は似合う。いずれ良妻賢母の四文字も加わるのだろうが、いまのところ浮いた噂はまったく聞かない。そういったところも人気なのだ。

 

 彼女が道を歩けばスカウトされ、登校すれば下駄箱に山のような恋文が詰められ、廊下を歩くだけで皆の視線を一身に集める。席替えで近くの席になっただけで(ねた)(そね)(うら)みを買う羽目になるので、真後ろに座る陰の者ことぼくには、新学期早々胃痛という新たな友達ができた。

 

 ──それが、どうして。

 

「あの……っ、突然すみません!」

 

 白いカーテンが靡く夕暮れの教室。差し込む西日を受けて、稲形さんの金糸のような髪がキラキラと輝いている。

 ぼくのような人間が彼女と二人きりというだけで尋常ならざる事態なのだが、そんな現実以上の異常があった。それは────

 

「告白……させていただいても、いいですか?」

 

 ──頭頂部に生えた、ぴんと尖ったモフモフの耳。背後で揺らめく稲穂のようなしっぽ。意志を持ったように時折動くそれは、明らかに稲形さんに付随した器官であった。

 どうしてこんなことになったのだろうか──と、ぼくはここまでの経緯に思いを馳せた。

 

 

 *

 

 

「それでその猫がさー、めちゃくちゃあの子にそっくりで!」

 

「なるほど、すごいですね」

 

「いや〜稲形ちゃんにも見せたかったね」

 

 前の席の喧騒を尻目に、ぼくは読書に励んでいた。稲形さんに話しかけるのは女子数人ほどの固定メンバーである。休み時間だからって窓際最後尾の辺鄙なところまでやってきて、席を囲うようにたむろする陽の者たちには困ったものだが、ぼくのところにまで被害がないのが幸いだ。や、腫れ物扱いされてるだけかもしれないけど……

 

「ところで稲形ちゃん、今日放課後空いてる?」

 

「すみません、今日は家の所用が……」

 

「ありゃ、それはしょうがない。んじゃまた空いてる時にね〜」

 

 そこまで話したところで、ちょうどチャイムが鳴った。「またあとでね!」なんて手を振り合って、各々が席に戻っていく。

 傍から聞いていても稲形さんと彼らの会話が楽しそうには見えないし、稲形さんも塩対応というか淡白な返ししかしてない気がするけど、そういうものなのだろうか──まあ、ぼくには関係がないが。

 

「じゃあ授業始めるぞー、教科書の66ページを開け」

 

 初老の男教師がチョークを弄びながら言った。歴史の授業なら真面目にやらなくてもいいな、と引き続き文字の世界に没頭しようとしたところで、稲形さんの様子がおかしいことに気づいた。

 

 机を覗き込んだり、鞄をひっくり返したり、慌てた様子で動いているのを見て、教科書を忘れたらしいことを察する。それなら隣の人に、と思ったが、今日に限ってお休みなのを忘れていた。

 

「あの……」

 

 流石に見て見ぬ振りはできなくて、小声で声をかける。驚いたように振り向いた稲形さんの、金色の瞳がこちらを見つめた。

 

「よかったら、どうぞ」

 

「え、でもそれだと獅記(しき)さんが……」

 

「ぼくのことは、気にしないでください。大丈夫なので」

 

「じゃあここのところを……今日は3日だから、出席番号3番の──」

 

 彼女の身体が小さく跳ねる。稲形さんは、たしか3番だった。小さく頷いて、ぼくは「どうぞ」と促す。彼女は申し訳なさそうに小さくお辞儀して、教科書を受け取った。

 

「稲形、答えられるか?」

 

「はい。ええと────」

 

 そのまま授業は恙無く進み、無事バレることなく乗りきることが出来た。

 

「先程はありがとうございました」

 

 振り向いた稲形さんが、教科書を渡しながらはにかむ。

「本当に助かりました」

 

「いえ、お気になさらず」

 

「獅紀さんは──」

 

 と、彼女が何か言いかけたところで、「稲形ちゃんお疲れ〜、ご飯食べよ〜」といつもの面々が集まってきた。迷ったような顔をした彼女だったが、ジェスチャーで『どうぞ』と促すと、そちらに向かった。

 一瞬見えた、彼女らの訝しげな表情が少しだけ頭に残ったが、そりゃそうか、とひとりごちて弁当箱を開けた。

 

 

 

「この公式を当てはめると、X=yの──」

 

 食後。昼下がり。ただでさえ眠くなる状況であるというのに、その上で呪文みたいな公式を覚えさせられるのは最悪だった。欠伸を噛み殺しながら教科書とにらめっこするぼくだったが、眠気を覚ます出来事が起きた。

 

「………………」

 

 視線を感じて顔を上げれば、金の瞳がこちらを覗いていた。喉の奥まで出かかった声を抑えていると、彼女が何かをぼくの机の上に置いた。

 授業のプリントかと思ったが、そうではなかった。それは、折り畳まれたルーズリーフだった。開くとそこに『改めまして、ありがとうございました。授業大丈夫でした?』と達筆な文字でしたためてあった。

 

「………………」

 

 律儀なことだな、と思う。折角なので、『大丈夫です、気にしないでください。あの時代の内容であればだいたい頭に入っているので』と書いて、折って、ソレで彼女の背中をそっとつついた。

 

「……………………」

 

 受け取られたものの、返信はない。冷静に考えてみれば、だいぶイキったことを書いてしまったかもしれない。故に返答に困っているか、あるいは会話する気を失せさせてしまったか? と気を揉んでいたが、返信はしっかりきた。

 

『それはすごいですね。よく本を読まれているのを拝見しますが、歴史小説なども読まれるのですか?』

 

 まさかぼくが本の虫であることを認識されているとは思わなかった。動揺しつつも『そこまで数は踏んでいませんが、ちょうど今日の範囲の時代の物を読んでいたので、ラッキーでした』と書く。そこから、何となくやり取りが始まった。

 

『好きな本はなんですか?』

 

『好きな音楽はなんですか?』

 

『尊敬する人は?』

 

『座右の銘は?』

 

 やり取りというか、ほとんど彼女からぼくへの一方的な質問攻めだった。一応誠実には答えたが、こんなので満足しているのだろうか。まあ精々、退屈な授業の暇潰しにでもなっていればいいか。

 

 ──そんなやり取りを始めて、一週間が経った。

 手紙を回し合う以外にぼくたちの関係には何ら変化がなく、いつも通りの退屈な日常を送るばかり。

 幸いなのは、窓際の一番後ろで行われる静かなやり取りには、誰も気づいた様子がないことだった。ぼくに火の粉が降り掛かるのも、稲形さんに迷惑がかかるのも、好ましくはないから。

 

『稲形さんは、部活とか入ってましたっけ?』

 

『いえ、帰宅部ですね。家が少し厳しいので(汗)』

 

 とはいえ、たぶんそこそこ打ち解けてきてはいた。(汗)って。案外ラインとかだと、かわいいスタンプ使ってるタイプなのかも。

 

『何となくそんな感じがしますね。振る舞いというか、所作が丁寧なので』

 

『そう言って頂けると、頑張ってきた甲斐がありますね。いや、大したことはしてないんですが』

 

 稲形さんの後ろ姿は、どこか嬉しそうだった。腰の辺りから生えた尻尾も、喜びを示すようにゆらゆらと揺れていて──

 

「ん……?」

 

 己の視覚を疑って、思わず瞳を擦る。改めて見てみるとそんなものはどこにもなく、いつも通りの稲形さんの後ろ姿だった。

 

「気のせいか……?」

 

 寝不足だからかなあ、と首を傾げて欠伸する。手紙の返信を考えながら、少しだけ休もうと机に伏せる。微睡みの中、視界の端に、揺れる獣耳が見えた気がした。

 

「いや気の所為じゃないっ!」

 

 思わず呟いて立ち上がる。と同時に、クラス中の視線がぼくへと突き刺さる。そりゃあ授業中なんだから当然だ。

 

「どうした、獅記。体調でも悪いのか?」

 

「あ、えっと……」

 

 心配そうな先生の目と、周りの好奇の目をひしひしと感じる。何やってんだあの陰キャ、と思われていることは間違いないだろう。

 

 頭が真っ白になって生まれた、泣きそうなくらいの沈黙を、切り裂くように手が上がった。

 

「あの、先生」

 

「なんだ稲形」

 

「そこの文章、間違ってます」

 

 稲形さんが指摘した部分は、たしかに教科書との表記にズレがあった。教科書と黒板とにらめっこしてから「……なるほど」と、ワンテンポ置いて先生は言った。

 

「そうか、獅記はそれが言いたかったのか。すまん、助かった!」

 

「い、いえ……とんでもないです」

 

 なんだ、と興味が薄れていったのを感じてから、静かに座った。ほとぼりが冷めた頃に小さくこちらを振り返った稲形さんは、心なしかドヤ顔をしていた。

 

『ありがとうございます、助かりました』

 

『いえいえ、とんでもありません。先日の教科書の分のお返しということで^^』

 

 ^^って。かわいげとユーモアを兼ね備えためっちゃいい記号が返ってきた。記号そのままの感情を示すように、静かに尻尾が揺れている。

 

「…………」

 

 そうなのだ。まだ尻尾は残ったままなのだ。どれだけ目を擦ろうとくっきりと、狐らしき金色の耳と、狐らしきモフモフの尻尾が目に入ってくる。何だったら先程ぼくを庇って発言してくれた時でさえ、収納されることなく残り続けていたのだが、クラスの誰一人それに気づく様子なく平然としていたので、面食らった。

 そうなるとやはり、おかしいのはぼく一人ということになる。あるいは──

 

「……いや、ないない」

 

 稲形さんのコスプレという可能性もあったが、それをする意味がわからないし、それにあの耳と尻尾は、作り物の付け物には見えない。ぼくの目が、間違いなく本物だと言っている。や、だから目を疑っているワケだが。

 しかし気になりだすと止まらない訳で、勇気を持ってカマをかけてみることにした。

 

『そういえば、稲形さんって好きな動物とかいますか?』

 

『むう、難しいですね。動物ならだいたいなんでも好きですけど……強いて言うなら、狐ですね』

 

 狐。やけにその字だけ達筆で、書き慣れているように見えた。

 

『狐ですか。いいですよね、モフモフで愛くるしい表情をしていて。猫や犬ほど一般的じゃないからあまり見かけないけど、機会があれば触れ合ってみたいですね』

 

 手紙を読み終わると同時に、稲形さんの尻尾がピン、と立った。左右にぶんぶんと、緩やかな振り子のように揺れている。

 

『よく、自分を動物に例えるなら何かって質問があるじゃないですか。それで言ったら獅記さんは猫みたいですよね。髪の跳ね方とか、気ままな感じとか』

 

『言われてみると、なんだかしっくりきます。悪くないですね』

 

 猫になったんだよな、って言葉が脳裏を過ぎった。いや、アレだと失恋しちゃうけど。どちらかといえば、ぼくの場合は猫かぶりだし。

 

『それでいったら、稲形さんは狐っぽいですね』 

 

「!」

 

 ぼくの手紙を見て、今度は稲形さんの耳がピンと立った。何となく、空気が変わったのを感じる。

 

『初めて言われましたね。どうしてそう思うんですか?』

 

『さっき好きって書かれてたじゃないですか。そう言われてみると、何となくそんな雰囲気だなって』

 

『ああ、なるほど。そういうことなんですね』

 

 ほっと胸を撫で下ろすように、尻尾の動きが安定したので、もう少し攻めてみることにした。

 

『あとは、一部のパーツが似てるなって。耳とか尻尾とかが』

 

「!」

 

 ようやく己の耳と尻尾に気がついたらしく、感触を確かめるようにぺたぺたと触ってから、物凄い速さで字を書く音が聞こえた。

 

『もしかして、見えてますか?』

 

『恐らく、ガッツリ見えてます。良い毛並みですね』

 

 手紙を見るやいなや、稲形さんは机に頭を伏せた。良い毛並み、はちょっとセクハラだっただろうか。

 

『放課後、教室で待っていていただけますか?』

 

 少しして、ようやく復活した稲形さんからそんな手紙が届いた。いつも通り何の予定もないことを確認してから、『大丈夫です』と返信する。僕の心も、彼女の尻尾みたいにブンブンソワソワしてきた。

 

 

 *

 

 

 ──そして現在に至る。 

 

「告白、させていただいてもいいですか」

 

「は、はい」

 

 夕陽のせいか少し赤みを帯びた顔で、稲形さんはまっすぐにこちらを見る。

 

「私、実は──」

 

 ごくりと、唾を飲む。どきりと、大きく胸が高鳴る。

 

「実は──妖怪なんです」

 

「よ──妖怪!?」

 

「はい。といっても、純血の妖怪ではないのですが」

 

 この耳も尻尾も本物です──と、稲形さんはひょこひょこ動くそれらを指差した。

 

「……信じられませんか?」

 

「いえ、そんなことないです。ただ、まだ自分の中の常識と折り合いがついていないというか……」

 

 というか、告白って聞いて勝手に期待を抱いてしまっていたので、そちらのショックがでかい。冷静に考えれば、そりゃそうだろといった感じだが。

 

 ううんと小さく唸る稲形さん。少しだけ逡巡する様子を見せてから、こちらに背を向けた。

 

「触ってみますか?」

 

「えっ」

 

 しなやかに靡く尻尾。それを示して、稲形さんは横目でこちらを見る。

 

「遠慮しなくて大丈夫です。それにこれは、確認の意味合いもあるので」

 

 ささ、と言われて、ぼくはゆっくりと尻尾へ手を伸ばす。据え膳食わぬは、じゃないが、そこまで言われて触らないのも失礼だろうし。

 

 それに正直、めちゃくちゃ気になっていたので。

 

「ん……」

 

 彼女の尻尾はシルクのように手触りがよく、きちんと手入れがなされていることが窺えた。その毛並みは、猫の尻尾より柔らかく、犬の尻尾よりしっかりしている。毛の中に微かに感じるぬくもりは、これが間違いなく生き物のそれであることを伝えてくる。

 

 できることならいつまでも触っていたいくらいだが、そうもいかない。何故ならば──

 

「あの……そろそろいいですか?」

 

「やっ、んっ、もうちょっとだけ……」

 

 敏感な感覚器官だからだろうか。尻尾に触れる度に稲形さんの身体は小さく反応し、少し艶っぽい声が漏れる。教室でこんなことをしている背徳感からか、ぼくの背筋もゾクゾクしてきた。

 

「──はい、もう大丈夫ですっ、ありがとうございました」

 

「いえ、こちらこそ……」

 

 手の中にまだ少し、モフモフとぬくもりが残っている気がした。

 残留した感覚を握りしめるように手をグーパーしていると、「これで信じてもらえました?」と、不安そうな上目遣いで稲形さんは言った。

 

「もちろんですよ。そもそも、そんなに疑ってませんでしたし」

 

 他ならぬ稲形さんの言葉ですから、と続ける。たった一週間の、それもほとんど文字の上だけの交流しかないけれど、だからこそ彼女の誠実さはわかっているつもりだ。

 

「そこまで言っていただけるなら、私も答えるしかないですね。獅記さん、これから話すことは、二人だけの秘密と約束してもらえますか?」

 

「わかりました」

 

 ふう、と一息吐いて、覚悟を決める。自分の中の常識を、大きくアップデートさせる覚悟を。

 

「私の場合は少し特殊なのですが、妖怪はいまも、人の世に紛れてひっそりと暮らしています。といっても目立ちすぎては問題ですので、それぞれ妖力でフィルターを掛けながらですが」

 

「もしかして、稲形さんの耳や尻尾が誰にも気づかれなかったのは──」

 

「ええ、それもフィルターの効果です。私たちはそれを、妖膜と呼んでいます」

 

 フィルターということは、通すモノと通さないモノが設定されているはずだ。そこの設定ミスで僕が妖膜を抜けてしまった、ということだろうか? 

 

「妖膜の設定はある程度自由で、例えば誰から見ても人と遜色なく見えるようにしたり、猫だとかの動物に錯覚させたり──ただ基本的に、自分より強い妖力の相手のことは騙せません」

 

「つまり──ぼくはその妖力とやらが強いってことですか!?」

 

「いや、アレは私がうっかりしてただけですね。未熟者でして、気が緩むと妖膜も緩んで尻尾が出ちゃうんですよ」

 

 ただ、と稲形さんは続けた。

 

「先程確認させていただいたところ、潜在的な妖力量自体はかなり多いようですので、それ故に私の気が緩んだ際に見えてしまったのだと思います」

 

「あー、そういう意図があったんですね」

 

 要は、さっきの尻尾モフモフの話だろう。確認の意図があるとは言っていたが、妖力量の把握だったのか。

 

「途中で何か、体の感覚に変化がありませんでしたか? その時感じた物が妖力です」

 

「あのゾクゾクしたやつか……!」

 

「思ったより多かったので、少しだけ吸わせていただきました」

 

 日常生活で役に立つことは恐らくないのだろうけど、人にないものを持っているというのはなんだか嬉しくなる。思春期特有の承認欲求が満たされていく気がする。

 

「妖力が多すぎると、何か支障があるんですか?」

 

「明確に何かあるわけではないのですが、妖怪側から絡まれたりしますね。人の想いから生まれることが多い妖怪にとって、見てもらえることはある種の幸福なので」

 

「霊感ある人ほど、幽霊に気づいても知らないフリをする……みたいな?」

 

「そうですね。霊感というのも、妖力の保有量が関わってくる面は大きいので。妖力の扱い方を理解している方が、俗に言う霊能力者として活躍していたりします」

 

 世界の裏側が次々に明かされていき、少しだけ賢くなったような錯覚が生まれる。誰かに話しても信じてもらえないような、突拍子もない雑学だが。

 

「それで、その。今日お呼びした本題なんですけど……」

 

「はい」

 

 逡巡するように言い淀んでから、稲形さんは小さく告げた。

 

「獅記さんさえよければ、これからも定期的に、妖力を分けて頂きたいのです」

 

「その程度であれば、全然構わないですけど」

 

 本来人に必要のない物だというのなら、それを有効に活用できる稲形さんが持っている方が断然いいだろう。ウィンウィンだ。

 

「あ、でも妖力をあげちゃうと幽霊とか妖怪とかが見えづらくなるんですかね? 折角だし色々見てみたい気持ちもあるんですが」

 

「絶っっっっ対やめたほうがいいです」

 

 稲形さんの柔らかなイメージからかけ離れた、強い言い切りだった。その凄まじい圧に、震えながら首を振ることしかできない。

 

「……取り乱してしまってすみません。うち、家業の問題でそういったゴタゴタに絡まれることが多くて……獅記さんが羨むような面白いことなんてない、って言いたかっただけなんです」

 

「いえ、こちらこそごめんなさい。稲形さんの事情を知らずに、デリカシーのないことを言ってしまって」

 

 小さく頭を下げあった僕らは同時に顔を上げて、目を丸くしてから笑った。

 

「あの。よかったら、砕けた口調で喋りませんか? その……これから、秘密を共有する訳ですし」

 

 少しだけ顔を反らした稲形さんは、片耳を寝かせながらそう言った。彼女と同じように、自分の顔が瞬く間に赤くなっていくのがわかる。

 

「うん……そうだね」

 

 声は震えていないだろうか。表情は変じゃないだろうか。そんなくだらないことを気にしながら、手のひらを向ける。

 

「改めてよろしくね、稲形さん」

 

「はいっ!」

 

 重ねた手のひらは、たしかに温かかった。

 

 








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